聖書の言葉から(「狭き門」より入れ)

夏目漱石の初期の三部作「それから」「こころ」に次ぐのが「門」である。
この小説のタイトルがなぜ「門」なのか、その答えは小説の本文の中にあった。
物語の後半の主人公において、10日ほど禅寺で修行する場面で、「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」とある。
主人公が抱えたのっぴきならぬ問題からして、ここでいう「門」とは「宗教」を意味するようだ。
ところで聖書には、「門」に関わる表現やたとえ話が多い。まずは、夏目漱石とは対照的な「門」を詠ったダビデの詩(「詩篇」24篇)を紹介したい。
「門(かど)よ、汝の頭(こうべ)をあげよ、とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。栄光の王とはだれか。 強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。 この栄光の王とはだれか。万軍の主、これこそ栄光の王である」。
「門」そのものが人を招き入れているようなこの詩は、イスラエルのダビデ王が凱旋する際に、「契約の箱」を招き入れる時に詠われたと伝えられている。
天地と共に門が小躍りするかのように擬人的に詠まれていのは、勝利の王を讃えるというより、王を勝利に導いた神を讃えているからである。
思い浮かべるのは、「新約聖書」においてイエスが自らを「門」に譬えていることである。
「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われ、また出入りして、牧草にありつくであろう」(「ヨハネの福音書」10章)。

聖書には「門」もしくは「戸」を比喩にした言葉が数多くある。
新約聖書には「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである 」(「マタイの福音書」7章)とある。
また、「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食をともにするであろう」(「ヨハネ黙示録」3章)とある。
戸をたたくのが神の方で、扉を開くのはあなた次第ということなのだが、聖書のエピソードの中には、イエスの「一言」で心の扉を開く出来事がある。
イエスによって「名ざし」された人々は大概はそうで、イエスはあらかじめその人を知っているかのような印象さえある。
まずは、イエスの一番弟子になったシモン・ペテロとの出会いは、次のとおり。
「さてイエスがガリラヤの海べを歩いておられると、二人の兄弟、すなわちペテロとよばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているいるのをごらんになった。彼らは漁師であった。イエスは彼らにいわれた。”わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう”。すると彼らはすぐに網をイエスに従った」(「マタイによる福音書」4章)と、実にあっけなく弟子となっている。
またイエスは違う時に二人の金持ちと遭遇するが、イエスはそれぞれに対して対照的である。
一人の青年がイエスの元やってきて「自分はどうすれば永遠の命を得られるか」と聞いた。
イエスはすべての掟を守り「あなたと同じように隣人を愛しなさい」と答えると、青年はそれはすべてやっているという。
この青年は金持ちの息子で、行いのうえでは非の打ちどころもない人間だったようだ。
それでも、自分が救われるかどうか確信がない。だからこそイエスの処にきたことが推測される。
イエスは青年に「もし完全になりたいのなら、持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる」というと、青年はこの言葉を聞き悲しみながら立ち去った。
たくさんの財産を持っていたからである。
その時、イエスは「金持ち天国にはいるのは駱駝が針の穴を通るより難しい」と語っている。
この話の中で、イエスは青年の心をあらかじめ知ったうえで、距離感をもって接している感じが否めない。
というのも、ザアカイという「悪党」といわれても仕方がない金持ちとの出会い(「ルカの福音書」18章)とは、あまりにも対照的だからだ。
ザアカイは取税人のかしら、つまりローマの手先となってユダヤ人から税金をしぼりとり、金持ちだが「罪人」と見られていた。
このザアカイはひと目イエスを見ようと、背が低いこともあって木の上に昇ってイエスが通りかかるの待っていた。
するとイエスが、多くの群衆の中で名指しで、「ザアカイよ 急いで降りてきなさい。今日、あなたの家に泊まることにしているから」と声をかけた。
イエスが自分の名前を知っているだけでも驚きなのに、都合も聞かずにザアカイの家に泊まるというのだ。
そしてそれは、ザアカイにとって「生まれ変わり」の体験となる。
