スコットランド

スコットランドの分離独立は否決されたが、国が住民投票で分離するとはどういうことか、見たい思いもあった。
ロシアでは、クリミア併合のように武力を伴った国境線の変更がある一方で、イギリスで進められてきたのは民主的な選択だったため、歴史的な分岐点となる可能性があったからである。
現在のイギリスは大ブリテン島にアイルランド島の東北部をあわせたものだが、これをイギリスと呼んでいるのは日本だけで、正確には「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」、略してユナイテッド・キングダム(U.K)である。
「連合王国」というのは、複数の王国がくっついて出来たと国ということで、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドが一つになって出来ている。
これら四つの地域が一つの国になっても、いまだに各地方では独立心が旺盛で、スコットランド出身の人に「ああ、イギリス人ですね」なんていったら、「イングランド人なんかと一緒にするな」と怒るかもしれない。
サッカーのワールドカップでも、イングランド、スコットランド、ウェールズなど、別のナショナルチームで出場するが、スコットランドの人は、イングランド代表の対戦相手のチームを応援することさえある。
民族的にも、イングランドはゲルマン系のアングロ・サクソン人が多く、それ以外の地域はケルト人が多い。
そういうわけで、文化や伝統にも違いが生じる。
ケルト文化といえば森と妖精、ゲルマン侵入以前にヨーロッパに栄えた森林で育まれた文化である。
今ではアイルランド、イギリスのスコットランド以外にも、ウェ-ルズ、フランスのブルターニュなどに残っている。
森の中には、キリスト以外の色々な信仰が育まれており、ケルト的妖精の世界が花開いていた。
実は、クリスマスがキリストの「聖誕祭」となっているのは古代ケルト人たちの太陽信仰に基づくものである。
ヨーロッパの森のうす暗さのなかで冬至の日を境として太陽が徐々に元気を取り戻していくさまは、古代人にとっては、格好の祭りの対象となったのである。
クリスマスの日の太陽神信仰は、キリスト教の広がりとともに、キリスト教の聖誕祭という仮面をかぶらなければならなかったのである。
したがって12月25日の 「クリスマス」は真に異教的な祭りであり、特にクリスマスツリーはケルト的な森の文化を想像させる。
イギリスに目を転じると、イングランドを除いては、ケルト的文化を色濃く残している。
ビ-トルズはイギリスのウェールズ地方のリバプ-ルという港町で結成されたバンドであるが、リンゴ・スタ-を除き他の三人はアイルランド系(ケルト系)なのである。
「ハリ-ポッター」の著者であるJ・K・ローリングの生まれ育ちはウェールズ地方で、現住地はスコットランドのエディンバラである。
ともにケルト的伝統の強い地域と関わりが深い。
そこに描かれた世界はキリスト教の世界ではなく、むしろキリスト教徒によって「魔界」に落とされた魔法使いたちの世界なのである。
「魔女狩り」のような禍々しさは、本来のキリスト教から生まれたものではないのではなかろうか。
ケルトに由来する祭りにハロウィンがある。
ハロウィンは魔女や精霊が闊歩する愉快な祭りで古代ケルト民族の収穫祭が起源である。
アメリカへはアイルランド移民によってもちこまれ、キリスト教の行事と習合したといわれている。
日本とケルト文化の接点といえば、明治時代にアメリカの新聞記者ラフカデイオ・ハ-ンが、小泉八雲を名乗って日本に住み着いていたことである。
このハーンはギリシアとケルトの血をひいており、日本人以上に日本を理解し愛した。
もうひとつは、明治初期に文部省が音楽教育で教える唱歌として採用されたのは日本音楽と同じ5音階のアイルランド民謡やスコットランド民謡であった。
皇室の誰かがアイルランド出身のミュージシャンであるエンヤの音楽に傾倒されていることを聞いたが、その旋律に日本人の心の琴線にふれるものがあるのではなかろうか。
ところでこのケルト文化と日本の縄文文化がよく似ていることを指摘した人は、「ゲイジュツはバクハツだ!」の故・岡本太郎氏である。以下は岡本太郎氏の「美の世界旅行」からの引用である。
「ところで驚くのは、このケルトと縄文文化の表情に、信じ難いほどそっくりなのがあることだ。地球の反対側と言っていいほど遠く離れているし、時代のズレもある。どう考えても交流があったとは思えない。そして遺物も、一方は狩猟・採取民が土をこねて作った土器だし、片方は鉄器文化の段階にある農耕・牧畜民のもの、石にほられたり、金属など。まるで異質だ。しかし、にもかかわらず、その両者の表現は双生児のように響きあっている。部分を写真などでくらべて見ると、実際区別がつかないくらいだ。いったいどうしたことだろうか、まったく想像を超えた不思議な相似である」。

