才能と発掘

文部科学省は、2020年東京オリンピックで25個から30個の金メダルを目指していることをハヤクモ表明している。
そこで課題となるのが、才能ある選手の発掘であり育成である。
実は日本オリンピック委員会(JOC)は、若手選手を英才教育する「エリート・アカデミー」を競技団体と共に5年前から始めていた。
今のところ対象は、卓球、レスリング、そしてフェンシングの3つである。
中学1年から高校3年までの44人が実家を離れて競技に専念し、トップアスリートと同じ場所で、一貫した指導を受けている。
そして今、福岡県が行っている「ある取り組み」が注目を集めている。
その名も「タレント発掘事業」で2009年から、県を挙げて実施している。
最初に、およそ「20種類」の運動能力テストを行い、瞬発力や持久力、反射神経などを測定し、県全域から成績が上位だった子どもを選抜する。
そして、小学5年から中学3年までの間に、個人種目からチーム種目まで、最大で「28の競技」を体験させる。
こうした過程から、その選手が「世界を目指せる競技は何か」につき、「適性」を徹底的に見極める。
このプログラムに参加し、その才能を開花させたのが、太宰府市にある県立高校3年の女子生徒である。
10メートル離れた的を正確に狙い撃つ「ライフル射撃」の適性を見いだされた。
ワズカ数回の練習で「高得点」をマークし、福岡県ライフル射撃協会の理事が、「ぜひとも」とライフル射撃に誘ったほどだった。
そして女子生徒は、作年1月の国際大会で、抜群の集中力を見せて「銅メダル」を獲得し、その「才能」を実証してみせたのである。
この女子生徒は、意外なことに、小さいころから「集中力がない子」といわれたという。
個人的にも、長く水泳していた生徒が大学にはいってアーチエリーをはじめ、少しの練習でトップ・アスリートになったケースを知っている。
また漢字検定1級をとった生徒が、化学式を覚えるコンクールでも一級をとったことを聞いたことがある。 まったく異なる分野における鍛錬が、別の競技の下地になったいることもあり得るのだろう。
しあしこの女子生徒の場合、一体誰が「射撃」に向いてるナンテ思いつくだろう。本人が一番驚いているのだから。
この女子生徒の場合は、中学のバスケットボール部に所属していたが、バスケットボールではオリンピックを目指せるほどではないのは明らかだった。
「バスケしたいのに」とか、「走りたいのに」と思いつつも、本格的にライフル射撃に打ち込み、出場した大会でイイ結果を出すにつれて、気持ちも固まっていったという。
今や3年後のリオデジャネイロや、7年後の東京、オリンピックでのメダル獲得が期待されている。

韓国ポップス界で、しばらく前、IUという「5オクターブの歌姫」が韓国のポッポス界を席捲したが、福岡県北九州市でも「5オクターブの歌声」を持つ男子高校生が現れた。
一般には2オクターブがセイゼイだが、この男子高校生の場合は、男声と女声を「使い分け」て歌うため「ミラクルボイス」といわれる。
175センチ、55キロ細身の体から、声にのせて感性がアフレ出る。
2011年9月、日本テレビ系の「スター☆ドラフト会議」への出演し、「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」の男声と女声パートを1人で熱唱し、プロダクションから声が掛かったのがキッカケだった。
小学5年で高音に目覚め、中学時代に合唱では女声パートに入ったという。
「歌手へ」と思いが高まってきた3年生の頃、声を出すと胸が痛くなる病に襲われた。
代わりに任された指揮者の大役を果たすとともに、改めて「歌える喜び」をカミシメたという。
高校の音楽科へ進学して、音域を調べるとソプラノからバリトンまで実に「5オクターブ」であったことが判明したのでである。
洋楽のほかポップ、演歌とレパートリーは約60曲にもおよぶ。ほとんどの曲をネットなどで耳から覚える。
「世界を舞台に」という夢を実現するため、2018年まで国内外計34回の「コンサート予定」している。
昨年年末には、北九州市のホテルに小学生から80歳代まで300人を集めて「クリスマスショー」を開き、高校生にしてすでに、エンターティナーの雰囲気を醸している。

