爪先先立ちの日本経済

最近、政府の基幹統計の書き換えなど目にあまることが発覚した。かつて建築業の耐震データの偽装が社会問題になったが、こういう問題の監督官庁の側での改竄である。
その意味では、検察庁で都合いように「調書データの書き換え」が行われたことを思い起こす。
数年前の厚生労働省の雇用統計不正の時は、全数調査をサンプル調査に勝手に変えたというデータの取り扱い方法が変えられたが、国交省住宅建設については「生データ」の書き換えである。消しゴムと鉛筆があればできる小学生なみに改竄である。
「第三者委員会」の報告では、「責任の追及を免れ問題を矮小化し十分な説明をしなかった」とある。
会計検査委員から問題を指摘されて、急に修正しては数値が突出してはまずいので、担当課長は微調整しかやらず、そのまま放置された。
しかし一番知りたいのは「何のための書き換えか」、その動機である。
ひとつの可能性は、「建設受注動態統計」などの基幹統計はGDP統計に利用され、予算編成に関わる部分が大きい。
さて岸田内閣発足時に「新しい資本主義」を掲げ「成長と分配」を強調したが、所信表明でも具体性に欠ける。
岸田首相のビジョンはさておくとして、日本ではすでに「新しい資本主義」が出来あがっている。
それは、「官制相場」に乗っかった「爪先立ちの経済」。この「爪先立ち」という言葉のヒントは、戦後まもなくの「竹馬経済」である。
日本経済は高度経済成長の前、片方はアメリカの援助でもう片方は国内的な補助金の機構の日本足の竹馬に乗っている状態で、馬地に両足をつけていない。
アメリカから招かれた銀行家ドッジは、竹馬の足を高くすぎると転んで足が折れる恐れがあるので、1949年より「ドッジ=ライン」が実施された。
インフレを抑えるために国の支出を税金で賄えるように縮小し、赤字を出さない予算編成「超均衡財政」を行った。
そのため「戦後不況」に陥ったが、それを救ったのは朝鮮戦争で生じた「特需」で、皮肉といえば皮肉。
ところで、安倍内閣は「株価連動内閣」とも呼ばれているように、こうした官制相場による爪先立ちを支えるのが「2頭のクジラ」である。
一頭めののクジラは、日本における「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)。
GPIFは、厚生労働省の外郭団体で、自営業者や会社員が払う保険料を原資とした積立金を株式や債券などで運用する。
ここで「年金積立金」と言うのは,国民の納める厚生年金・国民年金の保険料から年金として支給された分を差し引いた後の積立金のことである。
この年金積立の運用は元々、国が自前でやってきたが、財政投資融資制度の改革で01年度に特殊法人の運用基金に移され、16年度にGPIFに衣替えした。
そしてGPIFに委託されている運用の総額は130兆円にもなり、世界最大規模となっている。
日本のGPIFは 世界最大級の「機関投資家」とはいっても、GPIFも日銀も、企業経営への「官」の介入を避けようと、株主総会での議決権行使は信託銀行などに「任せて」いるという。
安倍政権で「賃金をあげろ/雇用や投資をふやせ/女性をもっと活用しろ」などと本来企業に任せることをしきりに口出ししたのは、日本経済全体の"与党株主的”意識があったからなのかもしれない。
ところで、2頭目のクジラは、日本銀行に「異次元緩和」。国債を年80兆円を銀行から買い込んでマネーを市場に流しこんでいるばかりではなく、「ETF」(上場投資信託)を年6兆円のペースで購入している。
「EFT」とは、複数の株式に分散投資し、証券取引所に上場する「投資信託」で、個別企業の株式と同じように売買できる。
日本銀行は、ETFの購入額を年間6兆円に増やした。株式市場の不透明感を減らし、株式を持つ企業や家計の投資や消費を活発にすることをねらったものだった。
ETF購入を減らせば、日銀が出口戦略に入ったと市場は受けとり、国債市場や金融市場に大きな混乱が広がる可能性もある。
したがって、アベノミクスが演出する相場の「官製度」が高いほど、梯子がおろせなくなっている。
年金マネーと日銀マネーあわせて今や「約40兆円」にも及び、それらが日本市場の「隠れた巨大株主」になっている。
