データと人間

2003年「はやぶさ」プロジェクトは世界に先駆けた挑戦だった。
何しろ、この広い宇宙のなかで芥子粒ほどの小惑星イトカワから物質を集めて、「地球創生」または「宇宙創生」の秘密をさぐろうというのだから。
この「はやぶさ」の成功が感動的だったのは、8年をかけての帰還。それも幾度か「ダメか」という窮地においこまれつつも、自動復元しながら帰ってきたことである。
この奇跡のっような帰還に、プロジェクトリーダー川口淳一郎の心が、「はやぶさ」に通じたように思えた。
しかし、そこには、都合の悪いこともを世界に公けにしようという澄んだ心があった。
実は、イトカワの表面はとてもゴツゴツしていて、探査機が着地できる状況ではなかった。
そこで、シャトルから弾丸をはなち、そこからマキ上がる物質を採取するという方法がとられた。
そして弾丸が発射されたという信号が地球におくられ、管制室の「はやぶさ」スタッフはこの成功に、湧きに沸いた。
また「世界初の快挙」というニュースが世界にも伝えられた。
ところがわずかその1週間後に、プログラムミスがみつかり、弾丸が発せられていなかった可能性があること が判明した。
川口自身が知らないほうがよかったともらした情報で、隠そうと思えば当面は隠せるものであった。
しばらくは、消沈していた川口氏であったが、その事実をあえて世界に公表したことが、逆に「はやぶさ」プロジェクトの信用性を高めることになったという。
信号さえも届かない長い時間の経過に諦めムード漂う中、わずかの可能性を信じた姿こそが、スタッフの気持ちと文科省(つまり予算)を繋ぎとめたのである。
「はやぶさ」プロジェクトのように前例のないことは実験に近いが、実験室のように様々な条件をコントロールできるわけではない。
その一つに、社会的実験というものがある。
例えば、宗主国(または占領軍)が、本国できなかったような政策を植民地(占領地)で実験することはある。
また、戦時中マルクス経済学を学んだ日本の「革新官僚」達が満州で行ったこととか、連合軍のアメリカ・ニューディーラー達が、日本の占領下で行ったことというのは、やや社会的実験に近いといえる。
現代社会においても、社会的実験というものは膨大なリスクをともなうので、地域限定の「特区」の設置とか、時間限定の「特例法」によって、試行的に行うことはできる。
ここで、政策と実験の違いを定義すると、政策は過去の経験を踏まえて結果がある程度予測できるもの。
対して「実験」は、多くを理論(仮説)にたより、その結果は予測が難しいものとしよう。
その意味でいうと、世界中で今行われている社会的実験が「ベイシック インカム」導入といってよい。
ベイシック・インカム(BI)とは、最低限の生活を営むに足る額の現金を、国民全員に無条件・無期限で給付する制度のことで、それによって人々の労働意欲は上がるのか、下がるのかという点についての実験である。
それは、北欧やアメリカなどで時間や地域を限って行われている。
また、アベノミクスは、異次元緩和つまり前例がない金融緩和という意味で社会的実験に近い。
実験が「仮説の検証」ということなら、インフレターゲットである物価上昇2パーセントの旗を降ろしたという時点で、少なくとも成功とはいえないということだ。
一方政策とは、過去の結果を踏まえて、効果を予測して行われるが、財源が限られているなかから、効果ある政策が出せるかは非常に重要な問題だ。
そこで、統計データなど「証拠」に基づく政策立案を進めようとしている。この考え方は1990年代、財政が切迫する中、より税金を有効に使おうというイギリスで生まれた。
医師の勘頼みではなく、臨床試験で効果が確認できた医療を提供しようという科学的根拠に基づく医療が起源である。
ちょうど「バリアフリー」の思想が建築分野から生まれたように、EBPMは医療分野から生まれ、行政全般に広がった。
例えば、教育政策におけるEBPMについてふれると、次のようなケースが行われている。
米国の多くの州で、不良少年の更生のために「受刑者と対話させる」というプログラムが行われてきた。
少年の多くはその後更生したので、効果があると思われていた。
しかし、不良少年グループの一部がプログラムを受け、残りは受けないという比較実験をしたところ、受けたグループの方が後に犯罪で逮捕される確率が高いことがわかった。
理由は不明だが、証拠に基づかない政策が、効果どころか悪影響をもたらす。
公教育の民営化が進む米国では、「教員が非正規雇用でも生徒の成績は下がらない」といった根拠に基づき、低賃金の非正規教員を増やし、正規教員が職を失っている。
とはいえ、この根拠は、学力を単一のものさしにしたデータにすぎず、長期的には学校生活がゆがんだり、学校が塾化したりする弊害が指摘されている。
また日本の大学では次のようなことが起こった。
1970年代に、産業界からの大学院卒業生の研究能力を高さを求める声におされて、旧文部省も大学の学術研究レベルを上げる必要を感じ、それには新制大学にも博士課程の設置が必要と考えるようになった。
