渡る世間はステルスばかり

現在、日本で円安が進行し、物価が高騰している。
その原因は、ひと言でいうと「日米金利格差」にある。
アメリカの金利のほうが日本の金利より高いので、円をドルに替えてアメリカの債権を買ったほうが利益が大きいからである。
そうした「円売り/ドル買い」の動きは、「円安/ドル高」をまねき、日本の輸入品が値上がりし、それが日本の物価水準を押し上げている。
それに拍車をかけるのが、ウクライナ情勢の悪化で、エネルギーを中心に物価が値上がりしている。
日銀の黒田総裁は、アベノミクスを継続し、物価上昇率「2パーセント」をめざして金融緩和路線を継続してきた。
しかしながら、ここ8年半の間に、なにをやっても実現しなかったことが、この4月に「物価上昇率2パーセント」をあっさりと実現した。
ただ、それはコストプッシュ要因の物価上昇で、目指すものとは異なる「悪い物価上昇」となっている。
黒田総裁によれば、「単に物価が上がればいいのではなく、賃金が上昇する中で物価上昇率が2パーセントに収斂していくというのが、望ましい」と訴えた。
その上で「経済活動が活発となり、企業収益と雇用が増え、賃金が上がっていく好循環になるように、金融政策として最大限の努力を務める」としていた。
しかし、当初の「数値目標」を達成できたとしても、ここまでシナリオとは違うことになろうとは!
同じ物価上昇にも、良い物価上昇と悪い物価上昇とがある。その分かれ目は、人々の「実質賃金」の向上に繋がるかである。それなくしては、物価上昇はいずれデフレ傾向をもつこととなる。
時に政府は、新型コロナ禍で人々が消費を抑制してきた「強制貯蓄」が、コロナ終息で一機に吐き出され消費拡大に向かう良いカタチでの物価上昇を期待していたようだ。
しかしながら、「強制貯蓄」の試算約50兆円の約9割の45兆円は、世帯年収の「中央値」を上回る高所得世帯によるもので、中央値を下回る世帯は圧倒的に少ない。
となると、現在の物価上昇による実質賃金の減少により生活が圧迫されるなら、そうした「強制貯蓄」が現実の需要として吐き出されるかは、あまり期待できそうもない。
そもそも、本の物価上昇の要因たる「日米の金利格差」が、なぜこんなにも生じたのであろうか。
また、それはいつまで続くのだろうか。
アメリカはすでにインフレが生じ、金融引き締め(金利上昇)によって物価を抑え込んできた。
一方、黒田総裁によれば、日本はいまだデフレ状況(不況)にあり、金融引き締めを行う段階にはなく、相変わらず「超低金利政策」(金融緩和)を続けていくということらしい。
当然ながら「日米金利差」は開き、物価高騰が長くつづきそうだ。
ここでのポイントは、いつアメリカが物価高騰を抑え込み、金融引き締め政策をヤメルかである。
実は、日本は金融引き締め(金利上昇)に転じることができない根本的な理由がある。
膨大な財政赤字の累積で、少しでも金利をあげると、政府の担はさらに重くのしかかるからだ。
金利を1パーセントあげると、なんと3兆7千億円の政府の元利払い負担増となってしまう。
それほどに国債残高は累積していまったということで、財政が健全化しないことには、金融緩和はやめられないということだ。
言い換えると、現在の物価高騰に対して日本側は身動きがとれない。
ただこのまま物価高騰と賃金水準の低迷状態を続けると、国民の不満は高まり、政治的な意味での金融引き締めから緩和への圧力が強まる可能性もある。
とはいっても実質賃金の上昇を、金融や税制はたまた「官制春闘」といった小手先でやるのではなく、イノベーションによる生産性向上こそが「実質賃金上昇」の本筋であるという基本を忘れてはならない。

最近、「ステルス物価」という聞きなれない言葉が新聞に出るようになった。
「ステルスウイルス」なら聞いたことがある。コンピューターのユーザーやウイルス対策ソフトに検知されないように巧妙に偽装されたコンピューターウイルスであることである。
「ステルス」は、もともと軍事用語で、敵の戦闘機に探知されないような技術が施された「ステルス戦闘機」に由来する。
最近、我々がなんとなく気がつき始めたことは、スーパーやコンビニでの買い物で、商品の価格は変わっていないけれど、内容量が少し減っていることだ。
こうした「実質的な値上げ」に消費者が気付きにくいことから、SNS上などではレーダーに探知されにくい戦闘機になぞらえて「ステルス値上げ」と呼ばれている。
「12個入りだったチョコレートが10個になってる」「すしが8個から7個に減って、8個目があった場所にしょうゆのトレーが置かれている」「去年と同じブランドの子どもの服を買ったら、明らかに生地が薄くなっている」。
こうした、商品の価格は値上げせずに据え置き、内容量を減らして対応をする企業が相次いでいる。
その理由として各社が挙げているのが、原材料価格の高騰である。それでも、おおっぴらには値上げしづらいことにある。
