出口なき政策

日本の国債残高総額は1200兆円。つまり、我が国のGDPの2倍以上も巨額な国債が現存している。
その半分以上が日銀の保有である。これは第二次安倍政権下で、日銀が異次元緩和と称される過去に例をみない規模で大々的な緩和策を実行、市中の国債を大量に買い入れた結果である。
日銀に次いで国債を保有しているのが銀行、保険といった金融機関である。
そんなに大量に発行される国債なのに、なぜか我々と馴染みが薄いようにも思われる。しかし、ほとんどの人が「間接的」に国債を保有しているのである。
銀行に預金あるいは年金に加入している人は、例外なく間接的に投資しているといってよい。
つまり銀行が個人から集めた預金は、一般の企業などに貸し出されている他、そのお金の一部で国債や地方債、あるいは一般の会社が発行した債権を相当確保している。
さらにいえば、我々が給与などから強制徴収されている公的年金保険料、これは国民年金や厚生年金として運用され、その主たる運用対象資産が国債などの債権なのである。
また我々は民間の保険会社に投資していなくとも、生命保険、年金保険、損害保険などの保険料を支払い、この資産は保険会社によって運用されるが、その「運用対象資産」の主たるものが債権である。
要するに我々は意識していなくとも、色々なルートを通じて「間接的」に債権投資していることなる。
これを「間接民主主義」にならって「間接資本主義」とよんではどうか。

最近の経済の動きで誰もが注目しているのは物価高。
その原因を遡及すれば、アメリカは今やインフレ経済なのに、日本は相変わらずデフレであることに行き着く。
アメリカではインフレを抑えるために金融政策は引き締めを行い「金利高」、日本はデフレ脱却をめざし金融緩和を行い「金利安」のため、日米にかなりの金利差がうまれている。
すると、債権の投資家達は金利の高いアメリカで資金を運用しようとして、円をドルに替えようとする。
その結果、円売りドル買いが生じて、「円安/ドル高」となる。
円安では日本の輸入品が値上がりするので、日本の諸物価をおし上げているという状況だ。
現在の物価高の原因が、ウクライナ戦争によるエネルギー価格と穀物価格の高騰と日米の金利差が重なって起きていることを鑑みれば、物価高はまだまだ「入口」の段階にあるといってよく、むしろこれからが「本格化」していくと推測される。
それでは、この状況を脱するために、日本はアベノミクス以来の低金利政策をやめればいいのではないかと思えるが、日本が低金利政策を離脱することはほぼないといってよい。
その理由は、日本経済がいまでデフレから脱していないことに加え、金利が上がると日本政府が保有する借金の利子が一気にふくれあがる。
もうひとつは、高金利は日銀が保有する多額の国債の資産価値を一機に欠損させるということだ。
このことと関連して、現在の「円安/ドル高」の原因が「日米金利差」によることはわかるとして、そもそもこの場合の「金利」とは何の金利なのだろう。
我々が「金利」で一番先にイメージするのが、銀行の預金金利だが、1990年代くらいから金融が自由化が進み日本型社会主義とも皮肉られた「公定歩合」も廃止され、金利も自由化された。
一般に、預金金利が変更されるときは大概、銀行内部で金利設定委員会のようなものが開かれ、そこで翌週初めからの金利が決まる。
その際、銀行の金利は経営上の判断を加味しつつ、人為的に決定されるのである。
だが「日米の金利差」が指し示す金利とは、そうした人為的な金利ではない。
銀行がその預金金利を設定する際に基準にしているはずの「金利or利回り」が何かということである。
すくなくとも投資家が円からドルに乗り換える判断材料にするにのにタル、より経済の実勢を反映する「金利」であるはずだ。
結論をいえば、国債などの債権の需要と供給できまる債権価格、そこから決定される「債権利回り」をさしている。
なにしろ、債券市場に参加している不特定多数の人々、法人企業、年金などの機関投資家など幅広い参加者の、時々刻々と変化する需給バランスの下で、ひとりでに価格(つまり利回り)が決まる。
したがって、債権利回りは経済の実態をよく反映しているということなのだ。
ただ債権といっても超短期から長期まで色々ある中で、国が歳入不足を埋めるためにほぼ毎月コンスタントに発行している「期間10年国債の利回り」こそが、日本の経済の実態を先行的に示しているといってよい。
つまり、「政府が10年間お金を借ります」という有価証券につく金利こそがあるゆる金利のトップランナーというわけである。
株価や為替相場もこの「10年もの国債の利回り」を横目に見ながら決まっているといって過言ではない。
前述の「日米の金利差」は、煎じ詰めると日本とアメリカの「10年もの国債」の利回りの差ということになる。
