映画「ジャイアンツ」(1956年)で、ジェームス・ディーンが石油を掘り当てるシーンがある。
テキサスを舞台にしたこの映画は、アメリカは伝統的に産油国であることを思い起こさせる。
"掘って、掘って、掘りまくり"、1971年に、アメリカの原油生産はピークを迎えた。
しかし、石油価格の自由化以降、生産量は減少を続けた。その一方でアメリカの石油消費量は増え続け、アメリカは世界最大の「原油輸入国」となり、中東へ依存することになった。
一方、国際石油資本(メジャー)などから石油産出国の利益を守ることを目的として設立したOPEC(石油輸出国機構)は、73年の第4次中東戦争直後、原油価格を引き上げた。
原油価格は急騰し、いわゆる「オイルショック」が世界を襲い、日本にまで波及した。
この時、OPECはイスラエル対アラブ諸国という構図の中、イスラエルを支持した米国への原油輸出を禁止した。
米国内ではこれによりガソリン価格が高騰したため、75年から原油輸出を禁止して、国内のエネルギー価格の安定につとめた。こうして米国産の原油は実に40の間、国外に出なかったため、アメリカが産油国であることさえ忘れられがちだった。
ところがオバマ米大統領時代の末期、トランプが1期目の大統領に決まった年末になって、この40年にわたる原油輸出の「解禁」に踏み切った。
そこには、「シェールオイル」の増産というアメリカの国内事情と、エネルギーを関係国に対する影響力行使の手段とするロシアへの警戒からである。
さて現在、アメリカの年間原油生産の半分程度がシェールオイルだ。
シェールガス/シェールオイルは頁岩(けつがん)と呼ばれる堆積岩の地層から採取される。
頁岩層にガスが存在することは古くから知られていたが、低コストで採掘する技術がなく放置されていた。
しかし90年代後半に「水圧破砕法」という新しい技術が開発され、比較的低コストで天然ガスの採掘を行うめどがついたことから一気に開発が進んだ。
シェールオイルも、シェールガスと同様、頁岩層から採取される。頁岩層は米国内に広く分布していることから全米各地で採掘が進み、天然ガスおよび原油の生産量は急増した。
その結果アメリカは、2012年にはロシアを追い抜き、世界最大の天然ガス生産国となり、続いて14年にはサウジアラビアを抜いて世界一の原油生産国となった。
こうして世界最大のエネルギー消費国だったアメリカが、「資源大国」に変貌を遂げた。
米国が「世界の警察官」として振る舞ってきた理由の一つは、石油の安定確保のためだが、アメリカがエネルギーを自給できるようになると、理論上、サウジアラビアなど中東の産油国に依存する必要がなくなる。
こうした制約がなくなった以上、アメリカは過剰に中東情勢にコミットする必然性は薄くなった。
アメリカが中東の親米国サウジアラビアに強大な米軍を置いているのも、
ホルムズ海峡に出入りする船舶(多くはアメリカの同盟国)の安全を確保する必要があったからだ。
米国を後ろ盾に「中東の盟主」として振る舞ってきたサウジアラビアの危機感は強く、ロシアとの接近にも繋がっている。
アメリカはヨーロッパ大陸の戦火からまぬがれ、第二次世界大戦後は圧倒的に豊かな国になった。
そして世界中から金が集まり、ドルがポンドにかわって「基軸通貨」となった。
1950年代にはドルで、世界の自動車の半分、世界の石油の半分、世界の工業産出高の40パーセントを買うことができたほどだった。
七つの海をアメリカ艦隊が遊弋し、世界のすべての国の首都にアメリカの銀行が国旗を掲げて所在し、アメリカ企業が世界全域のニッケル鉱山と自動車部品工場の所有権を握った。
このようにドルは、アメリカの圧倒的な「経済力」に支えられてきたといってよい。
世界各国の首都にはアメリカの銀行がおかれ、アメリカの企業は工業プラントと設備、原料を海外で買い付け、国防省は海外基地とそこにアメリカ軍隊の費用としてドルを送金した。
しかしヨ-ロッパの復興や日本の経済成長もあり、しだいにドル以外の通貨でも取引も行われるようになり、ドルは世界でダブつくようになった。
果たしてドルをもっていれば金との交換が本当に可能なのかという不安がひろがり、対アメリカとの取引で、各国はドルではなく「金」でうけとる場面が増えていった。
アメリカのフォ-トノックスにある岩盤の下の金庫から次第に「金」が消えていった。
1971年、ついにニクソン大統領は金とドルとの交換の停止を宣言、ドルの価値は急落し、以後世界は「変動相場制」へと移行していった。
ただドルが、依然「基軸通貨」であるということは、アメリカが世界で経済的な覇権を握っていることがいえるが、それは世界の「エネルギー」つまり石油の供給源を握っていることに他ならない。
「ドルは有事に強い」という言葉も、それは石油がアメリカの軍事力に支えられているということを意味する。
つまりアメリカが石油を中東で入手し、それを精製し世界に売ることができる。アメリカの石油会社から石油を買うためにはドルが必要で中東諸国もドルで取引をする。
