記憶か忘却か

5月1日、令和天皇即位により、平成から令和へ元号が変わった。元号が変わることによって、嫌なことは忘れ新たにスタートをしようという気持ちにさせられるのだから、結構いい仕掛けなのかもしれない。
この日をもって、時代に区切りをつけるということでもある。
さて、我々が学校や社会で教えられた「良心」というものの中に、ものごとに対して誠実に向き合えとか、真実をごまかすなというものがある。
確かにそうだが、それがすべてではないということをその想像力でもって教えてくれたのが、2017年ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロである。
イシグロの代表作に「忘れられた巨人」がある。
イシグロが、この小説に取りかかろうとしていた時に考えたことは、英国やアメリカ、日本、その他の色々な国の人々が忘れたいと思っている出来事についてだったという。
そしてどの国も、忘れたい「巨人」を埋めこんでいて、それを呼び覚ますことにどれほどの価値があるのかという問題を提起した。
個人レベルに絞っても、わざわざ蒸し返さなくてもよいことをほじくり出して、周囲を困惑させている人もいるし、国家レベルでも、忘れられた方がよほど平和に済むことをわざわざ引っ張りだして、対立を煽っているようにしか思えない場合もある。
その一方で、ドイツの大統領ワイツゼッカーの有名な言葉が思いおこされる。
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」。
史実に向き合うこと、その史実を記憶することの大切さを説いたものである。
イシグロの小説の主題とは、そうした過去を忘れることが最善なのか。 それとも自分はその過去と向き合うべきなのかと思い悩む人々に関することなのだという。
正義の実現のためには、過去と向き合うことは大切であるももの、前進するために、結束を守るために、コミュニティが分裂して内戦に陥ったりするのを防ぐために、過去と決別することも大切なのだ。
世界中で、暴力と内戦の連鎖に陥っているのは、過去に起きたことを忘れられないからで、イシグロは「忘れる」ことの価値を提起した稀有な小説家ともいえる。
「忘れられた巨人」の舞台設定は7世紀のイギリスらしく、アーサー王が姿を消した後のブリテン島である。
主人公はアクセルとベアトリスの老夫婦で、勝者である側のブリトン人で、なぜか同族の集落から「排除」の対象になっている。
その原因が何であるのか、当人も村の住民も分からないのであるが、それは「霧」によって、誰もが過去を失ってしまっているからだ。
島にはグエリグという雌竜がいて、その吐く息によって忘却の「霧」となって、ブリトン島を覆っているためである。そんな中、老夫婦は意を決して、息子を訪ねる旅に出る。
次々と困難に会いながら、老夫婦は息子のいるはずの村を目指しながら、なぜか竜退治に巻き込まれて行くことになる。
その道程で、アクセルは自分がアーサー王の下で法をつかさどる役目であったが、裏切りを行ない、逆にアーサー王を面前で罵倒した人物であったことがわかる。
その結果、戦いによる多くの人の殺人、虐殺などが起きるのだが、霧がその殺戮を忘却させることでどうにか平和を維持するこができている。
かろうじて保たれていたサクソン人とブリトン人の平和は「忘却」の霧が人々を覆っていたからであるがそれが殺された時に起きたことは、再びの戦乱。そして殺し合い、憎しみの連鎖である。
そしてアクセルとベアトリスという老夫婦の間で起きた、昔の記憶さえもが蘇ってくる。それは、二人にとって、忘れておきたかった辛い記憶であった。
さて、日本社会にも「忘れられた巨人」がある。
何十万人の日本兵が異国の地から帰還した。しかし彼らは、やったこと、やらなかったことをどれほど語ったのだろうか。
例えば、日本を訪問する中国残留孤児などの話などで、そんなことが浮かび上がる。
名乗りでない親の中には、胸の中にそのことを封印した人々もいるに違いない。
それに向き合ったところで、誰も幸せにならないし、新しく生き直すには過去と決別する去ることの方がよほど大切なのだ。
人間には、「忘却」という能力によって幾分救われている部分もある。
しばしば、日本人とくらべ過去と正面と向き合っえいるといわれるドイツ人はどうであろう。
現在もネオナチがいたり、「ホロコーストを知らない」なんて言うドイツ人の子供、若者もいるので、必ずしも全員が真摯に過去に向きあっているとはいえない。
戦後、ナチス幹部は処断され、一般市民はナチスの蛮行を収めた映像を見ることを課された。
その一方、敗戦から数年後にもう西ドイツは「過去との決別」を宣言し、将校や公務員の過去調査を打ちきった。
官庁幹部、会社経営者、医師、教師など重要な職業で彼らはすばやく元の地位に返り咲く。
