ドイツの二人の女性党首
アメリカのバンス副大統領は、2025年2月14日「ミュンヘン安全保障会議」で、ヨーロッパで「言論の自由」が後退していると述べた。
曰く、「この会議は通常は外部からの脅威について話し合うためです。しかし私が最も心配しているのは、ロシアでも中国でもその他の外部勢力でもありません。ヨーロッパの内部から生まれる脅威です。ヨーロッパが最も基本的な価値観、つまりアメリカと同じ価値観から後退することです」。
バンス副大統領は、SNS規制を冷戦時代の東側に譬えたりもしたうえで、欧州委員会が「憎悪的なコンテンツを発見次第 ソーシャルメディアをシャットダウンする」ことについて警告した。
つまり、ヨーロッパがすすめているネット上のデマや差別的表現の規制強化は「言論の自由の後退」と指摘したのだ。
さらにバンス副大統領は、トランプ大統領につき「アメリカには新しい保安官がいます。お互いに意見が違うこともあるかもしれませんが、あなたたちの言論の自由のために戦います」と言い放った。
また、イーロンマスクが2月25日ドイツの総選挙の最中に、極右政党の集会に現れて、「AfD(ドイツのための選択肢)にとても期待している。あなた達はドイツの未来にとって最良の希望だ」と述べた。
それに対してショルツ首相は、トランプ政権によるドイツの民主主義への干渉を拒否する姿勢を鮮明にして、「過ちをに二度と繰りかえさないという考えからはAfD支持には結びつかない」と述べた。
さらに、この政党を支持する部外者が我が国の民主主義や選挙、民主的な意見形成に干渉することを一切認めないと、「民主主義の行方は我々自身で決める」と憤りを露わにした。
イーロンマスクは、これに先立って2月8日、スペインで欧州議会極右会派の集会で、「MAGA」になぞらえて、「MEGA」(Make Europe Great Again)とも述べている。
我々の常識でいえば、「インターナショナルな連帯」といえば左翼であったが、イーロンマスクは、「自国ファースト」同志が連帯して、欧州議会に対抗することをたきつけているようにも聞こえる。
ヨーロッパの極右政党は、これまでヨーロッパの政界で危険視されてきたので、自分たちの主張を裏付ける新しいアメリカの大統領の誕生は、自分達の「希望の星」となったのは確かなようである。
また、「言論の自由の後退」についていうならば、アメリカの「反イスラエル」の学生の弾圧や「反トランプ」メデイアの締め出しの方が、国際的にはよほど懸念されている。
フランスの有力議員が「どうやらアメリカ国民はその『自由』を手放したいらしい。それなら自由の女神をフランスに返してもらおうと思った」と述べている。
自由の女神像はもともと、1886年にフランスから米国に贈られたものだからだ。
アメリカとEUの対立はイラク戦争時など何度かあったが、同じ価値観のもとで克服してきた。冒頭のバンス副大統領の演説は、歴史のフェイズを変えてしまう可能性すらある。
世の中一般で「正反対(対極)にある」と思われがちなものに、意外にも多くの「共通点」をみつけることがある。
歴史上によく知られたスパイ事件といえば「ドレフュス事件」。当時フランスは、プロシア・フランス(普仏)戦争の敗北でドイツに奪われたアルザス・ロレーヌの奪回を叫ぶ国家主義の声も強まっていた。
そのような中で、軍部によって無実のユダヤ系軍人がドイツのスパイであるとして、正義と自由が踏みにじられたのがドレフュス事件であった。
10年以上の年月を要したがドレフュスの無罪は確定し、フランスの共和政の精神はどうにか守られることとなったものの、ドレフュスを有罪に追い込んだのは軍の上層部だけでなく、ユダヤ人に対する民衆の差別感情がその後押しをした面があった。
この事件では、フランスのドイツに対する劣勢を「スパイ」の情報漏洩のせいにしようとしたという点で、約20年後に同じフランスで「マタハリ」と呼ばれた踊り子にも向けらたスパイ容疑に似ている。
マタハリはフランス国籍のダンサーで、本名はマルガレタ・ゲルトルイダ・ツェーレといい、通称を「ゲルダ」とよばれた。
彼女は「スパイ」の代名詞となり、時には「妖女」ともよばれることもあった。
しかし、こういう「イメージ」というものは大概作り出されたもので、国際的に活躍したばかりに、ドイツ人将校とも接点をもっただけのことだ。
何らかの「諜報活動」に利用されたとしても、彼女がドイツ側にどんな情報を流し、それが戦況にドンナ影響を与えたかは、ほとんど判明していない。
それにもかかわらず、マタハリは1917年にドイツのスパイとしてフランス・バンセンヌで処刑された。
2005年の10月15日、彼女の裁判の再審請求がフランスの法務大臣に提出された。
それによると、マタハリは当時の愛国心のために歪められた裁判の「犠牲者」であるという判決となった。
ドイツに劣勢を強いられたフランス上層部は、マタハリがドイツと通じていたことにすれば、劣勢の責任を回避できて都合がよかったからだ。
マタハリ(ゲルダ)の人生は、「天使」ともよばれたオードリー・ヘプバーンとも重なる。
ヘプバーンもゲルダと等しく「踊り子」をめざしていた。
ゲルダは1876年8月7日、オランダの北部レーウワルデンに生まれるが、オランダはヘップバーンが育った国である。
ゲルダは最初の夫の赴任地ジャワのダンスに魅了され、それが彼女を妖艶なマタハリへと変容させていく所となる。
一方、ヘプバーンの両親ジョセフとエラは1926年にジャワ島のジャカルタで結婚式を挙げている。
その後二人はベルギーのイクセルに住居を定め1929年にオードリー・ヘプバーンが生まれた。
