聖書の人物(水をくみし者)

長崎ハウステンボスに行った時、ひとつの石碑が目についた。
長崎でフォークダンス(厳密には米国発祥のスクウェアダンス)を指導したウインフィールド・P・ニブロというアメリカ人の「記念碑」だった。
ニブロは、コロラド州デンバー出身で高校教師を経て、第二次世界大戦後に連合国最高司令官総司令部(GHQ)の民間情報教育官として来日した。
1946年6月~1948年10月、長崎軍政府教育官として、それまで「男女別学」であった旧制中学校・高等女学校の「男女共学化」を強く推進した人物である。
1946年秋に長崎の県幹部との会食中に、日本側が披露した踊りの返礼として「オクラホマミクサー」を自ら踊ってみせ、これに興味を示した出席者たちに手ほどきをしたのが、日本におけるフォークダンスの始まりと言われている。
また、アメリカの在日団体であるYMCAやYWCAなども野外レクリエーション普及の一環として、日本でのフォークダンスの普及に力を入れていた。
1963年に来日したイスラエル人女性グーリット・カドマンが、現地の踊り方をそのままに日本で指導し定着させたのが「マイム マイム」である。
1940年代後半、世界に散ったユダヤ人が「シオニズム運動」によって現在のイスラエルの地に戻ってきた。
「パレスチナ」は旧約聖書のペリシテ人からきており、ユダヤ人離散後に、パレスチナはアラブ人の土地となっていた。
「マイム マイム」は、これからパレスチナの住民との激しい戦いが予想される中、ユダヤ人開拓者が「水源」の乏しい乾燥地に入植し、水を掘り当てた時の喜びを歌にしたものである。
マイム・マイムの原題は"U’sh’avtem Mayim"。"mayim"はヘブライ語で「水」で、直訳すると「あなた方は水を汲む」という意味である。
フォークダンス「マイムマイム」の歌詞は聖書の「あなたがたは喜びをもって、救いの井戸から水をくむ」(イザヤ第12章)をそのままて用いている。
それでは、「救いの井戸」から水をくむとはどういう意味なのであろう。
聖書には、いくつかの場面で「井戸(泉)から水をくむ」人々が登場する。
BC12C頃イスラエルで王がおらず「士師」とよばれるリーダーがいた時代に、ギデオンとよばれるリーダーがいた(士師記8章)。
彼らの周辺には、敵であるミデヤン人やアマレク人などが谷に伏していた。
こうした敵と戦うギデオンに対して神は、イスラエルは勝利のあかつきには自らの力で勝利したと誇るであろうから人を減らすように命じた。そこでギデオンは、誰でも恐れる者は帰るように言った。
そして2万2千人が帰り、残ったのは1万人になった。しかし神はそれでもまだ多いと、彼らを水際に下らせるよう命じる。
そして手ですくって水を飲むものを選び、ひざをついて飲む者を帰らせた。
つまり、いつでも武器がとれる臨戦状態で水を飲んでいる者だけを選ぶように命じたのである。
最終的に残ったのは、わずか300人であった。
そして神がギデオン率いる300人に命じた戦いたるや、実に風変わりなものであった。
ギデオンは300人を3隊に分け、全員の手に角笛と空ツボとを持たせ、そのツボの中にタイマツを入れさせた。そして各自が持ち場を守り、敵陣を包囲したのである。
真夜中、敵の番兵が交代したばかりの時間に、陣営の端に着いたギデオンが角笛を吹きならす。
すると全陣営の回りの百人ずつの三隊が一斉に角笛を吹きならし、ツボを打ち砕きながら「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫ぶというものだった。
そして300人が角笛を吹き鳴らしているうち、敵陣営が混乱状態に陥り、「同士打ち」が始まったのである。
この戦いの勝利においては1人の英雄もでなかった。
故に「神の御名が崇められる」という点でベストの戦いだった。

アブラハムはBC20C頃の人、ユダヤ人にとってもアラブ人にとっても始祖というべき人物である。
彼は、息子イサクの嫁を探すために家僕を一族の地ハランへ向かわせた(創世記24章)。
アブラハムがイサクの結婚相手をカナンの地から得ようとしなかったのは、異教の神を信じる者ではなく、アブラハムと同じ信仰をする者を求めたからである。
ハランのアラム・ナハライムの町にはアブラハムの弟ナホル一家が居住し、アブラハム同様に主なる神を信じる民であった。
家僕は、10頭のらくだを選び、イサクの嫁となるべき娘と彼女の家族に与えるための高価な贈り物を携え、現在のトルコとシリアの国境の近くのアラム・ナハライムの町に向かって出発した。
アブラハムの住むヘブロンからハランまで、直線距離にして800キロで、ラクダでおおよそ1か月の旅である。
家僕は長旅の末にたどりついた町外れの井戸の傍らに休み、イサクの結婚相手は最終的には神様が選んで示してくださると信じて祈った。
