マリーゴールド

アラビア半島南端の国・アラブ首長国連邦(UAE)の首都ドバイの街づくりのコンセプトは人々の”度肝をぬく”というところにあるようだ。
その代表が、2010年にオープンの166階、高さ約828mで世界一高いビルの座に君臨する「ブルジュ・ハリファ」。
写真でみると、荒涼とした砂漠と近代的なビルが融合した不思議な景色が広がっている。
第二は、アラビア湾に浮かぶヤシの木の形をした世界最大の人工島「パーム・ジュメイラ」。地上にいてはカタチが全くわからないので、上空からみれるようにヘリコプターツアーが用意されている。
さらに、アメリカのディズニー・ワールドの2倍以上の規模の「ドバイランド」や世界最大の「スキードバイ」という人工スキー場。灼熱の砂漠に人工のゲレンデを造るという発想もすごい。
最後に、「ドバイ・ミラクル・ガーデン」は、砂漠の真ん中に造られた「フラワーパーク」で、世界最大のフラワーアレンジメントで知られている。
そこに、どのような花が植えてあるのかというと、熱さに強い花でなければならず、種類は限定される。
マリーゴールド、ペチュニア、ケイトウなど。
「マリーゴールド」は、日本ではポピュラーな花ではないが、アラブ首長国連邦の"国花"だという。
最近、日本のシンガーソングライター”あいみょん”の、♪麦わらの帽子の君が、揺れるマリーゴールドに似ている♪というフレーズのある「マリーゴールド」で、すっかり耳に馴染んでしまった感がある。
「マリーゴールド」は、英語では「marigold」と書き、「聖母マリアの黄金の花」という意味で、聖母マリアの祭日にいつも「マリーゴールド」が咲いていたことが由来とされている。
メキシコ原産のキク科コウオウソウ属の1年草で、花期は4月~12月。黄色、オレンジ、赤、白やクリーム色まで種類も豊富で、1つの花は10日間程度咲き続けるので、最盛期はかなり見応えがある。
畳まれた花弁がリズミカルで、花びらがくるっと丸まって頭を寄せるように畳まれていて、一つ一つ偏ってほどけるように開いていくのが特徴である。
黄色やオレンジ色の花をつける「マリーゴールド」は、ヒマワリと同じように「太陽」に結びつくイメージをもつ。
特に黄色が映え、日が昇ると花が開き、日が落ちると閉じる規則正しさと華やかさから、孔雀草、万寿菊、千寿菊、などというお目出たい名前がついている。
その一方で、”花言葉”は、「嫉妬」「絶望」「憎しみ」など、あまり有難くない。
「ギリシア神話」で、カルタという美しい少女が、太陽神アポロンに恋をした。彼女の生きがいはアポロンの側にいて、アポロンを見つめることだけ。
燃え立つ朝日が登るのを、日々野原で待ち焦がれているうち、恋の炎に焼かれるように徐々にカルタは衰弱し、体が消え、やがて魂だけになってしまう。
カルタの魂はかげろうのように太陽に吸い込まれ、その跡に1本の「マリーゴールド」が咲いていた、というもの。
「マリーゴールド」はアラブ首長国連邦の"国花"である一方、原産地のメキシコでは「死者の日」という日本のお盆に似た祝日に供える花とされている。
「マリーゴールド」の花は、アンビバレンツ、両義的存在といえようか。

新約聖書には、「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(マタイ6章)とある。
この言葉どうり、どの花ひとつをとっても”造化”の神秘を感じさられるが、花々は芸術性で人楽しませるばかりでなく、様々な”実用性”をもたらしている。
それは人間にとっての”実用性”ばかりではなく、花同志の繁栄につながるというような花も存在する。
その花こそが「マリーゴールド」で「コンパニオンプランツ」、言い換えると”共存(共栄)作物”といわれている。
「マリーゴールド」は、作物に対する病害の抑制効果をもつため、近傍に栽培することで互いの成長によい影響を与え共栄しあうという。
