「AKIME」を世界に

2019年9月初旬、九州最南端の枕崎にいた。
目指すは、薩南市の坊津から秋目海岸へ北上。それから薩摩川内にでて、「オレンジ鉄道」で不知火海を車窓に見ながら八代へ。あとは新幹線で福岡に戻る予定であった。
いつものことながら、我が旅はしっかりした予定は立てず、ホテルの予約もしない。要するに、行きあたりばったりの旅ながら、結構面白い展開が起きる。
今回の旅もその例外ではなかった。
枕崎からバスで約30分北上すると坊津地区にはいる。遣唐使で有名な坊の港があるところで、「坊」は、山あいに龍厳寺一乗院の坊舎があることからついた名前らしい。こじんまりした、静かな港の風情がとても心地よく映った。
中世には島津氏の統治下にあり、中国(明)・琉球との貿易により栄え、「倭寇」や遣明船の寄港地でもあった。
そして、遣唐使に関する展示物が収められている「輝津館(きしんかん)」を見学した後、海側の丘に向かうと「文学碑」を発見。
福岡出身の作家・梅崎春生の文学碑で、名作の誉れ高い「桜島」や「幻化」の作品がある。
梅﨑は「桜島」の冒頭で次のように書いている。
「七月初、坊津にいた。往昔、遣唐使が船出をしたところである。その小さな美しい港を見下す峠で、基地隊の基地通信に当っていた。私は、暗号員であった」。
奈良時代には、唐の名僧・鑑真が過去5回の失敗と失明にもめげず、秋妻屋浦に上陸している。
さて、この坊の港から唐招提寺を設立した鑑真が上陸したという秋目浜にむかう。
輝津館前でバスにのって約20分、終点の今岳まで客は二人だけ、バスに乗って気がついたのは、我が福岡と同じ地名があること。
「博多浦」「唐人屋敷」「平尾」などで、「博多」とは夥しい物産が集まるところを意味していて、博多と坊津は、遣唐使船が往来する港であったことで共通している。
終着「今岳」でバスを降りるが目指す鑑真上陸地点まで5.5キロの道のり。
陽が傾き心地よい海風がふきつけるため、この距離ならそれほど苦にはならない。
夕方6時半ごろ目的の秋目浜につくが、日本で撮影された「007は二度死ぬ」(1967年)のロケ地。
それにしても秋目海岸は「鑑真上陸地点」と「007撮影地点」という面白い組み合わせの地なのだが、道行く人に「ジェームズボンドの上陸地点はどこですか」と間違って聞いてしまった。
映画撮影では、ジェームズ・ボンドはヘリコプターで指宿(いぶすき)から運ばれてきたという。
高台にある「鑑真博物館」と道を挟んで、すぐ真向いに「007撮影記念碑」が立っていた。そこには、ショーンコネリーと丹波哲郎の直筆のサインが記銘されてあった。
さらに海岸に面した駐車場に降りると、そこにはジェームズボンドと浜三枝の写真が埋まった説明版があり、次のように書いてあった。
「ショーンコネリー扮する”毒ガスだ海に戻れ!”といい浜三枝扮するキャッシー鈴木と飛び込んだあと、海からあがった場所です。ボンドがキャッシーの手をとって引っ張り上げたシーンで、二人の後ろに見えるのは天神島です」。
ところで、広い日本の中でなぜ秋目浦をロケ地に選んだのか? 一瞬、薩英戦争などが脳裏に浮かんだが、秋目浦は珍しい円形の海岸線と特徴的な山や岩肌をもち、そして村落が狭いエリアに密集している。
ボンドが漁師に変装して潜伏するというミッションが、この風景にぴったりだと感じた。
実は監督したイアン・フレミングが、「You Only Live Twice」としたのは、芭蕉の句「人生は二度しかない。生まれた時と、死に直面した時と」という句からとったのだという。
そして、海岸すぐそばに民宿「がんじん荘」に宿泊することにした。
宿泊客は自分一人だったが、常連客とおぼしき建設会社のコンサルタントM氏と色々と話す機会に恵まれた。
M氏は、専門の建築や芸術面ばかりでなく、日本の国学思想(本居宣長)に関する知識も豊富で、「笠沙(かささ)美術館」の存在や、”笠沙”が「古事記」に登場する由緒ある地名であることを教えてもらった。
M氏は、この秋「笠沙美術館」の中庭で自らチェロを弾くイベントをするのだという。
そればかりか、湾内に迷い込んだアザラシのような我が身を憐れんでか、仕事の空いた次の日に、秋目周辺を車で案内してくださるという。
翌日早朝、M氏運転で向かったのは笠沙美術館、地元の美術家・黒瀬道則が創設した美術館である。
残念ながら休館中であったが、館内の絵画が、東シナ海や複雑な岩場など美しい眺望が「借景」となって作品を構成している。そして展望所から眼下にビロー島の造形そのものが自然の迫力をもって迫ってくる。
次に車で20分ほどM氏とともに亀山展望台に向かった。ハンググラーダーも行われている場所で、秋目海岸を見下ろす絶景を目の前にして、秋目や笠沙がもはや「秘境」となっているのではないかという思いが込み上げてきた。
実はこの亀山の地は地球の南北の地軸逆転の痕跡が残っているのだが、後に千葉で発見された地軸逆転の痕跡の発見により、霞んでしまった感がある。
亀山展望台を後に、M氏からバス亭のある加世田町まで送っていただいたが、その途中で秋目の町おこしについて話をした。
その中心的存在こそは「がんじん荘」のオーナーで、親の代からコミュニティー誌の発刊をしておられる。
笠沙半島には、段々畑以外にも「石」文化を伝える風景や旧跡が数多く点在している。
そして農業といえば、主な作物はさつまいも。稲を育てるには向かない土地なのだそうだ。
