成立しないストーリー

2010年、「検察のストーリー」という言葉が世で語られた。以来、検察では取り調べのあり方が問題となって、録音や録画などの「取り調べの可視化」が議論となった。
ただしこれは、検察が自浄力を発揮したわけでも、世論の喚起に促されたわけでもない。
検察サイドが、自らが取り調べられる立場になって冤罪を免れるために要求したまでのことだ。
そして現在、取調べの開始から終了に至るまでの全過程の録音・録画を義務付けられた。
問題の発端は、「郵便割引不正事件」で検察が取り調べで、厚生省の女性幹部の関与など、あらかじめストーリーに合致するように被疑者の証言や証拠を組み立てていこうとするやり方が、明らかになったこと。
これまで、検察は「法と証拠」に照らして、起こった事件(事実)のみを捜査の対象にしてきたと豪語してきた。
それだけに大阪地検特捜部の検事らによる、証拠となるフロッピーディスクの内容の改竄まで行われたことに衝撃を受けた。
さらに改竄した検事と、上司2人の逮捕者を出すという組織的な犯行にまで発展した。
上司2人は、面会した弁護士に、「意図的ではなく、誤って書き換えてしまったと報告を受けた。自分たちは最高検の作ったストーリーによって逮捕された」などと話し、最高検と全面的に対決する姿勢を示した。
なんと、自分たちこそ最高裁のストーリーにハメラレタというのだ。
そして自分たちが、取り調べを受ける側になったら急に「録音・録画」を要求するようになった。
その際、検察サイドの弁護人が、「密室での違法・不当な取り調べによる虚偽の自白で、多くの冤罪が生み出されてきた」として、最高検に「全面可視化」を求めたというのだ。
虚偽の自白強要を断固として否定してきた検察(検事)が、今度は虚偽の自白を恐れて可視化を求めるというブラックジョークのような話である。

英語の「toy」は名詞では「おもちゃ」だが、動詞もあって「もてあそぶ」という意味になる。
最近の日本の行政で目につくのは、かつての「検察のストーリー」と比べて、はるかに影響力が大きい数字の「トイストーリー」である。
かつて官僚の能力は、大臣の想定問答集つくりということであったが、「虚偽」をプロデュース力が求めらているのではなかろうか。
例えば、数字の「トイストーリー1」が、厚生労働省の統計不正問題。
不正が指摘されたのは厚労省が作成している「毎月勤労統計調査」という統計である。
この統計がしっかりしていないと、労働者の賃金が上がったのか下がったのか、残業が増えたのか減ったのかなど、いわゆる労働環境の変化について正しく認識することができない。
働き方改革はもはや国民的なテーマとなっているが、毎月勤労統計がデタラメだった場合、働き方改革の進ちょく度合いについても把握できなくなる。
今回の不正の根幹部分は、本来、全数調査すべきところをサンプル調査にして、それを補正せずに放置したことである。
もっとも単純なケースでは、1000件を調査する際に200件だけをサンプル調査した場合には、得られた数字に5をかけるという補正作業を行えば、1000件の調査に近い数字が得られる。
だが不正が見つかった調査は、「全数調査」が義務付けられていた。
したがって、サンプル調査に変更した段階でルール違反だが、数字がおかしくなったのは、補正作業をしていないという。
このミスは2004年からずっと続いていたので、10数年間、賃金が低く算出されていたことになる。だが、問題はこれだけにとどまらない。
一連のミスが発覚した場合には、通常であれば、04年までさかのぼって、すべてのデータを補正するのが正しい訂正方法になる。
ところが、厚労省はこうした訂正を行わず、18年以降のデータだけを訂正するという意味不明の対応を行った。
このため、18年からは急激に賃金が上昇したように見えてしまった。これに加えて18年から調査対象の事業所を入れ換えたことも、賃金がより上昇したように見える原因となった。
アベノミクスの成果を強調しようと「忖度」したという他はない。
数字の「トイストーリー2」は、トランプ大統領から購入させられた地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の設置にの根拠についてである。
イージス・アショアは、弾道ミサイルを探知・追尾するために、周囲にレーダーを放つ。その際に障害物となる高い山などが周囲にある場所は配備には適さないとされているからである。
検討の結果、19か所のうち9か所はレーダーを遮へいする山があることを理由に「適さない」とし、残り10か所も電力や道路などのインフラ環境が整っていないなどの理由で「適さない」としていた。
では、レーダーを遮へいする山とはどれくらいのものなのか。