最近の新聞では、公的マネーが、東証1部の半数980社で大株主になっていると聞いて、これはもはや「新しい資本主義」とよぶにふさわしい。
巨額の公的マネーが安定した業績や高収益の企業に向かうのは当然としても、問題は公的マネーの「株価」押し上げ効果によって、「実力以上」の株価をもたらすことになりかねない。
株式会社では、市場における「株価の変動」を通じて、事業再編や取締役の選任などが行われ、ひいては「稼ぐ力」の向上を促す企業統治(ガバナンス)の強化にも繋がるが、二頭のクジラの下ではその機能が実質的に失われているということだ。
また、市場が経済実勢を反映していない点の代表が「超低金利政策」で、政府がいつでもお金を借りやすくする環境づくったために、今日に至る財政赤字の累積を招いている。
また、超低金利は円安誘導に繋がり、一流企業が多い輸出産業には有利にはたらき、原材料費でコスト高になる中小企業には不利に働いている、
さらに、一頭目のクジラであるGPIFの資産構成は、厚生労働省が定める運用の基本方針に沿って行われるが、株を買う割合を増やして株高と円安を演出しきたものの、企業収益が投資や賃上げに十分に回っていない。
すなわち、賃金が上がって消費が増えるとか、技術開発があって新製品が生みだされるいったものではなく、資産価値の上昇ばかりをまねき、「経済格差」を広げる結果となってしまった。
日本の基幹統計に不正があり、そのことが隠蔽され続けてきたことは、どこかでこうした「官制相場経済」と繋がっているように思えて仕方がない。
当時の政権の経済政策の効果を「実体レベル」で少しでも高くみせようとした「爪先立ち」の結果なのではなかろうか。

日本の自治体の中にも、粉飾決済で破綻した事例がある。統計不正とは違うが、過ちがチエックされず見過ごされた点で参考としたい。
1980年にテーマ・パークブームに乗った「石炭の歴史村」が開館し、遊園地やスキー場が次々と整備されていった。
道東自動車道が開通してリゾートタウンともてはやされたのだが、市の「箱物行政」が裏目に出て、一転赤字転落の破綻都市となった。
夕張市は、この財政赤字額を銀行融資で賄っていたようだが、これには道の許可が必要だったが、道の許可なしに行なっていたので、それを表面化させないための粉飾決算までも表面化したのである。
夕張は明治の初めにアメリカ人により石炭の鉱脈が発見され、後に財閥などが採炭を開始した。
1960年に炭鉱は24山にのぼり人口は12万人と増加した。
エネルギー政策が石炭から石油に転換されると閉山が相次ぎ、1971年に人口減少で過疎地の指定を受けるようになった。
平成に入ってから最後の炭鉱が閉山し、現在では1万4千人ほどの人口で全国で4番目に少ない市になる。
町おこしのために”夕張メロン”を開発した。ところがメロンは、日持ちが悪かったため流通に乗らなかったのだ。
実は、クロネコヤマトを一躍有名にしたのがこの夕張メロンの産地直送サービスだった。
そこで、宅急便の産地直送となったわけだが、これが大ヒットし、クロネコヤマトも夕張メロンもこれをきっかけに急成長したのである。
ここまではよかったのだが、町の根幹たる炭鉱閉山を余儀なくされ、観光都市に転換しようと1980年のテーマ・パークブームに乗った。
「石炭の歴史村」が開館し、遊園地やスキー場が次々と整備されていった。道東自動車道が開通してリゾートタウンともてはやされたのだが、市の「ハコモノ行政」が裏目に出て一転赤字転落。
夕張市は、この財政赤字額を銀行融資で賄ったが、道庁の許可なしに行なっていたことを表面化させないための粉飾決算までも行い、さらに財政赤字を拡大し破綻都市へと転落した。
政府統計をめぐる不正や質の低下は海外でも事例がある。
統計不正が国家破綻とまでささやかれる事態に発展したのが「ギリシャ危機」であった。
政権交代があった2009年、ギリシャ政府が財政赤字の統計を過少に公表していたことが発覚。国の借金である国債を買っていた投資家の信頼を失って、金融市場で国債価格が暴落。
ギリシャは国債を新たに発行できなくなり、資金繰りに行き詰まった。信用不安はスペインやイタリアなどに広がり、「ユーロ危機」に発展した。
