名前と権威

「名前」というものは、人が考える以上に危険かつ深遠なもので、古代の日本人は軽々しくは自分の名を名乗らなかった。
名前が危険なのは、名前を知られれば「呪詛の対象」になる恐れがあるからで、そこで「いみな」がつくられた。
名前ソノモノが最高度の「機密情報」であったのだ。
次に名前が深遠なのは、たとえば聖書では、名前の中にその人の歩みが、まるで「預言」のように含まれているからである。
その典型はユダヤの12部族の長ヤコブに与えられた名前「イスラエル」である。
もともと運の悪いヤコブは、神の祝福が欲しいあまり、或るとき神の使者に「自分に祝福をくれ」としがみついて格闘する。
そこから、神はヤコブに「神と争う」という意味の名前を与えている。それが「イスラエル」という名である。
そして確かに、ヤコブはその後「ヤコブの産業」といわれるくらい大きな経済的な祝福を手にする。
しかし、ヤコブの子孫「イスラエルの12部族」は、主としてユダ族が残って「ユダヤ人」とよばれ、「神と争う」という名前に相応しく、今日のガザ地区のパレスチナの紛争に至るまで、苦難をなめつくしている。
ちなみにパレスチナは、ユダヤ人が旧約聖書の時代から戦った旧約聖書の「ペリシテ人」の名を起源としている。
また、イスラエルの指導者・モーセはエジプトの女官より水から引き出されたので「引き出す」の意味であるが、晩年に至ってモーセがイスラエルの民をエジプトから引き出す、すなわち「出エジプト」を想起させる名前である。
旧約は新約の影だから、そこから人類の救済(洗礼:罪のあがない)の雛形ともなっている。
さて、イエスがガリラヤ湖をめぐっていた時、シモンとアンデレという兄弟が働く姿を見て「網をすてて私に従ってきなさい」と声をかけた。(マタイ4)
彼らは無学な漁師であったが、「網を捨てる」とは家族と仕事を捨てて、そのままイエスに従うことを意味する。
その時イエスはシモンに「あなたがたを、人間をとる漁師としよう」とよびかけている。
それにしても、初対面の人にいきなり「わたしについて来なさい」と言われて、仕事ばかりか家族までも捨てるなんてことは、常識的にはありえない。
別の箇所ではイエスにつき、「人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威のある者のように教えたからである」とある。(マルコ1)
つまりシモンとアンデレは、イエスの中に、それだけの「権威」を感じ取ったのだろう。
その後、イエスはシモンの信仰告白を受けて「あなたはペテロである。そしてわたしはこの岩の上に教会をた建てよう」(マタイ16)と宣言する。
ペテロは「岩」を意味する言葉だが、その本当の意味するところは、ペテロ(シモン)自身にもわからなかったであろう。
なにしろ、復活したイエスはペテロに対して、「他の人があなたに帯を結びつけ、行きたくないところに連れて行く」(ヨハネ21)と預言している。
この預言は、ペテロのローマ伝道の過程で現実のものとなるが、そんなペテロがどうして「岩」となりえようか。
ロー帝国初期にはキリスト教は弾圧されたので、信徒達は地下墓所(カタコンベ)で集まって密かに礼拝をしていた。
そこが信徒の集まりの場所とわかるように、入り口に「魚」のマークがあったという。
ギリシア語で「魚」のスペルが「イエス・神の子・救世主」の頭文字で出来ているからだという。
ちなみに、ガリラヤ湖には通称「ペテロ・フィッシュ」とよばれるティラピアという魚が棲んでいる。
そしてペテロは、ローマ伝道において最後は殉教死するが、その墓の上にローマ・カトリックの総本山・バチカンのサン・ピエトロ大聖堂が建っている。

最近のニュースで、イランや北部アフリカなどのイスラム教国では未だに「石打ちの刑」ということが行われたということを聞いた。
半身を生き埋めにして、動きが取れない状態の罪人に対し、大勢の者が石を投げつけて死に至らしめたという。
罪人が即死しないよう、握り拳から頭ほどの大きさの石を投げつける。
こんなことイマダやっているのかと驚きあきれたが、イエスの時代にはそれが普通に行われていたのである。
聖書は、その出来事を次のように伝えている。
//律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った。「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
モーセは律法の中で、こういう女をを石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。
しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」(ヨハネ8)。//
