政治献金と政策の歪み

1990年代の政治改革で、各政党への「政党助成金」の交付が決定した。
その趣旨は団体による政党への政治献金の廃止であり、政治献金に限度額をもうけ「報告義務」にしたのは、中途半端なものであった。
石破首相や小泉環境大臣らが委員会で野党の質問に「企業献金自体が悪いとは思っていない。問題は国益を損なうようなかたちで政策をゆがめてはならないかだ」と答弁した。
石破首相は、「政治献金は表現の自由」とも発言したが、「法人の表現の自由とは?」、何をもって「国益を損なう政策の歪みなのか?」というのもひとつの問題ではある。
1964年、運輸大臣の佐藤栄作などが逮捕された「造船疑獄」などが起きて、大企業による企業献金は一旦経団連が集めて自民党に献金するようになった。
各企業への献金の割りふりを「花村リスト」とよぶ。
「花村リスト」の中身は公開されていないが、個別の企業の献金なら賄賂とみなされる可能性があるが、そうならないように一旦献金を経団連が集めることにしたのだある。
こうした大企業を中心とした企業献金は、「国民の自由と平和を守る」ための政治献金ということになっている。
では、こうした企業献金は、本当に「国民の自由と平和を守る」ものなのだろうか。
思い浮かべるのは、終戦まもなく、右翼の児玉誉士夫は、大陸で荒稼ぎした金を鳩山一郎に「天皇制を守ってもらいたい」とポンとさしだしたこと。
それが自由党の創設資金となった。児玉にはこの時点で利私欲はなかったはずだが、政界の「黒幕」や「フィクサー」とよばれ隠然たる影響力を持ち続けた。
国民は1976年のロッキード事件などで、CIAとの関係にも追及がおよび、彼らの存在が国の政策を歪めてきたことを知った。
今日の問題でいえば、長い間統一教会と自民党の癒着が、選挙協力を通じた政策の歪みが起きていた可能性が浮上している。
国民がそれを織り込み済みで自民党を支持すればまだしも、大企業がスポンサーとなっている学者やマスコミも束なって真実を覆い隠すならば、それは悪しき政策の歪みである。
この点に関しては、アメリカの言語学者のチョムスキーは1980年代の頃より、「資本の論理」がいかに社会を支配してきたかを批判してきた。
チョムスキーといえばプログラミング技術の核ともいえる「生成文法」の理論を確立した言語学者で、同時に世界平和を強く訴える政治活動家でもある。
チョムスキーは、「本当の権力は政治システムではなく、私的な経済活動の中にある」として、資本はたくさんの人々ではなく少数の人間の手に握られており、「経済と社会は一体であり」、したがって社会は「金持ちを幸せにし続ける」という基準に従って運営されているとしている。
つまり、経済の枠組みは実際に働く人間のためにではなく、資本そのものにとって何が最善かで決められる。それはちょうど、遺伝子(DNA)が生き残るために何が最善かによって生物の行動が決まる。つまり生体にとって最善なのではなく、DNAにとっての最善であるということに似ている。
例えば、ジャニー喜多川のような魔王が長年芸能界に君臨できたのも、「資本の論理」にほかならない。
またチョムスキーによれば、アメリカは自由世界の旗手のように自らを喧伝してきたが、それは幻想にすぎず、実際には自国に都合のいい民主国家を支援していると批判した。
できるだけ多くの国家をアメリカに依存したままにしておけば、アメリカの軍需品がよく売れるからだ。
このように「軍産複合体」に典型的にみられるように、国民は政策は自分とはほとんど関係のない権力者が決めているのだと知りつつも、どうすることもっできず高い税金を支払わされている。
メディアが現実を覆い隠し、企業が政治を支配するというのも、最近では少しちがったかたちをとるようになってきている。
例えば、最近のSNSによる選挙誘導など、金の力で生み出されるアルゴリズムが、民主主義の根底そのものを揺るがしていることなどである。
グーグルやフェイスブック(メタ)などプラットフォーマーの問題点は、情報を保有するだけではなく、その情報をいかに処理し評価に結び付ける「アルゴリズムの支配者」として立ち上がってくるということだ。