ヘプバーンはベルギーで生まれたが、父ジョゼフの家系を通じてイギリスの市民権も持っていた。
母の実家がオランダであったこと、父親の仕事がイギリスの会社と関係が深かったこともあって、ヘプバーン一家はこの三カ国を頻繁に行き来していたという。
ヘプバーンの両親は1930年代にイギリス「ファシスト連合」に参加し、とくに父ジョゼフはナチズムの信奉者となっていった。
その後両親は離婚し、第二次世界大戦が勃発する直前の1939年に、母エラはオランダのアーネムへの帰郷を決めた。
オランダは第一次世界大戦では中立国であり、再び起ころうとしていた世界大戦でも「中立」を保ち、ドイツからの侵略を免れることができると思われていたためである。
ヘプバーンは、「アーネム音楽院」に通い、1944年ごろにはひとかどの「バレリーナ」となっており、オランダの「反ドイツ・レジスタンス」のために、秘密裏に公演を行って「資金稼ぎ」に協力していた。
ヘップバーン自身が何らかのスパイ活動をしたという話はないが、彼女の代表作「ローマの休日」は、マッカーシー旋風(赤狩り)で”ソ連のスパイ”と名指しされたハリウッドの映画スタッフが、イタリアに拠点を移して撮影されたものであった。
したがって「名作誕生」の背景には、スパイ疑惑への反発という側面があったのだ。
イメージ上、勝手に「妖女/天使」とよばれた対極的な二人の女性の実人生は、重なりあうことも共通する点も多い。
ところで、興味深いことに、現在のドイツの極右(AfD)と極左(BSW)の党首は女性で、真反対どころか、政策的にも共通部分が大きいうえ、颯爽とした雰囲気もよく似ている。
現代のドイツの政治勢力をみると、CDU(キリスト教民主同盟/メルツ党首)が29%、AfD(ドイツのための選択肢/ワイデル党首)が21%、SPD(社会民主党/シュルツ首相)が16%、緑の党13%、左翼党(リンケ)7%、BSW(ザーラ・ワーゲンクネヒト同盟)5%で、現在の与党は、CDUとSPDの連立である。
まずアリス・エリーザベト・ワイデル(46歳)だが、スリランカ人の夫をもち、しかもLGBTでもある彼女は同性愛者だともいう。
またドイツの政治家としては極めて異色な国際性を持っている。
1979年2月、西ドイツのギュータースローで生まれたワイデルは、バイロイト大学で経営学と経済学を専攻。2004年には最優秀成績で学士号を取得するが、大学在学中から、国際的な視野を広げることに強い関心を示していた。
学部生時代に北海道大学への交換留学プログラムに参加し、1年間の留学生活を送り、留学中は日本史を専門的に学び、茶道や書道なども習得した。
日本語能力試験1級に合格するなど、語学能力が高さを証明している。
留学後は国際金融の分野に興味を持ち、金融工学と年金制度改革を研究テーマにする。
バイロイト大学を最優秀成績で卒業後、世界最大の投資銀行ゴールドマン・サックスのフランクフルト支店に入社し、アジア市場への投資戦略立案で高い評価を得た。
2006年からは中国銀行の北京本店に転職し、国際業務部門で6年間勤務。中国の金融市場開放政策に関する調査研究を担当し、中国政府系ファンドの運用戦略にも携わっている。
在職中に北京語を完全にマスターし、中国の政財界との幅広いネットワークを構築している。
中国銀行在職中の2011年、中国の年金制度改革をテーマとした研究で経済学博士号を取得。人口構造の変化が年金制度に与える影響を分析し、持続可能な社会保障制度の在り方を提言する。
現在の政治活動においても、この専門知識が政策立案の基盤となっているばかりか、ワイデルの特徴的な点は、単なる語学力だけでなく、異文化への深い理解を持っていることである。
ヴァイデルの一族は、第2次世界大戦後のポーランドのシレジアから追放されてドイツにやって来た。もともと東側の家系である。
AfDは2013年に創設された新しい党であり、反ユーロ主義から次第に反移民政策やドイツ民族主義へと進んでいった党だが、その発祥の地は”旧東独”のドレスデンであり、そこから次第にドイツ全土に拡大していった。
1990年の東西ドイツ統合の後、経済的不平等を抱える旧東ドイツでAfDが伸びたのは、ある意味自然なことだったともいえる。
旧東ドイツという弱い経済力、ドイツでありドイツでないという負い目、東から押し寄せる移民、これらが不満として今も爆発しているのである。
グローバル化と経済格差の拡大のもたらす社会状況に苦しむ多数派の人々に対して、既成の左派が魅力的なプログラムを提示できていないから、本来なら伝統的な意味で左派的だったはずの彼らを極右の支持者へと追いやったともいえる。
2024年9月1日に行われた東ドイツ地域での選挙でも大幅に躍進していた。
ワイデルは年金システムを専門にしていることもあって、10年以上に及ぶ国際金融界での経験は、ワイデルの政策立案に独自の視点をもたらしている。
2013年、ユーロ危機への対応を巡る問題意識からAfDに入党、経済専門家としての知見を活かし、ユーロ圏の金融政策に関する提言を積極的に行った。
2022年6月からは共同党首として党の運営全般を担い、2025年連邦議会選挙に向けて、AfD初の首相候補に指名された。
保守政党の指導者として、伝統的な価値観を重視しつつ、多様性を認める現代的な視点を持ち合わせていて、移民政策や経済政策では保守的な立場を取る一方で、個人の自由や権利に関しては比較的リベラルな姿勢を示している。
また、AfDの首相候補として指名され、世界各国の保守派政治家や影響力のある実業家との関係構築を積極的に進めている。
