聖書の言葉(われ山にむかって目をあぐ)

最近の中東紛争の戦地として、しばしば聖書の舞台となった地名が出てくる。
その一番はイエスがバプテスマのヨハネより洗礼を受けた「ヨルダン川」だが、中東紛争の今後はイスラエルとシリアの国境辺りが、一番の注目ポイントとなりそうだ。
紀元前20世紀頃に興ったアッシリア帝国の首都は、「ニネベ」という都市であった。
旧約聖書では、預言者ヨナが一旦は伝道を渋ったため大魚に呑まれ吐き出された後、神の言葉に従って伝道し、ついには悔い改めに導いた都市である。
ニネベの遺跡は現在イラク北部のモスルに位置するが、この辺りは「イスラム国」の拠点としてしばしば登場した。
アッシリア帝国は最盛期においてエジプトからイラン西部まで統一するものの、紀元前612年には崩壊して、いくつかの国に分かれる。
そのひとつ「新バビロニア王国」の征服地域に「シリア」という地名があり、現在の首都「ダマスクス」の名も登場する。
ちなみに「シリア」という国名は、この地名に由来するといわれており、アレクサンドロス帝国の後継国のひとつに「セレウコス朝シリア」という名があらわれている。
その首都ダマスクスといえば、パウロがキリスト者を迫害するために向かう途上において光に打たれ、回心に導かれたことで知られる世界最古ともいえる都市である。
現代に至ってのシリアは1947年にフランスから独立して1963年「バース党」政権ができてからも派閥抗争などが頻発し、政情不安が続いてきた。
1970年、アサド将軍(アサド大統領の父)がクーデターにより政権を獲得、翌年大統領になってようやく安定化したという経緯がある。
ただ人口の10%程度の「イスラム教アラウィー派」という「少数派」が、政権と軍・治安機関の主要ポストを独占し、圧倒的多数の「スンニー派」の国民を支配している。
そのことが二代続く「独裁政権」の背景となった。
二代目アサド大統領の前職は医者で、イギリスのロンドンで眼科医として研修していた。
1994年、兄が自動車事故で亡くなったため、急遽呼び戻され、2000年に父親が亡くなって大統領の座が転がりこんきた。
アサド大統領二代の支配は40年以上に及ぶが、軍や治安機関の最上層部はアサド政権を「死守」するこために結束し、「秘密警察」を動員して反対派を徹底的に抑え込むなどをしてきた。
また権力維持のために、ロシアやイラン、レバノンのヒズボラといった同盟国に頼った。
2023年10月にイスラム組織ハマスがイスラエルを攻撃して以降、後ろ盾となってきたイラン、レバノンのヒズボラはそれぞれイスラエル軍の攻撃をうけて、「力の空白」が生じたところをシリア民主軍(SDF)などの「反体制派」があっというまに主要都市を陥落させ、独裁政権は崩壊。二代続いたアサドはロシアに亡命した。
特出すべきことは、シリアは小国でありながら5か国と国境を接し、ロシアからの欧州に向けたパイプラインが通過することや、地中海側には、ロシアの海軍基地と陸軍基地があり、アフリカに進出する際の拠点になったところである。
このような地政学的に重要なシリアは様々な国家の利害が絡んでいるだけに、欧米がテロ組織と指定する「シャーム解放機構(HTS)」が主導するシリア暫定政権が安定を維持するのは並大抵のことではない。

古代イスラエル人(ヘブライ人)が、山々に対して特別な思い入れがあることは想像に難くない。
イスラエルの歴史にとって最も記憶に残る出来事は山で起きているからである。
ノアの箱舟がとどまったアララテ山、アブラハムがその子イサクを捧げたモリヤの山、モーセが十戒を授かったシナイ山、バアルを信仰する預言者たちとエリヤとの対決があったカルメル山などである。
また聖書には、「都もうでの歌」と題した次のような詩がある。
「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。見よ、イスラエルを守る者は まどろむこともなく、眠ることもない。主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう」(詩篇121)。
それにしても、この詩は誰がどんな状況でつくったのだろう。また詩の中の「山」とはどこの山であろう。
ダビデ王が詩篇の多くの作者で、都もうではシオンの丘にあるエルサレムの神殿にもうでに来た時の歌であることが推測できるが、この「山」がどこの山かについてなにもふれていない。
実はこの「詩篇121」のこの箇所は、太宰治の「桜桃」の冒頭を飾る詩なので、案外日本人にもなじみの詩である。
ただ、太宰が引用したのは「我山に向かって目をあぐ」の一節のみである。
その頃の心情は「桜花」に語られているが、家庭内には自分の力の限界を超えた課題が立ちはかっていることをうかがわせる。