例えば、Yahooがアクセス数をもとに検索表示順を決めるのに対して、前者Googleがリンク数を元にそれを決めている。
また、グーグルで何かを検索したとき、アマゾンで買い物をするとき、フェイスブックで世の中や友達の動向を知るとき、常にその裏には、アルゴリズムがある。
入力されたデータや、フェイスブックの「いいね」などの反応をもとに、どのような情報を優先して画面に表示するかを決める手順もアルゴリズムである。
今のところ、アルゴリズムの支配者を抽象的に「ルーラー」とよんでいる。
ただ、ルーラーがどれくらい国家色を帯びるかで、かなり社会の様相が異なってくる。
こうしたプラットフォーマーの一翼を担う人々の中には、かつて金融の世界で「証券化」などのリスクコントロールの金融資産を生み出した人々が少なくない。
2008年暮れに起きたリーマンショックによって職を失った金融工学エンジニアが”広告業界”に転身して、新たな「オーディエンスターゲティング」という技法で世を席巻している。
彼らは、冷戦終結後に軍事産業から金融業界に流れ、そして行きついた先が広告業界だったということ。
インターネット広告は、期日までに広告を用意して入稿する仕組みで、急な掲載はできないため、広告主は多くのチャンスを逃す。
この問題を解決したのが「アドテクノロジー」で、「広告枠」ではなく閲覧している「人」に対して最適な広告を出せるようになった。
この技術は、政治や選挙なとにおいても活用される。
さてチョムスキーの批判にもっともよく該当する事例として日本の「原子力神話」が思い浮かぶ。
数年前、福島県に育ったひとりの少年の体験談が新聞に掲載された。
「原子力明るい未来のエネルギー」、これは東京電力・福島第一原発の5、6号機が立地する福島県双葉町の原発から4.2キロ近くの町の体育館のそばに、「この語」が書かれた看板があった。
老朽化のために町は2015年12月、看板を撤去し、移設した。東京と仙台を結ぶ国道6号線からも見ることができた。
標語を考えた当時は小学6年生だった大沼勇治(当時42歳)。双葉町が1988年3月、子どもたちを含む町民から集めた標語の一つを看板にしたのだ。
「原子力 破滅未来の エネルギー」「原子力 明るい未来…じゃなかった」。
また、標語のあった看板近くには、心境を描いた詩が書かれたパネルを設置している。
「新たな未来へ  双葉の悲しい青空よ かつて町は原発と共に「明るい」未来を信じた。少年の頃の僕へ その未来は「明るい」を「破滅」にああ、原発事故さえ無ければ 時と共に朽ちて行くこの町 時代に捨てられていくようだ。震災前の記憶 双葉に来ると蘇る 懐かしい いつか子供と見上げる双葉の青空よその空は明るい青空に  震災3年 大沼勇治」とある。
「原子力神話」は、自民党への政治献金なども含む「原発マネー」はマスコミや科学者や教育などを通じて「原発安全神話」が作れれていったのである。
初代原子力委員会委員長となった読売の正力松太郎は、メデイア王であったことがアメリカ(CIA)から目を留められた大きな理由であった。
経団連会長が三代にわたって原子炉開発の推進企業である東芝であったことも、それを裏付けている。

熊本水俣生まれの緒方正人は、幼いころに父を亡くし、当初は会員千数百人を抱える「水俣病認定申請患者協議会」の会長に就任するなど補償運動の中心的な立場にあった。
緒方は「親父の仇を討とうとする気持ちがずっとあった」と語っている一方、「その運動には釈然としないものがあった」と述べている。
「私が求めてきた相手、チッソが加害者であるといいながら、チッソの姿が自分に見えてこない。手の届かないところにいる。当時の運動はまるで迷路を歩まされているように、裁判や認定申請という制度の中での手続き的な運動になっていきました」と述べている。
緒方は、裁判所や行政府とかけあい水俣病の認定や「補償責任」と戦ううちに、自分が何と戦っているのか、だんだんわからなくなったのである。
