トランプ、ニクソン、タナカ

ごくおおまかにいうと、国際決済で最もよく使われる通貨を基軸通貨という。 現在の基軸通貨はドルであったが、戦前はポンドだった。
世界経済で、お金を印刷すれば外国の品物が手にはいるなんて国は、圧倒的に優位に立つものと思いがちだが、それなりの苦労がある。
ドルが世界中で使われるためには、貿易収支または経常収支が「赤字」になってしまいがちなことだ。
第二次大戦後の15年ほど、アメリカは世界に対して圧倒的な輸出競争力を持ち、ドルは圧倒的な強さをもつ通貨だった。
逆にいうと、輸出超過でドルを吸い上げてしまい、世界的には「ドル不足」状態だったわけである。
アメリカはドル不足解消のために、「マーシャルプラン」(復興支援)などを行いドルを世界に供給する。
それは、アメリカ陣営に諸国を繋ぎ留めようという政治的な意図ばかりではなかったということだが、流動性を十分供給しようとすると、アメリカの国際収支が悪化せざるを得ない。
そうなるとドルに対する信認が低下する、というジレンマを「流動性のジレンマ」とよんだのである。
「基軸通貨」というのは、世界中が準備通貨として必要とするもので、各国が自国経済発展に見合う量が必要となる。
「準備通貨」になるためには、当然弱い通貨であってはならない。安定して購買力のある強い通貨でなければならない。
一方でトランプ大統領のように「赤字嫌い」は、貿易収支改善のために「ドル安」を志向するので、ここでも矛盾が起きる。
日本は、かつて外貨が足りなかった時代、少々景気が良くなると輸入が増え外貨不足が起き、それに対応するために景気を引き締め、企業が倒産することさえ起った。
アメリカにはそんな心配をする必要がないというだけでも特権といえるが、皮肉なことに、アメリカは国内市場が良すぎて輸出意欲がわかず、アメリカの赤字はますます拡大した。
アメリカだけは世界中の経済成長に見合うドルを発行できるが、それはドルの「信認」があってこそだが、大きな「赤字」の拡大は、その信認を揺るがしかねない事態に陥ったのである。
最近、トランプ大統領がアメリカの中央銀行にあたるFDR総裁に、辞任を匂わせつつ金利を下げるように圧力をかけ、「ミスター・トゥー・レイト」(遅すぎ氏)なんていうニックネームまでつけた。
政治の原則に「政教分離」という原則があるように、先進国では経済にも通貨当局は政治から独立していることが原則として確立している。
これが確立する過程で、イギリス政府とイングランド銀行の確執は、興味深い思考材料を提供してくれる。
1929年大恐慌がおきる前には「金本位制」という体制がとられていた。
金本位制は金平価という金の公定価格(平価)が定められ、例えば1オンス=1ポンドで要望があればいつでも、この価格(平価)で金と通貨とを交換しなければならない。
現実には国内で金に変えたいとする要望はほとんどないので、実質的に外国との国際決済における体制といえる。
要するに、国際的により多くの金(ゴールド)を手にしたものがより多くの通貨を発行できる仕組みなので、「日の沈まぬ国」イギリスのポンドがその「通用性」をもって世界の基軸通貨になっていったたのは自然のなりゆきであった。
そして、イギリスの国内利益とその他の国の利益が激しく抵触しないかぎり、ポンドの基軸通貨としての地位は安泰であった。
だが一番の不安定要因は戦争である。実際、金本位制は戦争になるとしばしば停止された。
戦争では、様々な物資が必要となり、”金に制約”されていては戦争ができないからだが、イングランド銀行の場合には特殊な事情が加わる。
各国は戦争が起こると、不安定な通貨を金に換えようとする。
イングランド銀行は、敵国でもカネを金に換えてくれといわれれば応えざるををえず、イギリスの国庫は空っぽになってしまう。
そのため”停止”せざるをえない事態に追い込まれたのである。
金本位制が停止されている間は、イングランド銀行の「裁量」つまり制約なしで通貨が発行される。
そもそも金本位制は、イギリス政府がイングランド銀行に「足かせ」をはめる意図をもって始まった。
金本位制下で「金」量に応じた通貨量しか発行できないので、イングランド銀行の「裁量権」は制限されることになるからである。
第一次世界大戦に至るまでに、ロンドンの「シティ」は世界の一大金融センターとなったが、イギリスの敵味方関係なくカネを貸すなど、イギリスの国益にも反することを行うようになっていく。
そこで、イギリス政府が戦争の資金調達を頼ったのが、イングランド銀行ではなく、新興国アメリカであった。
基軸通貨がポンドからドルへ移行する「第一歩」が標されたことになる。
イギリスが金本位制から離れることは、ポンドが地位を失うという国際的立場もある一方、戦費調達面で「足かせ」があっては、戦争が出来ないという「国内的要望」の板挟みに立たされたのである。
イギリスが、こうした矛盾を解決したのが「ブロック経済圏」の形成である。
イギリスは、ポンド価値の低下を防ぐためにオセアニア・アフリカ・アジアにいたる広範な「スターリング(ポンド)・ブロック」を形成していった。
