時が満ちる

古代イスラエルには、主(神)に向かって賛美する聖歌隊や楽器を奏でる人たちがいた。
その中の一人アサフは、多くの賛美の歌をつくったがそれが旧約聖書の詩篇「73~83篇」である。
アサフは、神を賛美する人であると同時に、「社会的矛盾」に対して敏感な目をもっていて、神を軽んじながらも経済的に豊かで、何不自由なく生活をしている人々への思いを、その詩の中に注ぎこんでいる。
「神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵み深い。しかし、わたしは、わたしの足がつまづくばかり、わたしの歩みは、すべるばかりであった。これは、私が悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。
彼らには苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、 ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない。
それゆえ高慢は彼らの首飾となり、暴力は衣のように彼らをおおっている。彼らは肥え太って、その目はとびいで、その心は愚かな思いに満ちあふれている。
彼らはあざけり、悪意をもって語り、高ぶって、しえたげを語る」(詩篇73篇)
この詩は、アサフの神への切実な問いであるが、他の詩篇を見るとアサフはその答えを見出している。というよりも、神より答えをもらっている。
それは、彼らの栄耀栄華も「ある時」までは許されているということである。
そのある時が「彼らの罪が満ちるまで」だとしたら。
つまり、彼らが「裁き」において、弁解できないまで罪においておくという意味だとしたら、まるで神に立ち返ることさえ期待されていないのだとしたら、これほど恐ろしい言葉はない。
そして実際にこの言葉は、聖書の中のある場面で、神が発した言葉なのである。

聖書の中には「神の時/時が満ちる」というものを教えられるエピソードにあふれている。
その中でも創世記の「ヨセフ物語」は、人間の都合と「神の時」の違いを教えられる物語でもある。
父親ヤコブに深く愛された末っ子・ヨセフは兄弟の怒りをかい荒野の穴に置き去りにされた。
兄弟達が怒った理由は、ヨセフが「兄弟達が頭を垂れて自分にひれ伏す」という夢をみたことを公言して憚らなかったからでもある。
そして兄弟達は父親ヤコブに切り裂かれた服を見せて、ヨセフがライオンに食われたという嘘の報告した。
しかし、死んだと思われたヨセフは、隊商に発見されエジプトの役人に売られる。
そしてヨセフはその家で特異な能力を発揮して主人の信任を得て重用されるようになる。
ところが主人の妻に誘惑され、それを拒んだヨセフはその女の虚言により主人の怒りを買い、獄屋につながれるハメに陥る。
ある時、同じく獄屋に繋がれていた王家の料理番が奇妙な夢を見てフサイでいたところ、ヨセフはその不可解な夢の意味を解き明かした。
その夢とは自分の罪きことが明らかとなって解放される夢だったが、ヨセフの解き明かしどうりに獄屋より釈放された。
その料理番はヨセフに大いに感謝して王へのとりなしを約束するが、薄情にもヨセフのことをすっかり忘れて2年の月日が過ぎる。
ところがエジプト王が異常な夢を見て不安に慄いていていることを知った料理番は、ようやく獄屋に繋がれたヨセフのことを思い出し王にヨセフの特異な能力について語る。
獄屋から出されたヨセフは、王の夢がエジプトにまもなく起こる7年の豊作と7年の飢饉を示すものであることを解き明かしたのである。
そのヨセフの解き明かしに基づいて豊作の7年間に備蓄を行い、それに続く7年間の飢饉を乗り越えることができた。
この功績により、ヨセフはエジプト王の信任を得て、ユダヤ人でありながらエジプトの宰相となるのである。
さて、エジプトが飢饉当時にはユダヤも飢饉におそわれていたが、父ヤコブとヨセフの兄弟達は「エジプトの備蓄」のことを知り、食糧をえるためにエジプトに寄留しようと、その許可を請うためにエジプトの宰相(つまり末っ子)のヨセフに面会を求める。
かつて自分を置き去りにした兄弟たちの声を壁をを隔てて聞いたヨセフは号泣する。
その場面は「創世記」の最も印象的なシーンのひとつでもあるが、この時ヨセフは、父と兄弟との「再会」という肉親の情に突き動かされて泣いたのではないのではなかろうか。
それはヨセフがこれまで歩んできた波乱の人生のすべてが、神の意思で動いていたことを思い知って感極まったのではなかろうか。
ヨセフは神のはからいの「霊妙さ」にあらためて胸を打たれたのではなかろうか。
そして、自分を抑えることが出来なくなったヨセフは、ひれ伏す兄弟達に自分の身を明かすと、兄弟達は、言葉を発することもできないほどに、驚き恐れた。
そしてヨセフは次のように語った。
「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変わらせて、今日のように多くの民の命を救おうとはからわれました。それゆえ恐れることはいりません。わたしはあなたがたとあなたがたの子供を養いましょう」(創世記45)。
かくして、ヨセフが若き日に故郷で何度もみた兄弟がヨセフにひれ伏すという「夢」は正夢となったのである。
兄弟たちは、ヨセフを陥れた罪につき「ひれ伏し」詫びるが、ヨセフはこの時のために神が備えたことだからと、兄弟達のすべてを許して恨みをおくことはなかった。
この話は、深遠な「神のはからい」というものを教えられる。
しかし、ヨセフが獄屋に繋がれ、助けを頼んでおいた料理人が2年間も自分を忘れるなど、あまりにも残酷な時間の経過のように思える。
もっともヨセフは「夢見る人」(創世記37章)つまり幻を見る人であるばかりではなく、それを信じられる人であったがために、その長い時間も案外と耐えやすかったのかもしれない。

