ロボットと弁士塚

30年も前に見た映画「ロボコップ」の中のワンシーンをいまだに忘れない。
タイトルとなった主人公名の「ロボコップ」を訳すと「ロボット警察官」となるが、正確に言うと半人半ロボットのサイボ-グである。
半分ロボットなので、破壊力は通常の人間よりも優り、人間の警察官が踏み込めないような危険地帯にも踏み込んでいける。
そのロボコップの敵となる超ド級ハイテクロボットがビルの階段にさしかかかった時に、バランスをくずして転がり落ちていくシーンがあった。
このワンシーンは、今から三十数年前のロボット技術の「弱点」を的確に表していた。
当時のロボットは、産業用のそれにみられるように手の滑らかな動きを実現し、視覚、聴覚、触覚などの感覚もある程度人間に近い能力を身に着けていた。
ただロボットが「人間のように」歩くことが、どうしても実現できずにいた。
早稲田大学の加藤教授が開発した歩くロボットは、倒れることなくイッポ歩くのに20秒ぐらいかかっていたと思う。
我々が無意識に行う「歩く」ということはそれほどスゴイことだったのだ。
近年、ホンダが開発したロボット「アシモ」などは、二足歩行が完全に実現している。
また最近、段差や階段の歩行も可能となったというニュ-スを聞いた。
ところで、ホンダ「アシモ」の開発は、当初4人でスタートした。
人間の歩行には、どちらかの片足に重心がかかる「静歩行」だけではなく、重心がいずれの足にもかかっていない「動歩行」の瞬間があるそうだ。
この「動歩行」をどう解釈し、ロボットに植え付けるかが一番大きな難問となった。
4人はリハビリセンターに行って自ら実験台になったり、体の節々に目印のシールを貼って飛んだり跳ねたりした。周りからはとても変なことをする集団だとみられていた。
それでも、人間が歩くとはどういうことを少しずつ解明していった。
動歩行の際に、足指の付け根や踵の付け根が体重を支えていることや、足首が前後左右に曲がるお陰で体が安定し、路面との接触感がもたらされること、膝や股の関節は階段の昇降やまたぐ動作に欠かせないことなどがわかってきた。
しかしこうしたひと型ロボットは、予測できない不整地では歩けない。実際に福島のがれきが積み重なる事故現場で転倒しやすく使えたものではなかった。
それはロボット技術者に新たな課題を突きつけたが、東大助教授のポストを捨てて起業した二人の技術者によって、高速で動く強力なモーターと、どこに足をつけばよいかを瞬時に計算するソフトが開発された。
しかしアメリカのグールがこの会社を買収したことが伝えられた。

近年は、「頭脳的」なロボットの発展がめざましい。
30年前に、あるレストランで、弾く者もいないピアノの鍵盤が動いて曲を奏でているのを見て唖然としたことがあったが、今ならそんな技術ナンテ誰も驚かない。
「無人化」という点から見て、東京お台場の「新交通システム」はそれに近いものがある。
つまりユリカモメの運行のすべてをコンピュータが制御していて、運転者がいないばかりか、駅員などもアマリみかけない。
そして今、自動車業界では「自動運転」が話題となっている。しかし本当に目的地までコンピューターが運転して導いてくれるのだろうか。
この場合、まず考えなければならないのは「自動運転」の定義で、専門家は決して「無人で走るクルマ」を想定していないということである。
それが出来るのであれば、そもそも免許をとる必要もないし、高齢者や身体に障害がある人を車がひとりでに運ぶことさえできる。
今のところ、ドライバーは自動車は走る状況を「監視しながら」利用できる自動運転車が当面のゴールであり、このレベルの自動運転は2020年ごろの実用化を目指して開発が進行中であるという。
アメリカも自動運転をレベル1からレベル5へと「五段階」に分類している。
加速とブレーキ制御からハンドル制御へと段階があがり、その段階に応じてドライバーの責任も変わってくることになる。
