元号と時代区分

新しい元号が4月1日に発表されるが、天皇の「生前退位」を知って以来、お疲れ様という思いの反面、一抹の寂しさを感じてきた。
ただ、今上天皇の生前退位はあくまで「特例法」の下で認められたにすぎない。
天皇は昨年夏の「お言葉」の中で、自分は「象徴」とはどんなことかを日々模索されたという。
そのことから、憲法の理念を大切にされていることがよくわかる。
そこで、「生前退位」につき、一般には次のような考えが少なくないのかもしれない。
「一世一元」などは古い君主制の名残りで、国民主権の時代にふさわいくないし、死ぬまで働くなど天皇には人権はないのか、という疑問。
したがって「生前退位」こそが、現憲法にふさわしい在り方という考え方である。
一方、日本国憲法には「天皇の地位は国民の総意に基づく」ともある。
それならば、天皇にどんな在り方を国民が望んでいるか、それが国民主権ということでもある。
天皇が日本国民の象徴であるということは、ある部分、天皇が国民の自画像の一部を構成する。
なぜなら、少なからぬ日本国民が、意識的にか無意識的か、どこかで血筋の上でつながっているという思いがあるからだ。
実は、冒頭でいった天皇の生前退位に対する一抹の寂しさとは、「天皇が世俗化」されることに対する思いも含んでいる。
戦時中、天皇は超越的な存在として君臨した。しかしそれは「作為」であり、天皇はもともと国民と共に歩む存在であった。
反面、天皇はけして我々と同じような存在ではない"特殊な存在"でもあった。
遡れば、日本の歴史は、古代から今日にいたるまで、天皇を「俗」に貶めない々な仕掛けがあった。
歴史家の半藤一利氏の指摘によれば、日本の和歌では、”すめらみこと”、”おおきみ”などと読んできたが、歌や文学に適しなかったことが「天皇」の語を俗事に汚さず、聖別してきたのだという。
日本の場合、相争う権力者の勝者が、そのまま国を支配するのではなく、天皇を担ぐことによってはじめてその権力の「正統性」を獲得することができる。
つまり一番上に乗っかる天皇はあらかじめ決まっていて、その下で支配の「代行者」の地位の争奪戦を繰り広げるという構図である。
したがって、武人や官僚の中で現役の天皇を打ち倒して自らが天皇の位につこうとする者はなかった。
天皇を打倒するにせよ、他の天皇候補者を探し出して担ごうとしたにすぎない。
天皇が日本人の象徴ということの意味。天皇が我々の単なる「写し身」だけの存在であったならば、天皇が日本と日本国民の「象徴的存在」ということに一体、どんな意義が見いだせるだろうか。
今日のように人々が生きることに精一杯で、世事で心が埋まってしまうと、何か崇高なものとの出会いの機会がなくなる。
言い換えると、自分がとうてい及ばない存在に出会い、自分を極限まで小さく感じられるような機会がない。
それは西行法師による「なにごとのおわしますかはしらねども、かたじけなさに涙こぼる」といった心境から到達する「小ささ」の体験である。
近年「他人を見下す若者達」という本が売れ筋なる時代、そういう崇高なものと繋がるよすがとなるのが、「元号」であってもよい。
「元号」によって、我々は日頃意識しない自分の中の古層に意識を向けることにもなる。
たとえ天皇存在を意識しないにせよ、日本人が勤勉であったり、互いに親切であったり、時間を守ったりする当たり前のことは、日本人が遠い祖先で繋がっているという意識があってこそで、それは天皇の存在とは無関係であろうはずがないのだ。

日本の天皇は、なぜ「万世一系」というほどに長く続いたのか。
この点こそが、日本の歴史と文化における「最大の謎」なのだが、この点について納得のいく説明を聞いたためしがない。
多くの学者は、日本の天皇支配の継続性は、「豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまふ」という、アマテラスの子孫(天孫)が支配者となって日本を治めるという「神勅」、つまり神の意志に基ずくものであり、天皇の地位は神代から続く血統によるという神話に基ずくものと説明する。
