「生命、自由、戦争」考

市民革命の理論的支柱となった社会契約説を唱えたのはホッブズ、ロック、ルソーの三人だが、いずれも人間が生まれながらもっている「自然権」を想定する。
その「自然権」とは「自由、生命、財産」などであるが、政府が契約に反して自然権守ってくれないならば、その政府に対して「抵抗権」もしくは「革命権」を認めている(J・ロック)。
容易に想像できるのは、自然権が一番危機にさらされるのは「戦争」である。想定を超えた自然災害と同じように、予想もしなかった戦いに巻き込まれた時どうしたら「自然権」は守られるだろうか。
ロシアの脅威に対してフィンランドやスウエーデンのようにNATO加盟を申し出るような場合である。つまり集団保障体制に入るということだ。
では、個人としてはどうであろう。
例えば、自由のためには命を賭して戦うという生き方もあるし、たとえ奴隷になっても命だけは守るという生き方もある。
また、ボクシングの世界チャンピオンのカシアス・クレイ(ムハマド・アリ)のように、「自分がベトコンを殺す理由はない」という徴兵拒否によりチャンピオンベルトを剥奪された上、服役したケースもある。
またインドのガンジーのように、非暴力でありながら不服従という行き方もある。
ガンジーが行った「塩の行進」は、イギリスの「塩税」に抗議したもので、彼の支持者が海岸までの約400キロを行進した抗議行動である。
イギリス製品を着用せず、インドの綿製品を着用するなど、不買運動を行いった。
イギリスから輸出される綿を使用せず、みずから伝統的な機械でそれを創った。
ガンジーは不暴力運動にこだわり、暴力で運動を止めさせようとする兵士に対しても反撃せず、逃げもしないという態度で真の強さと忍耐を見せた。
インドは日本軍のアジア侵攻に乗じて、インドもイギリスからの独立のために戦ったが、ガンジーは一切関わらなかった。
やがて終戦を迎え戦勝国となったイギリスだが、インドを統治する力は残っていなかった。
それでもイギリスはインド国民軍を反逆罪として裁判にかけようとしたので、ガンジーは「インドのために戦った彼らを救わなければならない」と独立運動を起こした。
この運動をきっかけに独立運動はインド全体に広がり、イギリスはこれに耐えられなくなり独立を認めることとなった。
ガンジーの場合には、もうひとつ「非所有」というものも加わる。死後わかったのは、ガンジーがもっていたのは、インド綿の衣と草履、眼鏡と入れ歯、竹の杖、糸車など身の回りのものだけであったこと。
ガンジーが示したのは、各地で暴力を受けたけれども、それに対して無抵抗を貫いたこと。どんなに外面的な支配を受けたとしても、「内面の自由」まではイギリスの支配には屈しなかったということだ。
戦争ではなくキリシタン弾圧のケースだが、戦国大名の高山右近は領地や領民を没収されフィリピンに追放になってでも「信仰の自由」を守った。
さて、ロックの契約を守らず「自然権」を守らない政府に対しては「革命権」をもつとしたが、この革命権を基盤としたのがフランス革命である。
国王が貴族・聖職者への課税をめぐって「三部会」を招集したところ議決法をめぐって紛糾し、平民は別に「国民議会」を作り、これを弾圧した国王と市民との間でバスチーユ攻撃をきっかけとして内戦状態になった。
フランス革命の人権宣言の内容が「自由・所有権・安全および圧政への抵抗」であることと、アメリカ独立宣言の内容が「生命・自由・幸福追求」であるが、その違いをよく考えてみるのも、面白い。
フランス人権宣言が市民の既得権益たる「財産(所有)」を全面に出しているのに、アメリカ独立宣言の方には「幸福追求」という未来志向の言葉がはいっている。
これは、ヨーロッパの身分制度から逃れた人々が、アメリカで同じスタートポイントにたって、「機会均等」を重視したことにもなろう。
これこそアメリカン・ドリームの一つ裏付けであろう。また、アメリカにやってきた移民たちには強烈な「個人主義」的傾向の強い人々であった。
この個人主義は、宗教改革を唱えたルターの「万人祭司説」などが源流であり、もうひとりの担い手であるカルバンの「予定説」が資本主義の源流のひとつであることを 考えれば、宗教改革が世界史における意義の大きさを思わせられる。
そして、イギリスのカルバン派がピューリタンなのである。フランスではユグノー、オランダではゴイセンという。
現代では、政府に「抵抗する」ためにいちいち血を流してはかなわないので、議会制民主主義が確立して、選挙によって「政権交代」が速やかに行われることになっている。