なお、欧州では大枠のガイドラインとしてドライバーが監視役として責任を負うシステムを「自動運転」、完全な無人自動を「自律運転」と定義し、路車間、車車間で通信するインフラと繋がるシステムを「協調運転」と定義している。
しかし現段階でもすでに、エンジンや変速機、あるいはハイブリッドなどでは複数のコンピューターが大活躍しているし、衝突安全でも予防安全でもハイテク技術が使われている。
最近は「ぶつからないクルマ」がコマーシャルで宣伝されているが、そこには一体どんな技術が使われているのだろうか。
コアとなる技術は人間の目の代わりをするセンサーで、もっとも安価で軽自動車にも採用されているのがレーザーレーダーである。
レーザー光を使って目標物をスキャンして認識する仕組みで、この技術は測定距離が短いので時速30Km/h前後までの使用に限定している。
また、雨や霧に弱いという弱点もある。
このような技術が実用化しているので、障害物を検知し、コンピューターが自動的にブレーキかけて止まることが可能となった。
これから期待される技術がカメラ認識で、日本はこの分野では非常に強い技術を持っている。
ある日本の自動車メーカーが開発したステレオカメラはクルマや歩行者を認識し、多くのユーザーに人気がある。
しかし、カメラは人間の目と同じで暗いところは認識が困難になるので、赤外線を使って人間の体温を検知したり、近赤外線を照射しカメラで認識する技術も普及している。
ここで、基本的なことはドライバーにリスクを知らせるということにある。
道路の白線も認識できるので車線逸脱を警報したり、車線を維持することも可能である。
ハンドル機能と連携することで、加速・ブレーキに加えて、ハンドル操作の自動化も見えてきた。

現在、人工頭脳とモーターという筋肉が結びついて、ロボットは人間のパートナーになりつつあるといってよいかもしれない。
だからといって、ロボ介護士、ロボ歌手、ロボメイド、ロボ犬などの「ロボット仲間」に囲まれる、またはなんにでもなれる「マルチロボット」と共に生活するなどというのはアマリにも空想にすぎるかと思う。
人型ロボットを想定するかぎり、ロボットの必要性はそれほどあるとは思えない。
むしろ気になるのは「無人兵器」(プレディター)などといったもので、実際の戦場で使用されるようになったことが伝えられている。映画「ターミネーター」に登場するような「ロボット兵器」も開発が進んでいるという。
これは、高度な人工知能によって兵器が自分で攻撃の判断をする「自律型ロボット兵器」と呼ばれているもので、これは「無人攻撃機」とは根本的に概念が異なるものである。
アメリカが保有している「無人攻撃機」は、有人の兵器では近づけない危険な場所でも作戦ができるという強みがある。
パキスタンでの対テロ作戦では多くの民間人が攻撃の犠牲になり、大きな問題となった。
この無人攻撃機は人間による「遠隔操作」によって攻撃判断をする。
今開発中の「自律型ロボット兵器」は、目標の選定から攻撃の実行まで「人工知能」が判断するので人間の意思は介在しない。
そこで、国際人権団体などは「人の生死にかかわる重大な判断を機械にさせてはいけない」と強く批判している。
例えば、攻撃の標的が、戦闘服をまとわされただけの子供だったとしたら、機械は「子供だ」と判断できずにソノママ攻撃してしまうかもしれない。
また、誤射や誤爆が増える可能性があるし、さらに自国の兵士が危険にさらされない。
また、国の指導者が安易に軍事攻撃に走り、戦争の敷居が低くなってしまうことも懸念される。
ここまでいかなくても現実に戦場での実用化に近いのは、兵士の運動能力を飛躍的に高めるロボットスーツである。
例えば重装備のときは、防護服を着て重火器を酸素ボンベを背負うことになる。だからそれらの重みを軽減するアシストを持つロボットスーツが必要なのだ。

東京圏に新幹線が入ってき、目につくのは川崎や大田区あたりの広大な工場群である。
