人生と遺骨

ここ最近のニュースで驚いたのは、県立高校などで、教材用模型が本物の人骨であったこと。
今のところ、6県16校で発見されている。
多くの場合は「寄贈されたらしい」ということだが、正確な記録がなく入手経路が不明だという。
そんななか、次のようなニュースが飛び込んできた。
東京都足立区の住宅(会社敷地)で、人骨500体分が発見された。その会社とは「羽原骨骼標本研究所」(1971年発足)で、まるで江戸川乱歩の小説にでてきそうな会社名である。
会社は、インドからそれらの骨格を輸入したと説明していることから、上記の学校の人骨は、この会社から購入した可能性がある。
すると学校の実験室にあった人骨は、インドからのものも多く含まれる可能性が高い。
そんな推理をしていたところ、普段は見過ごすであろう最近のインドのニュースが妙に気になった。
インド北東部アッサム州で、密造酒を飲んだとみられる住民らが相次いで体調不良を訴えて病院に運ばれた。地元報道によると、少なくとも93人が死亡し、約200人が病院で治療中であるらしい。
酒にはアルコール度数を上げるため、有毒なメチルアルコールが入っていたとみられ、市販の酒を買えない貧しい人々が、格安の密造酒を飲んで死亡しているという。
さて、現在の「遺骨事情」を調べると、色々と興味深いことが起きている。火葬後、遺族がお骨を拾いあげたあとには、多くの骨や灰が残される。
それが「残骨灰」と言われ、自治体の責任で処理されているが、残骨灰をめぐって激しい争奪戦が起きているという。
一体につき2キログラム近い骨や灰が残されるが、この残骨灰は、多くの自治体では処理業者に委託して、「骨」や「金属など」に分別したうえで、供養したり処理したりしている。
ところが今、その作業をわずか「1円」で引き受けるという業者が増えている。
そこには、残骨灰の中に眠る高価な金属の存在があるからだ。
骨を分別した後には、棺おけに使われていた釘や、体内にあった金属などが大量に残る。これを薬品で処理すると、ある貴重な金属が出てくる場合がある。
金や銀などだが、 多い時には数百万から数千万円に及ぶこともあり、精錬会社などに売却している。
一番多いのは、歯科用、歯に使われる金属で、 金歯や銀歯は原型を残さないため、この中に混じってしまうのだという。
お骨から出た金や銀が売買されているとは驚きだが、高温で焼かれると、金銀というのはほとんど溶けてしまって、見分けがつかなくなってしまう。
残骨灰の中に含まれている金・銀については、国などが決めた取り扱いのルールは定められていない。
今のところ、自治体それぞれが、独自に取り扱いを定めているというのが現状である。
そういえば昔見た「刑事コロンボ」のあるストーリーを思いおこした。
ある葬儀屋が盗んだダイヤモンドを密かに死人の口におし入れて隠し、火葬炉の中からダイヤモンドを拾い出して我が物とするというストーリーである。
アメリカの火葬炉はあまりに熱が強くて人が灰になってしまい、灰とダイヤモ ンドしか残らなかったということだが、「亡くなる」と「無くなる」とでは随分違う。骨ぐらいは立派に残っていて欲しい。
そんなことを考えていると、中原中也の詩に「骨」と題するものがあったのが思い浮かんだ。
「ホ ラ ホ ラ、こ れ が 僕 の 骨
見 て ゐ る の は 僕?  可 笑 し な こ と だ。
霊 魂 は あ と に 残 つ て、
ま た 骨 の 処 に や つ て 来 て、
見 て ゐ る の か し ら」。
ところで、日本ではいまなおビルマへ、ソロモン群島へと遺骨集集団がでかけている。かつての戦地に遺族が遺骨を集めに行くというような行為はおそらく日本人だけがやっているのではないだろうか。
「仏舎利」はブッダの骨ということだが、ブッダの骨なら聖なる骨として尊崇されようが、亡くなった人の骨をここまで大切にしようという気持ちの強さは、日本人特有のものだろう。
そして火葬は罪人に対して行う火刑を連想させるし、「復活」を信じる欧米ではむしろ土葬の方が一般的であるようだ。
日本では700年に道昭という坊さんを火葬にしたのが第一号で、最初の火葬の天皇は持統天皇である。
そして現代の日本では埋葬法で定められおり90パ-セント以上が火葬に付される。
ちなみにお隣の韓国での火葬率は10パ-セント未満にとどまっている。
殺人事件などがおこると死体は火葬されず土葬になるのだが、松本清張の短編に池の下側に埋もれた死体が池の成分を変質させ魚が太り出し、死体隠匿が発覚したという話も思い浮かべる。
日本では、法によって「火葬」が定められている。そこで、「私は灰になりたくない」という故人の意思は尊重されていない。
「環境に優しい技術」とか「人に優しい医療」とかよく聞くけれど、もっと多様な埋葬や葬送などがあってもよいのではないのか、と思う。
