他事考慮

堀江貴文氏には「儲けたもんがち」という言葉があったが、作家の村上龍にも「楽しんだもん勝ち」という言葉がある。
「楽しんだもんがち」は、村上龍の青春小説「69(シクスティナイン)」に登場する。
この小説は、村上氏が長崎佐世保で青春を送った1969年にちなんで付けられたタイトルである。
個人的なことをいえば、この本はソファーから転がり落ちそうなほどの抱腹絶倒の読み物であった。
さて、1969年には実にいろんなことが起こった。
人間が月に着陸し、 沖縄の返還が決まった。東名高速道路が開通し、成田新東京国際空港の建設が開始した。 東大安田講堂が陥落し、広域連続ピストル魔が逮捕された。
また三沢高校と松山商業の延長18回の熱戦もこの年で、この年の出来事は由紀さおりの「夜明けのスキャット」をバックに紹介されるのが定番である。
ところで村上氏が育った佐世保では1965年11月に、北ベトナム軍に対する艦載機の出撃を開始し、実戦に従事した最初の原子力艦空母エンタープライズが入港している。
そのせいで佐世保は政治色が濃い町となり、高校生の中にも、長崎大の社青同解放派(新左翼)とつながるものもあり、ビラ撒きやデモをする者もいたという。
それで、村上氏のいうごとく、ヘルメットをかぶってアジッテいれば、劣等生でもヒーローになれた時代でもあった。
この小説の主人公ケンは、マドンナの松井和子に気に入られたいがため、仲間達と「フェスティバル」を開催する計画を企てる。
ケンは、主役が自分でヒロインが松井和子というストーリーの脚本を書くのだが、映画撮影のために校内の全共闘のグループに8ミリを借りに行ったところ、勢い余って「バリケード封鎖」をすることを宣言してしまう。
そして、校舎内にスローガンを落書きし屋上から政治スローガンを書いた垂れ幕を下ろし、屋上に通じる階段と入口をバリケード封鎖して簡単には排除できないようにした。
ところがこれが、地元テレビ局や報道陣まで出動する騒ぎになってしまい、警察沙汰になって友人は停学処分を受けてしまう。
要領のいいケンは停学を免れぬものの、単なる不良行為ではなく政治行動をしたことで、ケンに対する周囲の目がいままでと違っているのを感じる。
、 教師達はじっとケンを見るだけだったり、目が合うと顔を伏せる教師もいた。
学校始まって以来の不祥事に、教師達もどう対処していいのかわからなかったのかもしれない。
ただ、ケンのすごいところは、高校生とは思えぬくらい気持ちの切り替えが早いことである。
何が正しくて、何が正しくないことなのか、バリケード封鎖の思想的判断など、誰にもわからないことなのだ。
ケンは、暗く反省したって誰もついて来ない、こういう時には明るく振舞まうほうがいいと、計画から実行、警察の取調べまで面白おかしく友人達に語る。
結局は楽しんだもの勝ちなのだといわんばかりに。
実際、彼らの行動の主因は政治などではなく、タダ単に女の子にもてたいという一心でやったことなのだから。こういうのを「他事考慮」という。

現・安部首相は、何かにとり憑かれたたように「解釈改憲」を急ぎ、ついには閣議決定にコギツけた。
安部氏は先日の記者会見で、集団的自衛権の行使は限定的であり、むしろソノ抑止力によって日本が戦争に巻き込まれる可能性が低くなったと説明した。
とはいえ、安部首相が本当に国の行く末とか、国民一人一人の安全を「熟慮」したとは思えない。
安部首相を含めて国民だってどうすれば安全なのか、何が正しいことなのか本当のことよくはわからないはずだ。
だからこそ粘り強い国民の「合意形成」が必要なのに、現政権はアタカモ「決めたもん勝ち」といわんばかりだ。
ところで、集団的自衛権の閣議決定前の6月30日、反対を訴える4万人が国会周辺に集まった。
また我が職場がある宇美町を含む200の地方議会がこれに反対する提案・議決した。