野菜類等とハーブ類等をうまく組み合わせて一緒に植えると、病害虫を防いだり、成長を促進したり、収穫量が増えたり、風味や芳香を良くしたり等、様々な良い効果を生み出す。
例えば、トマトに「マリーゴールド」やバジルを一緒に植えると、コナジラミなどの害虫を遠ざけ、トマトの生育を助けて味を良くする。寄せ植えすると視覚的にも楽しく、トマトとバジルは料理の相性も良いので、一緒に育てると便利である。
「マリーゴールド」はキク科に属するが、日本人に馴染んでいるのが、刺身の「つま」として添えられている「食用菊」である。
実は、刺身に使われている菊の花は、ワサビ同様「殺菌作用」のある薬味として添えられていて、花弁を醤油に落として食用にすることも可能なのだ。
海外でも花を食用とする国は少なくないが、刺身に添えられている「菊」のことはあまり知られていない。
また、「菊花紋章」は皇室の代名詞とされているので、日本人の中には、食用とすることには抵抗がある人がいるかもしれない。
「マリーゴールド」や菊のように、意外な花が人間の実用に供されている。
「マリーゴール」が太陽の花なら、「くちなし」は”日蔭の花”ともいわれている。
晩のしとやかな暗がりの中では、楚々としたこの花の姿がくっきりと浮かびあがる。
そんなイメージが渡哲也のヒット曲「くちなしの花」では、「指輪が回るほど痩せてやつれた」という薄幸のイメージがある。
とはいえ、初夏には雪白の六弁花が咲いて、なやましき芳香をふりまくのだが、歌詞の中でその香りにつき「旅路の果てまでついてくる」と表現されている。
そんな「くちなしの花」は、実用面でも幅広く利用されている。
くちなしの果肉中には色素クロチンが含まれ、「黄色」に染めることができ、平安時代から衣服の「染料」として使用されてきた。
さらに、江戸時代では、沢庵付けや強飯(こわめし)などの食品染色料として用いられ、天然色素でありながら無害というのは、自然食が見直されている今日において、髙い価値を有するものであろう。
郷土料理で、大分県臼杵地方では、実(み)を乾燥した粉末を混ぜて炊く「黄飯」があり、くちなしの花の実で染められた贅沢な「ご飯」が供せられるという。
我々にとって一番身近なのは、正月料理の「栗きんとん」の色で、くちなしの花の実により染められているのだという。
「くちなしの花」は、ヨ-ロッパやアメリカでは、イギリスの医師の名前に由来し「ガ-デニア」とよばれ、ガ-ルフレンドに贈る最初の花とされる。
「くちなし」は、日陰でもよく育ち、秋の終わりごろには黄赤色の実が熟し、その果実が熟しても割れないため「口無し」という和名の由来となったという説がある。
この「くちなしの花」を愛し、頭につけて歌ったのが、アメリカの伝説のジャス・シンガーであるビリ-ホリデイだった。
そのビリ-・ホリデイの代表曲が「奇妙な果実」だったのも、「くちなしの花」を連想させるものだ。
ただし、ビリーホリデーのジャズ・シンガーとしての名声はともかく、その生涯は”薄幸”を絵に描いたようなものだった。
布施明のヒット曲「シクラメンのかおり」はかなりデタラメな歌である。
「真綿色したシクラメンほどすがしいものはない」という歌詞があるが、そもそも「真綿色したシクラメン」のようなものがない。さらには、シクラメンは「かおり」を発しない。
実は、「シクラメンのかおり」は、作詞家・小椋桂の遊び心満載の歌で、北原白秋の詩集に黄色いマーカーを引いて、それを集めてアレンジしてはめ込んで作ったという。
そのうち小椋は、こんな純粋な思いなんてないし、なんだかウソッポイと思い始め、この歌詞が”つくりごと”であることをどこかでチャント言っておきたい気分に襲われたという。
そこで、香りのないシクラメンなのに「シクラメンのかほり」として、「うす紫のシクラメン」など、ありもしないシクラメンを歌詞に書き込んだという。
もっとも、この曲の大ヒットで品種改良がなされ、白やピンクなど様々な色のシクラメンが登場しているという。