アメリカでは人工衛星で遺灰を打ち上げ永遠にカプセルが地球を回り続ける「宇宙墓地」なんかも計画されているが、日本では散骨でさえも認められていない。
石原裕次郎の海への散骨は行政当局が難局を示し、ついに実現しなかったという話は湘南あたりでは有名である。もっとも「葬送の自由をすすめる会」は死者を葬る方法は各人でいいはずと、自由化を求めて監督官庁に働きかけている。
ところで現在 管理する人がいないなどの理由から、お墓をなくす“墓じまい”を選択する人がいる。
少子高齢化、都市部への人口流入、先祖供養に対する意識の変化などを背景に、今ある墓を別の場所に移す「改葬」または散骨などによる「墓じまい」を迫られるという状況が生じているからなのだという。
欧米の場合は、遺骨よりも「遺体」の収容に重きを置いている。
パールハーバーには、日本海軍の奇襲攻撃で沈められた戦艦アリゾナが眠っているが、艦内には千人を超す将兵の遺骨もそのままになっている。
ところが乗組員の遺骨をなんとかしようという声はまったくあがらない。
そんなアメリカでも戦時における遺体収容への思いは強いようだ。敵に包囲されてヘリコプターが接近できない場合、戦死者をいったん埋めて退散して、その後で収容に戻ってくるのだ。
最近では、韓国と北朝鮮の間で朝鮮戦争の平和条約締結の可能性が取り沙汰されているが、平和条約が締結されれば、米軍にせよ韓国軍にせよ北朝鮮軍にせよ、相互の領域で遺体収容(実質は遺骨収容)がなされるであろう。
日本人の遺骨への強い思いを示している物語としては「ビルマの竪琴」がある。
ビルマに侵攻しイギリス軍の捕虜となった日本兵小隊の一人・水島が行方不明となった。その後水島に似た僧が竪琴を奏している姿が、各地で見られるようになった。
しばらくするとそのビルマ僧が行方不明の水島とわかり、日本兵達は共に帰国することを勧めるのであるが、水島は亡くなった戦友たちの骨を拾い集めるためにこの地に残るという。
ほとんど自己主張することのない水島だったが、彼の心に宿った遺骨蒐集への強い思い、それが「ビルマの竪琴」のモチーフなのだが、日本人の遺骨への思いの背後には一体何があるのだろうか。
日本人には伝統的にアニミズムの意識をもつが、骨にはその人の霊魂がやどるという思い、その人がこの世に存在したという究極の形見とみることができる。
それが野晒しにされていることはとりもなおさず霊魂がさまようことでもあり、何とかしてあげたいという気持ちに突き動かされると推測できる。
それにしても火葬後、故人の全身の骨を前にするのは、はじめはショッキングなものだ。
死んだだけならば肉体はまだそこにあるのだが、火葬後にその肉体が灰にまで極限されることに対して、故人への思いが強ければ強いほど平静な気持ちでいることは難しい。
そこで同じ火葬であっても、人間の尊厳にふさわしい火葬のありかたを追求した人がいる。
鳴海徳直という、火葬炉の開発により勲章をいくつももらった人物である。
鳴海の火葬炉の開発の動機は、自分の母親が粗末な施設で火葬さらたことへの慙愧の思いだったという。
この人物の努力により、できるだけ原形をとどめるように絶妙な火加減が実現した。それは「芸術的」といわれるまでの火葬技術なのだ。
鳴海の技術開発へのコンセプトに柿本人麻呂の歌があったのだという。つまり「野焼き」だ。
「こ も り く の 泊 瀬 の 山 の 山 の 際(ま) に い さ よ ふ 雲 は 妹 に か も あ ら む」。
空にたなびく雲のおうな煙を自分の妹を焼く煙かもしれない意味の歌をのこしているが、鳴海は、遺体に短時間に熱量を加えると火葬炉内で急激に変形することがいたたまれず、「野焼き」の環境に近いものを実現しようとしたのである。
野焼きは比較的低温で行われほとんど熱による形状の変化を受けないので、自然のまま火葬され収骨ができる。
薪と藁を組み合わせることによって発生した均一な温度が、遺体の可燃成分に静かに働きかけ、上昇気流に乗って運ばれてきた空気により、自分自身で燃えることができるからである。
遺体を焼く煙が黒々と濛々立ち昇ったならば、人麻呂の歌もあのような静かな哀切の歌ではなくて、慟哭の歌になったであろう。
日本の野焼きにおいて遺体にやさしく火がまんべんなくいきわたり、白い煙がたなびくごとく、つまり雲として天にあがっていく風景がそこにあらわれていくのである。
そこで野焼きの原理を火葬炉の構造にとりいれ、白雲が天にのぼっていくものを実現できるというわけだ。
さて、上記の柿本人麻呂の歌に、松任谷由美(荒井由美)のデビュー曲「ひこうき雲」を思い浮かべないだろうか。
「空にあこがれ 空をかける」ことを望んだ夭折の友人の死を歌っているが、そのメロディーを聞いて、あれが「死者」を歌った歌だとは気づかないくらい、明るくさわやかな曲調である。
♪ゆ ら ゆ ら か げ ろ う が あ の 子 を 包む 
