半導体より「初音ミク」

日本は、海外で多くを学んで知識や技術をとりいれ、世界でトップクラスの技術大国になった。
しかし今や労働生産性はOECD諸国の低位に位置し、平均賃金は35か国中で22位で、韓国より下である。
技術力の低下は、三菱重工業が開発途上の国産旅客機「MSJ」 からの撤退などが象徴的である。
グローバル化による低コスト競争の時代、安全面に関わる検査不正などで数値の偽装がなされ、もはや「技術大国」の名は返上しなければならない。
プロのマーケッターなら、「強みを生かせ」というであろうが、過去の成功体験に縛られていては、今「何が強み」か、これから「何を強み」になるかなどを見誤ることになる。
現在、日本の産業で、世界が興味を示したり、熱狂したりするものといえば、一昔前は電化製品や自動車などであったが、かつての輝きはない。
世界中の人に日本と聞いて何をイメージするかと尋ねると、「ポケモン」「鬼滅の刃」「ワンピース」が出てくる。つまり、"コンテンツ”である。
30年ほど前、海外の若者を魅了する「OTAKU」という言葉が海外にも広がったことがあったが、今や「クール・ジャパン」として、広く定義されている。
これは製造業とも無縁ではなく、色々な製品やサービスに、デザインに「クール・ジャパン」を組み込むことが、製品の大きな付加価値となる。
「ハロー・キティ」は近年よく登場する「日本KAWAII」の一つの代表で、この「キャラクター」を帯びた製品は通常の何倍もの売り上げを見せている。
2008年発足の麻生太郎政権で、そうした流れに乗って秋葉原に「メディア施設」を国の予算で作ろううとしたが、麻生首相自身が「漫画好き」だったせいか、逆に国民の理解を得るまでには至らなかった。
ところが、自動車や家電など日本のお家芸だったものづくりは、新興国の追い上げもあり競争力が低下し、気がつけば「コンテンツ産業」が、外貨獲得において重要な位置を占めていたという。
ついに、経団連は2022年、「コンテンツ分野」を議論する委員会を立ち上げた。
コンテンツ産業は、ここ10年で約4倍に拡大した。
今や日本のコンテンツを国をあげて世界に売り出す動きが加速している。
経団連コンテンツ委員会は、24年司令塔となる「コンテンツ省」の設置や、今計200億円ほどとされる国の予算を二千億円以上に増やすことも提言した。
委員会は、さらに伸ばそうと23年に提言を発表、海外の市場規模を2033年には、最大20兆円と3倍ほどに引き上げる計画を示した。
そうした背景のひとつが、韓国が1990年年代から国策として「韓流」の輸出をはじめ、政府系機関の「コンテンツ振興院」を設置したことで、コンテンツ大国に名乗りをあげる。
実際、東南アジア、中国を席巻しているのが韓国で、「クールコリア」という言葉も見られるようになった。
1990年代中頃から歴代大統領が、文化産業の経済性に注目し、2000年代には「五大成長産業」の一つとし人や資金を投入してきた。
その代表的な政府系の支援組織が「韓国コンテンツ振興院」である。
アジア市場において、アニメやゲームは日本がいまだ主導権を握っているが、ドラマや映画、音楽は韓国の人気が上回っている。
一方、東南アジア、中国を席巻しているのが韓国で、「クールコリア」という言葉も見られるようになった。
また、経団連は日本のコンテンツにつき深刻な危機とも提起している。
ゲームも含め、日本の成功の方程式を各国が研究し、大きな投資をしている、外資が日本のクリエーティブ産業に触手を伸ばしてきている点である。
日本はこれまで国としてのサポートをほとんどしてきていない。
そのため、コンテンツ人材を専門的に育てる教育機関が不足しており、クリエーターとサポートするプロデユーサー的な人材が枯渇しているからだ。
そこで24年9月に、映画監督やコンテンツ企業のトップらが集まる「コンテンツ産業官民協議会」が設置された。
海外売上高が同規模の半導体やAIに政府は30年度までに10兆円を支援するという。
安全保障上の次世代半導体の生産支援が主な中身だが、実現可能性には疑問符もついており、「政府内からは半導体にそんなに多額の金を使うならコンテンツに使うべきだ」との声も聞こえる。

経団連の委員長をつとめているのが、ソニーミュージック・エンターテインメントの村松俊亮社長である。
村松は、「コンテンツは産業全体で振興をはかるべきだ」と訴えている。
なぜなら、「ソニーの復活劇」こそ日本経済復活の「ひな形」といえるからだ。
ソニーはもともとラジオで世界に打って出たが、68年にカラーテレビを発売して以降、テレビ事業も中核となり、75年に家庭用ビデオレコーダーを発売し売り上げを伸ばしていった。
そして何より79年に発売した「ウォークマン」がSONYのブランドを確たるものにした。
ソニーはモノづくりばかりではなく、早くから経営の多角化を進めている。
89年には米映画会社のコロンビアピクチャーズエンターテインメントを買収した。