ザアカイがその呼びかけに対して「主よ、私は誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取り立てをしていましたら、それを四倍にして返します」という言葉に表れている。
こういう「二人の金持ち」対するイエスの態度を見ると、救われる者が「予め定め」られているようにも思えるし、「人はうわべを見るが主はこころを見る」(「サムエル記上」15章)という言葉が思い浮かぶ。
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった」(「ローマ人への手紙」8章)。
ザアカイはイエスが泊まることを受け入れるが、このなにげない「泊まる」という言葉には、深い意味が感じられる。
それは、イエスの十字架と復活後に下って信徒に「宿った聖霊」を預言しているように思える、

聖書には「門」にまつわる巷間に知られた言葉がある。それは「狭き門からはいれ」で、受験予備校に掲げられていそうなスローガンである。
聖書では、「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」(「マタイの福音書」7章)となっている。
これは、キリスト教にとって「救い」のことに触れているが、「命にいたる門は狭い」とか、「それを見出す者が少ない」とあるのは、信徒からすれば聞き捨てならぬ言葉である。
ちなみに、この言葉に続く言葉は、「偽預言者には注意せよ」である。
また、「わたしにむかって"主よ、主よ"と言う者が、みな天国にはいるのではない」(「マタイ福音書」7章)とか、「水と霊によらなければ神の国に入ることはできない」(「ヨハネの福音書」3章)とあるので、洗礼と受霊が救いの「門」であることが明白である。
洗礼については前稿「聖書の言葉から(イエスの名によって)」で書いたように、西欧のキリスト教が正統とした「三位一体」をよりどころとする現代のほとんどの教会で、イエスの直接の弟子たちが行っていたような「イエスの名」による洗礼が行われていない。
また「受霊」については、「キリストの聖霊なきものは、キリストに属する者ではない」(「ローマ人への手紙」8章)という決定的な言葉があるのだが、信徒に聖霊が下ったのかどう判別するのか。
聖書には、人々に「聖霊が下る」ことにつき、ある現象が伴うことが記されている。
そうした場面が「使徒行伝」にいくつかみられる。
アレキサンデリヤ生れで、聖書に精通し、しかも、雄弁なアポロというユダヤ人が、エペソにきた。
彼は主の道に通じており、また、霊に燃えてイエスのことを詳しく語ったり教えたりしていたが、ただ「ヨハネのバプテスマ(水による洗礼)」しか知っていなかった。
そのことががわかったのは、パウロはエペソにきた時、ある弟子たちに出会って、「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。
「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。そこで、パウロは、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。
人々はこれを聞いて、"主イエスの名"によるバプテスマを受けた。
そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。その後にアポロも聖霊を受ける。
この「異言」を語ることが聖霊をうけたことの証明であるが、何しろエルサレムで初代教会が設立された時の様子に、この「異言」を語った時の状況が描かれている。
それは、イエスの昇天後50日目(ペンテコステの日)の出来事であった。
「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとり上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」。
エルサレムには、天下のあらゆる国々からきて住んでいたが、生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
互に「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。しかし、ほかの人たちはあざ笑って「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。
そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。
”ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。 今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、"神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、 若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。 そして彼らも預言をするであろう"」(「使徒行伝」2章)。