ヨセフ物語は、神のはからいによって、地を這いつくばって生きているような人間さえも、たちまちのうちに一国の宰相の地位にまで引き上げられることを示している。
その逆も真で、神は泥沼から引き上げもし、泥沼にツキ落としもする。
それを最も良く表すのが、BC6Cのペルシア王・ネブカドネザルで、神によって激しい「浮き沈み」を体験させられている。
ネブカドネザル王は、バビロンの王宮の屋上を歩いていた時に自らに語った。
「この大いなるバビロンは、わたしの大いなる力をもって建てた王城であって、わが威光を輝かすものではないか」。この言葉がなお王の口にあるうちに、天から声がくだった。
「ネブカデネザル王よ、あなたに告げる。国はあなたを離れ去った。 あなたは、追われて世の人を離れ、野の獣と共におり、牛のように草を食い、こうして七つの時を経て、ついにあなたは、いと高き者が人間の国を治めて、自分の意のままに、これを人に与えられることを知るに至るだろう」。
この言葉は、ただちにネブカデネザルに成就した。
彼は追われて世の人を離れ、牛のように草を食い、天からくだる露によって髪の毛は鷲の羽のようになり、そのツメは鳥のツメのようになった。
しかし「期」が満ちた時、ネブカデネザルは我に返ったように天を仰ぎ見て神を崇めると理性がよみがえり、ネブカドネザルに威光と尊厳とが戻る。
そして大臣・貴族らもネブカドネザルを求めるようになり、ネブカドネザル王の支配は、前にもまさって磐石なものとなったという。
この話は、「ダニエル書」4章にあるが、栄華の絶頂から、野の草をたべて生きなければならない事態となり、神を讃える者となった時、再び王位を回復するという体験である。
これによって、ネブカドネザルは、王を立てるのも廃するのも、神であることを教えられている。

