ステルス性「ルール変更」

世の中には様々なルールがある。法律もその一つであるが、それを作るのも変えるのも、法に定められた手続きにしたがって行われるので、不満があっても受け入れさるをえない。
しかし、スポーツの世界でのルール変更は、例えば高校野球なら「高野連」、世界規模の競技では「国際○○連盟」とか「国際○○協会」の偉い人たちが決めるので、選手は有無を言わさずそれに従う他はない。
つまり、民主的ではない。そこで人の主観に左右されやすい、体操やフギュアスケートなどは評価基準をもうけて客観性を持たせようとする。
学校でも「観点別評価」というものが取り入れられるようになった。
問題はその変更については、やはり選手は蚊帳の外に置かれていること。もっともアメリカのベースボールの「大谷ルール」のように変更の意図がわかりやすいものもある。
観客の「ヒーロー願望」を叶えるようにルールをどんどん変えていくのも、アメリカン・ドリームがちゃんと生きていると感じる。
また、客が集まるようにルールを変えるという観点でいうと、アメリカ的なプラグマチズム精神の現れなのかもしれない。
アメリカは選手がデッドボールで怪我が多いとか、試合時間が長くなるとかの理由で、ボールの重さをかえたりストライクゾーンを変えたり、実にフレキシブルで、日本のようにルールとは神棚に祀っておくものという国民性とは随分ちがう。
アメリカという国は、自らルールを作って出来上がった国なので、ルールは変えるべきものという感覚が根付いている。
数年前に日本でボールの重さの変更を選手に知らせずにやったいたことが発覚した。
ホームラン数を減らして試合時間を短くしようという狙いだが、選手からすればホームを崩したりする可能性もある重大問題であるが、ただアメリカの基準にあわせたのだろう。
日本のプロ野球スタジアムは鉄道を利用するため、自動車で5~6時間かけて見に来るアメリカとは違う。
試合を短くすることの合理性はそれほどない。
最近「申告敬遠」というものが行われるようになったのも、試合時間ンを短くしたい本家たるアメリカに合わせただけの話だ。
ただ敬遠でストライクがはいらない面白い場面が見られなくなった。ともあれ「ルール」やその変更は、国民性をよく表している。

スポーツの世界で一定のルールの中で変わったことをする人がでてくると、「ルール変更」では収まりきれないケースが生まれる。
一般的には、それってアリ?ということが問題になって、話し合ってルールの修正や追加が行われる。
一番鮮烈だったのは、1968年メキシコオリンピックの走り高跳びでひとりの選手がベリーロールとは違う「背面飛び」で金メダルをとったこと。その斬新さと華麗さに目を奪われたことをよく覚えている。
また、1988年ソウルオリンピックの背泳ぎで金メダルをとった鈴木大地の「バサロ泳法」で、スタートからおよそ30メートルほど体を水面上にださず潜ったまま、身体を波打たせながらキックのチカラで前進する。これは、国際ルールで禁止されることとなった。
野球の世界でも、ある選手が1塁から2塁に盗塁するのではなく、2塁から1塁に「逆走盗塁」した。
「ランナー2・3塁」よりも、「ランナー1・3塁」の方が攻めやすいというのが理由だったが、これは後に禁止された。
また、ある競技の中での選手の中の変異種によって、「新しい競技」として独立しだりすることもある。
1896年に「競泳」がオリンピックに登場した時は、全員が言葉通りの「自由形」であったが、具体的には「平泳ぎ」だったのである。
そのうち背泳ぎの方が早いというので背泳ぎが増えた。
現在のクロールの原型は南アメリカやオセアニアで使われていた泳法で、1873年にアーサー・トラジオンという選手が、公式の場で披露した。
そして、自由形の主役は背泳ぎからクロールに変り、自由形から平泳ぎを独立させた。
ところが平泳ぎにも「変種」が現れた。1928年アムステルダム五輪で、平泳ぎの競技の中でバタフライに近い泳法をする選手が、銀メダルを獲得した。
当時の平泳ぎの規程では「左右対称の動き」というおおまかな規定だったためで、大会を追うごとに純平泳ぎ泳法からバタフライ泳法の選手が急増し始めた。
そこで、国際水泳連盟は1956年のメルボルンよりルールの改定を行い、「バタフライ」と言う競技が独立し、今の「4泳法」が確立したのである。
現在のサッカーやラグビーの直接のルーツはイングランドで盛んに行われていた「フットボール」という名の遊びだった。
町や村の男たちが組んずほぐれつしながらボールを敵陣に運ぶ、かなり乱暴な遊びだった。
19世紀になると、フットボールはイングランドの上流階級の子弟のための学校であるパブリックスクールで体育教育の一環として取り入れられ、次第にルールが整えられていく。
ただルールがまちまちで対外試合が困難だった。そこで1863年12月にロンドンのクラブがアソシエーション(FA=協会)を結成して統一ルールを作成した。このルールでは怪我や喧嘩が起きないよう「紳士化」するのが狙いだった。
具体的には、手を出さないように足だけを使うスポーツに特化していく。
この「FAルール」は、パブリックスクールの一つイートン校のルールをベースにしたものであったが、別のパブリックスクールのラグビー校は、FAルールでは「勇猛さに欠ける」という理由から協会参加を拒否し、1871年にラグビー・フットボール・ユニオンを結成することになる。
これがラグビーの始まりだが、サッカーとラグビーのルールは、初めの頃は中身はそう違わなかった。
当時のルールでは、サッカーでもラグビーでも、ボールがゴールラインを割った場合はボールを追いかけて先に地面に抑えたチームにボールが与えられた。
サッカーでは最後にボールに触った選手がどちら側だったかによってゴールキックかコーナーキックで再開するようにルールが変わった。
サッカーはゴールポストに足でキックして入れた場合に得点となったが、ラグビーでは攻撃側がボールをタッチダウンしたこと自体(トライ)に得点が与えられるようになり、次第にゴールよりもトライが重要視されるようになったのだ。
そしてボールも、より手で持ちやすいように徐々に楕円球に変わっていった。
こうした経緯を経て「サッカーは、乱暴者による紳士のスポーツであり、ラグビーは、紳士による乱暴者のスポーツである」という言葉が生まれた。