そこで、文部省は旧帝大ばかりではなく新制大学に大学院設置を認める「設置条件」をつくった。
それは、その学科に所属する教授のうち、博士論文が指導できる資格のある教授は、7~8割りを超えていなければならないというもの。
さらに、文部省に研究業績の詳しい報告書を出して資格があるか審査を受けねばならなくなり、審査結果は教授名簿一覧に「合」の記号で通知された。
これは教授陣にとっては晴天の霹靂で、博士課程の設置が却下された場合には、その責任が問われる事態になることを意味した。
そこで教授の誰もが「合」を得るために必死の努力をするようになった。それ自体はヨイことだが、次第に文部省が「合」を出す基準が単に「論文の中身」ではなく「論文の数」であることが判り始めてきた。
そこで教授達は、それまで1年に1本しか書かなかったところを、1年に3~4本の論文を書くようになり、皆が「合」の資格を得ることを目指した。
教授の中には、論文の数を増やすためにやたらと「共同研究」がなされはじめ、その際に「名前の貸し借り」までが行われるようになった。
あるいは、論文を一度に出さずコマ切れにして出すようなことまでするようになった。
具体的には、3つの材料で1つの論文を書くところを、3つの材料で3本といった具合にして、論文の「数を稼ぐ」といったことが行われるようになったのである。
そこで「論文の数」ではなく、「論文の質」を評価すべきだという声が上がり始めた。
アメリカでは、論文の質を表す指標として「論文の引用件数」を表すサイテーション・インデックス(SCI)とか、発表雑誌のインパクト・ファクター(IF)が広く使われるようになっていた。
そこで日本でも1990年代より、これらを「論文の質」を表すものとして採用されるようになっていった。
ただし教授たちは、論文のテーマを「引用数」を意識した方向に切り替えていくことが予想できる。
このことから学ぶことのひとつは、「観点別評価」などをあらかじめ与えると、人はその観点に沿うべくそつなく書いたり行動したりするため、本来人が持っているオリジナリティーを奪い取る結果になるということだ。

アメリカで、軍事が経済学と結び付けられたのがベトナム戦争である。
アメリカで最も優れた頭脳の持ち主達が、諸条件の下、べトコン一人を殺すためのコストを計算していたことが判明した。
そこで皮肉を交えた言葉が、最高で最も賢明な人々(ベスト アンド ブライテスト)であったのである。
実は、太平洋戦争の背後に、日本で最も優秀な頭脳を結集した組織があり、「秋丸機関」と呼ばれていた。
日本に経済国力がないことを前提として、全面経済封鎖という万一の場合に備え、対英米の総力戦に向けての打開策を研究するために、陸軍省軍務局軍事課長の岩畔豪雄大佐が中心となって陸軍省経理局内に研究班が設立された。
そして、岩畔大佐の意を受けて、満州から帰国したばかりの秋丸次朗中佐が率いたので「秋丸機関」とも呼ばれた。
秋丸中佐は、人民戦線結成容疑・治安維持法違反で検挙され保釈中のマルクス経済学者で東大経済学部助教授(求職中)の有沢広巳に英米班主査への就任を要請した。
有沢広巳は、総力戦に於ける統制経済や自給体制の専門家として名が知れていた。
陸軍は、軍国日本が戦争を遂行し勝利を収める為に、治安維持法違反で検挙されたマルクス主義者であっても有能な人材ならば集めて、機密作業に従事させた。
転向組(隠れマルク主主義者)のうち有能な人間は、超エリート革新官僚となって「企画院」などに配属されていた。
秋丸機関のメンバーをいうと、国際政治班主査に、東大教授の蝋山正道。日本班主査に、東京商科大学教授の中山伊知郎など錚々たる名前が並ぶ。
戦争経済研究班は、陸軍と企画院から日本、アメリカ、イギリス、ナチス・ドイツ、中国の多方面に亘る機密情報の提供を受け、総力戦の為の研究を進めた。
最終報告書は、日米開戦は長期戦となり国力差から敗戦必死との結論に達したが、若し戦争が避けられないのであればとしての科学的合理的な南方戦略、つまり太平洋を南下して資源をおさえるという方向性を提案した。
実は、陸軍は、仮想敵国をソ連と定めて研究していたが、アメリカは海軍の対象国として研究してこなかった。
日中戦争の長期化の原因が、アメリカとイギリスの蒋介石への経済軍事支援である事は明らかな以上、急遽アメリカを研究対象に加えた。
つまり、次期戦争を遂行目標として主として経済攻勢における研究対象国は、経済大国のアメリカであった。
そして大勢は、日米の国力差や戦略物資の「対米依存」などから、対米戦争は長期戦となり勝ち目がなく、アメリカとの戦争は絶対に不可能であるというものであった。
それにもかかわらず、旧大日本帝国は、1941年の12月8日に、対米戦争をはじめているのはどうしてか。
それは、対米開戦が好ましくなく、経済資源や工業力などから日本が敗れると論じた秋丸機関の報告書を、軍が握りつぶしたのということである。
