宋銭とビットコイン

最近のビットコイン消失のニュースを聞いて、平安時代末期から鎌倉期に流通した「宋銭」のことを思い起こした。
両者は国家のお墨付きのない「おかね」であった。それ故にハヤルはずもないのに一気に拡大通用した。
宋銭の流通は中国が明の時代になってもナオ西日本で根強く残った。
ビットコインの衰退が一気にやってくるかは今のところなんともいえないが、個人的推測では、根強く生き残っていくのではないかと思う。その理由は技術的利便性ばかりではなく社会情勢にあるからだ。
ビットコインがひろがったのは、財政赤字による政府紙幣への不信感や金融危機によってなった時に紙切れになってしまう恐れがあったからだ。
一部の人々は政府保証の紙幣よりも、ネット上の「仮想通貨」を信用した。
一方、平安期の「宋銭」は名前からもわかるように国産のお金ではなく中国のお金である。これを流通させたのは平清盛である。
お金の発行権は歴史的に国王の権威と権力の象徴であり、外国のお金を日本で流通させるなんて「国辱」ものではなかったか。
その背景には、日本政府(朝廷)が流通させた「国産貨幣」にロクなものがないという不信感からだった。
実は、日本の「貨幣史」のなかで国産貨幣「皇朝十二銭」は失敗の歴史だった。
奈良時代に「蓄銭叙位令」をつくり、金をためたら高い身分を与えて、お金を無理やり流通させようとした。
しかし導入初期は別としても高い身分を望む貴族は貯めた銭を手放なさなくなり、結局出回ることなく何の貨幣らしい役割を果たすこともなく「廃止」に追い込まれた。
奈良時代の708年国産初の「和同開珎」が発行されたが、早くも翌年には「私鋳銭」に対する刑罰についての詔が出されている。
素材となる銅の供給もままならず、それらしいマガイモノが流通したということである。
死刑を含む「厳罰化」(711年)をはかったにもかかわらず私鋳銭はなくならず、国産貨幣は衰退する一途を辿ったのである。
つまり日本では「偽造」が不可能なほどのレベルで貨幣を作る「鋳造技術」にはまだ至っていなかったのである。

ところで、世界の国々の中には、「単一貨幣」のみで経済が運営されているというのは思い過ごしである。
日本では、江戸時代には「藩札」という異なる貨幣が各藩独自に流通していたし、明治政府が「太政官札」をだすと贋札つくりに励んで処罰をくらった藩(例えば福岡藩)さえもある。
ヨーロッパではユーロ以外に「地域通貨」なるものが生まれ、「地産地消」のスローフード運動が広がっているという。
そんな情勢の中、その国の「通貨は何か」と問う場合に、一番わかり安い「識別法」は、その国の国民が「何を」税金として政府に収めているかということである。
国民が政府が「絹」で税金で収めさせているのだとしたら通貨は絹、「米」で収めさせているのだとしたら通貨は米と考えてよい。
もっとも絹や米のような物品貨幣は「汎用性」が高くはなく「通貨」にまで至らないので、せいぜい「米本位制」や「絹本位制」という言い方の方が適切であろう。
もしもビットコインで税金を収めるようになったら、ビットコインが「通貨」ということになるが、政府が発行していない金は通貨になりそうもない。
カイザルのものはカイザルにという聖書の言葉があるとうり、貨幣の中でも国王の顔が刻まれたコインとなるとそれは間違いなく「税」の支払いにあてられるものと考えてよい。つまりこれが「通貨」なのである。
したがって王は、貨幣に自分の「肖像」を刻むことによって、その貨幣の「通用性」すなわち「通貨」たることを国民全般に保証するばかりではなく、ついでに自らの「威信」をも示したのである。
ところがである。国王(政府)が発行していない金は通貨になりえないという常識を覆したのが「宋銭」なのである。
国王でもない「私勢力」がシカモ外国から輸入した貨幣を「通貨」としてしまったのが宋銭なのだ。
だから、ビットコインにその可能性がないとはいいきれないのだ。
さて、平安時代の日本における国王といえば、朝廷(天皇)であった。