その基盤を崩したのが、SNS(ツイッター)を通じてトランプ元大統領の扇動による国会襲撃である。
最近、ツイッターを買収したイーロン・マスクはトランプのアカンウント永久凍結は道徳的に誤り(言論の自由に反する)と主張している。
マスク氏が実際にツイッターをよきものにするかは全く未知数である。

マッカーサー草案を基につくった日本国憲法第13条には「個人の尊重」と「幸福追求」の言葉が入っている。この点に、日本人にはいまひとつ馴染まない。
なぜならば日本社会では個人主義を前提とする「幸福追求」といった生き方は、あまり賞賛されない生き方ではないだろうか。
例えば「改正育児休業法」で、男性が育児休暇がとりにくので、企業の方でひとこと「育児休業とりますか」と声をかけなければならないようになった。
それほど、日本人は「個人」としての幸福追求に対しては消極的なのである。
また「個人主義」の徹底は、日本では空気を読まない人、忖度しない人とみなされ、結果として「幸福追求」とは逆作用となることが多い、
そこが、「個人主義」と「幸福追求」がセットのアメリカとはそもそものマインドが違う。
日本に住むことを拒否してアメリカで生活することを選ぶ日本人の中には、そういうタイプの人が多いような気がする。
また、アメリカンドリームと日本人のマインドとの違いを際立たせたのが、1962年の堀江青年のヨットによる「太平洋ひとりぼっち」である。
1962年、日本人で初めてヨット・マーメイド号で太平洋単独航海を果たしたのは、当時24才の堀江謙一であった。
しかし当時ヨットによる出国が認められておらず、この偉業も「密出国」、つまり法にふれるものとして非難が殺到し、堀江は当初「犯罪者扱い」すらされた。
対照的に、堀江を迎え入れたアメリカ側の対応は、興味深いものであった。
まず第一に、日本とアメリカの両方の法律を犯した堀江を不法入国者として強制送還するというような発想を、アメリカ側は絶対にしなかった。
その上サンフランシスコ市長は、「我々アメリカ人にしても、はじめは英国の法律を侵してアメリカにやってきたのではないか。その開拓精神は堀江と通ずるものがある」と是認した。
さらに「コロンブスもパスポートは省略した」とユーモアを混じえつつ、堀江を畏敬の念をもって遇しサンフランシスコの名誉市民として受け入れたのである。
そうすると、日本国内でのマスコミ及び国民の論調も、手のひらを返すように、堀江の「偉業」を称えるものとなった。
この堀江の「太平洋ひとりぼっち」(1962年)の顛末は、冒険に対する日米の考え方の違いや、日本人のお役所的発想なども絡めて、含蓄のあるエピソードである。
メジャーリーグの「大谷ルール」にみるがごとく夢にチャレンジするのにあったかい視線を送るのがアメリカだ。
日本人はストライクは真ん中という既成観念から離れられないが、アメリカでは、特に人気選手がけがをしたりしたら売上に支障がでるので、ストライクゾーンを外角よりにしたりする柔軟性がある。
つまり「ストライク」は実用にかなうように人間がきめるというプラグマチズムがそこにある。
ところで、国家は社会契約によって成り立つというのは、あくまで学問上の説で、実際にこれがどれほどあてはまるものだろうか。
日本人にとって、国の創成は自然生成的なものだが、アメリカ合衆国の根底にあるのは「契約」なのである。その最も初期のものが「メイフラワー誓約」。
それを抜粋すれば次のようなものであった。
「神の栄光とキリスト教信仰の振興および国王と国の名誉のために、バージニアの北部に最初の植民地を建設する為に航海を企て、開拓地のより良き秩序と維持、および前述の目的の促進のために、神と互いの者の前において厳粛にかつ互いに契約を交わし、我々みずからを政治的な市民団体に結合することにした」。
そしてメイフラワー号に乗船してやってきた101名のうち40人が契約書に署名したという。
この契約の前提に聖書があるのは一目瞭然で、新大統領が就任の際に聖書に手をおいて宣誓をするなど「政教分離」の原則に反することがまかりとおるのも、この「メイフラワー誓約」を知れば納得できる。
アメリカの国の始まりはイギリスで迫害されたピューリタンが移ってきたことだが、アメリカで自分たちが主流派になると、今度は逆に迫害をする側に回る。
なぜかというと、彼らの社会は、地縁・血縁のつながりを超えて自分たちの共通の目的を掲げて、それに賛同した契約社会だったからである。
