日本体験ツアーの広がり

外国人が日本を訪れる理由は、観光・和食・アニメ聖地巡りなど様々だが、最近では外国人観光客向け「体験ツアー」が増えている。
こうしたツアーの背景に、日本のアニメなどで知った生活や文化に対する関心の高さがあげられる。
そんなツアーのひとつが「運動会屋」が運営する廃校キャンプ場(千葉・君津市)利用しての「日本の田舎の学校~君の学校」である。
「運動会屋」は、企業の社内運動会を中心に、運動会の企画・運営・会場の確保・設営・撤去・備品の貸出し・スタッフの派遣等を行う。
東京都渋谷区に本社を置くが、アメリカ・シリコンバレーにまで進出しているというから、「新しい学校のリーダーズ」の世界進出が思い浮かぶ。
「運動会屋」によって提供するセーラー服、学ラン、体操着、ジャージ、割烹着など様々な衣装や様々なノウハウが、「君の学校」という企画が実現させた。
日本側にも少子化・過疎化により、学校の廃校問題があった。そこで生まれた廃校というスペースを活用し、新たな価値を生み出すことを目指したものである。
オプションとして、校庭でのキャンプ泊と温泉旅館への宿泊が可能である。
「君の学校」の体育の授業でジャージを着たり、給食を準備している割烹着を着ての配膳など、日本の学校生活をリアルに再現し、入学式から始まり、朝のホームルームも実施される。
古い仕立ての教室で書道や歴史の授業が行われる。書道は日本の伝統的な芸術で、自分で美しい漢字を書く体験は特別なものだ。
運動会屋企画だけに、伝統的な運動会を体験(玉入れ、綱引き、相撲 etc.)をもしてもらう。
他に、掃除や日直体験、わずか1日の学校体験の締めくくりに卒業証書が渡される。
「アニメ寄り」の体験としては、授業中、避難訓練が行われ、防空頭巾もどきをかぶって机の下にもぐったり、他校のヤンキーが学校に乗り込んでくる場面があったり、宿題を忘れた場合は、バケツをもって廊下に立たせられたりする。
これだけの体験をするには、「担任の教師」が必要だが、個性的なスタッフがそれをかなえている。
例えば、特撮が大好きで、ヒーローのような先生になりたいと思い教師になった熱血教師がいたり、留学をした経験から日本の文化をもっと伝えたいと思いを抱く女性教師もいる。
アニメが大好きで、時折アニメの名言を交えながら授業をする教師や 、不良だった自分を正しく導いてくれた恩師を目指し、まっすぐに生徒達に向き合っていく教師など、よりどりみどりさん。
ところで近年、日本人が大災害でも秩序正しく行動したり、国際的なスポーツ・イベントにおいて、試合終了後にボランティアで掃除をする行動が賞賛されるようになった。
そこで海外では日本の学校教育、特に「特別活動」が注目されるようになった。
前述の「運動会屋」の企画に、掃除や給食の体験も含まれているが、日本の学校の「特別活動」をたたえる映画がつくられ、世田谷区の小学生に密着したドキュメンタリー映画「それは小さな社会?」が海外の映画祭で注目を集めている。
日本の給食時間の風景としては、運搬係や配膳係や後片づけがいてグループ内で整然と食事をする。生徒たちは月ごとにその役割と責任か変わり、それは小さな社会の体験でもある。
この映画の内容は、何をどれくらい、誰と、どこで食べてもいいアメリカの給食と、好き嫌いなく何でも食べて、残さずき嫌いな食事は残しても良い?など日米の給食比較によって、改めて気づいた日本の「食育」の素晴らしさや意義を浮かび上がらせた。
日本の給食は、とても社会的行為でもあり、子どもの健康のためにも、これからの人との付き合いにおいても重要な位置づけがなされている。
そして、「好き嫌いなくなんでも食べられる」「残さず綺麗に食べる」などが日本の給食の教育的意義であることが伝わる。
話は少しそれるが、日米野球の試合に外国人が訪れて驚くのは、応援が一体となって整然となされる様子である。
それも一球一球に観客は集中しており、アメリカのスタジアムがいかにも 各個(家庭)でレジャーを楽しむという雰囲気とは全く様子が違う。
日本の運動会や給食時間などの特別活動が、そんな違いを生んでいるのかもしれない。

1975年、エリザベス女王来日の際に、東京で日本文化を深く知ってもらうためにに、NHK大河ドラマの収録スタジオにお招きしている。
その時、NHKスタジオでは、「元禄太平記」の収録中で、俳優の石坂浩二などが女王に対応している。
さて2023年日独合作映画「PERFECT DAYS」が注目を集め、主役の役所浩司がカンヌ映画祭男優賞を受賞した。
監督は、「パリ、テキサス」(84年) 「ベルリン・天使の詩」(87年)など数々の名作を発表し、多くのドキュメンタリーも手がけたドイツの名匠ヴィム・ヴェンダース。
主人公は、スカイツリーに近い古びたアパートに住む中年のトイレ清掃員である。
役所浩司演じる平山は、薄暗いうちに目をさまし、毎日同じ手順で身支度をしてワゴン車に乗り込む。車内ではカセットテープを聞きながら、渋谷区内の公衆トイレを転々と巡り、隅々まで磨き上げていく。