しかし当時、平家一門は朝廷内で重要な官職を占めており、その頂点にいた平清盛には後白河法皇に「匹敵」するほどの実権を持っていたといってよい。
平清盛ならば、天皇しか持つことができない「貨幣発行権」を手に入れ、実質的に「国王」として君臨できるという考えをもつに至ってもそれほど不思議ではない。
しかし、それなら平家の「家紋いり」の通貨でも出せばよいものを、わざわざ中国から「宋銭」を輸入して通貨としたのはどうしてだろう。
もちろん技術がなかったのが最大の原因だが、そればかりではない。
実際に、朝廷側が、清盛死後自らの「威信」をオビヤカス「宋銭禁止令」を何度か出したのもよくわかる。
さて中国銭が日本で流通するのは朝廷にとってのマサカは、各国の金融当局の管理を離れた「仮想通貨」の拡大のマサカに匹敵する。

さて、今の日本を経済面でみるとき、最大の特徴は「現金保有」の志向がきわめて高いことである。
現金保有志向は、価値を消費財としても金融資産として持とうともしないということである。
人々がより多くの収益の高い資産ではなく現金や換金が容易な預金を保有するには、様々な理由がある。
なんらかの理由で各家庭も各企業も、これまでよりも少しばかり多くの現金を手元に留めておこうとする。
企業家が自信を喪失し、将来の投資を危険だと考え、現金で保有する事態も考えられる。
また、家計が将来の職に不安をもち、高価な商品の購入を差し控えている状態もありうるだろう。
ところで、今日の経済のマクロ水準、代表的には国民所得水準を考えるとき、所得からの消費性向から考えたり、利子から投資を考えるのが一般的分析である。
しかし人々の「現金保有性向」の高さを見ると、「現金保有性向」を基点として考えることはできないだろうか。
ケインズは、現金保有動機を(つまり流動性選好)を考察したが、それは利子決定要因として考えたもので、消費の決定要因とはみなさなかった。
しかし今、世界エネルギー不安、老後不安、災害不安などが高まると、いかなる金融資産よりも、何にでもスグニ姿をかえられる「現金」そのものということにもなるのかもしれない。
つまり何が起こるかわからないので、いつでも使える現金にしておこうという志向が強くなっているということだ。
それは消費者ばかりではなく企業にもそれがいえていて「内部留保」を増している。
今、経済が完全雇用状態にあるとしよう。つまりさぼって働きたくない人意外はフル活動の経済である。
人々の現金保有志向が強いということは、個々の企業や家計が支出を減らし、現金保有を増やそうとした結果、収入が支出を上回ってしまうことになる。
家計ならば、給料で得たお金を消費した分、金融資産を買った分、預金した分を差し引いた部分を増やそうとするからである。
しかし、経済全体の「貨幣量は決まっている」ために、個々の経済主体ではできそうなことでも、経済全体では成り立たない。いわゆる「合成の誤謬」である。
ある個人は、支出を削減することで現金保有を増加させることができるが、それは他人の現金保有を減らすことでのみ可能となる。
すべての人が現金保有を増加できないことは明らかである。それでもすべての人々が、現金保有を同時に増加させようとしたらどうなるか。
ソノ答えは支出とともに、所得も減少するということである。
私はあなたからの購入を減らして現金保有を増加させ、あなたは私からの購入を減らし現金保有を増加 させることができるとする。
その結果、支出の減少に応じて所得も減少し、二人とも現金保有を増加させることができなくなるのである。
もし二人とも現金保有を増加させ続けるならば、さらに支出を削減しようとするが、所得は減少し現金を増加させられないままで、この過程が続くことになる。
その結果、企業も家計も現金保有を増やそうとする空しい努力の結果、工場は閉鎖され、労働者は解雇され、商店は閑散としてしまうのである。
そしてこの過程は所得が減少し、現金需要が供給と等しくなるまで減少することによって初めて終了するのである。
