この国のカタチは

日本の人口減少は「超高齢化」とともに、どんどん加速していく。
政府機関の推計によると、出生率が今のままなら、100年後に日本の人口は約4300万人と今の約3分の1になってしまう。
人口全体は減るものの、65歳以上の人の数はあと30年近く増え続け、2040年には「3人に1人」となる。
都市への人口流入が続けば、現在の全自治体の約半数にあたる市町村で、20~39歳のの若い女性が急減し、将来「自治体消滅」の恐れがある。
人口が減るなら、GDPも縮小すればイイというわけにはいかない。
企業社会は市場の確保こそ至上命題で、縮小ということが非常に難しく、現状の利益や売り上げを確保してようやく維持できるものだからだ。
そこで今の人口を水準を維持するには、出生率が2030年までに1970年代並みの2、07に回復したとしても、来年以降毎年20万人の「移民」を受け入れなければならない。
つまり少子高齢化への急傾斜に対して、外国からのたくさんの移民によって、日本の高齢者を支えてもらわなければならないという構図がうまれる。
もしそうなれば外国人が直接に介護の現場で働くことにもなる。
それには社会的合意が必要だが、儒教社会では老人を大切にするとしても、外国から来る移民が果たして日本の老人に対して同じように接するだろうか。
自分の想像力の範囲はそこまでしか及ばないが、ソレヨリ日本が「多国籍化」に向かうなかで、果たして日本人のアイデンティティは守られるのだろうか。
映画「テルマエ・ロマエ」は、古代ローマの建築家がタイムスリップして日本の銭湯のよさを発見する物語であったが、いい方向にいけば、日本社会がはぐくんだ「おもてなし」や「もったいない」などの美質が発見され、それがグローバル化する機会となるかもしれない。
東北大震災における日本人の落ち着いて秩序だった行動など、こちらから発信することの少なかった日本人の精神文化は、ようやく世界中で賞賛されつつある。
ただ、日本文化のグローバル化を考える時、参考になるのは柔道からJYUDOへの変質といえる。
日本が自ら開発した柔道が、いつのまにか「柔」の心を欠いた力まかせのJYUDOとなり、その外国人選手が日本の柔道を打ち破るようになった。
この場合、JYUDOはもはや国籍のないものといえる。
日本人も勝つためには、「柔道」に拘ってはおられず、JYUDOを研究せざるをえなくなっている。
ただ「大相撲」に関していえば、「スモウ・レスリング」としてのグローバル化という道筋はありえず、かといって日本人の若者の中でこの世界を目指すものは減っているため、外国人が上位を占めて日本の国技の伝統や精神を受け継ぐという「奇態」が生じている。
大相撲の世界でモンゴル人が上位を占めるのは、日本人にとって面白いものではないが、彼らが日本の様式や精神を理解し守ろうというかぎりにおいて、日本人もそれを受け入れている。
ただ一般に、グローバル化ということは、どんな伝統様式でも変質は避けられないものである。
そしてそれは、不愉快に感じる反面、面白くもあるだろう。
カリフォルニアから逆輸入されたアボガドをのせた寿司は、日本の伝統的な寿司文化を少々ポップにした感さえある。
ひょっとしたら寿司にドレッシングをかけて食べる外国人もいるかもしれないし、天丼にケチャップかける外国人もいるかもしれいなし、刺身を食べながらコーラを飲む外国人だってでてくる。
オデンをナイフとフォークで切り刻んで食べる外国人だって出現するに違いない。
つまり日本文化は変容を余儀なくされうるのだが、若者は案外と眉をひそめたりせずに、そうした変容を柔軟に受け入れるかもしれない。
グローバル化の進展は、言い換えると、真の「他者」体験ということかもしれない。
随分前、NHKが次のようなアジアレポートを報告したことがある。
アジアの国々では、アジの干物やむきエビ、そしてヤキトリ用の切れ切れ肉、そして骨なし鶏肉などをつくり日本製品の「下請け」を行っている。
品質検査の厳しい日本の食品会社に納品するには、ヤキトリの肉片ひとつの切り方にもミスが許されない。
つまりに外国のナショナリテイとは異なる「日本向け」を強要するなかで、実は日本人の日常も変えていっている。
入ってくるものは日本向けに「調整済み」のもので、日本人は日本にいる限り、真正の外国つまり「他者」と出会うことが極端に少ないことがわかる。
つまり、不愉快を体験する機会が少ないということだ。
常に「調整済み」という品々やサービズにばかりに慣らされていると、そこからハミデルものに対しては大変な不快感をもたらすものなのだ。
実はこの不快に思うことが増えることこそが、「グローバル化」の正常なプロセスなのだと思わねばならない。
単なる「隣人」ではなく「他者」と出会ってこそ真のグローバル化といえる。
欧米で「公共の意識」が高いのは、こうした不快感や嫌悪感を最小限に抑えるために公私の区別をはっきりさせることによる。
外国を真似たテーマパークやストリートは、その中で売られている商品も食事も「擬似外国」であり、日本人どうしで「外国する」というだけにすぎない。
つまり日本人の感性を不愉快にするものは、あらかじめ排除された外国が再構成されているにすぎない。