例えばミートボールはお弁当の定番として長年、親しまれているが、ミートボールに使う「たまねぎ」などの仕入れ価格が上昇したほか、ミートボールを揚げる際に使う「菜種油」の価格も去年と比べて50%から80%ほど値上がりしているという。
しかし、少しでも値上げをすれば競合する大手食品メーカーの商品にシェアを奪われるおそれがあるため、内容を減らすことで対応している。
値上げでに客が離れてしまう不安は、現実コストの負担増を企業が価格に転嫁できないということに繋がる。
その背景にあるのが日本の賃金の伸び悩みで、この30年間アメリカやイギリスなど先進各国の賃金は大幅に上昇しているのに、日本の賃金は、ほぼ横ばいで推移していることである。
、日本では賃金が上がらない中で、安くてよい商品があるのが当たり前という「デフレマインド」が定着してしまったからである。
また、マーケティングにおいても、レビューや口コミなどで消費者を装い、サービスの評価を作り上げることや、SNSなどを使って多くの消費者の目に触れさせとする行為がしばしば問題となる。
これを「ステルス・マーケティング」(ステマ)と呼び、リアルにおいても、新商品や新店舗などにアルバイトに行列を作らせて流行っているように見せかける行列商法や、意図的な買い占めによって売り切れ続出を演出する手法と同列といってよい。
日本では、これを規制する法律はないが、アメリカのソニー・ピクチャーズエンターテインメントは2001年に製作した自社映画の広告として、架空の映画批評家を作り出し、週刊誌にコメントを掲載した。
このステマが発覚後発覚後、ソニーは映画ファンから訴訟を起こされ、最終的にソニーは訴訟を申し立てた観客1人につき5ドルの支払い(約1億600万円)をすることになったという事例がある。
しかし、あえて店の看板もつくらず、店の所在地を「行列が出来る」というかたちで成功したラーメン店が、福岡市博多区にある。
店主は、客がはいらず閉じようと思って看板をはずしたところ、近隣の社長から社員を送るから店を閉じないでくれといわれて、社員たちが行列をつくった。
それがいつしか、看板もないのに行列が出来る店として評判になり、多く人が押しかけるようになった。
今も、看板をかかげないという「ステルス性」を逆手にとって人気店となっている。

「ステルス技術」とは、そもそも「航空機、艦艇、車両、ミサイルなどが敵に探知されないようにする技術」のことである。
レーダーに映りにくい形状、レーダー波吸収塗料、エンジン音やヘリ回転翼の風切り音の静粛化、また視覚的にカムフラージュする迷彩服などもそれにあたる。
ところで最近の社会情勢をみると、国家そのものが「ステルス性」を帯びているとはいえないだろうか。
例えば、お隣の中国。アリババの「芝麻信用(セサミクレジット)」などに代表されるように、日常における個人の消費行動が「信用スコア」のレイティング(等級分け)に利用される中国。
レイティングが高ければ、様々なサービスを受けることができる特典が与えられることから、スコアを付けることが日常化している。
ここにきて地方政府などが運用する「社会スコア」というものまで登場している。
これには交通違反、ゴミの分別などがレイティング対象となり、スコアの悪い人はブラックリストに載せられたり、航空機などの公的サービスが利用できなかったりするなどのペナルティがある。
個人情報によってレイティングされたり、個人の行動が監視カメラで監視されていたりするなど、日本人が聞くと「どうせ、中国は専制国家だから、プライバシーに無頓着で、監視されることにも慣れている国民性なのだから」などと、タカをくってはいられない。
中国の特徴は単なる新技術の開発だけではなく、それがサービスとして「社会実装化」されていること。中国の大学構内に入るときのチェックとして顔認証が導入されたところ、あっという間に普及した。
日本では、「学問の自由」を犯すリスクとして受入れられないことであろう。
こうした社会実装のスピードの速さが、市民が「ベネフィット(便益)」を感じる速さにも繋がっている。
実際、監視カメラの設置が普及したことによって、中国国内で社会問題化している「誘拐」が、即座に解決されるという事例も出ている。
こうした結果、「社会治安に対する満足度」が向上しているという。
「社会スコア」が導入されつつあるのも、強制力で従わせるのではなく、お行儀の良い行動をとったほうが「得」というインセンティブを与えることで、自然にその方向に向かわせるという狙いがある。
こうしたことから、中国では「便益(幸福)を求めるため、監視を受け入れる」、「プライバシーを提供することが利益につながる」という考え方が一般化している。
中国では、医療体制に問題を抱えていた。オンライン診療ができることになったことで、何時間も並んで診察を受けるといったことがなくなった。