仕事が終わると、銭湯で身体を洗い、浅草の地下の大衆食堂で簡単な食事をすませ、布団の中で文庫本を読む。眠りについた平山の夢では、その日に目にした光景が重なり合っている。
規則的な日々の中でも、平山は小さな楽しみを数多く持っている。いつも簡単な昼食をとる神社の境内では境内の木々を見上げて写真を撮る。木の芽を掘り返して丁寧に持ち帰り、部屋に集めて育てている。
とはいっても単調な日々というわけでもなく、周囲の人々の悲喜こもごもの交錯する感情が詩情豊かに描かれている。
例えば、竹ボウキで地面を掃く聞き馴染みの良い音が聞こえてくる。「この世界は、ほんとはたくさんの世界がある。つながっているようにみえても、つながっていない世界がある」というセリフを背に、平山はいくつもの風変わりなトイレを清掃してまわる。
この映画のキャッチコピーは、「こんなふうに生きていけたなら」というものだが、それが納得できる平山の日常である。
作品はヴァンサーズの最高傑作という評価され、「ほとんどの時間を無言の演技で支配している魅惑的で優雅な役所広司の演技」と評価されえているうように、ドイツの名匠が捉えた日本を舞台にした新たな名作が世界中で受け入れられていることを裏付ける。
この映画の舞台となった渋谷区内の公園など17カ所に公共トイレが建設されているのは「デザイン・クリエイティブ」によるものである。
「デザイン・クリエイティブ」は、公共トイレのイメージを刷新し、新しい社会のあり方を提案するという趣旨に賛同した建築家の安藤忠雄氏や坂 茂氏、藤本壮介氏ら16人の世界的クリエイターによって手がけられたものである。
そして、これら個性豊かな公共トイレ「THE TOKYO TOILET」を巡るシャトルツアーの運行が実現した。
「THE TOKYO TOILET」プロジェクトとは、多様性を受け入れる社会の実現を目的に、性別、年齢、障害を問わず、誰もが快適に使用できる公共トイレを渋谷区内17カ所に設置したもの。
このツアーは、渋谷でしか体験できないことを新たな観光資源と位置付け、渋谷を訪れる外国人観光客および国内旅行者・来街者・地域の人々らに向けた同観光協会のオフィシャルツアーとして催行される。
渋谷区観光協会と、シェアリングエコノミー会社が共同プロジェクトとして取り組むものである。
もうひとつ日本の夜の文化といえばスナック。狭い路地に300店ほどの飲食店が軒を連ねる新宿の飲み屋街「新宿ゴールデン街」は外国人にとってインパクトある異文化体験である。
そこには、横丁や路地裏などテーマパーク的な空間を感じられるエリアでもあり、現在は世界中からの旅行者で混雑し、観光地化している。
横丁には赤提灯やレトロな看板が並び、ノスタルジックな雰囲気が漂う 脇道に入ると、小さな稲荷神社が地域の人の手で大事にされているのを目にしたり、味わいのある古い建物に出会ったりするのも楽しい。
「スナック」とは、カウンター越しに店主が接客する飲食店を指す。 店主は女性である場合が多く、お客さんからは「ママ」や「ママさん」と呼ばれる。
「サラリーマンの聖地」新橋をめぐる、「外国人向けスナックツアー」がある。
スタートは新橋駅前のSL広場から近い鳥森(からずもり)神社に参拝してからツアーがスタート。
1軒目のスナックは、その路地にあるスナック。店内に入ると、日本人とっては昭和レトロな、外国人とっては、おそらく、秘密基地的な異次元の世界が広がる。
スナックに訪れるということは、知らない家にいきなり訪問して、そこに住む家族とご飯やお酒を共にするという感覚に近い。
そのコミュニティを維持するために、会員制にしているスナックが実は多いのだ。
そのため、飛び込みで入れないスナックは多く、そのコミュニティの誰かから紹介してもらう必要がある。
新橋の「外国人向けスナックツアー」に参加した外国人数人は、狭い店内を見回しながら、感嘆の声をあげ、ママさんに誘われて、ソファに腰を下ろした。
このツアーでは、スナックのことを知ってもらおうと、ちょっとした工夫を凝らしている。
ガイドさんがクイズを出す。例えば、「この女性は、なんと呼ばれるでしょうか?」。
答えが「ママ」だと知ると、参加外国人は「ママって、Motherの意味でしょ」とちょっと不思議そうな表情をした。
他にも、ボトルキープはどのくらいできるの?スナックの様子が外から見えないのはなぜ?そもそもなぜ「スナック(お菓子)」なの、といった素朴な疑問が飛び出す。
次に簡単な日本語で注文の仕方を教える。それに倣って、それぞれドリンクを注文。ママさんは、それに「日本語」で応える。
ママさんの英語は片言だが、コミュニケーションが不思議と成り立つのは、参加女性が「家庭的な雰囲気ね」というこの独特の空間が、それを可能にしているのかもしれない。
小さな空間で醸し出される一体感。その心地よさは、日本人でも外国人でも変わらないのだろう。