話が抽象的であるが、以上の話をもう少し現実に焼きなおすと次のような事態が起きているということだ。
最近、景気の上向き感がでてきたがここのところ日本で起きていることは、色々なモノの物価の下落である。
長年、春闘などでは業績が不振であるからといって賃金に反映されることはなかった。
2003年になってよやく賃下げが議論されたくらいだから、1990年代以降の不況期にも、賃金は必ず右肩上がりという幻想が根強く残っていた。
物価が下がり賃金が上がるのだから、実質賃金上昇を意味して企業経営を圧迫する。
そこで企業はリストラで社員の数そのものを減らすことにより、支払う賃金の総額を減らす他はなくなる。
一方、消費者である従業員は、給料が上がらないうえに、クビになるかもしれないという不安から、モノを買い控えて預金に回す。
もともと貯蓄性向の高いうえに、さらに消費をきりつめて貯蓄に回そうというモチベーションが生まれるのである。これにより、ますますモノが売れなくなり、ますます値段が下がっていく。
供給者である企業は業績があがらないから、なんとか利益を出そうとして更なるリストラを繰り返すことになる。
この悪循環がデフレをますます悪化させている。デフレ・スパイラルとは、この悪循環を繰り返しながら、不況がどんどん深刻になっていく現象をいう。
以上のように日本人は将来不安に対して企業も個人も投資や消費を行わず「現金保有」の拡大に増やそうとした結果、デフレスパイラルが起きてきたのである。
業の業績は改善傾向にあるとは言いながら、日本経済はいまだにデフレ・スパイラルの只中にあり、リストラ等の将来の不安により、消費増の方向へ解放できずにいる。
さて日本人の貯蓄性向の高さは先進国の中ではダントツである。
アメリカの国民性は借金してでもお金をつかおうという傾向にあるために、不況には悩んでも深刻なデフレに悩むことはない。 しかし日本では、江戸っ子については例外であった。
江戸では火事が多いせいか、お金は早めに使ってしまおうという傾向があったようだが「宵口の金は持たない」というきっぷのよさだ。
今のように銀行に預金する時代だと、そうした江戸っ子気質は残るものだろうか。
あまり説得力はないが、日本人は伝統的に子孫に財産を残そうという気持ちが強く、経済活動を単に享楽の為ではなく、「商いの道」とかいったように道徳的・儒教的に捉える傾向があるからかもしれない。
しかし、日本より儒教の影響が強い韓国では常に他国から頻繁に侵略された記憶のせいか、江戸っ子と同じくお金を早く使おうとする傾向があり、デフレはさほど深刻化しないらしいる。
残念ながら個人の「貯蓄の美徳」は、資本主義社会では全体として「美徳」たりえないのである。
その結果、そんな貯蓄好きの日本人が戴く政府の方は、皮肉なことに借金財政に苦しんでいるのである。

一般に、ある貨幣が「単一通貨」として広く使われるためには様々な条件が必要であり、究極的には「その信任」がどのように与えられるかにかかっている。
そもそも「金属貨幣」というものに、庶民はナジミもなければ、親和感もないのだ。
まして「宋銭」といった外国銭の流通は、「国辱的」な感じを抱かせるモノではなかったか。
それでも平清盛は、宋銭を鋳潰して「国産貨幣」に作り変えることをヨシとしなかった。
ひとつの貨幣が「通貨」として流通するのは並大抵なことではないのだが、平清盛がモクロム「宋銭普及」には、当時日本全国に広がっていた「末法思想」の蔓延が味方した。
さて、戦時の平時へ驚くべき技術(素材)転用にであう。
福岡の東公園に立つ日蓮上人像は、佐賀藩の「大砲の製造所」をした鉄工所がつくったものである。
大阪の陣で有名な豊臣の「方広寺の鐘」を、徳川方が鋳潰して「寛永通宝」に変えてしまったようなケースである。
お金という「俗」のシンボル(手垢ソノモノ)が、仏像という「聖」なるモノに転じたりすることあったし、またその逆に仏像がお金に姿を変ってしまったこともあった。
実は、こうした聖と俗との転換が、平安期の日本に「宋銭」を根付かせたのである。