「今日わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう」。
家僕がまだ祈り終わらないうちに、ひとりの女性が水がめを肩に載せてやって来た。
家僕は、「水がめの水を少し飲ませてください」と頼むと、彼女は、「どうぞ、お飲みください」と答え、すぐに水がめを下して手に抱え、彼に飲ませた。
彼が飲み終わると、彼女は「らくだにも水を飲ませてあげましょう」と言いながら、すぐにかめの水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行った。
彼女は10頭のらくだすべてに水をくんで与えたが、それはかなりの重労働であったことが推測できる。
その姿に祈りのシルシをえた家僕は、お宅に泊めてもらえないかと尋ねた。
すると彼女は、なんとアブラハムの弟ナホルとミルカの子ペトエルの娘リベカであることを告げた。
リベカは、アブラハムの弟の孫にあたり、それこそがアブラハムが望んでいた条件であった。
リベカの方も自分の素性を知り驚く。
家僕はリベカの処に導いて下さったことを神に感謝した。
しかしこの結婚は、リベカとその家族の了解なしには実現しない。
家僕は、リベカの父ベトエルと兄ラバンと会いそのことを確かめると、二人は「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。主がお決めになったとおり、御主人の御子息の妻になさってください」と答えた。
家僕はこの言葉を聞くと、再び地に伏して主を拝した。
実は、アブラハムが家僕に息子の嫁さがしの使命を与えた際に、ナホルの一族である女性が来たくないと拒絶するならば、家僕はその任務(誓い)から解かれることになっていたからである。
さらに、父親がリベカに「お前はこの人と一緒に行きますか」という問うと、リベカは「はい、参ります」と答えた。
リベカは、自分の結婚を、主のみ心として受け止め、それに従う決断をしたのである。
そして、家僕はアブラハムの元に戻り、自分とリベカとの出会いの経緯をべて報告した。
イサクもこの結婚が神によって整えられたことを受け入れて、リベカを妻に迎えることにした。
ちなみに、イサクとリベカはこの間、一度も顔あわせをしてはいない。
とはいえ、イサクは妻リベカによって亡くなった母サラに代わる慰めを得たばかりか、イサクはリベカを深く愛した。

イスラエル民族の系図は、アブラハム・イサク・ヤコブと続くが、「イスラエル」は神が新たにヤコブに与えた名前に由来する。
ヤコブは兄エサウを騙して長子の特権を取り上げてしまったために兄から命を狙われることになる。
兄から逃れるために、伯父であるラバンのもとに身を寄せようとしたヤコブは、ベエル・シェバから立ってハランへ向かった際に、ある場所に来た時、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。
ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。
すると、夢かウツツか、先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしているのを見た。
すると、神が傍らに立って「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」と語った。
ヤコブは自分は、気がつかないまま「天の門」に寝ていたことに気がつき、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立てた。そして、先端に油を注いで、 その場所を「ベテル(=神の家)」と名付けた。
ヤコブはほとぼりが冷めるまで、ラバンのもとで20年間暮らし、ヤコブは故郷であるカナンへ帰る決意をする。
そしてその途中で天使と出会い「自分を祝福する」までは離さないと朝まで格闘した。
格闘が終わると天使は「神と戦ったのだから、名をヤコブからイスラエルへ変えよ」といった。
それは、 Isra(争う者)とel(神)の2つを合わせて「イスラエルIsrael(神と争うもの)」という意味である。
そして、ヤコブの通り道であるヘブロンの北に位置するサマリヤの町スカル(シェケム)にヤコブが掘ったといわれる泉がある。
時代は下って、イエス・キリストの時代、イエスはこの町を訪れこの井戸の傍らで休んでいた。
午後になって、ひとりのサマリヤの女が水を汲みに来たので、イエスはこの女に「水を飲ませて下さい」と言われた。
弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。
すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。
これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。 イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、「水を飲ませてくれ」と言った者が、誰であるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。
女はイエスに言った、「主よ、あなたは、汲む物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。 あなたは、この井戸を下さった私たちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。
イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
女はイエスに言った、「主よ、わたしが渇くことがなく、また、ここに汲みにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。
そしてその女性に対して「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4章)と語っている。
この永遠の命に至る水とは、イエスの十字架の死後に下る「約束の聖霊」のことをさしている。
「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊(みたま)である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない、あなたがたのところに帰ってくる」(ヨハネ14章)。

新約聖書(ヨハネ2章)でイエスが最初に行った奇跡の場面にも、「水をくみし人々」が登場する。
ガリラヤのカナという村で結婚式があり、イエスの母マリヤが客として出席していた。
イエスと弟子たちも招待されていた。
ところが、祝宴の最中だというのに、ぶどう酒が切れてしまった。
母マリヤは、そのことをイエスに知らせた。するとイエスは、実に不思議なことをいう。「女よ、あなたには関わりがないことです、まだその時ではありません」。
マリヤは手伝いの者たちに、「この人の言うとおりにしてください」といった。
そこには石の水がめが6つ置かれていて、それぞれ80リットルから120リットルぐらい入るものだった。
イエスは手伝いの者たちに、そのかめに「縁までいっぱい水を入れなさい」と指示し、 それを汲んで婚宴の世話役のところへ持って行きなさいと言われた。
彼らは言われるままに持って行くと、 宴会の世話役が試しに一口味わってみると、芳醇なぶどう酒であった。
そして彼は、「こんな上等の酒を、いったいどこから出してきたんだろう」と首をかしげた。
そこで、世話役は花婿を呼び出して「どんな人でも、初めによい葡萄酒を出して、酔いがまわったころに悪いのをだすものだ」と語った。
しかし、誰よりも不思議に思ったのは当の花婿だったにちがいない。
それにしても、イエスはなぜこの奇跡をもっと”あからさま”に行わなかったのであろうか。
なぜならば、大人数の中、奇跡が起こったことを知ったのは、水がめを運んだ家僕だけだったからだ。
そのことを知る手がかりは、イエスが他の場面で語った次のような言葉で知ることができる。
「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を智恵ある者や賢い者に隠して、幼子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことにみこころにかなったことでした」(マタイ11章)。
「この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである」(コリントⅠ1章)。
ところで水が葡萄酒に代わることは、「水が血に変わる」ことを意味しており、イエスが行った最初の奇跡がすでに「十字架」と贖罪そして洗礼までも仄めかしている。
それは、イエスが母親に語った「まだ、その時はきていない」という言葉の中にも暗示されている。
また洗礼の意味は、「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです」(ヨハネ黙示録7章)という言葉からうかがわれる。
さらに、旧約聖書「出エジプト」での出来事の中で、モーセがエジプトの王パロにイスラエルを去らせるように命じたところ、パロがそれを拒否したため、モーセがナイル川に杖をさすと「水が血に変わった」(創世記7章)という出来事を思い起こさせる。
さて聖書には、カナの結婚式後、イエスと家僕との間でどんなやりとりがあったのかは書いていない。
ただ「水をくみししもべは知れり」と語るのみである。