防衛省は、候補地から山を仰ぎ見る角度、すなわち「仰角」がおおむね10度以上あるとレーダーの運用に支障が出るとしている。
今回「適さない」とされた9か所については、いずれもその角度が15度以上あると説明していた。
とくにひどいのは、ある候補地で本山(もとやま)を見上げた時の角度が15度とされていたが、実際には4度しかなかったのだ。
それだけではなく、この場所も含めた9か所すべてについて山を仰ぎ見る角度・仰角の数値が実際よりも大きくなっていた。
では、どうしてこんなことが起きたのか。
防衛省によると、調査ではまず、コンピューターのソフトを使って山の断面図を作成する。
ところが、この断面図では、高さと水平方向の距離のそれぞれの縮尺が異なっていたが、担当者がこれに気づかないまま計算したため、 仰角の数値を誤ったとしている。
専門家は、地図で縮尺はいちばん基本のことだから、地図関係者であればすぐ気がつくレベルの初歩的なミスだという。
新屋演習場の地元からは、それに対しもう1回「適地ではない」という箇所を精査してほしいという意見がでている一方、防衛省は、新屋演習場はほかと比べて配備に適していることに違いはなく、引き続き配備への理解を求めていく考えなのだという。
数字の「トイストーリー3」は、政府が”100年安心”という日本の年金制度である。
2019年8月末、「財政制度検証」が発表された。これは5年に1度、制度がちゃんと機能しているかを調べるいわば「年金の通信簿」である。
令和発の財政検証は6月に公表されるハズだったが2か月も遅れたのは。2000万円問題や参議院選挙を控えていた“政治事情”があったということが推測される。
この財政検証で重要になるのが、“所得代替率”である。
「現役男子の平均手取り額」に対する「夫婦2人のモデル世帯の年金受給額」の割合を示すもの。
19年度の「平均手取り額」は35万7000円。
「モデル世帯」の年金受給額は、夫婦の基礎年金13万円、夫の厚生年金9万円の計22万円である。
よって、所得代替率は61.7%となっている。
しかし、少子高齢化の時代に、この水準は維持できない。「制度維持のため、所得代替率を50%まで段階的に引き下げていくことは既定路線になっている。
それでは、どのように引き下げられていくのか。
今回の財政検証では、女性と高齢者の労働参加が順調に進み、経済も成長していくケース1から、もっとも悪化していくケース6まで、「6段階」の試算が行われた。
ケース1~4までは経済成長率がプラスになることが前提だが、現在、世界的に貿易戦争が懸念され、10月に消費税増税が実施されるので、現実的なのは、ケース5と6である。
仮に、最悪なケース6では、5年後には所得代替率が60%となり、所得代替率は36~38%にまで落ち込むと報告されている。
したがって安倍政権がいう「100年安心」というのは、生活に十分な年金がもらえるという意味ではなく、ここまで年金給付が抑制されていくならば、社会保障制度は”100年維持できる”という意味でなら成立する。
ただ悲観ばかりする必要もない、人は不足を何かで補おうとするのは歴史の教えていることである。
「公」がダメな分、最近「共」が急速に育っている。行政の手が届かない部分を、NPOの活動が補っているし、シェアリング・エコノミーの成長がそれを物語っている。

「理数教育研究所」が開催した「算数・数学の自由研究」作品コンクールで最優秀賞に輝いた「メロスの全力を検証」という研究結果が興味深い。
中学2年生の村田一真くんによるこの検証では、太宰治の小説「走れメロス」の記述を頼りにメロスの平均移動速度を算出した。
その結果、「メロスはまったく全力で走っていない」という結果に達した。
端的にいうとメロスは往路は歩いていて、死力を振りしぼって走ったとされる復路後半の奮闘もせいぜい「早歩きだった」というのだ。
メロスは作中、自分の身代わりとなった友人を救うため、王から言い渡された3日間の猶予のうち初日と最終日を使って10里(約39キロ)の道を往復する。
今回の研究ではこの道のりにかかった時間を文章から推測したものである。
例えば往路の出発は「初夏、満天の星」とあるので0時と仮定、到着は「日は既に高く昇って」「村人たちは野に出て仕事を始めていた」とあるので午前10時と仮定した。
距離を時間で割った平均速度はずばり時速3.9キロ!これって徒歩の速度である。
メロスは復路の日、薄明のころ目覚めて悠々と身支度をして出発し、日没ギリギリにゴールである刑場に突入する。
村田くんは北緯38度付近にあるイタリア南端の夏至の日の出がだいたい午前4時、日の入がだいたい午後7時と目星をつけ、考察を開始。
復路では途中、激流の川渡りや山賊との戦いといったアクシデントがあり、これらのタイムロスも勘案してメロスの移動速度を算出した。
