ハイテク・オリガミ

昔、家で飼っていた犬の耳がさわりごこちがよく、ひっぱったり、折り曲げたりして遊んでいた時期がある。
そんなことを最近思い出したのは、梶井基次郎の「愛撫」という短編を読んだ時である。
その冒頭を紹介すると、「猫の耳というものはまことに可笑しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛が生えていて、裏はピカピカしている。硬いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやってみたくて堪らなかった。これは残酷な空想だろうか?」
以上、猫の耳の話なのだが、確かに猫は耳で吊り下げられても、そう痛がらない。引っ張られるということに対しては、猫の耳は特別な構造を持っているにちがいない。
しかし個人的に、いかにペットの耳の感触がよかろうが、耳を切符切りでパチンとやったりホッチギスで留めようなんて妄念はおきなかった。
が、その感覚マッタクわからぬではない。
なぜなら、犬の耳がピンとたった時、それはちょうど「高級な和紙」のような感触であったからだ。
さて、犬や猫の耳が和紙のように感じられることを逆からみると、日本人の創り上げた紙の丈夫さや柔軟さを物語っている。
一番わかり易いのは、日本銀行券の感触とドルやポンドやユーロ紙幣との感触の違いである。
日本の紙幣はなかなかシワがよらないし、崩れない。
紙つまり「ペーパー」の語源は、古代エジプトに繁茂していた葦であるパピルスであり、植物性の繊維でつくられたものが始まりである。
紙はすぐに破れるものあったのだが、7世紀の初め中国から日本に伝えられた紙の製法は、日本ではまもなくその製法や材料が大きく変わり、畳んだり広げたりしても破れない、柔軟で美しい紙が作られるようになった。
そして、日本人が折ったり曲げたりすることに耐性をもつ「和紙」を作りだしたことは、日本に「折り紙」という文化を生み出すこととなった。
日本で「折り紙」がいつごろから作られるようになったのかは正確にはわからないが、手紙を折り畳んだり、紙で物を包むときに折ったりするようなことは古くから行われていた。
それらが武家社会で発達して様式的に整えられ、実用的また礼法的な折り紙の文化を生み出した。
「鶴」や「舟」など、具体的な物の形に見立てて折るものを遊技折り紙と言う。
それらはもともと、病気や不幸などを人間に代わって背負ってくれるようにと江戸時代に入ったころからはじまった。
元禄の頃より折り鶴や数種類の舟などの折り紙が衣装の模様として流行し、さかんに浮世絵などにも描かれるようになる。
ヨーロッパでも、12世紀に製紙法が伝えられて、やがて独自に「折り紙」が生み出されているが、日本ほど広く厚い折り紙文化の層を持っていた国はなかった。
「逆説の日本史」の井沢元彦氏は、「折り紙こそ日本文化、つまり作り変える力の象徴である、とまでいっている。
必ず正方形の紙を用い、のりやハサミも決して使わない。非常に制約された技法の中で美を競う折り紙こそ、まさに諸外国にない日本文化のオリジナリティーの象徴である。
日本に「折り紙」という伝統文化が生まれたが、現代では急速に忘れ去られ、贈り物に付ける、赤と白の紙を折った飾りである熨斗(のし)などが残っているにすぎなかった。
ところが今やそれが「ハイテク技術」の中に生かされようとしている。

古来、日本人は花鳥風月を友とし、季節の微妙な移ろいを感じとりながら、自然の美しい風物を「愛でる」感性に溢れていたといわれる。
確か、古典の時間に、爬虫類のたぐいを一生懸命に「愛でる」、意表をツクお姫さまが登場する作品があったのを思い出す。
「愛でる」文化というのは、世界の若者をひきつける日本のアニメの中に溢れてる。
おそらく「Kawaii」は、この日本アニメの普及から広まっていったものだろう。
日本人は何でも「小さく」しようとする傾向があるが、コレヲ土地や居住空間の「狭さ」に求めるのは少し違うように思う。
例えば、茶室をナゼわざわざ小さくするのか、ソコには何らかの「美意識」が横たわっているように思う。
つまり「小さく」まとまって、「愛でる」ような気持ちにさせるモノこそ「いとをかし」なのだ。
できることならば、ゆるされることならば、「手の上に」乗せるくらいにして、慈しみたいという思い。
これが日本「KAWAII」を生んだのではないだろうか。
実は「愛でる」ためには、「小さく」するのが一番なのだ。
小さくあることによって、「手塩にかけて」育ててみたい。つまり「食べてしまいたく」なるほど、カワイクなるということなのだ。
ところで、かわいくするためには「縮小」ばかりではなく「折り畳む」という手もある。
実際、和の伝統に「折方」(おりかた)というものがある。「折方」は、物を包む紙の「折り方」の作法なのである。
ソノママ広げておく状態を「小さく」まとめておくと「愛でる」気持ちがおきる。