そういえば、「輝津館」でブラジルに坊津移民会があるのを知ったが、それだけ厳しい土地なのであろう。
「がんじん荘」のオーナーの息子さんが、フィンランドから訪れた青年と親しくなり、青年の宅に招かれるなど交流があると 聞いた。
やはり秋目海岸には、「007」ファンが時折この地を訪問しているようだ。
なにしろ撮影時の風景がほぼ変わらずに存在している場所など他にはないだろう。そして、秋目をフィンランドを突破口に世界にアピールしてはどうかというアイデアが浮かんだ。
2006年、フィンランドを舞台にした日本映画「かもめ食堂」が静かなるブームをよんだ。
日本人女性サチエ(小林聡美)が経営する「かもめ食堂」を舞台に、夢かウツツか会話も少なくストーリーといえるものもない。
それでも、なぜか見るものをひきこむ不思議な魅力をもつ映画であった。
この映画は、サチエがかもめ食堂にやってきた日本かぶれのフィンランド青年に「ガッチャマン」の歌詞を質問される。
そこで、たまたま見つけた日本人女性(片桐はいり)に「ガッチャマンの歌詞を教えて下さい!」と話しかけると、彼女が全歌詞をメモに書き上げるシーンではじまる。
この映画は、制作者の何らかの体験に基づくものだろうが、個人的にはフィンランドの青年が日本の「ガッチャマン」を知っているという設定はどうか、という疑念が残っていた。
しかしあるテレビ番組で、その疑念は氷解した。
ヘルシンキ郊外の公園では「桜まつり」が行われていて、桜を愛でながら和太鼓に剣術、またパラパラ・ダンスまでが演じられていたのである。
というわけで、フィンランド人がガッチャマンを知っていたとしても、何ら不思議ではない。
それにしても、このフィンランド人の「親日ぶり」の背景には一体何があるのだろうか。
この番組では、フィンランドと日本との「接点」に一人の日本人がいたことを伝えていた。
その日本人とは、旧五千円札の肖像でなじみ深い新渡戸稲造である。
新渡戸稲造は第一次世界大戦後に設立された国際連盟の事務次長として、常任理事国だった日本を代表する世界のリーダーとして国際的な役割を果たした。
また、日本人の精神を「BUSHIDO」として世界に紹介した人物でもある。
近年、フィンランドの子供達が数年連続で学力世界一となったニュースで、日本でもフィンランドへの関心が高まっている。
また、埼玉県の飯能市の「ムーミンパーク」が大盛況と聞いた。
そして、何から何まで日本と対照的かと思っていたフィンランドは、意外にも日本と共通点が多い。
フィンランドの先住民はアジア系(フィン人)で、その位置はヨ-ロッパで日本に一番近い国なのだ。
これは意外だったが、飛行機でヨ-ロッパに行くときは北極圏を通過するので、そのことを実感をもって体験できる。
そして日本人と同じくキャラクターが大好きな国民性である。
サンタクロースの生誕地でムーミンを生んだ国、そしてサンタクロースは季節をかまわずに活躍している。
フィンランドは森と湖の国であり、国土の4分の1が北極圏で幻想的な白夜やオーロラをみることもできる。
そしてフィンランド人と日本人は、「風呂好き」の点でも共通している。ただフィンランドで風呂といっても日本のようにザンブとはいる風呂桶などはなくシャワーとサウナである。
そのかわり目の前の湖が風呂桶がわりになったりする。
フィンランドには1500年もまえから「スモーク・サウナ」と呼ばれサウナがあり、本来は麻の乾燥や肉を燻製にするためなどに使用されていたという。
ほとんどの家にサウナはあり、家族団欒の場所、リラックスできる社交場ともなっている。
サウナの後に森の湖に飛び込むのもさぞや爽快だろう。
国連事務次長であった新渡戸稲造が直面した大きな問題は、現在の「ウクライナ情勢」の北欧版といったものだった。
フィンランド南西部の島オーランド諸島は、住民の代表がスウェーデンへの統合を求める嘆願をスウェーデン王に提出する一方、フィンランドはオーランド分離を阻止すべく1920年にはオーランドに対し広範な自治権を付与するオーランド自治法を成立させた。
このため、スウェーデンは国際連盟にオーランド問題の「裁定」を託し、フィンランドもこれに同意したのである。
1921年、新渡戸稲造を中心として、オーランドのフィンランドへの帰属を認め、その条件としてオーランドの更なる自治権の確約を求めた「新渡戸裁定」が示された。
そして1922年にフィンランドの国内法(自治確約法)として成立し、オーランドの自治が確立した。
その内容というのが、なんと「オーランド諸島は、フィンランドが統治するが、言葉や文化風習はスウェーデン式」という意外なものだった。
しかしこのおかげでオーランド諸島は今や「平和モデルの島」となり、住民達は新渡戸がこの島に平和にしてくれたことに感謝して、新渡戸をとても尊敬しているという。
ところでフィンランドが日本に親近感を覚えているのは、この「新渡戸裁定」ばかりではない。
それは、トルコが「親日国」となったまったく同じ理由である。
日露戦争で日本がフィンランド人にとって長年の脅威であったロシアを打ち負かせたことで人々に勇気を与えたということである。

秋目海岸の地「笠沙」は、「古事記」で有名なコノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)の舞台でもある。