誰 も 気 づ か ず た だ ひ と り あ の 子 は 昇っていく♪
誰もが早すぎる死にただただ悲観するなか、「けれど幸せ」と死者の側の観点から友人の死を肯定的にとらえようとしている。
「ひこうき雲」は、湿っぽいことをカラッと歌ったのだが、「ほかの人には わからない」と二度ほど強く打ち消したフレーズに、どうして?という悲しみが伝わってくる。
最後は、「彼女の命はひこうき雲」と結んでいる。
「ひこうき雲」は1973年当時、旧姓「荒井由美」の名を一躍知らしめる大ヒット曲となったが、歌そのものよりもその世界観がどこから生まれたのかに興味がわく。
松任谷が学んだ聖公会設立の立教女学院に学んだことが大きいに違いない。
イギリス国教会に該当する宗派で、教会音楽でしばしば演奏されるバッハに魅かれたということと無関係ではないであろう。

東京ドームに近い地下鉄「茗荷谷駅」を降りて丘を登ると、「切支丹(キリシタン)屋敷」跡地に着き、それを示す石碑が立っている。
鎖国禁教時代に、屋久島に潜入したシドッチや筑前(宗像市大島)に漂着したイタリア人宣教師ジュゼッペ・キャラらが、1792年の宗門改役の廃止まで使用され、20人のキリシタンが収容されたと記録に残っている。
キリシタン屋敷跡では、埋蔵文化財発掘調査が行われきたが、2014年7月この場所で3体の人骨が出土し、調査が進められていた。
そしてDNA調査の結果驚くことが判明した。そのうちの1体が、DNA鑑定や埋葬法などの分析を総合した結果、禁教時代のイタリア人宣教師ジョバンニ・シドッチ(1667~1714年)である可能性が高いことが判明したのである。
シッドチは、徳川6代将軍に仕えた新井白石が尋問し「西洋紀聞」などにまとめたことで知られている。
発見された三体の人骨の1体は、国立科学博物館によるミトコンドリアDNA鑑定で、西洋系男性、現在のトスカーナ地方のイタリア人のDNAグループに入ることが判明、さらに人類学的分析で、中年男性、身長170センチ以上であることが判明した。
キリシタン屋敷に収容されたイタリア人は、2人の宣教師しかいないことが明らかになっており、それが前述のキャラとシドッチである。
この2人のうち、文献史料にある「47歳で死去、身長5尺8寸9分(175・5~178・5センチ)」というシドッチに関する記述が、人骨の条件にピタリと合ったのだ。
また、この人骨がシドッチのものである可能性を高めるもう一つの根拠となったのが、「土葬」というその埋葬法である。
イスラム教では、火葬は火あぶりと同じと見なされ、地獄に落ちたものが受ける拷問とされている。
キリスト教では、特にカトリックでかつて「火葬せよとの遺言はこれを執行してはならない」と教会法に定められ、火葬が背教のように見なされていた。
1975年の第二バチカン公会議において火葬も教義に反しないとされ、事実上は火葬も解禁となっているが、いまだに土葬を願う声が多い。
文献史料によれば、シドッチはキリシタン屋敷の裏門の近くに葬られたとされている。
このたび発見されたイタリア人人骨の出土状況は、シドッチ埋葬についての記述と「一致」し、棺に体を伸ばしておさめるキリスト教の葬法に近い形で土葬されていたという。
一方で84歳で死去したキャラは、小石川無量院で「火葬」されたと記録に残っている。
一方、キャラはキリシタン屋敷に禁獄中に「転向」し、岡本三右衛門と名を改めて、幕府の禁教政策に協力し比較的優遇された生活を送った。
この人物こそ、遠藤周作の「沈黙」のモデルとなったロドリゴ神父である。
一方、1708年にフィリピンから屋久島に上陸したシドッチは、背が高すぎたせいか、念願の日本にたどり着いた直後に捕らえられ、死ぬまで江戸のキリシタン屋敷で獄中生活を送ることになった。
ただ、シドッチは、時の幕政の指導者で儒学者の新井白石から、直接取り調べを受け、互いの学識に敬意を抱きながら学問的対話を行ったという。
こうした対話の中で得られた世界の地理、歴史、風俗などは、白石によってまとめられ世界地理の書「采覧異言」が書かれている。
幕府は、シドッチをキリシタン屋敷へ「宣教をしてはならないという条件」で幽閉することに決定する。
シドッチは囚人的な扱いを受けることもなく、二十両五人扶持という破格の待遇で軟禁された。
ところがシドッチは監視役で世話係だった長助・はるという老夫婦が、木の十字架をつけているのが発見され、二人はシドッチに感化され、シドッチより洗礼を受けたと告白したことから、シドッチと共に、屋敷内の地下牢に移された。
その後のシドッチは、きびしい取扱いを受け、10か月後に衰弱死したのである。
同じイタリア人宣教師の二人、キャラは火葬でシドッチは土葬であった。
二人の「埋葬法」の違いは、2人が日本でたどった道が対照的であったことを暗に示している。