その結果、野や森を進んだ往路前半は時速2.7キロ、山賊との戦い後、死力を振りしぼって走ったとされるラストスパートも時速5.3キロで、ジョギング程度。
ちなみに、フルマラソンの一般男性の平均時速は9キロ程度である。
もちろん、現代のように道が道らしく整備されている保証はないので、いろんな足止め要素を想像すれば、算出された平均速度以上にメロスは頑張っていたと想像することも可能である。
財政検証にもスカウトしたい村田君の検証が正しいのなら、太宰治の小説の題名は「ちゃんと走れ メロス」ぐらいの方が適当なのかもしれない。
さて、NHK大河ドラマ「韋駄天」は、オリンピックのマラソンで失踪した金栗四三の生涯を描いたドラマだが、レース中に失踪したという話は他にもある。
1969年 イギリスのサンデー・タイムズ社がヨットでの単独世界一周を、スピードを競うレースを開催した。
熟練の海の男達がレースの参加に名乗りを挙げ、いずれもヨットでの世界一周を達成した人々である。
出発後はどこかへ寄航するのは勿論、他船からの援助も受けてはならず、文字通り一人ぼっちの航海を要求される。
こうした要件を満たし、無事世界一周を達成した者のうち、最も早い日に到着した者には名誉のトロフィーが、最も速い記録で到着した者には賞金5000ポンドが与えられる。
そんな錚々たる顔ぶれの中、一人無名の男がいた。ドナルド・クロウハースト。独自の航海用ナビゲーターを考案したビジネスマンで、ヨット乗りが趣味だという男である。
日曜ヨットマンが海のプロを相手に張り合おうとしている姿は人々の心を掴んだ。
後援会が組織され、彼の人気に目をつけたティンマス市の広報担当者は、連日のように彼にまつわるニュースを流した。
クロウハーストは期限ぎりぎりの8月31日にティンマスを出航する。その後、無線からは航海が順調である旨の連絡が続いた。どうやら彼は、周囲の期待に応え大健闘しているらしい。
12月初めに1日で243マイルも進んだという報告がなされると、支持者達は彼の優勝の可能性に言及し始めた。
ところが1月に入り、クロウハーストからの連絡が途絶える。周囲が不安に駆られる中、再び連絡してきたのは4月に入ってからのこと。
相変わらず順調な航海ぶりを伝えてはいたが、この長い沈黙は審判長チチェスターを初め、一部の専門家の疑惑を招いた。
しかし大多数は彼の無事を喜び、ティンマスの町ではクロウハーストの歓迎準備が進められた。
7月10日、そんな熱狂が沸いているとはつゆ知らず、フロリダ行き郵便船ピカーデイ号が大西洋上を航行中、一隻の"無人のヨット"を発見した。ヨットの名前は「ティンマス・エレクトロン」。
クロウハーストのヨットの名前である。船内には特に異常がなく、機器や食料、救命ボートも無事に残されたままだった。
ヨットの中にはクロウハーストがつけていた航海日誌が残されており、失敗の連続であったことや、彼の精神状態が赤裸々に記されていた。
更に調査を進めると、3月19日にクロウハーストがヨットの修理のため、ブエノスアイレスに寄航していた事実が明らかになった。完全なルール違反である。
肝心のクロウハースト本人については、今日に至るまで行方知れずのままで、海に身を投げたのだと見なされている。
彼が乗ったヨットはトリマラン(三胴艇)と呼ばれる種類のもので、スピードに優れる代わりに操作が難しいとされる代物であった。
技能が他より劣る以上、船の性能でスピードを得るしかないと考えたのだろう。
出航後すぐに、クロウハーストは自分の甘さを痛感させられることになる。
出航後僅か2週間目の日、彼は日誌に「これほどまずいことだらけで続けようというのは、恐らく馬鹿げたことだろう」と書いている。
それでもクロウハーストは、レースを続行する道を選び、無線で偽りの報告を重ねるにつれ、「レースに勝てるかもしれない」と思いが、助長されていった。
そして、無線で順調である旨を強調すればするほど、クロウハーストの脳裏には陸の上で歓喜に沸く支持者達の姿が浮かび上がり、後戻りが困難になっていった。
彼がいつ大海原に身を投げたのかは定かではないが、日誌は6月29日で終わっている。
1日243マイル進み、243日後に到着することを自らに課していたようだ。
7月1日は、彼が出港した10月31日からちょうど243日後に当たる日である。
その日、クロウハーストは大勢の群集に迎えられ、歓喜の声を一身に浴びている筈だった。
ところがその日、彼は大海原の中心で、一人漂っていたのである。
日誌から、順調な航海を伝えれば伝えるほど、しだいに追い詰められ正気を失っていく様子がうかがえる。
順調な航行のストーリーを完結させようともがいたクロウハーストの結末は、ひとつの"政治的な寓話"として読んではどうであろう。