イーロンマスクは最近、自身のプラットフォームXで「AfDだけがドイツを救える」と発言し、ワイデルへの支持を表明している。
AfDはロシアとの関係回復を支持しており、ウクライナへの軍事支援停止を主張している。この点で、トランプ大統領との外交政策との親和性が高い。
一方、ドイツの主要政党はAfDとの連立を拒否しており、当面ワイデルが首相に就任することはないが、どんな展開が待ち受けているかわからない。
ワイデルはこの国際的なネットワークをどのように活用し、国内の支持基盤を拡大していくのか、今後の動向が注目される。
もうひとり注目を集めている女性党首が、2024年に設立された新党「ザーラ・ワーゲンクネヒト同盟=理性と公正のために」(BSW)の党首ザーラ・ワーゲンクネヒト(56歳)である。
彼女は、旧東ドイツのイエナ出身である。彼女は資本主義批判の立場から”社会主義を”提唱している。
ショルツ首相率いるSPD(社会民主党)はマルクス主義を放棄した政党だが、「左翼党」のマルクス主義も、彼女には合わないと思われたのであろう。
「左翼党」を飛び出し、2024年に新しい政党BSWをつくったのである。
そして党首であるワーゲンクネヒトは、党の名前に自らの名をつけたのだ。
ワーゲンクネヒトもワイデル同様、博士号を持つ高学歴者だ。イェーナ大学とベルリン・フンボルト大学で哲学とドイツ語文学を専攻した。
彼女は、修士課程でマルクスのヘーゲル批判に関する修士論文を書いていて、『頭から足へ』(1997年)というタイトルで出版されている。
今やワーゲンクネヒトは、結党からわずかだが、すでに注目された存在になっている。
AfDが経済的平等を自由主義とドイツ主義でそれを実現しようと考えるのに対し、資本主義への”社会主義的国家干渉”という手段によって実現しようというのである。
この政党は、経済的不平等を憂えて、社会の「再分配」に最重点をおくため、「極左政党」という位置づけられている。
ワーゲンクネヒトと左翼党との衝突は、移民問題にあった。ワーゲンクネヒトは移民反対を唱えたのだ。その理由は、まずはドイツの労働者階級の利益を確保すべきと主張したからだ。
AfDが拡大する中で、ドイツの労働者が左派ではなくAfDに流れつつある中、ドイツ人労働者を守ることを第一に置くという政策に出たのである。
そして経済に関しては左派的な立場をとりつつ「反移民」の姿勢をもっているのである。「経済は分配、移民は排斥」ということだ。
これはいわば「イデオロギーの空白地帯」で、これまで誰にも埋められていない。ワーゲンクネヒトはまさにそこを狙ったといえる。
BSWは、いままでの左派政党が担ってきた「貧困者層」への分配による経済政策だけではなく、移民排斥のような右派的な政策を掲げる。
実際に、支持者層はいままでの左派政党とは全く異なるという。
左翼党は、旧東ドイツの共産党系の流を組み、移民難民には寛容だがBSWとはその点が違う。
都会的で若く女性と高学歴の人が多く、これまでの左派とはまったく異なる有権者層なのだ。
イデオロギー的なラベルをはることを避けて、特定の方向からだけではなく、より広範な有権者層を動員することを狙っている。
有権者にとってAfDほど極端でなく偏見的なイメージもなく論争の的にもならず、反民主主義的でもない。
自由主義の極右AfDと再分配重視の極左BSWは、経済格差に目を向け、「脱EU・反移民・親ロシア」を掲げる点で一致しており、本質的には「ポピュリズム」政党ということかもしれない。
ともあれ両者とも、既成政党への不満から生まれた「新たな選択肢」といえよう。
。
「かつては工場労働者とサラリーマン、つまり比較的低中所得の層が左派の支持基盤であったのに対して、現在の左派政党の岩盤支持層は高等教育と高所得を享受する、人口全体の少数の層に属する」として、左派政党のライフ左翼リベラリズムへの傾斜と、90年代以降の「第三の道」などの「市場原理の内面化との関係に注目」して、新自由主義との「高度な親和性」を指摘しています。
そして、これがトランプ大統領の熱狂的支持者のような極右勢力の台頭を促した社会的背景なのだと言うのです。
いやはや、これはまさに、私がもう20年近くにわたって延々言い続けていることですよ。(ハリスさんの敗北後、同様の言説がようやく日本の左派論壇にも伝わってきたようですけど。)なんだか、ワーゲンクネヒトさんは私の「悪い本」でも読んだのかと思ってしまいます。
こうした既成の左派の態度への批判の問題意識の上に、新自由主義の犠牲となって暮らしが苦しい大衆に対して、まず何よりも経済問題の解決をアピールすることを選んだという点で、結党の立脚点かられいわ新選組と共通しているのだということがわかります。
もともとは典型的な反緊縮論だった
特に、もともとのワーゲンクネヒト派の経済政策は、典型的な反緊縮論という点でも、れいわ新選組と共通していました。
左翼党結党のリーダーの一人で、のちにワーゲンクネヒトさんと結婚し、現在BSWに所属しているオスカー・ラフォンテーヌさんと、現在BSW所属の欧州議会議員であるファブリオ・デマシさんが、まだ左翼党にいた2016年に書いた論考を、当時、長谷川羽衣子さんが翻訳しています。
ラフォンテーヌほか「破滅寸前のヨーロッパ」(2016.4.4)
https://economicpolicy.jp/wp-content/uploads/2016/11/translation-002.pdf
ここでは、欧州中央銀行の量的緩和は、財政出動がなければバブルと格差拡大を生み出すとして、政府への財政ファイナンスの禁止原則を無視して、欧州中央銀行が作り出す資金で、公的投資を行うか、全住民への給付を行うか(著者は前者を選好している)するべきだとしています。