「公的部門の肥大化」が指摘されたギリシャでは、統計の数字を良くするために「政治の介入を受けやすかった」ことが背景にあるという。
これに対してEUは15年、統計に関する規則を改定し、加盟国に「(政治や利害関係者からの圧力に対して)統計担当者のプロとしての独立性を確保しなければならない」と義務づける項目を追加した。
EU統計局はかねて「民主主義社会は、信頼できる客観的な統計が機能した上に成り立つ。政策決定や企業の判断に必要なだけでなく、政策決定者らを市民が評価するためにも統計が不可欠だ」と指摘し、ほぼ5年に1回のペースで全加盟国の統計のありようを点検している。
「独立性」「正確性」「客観性」といった16の観点から「自己診断」を求め、統計の専門家が評価して改善点を指摘、アクションプランをつくって実行度合いを毎年チェックする仕組みである。
英国ではかつてチャーチル首相は閣僚たちがどの統計を使うかで議論するのにうんざりし、誰もが同意できる共通の統計を土台にして政策を議論できるように、国家統計局の前身(中央統計局)ができた。
1980年代のサッチャー政権時代に統計予算が削減され、質と信頼が低下して以降、それらの回復に向けた取り組みが続いてきた。
その中で、統計の主要機関としての役割を担う国家統計局が96年、既存組織を統合する形で設立された。
国家統計局を40年つとめた現大学教授は、は国家統計を「公共財」と呼ぶ。
その真の価値については、異なる立場の人々が議論をする際の共通の土台になり、民主的な対話を促す点を強調する。80年代は国家統計の価値をきちんと評価しない「近視眼的な時代だった」と振り返る。統計の算出コストにばかり注目が集まり、削減の対象になったという。
そして、「国家統計に手を抜く政府は、国家運営をやる気がないということだ」と宣べている。
イギリスでは国家における「統計不正」とは少し趣が異なるが、重大ない経済不正が行われ大きなインパクトを与えた。
イギリスは、かつて「陽の沈まぬ国」としてグリニッジ天文台が世界の「標準時間」と定められ、他にも金の相場や世界金利規準を定めるシティの存在がある。
世界の金融市場の中心の一つであるロンドン市場(シティ)で、世界の有力銀行が互いに資金を貸し借りする際の金利となっているのがLIBOR(ライボー)である。
業界団体の英国銀行協会が、取引の実績でなく、各銀行が「お金を借りるのに何%の金利を払うか」を自己申告したものを集計し、毎日算出している。
ドルや円など10種類の通貨が対象で、いわば、世界の基準金利。日本の住宅ローン金利にも影響するだけに、不正があれば「対岸の火事」で済ますわけにはいかない。ところが2012年それが起きた。
英金融大手のバークレイズが実態より高い金利を英国銀行協会に報告しLIBORを「高めに誘導し、市場の取引で利益を上げていた疑惑がある。
そして2008年リーマン・ショックにおける世界金融不安の元凶となったサブプライムローンの貸し込み、それを証券化したデリバティブを売りさばいて暴利を貪ったことが明らかになった。
そして第二段階では、リーマン・ ショックが起きた2008年秋には一転、申告する金利を「故意」に引き下げ、財務体質を健全に見せかけ、「国有化の危機」を乗り切ったということ。
信用度が低い金融機関がお金を借りる場合は、金利は高くなるのが普通である。しかしリーマン・ショック当時、金融界は深刻な危機に陥って、経営に不安がある金融機関が市場からお金を調達できなくなり、資金繰りが行き詰まる心配があった。
そこで、イングランド銀行の副総裁がバークレイズに、LIBORのために「申告」する金利を低めに申告するよう誘導したといわれる。
ただ、LIBORは仕組みとして、1行ダケでの不正操作にも限界がある。
ドルの場合で18行が申告し、金利が高いもの、低いもの各4行分を除いた10行の「平均値」を出しているので、バークレイズだけが極端に高く(低く)誘導しようとしても、できるとは限らない。
そこで、欧米の金融当局は、多数の金融機関が「関与」した可能性が高いということだ。
