個人情報を制す

先日、とある場所で週刊誌をめくっていたら「餃子の王将」の社長の写真が一面に出ていた。
亡くなったハズと思って「日付」を見ると、亡くなる2~3週間前の写真であった。
写真の横に、社長が毎朝一番に出勤して「一人」で会社の前の掃除をするのが「日課」であるというコメントが書いてあった。
ハットした。この週刊誌を「犯人」はキット読んだに違いないと。そして「個人情報」のコワサを思った。
この例は個人情報が「犯罪」に結びつくケースだが、政治も「個人情報」を握るものが「権力」を握る傾向があるのではないか、と最近思うようになった。
情報を制する者が世界を制するとはよくいわれてきたが、最近の動きをみると、この情報とは「個人情報」を指すのではないのかとさえ思えてくる。
今のロシアの大統領プーチンやアメリカの前の大統領ブッシュ(父)、古くはソ連のアンドロポフ書記長なども、CIAやKGBといった情報機関や秘密警察の出身であった。
こういう仕事に携わる者は、「世界情勢」ばかりか、誰よりも「個人情報」にアクセスできる立場にある。
つまり、権力を争う者の中で、誰よりも相手の情報に通じているということは、それだけで「優位」にたてるわけだ。
同時に自分の権力基盤をヨリ強固に保つためには、ますます「個人情報」を握ろうとする。それは、敵味方関係なく行われる。
そして、そういう仕事に携わってきた人間が「国の指導者」となれば、国家が必然的に国民についての「個人情報」収集につき垣根が低くナルのは理の当然である。
そういうことが、スキャンダルとして暴かれた事件が、ニクソン大統領当時の「ウォーターゲート事件」(1979年)であった。
ウォーターゲート事件とは、共和党の大統領ニクソンの側近が、民主党の選挙本部があるウォーターゲートビルに「盗聴器」をすえていたことが発覚したためにそのように呼ばれた。
しかしその一連の動きの中からホワイトハウスの内部にも盗聴器がすえつけられたことが発覚した。
大統領は、「身内」(側近)の動きについても神経を尖らせていたのである。
大統領がウォーターゲートの「潔白」を証明するために、議会よりホワイトハウス内に仕掛けられた盗聴器の「録音テープ」の提出が求められたのだが、そのテープには何箇所かの「消去」部分が発見された。
それが大統領への不信感を高める結果となり、大統領は最終的に「辞任」に追い込まれる結果となった。
日本で「個人情報」を「人心収攬」のために使った稀有な政治家といえば、田中角栄である。
隠れたベストセラー「国会便覧」には、大臣、次官、委員長名、議員宿舎、略歴、秘書名、常任委員会一覧表、各党委員会一覧表、各党役員名簿、衆参選挙得票、党内派閥、囲碁、将棋の有段者表、ゴルフのハンディまで記載してある。
田中は「国会便覧」を隅々まで記憶していたが、そればかりでなく、官僚の世界においても課長以上の官僚に対して個人情報を調べ上げた「リスト」をつくりあげていた。
生年月日、出身大学、学部から趣味は何か、結婚記念日はいつか、親しい人物、親しい政治家は誰かまで、十数項目にわたっていたとされている。
官僚の世界は入省年次別に構成されたピラミッドであり、その秩序は寸分の狂いもなく作られている。
彼らが一番嫌うのは、位階・序列を無視して、大臣や政治家が自分達の人事に介入することだ。
一時的に成功しても、彼は二度と役人の協力は得られなくなる。
官僚にとって有能な政治家とは、彼らが汗水たらして作った法案を陽のめに合わせてくれる政治家である。
田中角栄が33もの数の「議員立法」を手がけたのは、官僚を知り尽くして「手足の」ように彼らを動かすことができたからである。
秘書をつとめた早坂茂三にとって印象深かったのは、国会の守衛や運転手に至るまで家族情報なども記憶していて、ねぎらいやお祝いなどの声をかける田中の姿である。
そして早坂は、他の乗員に気づかれることなく運転手にチップを渡すタイミングまで教わったことを著書に書いている。
また田中角栄が、後藤田正晴という人物を「請う」て官房長官に任命したことも、権力を制することと「個人情報」を握ることがイカニ「近い」かということを表している。
後藤田正晴氏は警察庁長官として「個人情報」に通じた人物であり、したがって政治家や官僚の「弱み」を知り尽くした人物だった。
つまり後藤田は、「にらみ」をきかせることができる人であり、田中とは違った意味で、政界や官僚の世界を熟知し、意のママに動かすことができたのである。
後藤田は、東京帝大法学部を卒業すると、内務省に入省した。
戦後、1947年8月の警視庁保安部経済第二課長をきっかけに主に「警察畑」を歩み、内務省廃止後は警察庁に所属して「警察官僚」となった。
そして1969年警察庁長官に就任し、長官時代は、よど号ハイジャック事件(よど号乗っ取り事件)を始め、極左暴力集団によるテロ、ハイジャック、東峰十字路事件、あさま山荘事件、爆弾事件などの事件の対処に追われた。