実際、ワーゲンクネヒトさんは、緊縮と小さな政府を批判しています。上記小島さんの論文(pp.22-23)によれば、国家が緊縮を強いられてお金がないせいで、政府の働きが悪化してろくなことをしなくなるのに、そのことが政府に対する人々の信頼をそこねて、ますます新自由主義の緊縮と民営化の扇動が人気を呼ぶのだと、彼女は指摘しています。そして、公共部門の再活性化による公共の回復を訴えています。
まさにれいわ新選組と同じ主張です。
環境対策は、庶民の暮らしを指図するのではなくて、財政支出で
そこで、ワーゲンクネヒトさんは経済成長の必要を語り、環境対策にいきすぎて貧しい人たちに負担をかけることには反対します。
特にこの点については、緑の党への厳しい批判が目をひきます。例えば、New Left Review の昨年3月4日に発表されたインタビュー記事で彼女は、電気自動車を買う余裕があるなら電気自動車に乗るべきだが、「他に買えないから古いディーゼルの中級車を運転している人よりも自分が優れていると信じるべきではない」として、緑の党(支持者は比較的裕福とのデータがある)の「貧しい人々に対して傲慢な態度」を批判しています。緑の党は、庶民に生活の仕方や考え方を指図するので、国民の多数から嫌われて、極右AfDの扇動に材料を与えているのだと言います。
だから、BSWの環境政策も、上記インタビューにもあるとおり、まずもって「気候変動の緩和のための公的支出」なのです。cargoさんの記事によれば、BSWはマリアナ・マッツカートらのグリーン・ニューディールを取り入れているそうで、その点でも、れいわ新選組との共通点があります。
産業の国内回帰と中小企業擁護
それともうひとつ、BSW の経済政策がれいわ新選組と類似しているのは、産業の国内回帰を志向することと、中小企業を新自由主義による淘汰から守ろうとすることです。
ワーゲンクネヒトさんは、産業の回帰は再分配とならび、新自由主義の犠牲となった大衆が求めているものなのに、右派ポビュリズム政党が主張している姿に、既存の左派はおかぶを奪われてしまったと評しています(小島p.18)。
2023年10月25日の『ジャコバン』の記事 "Klassenkompromiss mit Kampfansage (宣戦布告つきの階級妥協)" が伝える彼女の主張には、「ドイツの製造拠点の維持」という表現も出てきます。
前述のインタビュー記事でも、新自由主義政策とグローバル化によってドイツの産業が破壊されてしまったことを批判しています。そして次のように言います(拙訳)。
目下の危機の中で本当に苦しんでいるのはまさに中小企業なのです。エネルギー価格の高値が続くとともに、製造業の雇用が広範な規模で破壊される現実的危険が生み出されています。産業がなくなったら、全てがなくなってしまいます。真っ当な報酬の仕事も、購買力も、コミュニティのつながりあいもなくなってしまいます。それは、北イングランドを見れば明らかです。あるいは、旧東ドイツ諸州の産業空洞化を見てもわかります。
Sahra Wagenknecht, Condition of Germany, New Left Review 146, March–April 2024
そして、このインタビュー記事で彼女は、中小企業を産業と国民経済と地域の雇用を支えるものと位置づけ、それを企業買収やグローバル化から守って維持することの重要性を再三にわたって強調しています。その点は、上述の小島論文でも触れられていることです。
もちろん、中小企業家だって、厳しく従業員を搾取する者はいる。理想化するつもりはさらさらないとワーゲンクネヒトさんは言います。それは、上記インタビュー記事でも、ピエール・ランベールさんとピーター・ヴァルさんによる『ルモンド・ディプロマティーク』(日本語版)の昨年11月の記事「ドイツの新たな保守的左翼」でも書かれています。
しかし、この両記事を読むとはっきりわかるのは、それでも暴利をむさぼることしか考えていないグローバル資本とは違うという認識です。ランベールさんのまとめによれば、敵は「巨大金融グループであり、デジタル産業を支配する寡占事業者であり、規制緩和…を求め推進する超国家的組織だ」ということになります。
ヴァーゲンクネヒト氏はグローバリゼーションの犠牲となった庶民階級と、投機家に首を絞められている中産階級に属する中小企業者の間に類似性を見出した。中小企業者もまた、「経済的な不確実性に苦しんでいる。大企業や銀行、巨大デジタル企業から圧力を受け、強力なロビーに動かされる政治の犠牲になっている」のだ。
ランベール、ヴァル「ドイツの新たな保守的左翼」Le Monde Diplomatique 日本語版2024年11月
これは、私も『左翼の逆襲』で強調した論点です。「階級」というものを分つ「生産手段の所有」というのは、法制度的な所有なのではなくて、暮らしや労働のリスクにかかわることの、コントロール可能性なのだというのが、そこで私が述べたことです。世界の一部の人の決めたことで、一方的に翻弄されリスクにさらされる庶民は、大きくくくったらみな同じ階級と言えるのだということです。
「古き良き」左派の経済・社会政策を掲げながら左派と名乗らない
以上のワーゲンクネヒトさんの提唱する経済政策をまとめると、上記ルモンド記事から引用すれば、「それは左派の伝統的な提案の中から選び出された社会政策で、労働組合の強化、税による思い切った所得再分配、公共サービス・施設への投資、貧困との闘い、などだ。中小企業のためには、市場での資金調達ではなく家族資本の支援、独占との闘い、技術革新の支援、などがある」ということです。