このたび国会周辺に集まった人々を見て、安保をめぐる政治闘争が最も激しさを増した1960年6月の出来事を思い浮かべる人も少なくないにちがいない。
その時、国会周辺を30万人の人々が取り囲んだ。
その時の首相は、奇しくも安部首相の祖父にあたる岸信介首相であった。
この時、東大の樺美智子という女学生が機動隊ともまれて死亡するにおよび、人々は参議院の承認を経ないままに新安保の「自然成立」へともちこもうとする岸内閣への怒りを高めていった。
この時、岸首相はいたくオビエ、警察隊ではこころもとないと思ったか、「自衛隊の投入」までも言い出した。
しかし、時の防衛大臣・赤城宗徳はモシモ自衛隊を出したら、同士撃ちになり、まちがいなく自衛隊は国民の敵になると反対した。
この時、自衛隊投入がなされていたならば、国会議事堂周辺は大量の流血の騒ぎになり、1986年の中国の天安門事件と同様の事態が発生することになったであろう。
そして自衛隊の憲法論争は、まったく違った筋道を辿っていたかもしれない。
とすると、赤城防衛大臣の首相への直言は、目立たぬが「現代史の分岐点」になったといえる。
ちなみに、岸信介ー防衛大臣・赤城宗則の繋がりは、互いの孫である(第一次)安部晋三内閣ー農林大臣・赤城尚徳という関係で再現しているのも「奇縁」という他はない。
しかし「奇縁」といえば、岸内閣の命運に、樺美智子と正田美智子という二人の「美智子さん」が関わっているのも面白い。
年齢的には正田美智子さんが、樺美智子さんよりも三つ上にあたる。
岸政権を窮地に陥れたのが、国会議事堂前での樺美智子さんの死であっだが、岸政権をある意味「窮地」から救ったのは、皇太子と正田美智子さんの御成婚であった。
皇太子御成婚は、統制色を強める岸政権のイヤナ感じを吹き飛ばし、国民はしばらくは政治のことを語ることをやめて、祝賀ムードにひたったのである。

安部首相が国のカタチに関わること、日本の将来を大きく左右することにつき、どんどん決めていっている感じだが、安部氏のそういうスタイルや行動が何に由来するのか、その「人間的」側面に注目したい。
巷間でしばしば語られていることは、祖父・岸信介の影響である。
岸信介は若き日、官僚としてアメリカを視察したさい、その圧倒的なスケールの大きさに感動するとともに、反感さえ抱いたようだ。
そして首相になると、それまでの旧日米安保がアメリカは日本を守るが、日本はアメリカを守る義務はないという「片務的」な条約を対等なものにすることを政治使命とした。
つまり、旧安保条約を日米の「双務的」な防衛条約に改め、それによってアメリカに日本を「対等の協力者」とし認めさせようとしたのである。
一方岸首相は就任後まもなく東南アジアを歴訪している。
それは、「アジアの盟主」として反共ブロックをアジアに形成し、アメリカにそうした日本の位置づけを了解させようとしたのである。
そこで岸は国防会議を招集し「国防の基本方針」を決定し、第一次防衛力整備三ヵ年計画をたてる。
そして岸は、戦前のように国家体制強化のための「愛国心」を教育の柱に据えようとした。
そのためは、「教え子を戦場に送るな」をスローガンとする日教組を弱体化させるために、文部省の監督統制の強化をはかる必要があった。
そして校長などの管理職による「勤務評定」の制度化を行ったのである。
また警察官の権限の強化なども行ったが、こうした「統制色」を和らげたのが、上述のとうり皇太子ご成婚であったのである。
ともあれ、岸首相の政治志向と孫・安部首相の政治スタイルが、かなりオーバラップすることを思わせられる。
さて、安部首相の看板政策「アベノミクス」の由来はどこにあるのだろうか。
ソノ淵源を探れば、東京大学の経済学部「小宮隆太郎ゼミ」に行き着く。