これらの国々では獲得した外貨をポンドに転換し、シティに預金した「ポンド預金」を国際決済に用いたのである。
各国は通貨をポンドに替えるわけだから、ポンドの価値は維持され、イギリスの戦費をまかなうに足りるだけの価値が蓄積される。
圏内での支払いはすべてポンドで行われ、金融面での統制はやりやすかった一方、国民経済もしくは植民地の犠牲をともなうものであった。
輸出入が規制され、安い外国産の商品は自国に入ってこず、資本移動が規制され、ブロック圏の各国の投資家は自国の企業か圏内の企業に投資するしかなかった。外国の企業がどんなに魅力的でもそうするしかなかったのである。

国際経済論においてイギリスのリカードが唱える「自由貿易論」は、各国は自国で相対的に低コストの分野に生産を集中し、国々がそれらを貿易を通じて交換しあえば、全体として豊かになるというものだった(比較生産説)。
一方、ドイツのリストが唱える「保護貿易論」は、自由貿易をやるとこれから成長するであろう幼稚産業が成長の芽が摘まれてしまうので、或る程度の関税をかけて守ろうというものである(幼稚産業保護論)。
それぞれ、イギリスとドイツの国情を反映した理論だったのだが、このような理論は、サプライチェーンが世界中で広がっているグローバル経済のもとでは、必ずしもあてはまらなくなっていることは事実である。
その一方で、トランプ関税のように、低コストを求めて外国に出ていった企業をアメリカ国内に”呼び戻す”ために高関税をかけるというのは、世界各国で出来上がってきた”サプラーチェーンを寸断する”という意味でも、恐ろしく高い代価を払うことになろう。
トランプ政権が外国製品の流入を防ぎ、国内の雇用を守りたいという感覚までは理解できても、仮に4年(長くて8年)の政策のために、わざわざ人件費も物価も高いアメリカ国内にどれほどの企業を”呼び戻す”ことができるであろうか。
トランプ政権の関税政策の「設計図」を描いたのは、ハーバード大学名誉教授のピーター・ナバルである。
その理論では、関税で増大した黒字を財源に減税を行い規制緩和を行うということらしいが、関税を支払うのは国内業者であり、それが「価格転嫁」によって消費者が支払うことになる。
またナバルの経済理論では、国内産業が活気づけばアメリカ国債も買われると想定していたようだが、実際は報復関税を招いたばかりか、株が下がって国債を買おうという動きも起きず、国債価格は暴落。
金融危機の一歩手前の段階で、ウォール街出身のベッセント財務長官の提言により、トランプ大統領は相互関税を90日間延期した。
ナバルはトランプへの忠誠度は高く、第一次のトランプ政権では通商担当の大統領補佐官を務め、対中強硬派として知られていた。
大統領選挙でトランプがバイデンに敗れた際には、米連邦議会議事堂襲撃事件に関連した議会調査に協力しなかったため、「議会侮辱罪」で4カ月間服役し、二期目にも「上級顧問」というかたちで政権入りを果たしている。
トランプ的な被害者意識は次のようなものだろう。「アメリカは世界中から一方的に大量の商品を輸入し続け、その結果、貿易赤字・経常収支の赤字を続けてきた。世界はアメリカの需要に甘え続けてきた。そんなことにもうこれ以上許さない」。
トランプ大統領がナバル上級顧問とベッセント財務長官をどう使い分けるかが大きなカギとなる。

1980年代初頭レーガン大統領の時代には、ミルトン・フリードマンの「市場万能主義」が広がり、「小さな政府」をスローガンに規制緩和や自由化が進み、日本も「市場開放」を求められ日米貿易摩擦が起きた。
レーガン大統領の政策は、「サプライサイド・エコノミクス」が打ち出された。
「ラッファー・カーブ」なる図がしばしば登場し、減税でGNPが伸びたらその分「自然増収」になるので財政面でもうまくいうということを単純な図に表したものだった。
ニューディール政策以来、有効需要に重きをおく「ディマンドサイド・エコノミクス」であったのに対して、レーガンは減税・規制緩和・自由化といった供給重視の「新自由主義」が西側諸国に広がった。
またレーガン陣営が当選前から「影の政権」のようにプロの政策執行者で組織されて機能していたのに、今のトランプ政権は、国防長官らが軍事機密を民間のSNSで共有するなど”アマチュア集団”のようにみえる。
なにしろトランプ大統領への”忠誠心”を基準に選んだ閣僚陣だからだ。
戦後の国際社会は、基本的に自由貿易、つまり各国が自由に商品を売ったり買ったりすることを是とする価値観で運営されてきた。
この政策は経済学者であるリカードが提唱した「比較優位説」という理論がベースになっているのだが、お互い自由に貿易した方が、全員にとってメリットがあるという考え方である。
この考えのもと、戦後のブレトンウッズ体制が築かれ、その中にはドルを基軸通貨として「金1オンス=35ドル/1ドル=360円」の固定相場制であった。
