水と溶岩の都

今の日本社会で、文字どうりに瓦解が始まっているものに、高度経済成長期に数多く立てられた建造物がある。
日本は長く財政難の状況であるため、こうした建造物の瓦解を食い止めることができるかが、大きな課題である。
インフラとは一般に、主に道路、鉄道、港湾、水道、ガスなど生活・産業発展に必要な基盤的なものを指すものである。
2014年、笹子トンネル天井落下事故では、まるでSFXをみるように、天井板が走行中の車のフロントガラスを襲った。
本当に怖いのは、インフラの崩壊ではなく、不整備ということかもしれない。
2009年に自民党から政権を奪った民主党がスローガンにしたのが「コンクリートから人へ」であったが、コンクリートの劣化こそ重大問題である。
歴史的にみて、コンクリートをインフラ整備に使った最も古くて有名な国はローマである。
ローマは、石灰岩と凝灰岩を駆使して出来た都市であった。
紀元前1世紀に造られた「マルチェッロ劇場」の建物はコロッセオの100年前に完成した建物だが、ローマ人は火山灰と石灰そして海水を使って世界初のコンクリート「ローマン・コンクリート」を作っていた。
また紀元前312年には、有名な「アッピア街道」がローマから南イタリアの港町へと続く道として造られた。
石畳を造るのに大量の玄武岩が必要なのだが、コッリアルバーニ火山から流れ出した溶岩がちょうど細長い道のように出来ていて、その上に「アッピア街道」を造ったのである。
玄武岩は溶岩から出来ているので、石畳の材料が豊富にあるエリアを上手く利用したのである。
ローマはこの道を使い、迅速に軍隊を派遣し、どんどん領土を拡大していった。その後、世界中でアッピア街道のようなたくさんの街道が造られていった。
やがて西はスペインから東はインドまで「全ての道はローマに通ず」という言葉通りの超巨大道路網が完成したのである。
ところで、「すべての道はローマに通ず」という言葉は、空間的な意味でいわれている。
しかし、この言葉を少しいじって「すべての事象はローマに通ず」としても、充分妥当な言葉であるように思える。
まずは、グレゴリオ13世が1582年に制定したグレゴリオ暦が現代世界の標準暦となっている。
そして、ローマ時代には、人類がその後経験するさまざまな政治形態が含まれており、我々が使っている法律用語、国家機構に関する言葉の多くはローマ起源なのである。
さらには、政治家・役人・属州・管区といった法治国家を組織する要素からしてもローマ人が考えたもので、軍団・分隊・歩兵・騎兵・砲兵・師団・大隊といった軍隊用語でさえもローマの遺産である。
なんといっても、史跡遺構から想像できる、ローマ帝国の住環境の良さとインフラのレベル、技術文明にもとづく高度な生活水準などは、現代社会の生活と大きくは離れてはいない気がする。
しかし、今の我々にとって重大なのは、ローマの隆盛ではなく衰退の方かもしれない。
政治への無関心とポピュリズム的傾向、道徳の退廃、努力嫌いとか伝統の軽視なども、結構今日に通じるものがある。
古代ローマを表すのに「パンとサーカスの都」という言葉がある。
ここでいう「サーカス」とはアクロバチックな曲芸ではなく、血なまぐさい見せ物であった。
それは、「剣奴」といわれる奴隷達に、相手を倒すまで戦わせるという見世物であり、刺激を求めるローマ市民にとってこの上ない楽しみであった。
その出場者を育てるのを目的とした剣奴養成所までも作られた。
こういう見世物の現場こそが、イタリア最大の観光地・コロッセウムであり、収容人員は5万人にも達した。最下階にはライオンの檻が設置された。
思い浮かべるのは、古代ローマ社会と現代日本とが相通じるという「日本の自殺」という冊子のこと。
各分野の専門家20数人による「グループ1984」が制作したもので、経団連の土光敏雄会長がその内容に感銘して、各界の指導者に配ったものであった。
ローマは、広大な属州から搾り取った富がどんどん流れ込んで、その富がローマ市民に分配された。
したがってローマ市民であれば、何も財産がなくても食べるに困らず、娯楽も無料で楽しむことができた。
ローマの皇帝は、民衆の支持もしくは軍人に支持されてこそ安泰であったため、ばらまくだけばらまいたのである。
また皇帝達は、人気取りのために国家の祭りや記念日を増やし、そういう祝日祭日に市民は「サーカス」を見て楽しむことができる。
また皇帝や軍人達が行う市民サービスとしてもっとも身近なものが公衆浴場であった。
ところで最近、日本政府がまとめた消費税増税対策は「手厚い」というレベルを超え、もはやポピュリズムといってもよいレベルだ。
消費税は10月に8%から10%にあがり、国民の負担増は5.2兆円になるが、これに伴って政府が増やす歳出は、5.5兆円である。
