令和の米騒動

2024年の後半以降、米の値上げがずっと続いている。酷暑による品質が低下もあったが、米不足の不安が出てきた矢先の2024年8月、南海トラフ地震臨時情報が発表された。
災害に備えて米を買いだめする人が急に増え、スーパーから米が消える事態となり、主食である米の値上げは、家計に深刻な打撃を与えており、今や「令和の米騒動」とよばれるようになった。
米が足りなくなっても、通常は秋以降に新米が出たら落ち着くらしいが、2024年産の新米が出回って現在に至るまで、米の値上げはおさまらず、2025年に入って、前年の同時期の2倍以上という状態となっている。
以前に米の価格が急激に高騰したのは、1993年と2003年の2回で、いずれも冷夏が原因である。
米の値上げがここまで続くのは、天候異常や災害情報ばかりとは思えない 。
経済理論でいうと、需要に対して、生産や流通が速やかに対応できないのは、コメの供給体制に何か「構造的」な要因があるのではなかろうか。
そこで思い浮かぶのが、農政の問題としてしばしば批判されるのがJA(農業協同組合)であるが、そもそもどのような経緯で生まれたのか。
一部は江戸時代から続く「講」や「報徳社」で、地域のお寺で仏教の講話を聞くために集う集会から派生したものもある。
やがて信仰とは無関係の同志的結合を意味するようになり、江戸末期には地主と小作が困った時は助け合おうという「互助会的色彩」をもつものも生まれた。
それらが発展して「信用組合」ができ、1898年には近代的な組合制度を導入した「日本初の農業協同組合」(福島県の小国信用組合)が設立された。
つまり、農業組合はあくまでも、地域ごとの組合として成立したのである。
これらの地方関連の農業組合は、戦中に一度整理されて「農業会」になるが、それを基本としつつも、戦後、GHQの指導の下でアメリカ型の協同組合制度を導入したのが、現在の農業協同組合である。
1947年に農業組合法ができ、以降、農業協同組合が全国に発足していく。
その制度は頂点に中央会をつくり、その中央会が「食糧増産」をすすめる農水省と協力して旗振り役となり、農政を推進していく形が採られることとなり、一定の成果をあげることができた。
また、当時はコメの価格は政府が決めていたから、コメの流通が、全農で一元化される仕組みは監督者である農水省にとっても都合の良い方法であった。
政府が農家からコメを買い取る食管制度は、戦時下の1942年にできた「食糧管理法」で始まるが、政府中心といっても農協が価格調整を行い、適切な価格で国民に提供し、どこの産地であっても「全国一律」の価格で農家から農作物を”買い取る”かたちで出来上がっていった。
つまり戦後、JA組織が出来てからも、戦前の統制色の強い「食管制度」が生き残ったということである。
現在、JAは全国各地域に存在する農業協同組合(単協)を基盤として、様々なサービスを司る機関や、連合会・中央会が存在し、それらを総合して「JAグループ」を形成している。
そのうち営農部門を司る機関としては、「JA全農」がある。
これは全国35都道府県に本部があり、さらに全国本部も組織されている。
そして、さらに日本のJAグループの独立的な総合指導機関として、「JA全中」(全国農業協同組合中央会)がある。
「JA全中」は、単協が農家に対して行う営農の指導の基本方針の策定、JAの経営と組織指導、広報や国際機関との連絡・調整を行う。
これに対して「JA全農」は、主に経済活動を行う連合会で、農家から委託されているコメ、野菜、果物、畜産物などを扱う販売と、肥料・農薬・飼料・農機具・石油・生活用品などを扱う購買を担っており、いわば農業組織のための「商社」といえる存在で、取り扱う量に関しては、日本の商社の6位にもあたるという。
食管制度は、必要な農作物をまんべんなく、ニーズのあるところに供給するための仕組みとしてはある程度役割を果たした。
それは、「JA全農」が、ある農作物の収穫量が少ないという時に、別の地域から不足分を補うということもした。
カレル・ウァフォルフレンの名著「日本権力構造の謎」(1990年)において、当時の日本の農協について次のように書いている。
「農民は、この農業系列によってほぼ完全に”捕らわれの身”ともいえる市場を形成している。現に農作物の販売、種子や肥料の供給から、銀行取引、保険、そして結婚式のお膳立てまで、この系列が営む諸種の営利サービスを利用する以外、農民にはほとんど選択の余地がないからである」。
農協は、農民の生活防衛にとって欠かせない存在であることは間違いない。ひとりひとりではロットが小さいなどの理由により高い価格で生産資材を買わざるをえなかったり、農畜産物を得る場合には安く買われたりすることもある。
しかしみんなが協同して買う量をまとめれば、流通経費が少なく済み、 適正な価格で買うことができる。また、農畜産物も量をまとめれば、市場で有利な価格で売ることができる。