「才能」は、遺伝子の「塩基の並び方」によって見つけられるのかもしれない。
しかし人生における「才能の発見」はドラマを生む。こうしたドラマを見ると「才能」がモノになるかは、ソレマデの様々な挫折を肥料として「磨き」がかかるからではなかろうか。
テレビ番組で「ひょん」なことから才能が表われてしまった人にがいる。
ジミー大西こと大西秀明は大阪生まれの大西は小学校時代より野球に熱中し、後に巨人の桑田も所属した少年野球チ-ム「八尾フレンド」で活躍した。
中学校時代でも野球部で頭角を表し、スポーツ推薦で強豪の大阪商大堺高校に進学した。
なみいる部員のなかで大西は特に目立つ存在ではなく、しかも「ベンチのサイン」が覚えられずにレギュラーにはなれなかった。
ヒットで出塁すると監督の身振り一つ一つを計算してサインを読み取るのだが、大西が計算するとなぜかマイナスになってしまったりした。
やむを得ずベースの横の地面に数字を書いて計算していると、ベンチに戻るヤ監督から「やめてしまえ」と怒鳴られた。
野球ではこれ以上だめだと諦め、高校在学中から吉本へ入りなんば花月の舞台進行役を経て、「ぼんちおさむ」に弟子入りした。
その後漫才コンビを結成するが、イツモ相方との「呼吸」が合わず、漫才コンビは長続きすることなかったという。
しかし心根の優しいジミーを明石家さんまが「運転手」として雇い、面倒を見てくれることになった。
そして「一発ギャグ」を武器に、テレビの出演機会が次第にふえていった。
そして、あるバラエティ-番組で、芸能人の書いた絵を出して誰の絵かを当てようという企画がもちあがった。
その中でいわば、「お笑いネタ」の意味で大西にも声がかかったのである。
司会者が軽く紹介した大西の絵が、幾人もの芸能人の絵のなかで一番インパクトがあり、会場はある種の「驚き」につつまれたのである。
少し「ゾット」する感じの絵で、ジミーの絵は意外とハデな印象だった。
1993年に初めて個展を開催し動物などをテーマとしたシュールな画風と鮮やかな色彩感覚で画家として注目脚光を浴び「平成の山下清」とも称された。
またジミー大西の作品は岡本太郎、横尾忠則ら、日本を代表する美術家に絶賛されている。
岡本太郎は、大西に君の絵はすばらしい、枠にとらわれず、ハミダスように描きなさいといわれ紫の絵の具をプレゼントされた。
大西によると「紫の色使い」が一番難しいのだそうだ。
大西の絵が何か切り取られたような印象を持つのは、岡本太郎の助言どおり正にハミダシているからなのだろう。
テノール歌手の新垣勉の場合、単に「才能の発見」バカリではなく、それを「神のために使う」ことを教えた人との出会いが人生を変えたといえる。
新垣は1952年、沖縄アメリカ軍の父と日本人の母との間に沖縄県読谷村に生まれた。
生後まもなく助産婦の過ちで家畜を洗う劇薬を点眼され失明した。
さらに、1歳の時には両親が離婚し父は本国に帰り、母が再婚したため母方の祖母に中学まで育てられる。
当時は「自分ほど不幸な人間はいない」とすべての人間に強い憎しみを抱いて生きていた。
中学2年の時に祖母が他界し、天涯孤独の身となった。
その後、母の親戚に身を寄せるが高校1年の時に、自身の不幸を嘆き、井戸に身を投げようとしたこともある。
そんな時、ラジオから流れてきた讃美歌が一筋の光のように彼の心を照らした。
そして一人の牧師に会い思いのすべてをぶつけたところ、牧師は涙を流しながら彼の話を聞き、その後家族のように彼を迎え入れたという。
この出会いは新垣を精神的に立ち直らせる「転機」となった。
新垣は沖縄の盲学校から東京キリスト教短期大学に進学、卒業後は、西南学院大学神学部に進んだ。
在学中にヴォイス・トレーナーの世界的大家、A.バランドーニ氏のオーディションを受けたところ、新垣の声は日本人には出せない「ラテン的な響き」をもっており、その声を磨けばきっと多くの人を喜ばせることができると言われ、本格的に声楽の勉強をする決意をした。
現在、新垣は、歌を通じてキリスト教の布教活動をしておられる。
今は父や母への憎しみは消え、心の底から、メキシコ系アメリカ人の父親から「もらった」声と生んでくれた母に感謝することができると言う。
現在、父親の所在及び生死は不明だが、もし会う事ができればゼヒ父親の前で歌を披露したいという。

人の才能は自ら発露されたり、発掘されたり、見出されたりするのだが、「埋もれていた」方がよかったというようなことがあるにちがいない。
というのも、人間は才能と才能に応じて自己をコントロールする能力が「調和」していなければ、ソレホド幸せになることはできないのではないか。
多くの芸術家の不幸がそれを物語っているようにも思う。
つまり、磨かれぬ「原石」であったほうがヨホドよかったというケースもあるに違いないということだ。
例えば、容姿の美しさを「才能」になぞらえていえば、それがイツモ人生の幸せに繋げることができるのか、人によってはかえって「並」であったほうがよかったのではないか。
旧約聖書にサムソンという「怪力」男が登場するが、怪力を自分のために使っていたために、デリラという妖艶な女性にだまされるなど、トラブルと不幸続きだった。
しかし目をツブサれたサムソンの「怪力」が、神によって使われる日が来る。
それは、サムソンを繋いだ柱で支えられた建物とともに自らを滅ぼす「最後の日」でもあった。
映画化もされた「サムソンとデリラ」の物語の中には、怪力とか美貌とかの才能と、個人を超えたものとの齟齬と調和とを考えさせられるものがある。
つまり、才能の使い道の問題である。

