鷹ガール誕生

横浜市の公園で、絶妙なくちばしの動きで蛇口をひねって水を仲間とともに飲むカラスがいる。もう一回蛇口をひねると、水が噴水のように打ちあがり、その時カラスは仰向けになって水浴びをする。
さすがに蛇口を閉めるまではしないまでも、こんなカラスは見たことがないと、その動画が世界の注目を浴びることになった。
樋口芳宏東大名誉教授によれば、自分の目的に沿って水量(蛇口のひねり具合)を調整するなんて、鳥並みはずれた天才カラスなのだという。
カラスの行動範囲は半径500メートル以内。子育てのため、遠くの川までいけないという事情があるのかもしれない。
しばらく前に、東京の錦糸町に現れたカラスは、発券機で人が差し込んだカードを奪い、どの挿入口に入れようかと迷った末に持ち主に返したが、これは目的をもった行動ではない。
カラス達は、走行中の自動車の車輪の下にクルミを置いて殻を割ったり、巣をつくるために軒先からハンガーだけを奪い取っていくなど、すっかり都会の環境に適応している。
しかしそれは危険な兆候でもある。山里に暮らしていた動物たちが、人里に下りてきて田畑をあらし、民家に侵入するなどのことが起きている。
インドのムンバイでは、夜な夜なヒョウが現れ、警戒心がうすい豚などの家畜を襲うなどの被害も起きている。
人間はそうした事態に対処すべく様々な知恵をつくすが、決定的な解決案をみいだせず、「鷹狩(たかがり)」という伝統的な方法が浮上している。
鷹狩は、猛禽類の狩猟本能を利用し、訓練した鷹と熟練した鷹匠(たかじょう)と、これに従う猟犬や犬引き、馬と騎馬者、勢子などのチームワークによって行なう狩猟方法である。
ヤブや林などに潜む獲物を犬が探し上空へ追い出す。鳥が舞い上がった瞬間の速度の遅いときに、鷹匠がすばやく鷹を放し獲物を捕えさせる。
捕えて降下した鷹は獲物の上で闘争の疲れが回復するまで休んでいる。その短い時間のうちに、鷹匠が行き、餌を与えて獲物から引き離し回収する。
NHK「プラネット・アース」で、ニューヨークのマなどンハッタンに架かる橋に生きるハヤブサをみたことがある。
鷹という鳥は、頑丈な嘴に鋭い目、太く強い首に厚力強い翼、優雅に飛翔する姿は見ているだけでも趣があるものだ。
ハヤブサは断崖などに巣を作り高い場所から獲物をねらう。餌となるスズメやハトが豊富で、摩天楼に囲まれた吊り橋はもってこいの場所のようだ。
ただ鷹と同じように狩りに使われるイヌワシなど、狩りをする姿を見てしまうと、獲物として人間を襲うことはないといわれているものの、恐怖が先に立って近づきたくはなくなる。
なにしろ、イヌワシはライオンが噛みつく力よりもはるかに強い握力で獲物につかみかかる。その握力とは、ヤギを鷲づかみにして持ち上げ、崖から突き落すほどだ。
一体こんな野生の鳥をどうして調教するのかと思うが、幼少の鷹を、一晩眠らずに手の平に乗せるところからはじまるという。
厚い手袋をした人間の手が拠点となると、鷹の飛行と、人間の立ち位置や獲物に向けて放つタイミングなど、両方の呼吸が合うまで野外訓練を繰り返す。
鷹狩りは紀元前千年代から蒙古・中国・インド・トルキスタンの広大な平野で既に発達していた。やがて、それはトルキスタン人によってペルシャに伝えられた。
そしてヨーロッパでは、紀元前400年頃貴族や聖職者などによって広められ、鷹を飼うことは、貴族や特権階級の男性文化の象徴となった。
最盛期の13世紀にハヤブサはこの時代のシンボルとなっていた。
日本には、355年に大陸より伝えられ、朝廷を中心に王侯貴族の遊びとして栄えた。
日本では江戸時代には武士の芸として広まった。
軍陣の演習や民情視察をかねて多くの大名の間で愛されたが、銃器の発明により衰退し、近世には都市化・過密化する交通網・電線などに妨げられ、趣味として残るに過ぎない存在となった。
さて、鷹狩りに用いる猛禽類の種類は、獲物の大きさや性質などによって次のように分類される。
ヒバリやツグミなどの小鳥には小型な「ハイタカ」が、キジ・ヤマドリ・カモ・ウサギなどには中型の「オオタカ」が用いられる。
中・大型鳥類やウサギから仔鹿までの哺乳類は、「クマタカ」や「イヌワシ」が用いられる。
そしてハヤブサやイヌワシが、いつの世でも多く使用されている。
そこで思い出すのは、宮沢賢治の『よだかの星』。
「よだかは、実にみにくい鳥です。顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています」と、物語の最初から、悲しい。
よだかという鳥は、本当は鷹や猛禽類に分類される鳥ではないけれど、名前に「鷹」がつくものだから、名前負けして見られ、鷹には、名前を変えろと迫られてしまうのだ。
猛禽の一種だけれど鷹狩りには使えず、「馬糞鷹」とも呼ばれてしまうノスリと、本当は鷹じゃないのに名前に「鷹」が付いてしまっているがために虐められる。