AKBの初期の曲に「10年桜」というのがあった。その歌詞に「10年たったらまた会おう」とあったが、「10年もの国債」では、満期まで所有する人はほとんどいない。
10年もまたずにつぎつぎに流通市場で売買されて持ち主が変わる。そうした「譲渡可能性」というのが、株式同様に債権の安心感を高め市場が拡大してきたのである。
債権と株はそうした共通点もあるが、株は一企業についてひと銘柄(トヨタ株)が発行され、企業が株を発行して資金をあつめるならば、それは自己資本となる。>株の所有者は会社の経営の一端をにない業績に応じて配当を受け取る。
一方、社債で資金をあつめるならばそれは会社からすれば負債になり、債権保有者はあくまで「利回りの高さ」を求めて債権を購入するものであり、当初の額面価格や利率はその売買を通じて条件を変えながら流通していくものである。

2000年代に入ったぐらいから米中関係が悪化している。中国の軍事大国化とか、IT技術において米中が凌ぎを削っていることが注目されている。
しかし、もしも中国が台湾に侵攻する場合、アメリカは介入するのかという点においてキモに命じておかねばならないことは、アメリカは中国に「国債」を人質にとられているということである。
つまり、米国の国債のうち、海外部門が保有している額の2割が中国によって購入、保有されているという事実である。
米国政府が国債を発行して資金を調達するのは、歳入不足を埋めることが目的である。
とすれば中国によって大量の国債が保有されているということは、中国政府の協力によって米国の財政は成り立っている。
仮に中国が保有する米国債を戦略的に売れば、その途端に米金利が急騰、米経済は大混乱に陥る。
もちろん中国も、ドル建て国債の評価損という返り血をあびることになる。
アメリカ人の消費が、日本人と違う点は、比較にならないほどローンへの依存が高いという点も注目すべきである。
日本人は将来の不安に備えてお金を貯める傾向があるが、アメリカ人はローンを組み借金してまで消費しようという人の割合が多いということである。
GDPの7割を消費の依存しているので、金利があがればローン金利もあがるので家計消費を直撃する。
その影響の強さは我々の想像以上で、金利が設備投資ばかりか消費にも大きな影響を与えるということである。
アメリカは、消費規模が大きい分海外からの物品をたくさん輸入しているので、アメリカの家計消費の衰退は、世界各国の景気後退に直結する。
なにしろアメリカは、世界全体のGDPの20パーセントとともに、常に「輸出<輸入」(=貿易赤字)にある。
言い換えると、アメリカの家計消費をあてに大量の輸入を行っているということでもある。
日本からは大量の自動車が輸出されていることは、1990年代の貿易摩擦を思い起こすが、それは今も変わらない。
アジアからは衣類や家具などが輸出されている。
すなわち、米国の金利引き上げは世界全体の景気後退をもたらすということだ。

「10年もの国債の利回り」こそが、市場の情勢を映す重要な金利である。
したがって、これは金融政策の「政策金利」として人為的に動かす金利というものとは性質が異なる。
実は、日銀が国債の「売りオペ/買いオペ」で操作するのは、意外にもたった「一晩越し」の超短期の金利なのである。
バブル経済の余韻さめやらぬ中、1990年代のTRFのヒット曲に「オーバーナイト・センセーション」なる曲があった。
夜通し踊りまくる若者の姿をイメージするが、金融の世界には昼間の銀行の取引が収まった夜には各銀行が日銀にあずけるべく定められた「法定準備率」を順守するために、コール市場という「銀行間取引」が行われているのである。
ただ、夜に取引が行なわれるという意味ではなない。
コール市場のコールは、呼べばただちに戻ってくる資金という意味で、満期が1年以内の短期の資金である。
そうしてこの「コール市場」で日々行われるインターバンク(銀行間)の取引で形成される金利が、「オーバーナイト・コールレート」という。
日本では「無担保コールレート翌日物」という、なんとも味気ないこの金利こそが日本の金融政策の「政策金利」なのである。
コール市場の参加者は、銀行・証券会社・保険会社などであるが、「借り手」は主に都市銀行で、「貸し手(運用者)」は、信託銀行、地方銀行、保険会社というのが一般的な構図である。
各銀行に「総預金額×法定準備率」だけの預金を日銀に当座預金として預けさせることによって、各銀行同士の取引が速やかに行われることができる。
そして日本銀行が各銀行の短期国債を買い取る(買オペ)によって、各銀行の日銀当座預金を振り込むと、 日銀当座預金が法定準備を下回りがちな都銀などが、地銀などからコール市場で日銀当座預金を借りる必要性は低下する。
そのためコール市場では、コール資金の供給が需要を上回るようになり、オーバーナイトレートは低下する。
