鉄道「二話」

韓国で就学旅行の生徒を300名近く乗せた船が沈没したという悲痛な事件が伝わっている。
特に、沈み行く船から家族とのメールのヤリトリは聞いていても、見ていてもつらいものがある。
1955年宇高連絡船・「紫雲丸」(客貨船)に、同連絡船・第三宇高丸(貨物船)が衝突し、「紫雲丸」はわずか4分で沈没した。
死者・行方不明168名は、タイタニック号沈没、洞爺丸沈没に続く当時「世界第三番目」の海難事故となった。
「紫雲丸」の犠牲者168名の中に修学旅行中の高知市の小中学校児童生徒100名がおり、亡くなった生徒の多くが船室に戻って学校のカバンをとりに戻ろうとしたため死者を増やしたともいわれる。
こうしたことをきかっけに、高知県から「教科書無償化運動」が始まった。
高知県といえば自由民権運動の発祥地の一つであったが、この件でも「人権の歴史」を刻むことになった。
そうえいば、1988年上海列車転覆事故で高知学芸高校の修学旅行で多数の死傷者を出したこともあった。
なお、「紫雲丸」の船長は最期まで船橋で退船指揮をとり殉職している。
さて、JR北海道が基準を超えたレールの幅などを放置していた問題で、重大なトラブルが続出していて会社の体質が厳しく問われている。
多くの修学旅行生が利用する路線だけに、果たして改善方向にあるのかと心配になってくる。
問題の根深さは、鉄道の安全を守る4つの部門すべてで大きなトラブルが起きていることだ。
多数のレールの異常を放置していたのは線路の保守を受け持つ「工務部」である。
また、特急列車での出火が4件起きているが、これは「車両部」の管轄である。
さらに変圧器の故障で広い範囲で列車が止まったのは「電気部」の不始末で、運転士が列車の安全装置を壊した問題や、また運転士が覚せい剤を使用していた事件は「運輸部」の不祥事である。
2012年に大事故を起こし国土交通省が「業務体制」の改善を指示したが、国からの支援強化を受けて「安全の確立」を誓ったにもかかわらず、その後も重大なトラブルが続く。
特にレールの問題では法令さえ守られていないばかりか、その調査報告にさえも「虚偽」があった。
しかもその間、社長が2人も自殺ということだから、一体この会社にはドンナ「異常性」が巣くっているのかと思わざるをえないところだ。
調べてみると、JR北海道にはイクツカの「特殊事情」があることがわかった。
まず第一に、北海道は九州と較べると人口は4割しかいないが、JR北海道はJR九州より長い路線を抱え、多くが「赤字路線」ということである。
しかも厳しい自然条件のために路線の維持に多くのコストがかかる。
JR北海道は、26年前の国鉄分割「民営化」で株式会社になったが、株は事実上すべて国が持っている。
そのうえ「赤字路線」が多く鉄道事業だけではとてもやっていけない。
国からもらった基金の「運用益」で、鉄道事業で出る年300億円もの赤字を埋めて、なんとかやり繰りしなければならない。
それで「本業以外」のものに手をだすわけだが、それがホテル経営などである。
北海道旅客鉄道は、「JR北海道ホテルズ」という名称でグループを構成している。
JR北海道ホテルズ株式会社経営(JALホテルズとマネジメント提携)/JRタワーホテル日航札幌/ホテル日航ノースランド帯広/などを経営している。
ホテル経営の副業の方が儲けが出るとなれば、展望がひらけない本業にアンマリ資源を向かわせるわけにはいかない、ということにもなる。
そしてほかの鉄道会社との競争もなく、また国の保護で成り立っているがために「ぬるま湯的」な体質が出来上がることなる。
こうみると、確かに「組織全体のモチベーションがもちにくい」というのが実情であろう。
さて、問題の発端となった事故は2011年5月、石勝線のトンネル内で起きた特急列車の脱線炎上で、79人がけがをした事故であった。
乗務員の避難誘導が遅れ、乗客たちは自らの判断で脱出したが、多くの死者が出てもおかしくない事故であった。
会社が抱える構造的な問題として3つの点が指摘される。
まずは、中核になる技術者の不足があげられる。
社員の年齢構成をみると40代が極端に少なくなっていて、27年前に国鉄から民営化された前後に採用を抑えたためである。
鉄道の安全は今も現場の技術者の「経験」と「勘」によって支えられている部分が大きい。
しかしJR北海道では中堅層が薄いため現場のリーダーとなる技術者が少なく、若手への技術の継承も進んでいない。
「列車の炎上」は、直接の原因はエンジンの部品が落下して燃料タンクを壊し引火したためであった。
その部品の落下は、経験を積んだ技術者であればこの状態を一目見れば気づき、すぐに表面を削る対策を取っていたはずという。
第二に、「本社と現場の断絶」があげられている。