サービスを提供しているのは大手保険会社で、個人が差し出す医療情報をビッグデータとして蓄積・解析することでビジネスに活用している。
これにより、迅速かつ低コストで、医療サービスを提供することが可能になっている。
医療の他の分野でも、顔認証だけで様々なサービスが受けられたり、自動車を駐車場に停めても勝手に精算が済んでいたりと、生活するなかでの面倒が日々少なくなっていっている。
結局、その便利さの代償が、国家による監視や、気が付かないうちになされる「スコアづけ」といえる。
信用スコアはもちろん、QRコード決済など、中国で新しいサービスが急速に普及する背景には、もともとそうしたインフラが整っていないということも関係している。
日本でいえば、決済はクレジットカード、スイカなどの電子マネー、モバイル決済へと発展してきたが、中国では、そうしたステップを飛ばして、QRコード決済からスタートしている。
日本など先進国だと、先に整ったインフラや規制(ルール)が弊害となって新しいサービスがすぐに社会実装化されることは少ない。
例えば、米ウーバーのサービスが「白タク」として許可されていないのは、その典型例だ。
一方で、デジタル・監視国家の負の側面もある。代表例として本書でも挙げられているのが、ウイグル人の問題である。
彼(女)らは日常生活を監視カメラやスマホのスパイウェアで管理されている。
「公園で旗を振ると、警告を出すAI監視カメラ」も設置されているという。
イスラームの信仰に熱心だったり、海外とのつながりがあるとみなされた人々は「再教育施設」という名の収容所に入れられることまであるという。
そこでは、「過激な思想」を矯正するとして思想教育が行われるほか、「職業訓練」として低賃金労働に従事させられる。
マジョリティである漢民族の中には、新疆人(ウイグル人)は何をするか分からない、怖い人たちという意識がある。
2009年に新疆ウイグル自治区ウルムチ市で起きた多数の死傷者が出た騒乱は、その傾向を一層強めた。
したがって、他地域で実施されれば激しい反発が予想される厳しい監視体制も、ウイグル人を対象にしたものである限り、抵抗なく受け入れられている
言論の自由が保障されていないにもかかわらず、買い物の履歴やSNSの発言から情報を収集することで「民意」をくみ取り、それを政策に反映することが可能になっている。
中国の大手IT企業や官制メディアは、地方政府向けに世論監視システムを販売している。
なんだか恐ろしい機密に思えるかもしれないが、中国の展示会に行くと、普通に売り込みブースがあって、パンフレットも配っているそうだ。
そうしたシステムを扱うための「国家世論観測師」という国家資格まであるのだという。
こうしたシステムを駆使すれば、選挙ではなく、監視によって民意を察知することも可能となってくる。
たとえば焼却場の建設計画を進めている時、住民の反発が非常に強く大規模な抗議活動が起きかねないと、世論監視システムが予測する。
そうすると、地方政府は先手を打って説得したり、あるいはスピン情報を流したりという対策が打てる。場合によっては建設計画を撤回することもある。
大きな不満を持つことなく投票率は益々下がり、デモなども起きなくなる。つまり、無風のまま政府によって飼いならされていく。
ある精神病院を社会の縮図としてみたてて描いた賞アカデミー受賞映画「カッコーの巣の上で」(アメリカ/1975年)を思い浮かべる。
欧米社会が、中国監視国家を批判するとしても、果たして欧米で民主主義が正しく機能しているかといえば、こころもとないのではなかろうか。
人に任せるよりデータに任せたほうが良いのではないか、ということにもなりかねない。
最近、日本にも監視カメラが多く備え付けられ、自動販売機にも設置されるようになった。
周知のように、中国は民主的な台湾を地方政府の1つと位置づけており、支配下に置くため武力行使も辞さない構えを崩さない。近年は台湾周辺での軍事活動を活発化させている。
また、台湾は、香港で起こったような「中国化」に組み込まれないように、目立たぬように周辺諸国との関係をつくっている。
米政府も、表向きでは「1つの中国」政策をうけいれており、台湾と正式な外交関係はない。
ところが米国は、台湾に対する最大の武器供与国であり、国際社会の中で最大の支援国でもある。
逆に中国は、台湾と交流する国へ圧力を強め、台湾を孤立化させようとする。
そのため台湾側は、インドやオーストリアとの交流を深めるなど、表向きの文化交流に隠れた「ステルス外交」を通じて関係を深めている。
さて、「専制国家」におけるステルス性の危険性は、充分にとらえられているのだろうか。
たとえば、香港において、中国の力を背景にした香港政府と戦った若い民主活動家たちは、どのような扱いを受け、今後どのような人生がまちうけているのか気になるところである。
現在は、多くの中国人にとっては「圏外」のことであっても、世界の局面が変われば、一機にディストピアの様相を帯びる可能性もある。