そういう状況を維持できる限りでは、ドルは基軸通貨としての地位を失わないということだ。
その意味で世界経済は「ドル-石油本位制」というべきものだが、それはアメリカの”経済力の強さ”というよりも、アメリカの”軍事力そのもの”をバックにするものである。
アメリカが旧ソ連との冷戦にみる「緊張関係」を失いつつも、様々な口実をつけてイランやイラクやアフガニスタンをはじめ中東諸国で軍事力を展開してきた。
その真の狙いは「石油資源の確保」であることはいうまでもない。
ただ、アメリカが「ユダヤ財閥」を介してアメリカと一心同体といってよいイスラエルが、”石油の産油国に囲まれて存在する”という「地政学的な」不安定さがつきまとっている。
アメリカは、世界の覇権をドルという基軸通貨としての地位を守るために、サウジアラビア、イラク、イランの石油とパイプラインを押さえつつ、パイプラインの終点たるシリアにまでも伸ばそうとしてきた。
そのためには、親米政権を作らなければならない。そのためにCIAの工作なども含めて軍事展開をしてきたのである。
しかし、2021年のバイデン政権下における「アフガンからの撤退」はこうした構想からの撤退を意味している。
また、アメリカの経済力の比重は、世界経済の中で縮小を続けている。
今のアメリカは自動車も日本、韓国に取られている。民間航空機もEUに取られた。
高度インターネット技術や電子技術はどんどん中国、韓国、台湾に取られ、IT革命で沸いたシリコンバレーも勢いを失った。
インドは英語力を武器にソフト産業で世界、特に米国を席巻し、次にサービス産業でも存在感を与えようとしている。
この分野で米国のホワイトカラーの失業者を増して、製造業の衰退は目を覆うばかりであり、さらには、サブプライム、リーマンショック以来の不況で相当痛手をうけた。
そんなアメリカが、石油大資本の後押しによる「軍事展開」がいつまでも続くのか、アメリカ国民はその負担に耐えうるのか、そんな気分が醸成されてくる中で、「アメリカファースト」をかかげるトランプ大統領の登場となったのである。
二期目のトランプ政権発足ではAI革命により、投資家の資金が集まり活気を取り戻したかに思えた。
ところで国民感覚としては物価が安く、外国製品も安く買える自国通貨高の方がありがたいが、政府当局の為替政策スタンスと実際の為替相場の見通しを考える上で、どの国であっても緩やかに自国通貨が下落するか、自国通貨が相対的にある程度弱い水準に維持されることが好ましい考えている。
「通貨安」の方が輸出に有利となり、国内景気にとってプラスであるからだ。日本政府当局も円安よりも円高に警戒心をもってきた。
ところが、米国の為替政策は、クリントン政権下で1995年から財務長官を務めたルービン氏が「強いドルは国益」、「強いドルを支持する」という立場を明確に示唆して以来、ほぼ一貫してこれを呪文のように唱え続けている。
その理由は、米国が世界最大の経常赤字国であり世界最大の対外純債務国であり、赤字や債務をファイナンスするために世界中から米国への投資資金を引きつける必要がある。
だから、米国政府の当局者があからさまに「ドル安が好ましい」などと言ってしまうと、海外からの投資資金が入らなくなる。
つまり、米国政府が「強いドルは国益」という時の「強いドル」というのは、ドルが上昇する方が良いと言っているのではなく、そうした上昇スタンスをとらないと、ドルの下落が加速してしまい、好ましい程度の「緩やかな通貨安」の範囲を超えてしまうからだ。
ところがトランプ大統領は、スタンスではなく、実際に「強いドル」を望んでいるフシがある。
トランプは不動産屋でもあるので、対米黒字の国から自国資産を買われたり、自国の名門企業が買収されるのを嫌っているからだ。
そのためには自国通貨を高めにする必要があるが、それでは貿易赤字になってしまう。そこで外国製品に関税をかけるという面もあるのではないか。
アメリカの軍事力は、長く敵対国に対する抑制力として作用し、いわば「公共財」として機能した。
笹川平和記念財団のホームページに、「日米同盟の抑止力は、アジア太平洋地域および世界全体の”公共財”ともなっている。
しかし、長年にわたり維持されてきた日米同盟の抑止力は、北朝鮮と中国による軍事力の強化を前に、減衰しつつある。
それゆえに抑止力の刷新は、日米両国の国益にかない、優先的に取り組まれるべき課題である」と書いてある。
ここで、「公共財」の意味を「外部経済」という観点から経済学的に
説明したい。
「外部経済」は便益が不特定多数に広がることだ。その際、対価は支払われない。
例えば自分の家の桜が隣の主人の目を楽しませたとしても、対価をとる人はいないであろう。
「外部不経済」は、不利益が不特定多数に広がることで、その被害にあたる費用は支払われないことが多い。工場の煙突の煙が自分の家の洗濯物を汚したところで、洗濯代を工場に要求する人はいないであろう。