さらに農家の単位が小さくても、共同で生産資材を買ったり、農畜産物を売ったりすることで不利益を被らないようにするというのがJAの設立の意義である。
とはいえ政府やJAが農作物を買い取って消費者や業者に販売するのは価格面でも「中間マージン」の存在が指摘され、消費者に届くまでの効率が悪さが批判されるようになったからだ。
食管法の限界はもはや明らかであった。まず風穴を開けたのは、生協などの「産地直送」であった。
1995年、食糧増産をめざす時代の食糧管理法が廃止され、代りにいわゆる「食糧法」が制定され、「食糧制度」になった。
しかし「食糧制度」もまた、食管制度の残滓を受け継ぐもので、2004年に、市場原理を取り入れ、事実上「食管制度」は廃止されたとされた。
それには、「産地直送」の流通ができるような、様々な社会インフラが整ってきたことと無関係ではない。
また、栽培技術や保存技術も格段に進歩した結果、ある地域で多少収穫量が減少しても、海外からの輸入を含め、別の場所で生産されたものである程度補えるようになっている。
要するに、JAが農作物を「集約」してこそ食管制度は意味をもつが、スーパーと農家が「直接契約」するということが次々に起こっていき、輸入農作物も増えていくなか、食管制度は意味を失っていった。
その結果、小売り業者はJAを通さずに農家と「直接契約」を結ぶようになった。この流れは、新鮮なものを直接手に入れたいという消費者のニーズとも結びつき、その比率がどんどん増えている。
ちょうどベルリンの壁崩壊の前夜の人々の流れように、「違反」を承知で単線ルートからわき道にそれたりスキップする「自由米(ヤミ米)」の存在が無視できないほど大きくなっていったのである。
「産地直送」が全国に広まり、この流れをJAも農水省も止められず、「直接契約」はいまやあたりまえで、スーパーマーケットではどこでも生産地だけではなく、時には生産者の名前が書いてあったりする。
今のコメ市場は「自由化」が進んでおり、誰もが銘柄で選べるようになったというわけだ。
ちなみにスーパーで、コメのパッケージに「パールライス」と書いてあるものが、JA系列を通されたコメである。
そして日本の米市場で民間事業者による外国産米輸入が活発化しているので、全中や全農が握ってきた価格決定権はだんだん減ってきている。
いまは4つほどの国内穀物メジャーのような国内商社によって価格が大きく左右されるに至っている。
それまで「聖域」とされたコメを初めて輸入したのは、1986年のウルグアイラウンドにおいて、ミニマムアクセス米70万トン枠でコメの輸入を認めた。
現在は主に外食産業において輸入米がつかわれており、「丸紅」「伊藤忠商事」「兼松」などの企業であり、兼松を中心に、丸紅や伊藤忠商事といった総合商社が相次いで「輸入戦略」を強化している。
ところで経済理論的には、米の供給が減っている一方で、米の需要が拡大していることが、価格上昇の理由である。そのアンバランスには、様々な要因が考えられる。
2020年からの新型コロナウイルス感染症拡大により、外食産業における米の需要は落ち込んでいた。
しかし、2023年5月の5類移行により外食需要が急激に回復し、米の需要も増えてきた。
外食需要としては、訪日外国人によるインバウンド需要があり、コロナ禍以降円安の影響などもあって、多くの外国人が日本を訪れるようになり、和食を楽しみに日本にきている外国人も多く、米の需要もその分増える。
日本では円安による原料価格の高騰などが原因で、食品や日用品の値上げがいつまでも続いている状況にある。
米の値上げがいつまでも続くことが予想されるときには、転売を目的に投機的な取引を行う業者も増えることが予想される。
中間業者が買い漁っている可能性があるともいわれている。中小の業者がどれくらい米を買い集めているかは把握されていないが、農家からの買い付け競争が過熱していることも、米の値段がいつまでも下がらない理由の一つとみられている。

「令和の米騒動」その背景にあるのが、”実質的に継続”されてきた「減反政策」であるといってよい。
そこには大阪万博があった1970年頃よりパン食をはじめとする「食の欧米化」がある。
農民には野菜だと収入が不安定だが、米だと収入が安定するという意識があり、なかなか「転作」がすすまず、米農家の収益は相変わらず上がらない。
農地の減少が進んでいる都市部はどうかというと、営農ではなく「信用事業」で収益をあげているのが実態である。
信用事業とは、貯金・融資・為替・国債窓販などいわる銀行業務といわれる内容の業務で、JAバンクがその役割を担っている。
JAの信用事業は、JAの利益の7割をしめるほどの活況を呈しているのだ。
地方銀行が店舗数を減らし、地域住民にとって金融サービスの担い手は、 ゆうちょかJAバンクしかないということが背景にある。
