アクションスターには様々あるが、スタントマンとか斬られ役という人達はどういう気持ちで演技をしているのだろう。
最近「斬られ役」が主人公の「侍タイムスリッパー」が話題をよび、つかこうへい作の映画「蒲田行進曲」で”階段落ち”に臨む役者のことを思い出した。
「蒲田行進曲」(1982年)の舞台は、東映京都撮影所で「新撰組」の映画の撮影が行われていた。
ちなみに、タイトルは東京の松竹蒲田撮影所(1936年閉鎖)の歌に由来する。
この映画の土方歳三役の衣装を着て役を演じるのは、「銀ちゃん」と呼ばれる役者・倉岡銀四郎である。
銀ちゃんには華があり、舞台やスクリーンでも映える役者なのだが、時々尊大な態度を取ることがあるのが欠点。
銀ちゃんには、「大部屋役者」のヤスが常にくっついていた。脇役やチョイ役のヤスにとっての銀ちゃんは、完璧な人間で人一倍役者や人生に対して美学を持っているふうに見えるのだった。
さてある日、銀ちゃんがヤスのアパートの部屋に女優・小夏を連れてきた。
小夏は銀ちゃんの子どもを妊娠していたのだが、スキャンダルになると困る銀ちゃんは、ヤスに「お前が小夏と一緒になって、自分の子として育てろ」と命令する。とんでもない要求だが、銀ちゃんを尊敬するヤスは承諾する。
小夏とヤスは一緒に暮らし始めるが、ヤスはあくまで小夏を「銀ちゃんの恋人」とあがめ、小夏に対しても奉仕するという奇妙な生活となる。
ところが、小夏が妊娠中毒症で入院し、ヤスは毎日看病に通う。退院した小夏は、部屋に新品の家具と電化製品が揃っているのを見て驚く。
実は、ヤスは撮影所で危険な役(スタント)を引き受けていたのだが、小夏はヤスと接するうち徐々に心が傾ていく。
小夏はヤスと本当に結婚する決意をし、ヤスの実家に挨拶をして挙式もすませ、新居としてマンションを購入する。ヤスも小夏の気持ちを知り喜ぶ。
一方、銀ちゃんの人気も翳りが見え始め、新しい恋人とも破局し、仕事でも行きづまっていた。
銀ちゃんは小夏とヨリを戻せたらと思うが、小夏の心はすっかりヤスに向いていた。
ヤスは銀ちゃんに、「新撰組」のクライマックスで、高さ数十メートルの階段を斬られた役者が転げ落ちる「階段落ち」をすると告げる。
要するに、主役の銀ちゃんに花を持たせるシーンだが、落ちる役者は無傷ではすまない。
「階段落ち」の役者がヤスに決まり、撮影日も近づくにしたがい不安になり、死に怯える。
撮影当日、小夏は心配で撮影所に行くが、門の前で産気づき病院に運ばれる。
ヤスは自分の死への意識からか投げやりな態度をとる。それを見た銀ちゃんがヤスを殴りつけ、ヤスは我に返り、立派に「階段落ち」の演技をする。
病院に運ばれた小夏が意識を取り戻すと、そこに満身創痍でも元気なヤスが居て、女の赤ちゃんを抱き微笑む。
2025年、「侍タイムスリッパー」が自主映画でありながら、ブルーリボン賞や日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞をとった。
同じくアカデミー賞を受賞した「蒲田行進国」が”時代劇全盛期”が舞台であったのに対して、「侍タイムスリッパー」は”時代劇衰退期”という違いがあるが、舞台は同じ東映京都映画撮影所である。
さて、低予算の自主映画といえば「カメラを止めるな」(2017年)で、全国に上映館が拡大していったが、その点は「侍タイムスリッパー」も同じである。
「カメ止め」は”ホラーとコメディ”の融合で、「侍タイムスリッパー」の方は、”時代劇の重厚さとコメデイ”の融合である。
自主製作映画ということから、名前を知らない俳優ばかりなのは無理もないが、それにしてもみな演技のレベルが高いと思ったら、朝ドラや時代劇などで、なかなかの実績を積んだ陰の実力者だった。
安田監督の「未来映画社」は、『拳銃と目玉焼』『ごはん』に続く劇場映画第三弾であるという。
安田は米農家と油そば屋を兼業しており、劇中に出てくる握り飯などの米は安田が育てた米である。
映画は10名ほどのスタッフで制作しており、安田は車両からチラシ作成・パンフレット製作まで11役以上を1人でこなしている。
制作費の総額は約2600万円、安田の貯金1500万円と愛車を売却した金額500万円、文化庁の助成金600万円を充てた。
制作費の安さに比べてこの映画の重厚さの秘密は、衣装・メイク・美術までも東映京都撮影所が協力してくれた結果である。
特に、立ち回りの見事さは、”刀の重さ”が伝わるような動きへのこだわりに
現れている。
東映京都は100年近い歴史を持ち、数々の名作時代劇が生まれた「時代劇の聖地」であるが、安田監督の時代劇相と脚本の面白さから、プロ集団の”全面協力”となった。
シルベスター・スターローンの「ロッキー」の脚本を映画会社が買い取ってくれたことを思い出す。
ただし、スタローンは自分を主役にしてくれないならと条件をつけて出演したため、結局、低予算での制作となり、エキストラは、ホットドッグ食べたさに集まってきた撮影場所周辺の老人たちであった。
