トリクルダウン

1916年に河上肇が書いた「貧乏物語」は、西欧文明国に貧乏人の多いことへの驚きから始まる。
機械化によって「生産力」は数千倍、数万倍になったのに貧乏人が多いのはなぜか。
1909年の英国では、下位65パーセントで国の富をワズカ2パーセントしかもてないホド「格差」があった。
つまり、世界一の富国である英国は、同時に世界一の「貧乏人大国」と断定した。
そのイギリスとは、1870年アダムスミスが「国富論」で、自己の利益の追求が社会全体の福利を増進するという「予定調和説」を生んだ国なのである。
100年後アメリカが世界一の経済大国でありながら、「相対的貧困率」の高さという点で世界一の貧困大国でもある。
そして、そうした傾向は世界全体で進行している。
さて「トリクルダウン」なる理論が唱えられている。「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)する」というものだ。
しかしそれは真っ当な「経済理論」というより「仮説」、それよりムシロ「政治思想」といったほうがよい。
「トリクルダウン(trickle down)」という表現は「徐々に流れ落ちる」という意味である。
大企業や富裕層の支援政策を行うことが経済活動を活性化させることになり、富が低所得層に向かって徐々に流れ落ち、国民全体の利益となるとする考え方である。
「トリクルダウン」説は、「小さな政府」政策の推進、新自由主義政策などと「相性」がよいため、所得税や法人税の最高税率引き下げなど、主に大企業や富裕層の「既得権益」の擁護・増大を求める考え方として持ち出される。

今のところ、アベノミクス効果または黒田リフレ政策で直接的に「富」を得ているのは誰かといえば、所有資産の価格が上昇した資産家か、円安によって「収益増」を果たした輸出企業である。
それが国民全体の利益に広がる「トリクルダウン」するとして、どういうルートが考えられうるだろうか。
すぐに思いつくのは、そうした利益増のあった企業から「賃金アップ」して消費需要として社会全体が潤うことだろう。
例えば給料があがったサラリーマンが週末に飲みにいく回数が増えるだけでも「潤い」は社会に波及する。
しかしそれほど賃金アップの話はアマリ聞かない。
何しろ「消費税」アップが控えているため、一部の「駆け込み需要」以外は堅調な消費需要の上昇につながっていない。
つまり輸出企業はその利益増を生活者にトリクルダウンしていない。それどころか生活者を苦しめる「消費税」は、意外なことに輸出企業にとって「打ちでの小槌」なのだそうだ。
実は、輸出企業は、輸出をすると「還付金」が戻ってくる仕組みになっている。
人々が気づきにくい、経済に内蔵された「格差拡大装置」というべきものである。
この「輸出還付金」が認められる理由は次のとうりである。
消費税というものは、ヨーロッパでは「付加価値税」とよばれるもので、製造・卸売・小売といった各段階の取引に対する課税を最終消費者が負担する制度である。
1年間の決算を終えた段階で1年間の「付加価値」(企業が新たに生み出した価値=売り上げー調達した商品やサービスの金額)に対して事業者にかかってくる税金である。
利益ではなく「付加価値」にかかる税ということは、利益が出ようが出まいがカカッテくる税なので、「価格への転嫁」が起きる。
その「価格転嫁」というものに法的な権利や義務がついているわけでもなんでもないので、税負担は事実上価格に「埋没」しているといってよい。
つまり、激しい競争の下で事業者は消費税を価格に転嫁したくてもデキナイようなことがおきる。
ところで輸出企業の場合はどうだろう。理屈としては外国の消費者から日本政府が定める「消費税分」をモラウことはできない。
一方で、ソウシタ企業は製品を仕上げるにあたって原料や部品を購入する際に、国内の下請け企業に「転嫁」された消費税を支払うタテマエになっている。
輸出企業は消費税を国内の下請け会社に支払うバカリで、海外にいる「最終」消費税分を受け取るスベがないから、輸出企業には消費税分還付しますという論理なのだ。
輸出企業が製品を輸出した際に発生する「売上」には、国内の下請け会社から部品などを仕入れる際に「支払った」消費税が含まれているハズである。
そこで輸出企業が「国内で支払った」とされる分の税金を国が「還付する」というわけである。
現状では、下請け企業は価格を転嫁できるどころか、大企業に値切られ「自腹」を切るようなかたちで「消費税分」を負担しているノニである。
問題はその「還付」される金額の大きさであり、消費税が輸出大企業の「打ち出の小槌」といわれるのも納得できる。
2005年度の国の予算では、輸出還付金の総額は2兆5000億円にも達する。
消費税の全収入がおよそ10兆円だから、ソノ約4分の1が、輸出企業に還付されているという「驚くべき」実態があるのだ。
「還付」をうける大企業の約半分が、日本の輸出企業の上位20社で、ほぼ経団連に所属している。
そして消費税が今後段階的に10パーセントマデ上げられるとしたら、「輸出還付金」はサラニ増えることになる。
