聖書の人物から(ナオミ&ルツ)

世界で「ナオミ」という名の女性は少なからずいる。やや古いが、ス-パ-モデルのナオミ・キャンベル、女優のナオミ・ワッツ、そして1960年代にイスラエルのヘドバとダビデという男女のデュオが「ナオミの夢」という曲が世界で大ヒットしたのを覚えている。日本人にも「ナオミ」という名の女性は多い。
しかし、「ナオミ」の名は終戦の段階では、それほど馴染みの名前ではなかったという。
「ナオミ」の名は、谷崎潤一郎の「痴人の愛」で一般に普及したともいわれる。
ところで旧約聖書の「ルツ記」にナオミなる女性が登場するのだが、彼女はルツの母親にあたる人物の名で、イスラエルでも、結構ポピュラーな名前なのだそうだ。
ナオミはイスラエルの女性だが飢饉のため家族とともにモアブの地に移ったが、夫エリメレクが亡くなり寡婦となった。
また二人の息子も、モアブ人の女性を嫁として迎えたが、10年の歳月を過ごした後、ナオミは、二人の息子にも先立たれてしまう。
ちなみに、モアブとはアブラハムの甥ロトが住んだ土地である。
残された姑ナオミと二人の嫁の心境はどのようなものであっただろう。
夫も子どもをも失う、ナオミは涙も涸れはて、頼るものとてない境涯に立ちすくんだにちがない。
そんな折り、故郷ベツレヘムから「豊作」の知らせが届き、食べることには困らないにちがいない故郷ベツレヘムに戻る決意をする。
だがナオミにとって気がかりなのは、モアブ人の二人の嫁のことであった。
イスラエル人は排他的なところがあって異邦人(モアブ人)である嫁までも連れて行くことに気がひき、ナオミは、二人の嫁にそれぞれ自分の実家に帰り、再婚して新たなスタートをきるようにすすめた。
そこで弟の嫁のオルパは、この勧めに従ったが、兄の嫁のルツは、ナオミの勧めを受け入れず、あくまでもナオミについて行くといいだす。
その時、異邦人ルツの言葉は心に心に響く。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」(ルツ1章16節)と。
そして、姑ナオミは堅く離れようとしないルツを受け入れ、二人はナオミの故郷ベツレヘムへとむかったのである。
そして、そこには「はかりしれない」神の恩寵が待っていたのである。
二人がベツレヘムに到着したのは、大麦の刈り入れの始まった頃であり、ナオミの旧知の人々はナオミに「お帰り」と声をかけた。
しかし、ナオミは「楽しむもの」を意味する自分の名で呼ばれることを拒んで、苦しみを意味する「マラ」と呼んでくれと応じるほどだった。
ただ、すべてを失ったかに思えるナオミだが、信仰においては豊かであった。
それは、「主の御手が私に下った」「全能者が私をひどい苦しみに会わせたからだ」と語っていることからもわかる。
ところで亡くなった夫エリメレクは土地を所有していたが、跡継ぎである息子を失ったため、その土地は売られて他人の手に渡ろうとしていた。
しかしユダヤ法では、夫がなくなるとその兄弟が優先的に土地を買い取る権利を有するという規定があった。
ベツレヘムには、エリメレク一族に属する遠縁にボアズという金持ちがいた。ボアズもその土地を買い戻す権利を持つ一人だったのである。
また、ユダヤでは、貧しい者と寄留者には、収穫後の「落ち穂」拾いの権利が与えられていたのだが、何かに導かれるように、ルツは「はからずも」ボアズの畑へと導かれていたのである。
ボアズは、働き者のルツに好意を寄せ、落ち穂を拾いやすいように、畑の若い者たちに邪魔をすることがないように命じた。
ボアズのルツに対する好意を知った姑ナオミは、「レビラート婚」の権利に訴えた。
「レビラート婚」は死んだ男性の兄弟が寡婦を自分の妻としてめとるものだが、ナオミは自分と遠縁の親戚ボアズとの結婚に訴えたのではなく、ルツの結婚に訴えた。