そして「認定申請患者協議会」から離脱し、自分自身認定申請を取り下げてひとりになったその後、自分ではどうにもならないと感じた3か月ぐらい狂いに狂ったという。
そうして妻や子供もいながら頭が狂ったようになって、テレビを見るだけで耐えられず、画面をみるだけで身悶えして、テレビを外に放り投げたりしたこともあった。
信号をみても、嫌悪感をおぼえるなど、一方的に指示してくるものに対して、物凄い拒絶幹をおぼえた。
そういう狂乱の時機を経て気づいたのが、水俣病を引き起こしたのは一企業ではなく「巨大なシステム社会」であり、さらにたどり着いたのが「チッソは私だった」という認識であった。
緒方が生きてきた半世紀以上の中で、車を買い求め、家には冷蔵庫があり、仕事ではプラスチックの舟に乗っている。
いわばチッソのような化学工場で作った材料で作られたモノが家の中にたくさんある。
水道のパイプに使われている塩化ビニールの大半は、当時チッソが作っていた。
近年では液晶がそうだが、我々がチッソ的な社会に生きている。
水俣病事件に限定すればチッソという会社に責任があるけれども、時代の中で我々もまた「もう一人のチッソ」なのではないか。
緒方によれば、「システム社会」とは、法律であり制度でもあるが、それ以上に時代の価値観が構造的に組み込まれている世の中の在り様である。
患者の認定制度は対象を絞り込む装置として機能し続け、最高裁が幅広く救済する判決を言い渡しても、政府は頑なに基準を見直さない。
このため司法に助けを求めてきたが、水俣病の問題が、認定や補償に焦点が当てられて、それで終わっていいのかという気がした。
その間、チッソから本当の詫びの言葉をついに聞くこともなかった。県知事や大臣、いわゆる国からも、いまだに水俣病事件の本当の詫びは入れられていないというのが実感であった。
つまり、いまだに「一体だれが加害をした主体なのか」捉えきれていない。
国や企業の人々は、その制度の中でそうふるまっているだけで、彼ら自身が患者たちと人間的に向かい合っているわけではない。
そしてさらに緒方は一歩踏み込んで、自分を審問する。「もしかしたら、自分もチッソに加担していたのではないか」という考えが起きる。
チッソや国の人々が制度の中の人間として、患者たちににべもなくふるまうのならば、自分自身も同じような「立場」だったら彼らと同じように対応してしまうのではないか。
それまで当然視していた被害者‐加害者関係の絶対性はぐらつきだす。
緒方は魚について論じている。緒方たち漁師は命を懸けて漁に出て、魚を殺して食らうことによって生きている。だからこそ人々は生き物を殺して食べるという罪深さによって自分たちが養われていることを意識してきた。
しかし今はスーパーに行けば発泡スチロール容器に決まったサイズで入れられて売られている。
それは農産品や家畜の肉でも同じことで、包丁を使うこともなく食べることができるかもしれない。
そのような商品流通の中では、それを買う人は単にそれを商品として認識するのみで、殺して食うことの罪深さに思いが至らない。
また人間にしても同じことだ。人間も商品価値として認識されるようになっている。
いずれにしても、我々を取り巻くたさんの仕組み、制度の中にからめとられているところを自覚せずにはいられない。
緒方正人の「チッソは私であった」という言葉は、絶えず自分が罪深い存在であることを突き付ける言葉である。
そこに至る思考過程は次のとおりである。
公害事件や薬害事件が起きるたびに、会社の社長はじめ加害者とわれる人たちの責任について損害賠償責任とか、厚生省や大蔵省の責任が、民事責任とか刑事責任とかいわれ、そういう仕組みを作ることだけは、必死に行われてきた。
しかし、一番奥にあるところの人間の責任ということを避けて、仕組みを作ることで埋め立ててきた。
土木工事としての海の埋め立てや、田んぼや畑の埋め立てばかりではなく、その他にも制度的な埋めたてをたくさんやってきた。
それは命を埋め立てたばかりか、人間の「罪深さ」を埋め立ててきたのではないか。