したがって円安で輸出企業が儲かったとしても、その利益は社会にトリクルダウンしない。

トリクルダウン説では「投資の活性化により、経済全体のパイが拡大すれば、低所得層への配分も改善する」となるはずである。
しかし、現実には「富が低所得層に向かって徐々に流れ落ち、国民全体の利益となる」はずが、一部の富裕層の所得の改善にトドマッテいる。
これをモッテ「経済は回復した」ということにはならない。
法人税減税や規制緩和による「投資の活性化」は、経済回復の必要条件の1つであるにすぎないということである。
「トリクルダウン」ルートで大事なことは、所得の「労働分配率」、つまり企業収益のうちに労働者に「トリクル」する比率に 注目すべきである。
実は2001年に導入された「時価会計制度」は、この点でマイナスの影響しかなかった。
従来より「従業員中心」の日本型経営から「株主中心」のアメリカ型経営といわれてきた。
この変化へ表われの一つとして、「原価会計」がら「時価会計」への転換があげられる。
「原価会計」は、資産を取得したときの原価で評価する一方、「時価会計」は、資産と負債を各期末の「時価」で評価し、財務諸表に反映させる。
つまり、時価会計では原価と現在の価格の「差」を決済のたびに組み入れていく。
一般的には、「時価会計」のほうが現時点での資産の価値を反映しているのでわかりやすい。
例えば「含み益」の大きな株式を売却して利益を捻出する操作のような「人為的な」会計操作が不可能となる。
つまり「時々の」企業の損益が明確になるので「経営の透明性」をもたらすという点で「正当性」をもつといえるだろう。
タダ日本がバブル崩壊によって企業の「市場価値」が下がる一方である時、「原価会計」から「時価会計」への転換はホトンド「自殺行為」のようなものではなかったか。
「時価会計」の導入により、各期の評価損益を逐次「損益計算書」に計上しなくてはならなくなった。
原価会計ならば、「購入当時」の低い価格が資産評価の基準となり、実際に「売却」した時には時々の価格変動は差し置いて、原価と売却した時の「差額」が計上されるだけである。
具体的にいうと、バブルの異常な値上がが帳簿上に表れない代わりに、バブル崩壊の「含み益」が消えたとしても「損失」として計上されないということだ。
「時価会計」では資産価値が著しく低下し続けるのがオモテに出る。
では日本政府は、そんな最中2001年にドウシテ「時価会計」を導入したのだうか。
まず「不良債権問題」で日本の金融機関への信頼は極度に低下したということがあげられる。
1996年成立した橋本内閣はソレ以前から金融システムの「抜本的な改革」をめざしていた。
いわゆる「金融ビッグバン」である。
資産バブルの崩壊で企業活動が低迷するなかで、「金利の自由化」「金融機関の業務枠の自由化」「金融のカ国際化」によってナントカ「日本市場の再生」をはかろうとしたのである。
しかし実際には、ワズカばりの「評価益」を確保する為に、あるいは「評価損」を膨らませないために、企業も金融機関も株を売り続けて、結果的に「含み損」が拡大するといった「悪循環」に陥ったのである。
バブル崩壊以前は、株の持ちあいで株価の安定をはかっていた。
しかし持ち合いの株式の資産価値が下がったために、それが重荷となって持ち合いの解消がすすんだ。
そしてグループ会社への不良債権の「飛ばし」をはじめとする「粉飾会計」が相次いで発覚した。
それ故に、海外からの日本の金融システムの「抜本的改革」への圧力が高まったといってよい。
日本株を保有する外国人投資家にとっては、「時価」を表さない「原価会計」への不公正さを是正する要求が異常に高まったとうことである。
M&Aを視野にいれいてる企業にとっては、「時価」で評価された方がやりやすい。
また「経営の透明性」の高まりによりコーポレー・ガバナンスが強化され外国人株主が増えれば「株主主体」への経営へ移行することになった。
そして「時価会計」導入は、企業の長期的な成長や従業員の福祉ヨリモ、短期的な利益や配当の最大化に大きな「インセンティブ」を与えることになった。
「短期的な利益」をモタラさない設備や雇用はコストカットの対象となる。
ツマリ従来の日本型経営は息の根をとめられ、「雇用」はコストとしかみなされなくなったことを意味する。
企業は正規雇用を非正規雇用に置き換えることで、利益を確保するようになった。
「時価会計制度」は、こうした雇用や賃金のカットを「加速」させる結果となった。
つまりは所得の「労働分配率」は下がる傾向が強まったということだ。
そうしてバブル2000年代を通じて急拡大したのが企業の「内部留保」である。
「内部留保」とは、企業活動で得た利益のうち、配当金などのように分配せず、社内に留保しているオカネである。
多くの企業は、たとえ「業績回復期」にあっても、時価会計による「下揺れリスク」を恐れて内部留保かせいぜい配当にハゲンだということである。
結局「時価会計」導入は、「労働分配率」の上昇つまり賃金アップがなされにくい環境を作り上げたということである。
この点からいっても日本の現状は「トリクルダウン説」とはホド遠いものがある。