以上がコノ出来事の顛末だが、「年寄りから始めて、ひとりびとり出て行き」というのも、含蓄のある言葉ではある。
イエスの「あなたがたの中で罪のないものが 石をなげつけよ」という言葉には、それだけの権威がこもっていたのだろう。
なにしろ、人々はそこから一人残らず立ち去ったのだから。
しかしそれ以上に気になる場面は「イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた」という箇所である。
全体の文脈の中で「地面に文字を書く」ということが重要な位置を占めることだけはわかる。
何故なら、パリサイ人や律法学者が問い続けている真ん中で、身をかがめて地面に何かを書くことを二度まで行っているからだ。
イエスは、何を地面に書いたのだろうか。そしてそのことで、人々に何を伝えようとしたのか。
新約聖書を旧約聖書をツキ合わせてみると、「謎」が氷解することがある。
実は、イエスが”指”で地面にものを書くということに対応する箇所が旧約聖書にある。
、 それは他でもない、神が石の板に刻んだ十戒をモーセに与える箇所である。
「こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち、”神の指”で書かれた石の板をモーセに授けられた」(出エジプト31)とある。
「十戒」のなかの第七戒は「汝 姦淫するなかれ」であるが、イエスがここで地面に書かれた文字が、モーセの「十戒」であるならば、「地面に文字を書く」という行為は、そのオキテを与えたのがイエスであり、イエス自身が神であることを示そうとしているのである。
イエスこそが、罪を許すことも、罪に定めることもできるという、自身の「権威」を表そうとしたのである。

イエスは、十字架と復活の後に「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられている」(マタイ28)と語っている。
そのイエスの「権威」について、人々が直接的に問う場面がある。
// それから、イエスが宮にはいって、教えておられると、祭司長、民の長老たちが、みもとに来て言った。「何の権威でこれらのことをなされるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか。」
イエスは答えて、こう言われた。「わたしも一言あなたがたに尋ねましょう。もし、あなたがたが答えるなら、わたしも何の権威によって、これらのことをしているかを話しましょう。
「ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか。それとも人からですか。」すると、彼らはこう言いながら、互いに論じ合った。「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったか、と言うだろう。
しかし、もし、人から、と言えば、群衆がこわい。彼らはみな、ヨハネを預言者と認めているのだか ら。」
そこで、彼らはイエスに答えて、「わかりません。」と言った。イエスもまた彼らにこう言われた。
「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。(マタイ21)//
ここで「何の権威でなすか」とは、「何の名によってなすか」とも言い換えられる。
一般的に、名前の表しヨウは、権威の在りかを示す。
例えば、靖国神社に参拝する時に、「内閣総理大臣 安部晋三」と記帳することと、ただ単に「安部晋三」と記帳することとは、雲泥の差がある。
そこで、驚くべきことは、ヨーロッパに広まったキリスト教は、もっとも根本的な救いにおいても、「何の名」による救いかを明言できないでいる。
つまり「神の名」を表すことができないのである。
ヨーロッパにおけるキリスト教の歴史の中で最も重要な会議は、392年ニケ-ア公会議である。
この会議で、「正統な」キリスト教が決まった。
いわゆる「三位一体」の神、つまり神は父と子と聖霊三つの位格をもつというアタナシス派の考え方が、イエスを一人の人間とするアリウス派の考え方をおさえて、キリスト教の正統と認められたのである。
この会議で「三位一体」の中身につき、どれほど深い議論がなされたのかはよく知らないが、「三位一体」の立場をとる時、ひとつの問題に直面する。
神の名は「父なる神エホバ」なのか「子なる神イエス」なのか、あるいは聖霊に呼び名があるのか。
それは英語訳聖書でみると明白だが、「父と子と聖霊の名前」は単数なのに、父なる神「エホバ」と子なる神「イエス」という二つの名前が存在している。
一体、信者は何に対して祈ればいいのだろうか。天のお父様か、子なるイエス・キリストか。
これは「救い」においても重大な問題をはらむことになる。