高いビルといえばせいぜい4階ぐらいしかない。
ここを新幹線は比較的ゆっくりしたスピードで20分ほどで通過し、東京の新橋・丸の内のオフィス街に到着する。
誰かがこの街で「○○」を作って欲しいというメモを紙飛行機にして飛ばせば、数時間のうちに「完成品」がとどくといわれるほどに、「モノつくり」の精神に溢れている地区ということである。
ただ見た目は小さな工場の集まりのようであるが、こうした小工場の中には産業用ロボットの精巧な部品をつくるなど、世界的な技術を持っていると聞く。
池井戸潤氏の「下町ロケット」にみるように、工場群が宇宙産業で使うような精度の高い技術を生み出してきたことは巷間に知られているようになった。
さて、そうしたものつくりの技術が超高齢化社会の日本で生かされたら、さぞや大きな「強み」がうまれるようにも思う。
具体的にいうと「介護ロボット」や「介護スーツ」の発展は、日本は今世界の技術をかなり先行していると聞く。
文化的な背景をいえば、神の被造物たる人間が人間に似せたものを作り出すというのは、一神教のキリスト教文化の中で、ある種の抵抗感があるものらしい。
ロボットは人間に似るにつれて親しみをますが、あるレベルを超えて似すぎると「不気味」を感じて親しみ度がガクンと落ちるらしい。
早稲田大学のロボット工学の権威が、アメリカでヒュ-マノイド(人型ロボット)の研究をしているだけで、「脅迫状」が舞い込んだという話も残っている。
一方、アニミズム的世界観を生きる日本では、ロボットの中にも「魂めいたもの」を認めるのか、ロボットに親しみをこめて「モモエちゃん」「ハナコちゃん」と呼んでいた。
イスラム教の社会では、人形を持ち込むことさえも禁止されている為に、「アシモ」なんかが町を歩いていたら、一体どんな暴動がおきることかと思う。
日本におけるロボット開発の抵抗感のなさは、「鉄腕アトム」という漫画を生んだことにも表われているかと思う。
しかしその一方で、ロボットの未来を阻むのも、独特な日本の社会文化的背景ではなかろうか。
最近の新聞で「ヒト型商品化、展望欠く日本」という記事があった。
ロボット製作は多数の省に関連があるので多数の省へ出向き、認可を貰わなければならない。
特にロボットとぶつかった時の安全面などに課題が残り、せっかく技術を開発しても撤退せざるをえないケースがある。
これが難しく時間がかかり煩わしすぎるものである。
また、電気メーカーの経営悪化という経済的側面と少しでもリスクがあると躊躇する企業文化に問題がある。
ソニーが1999年に世界初の家庭用ロボットとしてイヌ型の「アイボ」を発売し、翌年には二足歩行の人型ロボット(後に「キュリオ」に発展)を発表した。
ホンダも前述の「アシモ」を2000年に発表したが、アイボは15万台を売れるヒット商品となった。
しかし日本のロボット産業はこのころを頂点として精彩を欠いている。
ソニーの「アイボ」は06年に撤退し、ホンダ「アシモ」もPR用が主で実用化にはほど遠い。
先日、オバマ大統領とボール蹴りをするなどのことをしたが、実はそんなこと以外の使い道が見つかっているわけではない。
一方、アメリカでは地雷探しなどの軍事用から生まれた掃除ロボット「ルンバ」や、液晶画面を頭につけて自由に動き回って離れた場所の人とやりとりができる「Ava500」などが実用に役立っている。
この「分身ロボット」は、社長が出張中であっても、遠隔操作でその顔が社内を歩き回って社員と会話もできるというものだ。
それほど高度な技術が使われているとは思わないが、実際の職場で大いにに役だっているし、何も人型にこだわる必要もない。
結局、日本のメーカーはヒト型ロボットにこだわった結果、ロボット産業におけるリーダーの座を失った。
価格を含めての消費者のニーズに応えていないということだ。
福岡県宗像の町工場で人に役立つロボット製作をしている人が「テムザック」というロボットを発明した。