そればかりかよだかは、自分が生きるためにたくさんの虫の命を食べるために奪っていることを嫌悪して、彼はついに生きることに絶望し、太陽へ向かって飛びながら、焼け死んでもいいから太陽の所へ行かせて下さいと願う。
しかし太陽に、お前は夜の鳥だから星に頼んでごらんと言われて、星々にその願いを叶えてもらおうとするが、相手にされない。
ついに居場所を失い、命をかけて夜空を飛び続けたよだかは、いつしか青白く燃え上がる「よだかの星」となり、中島美嘉の「雪の華」の歌詞にあるように、夜空で燃える星となって我々を照らしている。

NHKテレビ、地球イチバンの番組で「地球最後のイーグルハンター/4000年続くモンゴル遊牧民カザフ族の鷹匠」(2015年)はインパクトがあって忘れがたい番組であった。
カザフ人はモンゴル国バヤンウルギー県に住んでいる人々で、鷹匠とはタカ使いを言うのだが、カザフではもっぱらイヌワシが使われる。
広げた翼は2mに及ぶものもいて、か2010年にユネスコの世界無形文化遺産に選ばれた「鷹匠文化」だが、その文化は急速に薄れつつある。
そんな中、4000年の歴史で初めて女性のイーグルハンターが2014年に誕生した。
まだ13歳の女の子で、鷹匠の名手の家で育ち、伝統を引き継ぎたいとが、果たして一人前の鷹匠となれるのか、その成長を描いた番組であった。
荒涼としたアルタイ山脈を背景に、西モンゴルに住むカザフ族の少年・少女らは13歳になるとキツネや野ウサギを狩猟するために鷲の扱い方を学び始める。
ワシは幼い頃から狩りに使われるべく育てられるが、大きく成熟したワシだと7キロ程の重さとなるため、子どもの小さな細い腕にワシを乗せるところから訓練がはじまる。
ウサギや大型の鳥を主な獲物とするが、キツネやヒツジ、ヤギの子供、さらにはシカやトナカイまでもがイヌワシの獲物となる。
遊牧民の住む土地では、オオカミを捕まえるように調教されることもある。
数年間狩りを行った後、お別れとお礼の挨拶として鷹匠らはワシに羊の肉をプレゼントし、自然に帰す。
自分たちが育てたワシを自然に帰すことで、また彼らが子孫を残し、次の世代に繋がるということを理解しているからだ。
さて日本にも、ひとりの「鷹ガール」が登場している。彼女の居場所はソフトバンク・鷹ホークスの本拠地の福岡ドームではなく、佐賀県武雄市の自宅の庭に作った禽舎(きんしゃ)。
彼女もまた、鷹匠である父から手ほどきをうけ、その道を目指すことになった。
この女性とは、石橋美里さん22歳で、仕事がない日も1日の大半が鷹の体調チェックや訓練などで鳥と共に過ごす。
カラスに田畑を荒らされて困っている地元佐賀の農家はもちろん、ノリの養殖棚を水鳥についばまれた有明海の漁師さん、糞害などに悩む企業や自治体など、さまざまな人から依頼を受けているという。
依頼者の悩みは深刻で、さまざまな対策をしてもどうにもならず、打つ手がないという状態で、石橋さんを選んで依頼がくることは、本当にありがたいという。
TV出演した彼女によれば、鳥を追い払う時に重要なのは、別のすみかを見つけさせること。ここは危ないから、別の所に移らないといけないと思わせることがコツのなだという。
つまり、駆除ではなく排除を目的にしているが、鳥は賢い動物で、よく人間の動きも観察しているため、ただ威嚇するだけでは、効果が薄まるのも早い。
そこで、地面に羽毛を散らして見せて「仲間を殺して食べてしまったぞ」と思わせれば、怖がって近づいてこない。
つまり賢さを逆手にとるというわけだ。
驚いたのは、20羽を超える猛禽類を自在に操ることで、時間帯や目的によって、タカだけでなく鳥を使い分けること。
飛ぶスピードが速いのはオオタカ、急降下できるのはハヤブサ、夜目が利くのはミミズクなど、個性に応じて飛ばすのだという。
石橋さんは最近、命をテーマに講義する教育者の顔も持つようになっている。
タカたちとの活動で分かった自然のことや、動物のこと。どういう気持ちで私が生き物と向き合い、過ごしているかなどを、子供に知ってほしいという。
猛禽類といっても、獰猛(どうもう)な性格をしているわけではなく、人間と同じように個性がある。
鳥によって、甘えん坊だったり、おっちょこちょいだったりする。
子供のとき、初めて見たタカは力強く、抜群に格好良い存在であった。
ところが、実際にヒナから飼ってみると、安全な飛び方や狩りの方法など、いろんなことを教えなければ、何もできない存在だと分かった。
ヒナから手間をかけて育て、調教したタカは、かわいい弟や妹のようなものだ。
仕事としてコンスタントに鳥を飛ばすことは、簡単ではない。鳥の体調や空腹の度合いによって、コンディションが大きく変わる。
害鳥排除も相性があり、ショーに向く鳥もいれば、向かない鳥もいる。