これは「レビラート婚」の規定からすれば、拡大解釈とも捉えられるが、それだけに異郷から来たルツの将来を保証しようという思いがあったに違いない。
またナオミには、神がそのように導いておられるという確信めいたものがあったように感じられる。
そしてナオミは、ルツに具体的な指示を与えた。からだを洗い、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行くこと、ボアズが寝る時に、その足のところをまくって寝ることである。
これは、当時のユダヤの「求婚の習慣」に従ったものであり、大胆でも、はしたないことでもなんでもない。ルツはただその指示に素直に従った。
ただ、ユダヤ法では、「レビラート婚」にせよ「土地の買戻し」の権利にせよ、それらの権利を持つ者は他にいた。ボアズは遠縁なので、それを行使しようという優先度が高い者が一族にいれば、ナオミの「願い」は実現しない。
そこで、ナオミはルツに言った。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい」。
ここで、確固たる「信仰の言葉」を発している。
ナオミは、自分の人生が思いどうりにならないことを何度も体験している。しかし、前述のとうり、嫁のルツをして「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」といわせしめている。
ナオミは貧しいどころか、信仰に富んでいた。
ボアズは、他の買い戻しの権利を優先的に持つ者全員に確認の上、ボアズはその権利を譲りうけ、ナオミとルツの幸せのために、ある意味では犠牲の大きい結婚を承諾したのである。
ところが、ボアズとルツから出た系図は、その後、オベデからエッサイへ。そこからなんとイスラエルの王ダビデと続き、さらにはダビデの系図から「イエス・キリスト」が誕生する。

ジャン・フランソワ・ミレーの「晩鐘」の「落穂拾い」の場面は誰しもが学校の教科書で見知っている絵である。
まるで時がとまったかのような静謐な絵だが、この絵には旧約聖書「ルツ記」にある「落ち穂拾い」の場面が背景にあるのではないかと推測していた。
すすと、ある美術系のテレビ番組で、作者ミレーは、孝行者の嫁ルツが、地主ボアズに連れられ農民達に紹介されるシーンを描いているのである。
はるか地平線までウッスラと広がる麦畑を背景に、画面中央では貧しい野良着姿の三人の農婦が腰をかがめ、大地に散らばった「落ち穂」を拾っている。
旧約聖書によれば、刈り入れの時にこぼれた麦の穂は、貧しい孤児や未亡人が拾うことを許された神の恵みであった。
ところでミレーは1854年に故郷グリシーに帰郷したが、祖母も母もすでに他界していた。
実は裕福な農家に育ったミレーは、貧しい農家の娘と駆け落ち同様にして故郷を出ていたのだ。
そして、母と祖母が亡くなったことが、「帰郷」を決意させたことが推測できるが、これは男女の違いはあれナオミのベツレヘム帰郷を思い起こさせる。
帰郷したミレーの心象に、母と祖母、そして9人の子供を農作業をしながら育てた妻、そして「母なる大地」が広がっていた。
ミレーが描いた「落穂拾い」の中で、一人一人の農婦に細やかな愛情が込められて描かれているのがわかる。
子供の頃から農作業を手伝う親孝行で働き者の少年であったが、やがて画家を夢見て憧れのパリへ向かった。
当初は神話や妖精、裸婦などを題材に描いていて、そうした作品を欲しがる富裕層の人々もいた。
しかし、民衆が王政を打倒した「二月革命」が勃発すると、その年のサロンに「名も無き労働者」の姿を描いた作品「箕をふるう人」を出品した。