さて経団連は日本の教育に対しても、時代時代の多くの提言を行ってきた。それは企業にとっての「期待される人間像」を提言してきたといってよい。
1950年代以降,経団連は日本の政策に対して影響を与えるようになるが、その多くは経済政策が主であり,教育政策に関してはその発言も控えられていた。
しかしながら近年の教育政策,とりわけ「英語教育政策」においては経団連等が前面に出て主導しているように思われ、時には経団連等の提示とほぼ同時に文部科学省などから指示や提案が出されるようになってきた。
1966年の中央教育審議会の「後期中等教育の拡充整備についての答申」とあわせてだされた「期待される人間像」において、青年に愛国心や遵法精神を育成することが強調され、大きな話題となった。
その内容には明らかに財界の要請が読み取れるような内容となっていたからだ。
1979年には経済同友会教育問題委員会が「多様化への挑戦」を発表し、小学校での英語教育実施、英語以外の外国語教育の推進等を提言に盛り込んだ。
以後英語教育だけでなく教育全般に対して経団連等は様々な提案や提言を発表し、「中央教育審議会」などを通して様々な変化をもたらしてきた。
財界の政治献金をバックにした「発言力」は、次のような 政治の仕組みからも増幅されることになる。
学校で生徒たちは「三権分立」を標語のように学んでいるが、立法権を握る国会が行政権を握る内閣を組織し、内閣が最高裁判所裁判官を差配する。
したがってその実態は国会の多数派(与党)による党派的な"勝者総取り"の仕組みなのだ。
そもそも”議院内閣制”というのは国会と内閣の部分的融合であるし、司法のトップである最高裁裁判官は内閣が作った名簿から選ぶので、内閣の意向に沿う判決しか出さない仕組みとなっている。
ただ後者を"司法権の独立"を侵すものとみなさないようだ。何しろ裁判所の最高裁裁判官は、国民が直接選ぶわけではないので民主的な基盤をもたない。
したがって、最高裁の裁判官が国会の多数派を基盤にした内閣が”人事に一定の選択枠を設けるカタチで”民主的な基盤”を提供するということなのだろう。
何しろ日本は55年以来の自民党政権下で、最高裁まで昇り詰めるような裁判官なら、ほぼ”自民党寄り”の判決しか出さないのは自然なことである。
政治献金なら、労働組合だって野党に献金しているが、与党への献金とは意味合いが違ってくる。
自民党の政治献金は、様々な部会や審議会での発言の重さとして働く。
与党総どりの政治の仕組みを”レバレッジ”として働き、国の政策を変えているのは確かだが、それをどれくらい悪しき「歪み」として受け止めるかは別問題である。

ロシアに派遣された北朝鮮軍は推定1万2000人とされ、ウクライナ側の見解が正確であれば死傷率は25%。軍隊の場合、3割が戦闘不能となった時点で戦闘効力が喪失すると言われている。今回は数が多いので継戦可能かもしれないが、数字の上では深刻な被害を受けたことになる。 「前線に投入されたことを考慮しても被害は甚大です。装備はロシア側が提供したと報じられていますが、自前の武器でない時点で不慣れなのは否めません。少なくとも今回派兵された北朝鮮軍に関しては弱兵と言わざるを得ない」(軍事ジャーナリスト) また、米紙ニューヨークタイムズは12月23日、「ロシアに派兵された北朝鮮兵の多くは栄養失調だった」と報じている。実際、ロシアが公開している派遣された北朝鮮兵の画像などを見ると、痩せ細った者ばかりで屈強とのイメージには程遠い。 「同じ朝鮮民族の韓国軍の兵士と比べれば、体格面で劣るのは明らかです。戦場で彼らと遭遇したウクライナ兵の証言が西側諸国のメディアでも報じられていますが、『数は多いが練度の低さを感じる』など評価は決して高くありません」(同) 今回の派兵について金正恩総書記は表立ってコメントはしていないが、専門家の間では追加派兵の可能性も指摘されている。その場合、次は精鋭部隊を投入して名誉を挽回するのだろうか。面子を人一倍重視する北朝鮮がこのままやられっぱなしとは思えないが…。 アメリカの外交政策の真の目的は、できるだけ多くの国家をアメリカにに依存したままにしておくことだ。