つまり、プレミア商品券やポイント還元制度などで、安倍政権は増税の税収増より3千億円も多くバラまくことになる。

最近、NHKで放映された「ブラタモリ 海外編」により、いかにローマが「水の都」であるかということを実感した。
番組は、有名な「トレビの泉」や、映画「ローマの休日」でもおなじみの「スペイン広場」や「水道橋」といった名所を巡りつつ、2000年間、人々の生活に欠かせなかった水の痕跡をたどる旅であった。
古代ローマ時代は、1人あたり1日に約1000リットルの水が利用できたという。なお、1000リットルは500㏄のペットボトルで2000本分になる。
また、映画「テルマエ ロマエ」でみるとおり、古代ローマ人はお風呂好きで、公衆浴場に通うのは日課であった。
当時、そんな公衆浴場では大量の水を使用しており、熱い湯船、ぬるい湯船、水風呂がそれぞれあったとされている。
一大レジャー施設だった公衆浴場にはかつて劇場があり、その隣には図書館が存在していた。さらに、浴場施設を囲むように公園があったといわれている。
しかし、公衆浴場はローマから首都が移転したこと、また、戦争や伝染病をきっかけに廃虚へと変わってしまったという。
世界遺産となっているカラカラ帝の造った「カラカラ浴場」が示すとうり、浴場を建設した皇帝を冠した公衆浴場はローマ市内至る所にあり、皇帝の人気取り政策の実態を今日に伝えている。
番組をみながら、こういう水の都は逆に、健全な水が供給されなくなった時に、滅びに向かっていったのではないかという気がした。
ローマ人は建設技術や土木技術に優れた人々だっただけに、建造物の劣化を食い止める方策にそれほど意欲的ではなかった。
しかしそのローマ帝国も、大規模インフラの維持コストは高くなり、財政危機と軍事力衰退をまねき、帝国滅亡の引き金の一つとなったとされている。
また水道管として使われた鉛管から、水中へ溶け出した鉛イオンが、市民たちの体内に長年蓄積した結果、市民の健康被害が広まり帝国衰退の原因となったといわれている。
ちなみに、廃墟と化した水道施設といえば、昨年大ヒットした「カメラを止めるな」の撮影地である茨城県水戸市の芦山浄水場を思い浮かべてみれば、実感できるであろう。
また、現在の新宿副都心の高層ビル街は「淀橋浄水場」があった場所であることを付言しておこう。

正体不明のユダヤ人のイザヤ・ベンタソンのは”日本では水と安全はただ”と、その著書「日本人とユダヤ人」(1972年)の中で、日本社会の特異性を浮き彫りにした。
当時、日本社会は蛇口をひねれば、いつでも安心して水を使える水道であったし、犯罪率も非常に低かった。
しかし今や、それが過去のものになろうとしている。
我々が「ローマの崩壊」から学ぶべき教訓のひとつが、水を守る事、安全な水を使い続ける仕組みが作り出せるかに文明の存続がかかっているということだ。
ところが最近の日本において、人口減少による水道料金収入の減少や、水道管などインフラの老朽化が同時並行で進んでいる。
多くの自治体で水道事業運営に黄信号が灯っているが、その難題解決の切り札として、2018年12月、「改正水道法」が成立した。
驚いたことに、国会が審議に費やした時間は、8時間たらず。
水道事業は従来市町村が経営していて、利用者が払う水道料金で水を供給する費用をまかなっている。
ところが、人口減少や節水意識の高まりで水の使用量が減り続け、それに伴い料金収入が減っている。
一方水道管などの設備の老朽化が進み、そのための更新費用がかさんでいる。
このため各地で水道料金の引き上げが相次いでいるが、それでも3分の1の水道事業者は、赤字の状態に陥っている。
その結果、老朽化した設備の更新が思うように進まず、各地で漏水や破損事故が相次いでいるのである。
というわけで、政府の狙いは、民間の力を取り入れて水道事業の無駄なコストを削減し、回収した水道料金を資産運用することであるらしい。
「改正水道法」のひとつの柱は、自治体の枠を超えて水道事業を広域的に経営することで、効率化を進めようというもの。
もうひとつの柱が、官民連携の推進。今も、浄水場の運営や検針業務などを民間委託しているが、それをさらに進めて、「コンセッション方式」を導入しようというもの。
従来、水道事業を運営してきた自治体が、水道管や浄水場などの施設を所有したまま、運営権を民間企業に売却するというものである。
具体的にいうと、20年を超えるような長期にわたる事業の運営権を民間企業に譲ってその対価を自治体が受け取る。いわば運営権を売却するということである。
運営権を買い取った企業は、水道料金を設定して利用者から徴収し、そのお金で施設の維持管理や修繕なども含めて、水を供給する。
これまでより、民間企業の裁量が大きく広がるので、独自の経営や技術のノウハウを生かして効率化が進むと期待されている。