高齢者に役立ち、しかも何か異変が起きたらすぐに遠隔地に映像を送れる医療・介護ロボットである。
社長はこの商品をデンマーク政府へ売り込み成功し、香港やシンガボールから熱烈なオファーが来ている。
氏が希望すれば、香港やシンガポールでは最高の環境を用意するのだろうが、日本ではまだ認可が下りていないという。
かつてダイエーの中内会長の言葉を思い出す。
ひとつの店をだすだけで、17の法律が関係し、45の許認可をうけねばならず、200件の申請書が必要になり、各庁・地方自治体の担当者との交渉にかかる人件費は、業界全体で年間500億円にのぼり、このような事務コストわかりやすくえば「規制のコスト」は、結局は価格に上乗せされ消費者が負担することになるのである。
日本人は「モノつくり」に優れた能力があるのに、これでは生かしきれない。
またあまりに複雑で高機能を備えた製品は新興国では高くて売れないし、使ってももらえないのだから、性能を上げるだけがイノベーションではないのである。
そこで最近の流れで注目したいことは、新興国にはその「廉価版」を売る「逆まわりのイノベーション」というものである。
アメリカのスティーブジョブスは「まず消費者が求めているものを考えてから技術開発に向かう。技術開発をしてから、さてどうやって売ろうかではだめである」と語っている。
単純なロボットで市場を切り開いたアメリカと夢の技術を追い求め、商業化の前で足踏みする日本とは好対照である。
個人的な推論で反発されそうだが、日本が世界に誇る「スーパーオタク」のコミュニケーション力のなさが原因のひとつではないかと思っている。
つまり使う側の立場にたてないということだ。

最近のロボットの発展をみて、数年前東京の浅草寺境内で見つけた一つの「石碑」のことが脳裏をよぎる。
その石碑とは「映画弁士塚」というもので、一時代を飾った「花形」であったにもかかわらす、トーキー(音声映画)の出現とともにソノ役割を終え、マルデ泡沫のごとく消えていった「映画弁士」の名前を記した記念碑であった。
「映画弁士塚」には、明治・大正期において無声映画が盛んだった時期の活動写真の弁士100余名の名が刻まれ、1958年、当時の新東宝社長・大蔵貢により建立された。
「題字」は当時の鳩山一郎首相が書いている。
トーキーの出現が、弁士たちを無用の存在にし始めたのは、1930年代初期のことである。
ソレマデ映画は全てサイレント(無声映画)で、それに説明を加える「活動弁士」は、映画の主演俳優より以上のスターであった。
映画館は有名な弁士を専属に抱え、その名を謳い観客を集めていた。
つまり、弁士の「良し悪し」は即観客動員に影響したのである。
大正から昭和初期にかけての最盛期には、全国で数千人もの活動弁士が活躍していたという。
当時はアコガレの「花形」職業であり、活動弁士を志す人も大勢いて、養成所もできた。
しかし、活弁が隆盛を極めたのは、日本映画史のなかでも非常に短い期間にすぎなかったのである。
トーキーが日本で初公開されたのは、1929年の5月で、スクリーンから直接に、モノ音や音楽や人間の言葉が飛び出してくるということは、夢想ダニしなかったことであった。
観客は以後トーキーの虜になってしまい、弁士がクビになるのは「時代の趨勢」であったといえる。
弁士達の中で、「時代の趨勢」と諦めてサッサと転職した人もいたが、ソノ多くは時代の波に抗って戦い抵抗した人々もいた。
黒澤明の実兄にあたる須田貞明のように転身を図ることもできず、ストライキによる「待遇改善」の要求に失敗し、精神的な挫折から自ら命を絶つ者さえもいた。
これから「安価なロボット」が普及していくことは、中小の製造業や物流、医療機関などで雇用が減ることを意味する。
将来、日本の仕事人の為に「○○」塚でも建てなければヤリキレナイ社会というものを、果たして我々は望むべきだろうか。