さらに、列車が出ると赤になるはずの信号が青のまま変わらないトラブルが4件続いた。
その間も列車の運行は続き、衝突事故につながってもおかしくなかった。
これは「列車の運行中には信号工事は行わない」という安全の鉄則が守られていなかった。
そして、最初に異常を見つけた社員が重大な問題と考えずに報告しなかったうえ、社員同士の「引き継ぎ」も十分でなかったといえる。
レールの補修の情報を現場から本社に報告する仕組みがなく、本社は異常の放置を把握していないなど情報の共有がうまくいっておらず、社内の人間関係にも異常を感じるところである。
実は、JR内部の組合の対立関係もからんでいることが指摘されている。
やや週刊誌的知識だが、JR北海道労組は「革マル派」によって支配され、合法的サボタージュ、管理職の吊るし上げ、指示の無視なども横行しているという。
問題の発端となった4年前の特急が脱線・炎上では、事故処理に奔走していた社長が自殺した。
遺書には社員に宛てて「お客さまの安全を最優先にる」ということを常に考える社員になっていただきたい」 というメッセージが残されていた。
かつて山崎豊子が書き映画化された「沈まぬ太陽」を思い浮かべるが、渡辺謙が演じるところの恩地元は、元日本航空労働組合委員長・小倉寛太郎がモデルである。
ちなみに小倉氏は2002年に亡くなっているのでコノ映画をみることはなかった。
作家の山崎は小倉を千数百時間も取材しており、相当な執念でこの小説を書いている。
そして「国民航空」において、ものも言わず馴れ合いの雰囲気をつくったのは、労働組合の組合長を露骨に「職場配置」かえして、労使関係の「正常化」の美名のもとに御用組合を作ったところに一つの原因があったといえる。
そして「沈まぬ太陽」では、主人公・恩地の内面の葛藤も描かれていた。
モデルとなった小倉は東大法学部出の俊才だが、第一回の駒場祭を主催するなどをした行動派の学生だった。
日航入社後は、先鋭的な団交にのぞみ大幅な「待遇改善」を勝ち取るのだが、カラチ、テヘラン、ナイロビと10年におよぶ「懲罰人事」をくらったり、その間に第二組合が出来るなどといったところは、フィクションとはいいながらも、事実と重なるところが多い。
恩地が「正義」を貫こうとすればするほどで、家族を犠牲にして苦しめていることを懊悩するシーンは人々の共感をよぶ場面であった。
ただ小倉は、小説で描かれたような御巣鷹事故の「遺族係」をしたことはない。
そして小説は事実ではないという会社に対して、小倉は「この小説で白日の下にさらけ出された、組合の分裂工作、不当配転、昇格差別、いじめなどは、私および私の仲間達が実際に体験させられた事実だ」と語っている。
そして小倉は「ナイロビ左遷」によって、動物や自然と出会い動物写真やエッセーの作者としてよく知られるようになる。
そして、自分で獲物をとることを忘れた動物園の虎は精気を失っていると喩え、親方日の丸の「国民航空」を批判している。
さて、JR北海道の第三の問題は、お金の問題である。
JR北海道は経営を効率化し人件費の負担を減らすために社員を減らしてきた。
会社側は「現場の要員は足りている」としているが、現場からは「人手が足りない」という声があがっている。
ある労働組合幹部は「本社は現場まかせにして、現場は人手と予算が足りずに補修が追いつかず、本社に増員や予算を求めてとりあってもらえないので報告もあげずに放置するようになったのではないか」という。
国も財政支援を大幅に強化していいるが、そのお金が真摯な「安全管理」にむかず、「ぬるま湯」体質のみを育てる結果となっている。

2004年「スウィングガールズ」(Swing Girls/上野樹里主演)は 東北の片田舎の落ちこぼれ女子高校生がビッグバンドを組んで、ジャズを演奏する青春映画である。
キャッチフレーズは「ジャズやるべ!」で、ロケは山形県置賜地方を中心に行われ、セリフも山形弁が使われた。
長井の地名は「水の集まる所」に由来しており、山々の無数の沢から川に注ぎ、市街地には今も網の目のように水路が走っている。
さらに、長井には歴史的建造物が多く、その建造物が美術館になっている場所もある。
「スウィングガールズ」では、爆睡して演奏会に遅刻しそうになった女子高校生が乗ったのが「山形鉄道・フラワー長井線」である。
山形鉄道は、国鉄改革にともない特定地方交通線に選定された長井線の経営を引き受けるために設立された山形県や沿線地方自治体等が出資する「第三セクター」の鉄道会社である。
そして南陽市の赤湯から、川西町、長井市を通り、白鷹町の荒砥までの片道約30キロメートルを1時間ほどかけて結ぶ。
女子高生が睡して乗り過ごした中央駅は「赤湯駅」で、乗り過ごした後に降りた中央西駅は「梨郷駅」だという。