要するにこれは、小島さん(p.26)の表現によれば、「古き良き社会民主主義」のプログラムにほかなりません。中小企業との同盟についても、昔の共産主義者が言っていた、反独占の人民戦線の発想そのものです。
つまり、私の用語で言えば、「レフト2.0」を否定して「レフト1.0」に戻るということです。
しかし、ワーゲンクネヒトさんたちが独特なのは、『ZDFheute』の去年6月10日の記事 "Was Wagenknechts BSW so erfolgreich macht (ワーゲンクネヒトのBSWがなぜこれほど成功したのか)"の報道によれば、彼女は、「ほとんどの人はもはや『左』や『右』という隠語では何もできないと思う」と言ってます。
この認識のもと(小島さんが言うように彼女自身は自分こそ左翼と思っているに違いないと思われるのですが)、上述の2023年10月25日の『ジャコバン』の記事 の表現によれば、BSWの言説からは、「中道派の有権者を怖がらせる可能性のある社会主義や資本主義といった左翼の語彙は消え、代わりに公平、理性、正義といった慎重なレトリックが使われるようになった」とのことです。
かくして、「左翼保守主義」といった自称はしばしば聞かれますが、BSWは左翼とも社会主義とも名乗らなくなっているのです。
この点もれいわ新選組と類似しています。
今のれいわ新選組の経済・労働・福祉政策は、対米従属批判・対米自立論も含め、1970年から82年の宮本顕治委員長時代の日本共産党の言っていたこととそっくりです。
それはやはり、労働運動の強化、所得再分配、公共サービス・施設への投資、貧困との闘い、医療や教育の充実、独占との闘いといったことでした。不況になったら政府を叩いていました。
当時は、東京や京都などの社共与党の革新自治体が、福祉充実によって財政赤字を増やしたことが保守側から攻撃されて潰れて、その後の自民党側の都府政によって財政削減路線が始められました。全国的にも「臨調行革路線」で緊縮財政が推進されました。それに対して、社会党も共産党も、彼らの陣営の労働運動も、必死に抵抗して闘っていたものでした。
もうとっくに暴力革命論も一党独裁論も捨て去っていた時代です。共産党の言っていたことは、スウェーデン社民党政権が実現した高度福祉国家のような、社会民主主義路線と変わらなくなっていました。
当時は、今は後期高齢者になっている当時の急進的若者が、共産党に対して、「共産党の社民化」と批判して叩いていたものです。それどころか、社会党左派の若者さえ、「共産党の社民化」と批判していました。言われた側はやっきになってそうではないと弁明していたのですが、今から振り返ればその通りだったのであって、何も弁明する必要はなかったと言えます。
しかしこのように70年代の社会党や共産党と同じことを言いながら、山本太郎さんは、「右でも左でもない下だ」と言い、れいわ新選組は左派とも社会主義とも名乗っていません。
私から言わせれば、世の中を上と下に分けて下につくことこそ左翼の定義であって、そうではない左翼概念がまかり通ってしまったレフト2.0時代こそがおかしかったと思っているのですが。
それはともかく、半世紀前には左派が掲げていたようなことを掲げながら、そうは名乗らないという点でも共通点があると言えます。
「古き良き」保守本流の継承を志向
ところでBSWのこうした態度は、単なるマヌーバ(偽装作戦)ではなく、結構マジなところがあります。しばしばワーゲンクネヒトの経済思想は、「オルド自由主義」だと言われることがあります。上記『ジャコバン』誌の記事でもそう指摘されていますし、小島さんの論文(p.5)では、彼女は90年代終わり頃にオルド自由主義と出会って影響を受けたとしています。
「オルド自由主義」とは、「秩序自由主義」とも訳されます。資本主義体制は前提にするのですが、市場原理と営利追求にまかせてしまうのではなく、社会を守るために国家が規制・介入する志向のことを指します。
戦後西ドイツで社会民主党と交代で政権を担った保守の大政党、CDUの経済政策はこのオルド自由主義に基づくものだったとされます。
上記インタビュー記事の中で、ワーゲンクネヒトさんは、かつてのCDUの経済運営について、「当時の保守主義は、新自由主義的(エセ)保守主義のように社会を資本主義の必要に合わせるのではなく、資本主義発展の渦から社会を守ることを意味していた」と評価し、CDUも社民党も新自由主義に堕してしまう以前の、CDUの保守主義と社民党の社会民主主義を正当に引き継いだものと自分たちを位置付けています。
その点で言うと、れいわ新選組の中にも山本太郎さんにも、新自由主義に毒される以前の自民党の、いわば「角栄自由主義」への志向は間違いなくあります。西ドイツだけでなく日本でも、資本主義の発展から社会を守るための財政介入をすることが保守主義だった時代はたしかにあったのです。
小沢一郎さんは私の記憶では、一時こそこの「角栄自由主義」を破壊するのにやっきになっていたように思いますが、山本太郎さんを拾ったころには、元の「角栄自由主義」に戻っていたようにも見受けられます。山本太郎さん自身も含め、中心的な支援者の中には、そうした小沢さんの志向から影響を受けた人もあったように思います。
こうしたBSW、れいわ新選組の双方に共通する志向——新自由主義以前の時代の保守・左派双方への回帰を標榜し、50年前には明らかに左派のプログラムだった経済・社会政策を掲げながら左派とは名乗らない志向——は、とてもポジティブな側面と、危うい側面の両面を持っていると思います。