日本人は「ルール」を所与のものとして考え、それを戦略的に使いこなすという発想がなく、外国にしてやられるケースが多い。
これはとりもなおさず国際ルールを作る場に日本人が居合わせないということなのかもしれない。
1998年の長野五輪のジャンプ競技で日本は、金メダル2個、銀1個、銅1個と圧勝して国民を歓喜させた。
ところが日本があまりに強いので、ヨーロッパのスキー連盟は、スキーの長さを身長の「146%」にルール変更した。
従来のルールではスキー板の長さは身長プラス80センチという決まりだった。
この改正では、173センチを境にして、それより背が高い選手はより「長い」スキー板を使え、低い選手はより「短い」板を使うことを余儀なくされる。
長いスキーは扱いが難しいものの、技術的な問題をクリアすれば、空気の「抵抗力」が大きい分、短いスキーよりも飛行距離は延びる。
つまり「146%」規制は長身選手に有利になるわけである。
五輪スキー競技は“ノルディック”というように、北ヨーロッパから始められた。
その「本家」が勝てないで、アジア勢がメダルを独占するのは我慢ならないということかもしれない。
このルール変更以来、スキーの日本ジャンプ陣は、しばらくワールドカップで全く優勝できないという試練を味わっている。
しばしば日本勢が国際ルールに泣かされた「柔道」競技で、日本人はどれくらいルール作りに発言力をもったのか、疑問を抱かざるをえない。
その一方で卓球の世界で日本が「発言力」もった局面がある。それは世界卓球協会の会長が荻村伊知朗だったことが大きい。
しかし元外交官志望の荻村伊知朗の政治力は、「ルールの変更」に向けられたわけではなかった。
1980年代都会風でリゾートで人気が高まるテニスやゴルフ人気に完全におされ、日本のお家芸であった「卓球人気」の凋落は誰の目にも明白だった。
卓球人気の低落に拍車をかけたのが、フジテレビ系のお昼の番組「笑っていいとも」であった。
タモリが「卓球」はネクラのスポーツと語っていた。実際に、卓球の試合は、白い玉がよく見えるためにユニフォームや会場の色調は「暗め」にしたり、暗幕を引いて試合をするなども行われていた。
この番組を見ていたのが荻村伊智朗が、このままでは卓球人気は凋落すると危機感を抱いた。
そして卓球のイメージを明るくする「イメージ戦略」に乗り出す。
ユニフォ-ム、卓球台、ピンポンの色すべてを明るく斬新なものに変えていった。選手のユニフォームが明るく派手になっていたことは誰にも明らかだった。
荻村の「政治力」は中国チームや単一韓国チームを世界の舞台に引き出して、「卓球」をメジャーにする点にむけられた。
日本選手を有利にすることに向けられたものではなかった。こと勝敗に限定するならば、逆に「不利」になる面の方が大きかったかもしれない。
ところで、ルールの変更は「理」にかなっているようにしつらえられている。
スキーの「146パーセント」の理念とは、選手の安全や健康を守るという「大義名分」が前面に打ち出されたもので、けして「日本潰し」などとはおくびにも出なかったのである。
それが「戦略的」国際ルールの変更というものである。