そして車内でも、読み聞かせ列車やハロウィン列車など、様々なイベントが行われてり、車内や車窓には遊び心があり、子供から老人まで、見てよし、乗ってよしのユニークなローカル線である。
そして、南陽市にある宮内駅の駅長が「もっちぃ」という名のうさぎであることから、車体にうさぎの絵がラッピングされている。
さらに宮内駅から徒歩10分の場所にある「熊野大社」の本殿裏には、三羽のうさぎが隠し彫りされている場所がある。
すべて見つけた人は願い事がかなうと言われているので、「恋の成就」に訪れる女性が多いという。
そして、長井には白兎(しろうさぎ)駅という「無人駅」があり、この白兎地区にある葉山神社では、狛犬のかわりに狛兎が出迎えてくれる。
フラワー長井線は、なんといっても田園風景が魅力で、沿線に花の名所が多いことからその名がつけられた。
そういえば、岐阜県で自分の路線に桜を植えた車掌の話を思い出した。
当時はワンマンバスではなく、車掌が同乗していた時代の話である。
その人がバスの車掌になったのは、昇進が早いからという理由だったらしいが、周りの同僚にオマエはイイ男だから「俳優」になってみないかといわれた。
ついノッカッて、整形手術までして映画会社を受けてみたが、受けた全ての映画会社を落ちてしまう。
恥ずかしいやら憎らしいやらで、車掌の仕事にも「喜び」も見出せず、身が入らなくなった。
ところが或る時、ダム建設で川底に沈む村で、たまたま桜の移植を記録する写真撮影を頼まれた。
そして、移植に成功した桜に涙を流す人々の姿を目撃して、自分の乗車するバス道りを「さくら道」にしようと思いはじめた。
桜の花にこれほど人の心を動かす力があることを目撃した車掌は、休日に、給料をハタイテ桜の木を植え始めた。
その間車掌さんの心の中にも大きな変化がおきた。
「俺のシャツはだぶだぶだ。このシャツの中から、まだ一着はつくれそうだ。みんなのように、りんりん、つんつんしていない。車掌とは人間が和んでゆく温かいこまかな感情を客にむかって思いださせてくれる人でなくてはならぬ。」
車掌は以前とは別人のように客に接するようになり、みんなに愛される「名物車掌」となっていく。
顔をつくり、顔を飾ることで「スター路線」を目指した車掌が、桜でバス路線を飾ることに気持ちを切り替えた。
そしていつしか「太平洋と日本海を桜でつなごう」と思い立った。
そして名古屋と金沢を結ぶバス路線伝いを中心に、12年間で2000本の桜を植え続けた。
1977年に47歳で病の為に亡くなっている。
さて話を元に戻して「赤字続き」のローカル線であるフラワー長井線は、ホボ廃線がきまっていた。
そんな状況を一変させたのが、新入社員である松山愛さんである。
松山愛さんは全く鉄道の知識が無く、就職の面接でも「駅に動物園を作りたい」と方言丸出しでそのことばかりを話し続けた。
自分でもとんでもないアピールをしたと後悔し、「不採用」とばかり思いこんでいたら、彼女はナント採用されることになったのである。
実は松山さんは農業高校を卒業後、一度は保母さんになるが人間よりも動物の方が好きなことに気がついた。
何しろ「牛の堆肥」の匂いに幸せを感じる女性であった。
フラワー鉄道の採用担当者の中に、あんな夢をもった人間ほど、今のこの会社に必要ではないかという人がいたのである。
そして、松山さんは夢をかなえるために、どこかの駅で実現している「猫駅長」を参考にして、宮内駅の駅長になんと「白ウサギ」を就任させたのである。
フラワー長井線には「白兎」という駅があり、最初は白兎駅に白うさぎを置こうと予定していたが、無人駅で 待合室が狭いなどの理由で却下になった。
そして次に候補に挙がったのが宮内駅で、白うさぎとは何の関係もなさそうな宮内駅にうさぎを置くことの理由がすぐには見つからなかった。
ところが宮内駅前のソバ屋さんから駅の近くの熊野神社に3羽のウサギが隠し彫りしてあり、その三羽を見つけると願いごとがかなうという話を聞き、白うさぎを駅長にしようと考えたという。
そしてこのソバ屋さんの亀の「カメ吉」も部下に加わったのだという。
宮内駅には、駅長のもっちぃ、助役のかめ吉、駅員のぴーたーとてんの3羽のうさぎが勤務し、それがだんだんと評判になり、フラワー長井線には多くの人が訪れるようになり、なんと乗客は20倍にも増え、廃線の危機を脱したのである。
そのほか写真集や、その他Tシャツなどのグッズも出し、売れ行きも上々だという。
うさぎの「もっちぃ」のキャラクターが施された「もっちぃ列車」も大人気で、車掌さんが山形弁でガイドしてくれるのも人気の一つとなっている。

以上、心が寒くなる鉄道話と心温かになる鉄道話、「二話」でした。