しかし、この「メイフラワー誓約」こそがアメリカの分断の源であると断じて、徹底的に批判したのがロジャー・ウイリアムズである。
ウィリアムズは植民地の既存勢力と衝突し、先住民の権利を主張し、イギリス人こそ異教徒だと糾弾した。
アメリカが先住民を追放して発展していった歴史に鑑み、なにしろ“ぶっ飛んだ人”といえる。
「アメリカの土地を所有しているのは先住民だ」と。
だからイギリスの王様がそれをイギリス人に分け与えるなんていう権利はない。
前述の「メイフラワー誓約」にはまったく欠如した視点である。
今でこそ「先住民の権利」ということがいえるが、日本が鎖国に入った時代に、ウィリアムズは徹底して「先住民の友」であり続けた人なのである。
ウィリアムズは燃えるようなピューリタン信者で、だからこそ、自分と違う信仰を持った人々にも徹底して寛容を貫いた人であった。
普通は信仰心の強い人は、自分の信仰だけが正しいと思い込んでいるから不寛容になりがちだが、ウィリアムズの場合はちがった。
彼は、ユダヤ人でもイスラム教徒でも、あるいは反キリストの人でも、それでも一緒に暮らすことができるような社会を作ろうとしたのである。
それは、ガンジーの思想とも重なるが、ガンジーが望んでいたヒンドゥー教とイスラム教が融合したインドは実現せず、イスラム教のパキスタンとの分離独立となってしまった。
第一次インド・パキスタン戦争が起こっても、ガンジーは融和を目指し敵であるパキスタンに協調しようとした。そのため「ムスリムに対して譲歩しすぎる」とヒンドゥー教徒たちから敵対視され、その結果暗殺されてしまう。

この春から高校生は、「公共」や「歴史総合」という新科目が必修になった。「歴史総合」では、日本史と世界史を結びつけ、主に現代史を学ぶ。
「公共」のポイントはグローバル社会における「多様性の尊重」を探るということであろう。
それに加え、高校生はこれから「ポスト真実」などととも言われているフェイク・ニュースにあふれる時代を生きることになる。
特に最近のロシアのウクライナ侵攻は人類史上初めてリアルに戦況が映像によって伝えられているため、プロパガンダとフェイク・ニュースにどう対応するかど考えさせられる材料が多い。
専制国家と民主主義国家を比べてみて、戦争するにも合意がなければ国民の士気そのものが長続きしないことがわかる。
専制国家が一見強くみえるが、戦う正統性がみえなければ、いくらプロパンダを発しても、SNSによってそれが打ち消される、ハイブリットな戦いなのだ。
最近では、フェイスブック(FB)で長年、トップで働いていた女性が、膨大な文書で内部告発した内容が世界に衝撃を与えた。
それは、社会の分断を生む投稿表示のアルゴリズムが若者心理に与える問題を指摘したものであった。
SNS企業は、利用者が他人の投稿をどれくらい簡単に「リシェア」すべきかを決められる。
FBが画面に表示する投稿を決めるアルゴリズムを2018年に変え、怒りや偽情報が拡散されやすくなったという。
ツイッターでは、他人の投稿をリツイート(転載して紹介)する前に、その投稿のリンクをクリックしてみるように求めている。
FBでも、再共有する前に30秒またないといけなくすることもできるはずである。
そうしないのは今の方が利益が出るからである。FBの利益を1、2パーセントほど減らすだけで、およそ75パーセント減らすことができるというものである。それはそれほど大きなコストではないはずだと。

社会契約思想家の一人、JJルソーといえば、むしろ「教育論」でよく知られている。そしてその教育論を一言で表せば、「自然に帰れ」ということ。
すなわちルソーにとっての自然状態は、むしろ望ましいものであった。
そしてその望ましい状態を堕落させ不平等な状態にしたものこそが文明であった。そこでこうした文明の堕落の中で人々が少しでも自然状態に回帰するするために「一般意思」により統治されるコミュニティを生み出そうという考え方をした。
それがルソーにとっての社会契約であり、ホッブズやロックのいうような、王権や政府の正統性を生み出す社会契約とはかなり違うものであった。
そのコミュニティーで共通の利益たる「一般意思」が実現するというもので、議会制民主主義よりも直接参加する方式を採用すべきとしている。なぜなら、主権は分割したり代表できるものではないからだ。
実際、投票したい候補者がいないなどは、我々の選挙の際の実感だ。
こうしたルソーのものの考え方は、現代的な解釈が様々なされるようになった。