シクラメンは元々地中海沿岸、トルコからイスラエルにかけて原種が自生している。名前は花茎がはじめ丸まった状態で発生することから「サイクル(Cycle)」から命名された。
古来は花ではなく、塊茎の澱粉を注目され「アルプスのスミレ」などの美称があり食用とされていたが、大航海時代以後ジャガイモがもたらされると、シクラメンを食用にする習慣はなくなったという。
ただ興味深いことに今なお「豚のえさ」などに使われているらしく「豚の饅頭」という別名まである。
次に一癖ありの花が、「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」。
この花は、サンスクリット語で天界に咲く花という意味で、おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ている。
サンスクリット語からついた曼珠沙華は日本では「彼岸花」とよばれ、田んぼの畦道などに群生し、9月中旬に赤い花をつけるため、お彼岸の頃に咲く花として親しまれている。
開花期間が1週間ほどなのに、秋の彼岸と時を同じくするかのように開花する彼岸花は、あの世つまり彼岸とこの世つまり此岸が最も近づく時期に咲く花でもある。
山口百恵のヒット曲「曼珠沙華」は、今でも何人かのアーティストがカバーしている名曲で、阿木曜子作詞のこの歌は「まんじゅしゃか」が正式な曲名である。
阿木さんといえば、歌詞がなかなか思い浮かばずに、「バカにしないでよ」と怒りを原稿用紙にぶちまけたら、それがそのまま歌詞として定着したというエピソードの持ち主。
大ヒットした「プレイバック Part2」や「美サイレント」などにはかなりドライな女性が登場する。
だが、”これっきり”ではなかった。
「曼珠沙華」では、情念の世界に生きる女性が登場する。♪マンジューシャカ 罪つくり 白い花さえ 真紅にそめる♪などという歌詞にみるごとく、作詞家は、花がにぎやかに咲けば咲くほどに深まる人の「業(ごう)」のごときものを見たということか。
この花は、土葬をモグラや野ネズミなどから守る意味もあって墓地などによく植えられているため、「死人花」「地獄花」「幽霊花」のような、怖い呼び名もついている。それが、「不気味」「妖しい」などと様々な言われ方をする所以である。
実は、江戸時代の「天明の飢饉」では、この花を田んぼの畦道などに植えたという歴史がある。
つまり救荒食としてこの花を植えたのには、「妖しくも」なんでもないご先祖様の”実用的配慮”であったというわけだ。
さらに、「ひなげしの花」は、「虞美人草」(ぐびじんそう)ともよばれるようになった有名なエピソードが残っている。
秦末の武将・項羽には「虞(ぐ)」と言う愛人がいた。項羽が劉邦に敗れて垓下に追い詰められた時に、死を覚悟した項羽が詠った垓下の歌に合わせて舞った後、自刃した。
彼女を葬った墓に翌夏赤くこの花が咲いたという伝説から、ひなげしの花を「虞美人草」とよんでいる。
アグネスチャンの「ひなげしの花」の軽やかなイメージとは随分かけ離れたエピソードである。

花々の「命」は新しい生命の誕生や再生の象徴として古来より利用されてきた。
世界の三大宗教、キリスト教、イスラム、仏教、それぞれ象徴的な花が存在する。
イスラムではバラ。白バラは創始者マホメットを、赤バラは絶対神アラーを象徴しているとされている。さらに、イスラムではバラ水を神聖なものとして死者の体を清めるのに利用したりもする。
また、白ユリはキリスト教の花の代表として扱われている。ユリは、聖母マリアの象徴であることから「マリアの花」とよばれ、純潔や美徳のシンボルとされた。
宗教絵画、特に「受胎告知」などには必ずといってよいほど白ユリが描かれており、東京飯田橋には「白百合女学院」というカトリック系の学校がある。
仏教では蓮(はす)。ほとんどの仏像は蓮の花の上に乗っていることからわかる。