天孫降臨後、葦原の中津国で国の経営をしていたニニギノミコト。ある日、"笠沙の岬"を散歩しているときにとても美しい姫に出会う。
その姫がコノハナサクヤヒメである。
あまりの美しさにニニギノミコトはすぐにコノハナサクヤヒメにプロポーズをする。
コノハナはそのプロポーズについては父の神であるオオヤマツミノカミに確認をしますと伝える。
そしてオオヤマツミノカミは聞くと大喜びをする。
すぐに結婚を了承をするが、ただコノハナとの結婚を了承するだけでなく、その姉であるイワナガヒメも一緒に嫁ぐことを申し出る。
姉妹二人がニニギの元を訪れたが、ニニギは外見で劣ったイワナガヒメを父親の下に返してしまう。
父オオヤマツミノカミはそのことを受けて、ニニギにこのように伝える。
「私がイワナガヒメを一緒に嫁がせたのは、コノハナは美しい美貌を持っているが、桜の花のようにすぐに散りゆく(短い命)であるため、イワナガヒメという、岩のように永遠の命を持つものを一緒に授けた。
しかし、それを断ってしまったため、ニニギの子供は天津神のような永遠ともいえる寿命を持つことはできず、短い命になるだろう」と予言。
こうして、神の子供ではあるが、天皇家は人間と同じような短い命になってしまう。
この話は、旧約聖書のヤコブの正妻ラケルとともに姉のレアも同時に嫁ぐ話を思い出させる。
ともあれ、ニニギとコノハナは深い愛で結ばれたが、ニニギはコノハナの懐妊につき疑念を抱く。
その疑いを晴らすために、コノハナはその疑いを晴らすために、天津神の子供であるのならば、どんな状況でも無事生まるはずと、産屋に火を放ちそこで出産をして見せましょうという。
そして燃え盛る小屋の中で3人の元気な男の子を産む。それが火照命/ホデリ(=海幸彦)、 火須勢理命/ホスセリ 、火遠理命/ホオリ(=山幸彦)で、3男のホオリの孫に神武天皇が生まれ、後は人代となる。
さて、屋久島を訪れると、フランス人やドイツ人の観光客が目についたのは少々意外だった。
宮崎駿監督がアニメ「もののけ姫」を制作するにあたり、屋久島の風景をかなり取り入れていることから、宮崎作品の風景を求めて屋久島に来ているのだという。
これにならって、「コノハナサクヤヒメ」物語の英語版もしくはフィンランド版をユーチューブで発信してみてはどうか。案外、海外にも似た話があるのではないか。
M氏は、秋目をサンフランシスコの「フィッシャーマンズワーフ」を小型にしたものにというビジョンをもっておられた。
外部の人間からみても、秋目・笠沙ほどの地が高齢者ばかりとなって廃れていくのは寂しい限りである。
"AKIME”を、クール・コンテンツにのせて世界に発信してはいかがか。というのも、海外発信では個人的に面白い体験がある。
当時勤務していた学校のホームページを英訳して海外のいくつかの新聞社に相互リンクをお願いしたところ、最果ての地アラスカの新聞・Bush Bladeが地元紹介の英訳部分のなかから「老松神社の祭り・鬼すべの紹介」をピックアップしてそのままホームページに紹介してくれた。以下がその内容である。
"In hopes of driving bad spirits from people and protecting them from evil the annual New Year festival Onisube of Oimatu Shrine is held. About 100 men and children, conducting the ceremony, put rope (symbolizing horns) on their heads and wear red masks to disguise themselves as demons. They're lead by a man of climacteric-age also dressed like a demon and go to Kafura, about one mile from the 16th century Oimatu Shrine, to purify themselves with salt. On their way back they parade in the streets with gathering evil spirits. In the street some of the men are served enough sake to make them reel along drunkenly. In the evening they return to the shrine and try to invade its sanctuary. Here they're hindered by beans scattered by people shouting, 'In with fortune! Out with demons!' Next they try to escape into the other shrine only to be fumigated by smoke from a burning pine tree. As a result misfortune, within the town, is driven away along with demons".