1982年「プラザ合意」の円高誘導して、日本の貿易黒字という独り勝ちを防ごうとしたが、これはルールの変更というわけではない。
だが、金融の世界にある「BIS規制」は、日本叩きかと思えるフシが十分にある。
BIS規制とは、国際業務を行う金融機関は、自己資産の総資産に占める割合を「8パーセント」以内に収めるというルールである。
このアメリカ発の規制が日本で適用されるのは1992年、つまりバブルがはじけて日本が不良債権の蓄積に喘いでいた時期なのである。
BIS規制は銀行が無闇に「貸し出し」をしていくと、銀行にもしものことがあった時に、預金が返ってこなくなっては困る、というように一応理にかなっているようにみえる。
わざわざ「金融庁」といった役所をもうけて徹底させたのだが、そこにはアメリカの「政治力」が働いたことが考えられる。
ただ日本経済は、この基準を守るために「貸しはがし」「貸し渋り」で、中小企業にもシワヨセが行き、不況から脱 出すことがさらに困難になった。
日本がグローバル社会で苦しんでいるのは、日本でしか通用しなかったルールを国際的な基準に適合しなければならななった点で、その代表が、国際的な「会計基準」の適用がある。
アメリカの企業は徹底的な「時価会計」を行っている。時価会計とは、毎日保有債券や保有株式の評価をする方法で、売らなくても毎日「損益」がでたりすることになる。
日本の会計は「簿価会計」が多くて、売った時にハジメテ利益を計上したり、損を計上したりする。
つまり「時価会計」では、利益を確定するためにわざわざ株を売る必要はないということである。
会計学の世界では、「原価会計が優れている」ということがあり、原価会計の基礎になっている「複式簿記」の考え方は、人類が生んだ三代発明の1つとも言われている。
しかしこれは、「時価会計」の考え方と大きく異なる。
もちろん、原価会計には弱点もあって、その第一が「粉飾しやすい」という点である。
「含み益」のある債券を売って利益を高上げしたり、含み損を抱えた株式の損失をアエテ認識せずにいたりすることによって、「損益」をゴマカスことができるのである。
もし簿価会計を守りたいならば、簿価会計の枠組みのなかで、「いかに粉飾を防ぐか」という手段を研究・実戦しておけばよかったのである。
アメリカは会長の業績評価を含めて業績評価はすべて時価会計で、簿価会計などというものは存在しないという。
「ルール変更」は、「もっともらしい理念」が掲げられるのでいがある。それこそが戦略的で、結局、アメリカ企業の「M&A」にとって、都合がいいのが「時価会計」ということなのかもしれない。

最近北海道で牛60頭ちかくを襲撃し、ほとんど人間の前に姿を見せない熊が存在している。巨大な熊で様々なワナを仕掛けて捕えようとしているが、よほど賢いのかその仕掛けをかいくぐっている。
巨大な足の横幅18センチから「OSO18」と命名されている。
このように「ステルス性」を帯びつつ、人間社会の生殺与奪の権を握る存在がある。
それを、とりあえず「ルーラー」という言葉で表現しているが、彼らは情報を保有するだけではなく、その情報を処理し評価に結び付ける「アルゴリズムの支配者」である。
「アルゴリズム」の分かり易い例として、検索エンジンを利用する時、Yahooがアクセス数をもとに検索表示順を決めるのに対して、Googleがリンク数を元にそれを決めている。
我々が、アマゾンで買い物をするとき、フェイスブックで世の中や友達の動向を知るとき、その裏には常にアルゴリズムがある。
入力されたデータや、フェイスブックの「いいね」などの反応をもとに、どのような情報を優先して画面に表示するかを決める手順もアルゴリズムである。
そして「ルーラー」とは、我々の日常の行動履歴や購入履歴などのビッグデータが集まるプラットフォーマー(FAGA)の内部の一握りの人々といえよう。そして、その存在は、ほとんど隠れていることだ。
最近のニュースで、「食べログ」のユーザーレビュー評価点の算出アルゴリズム(計算方法)が開示されたことが話題になった。
開示とはいっても一般公開されたわけではなく、あくまで裁判の中で原告側に限定しての開示である。
試算によれば、「アルゴリズム」の変更により、原告は月間5000人、2500万円の売上減少につながったというものであった。
こうしたアルゴリズムの変更は恣意的に行われており、説明責任も必要ないというのが現状である。
「食べログ」の場合は、まだ「アルゴリズム」に変更があったことが判別できる分まだいいが、「ルーラー」が、アルゴリズを設定した場合など、世界を分断する方向をさえ生み出す可能性がある。
最近ファイスブック(現メタバース)が、「怒りを増幅」するコンテンツを選ぶように操作されているという、元幹部よる内部告発があった。
また就活情報サイト「リクナビ」が就活生のウェブサイト閲覧履歴などを基にAIによって内定辞退率を予測させ、同意をえずに「内定辞退予測」を販売していたことがあった。
「法の支配」が及ばない、ステルス性の人権侵害に、どう対処するかがこの時代の大きな課題といえよう。