聖書の言葉より(無から有を呼び出す神)

21世紀、コミュニュケーションの飛躍的な発展が期待されたSNSはかえって人を分断させ、なにが真実か嘘か判別がしがたいほどのフェイクにあふれている。
そして、AIによる画像・音声・文章・映像の「生成」はディープさの度合いを強め、いっそのこと「事実」よりも都合のいい「フェイク」の方を受入れようとする心理さえ生まれている。
しかしそれは現代的というより、古代からあった話で、旧約聖書をみると、人々が偽預言や幻想に、惑わせられたり踊らされたりする場面が数多くある。
それが戦いの帰趨を大きく左右し一国の運命さえ変えるほどなのだが、その発信元がなんと”神ご自身”であることも少なくない。
では、神はなんのためにそのようなことをするのか。それは選民たるイスラエルを敵から守るためであったり、逆に偶像崇拝に走ったイスラエルを裁くために、火のないところに煙をおこしたり、根も葉もない”うわさ”を流したりする。
つまり「無から有を呼び出す神」(ローマ人への手紙4章)なのである。
そうした出来事は旧約聖書、特に「列王記」に多く見ることが出来る。
例えば、小国イスラエルのヒゼキヤ王を大国アッシリア王セナケリブが攻撃した際のこと、将軍ラブ・シャケが、イスラエルに次のようによばわる。
ヒゼキヤが「主はわれわれを救われる」と言って、あなたがたを惑わしているようだが、 諸国民の神々のうち、どの神がその国をアッスリヤの王の手から救ったか」。
ヒゼキヤがその屈辱的言葉を預言者イザヤに伝えると、イザヤはその言葉をヒゼキヤに対するものでなく、イスラエルの神への冒涜、神ご自身への挑戦として受け止めた。
そして神が、この戦いはもはやアッシリア王セナケリブとイスラエル王ヒゼキヤの戦いではなく、「主ご自身の戦い」であることを、明らかにされたというのある。
その時、預言者イザヤはアッシリア王セナケリブの運命について、次のように預言した。
「見よ、わたしは一つの霊を彼らのうちに送って、”一つのうわさ”を聞かせ、彼を自分の国へ帰らせて、自分の国でつるぎに倒れさせるであろう」(列王記下19章)。
聖書によれば、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺し、イスラエル人が翌朝早く起きて見ると、彼らはみな死体となっていた。
アッシリヤ王セナケリブは立ち去り、帰ってニネベに住んだが、彼がその神ニスロクの宮で拝んでいたとき、その子たちが剣で彼を打ち殺した(イザヤ書37章)。
イザヤの預言どおりのことがアッシリア王に臨んだのである。
さてヒゼキヤ王は「列王記」の中でまれなほど信仰深い王であったが、その父アハブは、偶像崇拝(ヤラベアムの道)にはしる王であった。そこで神はアハブ王を裁くために次のようなことが起きる。
当時、アハブ王はアラムと対立関係にあり、南ユダのヨシャパテ王とともにアラムを撃つ計画を立てた(列王記下20章)。
ヨシャパテは、まずは神の言葉をうかがいたいと述べ、その申し出により、多くの預言者たちが、サマリヤの門の入口に集まってきた。
その時の状況を聖書は次のように伝えている。
「その時一つの霊が進み出て、主の前に立ち、『わたしが彼をいざないましょう』と言いました。主は『どのような方法でするのか』と言われたので、彼は『わたしが出て行って、”偽りを言う霊”となって、すべての預言者の口に宿りましょう』と言いました。そこで主は『おまえは彼をいざなって、それを成し遂げるであろう。出て行って、そうしなさい』と言われました。それで主は”偽りを言う霊”をあなたのすべての預言者の口に入れ、また主はあなたの身に起る災を告げられたのです」(列王記下20章)。
サマリアの門に集まった預言者らは自ら”偽預言者”であることに気づかぬようだが、神が立てた預言者ミカヤはそのような状態に気づき、アハブ王を探るように王の出方をうかがった。
彼はまず王が喜びそうな言葉を述べると、アハブはミカヤが本心から預言していないと気づき、真実だけを語るよう促す。
するとミカヤは、イスラエルの堕落した状態を述べ、現状のイスラエルは”偽りを言う霊”に惑わされた偽預言者の言葉を信じて、アラムによって敗北に至る道を進んでいると語った。
ところがアハブ王は、そのミカヤを牢につなぎ、無事に帰って彼の預言が誤っていたことを証明しようと意気込んだ。
アハブ王は同盟者のヨシャパテに、「わたしは姿を変えて、戦いに行きます。あなたは王の服を着けなさい」といい、姿を変えて戦いに行ったのである。
こうしたアハブ王の行動は、「おかかえ預言者集団」の言葉にも信頼をおけず、真の預言者ひいては、”神をも欺こう”というあざとさを示す以外なにものでもない。
その戦いの結果、アハブ王の変装も空しく、敵の兵士が”何気なく放った弓”によって、王の命は尽きてしまう。
アハブ王の死に様は、ミカヤの預言の成就を意味する。結局、アハブ王の”変装”は全く役に立たず、ただ主の言葉のみが実現したのである。