かつてのお騒せ横綱・朝青龍は、自らアイデンティティを消してまで日本人の「隣人」にはなろうとはしない不快な存在だった。
それが、日本の国技「相撲」のトップにあるということは、国技の伝統を揺るがすものであり、許されないことであった。
それまでの外人力士・高見山や小錦は強かったが、コロッっと転げる脆さが同居したカワイさがあった。
しかし、朝青龍は、その強すぎることによって、バッシングは増幅していったといえる。

朝青龍がまだ日本の土俵に立っていた頃、アメリカでおきた「トヨタ・バッシング」はある意味「逆・朝青龍問題」ではなかったか、と思っている。
それはグローバル化の中で「他者」がもたらす不快感という点で共通しているからである。
日本は戦後の高度経済成長期においてオリジナルな製品開発ではなく、製品の「商品化」において高い能力を発揮してきた。
後発の日本にとってそれが外国に追いつく一番効率的な道筋だったのだが、その過程で日本人があまり意識してこなかったことがある。
それは、その国が開発して生み出した「製品」というものは、単に製品であるばかりではなく、国民のナショナリティを背負っているということである。
一般に、人間が「何を作るか」を考えるということは、何を得意とするかを考えることであり、何をもって自分を表現するかなのである。
したがって国の基幹となるような製品の開発とは、ナショナリティの発露であり「国籍」を担っているということだ。
特に、車というものは、国民の歴史と夢が詰まった工業製品なのである。
アメリカが生んだ自動車キャデラックは、富と成功のシンボルとしたものであり、アメリカンドリームの象徴でもあった。
フォルクスワーゲンのカブトムシの形も、当時のドイツの国民車をシンボライズしたものだった。
イギリスが非効率を承知の上で手作りにこだわったロールス・ロイスもイギリスの文化の象徴だった。
ところが、TOYOTAが商品化した自動車はそうした意味で「国籍」を担ったものではなかった。
日本製品はあくまでも機能と性能とコスト安、そして相手国の生活習慣への細かい配慮で世界を席捲したのである。
それは作り手のオリジナリティーの表現よりも相手のニーズを最優先したものである。
それは、日本がアメリカに輸出する車は左ハンドルに変えたのに、逆にアメリカから日本に輸出される車は日本に合わせて右ハンドルにしなかったことに、最もよく表れている。
日本から輸出される家電製品の炊飯器にせよ、少し焦げ目が出来るのが好きな国民に対して輸出するものや、ややオカユ状が好きな国民向けなどを区別したのである。
日本企業は、徹底的な相手国の嗜好や傾向を調査して、製品を微調整しながら輸出して世界市場を席巻してきた。
つまり、あくまでも相手の国の事情に合わせたものであり、日本人はその製品開発に関しては「無国籍」を選択したといってよい。
したがってトヨタ車がアメリカで「欠陥」を指摘されバッシングされたのも、単にアメリカ人労働者の仕事を奪ったからではない。
そして、そうした日本車がGMやロ-ルスロイスやフォルクスワーゲンのオリジナリティを市場で打破したということは、それは相手国のナショナリティを傷つけたことを意味する。
それはどこか、かつて日本の相撲界の頂点に立った朝青龍と重なるものがなかろうか。
いずれにせよ朝青龍問題にせよトヨタ・バッシングにせよ、人手不足を埋めるために外国人労働者をたくさん受け入れざるをえない日本において、グローバル化とは何かを問いかける「縮図」であったように思う。

それでは、これから日本はどういう方向にむかうのか。
日本の家族主義的な経営は、グローバル化や円高による生産拠点の海外移転によって壊滅状態となってしまった。
モノ作りから撤退してサービスや金融に生きるということもある。
また、いっそ海外に生産拠点を移して配当や利子をうけとって生活するか、規制緩和によって海外資本を呼び込み成長を続けるかなど様々な生き方が考えられる。
特に多く移民を多く受け入れなければ立ち行かないこれから、何をもってナショナル・アイデンティを形成するのだろうか。
人々が働く場所として「国を選択」するようになった時点で、国際化はグローバル化の段階に入ったといってよいのではなかろうか。
そのため、経済社会が世界統一の基準で運営される領域が広がっていったといえる。
こういう無国籍化したような世界で、日本人のアイデンティは守られるのかという疑問、または、そもそも守る必要もあるのかという思いもおきる。
ただ日本社会は社会的合意として、国民がアイデンティティを喪失するほどたくさんの外国人をうけ入れることはないだろうという気はする。
日本人のアイデンティティの拠り所の一つは、祖先がどこかで天皇と繋がっているという曖昧かつ消しがたい意識にある。
しかし、それとは全く無縁な外国人移民にとって、天皇はどのように映るかは軽視することのできない問題のように思える。
このこのことについて、1990年代の「米の自由化」問題から始まった微妙な意識変化がひとつ参考になるように思う。
日本の天皇はその祖神が「天照大神」というくらいだから、太陽の光を帯びた存在である。