種類によって飼い方や調教方法は千差万別。だからこそ、もっとタカのことを知りたい、といろいろと工夫する毎日なのだという。
石橋さんは、「大事なことはすべて、タカに教えてもらった。教わったことを、一人でも多くの人に伝えたい」と語ったが、イギリスのケンブリッジにも同じようなことを著書に書いた女性がいる。
最近「オはオオタカのオ」(ヘレン・マクドナルド)という本を出版し、その中で「命の大切さや、はかなさ、美しさ。私が感じる大事なことは全部、タカから教えてもらいました」と書いている。
彼女は、ケンブリッジ大学のリサーチ・フェローとして科学史を研究していたが、父親の死を契機に、その寂しさを癒(いや)すために、鷹(たか)のなかでも最も野性的なオオタカの「鷹匠(たかじょう)」となる。人生の転機は父親の死だったという。
最愛の父を失った欠落感が獰猛な野性へと彼女を向かわせ、家に幼鳥を迎える。
彼女は8歳の時に自分とじように孤独な生涯を送ったT・H・ホワイトの『オオタカ』に出会う。
彼女の本は彼女にオオタカの魅力を教えたが、実際に飼いはじめると、不気味で冷たい目をした精神異常者のようなオオタカに尻込みしていた。
ところが、オオダカのエキセントリックな性格がより親しいものになっていく。
調教の第一歩は飼い主の手のなかにある餌を食べさせること。そのときに重要なのは鷹が自然な状態でいられるよう、人間である自分の姿を消すこと。
子どものときから内気で不器用で、主張よりも観察が好きだった彼女には、姿を消すことはたやすかった。
これと幾分似通ったエピソードを思い浮かべた。
シンクロナイズド・スイミングの小谷選手が同じようなことをテレビで語ったことがある。
小谷さんは二度ほどアスリートとしての不思議体験を味わったという。
それは、シンクロ競技中に水の中で息を止めてもほとんど苦しくなくて水と一体化になるような体験であった。
通常の演技中には、心の中で審判に点数をもらう為に、ここでアイキャッチしてアピールようとか、色んなことを思いつつ演技をしている。
しかしこの時は青い空にエネルギーをもらい、なんにも頭に無く幸せでしょうがなかった。
演技が終わっても疲れはなく、この時彼女は人生で最高の得点をとって優勝したという。
ところが小谷さんにとっての本当の人生の転機は、メダルをとったことではなく、野生のイルカと出会ったことであったという。
オリンピックの後、名も知らぬアメリカ人のオジサンから突然電話があった。
「君の演技は素晴らしかった。でも水の中には君よりももっと美しく泳ぐもの達がいるから会いに行こう」と誘われるようになった。
毎年ように電話をかかってきて、お節介にもシンクロだけが全てじゃないとまで言われ、それをウトマシク思っていた。
ところが次のバルセロナオリンピックで補欠になりアスリート人生に不安を覚えた時、「シンクロだけが全てじゃない」というオジサンの言葉が引っ掛かった。
そして1993年、小谷氏はイルカを見にバハマに行った。
そしてイルカと並走するように泳いだ時に、体の中に電流のようなものが走った。
海と一体化した自分のちっぽけさを知りつつ幸福感に浸った。そこからの人生観が変わった。
それからはイルカと対面するためにいつもピュアな気持ちでいようと心がけるようになったそうである。
ところで、小谷さんがイルカと泳いだ時、オリンピックの金メダリスト・マット・ビョンディも共にいた。
小谷さんがシンクロの最中に水と一体化した体験を語ると、ビョンディも自分の体験を語った。
クイックターンで壁を蹴って折り返した途端に何かポンと自分が離れたような感覚になり、「離れた」自分が斜め後ろから自分が泳いでる姿ずっと見ていたという。
そして最後にゴールタッチする時にフッと自分自身に戻り、電光掲示板を見たら世界新記録がでていたそうである。
この時、小谷さんはビョンディとこの話をするためにさえバハマに来たと思った。
そしてオリンピックに出たのも「イルカと出会うため」ではなかったかと思ったそうである。
ここで話を「オはオオタカのオ」の著者に戻すと、女史は鷹に心を移し、鷹の目で物事を感じ取るうちに、彼女の魂は人間界を離れて狂気に似た状態に入っていく。
そして、パートナーも子どももなく、キャリアも手放してしまった。
野性とバランスをとる「ふつうの生活」を欠いた日々。
鷹を綱なしにフリーで飛ばすときは、このまま戻ってこないのではないかという疑念に襲われる。
これはギャンブル依存症に近い感情であり、そのことに愕然とする。それは父親の像なのか。
オオタカが「傷を焼きはらってくれる炎」になる。
彼女の傷心を癒して窮地から救くれるのは小さくて柔らかなものではなく、血に飢えた獰猛な生きもの。
彼女は、人間ではないとはどういうことかを知って、再び人間の世界にもどってくる。