そして1972年に警察庁長官を辞任し、同年7月、第1次田中角栄内閣の内閣官房副長官(事務)に就任し、田中の「懐刀」として辣腕を揮った。
政界では衆議院当選5回から6回が初入閣対象とされていたが、後藤田氏は、当選回数が少ないにも拘らず、田中派の中でも羨視をうけるほど「顕職」を歴任した。
例えば1979年11月、第2次大平内閣の自治大臣兼国家公安委員会委員長兼北海道開発庁長官として「初入閣」した。
この時はわずか当選2回で「異例の出世」であった。
橋本龍太郎は、後藤田よりカナリ年下だが、当選回数が自分より遥かに少ない事から、一時期「後藤田クン」と呼んでいたと言われている。
また、1982年11月、首班指名を受けた中曽根康弘に請われて、第1次中曽根内閣で内閣官房長官に就任し、内外を驚かせた。
首相派閥から選出することが慣例である内閣官房長官を「他派閥」から選出したことは異例であり、田中派が打ち込んだ「楔」ではないかと取り沙汰された。
宮沢改造内閣で法務大臣に就任した際、1993年4月、副総理兼外務大臣の渡辺美智雄が病気辞任したため、法相としては異例ながら「副総理」を兼務し、大物大臣として閣内において存在感を示した。
法相在任中は、1989年11月の死刑執行から執行停止状態(モラトリアム)が続いていたことについて「法治国家として望ましくない」との主旨の発言をし、1993年3月に3年4ヶ月ぶりに3人の死刑囚に対する「死刑執行命令」を発令した。
死刑執行当時、警察庁長官として事件解決に携わった連合赤軍事件の永田洋子と坂口弘の死刑が確定した時期であったことも注目される。
「カミソリ」といわれた官僚時代と異なり、法相就任後は「好々爺」の雰囲気をかもし出し国民からも親しまれた。
2005年9月、肺炎のため死去、91歳だった。

今や時代はインターネットやらスマホ利用によるコミュニケーションの時代、人々の日常生活の裏側には「ビッグデータ」が日々蓄積されている。
その気になれば、特定した人物の「日々の行動」でさえも筒ぬけで「把握」できる。
こういう時代に、権力者が情報機関出身などという「情報のプロ」なれば、自身の権力基盤の安定のために「個人情報」を使わないテはない。
世界中で、政府の要人や市民の電話盗聴を行っていた「疑惑」が報じられている。
しかし今に始まったことではない。
アメリカの「インテリジェンス戦略」は日本の地でも行われていた。
アメリカには「敵を知り尽くす」という「遺伝子」が備わっているかのようだ。
今年、アメリカが日本で占領期に行った「情報収集」のことが、明らかになった。
今年になって、およそ70年前、終戦直後の占領期間にアメリカが日本で行った大規模な「電話盗聴」や「郵便検閲」を行っていた事実を伝える「資料」が、憲政資料館で見つかったのだ。
連合国軍総司令部(GHQ)の秘密機関が、多くの「日本人」を使って、全国を行き交う手紙を秘密裏に「開封」し調べていた実態があきらかとなった。
そして、その作業を担っていた日本人4000人の「名簿」も明らかになった。
GHQの秘密機関は、終戦直後から1949年まで、日本の世論、「反米」の思想や動き、占領政策の効果などを知るのが目的であったらしい。
そしてGHQはこの事実を「徹底」して秘匿し、検閲に関わった多くの日本人たちも、「敵国へ協力」という「負い目」から、そうした体験は全く表に出ることはなかった。
しかし大学やマスコミなどが発見された「名簿」を元に当事者の証言を収集していった結果、アメリカの秘密機関による諜報活動の実像と、検閲を手がけた人たちの「苦渋」の思いとが明らかになった。
それによると、GHQの「民間検閲」部門は、占領下の情報統制のため新聞や雑誌のメディア検閲の一方、大規模な「郵便検閲」が実施されていた。
東京、大阪、福岡の検閲所などで4000人が従事したものの大半は日本人とされる。
GHQ側は、日本人検閲官に「日本人の生活や考えを知るため」と目的を説明し、業務を「口外」しないよう指示していた。
ある人物は大学在学中に、生計や学資のため「公募試験」を受け、検閲官となった。
トランスレーターになってから、ジュニア、ミドル、シニアと三段階を上がっていった。
入学試験のように長文の「和文英訳」の試験があり、その結果で分けられた。
レベルによって待遇は違うが、仕事内容に大きな差があったわけではない。
アトランダムに選ばれた手紙を「検閲」するので、英訳が難しいもの、易しいものという区別はなかった。
東京駅前の中央郵便局の中に検閲局があり、三階、四階、五階と三フロアを使っていた。
知り合いに声をかけるという方法が一般的だった。
学校には内緒で、10時まで学校に行き3時まで働き、また学校に戻る。
東京での「郵便検閲」は、個人信書は3階、法人関係は4階で行ったという。
3階には、検閲官が30以上の机に約10人ずついた。