このような水道事業の民営化は海外では以前から行われているが、日本の公から民間への動きとは逆に、民間から再び「公営化」に戻す動きが出ているということである。
その理由は、企業が利益を優先するあまり、料金の高騰や水質の悪化などのトラブルが相次いだからである。
日本でこの方式を導入するに当たっては、民間企業への監視機能を強めたいとしているが、統計不正や検査不正が続いている昨今、果たしてそれが機能するだろうか。
分野は違うが、ひとつ思い浮かべる事例がある。
2018年、約130万人の2月の年金受給額が本来より少なかった問題があった。
厚生省によれば、日本年金機構が約500万人分の受給者のデータ入力を東京の情報処理会社委託したが、中国の業者に個人情報の入力業務を「再委託」していたことが発覚したのである。
その際、約500万人分のマイナンバーや配偶者の年間所得額などの個人情報データの入力を委託しており、この会社は中国の業者にデータの一部を渡して入力を再委託していたというわけだ。
入力作業のミス以上に、個人情報が海外に流出することも重大である。
このことは、利潤動機で動く民間企業に、人の命や人生設計に関わることを委ねることがいかに危険であるかを教えてくれる。

歴史の「瞬間」を永遠に固定化するというようなことは可能だろうか。
最近日本でも公開された人気のフェルメールの絵など見ると、時間がとまったような感じがする。
しかし、それは二次元の世界、現実の世界で歴史の「ある瞬間」をととどめた遺跡がある。
ナポリ近郊にあるポンペイ遺跡は、古代ローマの都市と人々の生活ぶりをほぼ完全な姿で今に伝える貴重な遺跡。
西暦79年8月24日、ナポリ湾を見下ろすベスビオス火山が大噴火すると、南東10キロに位置したポンペイの町は火山灰に埋もれてしまった。
その後、およそ1700年の時を経て始まった本格的な発掘によって、古代都市の様子がまるで”時が止まった”かのように出現した。
ローマの街道は溶岩で造られたが、その溶岩がポンペイの人々の日常を「一瞬」にして固めた。
さて1万2000人と推定されるポンペイの町には、壁画やモザイク画、市民が記した落書きなどが当時のまま残され、ローマ帝国の市民たちの贅沢で、享楽的な暮らしぶりを鮮やかに物語っている。
そうした平和な日々は、ベスビオス山の大噴火によって、一瞬にして奪われてしまった。
灰は硬く固まり、肉体が朽ちて空洞だけが残った。
爆発のときに発生した火砕流の速度は時速 100 km 以上であり市民は到底逃げることはできず、一瞬のうちに全員が生き埋めになった。
後に発掘されたときには遺体部分だけが腐ってなくなり、火山灰の中に空洞ができていた。
考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどうポンペイ市民が死んだときの形を再現した。
顔までは再現できなかったが、恐怖の表情がはっきり分かるものもある。
母親が子供を覆い隠し、襲い来る火砕流から子供だけでも守ろうとした様子も、飼われていた犬がもだえ苦しむ様子も生々しく再現された。
最後の姿をとどめているのは、火砕流が非常に高温だったからで、ほぼ即死だったことが推測される。
実は、新約聖書「使徒行伝」のパウロは、ローマでの伝道中に牢獄で地震にあっている。
ベスビオスの火山の爆発は79年。ネロの迫害で60年代に殉教しているで、ベスビオス噴火時の地震ではないが、ローマは溶岩で道ができるほど頻繁に地震が起きているようだ。
実はユダヤ人でありながらローマの市民権をもつパウロは、自分が述べ伝えるイエスにつき弁明するために、ローマに護送されて獄屋兵に入れられていたのだ。
ところが、そこに大地震が起き、獄屋の扉が開いてしまった。
獄吏は囚人たちが逃げ出したものと思い、自殺しかけたところ、そこでパウロは大声をあげて言った、「自害してはいけない。われわれは皆ひとり残らず、ここにいる」と。
獄吏は、パウロにひれ伏して「自分たちが救われるためにはどうしたらいいのか」と逆に尋ねる。
パウロは獄吏に「イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」と応えている。
パウロが逃げなかったのは、それがローマ皇帝の前でイエスを証する絶好の機会だったからである。
さらにパウロは、この時の地震体験を反映してか、信徒への手紙に次のように書いている。
「あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、”わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう。このもう一度という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか」(ヘブル人への手紙12章)。