当時日米間で貿易摩擦が起きていた時期でもあり、米国を象徴する映画産業の買収はジャパンバッシングの対象になったことはき記憶に新しい。
その後、1994年に初代プレイステーション」を発売し、任天堂の牙城であったゲーム産業に進出した。
またパソコンブランド「VAIO」を立ち上げ、金融事業では保険に続く形で2001年にソニー銀行を設立した。
このように多角化を進めていたものの、ソニーにおける売上高の7割を占めていたオーディオ、テレビ、ビデオといったエレクトロニクス事業で、新興国勢の追い上げもあり、90年代後半から2000年にかけてソニーの利益率は低下し続けた。
2003年3月期の決算で翌期の減益予想を発表したのを機にソニー株はストップ安となり、国内市場全体に波及して「ソニーショック」を引き起こしたほどだった。
追い打ちをかけるように2007年月に黒船がやってくる。iPhoneがアメリカやヨーロッパで販売を開始し、翌年には日本でも販売された。
やがて、スマートフォンが日本や北欧メーカーの得意としていた携帯電話を駆逐していく。
当時ソニーは、携帯電話事業をアップル、サムスン電子に次ぐ世界3位を目指していたものの、1259億円の純損失を計上したことにより、従業員を1000人以上削減するなど、拡大路線の見直しを迫られる。
しかし、これはある部分でソニー「復活劇」のチャンスともなった。
日本の企業の多くがいつまでも「ものづくり信仰」に絡めとられていて、なかなか変化できないでいたからだ。
ちょうどそのころ、「プレイステーション4」が販売されて、日本だけでなく、アメリカやヨーロッパでも人気を獲得し、累計販売台数1億台を超えるスマッシュヒットを記録する。
この時期にソニーのトップに立っていたのが平井一夫で、奇しくも平井は初代プレイステーションの北米での販路拡大を成功させた立役者であった。
平井社長の下、モバイル事業の巨額損失をプレイステーションがその穴を埋めることができたのである。
平井社長を引き継いだ現在の吉田憲一郎社長がやったことは、ひとことでいえば「選択と集中」である。
吉田によれば、上場いらい2011年に「無配の会社」になってしまった。
やるしかないと、すでにあるアセットの中で、どこに重心を置くかを定義することから始めた。
「なぜ我々は存在するのか、なぜ、あなたは貴重な時間をこの会社に使うのか」と社員の意識を高めることを心掛けた。
吉田が目指したのは、一言でいえば、ディストリビューション(汎用路の販売)から、クリエーションに重心を移すことでああった。
そのため15年には有機ELディスプレー、17年には電池からも撤退した。
なにしろソニーは世界で初めてリチウム電池を実用化した企業である。それだけに電池からの撤退は批判が多くしんどかったという。
リチウム電池スマホなどにも欠かせない技術だし、EV(電気自動車)にも見込まれるし、開発力にも自負があった。
しかし将来性があることと、自社が市場で勝てるかということは、必ずしもイクオールではない。
当時は、イメージセンサーなど半導体事業に注力し始めたタイミングで、反対の声がおおかったが、結局事業売却や人員削減などを行い、「黒字転換」に成功した。
吉田によれば18年CEOになって、選択肢は色々あって、アメリカの動画配信のネットフリックスに対抗する選択肢もあった。
そうなれば、ソニーが動画配信大手になっていたかもしれないが、今エンタメ産業のトップを走るネットフリックスやディズニーとはちがう道を進んだ。
吉田によれば、21世界はものづくり業界はフラット化して「エンタメの時代」だと思っていたという。
アニメや映画といったコンテンツを「つくる領域」では戦うが、「届ける領域」ではパートナーという位置づけである。
現在、GAFAMの動画・音楽配信サービスでは、ソニーのコンテンツを多く使ってくれている。
ソニーの存在意義は「世界を感動で満たす」だが、自分達だけではできない。
20世紀のソニーは、ウォークマンやテレビで「感動を届ける」ことに貢献したが、21世紀のソニーは「感動をつくる」ことで頑張ろうと。

日本発のソフトウェアで世界に通用するモデルとしてあげたいのが「ボーカロイド」である。
ヤマハが開発した歌声合成技術と、その応用ソフトウェアである「VOCALOID(製品名)」をもとに、クリプトン・フューチャー・メディア株式会社が開発した歌声合成ソフトウェアのバーチャル・シンガーだ。その名は「初音ミク」と名づけられた。
「ボーカロイド」とは、歌詞と音階を入力することで、人間が歌っているような楽曲を作ることができるソフトのことである。
つまり、ソフトさえあれば、誰もが初音ミクのプロデューサーになれるということだ。
バブル崩壊後の時代、初音ミクの開発に携わった人々は、あくまで創造性を引き出すツールと捉えている。
音楽が好きでアーティストのひとりと見ている人もいれば、ファンの中にはキャラクターやビジュアルが好きで応援している人もいる。