それがBSWの敗北と大きくかかわっていると思いますが、それについてはあとで検討します。
ウクライナ軍事支援反対の真っ当な論点とあやうい点
さて、BSWがAfdと同類視されて叩かれるポイントになった、物議をかもした論点と言えば、なんと言っても、ウクライナ支援反対と移民反対の論点になります。
本稿の結論としては、やはりこれで叩かれたことが敗北に効いているということになりますし、本質的にAfDと同類視されておかしくない性格をBSWが持っていたことが、これらの論点に影響しているということになるのですが、それについてはあとでゆっくり検討することにしましょう。
ここではまず一旦、一般に印象付けられているようなAfDと同類というような話には、やはり誤解や印象操作の側面が大きいのだということを、ふまえておきたいと思います。
ウクライナ支援反対の論点については、まずもって、ロシア産の安いガスが入らなくなったことが、ドイツ経済と庶民の生活に与えた悪影響は甚大なものだったことをふまえておかなければなりません。特に、中小企業擁護の立場にあるBSWとしては、燃料価格の高騰で多くの中小企業が存続の危機に陥っていることは看過できないことです。また、貧しい人たちや一般労働者が、燃料高騰で暮らしがとても苦しくなっていることも、BSWにとって重大事です。
こうした事情を無視して安易に「親露」だと言ってBSWを批判することはできないと思います。
その上で、ウクライナ政府への武器供与に反対し、NATOの東方拡大路線の責任を問い、即時の停戦と外交的な解決を主張しているわけです。これ以上人命が損なわれるのを止めるということ自体は、至極まっとうな主張だと思います。
しかし、ワーゲンクネヒトさんの主張で看過できないのは、小島さんも指摘されているとおり、諸悪の根源としてのグローバル化の推進勢力たるアメリカに対して、「多極的世界」を掲げて対抗するプーチンロシアが、「敵の敵、すなわち味方として映る(小島p.28)」ところから、ロシア宥和的態度が出てきているのではないかと、うかがわせるところがある点です。
このような態度は、世界の左派内部の論争では「陣営主義」と呼ばれて批判されているもので、以前、それに対する批判の論考の和訳をこのノートで発表したことがあります。
四トロさんのウェブ機関誌『かけはし』の今年2月5日の記事で、ポルトガルの左翼ブロックの国会議員が去年11月8日に「ソリダリテS」に発表した、ワーゲンクネヒト批判の論考の和訳が掲載されています。
その中で、ワーゲンクネヒトさんの「陣営主義」が次のように批判されています。とても説得的だと思います。
「多極的世界に向けて」のスローガンは、自身を地政学的な将棋盤の一部としてみる左翼の見方を映し出している。この将棋盤上で、帝国主義側とその敵対者は互いに向き合い、左翼がもつ選択肢は白の歩(西側帝国主義と連携した)になるか黒の歩になるかどちらかであり、後者の場合は、ウクライナでの戦争に関しプーチンのレトリックを取り入れ、イランやシリアにおける制度的暴力からは顔をそむけ、ベネズエラの不正選挙は必要悪として扱うことになるだろう。
「多極世界」を懐かしむこれらの者たちは、ジェノサイドの1年を経ても、中国とロシアがイスラエルとの彼らの貿易関係を無傷のまま維持し続け、ネタニヤフに何の圧力もかけていない、ということをまだ理解していない。しかしそのような矛盾でさえも、陣営主義者を困らせているようには見えない。
「ドイツ BSWの選択」『かけはし』2025年2月5日
この点については、やはりれいわ新選組と似ているところがあります。
ウクライナ武器支援に反対するとか、NATO東方拡大の責任を問うとか、即時停戦を主張するとかについて、まっとうな筋を通しているところも似ていますが、ややもすれば陣営主義に陥り、プーチン政権擁護になってしまいかねない危うさも同様に見られます。これについては、以前、このノートの記事で書いたことがあるとおりです。
現状の外国人労働者受け入れの批判は直接には排外論ではない
ところで、移民問題についてのBSWの姿勢についてもかなり曲解して伝えられているところがあります。それはAfD同様の外国人排斥論とみなすことはできないという側面はあります。というのは、ワーゲンクネヒトさんは、決して自国エゴや自国民エゴからこうした主張をしているわけではないからです。
小島さんの論文のpp.15-18にそって彼女の主張を要約するとこうなります。
まず難民と移民は区別して考えるべきである。難民の根本解決は、難民を生み出した原因になった内戦の終結や復興、ヨーロッパ以外にいる難民の生活状況の改善によるべきで、難民に直接資金をかけるよりも、そっちに資金をかけたほうがよほどたくさんの人が救われる。
移民の利用は、発展途上国が公費をかけて育成した人材を奪うもので、教育投資を搾取する「植民地主義的」な行為である。そして、人口流出と送金によって、送り出し国の経済成長を阻害する。そして移民先の労働者階級にとっても、給料を押し下げ、住宅や教育資源の取り合いをもたらす。
さらに上述のNew Left Reviewのインタビュー記事では、次のように言っています。