スナックといえば、カラオケ。参加した外国人が選んだのは、アウトキャストの「Hay Ya!」、ワムの「ラストクリスマス」。そして、クィーンの「ボヘミアン・ラプソディ」では、多少の替え歌を交えて大袈裟にママさんに謝意を示した。

外国人向けツアーとして提供しているものではないが、外国からわざわざ「視察」に来るような「驚きの日本体験」もある。
東京駅などで新幹線に乗ると、一列に並んでお辞儀をする女性たちの姿を見かける。列車がホームに入る3分前に、1チーム22人が5~6人ほどのグループに分かれて、ホーム際に整列する。
列車が入ってくると、深々とお辞儀をして出迎える。降りてくる客には、1人1人「お疲れさまでした」と声を掛ける。
「新幹線1両を1人、7分間で清掃と掃除」で注目を集めている企業、JR東日本の子会社で、新幹線の掃除を担当している鉄道整備会社である。
客の降車が終わると、「7分間」の清掃に入る。座席数約100ある1両の清掃を1人で担当する。
約25mの車両を突っ切り、座席の下や物入れにあるゴミを集める。
次にボタンを押して、座席の向きを進行方向に変えると、今度は100のテーブルすべてを拭き、窓のブラインドを上げたり、窓枠を拭く。座席カバーが汚れていれば交換する。
トイレ掃除の担当者は、どんなにトイレが汚れていても、7分以内に完璧に作業を終える。
チームのリーダーは、仕事が遅れていたり、不慣れな新人がいる場合には、ただちに応援し、最後の確認作業を行う。
7分間で清掃を終えると、チームは再び整列し、ホームで待っている客に「お待たせしました」と声を掛け、再度一礼して、次の持ち場へ移動していく。
始発の朝6時から最終の23時まで、早組と遅組の2交代制でこの作業を行い、1チームが1シフトで、多いときには約20本の車両清掃を行う。
JR東日本で運行する新幹線は、車両数にして約1300両、これを正社員、パート含めて約820人、平均年齢52歳の従業員で清掃する。
2008年に国際鉄道連合(UCI)の会合が日本で開かれた際、その分科会がこの会社を視察に訪れ、同年ドイツ国営テレビが取材にやってきた。さらには米国のラフォード運輸長官も視察に訪れた。
さらには、米国のスタンフォード大学、フランスのエセックス大学の学生たちが、研修にやってきて、制服を着て、掃除の実習をしている。
日本人の乗客でも、そのキビキビ動作に感心してしまうが、外国の客にとっては、その動きは信じられないようで「七分間の奇跡」とも称される。
ある日、従業員が作業終了後、整列、退場の一礼をすると、たまたまホームで待っていた30人くらいの外国人客から大きな拍手と歓声が沸き起こった。
我が福岡市の薬院に近い小さなホテルが、外国人客がネットに「ニンジャがいる」と書いたがために評判になったことがある。
日本人なら、旅館に泊まって、風呂から部屋に戻ったら食事の用意がしてあったり、布団がひいてあったりして驚いたという体験をもつ人も多いだろう。
しかし外国人客にとって人影も見当たらないのに、いつの間にかなされる行き届いたサービスに、「まるでニンジャがいるようだ」と感じるらしい。
個人的に、「イイオンナ推進プロジェクト/おもてなし心理学協会」代表者という肩書の女性が書いた「おもてなしの極意」を読むうち、もし「忍者の教科書」があるとするならば、同じようなことが書いてあるのではないかと思われる内容であった。
なぜなら本の見出しに「気配を感じること」「自らの存在を消すこと」とあり、まさに「忍びの術」ではないか。
実際、こういうサービスの在り方こそが、外国人に「ニンジャがいる」と思わせるのではなかろうか。
その著者が基本として掲げるのが「気配接客」。それは、客がそれを言葉にされる前に、客がしてほしいことを客の「気配」で読み取るというもの。
客の期待をいい意味で裏切ることが、「気配接客」の極意という。
ここでいう「裏切り」とは、 「なんでそこまで」「なんでわかったんだろう」「想像もしていなかった」、そんな数々の驚きと感動を創造する「裏切り」なのだそうだ。
そのためには、客自身でさえまだ欲していない、いわば「潜在的な要望」をさりげなく先回りして応えることが求められる。そのためには、客の気配をつねに観察し続けることを忘れてはならない。
これでいいだろうとか、ここまでしているのだからという不遜な心や態度が少しでもあると、それが不思議なくらい客に伝わってしまう。
「イイオンナ推進プロジェクト」で最も活かしたいのが、”背中での”おもてなしなのだという。
学生時代にウエイターのバイトしてた頃、客に尻を絶対向けるなと怒られた記憶があるが、 「背中接客」の意義は、客に背中を向けていれば、客は「おもてなし」する側の視線を意識することなく、心置きなく自由に振る舞われることができることにある。
「おもてなし」の極意は、「こちらの気配は消す」こと。「おもてなし」されていることも、「おもてなし」していることもお互い一切感じない、感じさせないということらしい。こんな接客の哲学、世界のどこにありましょうや!