ユダヤ人の民族としての体験は、神から定められたかのように、「時」と「期」(期間)によって区切られている。
ダビデ王の子ソロモンが書いた「伝道の書」はすべてのことに時があることを教えている。
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある」(伝道の書3章)。
さて、ヨセフの時代から、飢饉の続くカナンの地から多くのユダヤ人(ヘブライ人)がエジプトに住み着くようになる。
その数が増え、エジプト人との争いが絶えなくなると、エジプト王は、ユダヤ人の生まれてくる子をすべて殺せという命令を出す。
しかし、ユダヤ人のある夫婦が子供を殺すに忍びず葦でつくった箱舟に入れてナイル川に流す。
すると、その箱舟がエジプト王宮の仕え女の元に流れ着き、子供がほしかったエジプト皇女がその子をエジプト人として育てることになる。
その子は、モーセと呼ばれる。
ところがいつしか自分がエジプト人ではなく、ユダヤ人であることを知ったモーセは、王宮での空しい生活よりも、たとえ奴隷になっても神に選ばれたユダヤ人として生きることを決意する。
ところが王様気分が抜けなかったのか、ユダヤ人同士の喧嘩の仲裁にはいって人を誤って殺してしまう。
しかもそれを同胞に目撃されて、この場にいられなくなりミデアンの野に 逃れる。
モーセは、自分のミデヤンの地で結婚し、羊飼いとしての生活をして40年という月日がたつ。
おそらくモーセは平安にこの地で暮らし、そのまま終焉を迎えるつもりでいたであろう。
ところが人生も終盤になった時、突然に神の声が聞こえる。
それは「エジプト人の圧政下にあるユダヤ人の嘆き苦しみの声が聞こえるか」という声であった。
そして、その民を導き出せというのである。
年老いて口下手でもあるモーセは、当初そんなことが出来るハズがないと躊躇して一旦は拒むのであるが、神は「誰が口をさずけたが、神の御手の働きがわからぬか」とあらためてモーセを促す。
そしてモーセが口下手というならばと、口の達者なアロンという人物に補佐させる。
さて神の言葉の中で、モーセをエジプトに派遣する際に「エジプト人の「罪が満ちた」とモーセを派遣する点である。
そして、もう一つモーセが「紅海の奇跡」や「シナイ山での十戒」を経てカナンの地に入る際に40年もの間シナイ半島の砂漠をさまようことになるが、それは距離からすれば、そんな長い時間がかかるはずもない。
聖書には、昼は雲の柱、夜は火の柱が、民を導いた (出エジプト13)とあるが、早く帰郷したい人の都合からすれば、途方もない長い歳月がかかっている。
それでは、その40年という月日にはどんな意味があったのだろう。
それは、シナイ山での十のおきてをモーセが受ける際に、モーセがなかなか戻らないために「偶像崇拝」に陥った人々がほホボ死に絶えるに必要な時間である。
このことについては、新約聖書は次のように言っている。
「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、荒野における試錬の日に、 神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。
あなたがたの先祖たちは、そこでわたしを試みためし、しかも、40年の間わたしのわざを見たのである。
だから、わたしはその時代の人々に対して、いきどおって言った、彼らの心は、いつも迷っており、 彼らは、わたしの道を認めなかった。
そこで、わたしは怒って、彼らをわたしの安息にはいらせることはしない、と誓った」(ヘブル人3章)。
しかし、この長い放浪にはもうひとつの理由がある。それが冒頭であげた「彼らの罪が満ちるまで」ということである。
ユダヤ人はそれまでエジプトに400年以上も寄留し、しかもシナイの沙漠を40年もさまよっている。
モーセから遡ることおおよそ15世紀、神はアブラムに次のような預言を与えている。
「あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを4百年の間、悩ますでしょう。しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう。あなたは安らかに先祖のもとに行きます。そして高齢に達して葬られるでしょう。4代目になって彼らはここに帰って来るでしょう。アモリびとの悪がまだ満ちないからです」(創世記15)
その後の歴史は、神がアブラハムに示したとうりの展開になるのだが、これだけの長い時間エジプトに寄留したりシナイの砂漠をさすらったのは「アモリ人の罪が満ちていないからだ」というのである。
つまりアモリ人の罪が満ちるまで、ユダヤ人はアモリ人を攻め滅ぼすことを許されなかったのである。
ちなみに、アモリ人とは、ユダヤ人がエジプトに寄留している間に、カナンの地(パレスチナ)に住み着いた人々の総称である。
それにしても「アモリ人の罪が満ちないから」とはナントいうことあろうか。
そして、ユダヤ人で偶像崇拝をした世代が死に絶え、アモリ人の罪が充分満ちたタイミングで、モーセの後継者ヨシュア率いるユダヤ人はカナンの地にはいりアモリ人を攻め滅ぼすである。

「バベルの塔の物語」(創世記11章)でみるとうり、人々が「我々は塔をつくって名をなそう」ということであった。
神は、人間がロクなことを考えないので、人間同士の意思の疎通を阻むために互いの言葉がわからなくしたとある。
ところが今のグローバル社会は、言葉の障壁を越え、世界中が同一基準で運営されるよういなり、新たな「バベルの塔」を築かんとする勢いである。
それは言い換えれば、格差と貧困に満ちた世界であり、古代イスラエルのアサフが感じたような「不条理」を感じさせる世界である。
心ある人ならば、神はイツまでこのような事態を見過ごしておられるのか、という思いにカラレルだろう。
しかし聖書は、神は憐れみ深いと同時に、「罪が満ちる」までは手をくださないことを教えている。
それは、イエスの語った次のたとえ話とも符合している。
「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
僕(しもべ)たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」(マタイ13)。
さて、聖書は神と人との契約の書である。つまり固い約束の書である。
紀元前12世紀頃、ユダヤ人がカナン(パレスチナ)の地に帰郷した時の争いは、1948年イスラエル建国によって追い出されたパレスチナ人との現代の紛争と全くアナロジカルで、約束(預言)されたことだった。
人の一生は、神が長い時間をかけて聖書の預言を実現されることに気がつくには、あまりにも短がすぎ、加えて人間は、目の前のことにハマリすぎる傾向がある。
また人は、自分の狭い囲いの中でしか時の良し悪しを判断できないので、なかなか「神の時」を待つことができない。
そこで聖書は「遅くあらば待つべし」(ハバクク書2)という、単純だが力強い言葉を語っている。