確かに神話は、古代人が世界をどうみてどう捉えたかを知ることができる貴重な資料であり、歴史事実ではないにせよ神話の世界にこそ民族の最も無意識かつ根源的なものが秘められている。
だが問題は、神話による支配者の正統性の根拠よりも、そんなにも長く時代を超えて受け入れられ続けてきたという事実にこそ目をむけるべきである。
外国ではチカラづくで政権を奪い、新しい「正統性」を作り出していくのが、あたりまえだからである。
ところで「古事記」から、日本人の心のとらわれない素直さやユーモラスな精神など素朴なぬくもりにふれることができる。
女神のアマテラスは弟スサノウの乱暴を恐れて、姿を岩屋に隠してしまい、高天原も下界も一度にみんな真っ暗になり世界中にありとあらゆる禍が一度にわき起こってきた。
そこで、なんとかアアテラスを岩屋から出させるために、入り口の前に鶏を集めて鳴かせてみたり、奇妙な格好で踊り狂ったりして悪戦苦闘する場面が、なんともユーモラスでおかしい。
ところで古事記には、空高くに在る「高天原」を舞台としてた神々の世界が描かれている。
イザナミやイザナギによって日本の国つくりが行われ、アマテラスという女神が地上の争いをただすために派遣したニニギノミコトという神の子孫(天孫)が日本を治めることになる。
つまり「古事記」では、高天原と地上の人々が呼応するかのごとく存在し、天高天原からこの地上に降り立った根源性に、天皇が日本を治める正統性があるということである。
ただ、けっして高天原の神々は西欧の神のように超越的な存在ではなく、かなり人間に近しい存在であるということである。
アマテラス(「天照大神」)は名前かして太陽神であり、日本人がすべての生命の根源に「太陽」を感じ取っていた意識の表れなのだと思う。
エネルギーの法則やらエントロピーの法則を学んだ現代の知識においても、「太陽」が地球上のあらゆる生命活動の源であることは、異論のないところではなかろうか。
つまりアマテラスの子孫たる天皇は、日本人が日々の生活を営む上で遍在するあらゆる自然の恵みの体現者のようなものとして、時代を超えて受け入れられてきたということである。
さらに「血の繋がり」も生物上の自然のひとつで、自然を崇拝する日本人が血統を大事に思うことは納得できる。
かつて人々は、天皇を「天子様」と親しくよんだが、それは太平洋戦争直前までは一般に活きた言葉であったのだ。
そして「天子様」は日本にもたらされるあらゆる恵みの根源であり、日本の国土や自然そのものが「神殿」のようなものとして受け入れられていたならば、逆に天皇以外のどんな支配者がその存在を超えて君臨できるだろうか。
またどんな新しい神話が「天子様」に打ち勝つことができるだろうか。
個人的想像であるが、天子様をないがしろにするようなことをすれば、時々の支配者は天の恵みを失い年貢さえとれなくなるという微かな恐れさえ抱かせるにたる存在であったのかもしれない。
それゆえに支配者自らがどうしても「天皇」を奉る必要性があったのである。
ちなみに「天皇」という言葉は、文武天皇(697年即位)の時代に、外国に対するときの天子の称号として、あるいは諸官・公民に皇帝として君臨する地位の称号として、作り出されたものである。
ところで、今でも宮中で行われる「新嘗祭」において天皇自ら田植えをして、刈った新穀を、天照大神に捧げ、豊饒を祈るという、一般の風習を"農民のごとく"自ら実践するが、そういったことを、一体どこの国王がするだろうか。
さらに、日本の天皇は、昔から「完全性」(無謬性)を期待されてきたわけではない。
「古事記」神話において、高天原の神々は、乱暴したり約束破ったりと、とかく過ちをおかしまくる神々であり、アマテラスでさえ弟スサノウの乱暴狼藉に引きこもり状態になったりするのである。
また、天皇は戦時中に現人神といっても、衆の忠言と協力とがなければ、当然に過ち多きことを、常に自ら恐れられた。