こういう便益や被害に対して、対価や費用の支払いが生じないケ-スを経済学では「外部(不)経済」とよんでいる。
そして、外部経済のカタマリが公共財で、図書館や道路など一度作られたら誰ももその利益から排除できないし、反対に外部不経済のカタマリが公害で、「マイナスの公共財」が公害という関係である。
一般に、皆で金を出しあって公共財(公園など)を作ろうとすると、人々はなんとかタダ乗りしようと少なめにしか金を出さないので、公共財は過少にしか供給されない傾向があり、他方、公害は汚染発生者がその費用(洗濯代など)を外部に転嫁して負担を減らそうとするため、過大に供給される傾向がある。
さて、「核の抑止力」ということがいわれている。自由主義に属する日本は、アメリカの「核の傘」に入っており、日本はアメリカより大きな便益を受けている。
ここで「核」に限定せず、「米軍の抑止力」といってもよいが、トランプ大統領がアメリカは同盟国に搾取されてきたということは、アメリカが供与した便宜に対して対価を支払われていないということを意味する。
日本の「安保ただ乗り論」などという論も浮上してきたのである。
それは、JMブキャナン教授(1986年ノ-ベル賞受賞)らによって創始され世間で注目されはじめた「公共選択の理論」、つまり公共経済学のテ-マのひとつが「フリ-ライダ-」(ただ乗り)問題であり、それはまさにアメリカの「核の抑止力」がスケ-ルの大きな「公共財」として認識されるようになった、ということと無関係ではあるまい。
ところでトランプ大統領は、2025年2月の石破首相との日米首脳会談後の共同声明には「米国は、核を含むあらゆる能力を用いた、日本の防衛に対する米国の揺るぎないコミットメントを強調した」とある。
しかし、3月6日、記者団の質問に答えるなかで、日米安全保障条約について「我々は日本を守らなくてはならないが、日本は我々を守る必要はない。いったい誰がこんな取引を結んだのか」と不満を表明した。
そして在日米軍の強化、つまり「抑止力強化」をやめると言いだした。それはトランプらしい「取引(ディール)」のカードつくりの一環かもしれない。
「取引」で思い出すのは、一期目のトランプ政権が、日本の安倍政権に2017年2月にあった日米首脳会談で、トランプは米国製兵器の「爆買い」を迫り、日本で導入することを決めたのが地上配備型ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」だった。
イージス・アショアはその後、艦載型に変わって1基1200億円が1隻3920億円に高騰した。
安倍首相としては、米国の「軍事力増強」の要求をかわす精一杯の取引の結果だったのかもしれない。
ただし、岸田政権では何ら根拠の説明もなく、防衛費1パーセントを守ってきた日本政府が、段階的に2パーセントにあげることに決定している。
さて前述の、日本の「安保ただ乗り論」は、日米安保条約の半分しか語っていない。
確かに第5条は「米国による対日防衛義務」を規定する。一方、憲法の制約から米国を守る戦いができない日本は第6条の「日本による対米基地提供義務」にもとづいて米軍に基地を提供している。
しかも、米軍の滞在費(光熱費など)も、「思いやり予算」などの名目で、多大の負担をしている。
ところで、日本にとって安全保障上ばかりかエネルギー保障、食糧保障の上での「生命線」というべきものが、いわゆる「シーレーン」である。
ASEANや中東、アフリカや欧州などから日本に送られてくる物資の多くは、インド洋からマラッカ海峡、南シナ海、バシー海峡、太平洋へと航行する船舶によって運ばれる。
特にエネルギー資源に乏しい日本は、輸入する石油の9割あまりを中東(サウジアラビアやUAE、イランなど)に依存しているが、その全てがインド洋からマラッカ海峡、南シナ海、バシー海峡、太平洋に繋がる海上交通路である「日本のシーレーン」を通過する。
また、日本は多くの水産物や農業品も輸入しているが、それらも日本のシーレーンを通過する。
要は、そのシーレーン上で戦争や海賊、テロなどが起きると、船舶の安全な航行が阻害され、たり封鎖されると、当然物資不足や値上げが生じる。
中東からの石油運搬にも影響し、場合によって価格が一気に高騰する。
日本には、憲法9条の制約の下、「集団自衛権」や「武力攻撃事態等及び存立危機事態」などで、憲法上の疑念はあるものの、国境や領海を超えた軍事力の行使を認められるようになった。
日本は、海上保安庁に重要な役割を果たさせ、離島防衛能力とミサイル防衛能力の大幅な増強を図り、2015年に成立した安全保障関連法に基づいて限定的に集団的自衛権を行使することとした。
仮に日本が将来的に、通常戦力によるある種の反撃能力の開発を決定すれば、日米同盟の”抑止力”を構成する重要な要素となるとみられる。
ただ、安全保障をめぐる一連の流で懸念されるのは、「シビリアンコントロール」の形骸化である。