「侍タイムスリッパー」のストーリーは、次のとおりである。
幕末の京都。会津藩士の高坂新左衛門は家老から長州藩士を討つよう密命を受けるが、標的の男と刃を交えた瞬間、落雷によって気を失ってしまう。
落雷でタイムスリップするのは映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 を思い出すが、高坂目を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所だった。
慣れないスタジオの機材に頭をぶつけ倒れた高坂は、撮影助監督の山本優子の世話で入院治療を受ける。
しかし、目が覚めた高坂が病院の窓から目にしたのは、変わり果てた日本の街並であった。
見知らぬ現代の街へ飛び出した高坂は、街のシャッターに貼ってあるイベントポスターで自分が幕末から140年後の日本に来てしまったと知る。
元の時代に戻る術もわからないまま彷徨い続け、見覚えのある寺の外で行き倒れた高坂は住職夫妻に助けられ、寺に居候することとなる。
一度は死を覚悟する高坂だったが、心優しい人たちに助けられ、生きる気力を取り戻していく。
ある日、テレビで時代劇を見た高坂はその物語に深く感動。そんな折、寺で時代劇の撮影が行われることになり、高坂は急遽斬られ役のエキストラとして出演する。
「斬られ役」の演技を目の当たりにした高坂は、これぞ自分に出来る唯一の仕事と思いたち、斬られ役のプロ集団「剣心会」への入門を希望する。
仲介を頼まれた優子からは、現在の時代劇の窮状を理由に翻意を促されるが、高坂の熱意に心打たれ「殺陣師」関本に紹介し、「剣心会」への入門が叶う。
やがて彼は磨き上げた剣の腕だけを頼りに撮影所の門を叩き、関本の指導と自己研鑽が実り、高坂は斬られ役として生きていくことを決意する。
そして関本の指導と自己研鑽が実り、斬られ役として活躍の場を広げていく。
そんな中、10年前に時代劇からの卒業を宣言したスター俳優・風見恭一郎を主演とする新作時代劇映画の制作が発表される。
そして、風見直々の指名により新作映画の準主役に抜擢されたことを告げられる。
謙遜から辞退しようとする高坂に対し、風見は自身の正体を明かす。
なんと彼は高坂がタイムスリップ直前に暗殺しようと対峙した長州藩士・山形彦九郎その人であった。
その時より30年前の京都撮影所にタイムスリップした山形は、高坂同様に「斬られ役」から俳優としての現在の地位を築いていたのだった。
両者は配役としては格段の差があったが、二人の間の間のわだかまりはタイムスリップしても変わらない。そして二人は、映画のリアリティを上げるために、危険な「真剣勝負」に臨むことになる。
それは、落雷前の会津藩士・高坂高坂新左衛門と薩摩藩士・山形彦九郎とのシナリオを無視した戦いの再現となった。
安田淳一監督には、この映画制作にあたってひとりのモデルがいた。この映画はその人物のオマージュ(敬意)として作られたものであった。
そのモデルとは、60年以上にわたって時代劇の「斬られ役」として活躍してきた俳優・福本清三。
主役の強さを際立たせるド派手な斬られっぷりで「日本一の斬られ役」と呼ばれた。数多くの時代劇に出演し、「5万回斬られた男」の異名を持つ。
福本は1943年、兵庫県生まれ。6人兄姉の5番目。中学卒業後、京都の米穀店に奉公に出るが、照れ屋で愛想よく接客ができなかったため、見かねた親戚の紹介で、京都・太秦にある東映京都撮影所で働きはじめた。
仕事は雑用でもいいと思っていたが、放り込まれたのは役名すらつかない端役の俳優たちの控室「大部屋」だった。
福本は15歳で当時は500人近くいた日給250円の大部屋俳優になった。
最初は斬られる役ではなく、斬られた後の役(死骸)を演じたということだが、それでも薄目をあけて、こうやって主役の斬り方の上手さとか、斬られる人の技を見ていた。
自分だったらこう倒れたいなとか、そういうことを思いながら。そして、なかには大部屋俳優からチャンスを掴んで名脇役になった仲間もいた。
そして、片岡千恵蔵、市川右太衛門のようなスターにたちと一緒に仕事をすることで俳優の仕事の面白さに目覚める。
その一方で、初めて台詞のある役をもらったとき、福本は自分の限界に気づいたという。何回もNG出して、自分は役者に向かないとつくづく思い、俳優を辞めることも考えた。
だが、主役スターにはならなくても、立ち回りで輝こうと気持ちを切り替え、「斬られ役」としての技に磨きをかけていった。
あるときは篝火とともに倒れ込む、あるときは斬られた勢いで縁側から転落する。生傷だらけになりながらも、主役が格好よく見えるよう心がけ続けた。
そんなとき、時代劇のスーパースター萬屋錦之介から声をかけられる。
尊敬する萬屋に、「お前、斬られ方上手いな」と言われて、自分がやってたのは間違いじゃなかったと、立ち回りにも自信が持つことができた。