アベノミクスという造語は誰が言い出したのかは不明だが、ソノ「仕掛人」と目される人は少々意外な人であった。
自民党日本経済再生本部事務局長の山本幸三元副経済産業相(福岡10区)である。
福岡県北九州市生まれで、1967年福岡県立京都(みやこ)高等学校卒業した。
東大では当初物理学を志し理科一類に入学したが、途中で卒業後の志望を官僚に変更したため、経済学部に進学した。
大学時代の恩師は小宮隆太郎で、小宮からは大学に残って研究を続けるよう勧められたという。
しかし、1971年、大蔵省に入省した。
山本は、東日本大震災(3・11)のあと、直ちに復興に20兆円の国債を発行するようにと3・17緊急アピールを発表して全議員に配った。
本人によれば、ソレをそのまま採用していたら民主党政権は健在だったかもしれないが、経験の浅い民主党議員は経済政策について「日銀マフィア」に牛耳られていたのだという。
そのうち山本は、最初の政権を病で投げ出さざるをえなかった安倍晋三が、どこかで「日銀は問題だ」と言ってると聞いて、山本はすぐに安倍氏のところに行った。
本当にもう一回「政権」をやるつもりなら、「経済の安倍」でやったらどうだ、憲法とか安保はアトマワシにしたらどうかと語ったという。
山本が、そのための安部氏を会長にする議員連盟を作ろうと提案し、安倍氏はそれを快諾した。
2011年安倍が会長、山本が幹事長となって、「増税によらない復興財源を求める会」、「日銀法改正でデフレ・円高を解消する会」といった議員連盟を作った。
安倍氏は、こうし議員連盟を土台にして岩田規久男、岩田一政、浜田宏一、伊藤隆敏ら専門の経済学者学者を講師に招いて1年半、勉強会を重ねたのだという。
このメンバーは山本幸三と同じく東大「小宮ゼミ」に属するか、その影響を受けた学者達のようである。
山本によれば、安倍氏は「勘がよく」経済を理解し、「経済の安倍」としての「再登場」したのである。
そしてここから、アベノミクスが始まったのである。
以上のようにアベノミクスの源流は東京大学の小宮隆太郎ゼミに行き着くのだが、アベノミクスの正念場はムシロこれからである。
日本銀行は金融機関から大量の国債を買いとっているが、その保有高は史上最高を次々と更新している。
国債を大量に持つことは、日銀がリスクを抱えることになり、段階的に「売り戻す」必要があるのだが、そのことによる経済的影響ははかりがたいものがある。
参議院議員で経済評論家の藤巻健史のように、日銀の国債購入の約束は今年12月までで、日銀が買いをやめれば国債と円は暴落し一気にハイパーインフレになるという人もいる。
安部首相は成長戦略の充実と共に、金融緩和の縮小つまり出口において、軟着陸をはからなければならない。

さて安部氏が推し進める「集団的自衛権」容認は、前述のごとく祖父・岸信介が旧安保条約を改定してアメリカと対等の立場に立とうとしたことと重なるものがある。
しかし最近の新聞記事に、安倍首相の「集団的自衛権容認」を強力に後押ししたのは外務省旧条約局(現国際法局)出身者らであったというものがあった。
さらに彼らは突然に「集団安全保障」という概念をうちだして、侵略した国を国連決議に基づいて武力で制裁する集団安全保障にも、自衛隊の参加への余地を広げようと動いているという。
集団的自衛権は、他国であれ「守る」 ことを基本とするが、「集団安保」では、侵略など問題のある国をタタク行為でありヨリ攻撃性が高いものである。
彼らはいわば「外務省条約局マフィア」とも評される存在なのだが、何がそういう主張を生んだのだろうか。
そこに或るトラウマが浮かんでくる。
イラクのクウェート侵攻を受けた1991年 の湾岸戦争時、国連安保理決議により多国籍軍が組まれた集団安保だった。
この時、外務省旧条約局の関係者は、次のような経験をしている。