革命により「労働者」という階級が注目を浴びた時代で、神話や古典に関係なく「名も無き労働者」を描いて、ミレーはこの作品で一躍「脚光」を浴びることになる。
その後、パリでコレラ騒動が起こると、ミレーは幼い子供への感染を恐れパリの南南東に広がる農村バルビゾンへと移住する。
そして、そこでコローやルソーといった「バルビゾン派」と呼ばれる画家集団と出会う。
彼らはイーゼルやキャンバスを背負って戸外へ出かけ、見たままの自然を描いていた。
何より彼の心を捉えたのは光の下で働く農民たちの姿であり、それはノルマンディーの農家に生まれ育ったミレーだからこそ描ける世界であった。
そして、ここに住みつくことを決意し、大地に種を蒔くという単純な作業をする農民「種蒔く人」を描いた。
この作品は、ミレーにとって「人間の尊厳」を描いたつもりだったが、若い画家たちは英雄的な労働者の姿として賞賛した。
そして容赦ない批判が巻き起こった。
富裕層は過激な社会主義の台頭におびえ、労働者の悲惨な姿を描いて社会に抗議していると批判したのだ。
つまり、ミレーの絵は富裕層にとって警戒の対象となったのである。
そいて、このバルビゾン村で描かれた風景画の一つが「晩鐘」である。
この絵がサロンに発表されるやいなや、評論家たちは一斉に非難の声をあげた。いわく、「貧困の三女神」「秩序を脅かす凶暴な野獣」などなど。
しかし、この美しく穏やかな絵が、なぜ悪し様に批判されることになったのだろうか。
絵をよくみると、農婦三人の背後では、大勢の人が作業に追われていて、刈り取った麦を荷馬車の上へ、その隣では刈穂をマトメルのに忙しそうに働く人々の姿がある。
背後で馬に乗って指図するのは、おそらくは「農場主」であろう。
その収穫の賑わいから遠く離れ、三人の農婦たちが黙々と落穂を拾っている。
問題は画家本人にとっても予想もできないところにあった。
それは「構図」にあり、手にした落穂の束から左へと視線を移していくと、背景の大きな刈穂の山にたどり着き、落穂を拾う手から二人の頭を結ぶと、その先は一直線に「農場主」につながる。
この対角線上の対比が「貧富の差」を強調して、当時の政治体制を批判しているとされたのだ。
それは、貧しい農民を「気高く」描いたが為に、かえって警戒されたのである。要するに、何もかもを「革命」に結び付けようとする時代だったのだ。
しかしミレーは、いわれなき中傷に対しても弁解せず、「生活の中で学んだことを物語るだけだ」と語っている。
農民画家ミレーは、たそがれの麦畑を歩きながら、友人に次のように語ったという。
「あそこで働いている人々をみたまえ。彼女達ははいつくばったり歩いたりして、確かに生きている。それは平原の守り神だ。美しい、まるで神秘劇のように偉大だ」と。
「農民として生き農民として死ぬ」それがミレーの終生変らぬ信念であり、いつしか人々はミレーを「畏敬」をこめて農民画家とよぶようになった。

「晩鐘」の画家ミレーと「レ・ミゼラブル」の作家ヴィクトル・ユゴーは、ほぼ同じ時代をフランスで生きた。
前者は農村生活を絵筆をもって、後者は都市生活を文筆をもって描いた。
そして「晩鐘」が「ルツ記」をインスピレーションの源としたのと同様に、「レ・ミゼラブル」にも、「ルツ記」を思わせるものがある。
さてナポレオン没落後、ブルボン家のルイ18世が、再び王位につく。しかし、民衆は一度は自由を手にした以上、ブルボン朝が復活したからといって、すべてをフランス革命の前の状態に戻すのは不可能である。
ナポレオン後の「ウィーン体制」は、自由への動きを力で押さえつけようとしたため、1820年代に当体制に反発して自由や民族独立を求める運動が起こっっていく。