LIBORの生みの親とわれる人物によれば、当初は非公式なものとして、いわばインナーサークルの決定のようなものだったという。
ところが1969年、イラン政府から8000千万ドルの融資を求められた。
当時としては巨額で自分の銀行だけで用立てられる額ではない。 そこで一緒に貸そうとい多くの銀行に協力を求め協調融資をまとめた。
ただ一つ大きな問題は、貸出金利をどう「一本化」するかということであったが、契約直前の金利を各銀行に電話で報告していもらい、その「平均」を出すことにしたのである。
この平均値である金利によって、「協調融資」が繰り返されることによって、「国際金利基準」になっていったという。
かつてはロンドンの「金融紳士の集まり」で、互いが互いのことをよく知っていたので、インチキは許されなった。
しかし1980年代の半ば、様々な金融派生商品(デリバテイブ)が広がり、LIBORがその基準に使われるようになったことにより、LIBORが「世界金利基準」となっっていくのである。
そしてそのとりまとめ役として業界団体の「英国銀行協会」に委ねられたが、それだけ広がっても「インナーサークル」的雰囲気は消えなかった。
しかしソレはいい意味ではなく悪い意味である。例えば来週の金利設定日に「低い」金利を出してもらわないと、スゴイ損失がでるのでなんとか操作してくれといった要望が出る。特に、リーマンショック以降こうしたケースが増える。
もちろん、金利を操作するといっても複数の銀行が関わって出来ている基準だから大きな操作はできない。しかし気がつかにほど「微小」な操作でも、額が大きいのでかなりの利益が出るのである。
不正のうわさはあったものの、こうした緩んだ状態が放置され、近年そうした操作で損をしたという訴訟のラッシュが続き、不正が発覚したのである。
このLIBORの不正の背景には、金利水準の設定を「仲間内」でやっていた紳士の時代が、「世界基準」になるにつれて参加者がふえ、全く異なる性質を持つようになったということ。
このインナーサークルで思い出すのは、安倍内閣が「お友達内閣」と呼ばれたこと。経済面では岸田政権にも引き継がれている。
日銀で長く続く「2パーセントの物価上昇」というインフレターゲット政策は、政権と日銀のいわば「お友達化」によるもので、日本経済の実体を無視した「爪先立ち」の表われのひとつだ。

最近、視聴率は絶対基準ではなくなった。若者など消費層がTVを見ずネット配信やユーチューブでみるようになったからだ。
となると、様々な業界も広告予算をTV・CMではなく、ネットに多く割り振るということはありそうだ。
実は、GDPは国民経済の成長や景気動向を示すセンサーであるはずだが、デジタル技術を利用したサービスが質量ともに重みを増している経済環境の変化を的確に感知できなくなっている。
例えば、フェイスブックやLINEなどのSNS、そして音楽配信など、多くの人に欠かせないサービスを提供しているが、無償のためGDPには計上されないということもある。
また、仮想通貨での取引は、果たしてGDPに反映されているのだろうか。利用者は対価として、料金にかわりに「個人データ」を提供しているわけだが、その経済価値はとんでもなく大きいであろうが、貨幣価値で計上するGDPにデータの価値は反映されない。
また、民泊や配車サービスなどで注目されている「シェアリング・エコノミー」。さらには、遊休資産の稼働率の上昇はGDPにどう反映されるか。
例えば、1台の車をネットアプリを介して、複数の人間で効率的に使いまわせば、全体の経済効率は増すが、車の販売台数は、減少するのでGDPにはマイナスに働く。
GDPはあくまでフロー(1年間)の概念であるが、最近では空き家利用などストック利用などにシフトしている。
ストック利用の対価はGDPに計上されるが、新規の住宅建設の発注が抑えられる分、GDPにはマイナスに働く。
要するに、様々な環境の変化で、GDPは経済の実態を映す鏡とはいえない状況になりつつあるのも確かである。

特に安倍政権時代の異例の「金融緩和」の出口やとインフィレターゲット(2パーセント)などは語られなかった。
さらには、新型コロナ対策で使った60兆円の返済の見込みにもふれてはいない。
そして