内閣法制局に「自衛隊に多国籍軍の負傷兵の治療をさせたい」と伝えたが、「憲法9条が禁じる武力行使の一体化にあたる」と否定された。
その結果、日本は130億ドルを拠出したが、「カネしか出さないのか」と米国を中心とした国際社会から強い批判を浴びた。
その時に、湾岸戦争時に条約局長は何とかしなければという強い思いを抱くに至った。
そこで外務省は、今年発足した国家安全保障局に、旧条約局出身の精鋭部隊を送り込み、閣議決定の文案作成を主導したのだという。
安倍首相が まだ年次の若い人物を与党協議の中心として次官級の内閣官房副長官補に据え、首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の 再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を事務方の責任者として取り仕切らさせた。
また安保法制懇の座長に元外務省条約局長の柳井俊二氏をあて、報告書を受け取る国家安全保障局のトップにも元条約局長を据えた。
さらに「解釈変更」を了承する立場の内閣法制局長官には歴代長官人事の慣例を破り元国際法局長で駐仏大使だった小松一郎氏(6月末死亡)を起用した。
要するに「外務省旧条約局」一色にして、「解釈改憲」による集団的自衛権容認をハカッタのである。
外務省・旧条約局のゴリ押しを知るにつれて、何かアメリカのネオコンのような存在に見えはじめたのだが、折りしも東大の石川健治教授の次のようなインタビュー記事が新聞に掲載された。
「集団的自衛権の論議では、安全保障の専門家たる防衛官僚OBがしばしば否定的な意見を述べるのに対して、推進派の多くはアマチュアという構図が見られる。
殊に推進派の言説に目立つのは、戦後憲法体制に対する怨念に近い敵対感情や、湾岸戦争で多額の戦費を支出しながら評価されなかった外務省人脈のトラウマであるが、これは現下の危機とも安全保障とも直接関係のない"他事考慮"ばかりである」。
さらに石川教授は「この構図には既視感がある。イラク戦争当時、軍人のパウエル国務長官が最後まで抑制的だったのに対して、父親のやり残したフセイン政権打倒に拘泥するブッシュ大統領、ネオコンで凝り固まったラムズフェルド国防長官らシビリアンたちが、何かにとりつかれたように好戦的だった」と述べている。
振り返れば、イラクにおける大量殺戮兵器の存在につき証拠がまだ出ていないのに、そのことを理由にしてイラクに進撃した。
つまりアメリカは、対テロ戦争とは関係のない「他事考慮」によってシャニムに開戦へと突き進んだといことだ。
「他事考慮」とは、裁判司法でよく使われる言葉で、裁量判断において、本来考慮しなければならないことを考慮せずあるいはことさら無視し、またはその逆に、本来考慮すべきでないもの考慮しあるいは過重に評価するというような意味である。
この「他事考慮」を安倍政権にアテハメルと、祖父・岸信介への意識だとか、アメリカに対する過去の怨念とか、湾岸戦争のトラウマなどどいったいわば「情念」によって、現下のことを決定ようとしているということである。
つまり本来の国の安全とは無関係な要素により、国の安全の根幹に関わることを「変更」しようとしているということである。
さて「シビリアン・コントロール」という言葉があるが、文民が軍人をコントロールするという意味である。
しかしシビリアンこそが情念で独走する可能性もあるのだということに気付かされた。
集団的自衛権の容認が、国の安全にとって良いか悪いかは明白には誰にもわからない。
場合によっては、安倍首相の言うように「戦争への抑止力」として働くことはあり得るだろう。
ただ確実にいえることは、こんな安易な手続きで国の命運を左右するようなことが変えられるという「悪しき前例」を作ってしまったことである。