たとえば1951年の時点で、ある州では判事、検事の9割が元ナチス党員で、大蔵省職員でも7割がそうであった。
復興には元ナチス党員の力が欠かせなかったからで、ドイツは、ヒトラーを(悪者として)世界に差し出すことで、処罰も道義的責任も逃れたという見方もなりたつ。
フランスでは、「ビシー政府症候群」と呼ばれる現象が起きている。
南仏ビシーにあったナチス傀儡政府に協力したフランス人たちが、ナチスに協力した記憶を封じ込めてしまったことを指す。
フランスに限らず、ナチスと妥協してしまった国では戦後どこでも、暗い記憶から目をそむけ、あるいは好都合な方向に記憶を変えるという現象が起きた。
戦後の欧州は「悪いことは何も起きなかったことにしよう」という「集団的記憶喪失」の道を選んだのである。復興のためには、それ以外に他に方法がなかったといえる。
つまり、ドイツが過去と向き合っているのは、国家としての「過ち」であり、各個人がそれを告白するほどに過去に向かいあっているとまではいかないようだ。
ヨーロッパ全土に、ナチスドイツに加担したり、協力した国にはそのような人々も多数いるので、ドイツ人だけを追い詰めることはできず、それは「忘れた方が得策だという判断も働いたに違いない。

昔から、日本人には不思議と過去を水に流す能力が備わっているようだ。
日本の高度経済成長にを可能にしたのは、時代に区切りをつけ再出発できたからだともいえる。
アメリカ人ジャーナリストが書いた「敗北を抱きしめて」というノンフィクションがある。
著者はアメリカ人ジョン・ダワー、1938年生まれ、現在はマサチューセッツ工科大学教授、著書に「吉田茂とその時代」などあり、過去に日本に滞在したことがある。この書は全米で大変な反響を呼び、ピュリッツアー賞ほか沢山な賞を受賞した。
巻・箱書きをそのまま写すと「1945年8月焦土と化した日本に上陸した占領軍兵士がそこに見出したのは、驚くべきことに、敗者の卑屈や憎悪ではなく、平和な世界と改革への希望に満ちた民衆の姿であった。勝者による上からの革命に、敗北を抱きしめながら民衆が力強く呼応したこの奇跡的な「敗北の物語」を米国最高の歴史家が描く」。
過去を水に流して新しいスタートを切るという精神性は、どのように生まれたか。
一つは四季という循環の中で、新しい生命の誕生を体験してきたということ。日本人が、「初日の出」や「初孫」など「初」を重んじるのは、何ものにも汚されていない新たな始まりを重視するからかもしれない。
そんな日本人にとって昨年末、韓国発で降って湧いたように起きた「元徴用工」問題などは、理解しがたいものがある。
過去に暗い問題があったにせよ、なぜ今頃になってという気分にさせられる。
こうした疑問には、政治的な駆け引き以前に、韓国の「恨」(ハン)よばれる精神性に注目したい。
そして「恨」が日本に向けられるのは、「中華思想」が深く関わっている。
さて中国の漢民族は、自分たちを周辺国より絶対優位にある民族と位置づけ、周辺国は文明化していない野蛮人ときめつける。そして、世界のすべては中国皇帝のものと考える。
現代でも、中国(人)は、南シナ海は中国の支配下と主張する。尖閣諸島はもちろん、沖縄さえもわが物にする野心を隠さない。
朝鮮民族は中国皇帝に服従し、中華思想と儒教を丸ごと取り入れることで小中華となり、他の周辺国よりは優位にあると考える。
だから、周縁に位置する日本は韓国からみたら「下の国」であるはずだ。
2014年に7月、当時の升添東京都知事は、ソウルの青瓦台で朴槿恵大統領と会談した。大統領と握手するが、大統領よりも升添知事の方が背が高いので、深々と頭を下げなければ握手ができない。
それを映像で見せつけることによって、韓国メディアはあたかも私が朴槿恵大統領に臣下のごとく振る舞っているかのようなイメージ作りをしたのだという。
また、最近の韓国の国会議長が語った、天皇が一言謝ったら慰安婦問題は解決するなどという発言にも垣間見られる。
要するに、日本が韓国よりも経済的・文化的に上であることに我慢できないという面がある。
さて日韓の文化比較の本で知られる呉善花によれば、日本では、怨恨のなのだ”怨”も”恨”もだいたい同じ意味で使われているが、韓国の”恨”は、韓国伝統の独特な情緒なのだという。
恨は単なるうらみの情ではなく、達成したいけれども達成できない、自分の内部に生まれるある種の”くやしさ”に発している。
「恨」はもともと他人を恨むのでなく心の奥底の欲求不満が韓国人の活力であり、前に進む原動力なのである。
そして「あるべき姿」が実現できないと、自分に対する”嘆き”として表われ、そこに外部から阻まれる因子があれば”うらみ”として表われる。

昨年、10月30日に韓国の大法院(最高裁に相当)が「元徴用工」に対して、日本企業に計4億ウォン(約4000万円)の支払いを命じた判決が出た。
さて、日本は第2次世界大戦中、労働力不足を補うため、日本が統治していた朝鮮半島からも人員を動員した。