例えば、ルソーの直接民主制は、インターネット上のコミュニティーで実現可能ではないか、ということ。
ルソーの一般意思は自らの利益を求める個々人の「特殊利益」の総和としての「全体意志」とは異なり、あたかも国家が意志を持った1つの人格であるかのように、国家それ自体に属する意志である。
実は日本国憲法9条の「国際紛争を解決する手段として武力は保有しない」という内容は、国際社会で先立って採択された「不戦条約」(1928年)を映したもので、「不戦条約」は戦争自体を犯罪としている。
しかし、そうした違法行為を仕掛けられたらどうすべきであろうか。
ウクライナでは18歳から60歳まで国内に残ってロシアと戦わなければならない事態となった。
日本では最近、選挙権が18歳に引き下げられたばかりだが、戦いを拒否することはできないだろうか、という思いにかられた。
そこでこれを社会契約説にあてはめてみると、ホッブズのように自然権の中で「生命」を第一とするならば、国家の戦争に参加しないことは許される。
その一方で、国家が「一般意思」として戦うことを選んだのであるならば、「戦い」に参加しなければならない。「一般意思」は定義上「共通善」だからだ。
実際に闘の渦中にある人にとっては、あまり意味のある話ではないが。


実際、「三部会」の貴族への課税につき議決法からもめた。
絶対数でいえば貴族への課税を認めることが決まるのに、貴族側は、聖職者と貴族の2階級対平民の1階級の「2:1」が正しい議決方だと主張した。
それでは、話にならないと市民は別に「国民議会」を作り、これを弾圧した国王と市民との間でバスチーユ攻撃をきっかけとして内戦状態になったのである。
ところで「フェイクの源流」として思い浮かべるのは、アメリカの新聞王ハーストである。
ウィリアム・ランドルフ・ハーストは、1863年カリフォルニア州サンフランシスコ生まれのアメリカの新聞発行人で、映画『市民ケーン』のモデルとしても有名である。
父ジョージはゴールドラッシュ時代に銀鉱山を当て、富豪となった炭坑のオーナーで、カリフォルニア州の上院議員になった。
息子のハーストはハーバード大学に入学するも、学位を取らずに退学。
その後1887年、父親が賭博の担保として入手した「サンフランシスコ・エグザミナー」を譲り受けた。
ピーク時には彼はいくつかのラジオ放送局および映画会社に加えて、28の主な新聞および18の雑誌を所有したものの、世界恐慌は彼の財務基盤を弱めた。
1940年頃になると彼は巨大なコミュニケーション帝国のコントロールを失い、1951年、カリフォルニア州ビバリーヒルズにて亡くなっている。
このハーストは「ニュースは作るもの」という考えの人であった。事実はそのまま伝えるだけでは読者をひきつけないので、面白おかしく伝えようということだ。
そんな新聞王ハーストがもしも生きていれば、とびつきたくなる恰好のネタがあった。
しかし、その出来事は、ハーストの孫娘が起こしたものであった。
1974年、パトリシア・ハーストは当時19歳、カリフォルニア大学バークレー校2年生だった。
家出して恋人と高級アパートに一緒にいたところ、そこに武装した2人組に襲われ、連れ去られる。
その3日後、犯人グループである左翼過激派シンバイオニーズ解放軍(SLA)より地元ラジオ局のKPFAに犯行声明が届く。
彼らはパトリシアの身柄を解放する代わりに、「カリフォルニア州の貧民6万人にそれぞれ70ドル分の食料を与える」ことを要求した。
同年4月15日、SLAのメンバーはサンフランシスコ北部にあるハイバーニア銀行サンセット支店を襲撃した。
この際、銀行の防犯カメラに誘拐されたはずのパトリシアが犯人グループと共にライフル銃を持って強盗を行っている様子が写っていたのである。
この映像はマスコミを通じて広く報道され、全米は騒然となった。
その後、FBIがSLAのメンバーのアジトを急襲し、犯人6名を射殺した。
パトリシアは他のメンバーと外出していたため、難を逃れ、そのまま逃亡するものの、放送局に組織の同志になったことを宣言するカセットテープと写真を送りつけた。
このテープの内容は、「死を恐れず最後まで戦う」との声明の他に、親や婚約者を罵るもので、そのあまりにもショッキングな声明に全米は更に騒然となった。 それは、祖父のウィリアム・ランドルフ・ハーストが、もしみうちでさえなければ、いかにも飛びつきそうな恰好の材料であった。
結局、翌1975年サンフランシスコにてFBIがパトリシアを逮捕し、1年以上に及ぶ逃亡生活は終焉を迎えた。