このたびのスコットランドの独立への動きは、2011年のスコットランド議会選で、スコットランド民族党(SNP)が過半数をとったことではじまった。
その背景には1980年代からで、スコットランド沖の北海油田の開発による「経済的自立」の機運の高まりや、サッチャー保守党政権(1979~90年)による炭鉱や造船所の閉鎖などで失業者が急増し、政府に対する不満が増大したことが背景にある。
独立を支持する側としては、独立すれば自分たちで税金の使い道を決めることができる。
油田の利益などをイングランドにもっていかれなくて済むし、小規模な北欧型の福祉社会をめざした方が豊かになると考える人々もいる。
そこでスコットランド民族党・党首のサモンド首席大臣(自治政府の首相に相当)が、2012年に英国のキャメロン首相と会談し分離独立についての「住民投票」の実施につき合意したのである。
また、2014年という年はスコットランドにとって歴史的な年でもあった。
実はコノ年は、1314年にスコットランドが独立を求めてイングランドを破った「バノックバーンの戦い」から700年めの年である。
それを記念するイベントが6月末、古都スターリング近くのバノックバーン古戦場で開かれたことも、民族的な意識を高めたのかもしれない。
人々は、スコットランドの民族衣装キルトに身を包んだ楽隊がバグパイプなどを演奏しながら、スターリング城から街中をパレードした。
ところでイングランドとスコットランドの関係といえば、世界史におけるエリザベス1世とスコットランド女王メアリ・スチュアートとの確執を思いうかべる。
そこに、「もうひとりのメアリ」であるイングランド女王のメアリ1世を含めると、この3人の女王の「血の確執」のすさまじさに、驚きあきれるという外はない。
イギリス国王ヘンリ8世(位1509~47)にはカザリンという奥さんがいた。
カザリンはスペイン出身で、コロンブスの航海を援助したイザベラ女王の娘である。
当時のイングランドは、現在の大ブリテン島の南半分しかなく、北はスコットランドという別の国であった。
ヘンリ8世の在位時はスペイン国王はハプスブルク家のカルロス1世で、カザリンの甥にあたる。
ヘンリー8世とカザリンの間にメアリという娘が生まれたのだが、政略結婚ということもあってカザリンに愛情を抱けなかったのか、ヘンリ8世はカザリンの侍女アン=ブーリンを好きになった。
ヘンリ8世はアン=ブーリンと正式に結婚したいと思ったが、アン=ブーリンと結婚するにはカザリンと離婚しなければならない。
しかしカトリックの教えでは、離婚するということは神への誓いを破ることになる。
ヘンリ8世はローマ教会に離婚を申請するが認めてくれず、それならばローマ教会なんか抜けてやるとローマ教会の信者をやめてしまった。
そればかりか、イギリス国民全体を信者にして新しい教会組織を作ってしまった。
かくして1534年、国王至上法(首長法)で、イギリス国教会が設立された。
イギリス国王は教会の最高指導者でもあり、カトリックによるローマ教皇にあたる存在となる。
実は、イギリス国教会は教義はプロテスタントの影響を受けているが、儀式などはローマカトリック教会に近い。
ヘンリ8世はめでたくアン=ブーリンと結婚し、二人の間には女の子が産まれたたが、王子が欲しかったヘンリ8世はまた別の女性に目移りして、邪魔になったアン=ブーリンをロンドン塔に幽閉したうえ処刑してしまった。
ヘンリー8世は、死ぬまでに6回結婚して、そのうち二人を殺すというとんでもない国王であった。
ヘンリー8世が死んで、ただ一人の王子エドワード6世が即位したが、エドワード6世は即位してまもなく死んでしまう。
エドワード6世がなくなったあと、王位を継いだのがヘンリ8世の娘メアリ1世(位1553~58)である。
メアリの母はヘンリー8世の最初の妻カザリンである。
予想できることだが、メアリは自分の母を離婚した父親ヘンリ8世が好きでないし、離婚の結果できたイギリス国教会も大嫌いであった。
メアリ1世は即位するとイギリス国教会をやめてローマ教会に復帰した。
そしてイギリス国教会より土地を与えらた勢力の土地を没収したため大きな反発が起きる。
さらに、メアリ1世は自分の宗教政策に反対する臣下をどんどん処刑していく。
彼女についたあだ名が「ブラッド・メアリ」で、今ではカクテルの名前になっている。
ところがメアリ1世は即位5年で死んでしまい、次に王位についたのがエリザベス1世(位1558~1603)である。
エリザベス1世はヘンリ8世と愛人のアン=ブーリンのあいだの子供であったから、メアリ1世の腹違いの妹にあたる。
エリザベスとメアリの姉妹は仲が悪く、メアリは自分が王位についている間、妹のエリザベスをロンドン塔に幽閉してしまう。
エリザベスはいつ処刑されるかわからない状態だったが、メアリの突然の死で王位がころがりこんできた。
そしてエリザベスはイギリス国教会を復活させ、1559年「信仰統一法」という法律でイギリス国教会を確立したのである。