強大な国家が小国の独立を妨げようとするのは、それらの国が独立すれば、大国の利益を優先する政策から自国民の福祉を重視する政策に方向転換する可能性があるからである。
「ワシントンコンセンサス」とは、ワシントンを本拠にしているアメリカ政府と国際通貨基金(IMF)および世界銀行との間に成立した合意のことを指す。
それは貿易と資本市場とを自由化することを理念とし、規制緩和や「小さな政府」を目指す。
要するに、自由化と民営化という「アメリカン・スタンダード」によるグローバル化である。
その朋友こそはアメリカのグローバルバンクである。
その内容や条件に沿う形で市場自由化プログラムが導入された80年代以降の南米諸国、90年代における旧ソ連や東欧諸国の自由化を推進したが、結果的に経済が著しく混乱した。
1989年、ソ連が崩壊しロシアが誕生した。
その市場経済移行に際しての混乱を増幅させたのも「ワシントンコンセンサス」であった。
それは独自路線を歩んだ中国と比較すればよくわかる。
中国は農業改革から着手して、農業生産の集団農場(集団責任)制を「個人責任制」へと移行させ、実質的に部分的な民営化を実施した。
個人が自由に土地を売買することができなかったので、完全な民営化ではないものの、生産物を売って収益をあげることか可能だった。
そして結果として、部分的かつ限定された改革ではあっても、きわめて大きな収益をあげられることを示した。
この大事業が成し遂げられた経緯は、ある地方の試みが成功すると、別の地方でもその取組を取り入れて同じように成功させ、改革を支援する地域を広げていくというものであった。
ここで注目すべきは、中央政府が改革を強制する必要がなく、改革が自主的に行われたことである。
一方、新古典派の経済理論で武装してロシアに赴いた「市場経済移行の専門家」達は、あまりに民営化を急いだ。市場経済には競争が必要であり、そのためには制度上の基盤を整えることが不可欠だった。「民営化」はその次の段階であるべきだった。
中国は、既存企業の民営化や構造改革を着手する前に、競争原理を導入し、新興企業を育成して雇用を創出した。
そして自由化をすすめる一方、解雇された人材をより効率的な職へ移動させた。
国有企業を民営化しなかったが、新しい企業が誕生するにつれて国有企業の重要性は低くなる。
、 各地の「郷鎮企業」は、移行の初期において中心的な役割を果たした。
「ワシントンコンセンサス」の発想は、そうした企業は「公営」なので成功しないというものだった。
だが、郷鎮企業はコーポレート・ガバナンスの問題を解決する一方、各地の郷や鎮が自分たちの貴重な資金を投入して富を創出しようとしたので、成功するためには激しく競争しなければならなかった。
郷鎮企業は自分たちの資金で何が出来るかを把握しており、雇用を創出すれば収益が増大することを知っていた。
そこには民主主義はなかったが、結果に対する責任はともなっていた。
ソ連時代の農業についていえば、農家は必要な稲種や肥料はすべて支給されていた。
そうしたもののインプット(トラクターなど)の入手についても、アウトプット(収穫)を売ることについても農家が心配する必要はなかった。
しかし市場経済のもとでは、インプットおよびアウトプット市場が形成されなければならない。そのために必要なのは新しい企業体や事業体だった。
ロシアには、欧米の制度と似た名称をもつ制度もあったが、その果たす機能は異なっていた。
例えばロシアには銀行があり、銀行は預貯金を集めたが、誰に融資するかをめぐっては自ら決定を下すこともなければ、融資の返済についての監視や督促をすることもなかった。
彼らは、政府の中央計画当局の指示に従って「資金」を供給するだけであった。
政府は企業に与えた生産量のノルマを課したが、経営者はノルマを達成すべく仕事をこなし、時に少し多い特典をえたりした。
ソ連時代、法の抜け穴をすり抜けることが常態化しており、ロシアが市場経済に移行する過程で、予想されたごとく「法の原則」が崩壊する。