それでも、ドイツの人口動態を考えると、ある程度の移民は必要です。しかし、移民は、出身国、受け入れ国の人口、移民自身など、すべての側の利益が考慮されるように管理されなければなりません。これには準備が必要ですが、現時点ではそのような準備はありません。事実上、誰もがどこにでも行けるが、その後、何とかして適応して生き延びなければならないような新自由主義的な移民制度は、良い考えだとは思いません。私たちは、この国で働き、暮らしたいと望む人々を歓迎する必要があり、そうすることを学ぶべきです。しかし、これは、すでにここに住んでいる人々の生活を混乱させる結果になるべきではありませんし、人々が働いて税金を払った集団の資源に過度の負担をかけるものであってはなりません。そうでなければ、自国主義的な右翼政治の台頭は避けられません。
人種差別とは常に闘わなければならない。避けるだけでなく、闘わなければならないのです。しかし、本当の社会的不足、つまり需要が収容能力を上回っていることを指摘することは、外国人嫌悪ではない。これらは単なる事実です。例えば、ドイツでは70万戸の住宅が不足している。何万もの教師の職が埋まっていない。
こうした論理は、山本太郎さんがしばしば語っていることと同じものです。
現状の受け入れは、低賃金を狙った財界の下心でやっているものであり、日本に住む労働者に底辺への競争をもたらす。全く受け入れ体制が整っていないのに移民を受け入れるのは、移民当事者にも不幸をもたらす。そして、資源と雇用の奪い合いから排外主義を生み出すので、そうした弱者どうしのいがみあいで、支配する財界の側が笑う結果になる。——というものです。
また、難民の人権を守るために山本太郎さんが国会で身体を張って法改悪に抵抗したことも記憶に新しいとおりです。
しかし、ワーゲンクネヒトさんの議論の中には、そうはいってもAfD同様の議論につながりかねない論点も含まれています。それは、文化的同質性をもって、労働者階級の連帯が形成される地域共同体の基盤とみなしている点です。
それについて詳しいことはあとで見ますが、れいわ新選組には直接にはこれに類する社会・文化論的な位置づけの議論は公式にはないものの、支持者一般の中には排外主義につながりかねない傾向もたしかに存在します。
その他の類似性——ガザ虐殺糾弾と狭いメンバー要件
以上、BSWとれいわ新選組の類似性について確認しました。
なお、BSWはイスラエル批判がタブー視されているドイツにおいて、はっきりとイスラエル政府によるガザ虐殺を糾弾する立場に立っており、その点ではイスラエル政府支持のAfDとは断じて同一視できません。これも、れいわ新選組と見解が一致している点だと言えます。
あと似ている点としては、BSWは現在のところメンバー要件を非常に厳格にしていて、審査をとおった比較的少数の人しかメンバーになれないという点があげられます。この点も、公職選挙の候補者と当選者だけをメンバーとしているれいわ新選組と似ています。
れいわ新選組の場合は、これによって地域支部というものが実質的にない状態なので、ボランティアに依存しており、それはそれでもろもろ組織上の問題を抱えているのですが、BSWがこの点どうなのか、それが選挙にどのように影響したのかは、今のところ私には何もわかりません。
BSW支持者の素性と政策のブレ
極右政党の票を奪ってきたか
さて、以上をふまえて、先日の総選挙でのBSWの敗北の分析に移ります。
といっても、選挙から日も浅いですし、私はドイツ語もろくに読めません。なので、非常に限られた文献からものを言うしかありません(BSWの公式ホームページは現在なぜか読めなくなっています)。限界はあると思いますので、ぜひ補足修正をお願いしたいと思います。
ここで主に二点のことを検討したいと思います。
一点目は、BSWはこれまで極右AfDの票を奪ってきたと言われますが、それが本当かどうか、詳しく見るとどんな中身なのかということです。
二点目は、「債務ブレーキ」をめぐる態度についてです。
まず一点目です。こちらのリンク先にある論文、Heckmann, Wurthmann and Wagner (2025), "Who’s afraid of Sahra – Understanding the shift in votes towards Germany’s Bündnis Sahra Wagenknecht (ザーラなんか怖くない——ドイツのザーラ・ワーゲンクネヒト同盟への票の移動を理解する)" にある次の図をご覧ください。
画像
https://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/20531680241311504
これは、BSW結党直後で躍進した2024年の欧州議会選挙でBSWに入れた有権者が、その前年、まだBSWがなかった時の2023年10月にはどこに投票する意向だったか、さらにその前の2021年の連邦議会選挙ではどこに入れたかを調査した結果です。
たしかに、2023年時点と比べると、AfD支持から移ってきた人が相対的には一番多く、BSWはAfDを削っているという噂は、ある程度事実だということがわかりまます。
(実際、オンライン付録のFigure A2を見ると、2023年時点のAfD支持者から2024年の選挙で一番多く票を奪っている政党はBSWだとわかります。)
しかし、2023年時点でAfDの支持者だった2024年のBSW投票者が、2021年の選挙でAfDに入れていたのかというと、それは少数派で、21年選挙では社民党(SPD)に入れていたけど、その後AfD支持に移った人が多いのだということがわかります。
このとき左翼党からAfDに移った人も、24年選挙で直接社民党や左翼党から移ってきた人も含めると、結局、もともと左派政党の支持者だった人が多かったということができます。