実は中国から銅銭を輸入するという発想は、平清盛によって生まれたモノではない。
それは意外にも、「銅」がほしかった寺社勢力によるものだった。
なんで寺社が「銅」が欲しかったかというと、仏像を大量につくる需要が生じたからである。
つまりそれは「貨幣」としての価値よりも、「素材」としての価値に目をつけたということだ。
それを横目に、この宋銭を日本でソノマンマ「貨幣」として流通させるということを思いついたのが、平清盛だったのである。
そして博多で「日宋貿易」の実権を独占的に握った平清盛は、「土地」という不動産にしか価値を見出せなかった源頼朝よりも、数歩も「近代人」に近づいていたといえる。
さらに、準納税(年貢徴収)手段として「宋銭」を収めさせた点では、マサニ「近代人」といっても過言ではない。
宋銭を使えば、数量でもって価値を表せるし、米や絹より持ち運びにも負担がかからず、少ない「取引コスト」で多様多彩な取引が広く実現する。
平清盛は、絹や米と格段違って「貨幣」というものが取引を一気に拡大させ、それがサラニ膨大な「税収」を生む可能性を認識していたのだ。
もし「宋銭」が全国に普及すれば、その輸入を平家が独占的に担うことにより、宋銭の「販売益」を独占できる。
それは、朝廷が握っていた「通貨発行権」を実質的に自分の側に引き寄せることにつながる。
それで、瀬戸内海の各地で行われた大規模工事の賃金を「宋銭」で払ったり、平家の勢力が及ぶ広大な領国・荘園において年貢を「宋銭」で納めさせた。
つまり、租税ではなく準課税的な年貢とはいえ、「宋銭」で支払わせるまでになっていたのである。
平安末期、日本では浄土信仰に加え「末法思想」の影響で日本全体でかえって仏像つくりが盛んになった。
その為には仏像の素材たる「銅」が必要になる。
もともと中国の貨幣を材料に「経筒」(経典を収める筒)がつくられたようになり、それが仏像にまで発展したのだ。
厳島神社は「驕れる者」平氏のイメージとは裏腹に「宗教心」を読み取るかは別として、当時の「末法意識」の高まりを何よりも雄弁に物語っている。
当時は、末法思想の真っタダ中、人々は絹・米のカワリに「宋銭」を通貨として受け取ったとしても、人々は「通貨として」使えなくても「仏具」になるし、経筒の「材料」となるという「安心」があったのである。
つまり宋銭は、「末法思想」によりその価値が保証されていたのだ。
言い換えると、みんなが「宋銭は、誰にとっても価値がある」と思われる状況ができていたということである。
イグノーベル賞を受賞した経済学者がいる。
デューク大学教授のダン・アリエリーで、伝統的な経済学のように合理的な経済人を想定していない。
彼は「高価な偽薬は安価な偽薬よりも効力が高い」などユニークな実験結果を示したことからイグノーベル賞も受賞した。
ちなみにイグノーベル賞とは、ノーベル賞のパロディで、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して賞が与えられる。
伝統的な経済学のように合理的な経済人を想定せず、実際の人間による実験やその観察を重視し、人間がどのように選択・行動し、その結果どうなるかを究明することを目的とする「行動経済学」が専門である。
この教授がいう「非合理」の原因として、人間は長い視野で物事を考えるようにデザインされていないということである。
経済学は「合理的」行動前提として成り立つ学問である。しかし時と場合によっては社会は病気にかかったように「非合理」行動に向かわせることがある。
江戸時代末期にお札がふってきていいじゃないかと踊り狂ったりしたが、突然人々が寄付(寄進)「慈善活動」に励みだすともかぎらないのだ。
こうした「非合理的衝動」が経済活動として表われるとき、経済現象は合理的な活動の集積をみなすことはできない。
それが平安時代の末法思想を背景におきた「宋銭の流通」であり、それはまた今日の異常な「現金保有」志向や、反対に国家の枠を離れたビットコインの跋扈に通じるものがあるのではなかろうか。