昭和天皇には「日々のこのわが行く道を正さんと かくれたる人の声をもとむる」という歌った和歌もあるくらいだが、誤りを犯す存在だからこそ、歴史上天皇の責任を回避させるような仕掛けができているのではないか。
元号はもともと中国発祥で、紀元前115年頃に前漢の武帝が「建元」という元号を定めたのが始まり。その当時、日本は干支を使っていたが、645年の孝徳天皇の時代に、初めて「大化」という元号を使うようになった。
この年は中大兄皇子らが蘇我氏を滅亡させ、中国の制度を取り入れ、“文明国の象徴”として元号を使うようになった。
日本独自の元号を定めたことに、日本が自立しているという意識を表明したといえるかもしれない。
その後、江戸最後の元号「慶応」まで、実に243回も改元されている。
年号を改めることは、一般には、新しい天皇の即位初めに行われてきたが、707年に即位した元明天皇は、武蔵国秩父郡から和銅が献上されたのを瑞祥として、年号を「和銅」と改めた。
650年、長門国(山口県)の国司から白雉(白いキジ)が献上されたことを瑞祥として改元が行われたとされる。
ちなみに、我が博多では京都の冷泉家が、博多津で人魚があがったということを調査に滞在して、それが「冷泉町」の町の名の興りとなっている。
しかし、「瑞祥改元」は古代に限られ、時代が下るとむしろ不幸な現象が起こった時の災異改元が多く見られる。
1772年、江戸は大火に見舞われ、死者が1万5000人近く出るほどの大きな被害を受けた。
そのため「安永」へと改元を実施。
これは明和9年=「迷惑年」に通じるという噂が流れていたなかで大火が起こったことにより、縁起担ぎのための改元であった。
改元を行うことで災いを断ち切り、新しい世の中を作ることを示すという意味合いがある。
明治になり「一世一元 」となれば、災害や不幸が続くとき、流れをかえるためには退位によるほかはない。
現天皇の生前退位もそうしたお気持ちがあってのことではなかろうか。
ところで、江戸時代以降は、明治、大正、昭和だが、日本の元号はすべて中国の古典を出典としており、これまでの247個の元号で使われている漢字はわずか72文字。
元号には吉兆の漢字を選ばなくてはならず、自ずと重複してしまう。平成も「史記」の“内平外成”と「書経」の“地平天成”を出典としている。
首相が数名の有識者に委任し、それぞれに複数の候補を提出してもらい、数個の原案の中から閣議で協議し決定した元号が政令で公布される。
個人的には、これまですべて中国の古典から出たことに違和感を覚えるが、現安倍内閣にも、日本文学など国書に依拠した元号を期待する声がある。
ただ、日本最古の和歌集「万葉集」で有名な万葉仮名は漢字だが、日本語の音を表すために漢字を当てはめた表音文字で、漢字それ自体には意味がない。当て字のような仮名からとるのは難しい。
一方、720年に完成した歴史書「日本書紀」は、中国古典を引きながら漢文で記されている。しかし良い文章を選ぶと、名文であればあるほど中国の儒教の経典「四書五経」が元になっているという。
中国の権威ある書物の表現を、いかに織り交ぜて書くかが腕の見せどころだが、中国と日本の古典のダブルで作られるということも取沙汰されている。

アメリカで生まれた思想に「プラグマチズム」(実用主義)というのがある。
野球でストライクといえば、キャッチャーミット周辺の真ん中をさすが、アメリカ野球は、選手の怪我が多いので真ん中でなくて少し外角にずらしたりする。
すなわち人間の都合のいいようにルールを変えることに躊躇がない。
平成天皇は「一世一元」制に風穴をあけたが、学校で習う「時代区分」は絶対的なものではなく、歴史の流れや本質をより分かり易くできたら、なおよかろうかと思う。
そもそも「古代/中世/近世」という区分、果たして意味あるものだろうか。
日本の歴史は、どこに政治の実権者が拠点を置くかで、「奈良、平安、鎌倉、室町、南北朝、安土桃山、江戸」と時代区分する。