さて、トランプ関税との比較でよく引き合いに出されるのがニクソン大統領による「輸出課徴金一律10パーセント」という「ニクソン・ショック」である。
それは前述の「流動性のジレンマ」とも関わる「金ドル交換一時停止」をともなうものであった。
1971年8月15日に、リチャード・ニクソン大統領は、ドルがもはや金と交換できないことを突如発表した。
背景には、アメリカの貿易赤字に加え、海外支援や朝鮮戦争からベトナム戦争に至る過程で過剰なドルの流失が起きていたことがあり、ドルの信認が揺らぎ始め、海外からのドルの金との”公定価格”での交換が増え始めていたからだ。
ニューヨークのフォートノックスの地下にある金庫の金が底をつき始めたのだ。
このときに導入された輸入課徴金(実質的な関税)は、「特定の国を標的とするものではない」と説明された。
ニクソン大統領とトランプ大統領の歴史的相似形は興味深い。 貿易収支の改善を目指し、「ドルの切り下げ」を志向して、関税を発動した。
ニクソン大統領は「南部戦略」、トランプ大統領は「ラストベルト」と、共和党の新たな支持層を掘り起こしたという共通点もある。
2025年4月30日、トランプ政権が始まってからちょうど100日目を迎えた際、カリフォルニア州知事の「関税措置の差し止め」を求めて提訴した。
その後、同様の訴えはニューヨーク州やイリノイ州からも提起され、12州に増えている。
この訴えの非常に興味深い点は、トランプ政権が「IEEPA」(国際緊急経済権限法/「アイーパ」と呼ばれる)を根拠に、相互関税を発動した点に異議を唱えていることだ。
IEEPAに関する解釈では「アメリカに対する脅威に関し、大統領が緊急事態を宣言した場合、それに対処する権限を大統領に与える」というものだ。
しかし同州の訴状によれば、この法律には関税に関する権限は書かれていない。しかも「異例で並外れた脅威」に対処するための法律であるという。
しかるに相互関税は、「アメリカの貿易赤字が拡大して危機的な状況になっているから、すべての国に対して関税をかける」ということなのだが、そんなことが通るのだろうか。
実はこのIEEPAには、前身となるTWEA(敵国交易法)という法律があり、1971年8月15日の「ドル金交換一時停止」、いわゆる「ニクソンショック」を発動した際に使われたことがあるという。
このときにIEEPAが使われた前例があるということは、相互関税のうち「すべての国に対する10%の関税」は、司法の場でも正当化されうる。
しかし、ニクソン期の固定相場制の下で金が底をつくという世界的危機と、トランプ期の変動相場制のもとで貿易赤字が大きすぎるという国内的危機では意味合いが違う。
アメリカは1990年代半ばからIT革命の好景気で沸いたクリントン政権下で、ルービン財務長官の「強いドルは国益」という立場をとり続けてきた。
ドル高でもアメリカのIT機器やソフトはよく売れたし、たとえアメリカが貿易赤字でも、信認された米国債を他国が買うので、ドルはうまく還流していたのである。
ただし、米国債を日本や中国に保有されている状態は、もしも国どうしが対立関係に立った時、”重大なカード”を相手に渡すことではある。
ところが今や、アメリカの同盟諸国に対する関税により米国離れが起きて、ドルの「世界の準備通貨」(基軸通貨)としての立場が損なわれていきつつある。
トランプ大統領には、自国の貿易赤字解消に集中するあまり、ドルの基軸通貨としての地位を”放棄”するつもりなのか。
1972年8月に当時の田中角栄元首相がアメリカのニクソン大統領とハワイで会談を行い、念願だった日中国交正常化について米側の理解を取りつけた。
その対価としてニクソン側から「対日赤字」を減らすために、ロッキード社の旅客機トライスターの購入を持ちかけられたという。
ロッキード事件はこの時に胚胎していたといえる。
田中角栄は東京神楽坂にあった建設会社で成功し、若くして政界に進出、議員立法33本という異例の多さで新法を次々に作り、「日本列島改造論」をぶちあげ「自主資源外交」を展開した。
ニクソン政権からは、タナカは言うことを聞かない存在であり、ふって湧いたように起きたアメリカ議会の公聴会を震源とするローッキード事件は、「タナカつぶし」が背景にあったともいわれている。
トランプ大統領が田中首相の交渉相手であったらどうであっただろうか。
トランプ大統領の「国家としての被害者意識」と田中首相の「雪国のルサンチマン(見捨てられた怨念)」は、政治的原動力として少々似ている。
不動産で成功したトランプと土建屋の田中角栄は、ビジネスマンとして気が合いそうな半面、利害対立で喧嘩にもなりそうだ。

「ニクソンショック」は、竜頭蛇尾の結果に終わる。4カ月後の12月18日、ワシントンのスミソニアン博物館に集まったG10の交渉により、「スミソニアン協定」が締結される。
為替レートは1ドル=308円となり、ニクソン大統領は追加関税を取り下げる。ただしアメリカ経済は、その後もインフレに苦しむことになる。為替レートもなし崩し的に変動制に移行し、今日に至るもそのままである。