蓮の花の根というのは泥の中にあって、その泥の中から立ち上がり、綺麗な花を咲かせる。
泥という名の煩悩の世界から「悟り」という名の花を咲かせる。
ヒンドゥー教徒にとって「マリーゴールド」は生命の象徴で、僧侶がまとう衣装もオレンジ色。
神様にお供えする花は「マリーゴールド」が定番で、 街のいたるところでフラワー・レイのように花輪にして売られていている。
ホテルやレストランにて装花として使われる、2004年のアメリカ映画「マリーゴールドホテル」は、インドの「マリーゴールドホテル」に、インターネットで集まってきたシニアたちの物語。ホテルはネットの写真とは裏腹に、おんぼろホテル。
ホテルのリニューアルをはかる経営者と、第二の人生でリニューアルを期待するそれぞれの事情をかかえた男女7人の物語である。
「マリーゴールド」は、祈りのある場所には必ず飾られていて、街中の寺院や、湖のほとりの祠の中など。そしてお地蔵様みたいに服を着せたヒンドゥー教の神さまの像にも、「マリーゴールド」が愛しく飾られていている。
「マリーゴールド」の花と色は、神聖な儀式や場所に欠かせっず、それほど大量に飾られる花であるがゆえに、別の問題も起きている。
毎日大量に消費されるであろう献花は、役目を終えたあと、なんでも流しているイメージが強いが、最終的にはガンジス川行き。
といっても、大切な儀式につかった献花を、彼らは「捨てている」つもりではない。
むしろゴミとして燃やすことができないからこそ、神聖なる場所に「捧げている」という意識なのだそう。
実は、そのことがこの深刻な水質汚染を引き起こしている。
彼らによると、国内には少なくとも60万以上の寺院があり、毎日大量の献花を消費している。
そうして川に流された農薬まみれの花たちが腐ると、有毒となって魚が大量に死んだり、人体に影響を与えてしまうのだ。
このままでは神を信仰する代償が、環境汚染という現状を変えるために、立ちあがった人々がいる。
彼らは、毎日1.5トンの花を寺院から回収し、お香や堆肥、石鹸という新たな使い道を見いだすことに成功した。
しかも、この仕事を担ってくれているのは、下層階級女性たち。インドでは、下層階級の女性が自立して働く状況をつくるのは困難な状況にあるため、カースト制度に苦しんでいる女性たちを雇い、花の回収やお香づくりを任せて日当を渡している。
つまり、ソーシャルビジネスとしての側面が強い事業である。
また、消費者はパッケージに神のイラストや神聖なものが描かれている場合はゴミとして扱うことができず、ガンジス川に流してしまう傾向がある。
そこで、彼らはプロダクトである包装紙に、マリーゴールドの種などを混ぜてつくることで、仮に包装紙がゴミとして捨てられても、自然にかえって芽が出てくるような工夫をした。
そこには、自分たちが信仰する宗教や、伝統的な風習から国を傷つけてしまわないように、という想いが込められている。

「恋におちたシェイクスピア」のジョン・マッデン監督が、ジュディ・デンチ、ビル・ナイ、マギー・スミス、トム・ウィルキンソンら豪華キャストを迎えて描く群像コメディドラマ。
「神秘の国インドの高級リゾートホテルで、穏やかで心地よい日々を」という謳い文句と美しいガイド写真にひかれて、イギリスからインドにやって来た未亡人イブリンら、それぞれの事情を抱えた男女7人。しかし、彼らを待ち受けていたのは「近いうちに豪華になる予定」というオンボロのホテルと刺激的すぎる異国の文化だった。
このシリーズは簡単に言ってしまえば、様々な事情を抱えたシニア世代がインドで第二の人生を歩む物語です。時に厳しい現実に直面し、もがき苦しみながらも、ゆっくりと前へ歩んでいく姿が、私たちに「何歳になってもチャレンジすることが出来る」という大切なメッセージを届けてくれるのです。
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