そして自分だけの「斬られ方」、自分だけの「死に様」を模索する日々が続いた。
斬られ役を極めようと、意外な人物のアクションを参考にした。喜劇王チャールズ・チャップリン。
なぜ倒れただけで笑いがとれるのか。くよく観察してみると、受け身を取らず、四方どの方向にも倒れる派手なアクションに衝撃を受けた。
そんなすごい倒れ方していているのは、きっと命かけてやっているにちがないと感じた。
喜劇の人でさえあれだけやってるんだから、自分はそれ以上にやらなければと思ったという。
チャップリンの映画を何度も繰り返して見て、編み出した技の1つが「海老反り」である。
斬られてもすぐには倒れず、いったん静止した後、大きくのけ反って、受け身を取らずに頭から倒れる。
無様であること、格好悪いことにこだわった死に様だった。
「主役と僕の顔が同時に映るには、どうしたらいいか」、それが「海老反り」であった。
福本はまずカメラに背を向けたまま、主役がカメラに映ることを計算した位置に立つ。そして斬られる瞬間、相手に合わせた間合いを取る。
刀が絶対に届かない距離なので、主役は思い切り刀を振り下ろすことができる。カメラでは本当に斬られているように見える。
そして海老反り。主役の顔と斬られる福本の顔が同時に映る。そして、そのまま倒れる。まさに福本にしかできない「職人芸」である。
痛くないように倒れるなら、手をついてバタッと倒れられるが、痛みを感じて死なないと、見ている人も演技としかみてくれない。
斬られてもすぐには倒れず、いったん静止した後、大きくのけ反って、受け身を取らずに頭から倒れる。
一生懸命に何も気にせず、その人の仕事を全うして夢中でやってるときが、一番人間が輝いてる時と気が付いた。
福本が編み出した「海老反り」は、数秒しかない出番でも「誰かがきっと見ていてくれる」という思いがあり、実際にその通りとなった。
やがて時代劇ファンの間で、福本の名前が次第に知られるようになる。そして「日本一の斬られ役」福本清三の名は遠くハリウッドまで届くようになる。
2003年に公開された映画『ラスト サムライ』ではトム・クルーズと共演を果たした。
役柄は、トム・クルーズ演じる主人公を見張る寡黙な侍。クライマックスの戦いでは主人公を守って銃弾に倒れる。静謐さ漂う演技と豪快な殺陣、そして見事な死に様で世界の注目を集めた。
2004年の第27回日本アカデミー賞では、協会特別賞を授与された。
2013年、70歳になった福本のもとに、再び驚きのオファーが舞い込む。ついに映画の主役を務めることになったのだ。
しかし、当初は自分は主役の器ではないとオファーを固辞し続けた。
タイトルは『太秦ライムライト』。福本が演じるのは、自分自身をモデルにした年老いた大部屋俳優。
時代劇の衰退と自らの老いに戸惑う斬られ役が、次の世代を担う、山本千尋演じる新人女優に夢を託し、映画の世界から静かに身を引くという物語だ。
自分には荷が重すぎると答えたが、それでも、時代劇の面白さを若い世代に伝えたいという一心で主役を引き受けた。
斬られ役一筋の福本は初めての主役に悪戦苦闘。50年付き合いがある俳優・松方弘樹を挑発する台詞はなかなか出てこなかった。
いかに芝居とはいえ、大部屋俳優がスター相手に暴言を吐くことができなかったからだ。何度もNGを出したが、とにかくやり抜いた。
尊敬してやまないチャップリンの晩年の傑作『ライムライト』にオマージュを捧げた作品である。
ちなみに、チャップリン大の親日家であった。その大きな理由は、彼の日本人秘書高野虎市との間に生まれた深い絆にある。
特に注目すべきは、チャップリンが世界旅行をする際、高野が同行し、各地でのスケジュール管理や交渉を行ったことである。
1932年の五・一五事件では、同日にチャップリンの暗殺計画まであって、その危機に瀕した際には、高野の機転によって事なきを得ている。
日本文化、特に相撲への興味と尊敬の念や日本製ステッキへのこだわりと日本の職人技への敬意からすれば、当然「日本映画」にも話が及んだにちがいない。
安田は、殺陣師・関本の役は当初「福本清三」を予定していたが、脚本完成前に亡くなったため、長年斬られ役として東映剣会で福本と共に活躍していた峰蘭太郎に依頼した。
峰は脚本を読む前から快諾し、クランクイン前に福本の墓前に「先生の役をやらせていただきます」と報告した。福本は撮影所の皆から愛されながらも、いつしか「先生」とよばれるようになっていた。
峰は道場でのシーンにおいて、福本の道着を着用したいと申し出、福本の袴を着用して撮影した。道着には福本の名が刺繍されていた。
映画のエンディングロールの最初にでる福本への献辞について、安田は、謙虚な福本さんのことだから「献辞なんかやめときなはれ」とおっしゃられるだろうから、英語なら読めないので気づかれないだろうと英文にしたという。