余談だが、戦場で変装して戦う話は菊池寛の「形」(1957年)という短編小説に描かれている。
摂津半国の主・松山新介に仕える侍大将・中村新兵衛は、「鎗中村」の異名を持つ勇猛な武将であった。
彼の猩々緋の服装と唐冠の兜は戦場における彼のアイデンティティであり、敵味方に強い印象を与えるシンボルとなっていた。
そんな中、主君の側室の子が初陣に際して新兵衛の装束を借りたいと申し出る。
快諾した新兵衛は、いつもとは違う黒皮縅の装束で戦場に赴くことになるが、そこで彼を待ち受けていたのは予想外の事態であった。
それは、敵兵が新兵衛を恐れる様子もなく、攻撃してくるのである。
この小説は、人間が外見にいかに惑わされやすいかを物語っている。
新兵衛からすれば、自分の力が、虎の威ではなく”鎧の威”に依るところが大きかったことを思い知らされた話である。

絶望的な都市の状況といえば、現在のイスラエルのガザ地区が思いうかぶが、紀元前9世紀頃、ある都市が絶望的な状況にあった。
飢饉が襲い、街中では大人が子供を食べるなど、門にはらい病人がたむろしていた。
そこにひとりの預言者が現れて、明日の朝この門の前で市(いち)が開かれると預言する。
常識的にそんなことはありえない話であるが、神によってそれが現実のものとなる。
イスラエルは、ソロモン王のBC後723年に北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂する。
北イスラエルのサマリアともよばれる地域では偶像崇拝がはびこっていた。
その後、アハブ王からアハズヤ王の時代になると、ユダ王国のヨシャパテの息子が北イスラエルのアハブ王の娘と結婚するなど関係を強化した。
ところで当時の戦争は、城壁を包囲して兵糧攻めにし、城内が疲弊して陥落するのを待つのが一般的な戦法であった。
そして、アラムがサマリヤを包囲した時、悪いことに飢饉がさらに追い打ちをかけ、そこは修羅場と化したのである。
そこに預言者エリシャが現れ、「あすの今ごろサマリヤの門で、麦粉一セアを一シケルで売り、大麦二セアを一シケルで売るようになるであろう」と預言した。
ところがその預言を聞いたアハブ王の侍従は、「たとい主が天に窓を開かれても、そんな事がありえましょうか」とあざ笑った。
それに対してエリシャは、「あなたは自分の目をもってそれを見るであろうが、それを食べることはなかろう」と預言した。
さて、サマリアの門の入口に四人のらい病人がいた。彼らは病のために町中にはいることさえも許されていなかったからだ。
彼らは互に、ここにいても死ぬばかりだし、町にはっても食べ物が尽きている。いっそ敵陣であるスリヤ人の陣営に行こう。彼らがひょっとしたら助けてくれるかもしれないし、助けてくれないとしても、いずれ死ぬばかりだと話しあった。
そして4人のうち一人が、敵陣であるスリヤ人の陣営のほとりに行ってみると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
なんとスリヤの陣営は”もぬけの殻”であったのだ。
それは神がスリヤびとの軍勢に、現実にはありもしない”戦車の音、馬の音、大軍の音を聞かせられた”からであった。
そうした神が仕組んだフェイクによって、スルヤ人はイスラエルの王がヘテびとの王たちおよびエジプトの王たちをさそって、自分達を襲うのだと思い込んでしまったようだ。
そして、その天幕と、馬と、ろばを捨て、陣営をそのままにしておいて逃げ去ったのである。
四人のらい病人たちは目の前の現実を信じがたいと思いつつ、陣営のほとりに行き、一つの天幕にはいって食い飲みし、そこから金銀、衣服を持ち出してそれを隠し、また来て、他の天幕に入り、そこからも持ち出してそれを隠した。
そのうち彼らは、自分達のしている事はよろしくない、今日は「良いおとずれ」のある日であるのに、黙っていて、夜明けまで待つならば、我らは罰をこうむることになると思った。
そこで彼らは王の家族に伝えようと、町の門番に「わたしたちがスリヤびとの陣営に行って見ると、そこにはだれの姿も見えず、また人声もなく、ただ、馬とろばがつないであり、天幕はそのままでした」と伝えた。
そして門番は、それを王の家族に知らせた。
しかし王はこの朗報をストレートに受け取ることができず、スリヤ人が何か陰謀をめぐらせていいるのではないかと考えた。
王は家来たちに「スリヤびとは、われわれの飢えているのを知って、陣営を出て野に隠れ、イスラエルびとが町を出たら、いけどりにして、町に押し入ろうと考えているのだ」と告げた。
そこで王は、二人の使者を選んで、その時捕虜となっていたスリヤ人を解放して、その後をつけさせることにした。
使者がそのあとを追ってヨルダンまで行ったところ、道にはすべて、スリヤ人があわてて逃げる時に捨てていった衣服と武器が散らばっていた。