最初は募集広告を通じ、戦争の最終段階では「国民徴用令」によって、本人の意思に関係なく労働させた。
4人の原告について判決文は、一般的呼称である「徴用工」という表現は使わず、強制動員被害者と呼んでいる。つまり、国民徴用令にもとづくものではなかったからだ。
原告のうち2人は、平壌で出した大阪製鉄所の工員募集広告を見て応募したが、応募の条件とは随分異なる、1日8時間の3交代制で働き、月に2、3円程度の小遣いが支給されただけだった。
賃金全額を支給すれば浪費するからと、本人の同意を得ないまま、彼ら名義の口座に賃金の大部分を一方的に入金し、その貯金通帳と印鑑を寄宿舎の舎監に保管させたのだという。
賃金は結局、最後まで支払われず、ほかの原告も当初の話とは全く違う苛酷な条件で働かされたというものであった。
さて、日本と韓国は1965年の「日韓基本条約」で、戦後補償問題の賠償請求など国家間の請求権はに決着をつけたことにより、日韓関係が正常化したとされる。
このたびの判決文も、国交正常化の経緯については認めている。ただし「請求権協定は日本の”不法な”植民支配に対する賠償を請求するための協定ではなく、日両国間の財政的・民事的な債権・債務関係を政治的合意によって解決するためのものであったと考えられる」と判断している。
つまり原告である強制動員被害者に関していえば、「未払い賃金の返済」についてはなんら応えてもらっていないということになる。
韓国と日本の政府は、日本による統治(植民地支配)の補償額や対象をめぐり意見が食い違い、交渉は難航した。
この原因は、統治の合法性につき日本は合法、韓国は不法(合意なし)と主張していたが、曖昧にされたまま1965年に「国交正常化」が実現した。
これに伴って結ばれた「日韓請求権協定」に、請求権問題は「完全かつ最終的に解決されたことを確認する」と盛り込まれた。
日本政府は韓国に3億ドルの無償、2億ドルの有償支援を行った。韓国はこれを主にインフラ投資に使い、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げた。
韓国では、2000年代以降韓国での民族主義の高まりから、「漢江の奇跡」とよばれた韓国の経済発展や経済危機からの脱出は民族の力だとする考え方が強くなり、「経済発展に日本からの助けがあった事」を許容できず、日本の経済援助を否定する傾向がさえも生まれた。
また、日本の韓国における農村のインフラ整備が、韓国の農業の近代化(セマウル運動)に大いに貢献したなどということは、「恨」の観点からすれば視界の外におかれるべきことなのだろうか。
さて、最高法院の「判決文」は、強制動員被害者に「賠償の権利」を認めた理由について次のような説明している。
今回の訴訟は「原告らは被告に対して未払賃金や補償金を請求しているのではなく、 上記のような(強制動員への)慰謝料を請求している」(判決文)のである。
なにしろ韓国は、日本による統治を「不法」としているのだから、1965年の請求権協定に含まれていない慰謝料を請求できる、ということだ。
そもそも、自分の財産などを毀損された場合、相手に補償や賠償を求めることができる「請求権」は、人間の基本的な権利とされており、消滅させることはできないとの見解が多い。
そこで、日本政府が外交上の知恵を働かせた。
日韓基本条約は「請求権協定」は結んだが、厳密に請求権に応じたというより、いわば経済支援なのであり、提訴などの権利を主張しないと約束してくれさえすればそれ相応の金は出す。
韓国側も、いちはやく経済支援が欲しい韓国側もこの条件で受け入れた。
つまり、「請求権」の内容に曖昧さを残したまま「国交正常化」がなされたということだ。
一番の問題は、大韓民国政府と日本政府が強制動員被害者たちの精神的苦痛を過度に軽視し、その実像を調査・確認しようとする努力すらしないまま「請求権協定」を締結したということにほかならない。
その一方で、「元徴用工」が提起した問題は外交で曖昧にやり過ごした点を、過去にさかのぼって、白日の下にさらしてしまったことによって、かえって解決策が見出しにくくしたといえる。
過去にさかのぼり真実を暴くことが、新たな「火種」ともなるのだとしたら、どうであろう。
実際、韓国海軍による自衛隊機へのレーダー照射はアワヤという地点にまで発展したことと元徴用工問題とは無関係とは思えないタイミングだった。
しばしば言われることは、加害者は過去を忘れても被害者は忘れないということ。
しかし、アパルトヘイトと戦い27年間監獄に収容されたネルソン・マンデラの言葉は重い。
「勇気のある人々は平和のために許すことを恐れない」。さらには、「過去を忘れなさい」という言葉もある。
過去の記憶が、双方の現状未来にどれほどの益があるかと考えると、前に進むためには忘れることも必要ということであろう。