「翌日物」の金利がゼロになれば、都銀のようなコール市場で資金を調達している銀行は、満期が1~3週間物のような「期日物」で借りる資金を減らしたり、やめたりして金利がゼロになった「翌日物」で資金を調達しようとするだろう。
1~3週間で資金を調達する銀行が減少すれば、1~3週間物の取引における需給が緩むため「期日物」の金利は低下する。
すると、1~11か月物で資金を調達していた銀行は、1~3週間物で資金を調達するであろう。そしてこの金利も下がる。
このような連鎖が働き、1年未満の期日物の金利低下は、やがて1年物の金利をも低下させることになる。
つまり連鎖的に低下したオーバーナイトレートが、より長い期日の金利に波及し全体としての金利をさげて、市中金利を操作することができるというわけである。
政策金利として政府のコントロール下にあるのは短期金利であり、長期金利はひとびとの予想に大きく左右されコントロールが難しいといわれている。
その長期金利を左右するのが、前述の「10年もの国債の利回り」なのである。
なにしろ国債の買い手がつかなければ(募債に対して入札がなければ)、国債の価格が下がり、長期金利は一気にはねあがる。
日本の世界一といわれる国債残高の累積がいつしか財政破綻をまねき、IMF管理下にはいることが懸念されている。
10年ほど前に、日本よりはるかに国債残高が低いギリシアがあやうくそのような事態に陥ったが、国際的な評価機関の格付けはさがっているものの、日本国債が大きな借金にもかかわらす相変わらず強いといわれる最大の理由は「円建て=自国通貨建て」であることである。
日本国債は、円という自国通貨で発行し、円という自国通貨で返済する。返せない時の究極の保証は、日本政府が「通貨発行権」と「徴税権」とをもっているということである。
ギリシャ国債は「ユーロ建て」という根本的な違いがある。ギリシア人はユーロという通貨を使えるけれども、ユーロを勝手に印刷したり、発行する権限など与えられていない。
ギリシアは他のユーロ加盟国同様に、金融政策をすべてFCB(ヨーロッパ中央銀行)に委譲してしまったから、独立国でありながら独自には何もできない。
経済危機にに際して、ギリシアは「10年物国債」を世界中の投資家に買ってもらおうとしたが、金利はなんと30パーセントに達した。それくらいの利率をつけなければ売れないということなのである。
長期金利は5パーセントまでいくと、設備投資計画などたてようもなく、日本経済は壊滅的となるそうだが、今のように日銀が輪転機をまわしてお金を刷りつづけで、長期金利の代表10年国債を買い続けていく事態はいつまで続くのでであろうか。
政府が発行する国債を日銀が直接買い取ることは「財政ファイナンス」といわれ、政府の財政規律を弱めるため、各国で原則禁止されている。
輪転機を回せば、無尽蔵に紙幣を発行できる中央銀行が、政府の借金である国債を直接引き受けることが当たり前になると、政府はいくらでも借金出来てしまうため、財政の節度を失わせ、市中に流通するお金の量が際限なく増加してしまうためだ。
それを防ぐために、政府が国債を発行するには一旦、市場参加者にひき受けさせる必要がある。
これを「国債の市中消化の原則」というが、日銀が量的・質的金融緩和政策として国債を買い入れる際には、発行された国債を引き受けた銀行などから買い上げている。
その観点からみると、日本は「国債の市中消化の原則」を守っているといえる。
また、政府が国債を発行し市中銀行が引き受ける場合、市中資金が減ってが市場金利が上がり、借金をすることに対して抑制がかかる。それこそが健全な姿であるが、市中銀行の国債を日銀がほぼ買い取って資金を供給するので、結局金利が上がらない。
今、こうして低金利で地ならしをしていては、政府はいくらでも借金ができてしまうため、実質的に「財政ファイナンス」となんらかわるところがない。
そんな異常な低金利でも、民間企業の設備投資に対する意欲は低く、企業の資金需要は低迷している。
銀行は資金の運用先に苦慮しており、余剰資金の運用先として”消去法”で選ばれたのが、他ででもない国債なのだ。
日銀を含む金融機関が国債を売らず、ただ買い続けるのは、かりにひとつの銀行が国債を売ったとしても、暴落を招き、長期金利の高騰をまねくことを十分すぎるほど理解しているからである。
つまり国債市場は「横にらみ」で動けない均衡状態になっていることだ。
日銀がいつまで国債を買い続けるのか、日銀の国債保有する「買い」の拡大をいかに「縮小」に転じるかという出口の問題は、いわば「ホテル・カリフォルニア状態」。
1970年代を代表するロックバンド・イーグルスの代表曲の歌詞「このホテルからチエックアウトするのは自由だが、あなたは永遠に出られない」。