また、同じものでも特別な「マトメ方」を工夫すると、「めでたいもの」となって、大切にしようとする気持ちも起ころうというもの。
特に、日本では花木を中心に木に親しむという文化が息づいている。
それは盆栽なんかに表われているが、「盆栽」にハマッタ人の話では、日がなナガメたりイジクッタリたりで、時を忘れてしまうのだそうだ。
老若の相違はあっても、最近の「イジくる対象」は、携帯やスマートフォンが格好の対象となっている。
ストラップに凝ったり、「カワイサ余る」凝り様は、世界のどこにもない「和」の伝統と無関係ではないカモしれない。

1980年代に李御寧(イー・オリョン)が書いた「縮み志向の日本人」は、当時としても読み応えがある本だった。
さらに、携帯・スマートフォン時代の今日、あらためて読んでも、目からウロコといえるような指摘がツマッテいる。
李御寧氏はソウル大学で国文学を修め、梨花大学と国際日本文化センターの客員教授を務め、さらに韓国最初の文化大臣を歴任した文化学者である。
李御寧氏は自ら俳句つくりにハマルほど、日本研究も筋金入りといっていい人物である。
李御寧氏は当初、日本の昔話に、一寸法師や桃太郎や牛若丸といった「小さな巨人」がよく出てくることに注目した。
韓国の昔話にはこういうタイプのヒーローはおらず、韓国のヒーローは巨人チャンスウや巨岩のような弥勒たちなのだ。
李御寧氏は世界の説話を調べて「小人伝説」はどこの国にもあり、韓国にも二、三の昔話があることを知るのだが、しかしさらに日韓を比較していくと、やっぱり日本には「縮小」をめぐる美意識や「リトルサイズ」へのイレコミ様は特別なものだという。
そして、日本語には「縮小」をあらわす言葉が多く、またとても大切にされている。
「ひな」「まめ」「小屋」「小豆」「豆単」などだ。
日本では何かをつくりあげることを「細工」というし、「小細工」という悪いニュアンスの言葉もある。
中国は古来、「三国志」や「西遊記」や「水滸伝」などの長大 な大河小説こそがモてはやされるが、中国や韓国の小説にくらべて、日本の小説に「短編」が多いし、さらに短い「掌篇小説」なんてものもある。
日本の「縮小志向」の代表的な例として、「俳句」に最もよくあらわれていることに気がつく。
俳句はたった17文字で、世界で最も短い文芸型であるし、そこに世界観や心情をツメこむのである。
さらに、日用品をみても、日韓を色々比較してみると、ごはん茶碗なども韓国のサバルにくらべて、座布団もボリョと大きさがちがう。
日本人は「折り畳み傘」やカップヌードルのような、世界中の誰もが考えなかった「縮み商品」も発案してしまう。
これらが現代日本の「トランジスタ」の開発や「ウォークマン」の商品化にもツナガルものであったであろう。
さて、李御寧氏は、日本文化の中の「折る」「畳む」「包む」などに注目した。
日本人が考えた「折りたたみ傘」というのにも、相当な工夫がなされていて、かわいく掌中におさまるようにしてある。
折りたたみの技は、世界のどこにもない「扇子」にもっともよく現われているし、ソレニ経典を書いて神社に納めた芸術品が「平家納経」である。
日本人は、独自に考案した扇子ばかりではなく、ハンガーに吊るさず、着物もたたむし、洋服でさえタタンデ使用していた時代があった。
シカモ「扇子」は儀礼にもつかうし、日本舞踊にもつかう。
扇子は、落語では箸になったり櫂になったりする。扇はナンニデモ「見立て」られるのだ。
何にでもなるといえば、「能面」がある。「能面」は無表情というよりも「中間表情」であり、役者の演技によりドノヨウにも見えるし、時として「劇的」な表情サエ見せるのだ。
人間の喜怒哀楽が詰め込まれた表情といえる。
日本では、ポータブルな持ち運び自在の「弁当」が発達しただけではなく、そこに何をドノヨウニ「詰める」かという工夫がなされた。
小さな間仕切りをして、折り詰めの「幕の内」弁当を創案している。
日本では布団や着物など小さくマトメテ収納でいるように工夫がなされ、風呂敷のようにシンプルで便利なものは、世界中にアリソウでなかなか存在しないものだ。
最近のネットで流行っている「お遊び系」としては、千円札、五千円札、一万円札を「折り紙」する。
そして「お札の顔」つまり野口英雄や夏目漱石や福沢諭吉を上手に生かし、「ダイバー野口」、「ターバン夏目」、「ピエロ野口」などに折るというもので、樋口一葉が壁の隙間から覗き込むような姿をしている「家政婦のヒグチ」まである。
日本では「織り方」や「畳み方」など伝統的に様々なワザが工夫されてきた。
「小さなモノ」に何もかも詰め込もうとする「幕の内」弁当的発想は、どこか携帯やスマートフォンに通じるものがあると感じる。
電車やバスの中で携帯をイジクル人々の姿を見て思うことは、携帯の多くの機能は何かに「使用する」ために存在するのではなく、「愛でる」ためのものではないかと思うこともある。
相当飛躍するが「幕の内弁当」的発想が、ガラパゴス携帯を生んだのかもしれない。

日本人の意識の中から生み出された「折る」伝統は、今や現代の最先端のテクノロジーの中にも生かされている。