本文中で「生きるということは、大変な事だ。あちこちから鎖が絡まっていて、少しでも動くと血が噴き出す」と書いている。
厳しい現実を前に、聖書を読んでいた太宰に「我が助けはどこから来るのだろうか」という思いがあったのであろう。
さて日本創世の舞台である飛鳥地方には、「大和三山」がありおよそ標高300メートル級の低山である。かつて藤原京が営まれた場所でもあり、万葉集にもしばしば歌われた山々である。
イスラエル北部からシリア地方にかけても、聖書にしばしば登場する3つの山がある。カシオン山、ヘルモン山、そしてカルメル山である。
人類創生まもなく、シリアの「カシオン山」において殺人が起きた。聖書が伝えるカインがアベルを殺した出来事こそ、人類最初の殺人事件である。
なにしろアダムとエバの子供が、カインとアベル。「エデンの園」から追放されるや、人類は二代目にして、早々と殺人を犯したことになる。
カシオン山は、シリアの首都ダマスカスの街を見下ろす、標高は1151メートルの山である。
カシオン山の地下には、前述のアサド政権下に組織された共和国防衛隊が駐在し、同司令部と大統領官邸を結んだとされるトンネル網と地下壕が構築された。
2011年から「反政府勢力」の拠点を狙った野砲陣地として使用されたが、アサド政権崩壊後、暫定政権が率いる反政府勢力が最初に占領した場所のひとつが、このカシオン山だった。
このカシオン山に名前がよく似たカルメル山は、イスラエル北西部に位置し、イエス・キリストが育ったナザレの近くに位置している。
最高点は海抜546mに達し、西側は地中海に面し、東側にはキション川が流れている。
北側には、イスラエルのハイテク産業(軍事産業)の中心地として知られる百万都市「ハイファ」がある。
カルメル山は温暖な地中海性気候に恵まれていて、豊かな植生で覆われている。
聖書では、カルメルは富と美の象徴として何度も言及されている。
イザヤ書ではレバノンの栄光と並んで語られ、エレミヤ書では肥沃さと豊穣の比喩として、雅歌では美しさを表現する比喩として使われている。
「荒野と、かわいた地とは楽しみ、 さばくは喜びて花咲き、さふらんのように、さかんに花咲き、 かつ喜び楽しみ、かつ歌う。 これにレバノンの栄えが与えられ、 カルメルおよびシャロンの麗しさが与えられる。 彼らは主の栄光を見、われわれの神の麗しさを見る」(イザヤ書35章)。
その一方で、そして聖書の中で最も劇的な場面、預言者エリヤとバアルの預言者たちの対決の地として知られる。
この出来事は、イスラエルの歴史における重要な転換点となり、信仰復興の象徴的な出来事となっている。
イスラエルが出エジプト後にカナンの地に入植した後、彼らは先住民の文化と信仰の影響を強く受けるようになる。
特にアハブ王の時代には、バアル崇拝が王室によって公然と推進されるまでになってしまった。
アハブ王がサマリヤにバアルの宮を建て、バアルのために祭壇を築き、アシェラ像も造ったことが記されている。これは、イスラエルの神である主の怒りを引き起こす行為であった。
ちなみにサマリア人が、イスラエルに忌避されるようになったのも、こうした偶像崇拝が原因である。
このような状況の中で、神は預言者エリヤを遣わす。
エリヤは、アハブ王の前に立ち、3年間雨が降らないことを預言する(第一列王記17章)。
この預言は、バアルが豊穣と雨をもたらす神とされていたことへの直接的な挑戦を意味するものであった。
3年の干ばつの間、イスラエルは深刻な飢饉に見舞われる。しかし、アハブ王は悔い改めるどころか、軍事力の維持に注力し、民の苦しみを顧みようとはしなかった。
そこでエリヤは、イスラエルの信仰を回復させるために、カルメル山での対決を提案する。
この場所が選ばれたのは、カルメル山が古くから聖なる場所とされているにもかかわらず、「バアル崇拝」の中心地のひとつになったためと推測される。
その対決の内容とは、それぞれの神が火を送って犠牲を焼き尽くすというものであった。
いわば天の力を下すことであり、イスラエルの真の神が誰であるかを明らかにするための霊的な戦いであったといえる。
バアルの預言者たちが一日中叫び続けても何も起こらない中、エリヤは主の祭壇を再建し、12の石で新たな祭壇を築く。犠牲と祭壇に大量の水をかけさせた。
12という数字はイスラエルの12部族を指すと考えられるが、エリヤの短い祈りの後、主の火が降って来て、犠牲だけでなく、石や水まで焼き尽くした(第一列王記18章)。
この奇跡を目にした民は、「主こそ神です」と告白し、信仰の復興が始まった。
この出来事は、イスラエルの歴史における重要な転換点となり、主への信仰を回復させる契機となったのである。

ヘルモン山は、レバノンとシリアの国境にあるアンチレバノン山脈の最高峰で、最高点の標高は2814mである。