罪の贖いとしての「洗礼」を何の名前(権威)で施すか、という問題である。
実際には、多くの教会で「父と子と聖霊の名によって」と宣言し、神の名を不問にしたまま洗礼がほどこされているのである。
世間では、名前がボヤケた印を押すだけでつき返されるのに、名前そのものがない印鑑を押しているのと同じである。
この世の中では、そういう書類や処理に対して「無効」というだろう。
そこで「神の名」につき、改めて旧約聖書をみてみよう。
モーセが神に出エジプトを命ぜられた時に、モーセは神に「あなたの名前をなんと民衆に伝えるか」と聞いたことがある。
すると神は「私はあってあるもの」と答えた。この「在る」というのが神の名前「エホバ」の由来なのだが、この名前はあくまでも暫定的なものである。
つまり「エホバ」は「偉大なる者」ぐらいの自己表明であって、けして固有の名前ではなく普通名詞なのである。
せいぜいローマの皇帝が、本名オクタウィアヌスでなくアウグストゥス(尊厳者)を名乗ったくらいのものなのである。
もっと明快にいうと、神はモーセに名を問われた時、その固有の名を名のらなかったのだ。
では、なぜ神は名のらなかったのか。
それは神のみぞ知るだが、次の聖句は多少でもそのヒントになる。
「世から選んで私(=イエス)に賜った人々にみ名をあらわしました」(ヨハネ17:6)、「これらの事を知恵ある者や賢いものに隠して、幼な子にあらわしてくださいました」(ルカ10:21)。
これらの言葉でわかるように、神は御自身の名を、そうそう誰かれに明かさないということである。
しかし、神の名に「ベール」がかかっていたとしても、「三位一体」などという奇妙な神学にとらわれず、虚心坦懐に聖書をよみさえすれば、意外と簡単にその答えはでる。
聖書には、洗礼は「父と子と聖霊の名によって施せ」(マタイ28:18)とある。
また別の箇所では、同じ洗礼を「イエス・キリストの名によって施せ」(使途行伝2:38)とある。
この二つの聖句の矛盾を解決する方法はただひとつしかない。
「父と子と聖霊の名」(単数)=「イエス」ということである。
そもそも神を三つに分けること自体が過ちなのだが、それでも、父なる神も子なる神も「イエス」ということを奇異に感じる人がいるかもしれない。
実は「イエス」という名は、エホバの名をも内に含んだ深遠な名前なのである。
イエスとはヘブル語の(JAHCSHEA)(ヨシュア)のギリシア語であって「エホバ救い」という意味である。
したがって、真の救い(洗礼)とは「父と子と聖霊の名」である「イエス」の名でもって施されるべきものである。
現代の多くの教会で「神の名」を名乗ることなく、つまり「何の権威で」洗礼をなすかも明らかにせず、洗礼を施しているのである。

ところで、真の救いは、真の教会と結びつく。
冒頭で記したごとく、イエスはガリラヤ湖畔で出会ったシモンとよばれた漁師に、「岩」を意味する名前「ペテロ」を授けた。
ロ-マ・カソリック教会は、ペテロの墓がありその上にたつのがバチカンのシンボルである聖ピエトロ大聖堂である。
そしてカソリック教会の「正統性の根拠」は、一応キリストの次の言葉、「あなたはペテロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。」(マタイ16)ということに拠っている。
しかし教会とは建物のことをさすのではない。
教会とはキリストの体(エペソ4)をさす。
つまり「救われしモノたちの共同体」をペテロの上に建てるといっているのである。
つまりイエスの教えを直接受け継いだ、ペテロおよびイエス使徒たちがエルサレムにたてた「初代教会」こそが「真の教会」であるということである。
そこから離れてしまった教会は、つまり「神の名」さえ表明できない教会は「真の教会」とはいえないということになる。
言い換えると、教会堂がペテロの墓石の上に在り、初代法王をペテロとみなす、などといった形式的なことは、どうでもいいことである。
実際、キリスト教の歴史の経過をみると、イエスの直接の弟子たちの建てた初代教会の教えは、キリスト教がロ-マへの広がるにつれて、ゲルマン人やラテン人の宗教などと習合して失われていったといって過言ではない。
マリア崇拝がその典型だが、この点は、以前世界的なベストセラーとなった「ダヴィンチ・コード」が大いに参考になる。
また、マルティン・ルターの宗教改革は、確かに堕落腐敗したカトリックから原点(初代教会)へと戻ろうという動きであったが、「三位一体」を土台としている限りは、神の名は相変わらずXであり、本質的な意味で「初代教会」に回帰するまでには至らなかった。
それでは真の教会たる初代教会は永久に失われたのか。
聖書には、この世が終わりに近づく時、初代教会つまり「真の教会」が復興すると預言している(ヨハネ黙示録7)。