教科書に時代区分の複数説が紹介れているのは鎌倉時代ぐらいである。
頼朝が幕府を鎌倉においた1192年以外にも、頼朝が守護や地頭をおいた1185年説が併記されている。
今それ以上に大胆な時代区分説を唱えているのが、保立道久(ほたてみちひさ)東京大学名誉教授である。
教授によれば、時代が決定的に変化するのは、武家の源頼朝が征夷大将軍になった1192年ではなく、1221年の承久の乱、後鳥羽上皇が起こしたクーデターの時である。
ここで覇権を握ったのは武家の北条氏で、上皇は軍事権を失って隠岐に流された。
頼朝は平清盛とは異なる性格の武家で新しい世の中をつくったとされるが、2人とも京都出身で本質的な区別はできないとする。
教授の時代区分をいうと、「古墳時代→飛鳥時代→山城時代→北条時代→足利時代→織豊時代→徳川時代」で、一番意外なのは「平安時代」という言葉を使わない点である。
さらに気づくことは、日本史を北条政権を中心に二分し、天皇が支配した前半はその拠点から、武家が権力を握った後半はその氏族名から時代を名付けている。
「山城時代」の山城は京都府南部の旧称で、784年に平城京(奈良)から山背(やましろ)国長岡へ遷都する。
その10年後、すぐ北に再遷都して左京・右京をもつ平安京を作ろうとした。
しかし、右京に住む王族・貴族は激しい政争で没落し、すぐに右京は荒れ果て、平安京は実質なくなったといってよいのだ。
むしろ大津、宇治、大山崎などを結んだ「山城京」というべき都市を拠点にする王権であった。
そもそも、平安時代は内紛も多く、政治的には少しも平安ではなく誤解のもとにもなる。
大和時代を長岡京遷都で終わらせ、以後を山城時代とする方が、内紛にあけくれた実態を表すにも適しているという。
また、室町時代は足利義満の室町御所から採ったが、幕府が室町にあったのは初めだけ。北山、東山と変わっている。
昭和の初めまでは「足利時代」という用語が普通であったが、皇国史観の中で足利氏が「逆賊」として嫌がられて室町時代の使用が増え、それが続いているにすぎないのだという。
ともあれ、日本史の時代区分を自由な発想で考えつくることは、歴史を多様な観点から見るという教育的観点からも、よい効果がねらえそうだ。
天皇の「一世一元」制に風穴が空いたことを契機に、そろそろ既成の「時代区分」にも風穴をあけて新風を吹きこんでもよさそうな時だ。

日本の元号は、平成までで247を数えます。いろいろな理由で変更されてきましたが、実はここだけは守らなければならないという共通点があります。 理由はどうあれ、帝王や天子、日本で言えば天皇が勅定(天皇自らが定めること)するということです。ですから、王制が消滅したところでは元号が立てられないのです。ここから、天皇制と元号が関わるという図式が描かれました。 例えば、明治天皇の場合は自らくじを引いて「明治」を引き当てました。しかし、大正天皇と昭和天皇は枢密院の議決に従っていたため、即位の後に勅定を行いました。このような形式をとらないと、正式な元号とはみなされないのです。つまり、元号は必ず天皇が定めてきたのです。ただし、象徴天皇制の下では勅定ではなく認定になっています。 日本人は当然のように西暦と元号を併用しています。ただ、同時に「いまは西暦何年だけど元号では……」と、ぱっと答えられない人も少なくありません。そのため、2019年の改元に向けて、元号を廃止すればいいのではという声も上がっていました。 ですが逆に、「元号=天皇」という図式なのだから、もっと元号を尊重すべきという声もあります。この元号と天皇・皇室の関係性においては、次のような話もあります。 2017年に秋篠宮殿下の長女である眞子内親王殿下が会見をなされたときに、元号ではなく、西暦を使っておことばを伝えられたのですが、それは皇族としてどうなのかという意見が上がったのです。これは少し過激な意見ですが、そのようにみなす方もいるくらい、天皇・皇室と元号のつながりは深いということなのです。 