その使者は帰ってきて、これを王に告げたため、イスラエルの民が出ていって、スリヤびとの陣営にはいっていって掠め、サマリアの門では麦粉一セアは一シケルで売られ、大麦二セアは一シケルで売られた。
つまり神がエリシャの預言を通して語ったことが現実となった。
結局、神はスリヤ人に”ありもしない軍勢の音”を聞かせることで、サマリヤのイスラエル人をアラムの手から救われたのである。
振り返ってみると、”良き知らせ”は、サマリアの門に入ることさえも許されなかったらい病人によてもたらされ、エリシャの言葉を信じなかった王の侍従は門の入り口で馬に踏み砕かれ、エリシャの預言通り、その救いに与ることができなかったのである。
この出来事は、後にイエスが結婚式で水を葡萄酒を変わらせるという奇跡を行った際に、そこに奇跡が起きた事実を水瓶を運んだ僕(しもべ)だけが知っていたというエピソード(ヨハネの福音書2章)を思い起こす。

イスラエルが南北に分かれる前の時代、イスラエル初代のサウル王やダビデ王が登場する王政よりも、さらに先立つ時代は「士師」とよばれる指導者が民衆を導く「士師時代」であった。
そんなイスラエルの王なき時代に、ギデオンとよばれる士師がいた。
敵であるミデヤン人や、アマレク人などが「いなごのような大群」で谷に伏していた。
それらの敵と戦うギデオンに対して神は、なんとイスラエルの戦士の数を減らすように命じた。
その理由は、後々イスラエルが自らの力によって勝利したと誇らないためだという。
そこで恐れを抱くものは即帰るようにいうと、2万2千人が帰っていき、残ったの者は1万人だけになった。
しかし神はそれでもまだ人数が多いと、彼らを湖の水際に下らせるよう命じる。
その中で、手ですくって水を飲むものを選び、ひざをついて飲む者を帰らせた。
つまり武器をいつでもとれる臨戦状態で水を飲んでいる者だけを選んだのである。
ひざをついて水を飲むものは武器を手離し、敵の不意の攻撃に対して警戒を怠っているからである。
そして、条件にかなう戦士を集めたところ、かろうじて300人。イスラエル人は、いかに精鋭とはいえ、わずか300人だけでどうやって「いなごのような大群」と戦うのか、と思ったに違いない。
そして神がギデオンに命じた戦いたるや、実に風変わりなものであった。
ギデオンは300人を3隊に分け、全員の手に角笛とからツボとを持たせ、そのつぼの中にタイマツを入れさせた。
そして、真夜中の番兵の交代したばかりの時間、陣営の端に着いたギデオンが角笛を吹きならす。
すると全陣営、回りの百人ずつの三隊が一斉に角笛を吹きならし、つぼを打ち砕きながら「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫ぶというものだった。
そして各自が持ち場を守り、敵陣を包囲したのである。
そして300人が角笛を吹き鳴らしているうちに、陣営の全面にわたって同士打ちが始まったのである。
結局、ギデオンの勝利は神の働きと人の動きが一つになってもたらされたものである。
、 注目すべきことは、「ギデオンの三百」のものがたりの中には1人の英雄もいないこと。
一般に、戦(いくさ)では大概手柄をたてたり英雄が現れるのに、ギデオンの戦いには一切それがなく、「神の御名のみが崇められる」という戦いであった。
つまり、「ギデオンの三百」の戦いは神の観点からすれば「ベストの戦い」であった。
とはいえ人間は目に見えぬ神よりも目に見える英傑を求めるようである。人々は十字架のイエスより扇動者のバラバの赦しを願ったように。
それは預言者マラキの言葉によく表されている。
「あなたがたは言った、"神に仕える事はつまらない。われわれがその命令を守り、かつ万軍の主の前に、悲しんで歩いたからといって、なんの益があるか。 今われわれは高ぶる者を、祝福された者と思う。悪を行う者は栄えるばかりでなく、神を試みても罰せられない"」(マラキ書3章)。
そして「志師の時代」のあとにイスラエルが「王」を求めるようになることにも表れている。
それは、ゼカリヤの言葉「万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」(ゼカリア書4章)とはかけはなれた”普通の国”になっていく。
聖書で「幻(まぼろし)」と訳されている言葉は、”イリュージョン”ではなく”ヴィジョン”に近い。
例えば、「幻がないなら、民は滅びる」(箴言29篇)という言葉があり、パウロが信徒にあてた手紙には、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とある。
信仰とは”ヴィジョンを抱く”すなわち「エンヴィジョン」と言い換えてもよいかもしれない。
パウロは手紙の続きに、数々の信仰者を例にあげているが、信仰の父アブラハムについては次のように書いている。
「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った」(へブル人への手紙11章)。