トリクルダウン説を支持する考えとして、富裕層が富めば彼らの累進課税により、貧しい人々の「生活保護」など「所得の分配」をすることができるということがある。
極度な累進度で富裕層が海外に逃げ出さなければ、「トリクルダウン」説は妥当性がありそうである。
ところでアメリカで、「SNAP」(補助的栄養支援プログラム)ということが行われている。
最貧困層に対して1人あたり月額1万3千円ほど支給されるという。
月に一度午前0時に支給されるために、夜中すぎから全米の安売りスーパーには受給者が溢れているという。
しかし奇妙は話ではある。国の財政が圧迫する中で、自立のための雇用よりも税金による生活保護受給者を増やしているのだからだ。
しかしその理由は、SNAP利用者を増やすことで、生活の国民を救うだけでなく、食品業界の消費が増えて経済が活性化する。国民は最低限の栄養をとることで就職活動にも力を入れられるということなのだそうだ。
ここまでならヨシとしても、問題はソノ次である。
SNAP制度によって失業率の改善になっていないことに加え、貧困自動はそうでない子供に比べて肥満率が7倍も高いのだという。
実際は、SNAP受給者の食生活の中心であるジャンクフードや糖分の高い炭酸飲料、栄養のない加工食品などによって、子供の医療費は増えているのだという。
SNAPを導入している10州で、栄養面の改善を図るために、砂糖入りジュースや炭酸飲料、栄養価の低い食品を「適用外」にする法案が出ているそうだが、ひとつとして成立していないのだという。
その理由は、SNAPの内容を栄養に配慮した食品にする法案が出されるたびに、コカコーラ社やキャンディ協会、いくつものファーストフード店を傘下にもつ協会やスーパーマーケットのウオールマートなどから反対の圧力がかかるからなのだという。
さて、経済学の教科書で、投資が何倍もの所得を生む「乗数効果」を学んだ人も多いと思う。
例えば、1兆円の公共投資を行えば3兆円ぐらいの景気浮揚効果があるという理論である。
この場合投資乗数が「3」ということになる。
近年、公共投資の投資乗数は低下しているといわれている。
理由は様々な資材や部品の発注が国内にとどまらず海外にいくために、それが国内の景気浮揚には繋がらないという いうわけである。
つまり公共投資によって所得増がもたらせる人々はごく一部であり、所得増は中所得層に行く前に海外に逃げてしまうというわけである。
公共投資は、特に不況の場合に働く者に生活扶助的機会を与えていたが、その効果は薄れガチということがいえる。
それで思い出すのは、昨年末にNHKスペシャルであった「"新富裕層"vs国家~富をめぐる攻防~」という番組である。
この番組は、所得が海外に流出するという話ではなく、富裕層ソノモノが海外に移住している話である。
国なんてどうでもいい富裕層がいれば、「トリクルダウン」説は現実にはますますありえないことになる。
番組では、「新富裕層」と呼ばれる人々に焦点をあてていた。
彼らは個人投資など金融で儲けた人が多いらしく、そのような個人投資で儲けた所得に対する「課税率」を低い国に居住することノミを考える。
アメリカではレーガン大統領時代にサプライサイドエコノミクスが注目をあびたが、今からふりかえるとトリクルダウン的発想らしきものがあったように思える。
またクリントン大統領時代のIT革命によって景気は浮揚し、貧困層まで持ち家が持てるばら色の夢をもたらす「サブプライムローン」なるものが登場した。
しかし、住宅バブル崩壊からさらにリーマンショックをまねく結果になったことは記憶にあたらしい。
では住宅バブルはじけた後、もともと貧困層といわれる人々の生活はどうなったのであろう。
最近の新聞によれば、「不完全就業者」と呼ばれる層が増えているという。
生活をささえるために、やむを得ず低賃金のアルバイトをしたり、働きたいのに職探しを諦める人々である。
安倍政権の消費税を段階的にあげ、法人税減税や投資減税などを減らす方向にある。
金持ちを引き寄せ「投資」を引き寄せる環境づくりとみることはできるが、その投資が果たして製造業やモノつくりにまわってこそ、その経済効果が広がっていってはじめてトリクルダウン仮説の妥当性がいいあてられる。
しかし、今のところ税金が安く賃金が安い国さらには環境への配慮が浅く「人権意識の低さ」を強みに変えた中国やアフリカが「世界の工場」となっているのである。
そればかりか製造業の「質的変化」があげられる。
パソコン世界最大手の中国レボノグループがアメリカ北東部のノースカロラナ州に新パソコン工場を建設し、地元では雇用の大幅増を期待したが、稼動当初にわずか115人しか雇われなった。
最新の生産ラインでは、極限まで無駄が省かれ、多くの人手を必要としないからである。
またミネソタ州の世界首位の「3Dプリンター」の工場でも、巨大な冷蔵庫のような100台以上の3Dプリンターが並ぶ工場内は人影はほとんどないという。
こうした工場では「無人化」が進行し、静かな機械音だけが響くだけだという。
現状は「トリクルダウン」よりも「スクイーズアウト」、つまりシボリ取れるだけシボリ取るかんじか。