記事の連載は・・・・・・ ひもとく  元号は、現在では日本にしか存在していない。中国で、紀元前2世紀に作られた建元が世界初の元号とされているが、その中国でも今や使われていない。  また、ひとりの天皇の在位期間と一つの元号を一致させる「一世一元」にいたっては、慶應から明治への改元に際して決められた、非常に新しいルールである。  昨年夏から続く天皇の退位を巡る議論では「2019年元日からの改元」が報じられている。その理由は、1979年に制定された元号法によって、「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」と定められ、退位と改元は同義だからだ。  こうした元号の歴史をはじめとして、細かいエピソードに至るまで網羅的に調べ尽くした事典が、折良く、少し手に取りやすい『日本年号史大事典〔普及版〕』として再版された。  同書をひもとくと、日本初の元号が645年の「大化」であること、そして、その後の空白期間を経て、現在の「平成」に至るまで247個もの元号が、1300年以上にわたって途切れずに続いている、といった、基本的な歴史を理解できる。  元号を擬人化することによって、わかりやすくこれまでの歴史を伝えようと試みたマンガが『アラサーの平成ちゃん、日本史を学ぶ』(もぐら、藤井青銅著、竹書房・1296円)だ。 権威象徴の歴史  重厚な事典と軽妙なマンガ。この2冊からは、長く、そして、ある一筋の元号の歴史が浮かびあがる。  それは、幕府が権力を握っていた江戸時代においてもなお、元号が天皇の権威や権力を示すシンボルとして機能してきた歴史である。  そうした歴史を経て、明治への改元と同時に「一世一元」が定められたために、明治以後の日本人にとって元号は、とりわけ重要な意味を持つようになる。  この意味について、森鷗外を中心として描いた作品が、今も文庫版で手軽に読める『天皇の影法師』だ。作家猪瀬直樹の書き下ろしデビュー作であり、「純文学も批評もミステリーもノンフィクションも学術論文も兼ね備えたもの」という欲張りさが存分に発揮されている。批評家東浩紀との巻末特別対談は、昨年夏から続く退位をめぐる議論を考える上でも示唆に富む。  猪瀬は、「昭和」への改元にあたって起きた、東京日日新聞(現在の毎日新聞)が「元号は光文」と誤報した事件を解き明かす。その後、「次の元号」をスクープしようとするメディアの欲望は、昭和からの改元に向けてさらに高まりを見せる。  昭和末期において、退位とは天皇の「崩御」と同義であったため、「次の元号」をめぐる取材は、不謹慎の誹(そし)りを受けながら水面下でヒートアップしていったのである。『昭和最後の日』は当時の状況を克明に描く。  平成からの改元に向けて、いま一度あの頃の報道を見直すためにも同書は役に立つ キリスト誕生の年にローマが戸籍を作り、キリストがヘロデの迫害を逃れてベツレヘムに逃れて、ローマの戸籍に登録したからである。
何を記念日とするか、恋人二人の「サラダ記念日」があるように、ようやく子供がホウレンソウを食べれた「ほうれんそう」記念日があっても、外国人がなんとか納豆が食べれれた納豆記念日があってもよい。
ただ、時代区分を意味あるものとするために、もう少し柔軟な発想が生まれてもよい。
それは、ものごとをどのような観点で捉えるのかということに繋がる。<> キリストの十字架の死は、約30歳といわれるが、それ以前とそれ以後、世界は全く変わった。
聖書の記述の中で、神が異邦人を殺戮せよいった気分が悪くなる話や、祭司が羊のいけにえを捧げる話や、清い食べ物や穢れた食べ物など戒律の話もなくなる。
ここからわかることは、神がユダヤ人と結んだ「古い契約」から、神と人とが「新しい契約」の世界にはいったということ。
もっと言えば恩寵の世界に、さらにえば福音の世界にはいったということである。
福音とは、「よい知らせ 」のことだが、後はそれをどう人間の側が受け止めるかに委ねられているということだ。