軍の意向に反する報告であるから表にだすわけにはいかないので、闇へとほうむったというわけである。
この筋書きは非常に分かり易いが、最近でた「経済学者たちの日米開戦:秋丸機関"幻の報告書"の謎を解く」(牧野邦昭著)は、そのような通説を覆すものであった。
著者によれば、秋丸機関につどった経済学者たちも、沈黙をしいられたわけではない。
日本の国力が圧倒的に劣ることを、何度となく当時の総合雑誌でのべている。機関の報告書に書いたようなことを、公表してもいた。
また、軍もそれを咎めている様子もない。
その点に気づいた著者は、軍による焚書という通説に疑問をもった。
確かに、秋丸機関の研究者の中には、弾圧をこうむった者もいるが、それも彼我の経済格差をあばいたからではなく、左翼的な前歴が一部であやしまれ、軍としても対処せざるをえなかったせいだということだ。
問題は、日本の国力は、とうていアメリカにおよばない。軍はそれを知悉し、また有識者の多くも気づいていることを知りつつ、戦端をひらいていたのはどうしてかということだ。
この本のユニークな点は、最近話題の多い「実験経済学」(行動経済学)すなわち人間は合理的に行動するとは限らないということを、日米戦争の勃発に取り込んだ点である。
そこで注意したいのは、「秋丸機関」の報告書は、アメリカに勝つための戦略ではなく、日米の国力差を考慮した上で負けない為に如何にして戦うかについての戦略立案であった。
実は、行動経済学(プロスペクト理論)によれば、利益を得るためにはリスクを冒さない人でも、損をしないためにはリスクを冒すことがあるということだ。
その実験によれば、人間は目の前に利益があると、利益が手に入らないというリスクの回避を優先し、損失を目の前にすると、損失そのものを回避しようとリスクを冒す傾向があるということである。
この結果を戦争にあてはめると、人には勝つためにリスクを冒すことは少なく、負けないためにリスクを冒すということになる。
秋丸機関は、緻密で合理的な思考から資源や工業生産力などを比較分析している。軍人たちがそれを知らないわけでも理解していないわけでもなかった。
つまり、日本の国力の圧倒的に不利な現実と敗戦の可能性を十分に認識しながらも、彼らは戦争の道を突き進んだのである。
それは、合理的な思考を有する経済学者や軍人たちが「現状維持よりも開戦した方がまだわずかながら可能性がある」というリスク愛好的な選択から、開戦へと進んだのだ。
ことわざでいえば、「窮鼠(きゅうそ)、猫をかむ」が、よくあてはまる。
また、「座して死を待つよりは、出でて活路を見出さん」という言葉もある。
さて現在、厚生労働省による毎月勤労統計における不正が問題化している。
「働き方改革関連法案」を巡る国会審議で、政権には「裁量労働制を拡大したい」という大方針があり、2013年6月の日本再興戦略に盛り込み、閣議決定した。 問題となったのは、その根拠となるデータについてである。
裁量労働制に関する実態調査のデータには2種類あった。
一つは労働政策研究・研修機構が行った調査で「裁量労働制の労働者の労働時間が一般の労働者よりも長い」など、政府方針に合わないデータを含んでいた。
そこで、厚生労働省は機構のデータは伏せて、労働基準監督署が行った別の調査のデータを審議会に提出した。
さらに「裁量労働制の労働者の労働時間が一般の労働者よりも短い」ことを示そうと、異なる取り方で得られたデータを加工して無理やり比較したということが判明している。
行政はこれまでも、予算獲得に都合がいい変化があった数字だけ強調したり、ある期間だけの数字を切り出したりといったことはしてきた。
しかし元データ自体は正直に公表し、国民もこれを確認できた。
厚労省の「データ加工」は、もはや役所がやってはいけないレベルにまで踏み出してしまったといえる。
ここまで役所が政権を忖度(そんたく)するようになったのは、内閣人事局が省庁の幹部人事を一手に握るようになり、政権に都合の悪い動きをした人は左遷し、政権の意向に沿った人は昇格させているとされることが背景にある。
それは財務省局長による「公文書改竄」指示と同じ構図にあるといえよう。
さて、戦時中における秋丸機関の報告に対する軍の対応などを見ると複雑な気持ちにさせられる。
問題なのは、データの中立さや正確さだけではなく、人間がそのデータとどうつきあうか、ということだ。
人間は正しいデータにせよ虚偽のデータにせよ、聞きたいものを聞き、見たいものを見るというバイアスがかかる。
夏目漱石の言葉に「知に働けば角が立つ 情に棹させば流される とかくにこの世はすみにくい」(草枕)という言葉があるが、この言葉の「情」を「情報(データ)」におきかえてみたい。
公共政策の場合、データの中立さや公正さを否定するつもりはないが、誤解を恐れずにいえば所詮データなのだ。
市場万能主義ならぬ「データ万能主義」の行き着く先は、政治や政策をAI(ビッグデータ)に任ねるということに他ならない。