和の伝統でもある「折り紙」に対しては、様々な数学的研究が行われてきた。
Computational Origami(計算折り紙)といわれる分野で、欲しい形を折るためには、どのような折り線を入れればいいのかをコンピューターで研究する研究分野である。
1980年代から研究が始まり、日本からも多くのソフトが生まれている。
古くから関心をもたれる分野は、作品を傷めることなく折紙作品を平らに折り畳むことができるかどうかと、紙を折ることで数学の方程式を解くことができるかどうかなどである。
折紙に関わる数学的探求活動を折り紙による作品づくりと区別するため、芳賀和夫は1994年の第2回折り紙の科学国際会議において世界共通語である折り紙 (Origami) に学術・技術を表す語尾 (-isc) を合わせて「オリガミクス」という名称を提唱し一時注目された。
中でも「剛体折り紙」という分野で、「たたむ」伝統と最先端技術を合わせたものの中に「ミウラ折り」というものがある。
たかが「折りたたみ」の技と軽くみてはならない。「つづら折り」など、「折り方」にも特有の美意識があるし、後述するように「宇宙装備」にも応用されているのだ。
いわゆる「ミウラ折り」では、対角線部分を持って左右に引っ張ると一瞬にして広がり、たたむのも簡単である。
強度をあげる吉村パターン、NASAが研究している折り畳んだ状態の約10倍(直径)になる太陽電池ぱネル。
「ミウラ折り」とは、1970年に東京大学宇宙航空研究所の三浦公亮(現東大名誉教授)が考案した折り畳み方である。
人工衛星の大きなソーラー・パネル配列を効果的に折り畳み、展開するなどといった応用がなされている。
さらに今、「地図」の畳み方などにも使われているという。
きわめて緩い角度のジグザグの折り目を付けることにより、縦方向へと横方向への展開・折り畳みが、並列にかつ極めて非線形な比で移り変わることが「核心」である。
要するに、紙の対角線の部分を押したり引いたりするだけで即座に簡単に展開・収納ができるものである。
こういものは、アルミ缶のツブシ方などにも応用がきき、ダンロップのスタッドレスタイヤの「ミウラ折りタイプ」というものもある。
また、地図では、利用者により、折り畳まずに市販されている「地図の折りたたみ方法」として工夫されている他、最初からミウラ折りにし、広げたり畳んだりが容易なように工夫された地図が市販されている。
東大の舘知宏氏が開発したソフトは、鉄のように厚みがあり、たわむことのない素材でも折ることが可能かを計算したり、筑波大の三谷純氏の開発したソフトは、イッセイミヤケの服作りに活用された。
また東大の助教授が「折り紙」を応用したシェルターを作った。
普段は平らな状態で保管するが、折りたたむことで強度が増し、被災地などでの活用が見込まれる。
また北海道大学の繁富助教授は、人工血管のステントの試作品を創った。
いわゆる「なまこ折り」という折り方を応用して、金属製のステントグラフを開発した。
折り畳んだ状態で狭くなった血管内に入れると、自動的に開いて血管を広げる。
ステントを動脈硬化などで狭くなった血管にいれると、血液の中で直径1.7倍、長さは1.4倍に広がり、中を血液が流れる。
さらに繁富教授は、より細いステントを作ろうと「細胞折り紙」の研究を始めた。
一辺50マイクロメートルの正方形プレートをいくつも並べ、その上で細胞を培養すると、プレートにまたがるように成長した細胞内の引っ張る力が働き、折り紙を折るような立体的な構造ができる。
さらに研究を進めれば、平面で培養した細胞が臓器のような立体構造を作ることができ、血管など中が空洞の臓器を作る再生医療への応用が期待されるという。
2年前、アメリカ科学財団が、折り紙の技術をイノベーションに生かそうと8つの研究プロジェクトに約16万ドル(約17億円)の研究開発費を提供したことが報じられた。
日本の折り紙はあまり身近で、誰でも鶴を折れる日本では、折り紙は子供の遊びというイメージが強い。
そんな意識があるためか、国が予算をつける可能性は低く、折り紙のハイテクへの応用は欧米が先行することになりそうだ。
厚みや堅さのある素材を折る難しさや、コストがかかり大量生産に向かない技法がネックになっているという。
そこで日本では、大学が主体でその研究に取り込んでいるが、アメリカでは「オリガミ」の応用はさらにすすんでいる。
マサチューセッツ工科大学の33歳の教授が科学雑誌に掲載したものによれば、オリガミは100度の熱で収縮する形状記憶ポリマーのシートで作られた。
折りたたまれていたシートが、内蔵の電子回路の熱で縮むと体になり、約4分で昆虫のロボットのように組み上がり、秒速5分で歩き始める。
人の手を借りずに立体的に組み立てられるため、災害で狭い場所に閉じ込められた人の救助や危険な現場での復興作業などえの活用が期待される。
映画「トランスフォーマー」を思わせるハイテク・オリガミである。