今、「検査ビジネス」というものが登場している。
我が若かりし日に「結婚相性診断」をコンピュータでだしていたが、基本的に「占い」と変わらぬものだと思っていた。
しかしビジネスとして成立するには、それなりの科学的根拠と精度が要求されることはいうまでもない。
「検査ビジネス」の柱である遺伝子検査により、遺伝性乳がんの発症リスクの診断や、抗癌剤に効き目があるかなどを調べる「医学的検査」から、肥満タイプや長寿の可能性などを調べるビジネスまで幅広い。
「医学的検査」で調べるのは原則、「1つ」の遺伝子変異によって病気になる「単一遺伝子疾患」に限られるという。
一方、「検査ビジネス」が主に扱うのは「体質」など多くの遺伝子がカカワル分野にもかかわらず、実際には「一部」しか調べていないのが現実である。
検査では「SNP」(一塩基多型)と呼ばれる遺伝子のわずかな配列の違いを見ている。
ある特定の遺伝子で本来の塩基の並び方が「GT」であるべきところが、「GA」と変化している人は、「太りやすい」といった具合にである。
しかし誰しもわかることは、「肥満」になるかどうかは、食べすぎや運動不足・ストレスなど「生活習慣」と関わりが大きいということである。
また「判定の表現」の仕方にも問題を含んでいる。
例えば「色覚異常なし」を、色彩感覚が優れると言ってしまえば、「才能あり」と誤解して受け取ることもある。
アメリカ最大手の或る「精子バンク」は、事務所を超名門大学の傍に置いている。
ドナーを探すのに、有名大学の学生が最も理想的だからという。
精子提供者によれば1回100ドルぐらいの謝礼しかうけないのだが、金めあてというより、人の役にたちたいという思いも強くあるという。
この「精子バンク」の利用者は最初は子供に恵まれないカップルが多かったが、しだいに未婚女性とか同性愛者に変わっていったという。
そして彼女らがバンクに聞きたがる筆問の断然トップは、「ドナーは誰に似ている」かということである。
ちなみに数少ない日本人のドナーの中に「浅野忠信似」というものがあった。
そしてドナーの写真や「子供時代の写真」も見ることができる。
まるで、「オンラインショッピング」の感覚で身長・髪や目の色などの条件を出せるのもこの会社のウリである。
遡ること1980年に、天才のスーパー遺伝子を受け継ぐ子供を増やし、人類を悲劇から救うと銘打った「ノーベル賞受賞者精子バンク」と呼ばれた精子バンクが設立されている。
この「才能検査」は中国上海の企業が08年から提供し、2年後に日本でもはじまった。
申し込みは月に60~70件あり、調べた年齢は10歳未満がホトンドである。
学習や絵画など延べ41項目の潜在能力を判定し「国際学会や論文で発表され、研究者なら誰でも認める評価内容」と説明する。
だがこの検査で実際に調べているのは19個にとどまっており、内向性・楽観性・美的感覚など5項目は、ある1個の遺伝子だけで判定している。
ある遺伝医学の大学教授が、「子供の才能がわかる」という遺伝子検査をインターネットで注文した。
送られてきた綿棒で自分の口の粘膜の細胞をコスリとって返送すると結果が届く。費用は5万8千円ナリ。
教授は、1ヶ月後に送られた結果を見て苦笑した。
「集中する時間が短く、外部からの影響を受けやすい。学習には不利」と書いてあったという。
この教授によれば、「わずかな遺伝子で、人の才能を判定するのは不可能」といっている。
人間というのは様々な世の中の風に吹きさられており、いつもその風の音を聞きながら自己の位置を確かめ進むべき方向を定めているような存在なのだと思う。
最近では、「デザイナーベイビー」という言葉も登場しているが、ドコカ「優生学的」発想で「命を選択」することに不気味さを覚える。
問題は才能や適性は、興味や関心、ヒロイズムといった「情熱」に裏打ちされなければ、実際は育たないということである。
人間は今、「物質の秘密」「生命の秘密」「宇宙の秘密」にせまり、それをビジネスにさえしようとしている。
旧約聖書の詩篇(8編)に 「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、 人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。
ただ少しく人を神よりも低く造って、栄と誉とをこうむらせ、 これにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下におかれました」
ココニ「神は人間を少しく低く造った」という言葉があるが、人間の能力に限っていえばイイアテているようにも思える。
しかし、人間はそういう知識を「賢明」に使うほど進歩をしていないような気がする。
知られないものは知られないママに、埋もれたものは埋もれたママにしておくのも、「ひとつの知恵」というものではなかろうか。