そうした多彩な側面があること、ひとつに縛られていいなことこそが、初音ミクの魅力である。
「初音ミク」を買い取ろうという大手もあったが、初音ミクの販売元であるクリプトン・フューチャー・メディアが、安易な事業に走らず、根本的なところでユーザーに「初音ミク」を最大限”開放”してきたことが、今の実りになっている。
大勢のクリエイターが初音ミクを用いた作品をインターネット上に投稿することで、初音ミクは「キャラクター」としても注目を集めるようになった。
クリプトンはもともと、効果音などのサウンド素材を輸入販売する“音の商社”として1995年に創業した北海道・札幌の企業であるが、効果音の作成など、自転車のチューブを使ったり案外アナログである。
加えて、パソコンでの作曲(DTM)に必要な海外ソフトウェアを輸入販売などをしていた。
DTM(デスクトップミュージック)とは、パソコンを使用して音楽を制作する手法を指し、具体的には、DAW(デジタルオーディオワークステーション)という音楽制作ソフトを使い、キーボードやマウスで音楽を打ち込んで作成する手法である。
海外メーカーのなかにはボーカルのソフトウェア開発を試みるメーカーもあったが、歌声の再現には”多くの歌声を合成”する必要があり、とても苦戦していた。
そんなとき、クリプトンはヤマハが人の歌声に近い精巧な音声合成技術「VOCALOID」を開発していることを知り、製品化を検討する。
そして2004年11月に「MEIKO」(メイコ)、2006年2月に「KAITO」(カイト)を発売したものの、思ったようには売り上げは伸びなかった。
そしてヤマハが開発した「VOCALOID2」と2つの製品開発で得たノウハウをもとに「初音ミク」の開発をスタートし、2007年8月に発売した。
初音ミクを制作するにあたり、MEIKOとKAITOの経験を生かして、キャラクターの設定をさらに練ってみようということになる。
そしてインターネットで活躍していたクリエイターたちが初音ミクを使った「2次創作」を次々と制作したことで、ニコニコ動画やYouTubeなどの動画サイトを中心に一大ムーブメントが巻き起こったのである。
初音ミクは音楽ソフトウェアとしての性能の高さもさることながら、そのキャラクターデザインに魅力を感じる人も多いだろう。
ブルーグリーンの髪とネクタイにシャツという、シンプルではあるもののとても印象に残るデザインだ。
「未来から来た初めての音」というコンセプトで「初音ミク(未来をミクと読んだ)」と名付けた。
「初音ミク」ブームも一旦落ち着いたが、昨今のボカロ世代の申し子である米津玄師、YOASOBI、ADOといった歌手が台頭し、彼らがたびたび、「ボカロがいなければ今の私はいないです!」と語っために再ブレイクしている。
ところで日本の政界においては、超党派議員連盟により日本の漫画・アニメ、特撮やゲームの資料を保存する国立施設「MANGAナショナル・センター」(仮称)の設立を目指す予算獲得に向けた動きが活発化している。
議連の最高顧問に就任したのが、アノ自民党の麻生太郎副総裁だ。
首相時代にアニメ、漫画、映画などの作品を展示する「国立メディア芸術総合センター」の建設費に117億円の予算を計上したものの「国営マンガ喫茶」との批判を浴び、2009年の民主党政権交代で中止に追い込まれた。
しかし今や漫画やアニメは「クール・ジャパン」の代表格で海外での評価は高く、麻生氏にとって、いわば15年越しのリベンジである。
麻生氏は一応「保守」の政治家であり、漫画なんかより文化財の保護に資金を傾注すべきと批判するむきもあるが、彼らは日本の漫画が世界中で戦火にある人々や孤立している人々、差別的な弾圧を受けている人々の心を癒し、どれほどの勇気を与えているかを認識していないようだ。
中東パレスチナ自治政府のガザ地区では、「アタック オン タイタン」が流行しているという。日本のアニメ「進撃の巨人」のことだ。
「進撃の巨人」は、巨人の襲撃を恐れ、高さ50mの壁に囲まれて生きる少年たちの物語。
ガザには、反イスラエルの過激派組織ハマスがあって何度もテロを起こし、イスラエルはその報復に、ガザを封鎖したままロケット弾を撃ち込んできた。
人と人とが憎しみ合う不条理や命を懸けて戦う葛藤、絶対の正義などあるのかという揺らぎなど、この繰り返される悲劇などの現実とも重なる。
日本は、トランプ大統領の「MAGA」(メイク グレイト アメリカ アゲイン)に対し、その重点を置く先は、縮小国家にふさわしく「MANGA」。
また、漫画やアニメの舞台となった場所が外国人聖地めぐりを引き起こし、インバウンド需要の大きな力となっている。
それは、日本の接客術「OMOTENASHI」が、世界に広がる契機ともなりそうだ。
これから世界で売り出すのは、ハードでもなくソフトでもなく、日本人のマインドということである。