成熟した市場経済国家に法と規制の枠組みが出来たのは、資本主義の諸問題に直面したからだ。
銀行法規は大規模な銀行破綻が起こったからであり、有価証券法も様々な不正が横行したからだ。
新規企業が土地をてにいれるために必要なのは、不動産市場と不動産登記である。
こうしたことは他国の経験から学ぶことが出来たはずだが、IMFの市場経済論者はそれらのことを軽視し、ロシアに制度的な基盤のない市場をつくった。
「ワシントンコンセンサス」は、緊縮財政、民営化、市場の自由化を三本柱としたが、IMFがソ連経済の市場経済への移行で優先したのが「民営化」だった。
「民営化」を迅速に進めなければ、共産主義への後戻りすることが懸念されたという面は否定できない。
だが、そもそも社会主義体制に馴染んだ経営者や労働者に、「競争」というマインドが育っていなければ、資本主義は育たない。
最初に民営化して、競争や規制を後回しにした場合、ひとたび既得権益が生まれれば、規制や競争を押しつぶそうとする。
ロシアの「オリガルヒ(新興財閥)」もこのようにして生まれたものだった。
ワシントンコンセンサスに基づくソ連の市場経済移行のプログラムは、ロシア経済に混乱ばかりをもたらし、経済は社会主義体制の時代よりも後退する。
一時は「マフィアが牛耳る」ともいわれたほど、「法の支配」とは程遠い経済社会が形成された。
こうした背景が、プーチン大統領とその片棒を担うオリガルヒによる支配体制であったということだ。
アメリカの金融資本が生み出したのが、現在のプーチン体制という見方もできる。

政治改革法の制定を巡る細川氏らとの協議の過程にも触れた。河野氏は政党助成法と企業・団体献金が「トレードオフ(二律背反)の関係」にあったと話した。政党交付金の導入により企業・団体献金は「本当は廃止しなければ絶対におかしい」と述べた。 派閥や政治家個人向けは禁止されたものの、政党や政党支部への企業・団体献金は現在も可能だ。河野氏は「当時の考えとは全然違う状況になっている」と断じた。 国会議員数や選挙での得票数に応じて公費を配分する政党交付金は国民1人あたり年間コーヒー1杯相当の250円を負担してもらうといった触れ込みで始まった。 2019年の参院選広島選挙区を巡る買収事件に触れて、政治とカネの問題については「もっと深刻に考えないと駄目だ」と苦言を呈した。 企業・団体献金を禁止された議員は資金調達先として派閥や個人の政治資金パーティーを重視した。23年に自民党派閥のパーティー券収入を巡る「裏金」問題が明らかになった。 宮沢氏は問題を起こした議員が二度と政治に関与できなくなるような厳罰が必要だと唱えていたという。その後、政治改革の議論が「腐敗防止法ではなくて選挙制度にどこかで変わってしまった」と総括した。 当時の中選挙区制では同じ党の候補が争い有権者へのサービス合戦となるため、選挙にカネがかかるとされた。河野氏は「本当に小選挙区ではカネがかからないのかと言われても、評論家や学者はそう言うが根拠がなくて分からなかった」と回顧した。 「本心は小選挙区制ではなく定数3人の100選挙区がいいと言っていた」「細川護熙氏も小選挙区制がいいとは思っていなかった」と明かした。最終的に河野氏と細川氏らのトップ会談で小選挙区比例代表並立制の導入で合意した。 細川護熙政権が小選挙区制の導入や政党助成制度の創設などを柱とする政治改革関連法を1994年に成立させた。88年のリクルート事件などを受け「政治とカネ」問題の再発を防ぎ、政治不信を払拭する狙いがあった。 中選挙区制の下で自民党は各選挙区に複数の候補を立てた。党内の候補同士で争うため、所属する派閥が資金援助などで後押しした。派閥が資金調達先の企業・団体と癒着することにつながった。 小選挙区制では有権者が政党の政策を比較して投票できるとうたった。 政党交付金は政治家への企業・団体献金をなくす目的で取り入れた。政党や政党支部の献金は禁止されず、交付金との「二重取り」状態になっているとの指摘がある。派閥や政治家個人への企業・団体献金は禁止になった。