また、別の問いからは、もともと社民党に入れていて、AfD支持に移って、そのあとBSWに投票した人は、社民党に忠実だった人と比べて、反移民的だったり、反ウクライナ支援だったり、経済の現状について悪い状態という認識が強かったりしていることがわかりました。
つまりBSWは、支持してきた旧来の左派政党の方針に不満を持っていて、一旦AfDにやむなく移った人々にとっての、受け皿となっていたということです。本当にガチの極右を削ることには、あまり成功していなかったというわけです。(もちろん、そうでなければAfDの勢力はもっと大きくなっていたのだから、削った意義は高いと思います。)
もちろん、AfD支持を経由せずに左派政党支持から直接移ってきた人たちも、AfD経由の人たちより若干多いくらい存在していたのだということも、重要なことです。
債務ブレーキ廃止論のトーンが薄まった
次に二点目の「債務ブレーキ」についてです。
これは財政赤字をGDP比0.35%以内に抑えなければならないという、恐るべき憲法上の規定です。現在ようやくCDUと社民党の連立になるであろう新政権のもとで見直しがなされる見込み(ただし軍拡のためだからよくない)ですが、もともとは、左翼党だけが反対で、あとの党はみんな賛成していました。
注意すべきは極右のはずのAfDも債務ブレーキを支持してきたということです。世界的には今日的な極右ポピュリストは、反緊縮的な性格が強いですが、AfDはオワコンの新自由主義的ポピュリスト傾向の勢力をいまだに抱えています。
左翼党が割れたあとも、BSWはもちろん債務ブレーキには反対でした。
では今回の選挙公約ではどうなっていたでしょうか。債務ブレーキは「特にインフラ投資に関して」「改革される必要がある」とされ、「橋、道路、鉄道、学校、住宅、ネットワーク」への政府支出は債務ブレーキから除外されるべきであり、大規模な投資プログラムが「これ以上遅滞なく」開始されるべきであるとされています。
ところが、cargoさんの記事では、ワーゲンクネヒトさんが示した支出案は、債務ブレーキを当面ふまえた、「右の予算を左の予算につけかえる方式」になっています。軍拡や、ウクライナへの軍事援助、環境対策関係の支出を削ることで、約500億ユーロ捻出するというのです。
私はこのことは、オーストリアの政治学者の人からも、口頭で聞いていました。
それに対して左翼党の公約をホームページで確認すると、「債務ブレーキの廃止を要求する」と書かれています。「インフラ、気候中立産業、社会的平等への公共投資を、負債によって再び資金調達できるようにする必要がある」とされています。
BSWと比べると表現が尖っているように感じます。
さらに、「欧州中央銀行の民主化」と題して、欧州中央銀行による利上げ政策を批判し、欧州中央銀行を欧州議会の管理下に置くことを主張しています。そして、欧州中央銀行の目的として、物価の安定だけではなくて、完全雇用と持続可能な経済発展(環境への責任をともなう)を追加し、この目標を達成するために、国家に対する直接ファイナンスができるようにすることを主張しています。欧州中央銀行が2%のインフレ目標を約束しているかぎりインフレのリスクはないと言います。私は全部納得します。
この件についての言及は、BSWの公約には見当たりませんでした。
これらの点に関しては、BSWよりも左翼党のほうが、むしろれいわ新選組に近い感じがします。
左翼党はずっとこんな主張をしてきましたが、もとはといえば、先述したとおり、後年BSWに移った人たちが主たる論者となって、このような方針が作られたはずです。しかし、その人たちが移った先ではトーンを薄めてしまったということです。
日本では財政規律を言うほど左派みたいなへんなイメージがあるのでなかなか直感しづらいですが、中道的大衆の支持を獲得するために左翼臭を薄めるBSWの作戦の一環で、債務ブレーキ敵視の姿勢も中央銀行の財政ファイナンス論の姿勢も、トーンを薄めたということなのだと思います。
投票日に至るまでの経緯
支持率の推移——BSWは躍進から退潮、左翼党は衰退から急回復
さて、以上のことを頭において、投票日に至るまでの経緯を確認しておきます。
まず、三春充希さんの政党支持率推移グラフをご覧ください。
BSWは結党後急激に支持を伸ばし、一時は10%に迫りそうな勢いでした。それに対して左翼党は低迷し、昨年6月の欧州議会選挙で散々だった頃には、きたる連邦議会選挙では2%台しかとれなくて、議会から消滅するのは間違いないと言われていたものです。
それが昨年秋あたりからBSWの支持率が低下しはじめ、左翼党がじわり復調していきました。そして選挙戦に入って、左翼党は急激に支持を伸ばして躍進。一方BSWは得票率5%を割って議席を失う結果になりました。
反極右のキャンペーンの盛り上がりと左翼党躍進——ライヒネック演説のインパクト
この過程では、極右AfDの支持率回復に対する危機感の高まりから、反AfDの宣伝・運動が拡大していました。ドイツ各地で反AfDデモが行われ、ミュンヘンでは予想を超える20万人以上が参加、ベルリンでは16万人が参加したと言います($1 Times2025年2月14日記事)。その中で、AfDと同類だというBSWへの攻撃も強まっていました。
特に転機となったのが、今年1月29日にドイツ連邦議会で、保守政党CDUが移民制限についての動議を、AfDの賛成を得て可決したことでした。既存政党はこれまで、AfDと協力しないという原則を貫いていて、それを「防火壁」と呼んできました。それが破られたことになります。
このとき、左翼党共同代表のライヒネックさんは議場で、この件について、CDUのメルツ党首を糾弾する情熱的な演説を行いました。