この時代こそがヴィクドル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」の時代である。
映画で見た「レ・ミゼラブル」は、1815年、ツーロンの徒刑場の話から始まる。
主人公の、ジャン・バルジャンが、妹の子を助けるためにパン一切れを盗んだ罪で、19年間も投獄された後、仮釈放される。
19年という長い期間は、バルジャンが脱獄を何度も企てたためである。
仮釈放で外へ出れたものの定期的な出頭命令を無視して そのまま逃げてしまい刑事のジャベールに一生追われる身となる。
ただ仮釈放ということが判れば、バルジャンは仕事をしても他人の半分しか給料をもらえない、宿屋からも宿泊を断られる等、世間の冷たい風にさらされる。
泊まるところを探しあぐねていたところ、親切な司教が、泊まるところを提供してくれたばかりかパンとワインまで与えてくれる。
しかし、バルジャンは、司教の善意を裏切り、銀の燭台を盗んで逃げ出す。
バルジャンはすぐに警察に捕まり、司教のところに連れてこられる。
司教は、「銀の燭台は彼にさしあげたものだ」と言い、さらに、別の燭台までも「忘れていったのであろう」とバルジャンに与えてくれる。
バルジャンは、司教の心に打たれ、生まれ変わることを誓う。
必死に働き、モントルイユ・シュル・メールで工場をつくり、町を発展させた功績で市長となる。
真人間として生まれ変わったバルジャンであるが、彼の町に彼を追う刑事のシャベールがやってくる。
そんな或る時、工場で働く女性たちに騒ぎがおきる。
騒ぎの原因は、工場で働いていたファンティーヌという女性に私生児がいるのが分かり、ファンテーヌに嫉妬した女性たちとトラブルになっていた。
バルジャンは、刑事ジャベール、自分の身が発覚することをおそれ、このトラブルを工場長の処理にまかせてしまう。
しかし、フォンティーヌに下心をいだいたが工場長は、フォンテーヌに拒絶されて、彼女を工場から追い出す。
結果的にフォンティーヌは娘コゼットの養育費を稼ぐために娼婦に身を落とし、まもなく病の床に伏し亡くなってしまう。
すべてを知ったバルジャンは 薄幸のフォンティーヌからコゼットを託され、父親となって出来る限りの愛を注いで育てようと決心する。
バルジャンは、いかがわしい宿屋夫妻に預けられていたコゼットを引き取り、限りない愛をもって美しい娘に育てあげる。
一方、バルジャンを追うジャベール警部も、革命軍に捕まるが、バルジャンはシャベールの処分を自分に任せてくれと銃殺に見せかけ逃がしてやる。
悪人だと思い追い続けてきたバルジャンに救われたシャベールは、法が与えた職務との間で板挟みとなりセーヌ川に身を投げる。
バルジャンは、美しく育った娘コゼットにマリウスという恋人がいるのを知り、追われるれる者が近くにいては、コゼットに迷惑をかけると娘のもとを去る決心をする。
そして自分の身をマリウスに明かし、マリウスにコゼットの未来をゆだねる。
マリウスは、暴動の日に瀕死の時一人の男に背負われて助かったことがあった。
後にマリウスは、瀕死の自分を背負って逃げた男こそがバルジャンであることを知らされる。
マリウスがコゼットを伴って、バルジャンの元を訪れたとき、バルジャンはすでに臥せていた。
マリウスとコゼットが見守る中、バルジャンは永遠の眠りについた。
ジャン・バルジャンが、コゼットという少女の庇護者として生き抜く姿は、「ルツ記」に描かれた土地の有力者ボアズとルツの関係を髣髴とさせる。

コゼットとともに育った宿屋夫妻の実の娘はエポニーヌは、革命に身をおく青年マリウスに片思いをする。
一方、マリウスはコゼットに一目惚れして、エポニーヌは皮肉にも二人の恋の「伝令役」となってしまう。
エポニーヌは、マリウスの後追って暴動に参加するものの、政府軍に撃たれて亡くなった。