聖霊がくだると、なぜ外国語のような言葉を語るかということはわからないが、かつて天にまで届かんと高き塔を立てんとしたことに神が怒りを発し、神が人々の言葉を乱した「バベルの呪い」からの解放という説もある。
さて「教会」の本質は、イエスによって贖われた「キリストの体なる教会」(「エペソ人への手紙」1章)である
つまり、イエスは教会の頭なのだが、イエスは教会との関係を次のような比喩で語っている。
「わたしは羊飼いです。良い羊飼いは羊のために命を捨てます。雇った羊飼いは、羊のことを心にかけていないので平気で逃げます。わたしは自分の羊を良く知っています。羊もわたしのことを知っています。私が父を知り、父が私を知っているのと同じです。そして別の囲いの羊も導き、やがて一つの群れになります」「ヨハネの福音書」10章)。
ここで「囲いの中にいない羊」とあるのは、イスラエル人以外の「異邦人」のことである。
それは、異邦人の女が病の娘を癒して欲しいと願うエピソードを重ねるとよくわかる(「マタイの福音書」14章)。
イエスが「イスラエルの失われた子羊以外にはパンを与えるのはよろしくない」と試すと、女は「食卓の下の子犬でさえ落ちたパンくずを食べます」と応え、イエスを感動させ、その娘が癒されたエピソードである。

旧約聖書のヤハウェとイエスの関係は、イエスは神が「人の子」として地上に現れたということである。
「人の子」として顕れたイエスが、ヨハネによるバプテスマを受けたり、神に祈り「我が父よ」と呼んでいるのは、神秘である。
「キリストは神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべきと思わず、かえっておのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」(「ピリピ人への手紙」2章)。
民衆はイエスを「神の子」とよんだが、イエスは自分を「人の子」と名のり、その名の「イエス」には「インマヌエル(神とともにある)」という意味が込められているという(「マタイによる福音書」1章)。
「ヤハウェ」の名は、神と人との間に「隔たり」があったモーセの時代、神がエジプトの王パロに対して「イスラエルの民を解放せよ」と伝える際、モーセが「神の名をなんと伝えたらよいのか」と聞くと、「私は在る」としなさいと示した名である。
実際に「旧い契約」の時代には、「隔たり」や「顔おおい」が随所にみられる。
特にモーセが「十戒」を受けシナイ山から降りて民衆に会う際、光を放って顔覆いがかかられたと記されている(「出エジプト記」34章)。
さらには「今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、その同じおおいが取り去られないままで残っている。それは、キリストにあってはじめて取り除かれるのである 」(「コリント人への第二の手紙」3章)とある。
旧約の時代、人々は神の名「ヤハウェ」を名乗ることに"はばかり"があったのか「主」と呼んでいた。
ところが新約の時代には、「我が主イエス」と名をよんで祈りや訴えをなしている。
また旧約の時代、神が人に何かを伝える時には、「御使い」を通して語ったのだが、新約聖書では「内住の聖霊」が直接に信徒に語りかけている。
旧約聖書のヤハウェと新約聖書のイエスの明白すぎる違いは、神と人が「共に歩んでいる」点である。
天からみそなわす神ではなく、イエスが人と同じ目線で伴って下さるということである。
イエスが十字架の死後、弟子達は失望してエマオという村に向かう途中、復活したイエスが弟子達が気づかぬまま、共に歩いていたという場面がある。
イエスが彼らに何を語り合っているのかと聞くと、彼らは悲しそうな顔をして「あなたはエルサレムに泊まっていながら、この都でこのごろ起ったことを知らないのか」と聞く。
これにイエスは、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ」と、聖書の預言から「復活」を説き明かしている。
後に弟子たちは、目が開かれ共に歩いていたのが「イエス」と気づくが、気がついた時にはイエスは見えなくなっていた(「ルカの福音書」24章)。
旧約聖書が「型(影)」で新約聖書が「本体(実体)」といわれるが、それは「神の名」についてもいえる。
旧約の神の名「ヤハウェ」が意味するのは「有って有るもの」であるが、イエスは人々に「アブラハムの生まれる前から、私は”いる”のである」と語っており、その時人々から石を投げつけられそうになり、速やかに逃れている(「ヨハネの福音書」8章)。
つまり「ヤハウェ」という「影」に上書き更新された神の名こそが「イエス」である。
新約聖書には、旧約の預言の引用以外に、一度も「ヤハウェ(エホバ)」の名はでてこない。
キリスト者にとって、「ヤハウェの名」はエルサレムの神殿と共に役割を終えたということだ。