ところでエリザベスには、もうひとりの女王との激しい確執があった。
エリザベスはメアリ1世に幽閉されるが、今度はこの女王を軟禁状態におき処刑している。
イギリスは16世紀、南部の新教(現在のプロテスタント)を信仰するイングランドと、北部の旧教(カトリック)を信仰するスコットランドという二つの王国が、宗教や領土をめぐって対立していた。
そんななか、スコットランドで、ジェームス5世と旧教国フランスから迎えられた王妃マリー・ド・ギースの間に生まれたのが、メアリー・スチュアートである。
ジェームス5世は、ヘンリー8世の姉の子供つまり甥にあたる人物である。
生後6日で父親が逝去し、スコットランド女王となったメアリーは、その後、幼くして未来のフランス王妃となるために、フランスに渡り何不自由ない幸せな青春時代を過ごしていた。
メアリーは晴れてフランス王妃となるが、王がすぐに死去したため19歳で祖国・スコットランドに帰国することになる。
一方、イングランドでは、エリザベス1世が王位継承者として即位している。
しかしイングランド国内では、彼女がヘンリー8世の庶子であったことを指摘し、チューダー家の正統な血筋にあたるメアリー・スチュアートこそが正統な王位継承者だという派閥が出てくる。
メアリー・スチュアートは、美貌と多才であるばかりか、アンリ2世の息子と結婚して舅からも溺愛されていたのでる。
実はエリザベスは、彼女の王位継承を不当とする重臣を多数かかえていた上に、フランス国王アンリ2世からも「メアリー・スチュアートこそが正当なイングランド王位継承権を持つ者だ」と名指しでライバルを示されていた。
こうした反対勢力や強力なライバルの存在は、エリザベスにとって大きな脅威であった。
ところが皮肉にも、ライバルのメアリ・スチュアートがエリザベスの下に亡命して来る。
実はメアリはスコットランドに帰国後に再婚するも不幸せな結婚となり、夫の殺害疑惑や別の男性との不倫疑惑・再婚など様々なスキャンダルによって廃位となり、祖国を追われる身となっていたのだ。
とはいっても、エリザベスとメアリーとの間には、宗教対立以外にも様々な「火種」をはらんでいた。
それは、エリザベスは国教会で、メアリーがそれを激しく弾圧したカトリック側というだけではおさまりきれない人間くさいものであった。
フランス育ちのメアリーは、イングランドへの亡命に際し、たくさんのジュエリーを持ち込んで来た。
中でも有名なものが「ローマ教皇の真珠のネックレス」「7つの真珠のネックレス」などと呼ばれる大粒の真珠が7個ついたネックレス、そして当時は非常に珍しかった「黒蝶真珠のネックレス」であった。
これらはメアリーがフランス王太子妃となった時に、姑のカトリーヌ・ド・メディシスから譲られたものとされている。
実は、滝のように真珠を身につけるエリザベスの「真珠好き」の背景には、ライバルであるメアリー・スチュアートへの対抗心があったといえる。
また、エリザベス1世が議会に「嫡子」と認められても、なお王位継承を主張するメアリーに対し、エリザベスは大きな敵対心を抱くようになり、軟禁状態においたうえ、謀反の罪で死刑宣告を行った。
さて、イングランドを大国に発展させたエリザベスは1603年に亡くなるが、意外にもその王位はメアリー・スチュアートの息子であるスコットランド王・ジェームズ1世に引き継がれることになる。
ジェームス1世から始まる王朝をステュアート朝という。
ジェームズ1世はイングランド王になるが、スコットランド王をやめるわけではなく、ひとりで二つの国の王位を兼ねた。
ロンドンで即位したジェームズ1世は、イギリス議会を軽視した政治をおこない、イギリス国教会を国民に強制しようとしてピューリタンを圧迫した。
また、あとを継いだ息子のチャールズ1世(位1625~49)は、国教会を強制しようとして、スコットランドで反乱を起こすことになった。
チャールズ1世は自ら軍隊を率いて、反乱の鎮圧を行ったが、中途から戦費が足りなくなって苦戦する。
とうとうスコットランド軍は国境線を超えて攻め込んできて、王は賠償金を支払って降伏する事になった。
ところが、この賠償金を支払うには増税しなければならない。
チャールズ1世はやむなく議会を開くが、議会はそれまでの王の専制政治を批判して、王と激しく対立した。
その結果、王と議会はそれぞれ軍隊を組織して内乱に発展する。
これがピューリタン革命(1642~49)であるが、結局エリザベスが処刑したスコットランド女王メアリー1世の息子がイングランドの王位に迎えられ「スチュアート朝」を開いたことに端を発している。
歴史の水晶玉があるならば、2014年スコットランド分離独立運動の向こう側には、ヘンリー8世の離婚問題から端を発したイギリス国教会の設立、さらにはエリザベス1世、メアリ1世、メアリ・スチュアートの3人の女王の「血の確執」など、圧倒的な人間ドラマが映し出されるにちがいない。