そして天皇の宮中で今も行われている神事は、農耕儀礼と密接に関わっている。
天皇が大嘗祭や新嘗祭でコメを神と食すと、新しい霊がみずからの中に入りこみ、新たな時代・新たな年を迎える、ということなのだそうだ。
柳田国男によると、日本人はもともと米をヨネといっていたという。一般の農民は普通(ケの日)にはアワ・ヒエ・ヒエなど食べており米を食することはめったにない。
神様へのささげものとしてコメがあり、農民はハレの日だけにヨネを食したのだという。
つまりヨネとコメを区別していたのだが、現在はすべてコメと言っているので、コメがささげものではなく「俗化」したことになる。
そしてその米(イネ)の成長を主宰する役割を果たすのが天皇の存在であり、天皇はコメ作りにおける様々な儀礼と密接に関わってきた存在である。
ということは日本人の米作りは、日本人のアイデンティティの一端を担うものであり、そういう点でアジアの米作りと一線を画してきたのである。
そうした意識は、1980年代まで日本政府は農民を過剰に保護して、国民は国際価格の何倍もする米を食べてきたことと無関係ではないかもしれない。
しかし日本のカラーテレビや自動車の集中豪雨的な輸出が世界的な非難を浴びる一方、コメの輸入自由化への圧力が増していった。
そして1993年に、アメリカの圧力などにより細川内閣はコメの「部分的自由化」をうけいれ、1999年よりコメの輸入関税化がはじまった。
この頃より、日本人はアジアのコメ(インディカ米など)を食べ始めた。
日本が無理にでも米つくりを保護していた時代には、日本人のナショナル・アイデンティがコメ作りにあるという意識は消えてはおらず、それと符合するかのように「単一民族説」が存在し、天皇の存在は世界的に見れば、完全にローカルな存在といってよかった。
ところが1980年代よりはコメ作りよりも、自動車や半導体の生産に日本人のものづくりの優位性があることを示すようになった。
また、アジアへの日本企業の進出に伴ない「日本人多民族説」が次第に主流となっていった。
当時、京都大学の梅原猛氏は日本人の基層にアイヌがあると唱えたが、それ以外にも日本人の基層が北方にせよ南方にせよアジアとの関わりが深いという学説が台頭してきたのである。
こういう学説は、日本人のアイデンティティの根源を必ずしも「農耕儀礼」には求めないという特徴がある。
そして、1980年代の自動車やICチップや家電などの製造業の優位性により、日本人が「米つくり」をアイデンティティの根拠とした時代は過ぎてしまった感があるが、「モノつくり」という点では共通している。
しかも、日本人が製造業で優位性をもったのも、実はコメ作りの過程で養った神経の細やかさや共同して作業をする「集団主義」があった。
つまり、日本の農村社会の生産態様が企業社会に持ち込まれ、「産業の米」と呼ばれた半導体に代表される精巧で不良品がない製品を作りだした。
そうしたモノを作り出す国際的優位性が、米つくりに代わって日本人のアイデンティテイ(誇り)を形成してきたのは、自然なことであったといえる。
さて、1980年代の京大の梅原猛らのアイヌ起源説の思想は、日本人はアジアとの繋がりを想起させるものであり、はからすも当時の国家戦略と合致するものであった。
1980年代に、アジアを日本製品をあふれさせて「環太平洋経済圏」を確立するうえでは適合しやすい考えであったからだ。
大野晋はインド南方やスリランカで用いられているタミル語と日本語との基礎語彙を比較し、日本語が語彙・文法などの点でタミル語と共通点をもつとの説を唱えた。
また江上波夫の「騎馬民族渡来説」という学説が脚光をあびたりして、天皇が「アジア的な色彩」を帯び始めた。
しかしアジア諸国にとって、それは必ずしも融和的色彩ではなかったようだ。
この頃からアジア諸国と日本のパ-セプション・ギャプ(認識のズレ)はとても大きくなっていった感じがする。
日本企業のアジア進出は、戦時中の「大東輪共栄圏」を連想させるものがあり、首相・閣僚の靖国参拝におけるアジア諸国の反応のあまりのスサマジサに、我々自身が愕然としたほどであった。
しかし、最近の日本は新興国の台頭により、日本人のモノつくりにおいて優位性を失い、新興国に海外市場は奪われつつある。
東京オリンピック誘致の際に、フランス系の滝川クリステルの語った「お・も・て・な・し」は、日本がモノツクリからサービスやソフト面にそのアイデンティテイの拠り所を移すシンボリックな表現だったのかもしれいない。
グローバル化の進展にともない、日本人のアイデンティ形成と天皇の存在はマッタク無縁なものになるのだろうか。
それとも逆に、その「象徴性」を強化する方向に向かおうとするのだろうか。
この国のカタチが問われている。
ともあれ天皇という存在は、日本人にとって「無色透明」のようで、外から見ると日本人が思う以上に「色彩」を帯びているを感じる。
戦争の時代、敗戦から高度経済成長、集中豪雨的な輸出攻勢の時代、バブルと崩壊後の低迷の時代、「おもてなし」の日本などソノ時々に刻々と「色彩」を変えていく存在に違いない。
そして、その変色に一番気づきにくのは日本人自身なのかもしれない。