管理職を除き大半が日本人で「無作為抽出」した手紙などを閲覧した。
彼らは、占領軍への批判や意見、米兵の動向のほか、復員、物価や食料難、公職追放、労働組合、企業の経営状態、政治や共産党の動きなどの事項を英訳した。
開封した手紙は「検閲済み」の文字入りテープを張り、郵便局に戻した。
一人の検閲官は「1日300通見た日もある」と証言した。
ピーク時約8700人いたとされるが、国立国会図書館所蔵の米国陸軍省関連資料によると、当時年間24億~30億通だった手紙などの国内郵便物は、年間で最大1億5000万通が「検閲」されたとみられる。
元検閲官は人の信書を開封した痛みはずっとある。生きているうちに敗戦の現実を伝えたい」と証言をす決意をしたと語っている。
そして、次のような実態を明らかにした。
初めに仕事の説明を受けて「この廃墟の中で苦しんでいる日本人をの生活を復興させるために、進駐軍は日本人の本当の姿を知る必要がある。
進駐軍が日本人の生活を把握するための大切な仕事だと言われた。
しかし、ここでやっている仕事のことは「口外」してはイケナイと言われた。
しかしそれは「裏切り行為」だという思いがつきまとった。
手紙を「開封」してみると、内容は田舎の人に東京は今こんな状態だとか、物価はどうだとか、そういうことを知らせる手紙が多かった。
なかには、皇室の方が女優に出したファンレターとかもあった。ただし、「皇室関係」は開けてはいけないことになっていた。
また結構多かったのは、進駐軍のことを批判しながらも、マッカーサーへ「感謝」の言葉を書いた手紙であった。
また、もの凄く濃厚なラブレターを読んで腰を抜かしたこともあったという。
検察官達が若き日に行った「検閲」は、今から振り返ると「戦争に負ける」ということがドウイウことかを思い知らされる体験であった。
自分たちのプライバシーがゼロになっても、それに対しても、何も言えないということであった。
ところでアメリカの進駐軍の中には、日本文学研究者のドナルド・キーン氏がいた。
キーン氏は「情報将校」として日本にやってきたのだ。
しかし、ドナルドキーン氏は、日本の情報収集にあたったアメリカ人の中でも「奇貨」というべき存在であった。
キーン氏が、日本人の心にふれた最初は、大学時代にたまたま古本屋で見つけた「Tale Of Genji」つまり「源氏物語」の英語版(アーサー・ウェイリー訳)であった。
厚さに比して安価だったというだけの理由でタイムズスクエアで49セントで購入したという。
そして「源氏物語」に深く感動し、漢字への興味の延長線上で日本語を学び始めると共に、コロンビア大学の角田柳作のもとで日本思想史を学び、日本研究の道に入った。
日米開戦によりアメリカ海軍の情報将校となったキーン氏は、日本軍捕虜の聞き取り調査をし、遺体から奪った日記や、手紙を訳した。
それらの手紙は血がついたり、異臭をはなつものが多かった。
翻訳は、日本軍がどのような現状に置かれているか、どのような戦争行動に出てくるのか、それを知るのが目的だった。
つまり、日本軍にとって何が有利で、不利か掴むためだった。
戦場に残った日本人兵士の手記を「翻訳」するうち、キーン氏は日本人の「こころ」にふれることができたのである。
そしてキーン氏は誰よりも、日本人の書いたものを「理解」しようと努力していた。
しかしそれはある意味で困った立場にあったともいえる。
何しろキーン氏は、敵国人の手記を読んでその「虜」になってしまったからである。
キーン氏は、それらの手紙から読み取れる「日本人の気高さ」に心を打たれてしまったのだ。
個人的に、昔見たあるアメリカ映画を思いうかべた。
若い泥棒が富豪の邸にはいり物品を盗むが、盗品の中に当家の夫人の日記があり、その日記を読みすすむうち、スッカリその夫人の「虜」になるという話であった。
その映画の原題は「Theft of Hert」つまり「心の泥棒」という映画であったと記憶している。
キーン氏は、311をきっかけに日本人に帰化されたが、2013年正月の新聞にドナルド・キーン氏の次のような文章が掲載されていた。
//初夢といえば「一富士二鷹三茄子」。日本人が愛する富士山を、私が初めて見たのは終戦直後の一九四五年十二月だった。横須賀から東京湾を横切り、木更津に向かう上陸用舟艇からだった。木更津で大型船に乗り換え、ホノルルに向かうことになっていた。  夜明け前で暗く寒い中、エンジン音が響く。私は旅立ちの感傷に浸っていた。すると舟尾の地平線に雪をかぶった富士山が突然、浮かび上がった。緩やかな稜線が朝日に照らされ桃色に輝く。まるで葛飾北斎の版画だ。光の加減で色が刻々と変わり、私は感動で目を潤ませていた//。
敵を深く知ろうとした「情報将校」ドナルドキーンは、敵に魅せられてしまった。
日本人の「個人情報」を制するつもりが、ソレに心までも奪われたのである。