2015年頃のTTP交渉で、自民党の集票マシーンといわれる農協悪玉論もでて、安倍首相は農協からの上納金で成り立つ「全中」を解体し、社団法人にするなど改革を装った。
また2017年に、政府が毎年生産量を決めて都道府県に配分する「減反政策」は廃止されたことになったが、実態は形をかえて継続されている。
例えば、大豆・麦・飼料用米などを作る農家などに補助金をだすなどして、コメの生産量を「需要限度量」まで抑えてきた。
結果、高水準の米価が維持されることになった。これはJA側の強い要望があったからで、JAが高水準の米価を求める理由は、米価が上がると それに比例してJAに入る「販売手数料収入」が増える。
さらに全国にいる零細な兼業農家は、主収入のサラリーマン所得をJAバンクに預けている。
コメ価格が上がることで、生産コストが高い(例えば年10日しか使わない高額の耕運機を買ったりする)農家が生き残り、JAバンクは安定した高預金額を確保できる。
JAバンクの全国組織である農林中央金庫は、これを元手に巨額の運用利益を生み、毎年3千億円をJAに還元してきた。
実は2025年、農林中金は運用失敗で巨額の赤字を出すことが見込まれており、JAはますます農家からの預金をアテにするように追い込まれているのだ。
ギリギリの需給バランスをとるような生産調整を続けていれば、コロナからの回復やインバウンド急増などの事態で「コメ不足」が発生することになることは自明である。
それにしても、なぜ農水省はこうした農業政策を続けてきたのかというと、農水省の幹部が「天下り」の見返りに、JAの意向に沿うように懐柔されているからである。
JAの意向というのは、生産調整によって供給量を絞ることで価格維持をはかることで、それが至上命題といってよい。
農水幹部の全農への天下りの実態は、週刊「文芸春秋」の3月号で特集されている。そこには「2009年以降、計28人の農水省職員がJA関連団体に再就職している」実態を明らかにしている。
米の値上げがいつまでも続く中で、政府の「備蓄米」に注目が集まるようになった。
備蓄米制度は1993年の平成の米騒動をきっかけにスタートした。
備蓄米放出を渋ったのは、米価が下がってJAが反発するのを恐れているからともいわれている。農林族議員も農水省も、JAの顔色を窺っている。
1995年食糧法の正式名称は、「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」で、政府は毎年一定量の米を市場から直接買い取って備蓄を行っている。
現在は毎年約20万トンの米の買い取りが行われており、100万トンの米が備蓄されている。買い取った米の保管期間は概ね5年で、古いものから入れ替わっていく仕組みである。
備蓄米は市場に影響を与えないよう、平常時には放出されないことになっていた。
しかし、令和の米騒動では、政府は当初、備蓄米の放出をしない方針であった。
災害や凶作時に限定して放出するという運用方針だったためで、備蓄米の放出が必要な米不足には当たらないということであった。
しかし、米の値上げがいつまでも続いている状況をみて、農水産省は「運用方針の見直し」を決定し、2025年2月からは、凶作時だけでなく、”円滑な流通に支障が生じた”時にも備蓄米を放出できることになった。
とはいえ、農家が米を生産するにもコストがかかり、いつまでも続く円安で、輸入資材の価格が上昇し、肥料や飼料などのコストが上がっている。
最低賃金の引き上げにより人件費も上昇しているほか、輸送費なども上がっている。働き方改革による「2024年問題」による運送費の値上がりも重なっている。
通常であれば、新米の収穫が始まって米の供給が増えると、米の価格は下がるが、生産コストが上昇しているため、以前の水準までは価格が下がらない可能性が高くなっている。
そこで、今まで米価が安すぎた。むしろ現在の価格のほうが適正価格で慣れてもらいたいという意見さえでてきた。
消費者が価格の高さに耐えられず、その価格で生産者はぎりぎりでしか利益が出せないような状況が解消されないのは、以上のような米価決定に至る仕組みがあるからだ。
政府は、備蓄米を放出して価格を下げようとしているが、店舗にコメがなかなか届いていないという。
1995年「食糧法」は、コメの世界に”市場原理の導入”を図ることを建前とした。
生産者である農家は政府にコメを売る義務がなくなり、生産調整も自由になり、価格政策と市場原理の視点から見る限り、食糧法は、計画経済的な「食管法」とは対照的な法律と考えられたが、それはこの法律の一面でしかなく、「官」による業界への統制は相変わらず残り続けることになった。
コメ流通の世界を一本の水系にたとえると、消費者にもっとも近い「川下」では市場原理がまかり通る一方、そのコメを作り出す生産者に近い「川上」ではこれまでと大差ないシステムを温存することになった。
令和の米騒動は、変わったようで、本質は旧態然たる日本の農政を浮き彫りにしている。