ヘルモン山は、イスラエルの民がエジプトからの脱出後、神に約束された地であるカナンへの帰還と征服の過程で、彼らの領土の北限を示す重要な「境界線」となった。
新約聖書では、イエス・キリストが弟子を伴いガリラヤ湖畔のベトサイダからヘルモン山南麓のフィリポ・カイサリアの町へ旅したことを伝える(マタイの福音書16章)。
この頃から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた」。
これらの出来事は、ヘルモン山とその周辺地域がイエスの公生涯において重要な転換点となる場所であったことを示している。
イエスが訪れたピリポ・カイザリアは、ヘルモン山の麓に位置している町であり、ヘルモン山は、新約聖書の「主イエスの変容」、すなわち、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子を伴って祈りのために高い山にはいったというくだりの、「山」と推定されている場所のひとつである。
「六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。弟子たちは非常に恐れ、顔を地に伏せたが、 イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、”起きなさい、恐れることはない”と語り、人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない”と、彼らに命じられた」(マタイの福音書17章)とある。
イスラエルはヘルモン山と接するシリア南西部の戦略的高地「ゴラン高原」を1967年の第三次中東戦争以降、占領し続けている。
シリアは73年の奇襲で奪還を試みたが失敗し、ついには81年にイスラエルが「併合」した。
イスラエルは以降の数十年間、ヘルモン山の標高の低い部分を掌握し、スキーリゾートを運営するなどしていたが、それでも山頂は依然としてシリアが抑えていた。
2024年12月イスラエル軍は、その山頂一帯を占領したのである。
イスラエルの国防相は、「シリアでの展開により、ヘルモン山山頂を制圧し続けることが安全保障上途方もなく重要だ」と述べている。
一帯は50年間、イスラエル軍とシリア軍を隔てる「緩衝地帯」とされ、国連の「平和維持活動」による巡回対象となってきた。
この山頂からシリアの首都ダマスカスまでは35キロほどの距離しかなく、シリアの首都が大砲の射程に収まる計算になる。
グテーレス国連事務総長は、ネタニヤフ首相がイスラエルの安全保障の名の下、ゴラン高原の人口増加をはかろうとしているばかりか、「緩衝地帯」への侵入を非難している。
実はヘルモン山は単なる地理的な境界線以上の意味を持ち、イスラエルの「民族的アイデンティティ」や歴史的正統性を象徴する場所と信仰されている。
ヘルモン山に降り注ぐ豊富な降水は、周囲の乾燥地帯に潤いをもたらし、文字通り砂漠をオアシスへと変貌させる力を持っている。
この水は地中に浸透し、やがて湧き出てヨルダン川の源流となる。
この豊かな水がイエス・キリストの幼少期から青年期を過ごし、漁師ペテロやヨハネが住むガリラヤ湖に注ぎ込んでいる。
この水の恵みは、旧約聖書で繰り返し言及される「乳と蜜の流れる地」というイスラエルの描写と深く結びついている。
「(都もうでの歌) 見よ、兄弟が和合して共におるのは いかに麗しく楽しいことであろう。それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ その衣のえりにまで流れくだるようだ。またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、 とこしえに命を与えられたからである」(詩篇133)。
またダビデ王は次のような詩を残している。
「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。わが魂はわたしのうちにうなだれる。それで、わたしはヨルダンの地から、またヘルモンから、ミザルの山からあなたを思い起す」(詩篇42)。
ところで太宰治の「富岳百景」は、主人公が富士山という絶対的な存在との対話して心を再生するような物語で、ダビデの心情に幾分通じるものがあるように思える。
「富岳百景」には次のような有名な文章がある。
「三七七メートルの富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんというのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草は、よかった。富士には月見草がよく似合う」。
ダビデが都もうでの際に見上げた山とは、イスラエルの最高峰ヘルモン山ではなかったか。
ヘルモン山は、奇しくも富士山とほぼ同緯度に位置している。