ハイリスク年金マネー

数年前、「もしも女子高生がドラッカーを読んだら」という本が売れたが、今の日本で「もしも年金生活者がドラッカーを読んだら」どうだろう。
退職者が経済社会を支配するなんて、誰も信じラレナイだろうが、実は日本でそのキザシが表れているのだ。
経営学の大家ドラッカーは、”今”の中に未来の種子を見つける天才だが、著書のタイトル「すでに起こった未来」という言葉がそれをよく表している。
ある著名な日本の企業経営者が「右手に聖書、左手にドラッカー」と言ったのは、両者とも世の中を読み先を読むのに欠かせぬ「情報源」だからかもしれない。
ドラッカーは「現代の予言者」ともいわれるが、何か神秘的な力をもって予言するのではなく、あくまでも今アル「兆候」を見逃さずに予想しているにすぎない。
その意味で「着眼の人」といえるかもしれないが、凡人と違うのはそれを理論的に展開して未来を考察する能力である。
そのドラッカーが1970年代半ばの時期に、企業年金が経済を支配し、アメリカが社会主義化していくと予想した。
しかし個人的に、アメリカが社会主義化している兆候といえば、せいぜい経営破綻したGMが国家管理に入ったことぐらいしか思い浮かばない。
ドラッカーが意味するところは何だろうか、そしてその予想を日本にアテはめたらどうだろうか。
さて、日本における企業年金について思い浮かぶのは、各地の「厚生年金基金」が長引く不況による財政難で、相次いで解散しているぐらいだから、企業年金が社会を支配するというドラッカーの予想は、日本社会では「妥当性」がないように思える。

もっとも基本的な話をすると、個人年金は個人が保険料を支払い、積立てられた資金を元に年金で受けとるものだが、「企業年金」は企業が保険料を支払い、退職後に従業員が年金として受け取るものである。
さらに公的年金には、自営業者とか無職の人が保険料を支払う「国民年金」と、会社と従業員が「折半」して保険料を支払う「厚生年金」とがある。
間違い易いのは、公的年金たる「厚生年金」と、企業年金である「厚生年金基金」である。
企業年金なのに「厚生年金基金」なんて混乱しやすい名前をつけるのは、厚生年金基金は、サラリーマンが入る厚生年金(公的年金)の積立金の一部(代行部分)を国から預かって、厚生年金に上乗せするする企業年金と一緒に運用しているからだ。
したがって基金が積み重ねる保険料は、代行部分を企業と社員が半々で払い、上乗せする企業年金部分は企業が保険料を払うカタチだ。
しかし、厚生年金基金は、主に中小企業が業界ごとに集まってつくっているが、長引く不況による財政難で解散が続いてきた。
以上は日本における混み入った仕組みだが、アメリカでは企業年金は企業が保険料を支払うとシンプルに考えておけばよい。
ここで注意したいことは、アメリカは「企業年金中心」の社会であり、日本は「公的年金中心」の社会であるということである。
さて、ドラッカーはこの企業年金の「基金」こそは膨大な「原資」を形成し、企業年金が経済を「社会主義的」に支配するようになると予想したが、その意味するところは何なのだろうか。
まずドラッカーは、アメリカにおいて1950年代より企業や公務員の年金が著しく成長したことに着目し、アメリカ企業の最大の所有者は「年金基金」になったとことを指摘した。
アメリカで早くから「ものいう株主」が実現しているひとつの理由は、自分達の老後のための年金資金が、リスクの高い「株式」で運用されるからからである。
ということは、アメリカでは、サラリーマン・公務員といった多くの「年金加入者」が、企業を「間接的」に保有しているオーナーということになる。
だからアメリカの企業文化の特徴である「株主重視」は、年金基金が大株主となった場合にサラリーマンや公務員といった「年金加入者」の利益保護にツナガっており、大資本家を利するダケのものではない。
そして早くから実現している「モノ言う株主」は、時に会社側の提案議案に反対の議決権行使をしたり、独自の議案を提出したり、役員を送り込んだりして「経営改革」を迫ることもある。
例えば、カリフォルニア州の公務員の米国最大の公的「退職年金基金」であるカルパースは、総資産は円換算で26兆円にも達するという。
その運用スタイルは年金基金にしては驚くほど積極的で、新興国の株式やヘッジファンドへの投資なども行っている。
そして、ガルパースがその存在感を最も示したのは、GMの経営トップを退陣に追い込んだ出来事であった。
ドラッカーはこのように、公務員や労働者が「退職給付原資」(=基金)を通じて資本を支配していることを指して、アメリカが社会主義化した指摘したのである。
実際にアメリカでは、1970年代当時でさえ、すでにアメリカ企業の株式のうち、約1/4を「年金基金」が所有していたのである。
そして、1990年代には「年金基金」の持株比率は3割に達しており、さらにアメリカはこれを「原資」として、日本でいう「投資信託」のようなミューチャル・ファンドにも多くの株式を保有している。
ただし、アメリカの膨大な「年金基金」の存在は、簡単には株式を売却できないことにつながる。なせならそれは株価暴落につながるからだ。
そこで彼らは、投資先の企業に対して「経営の透明性」を求め、長期的な「株価値向上」を促しのたのである。
そうすることで、企業の社員は年金の保護という名目で、株式の値上がり益ばかりではなく、企業の利益の一部(配当)も手にすることができるからである。
アメリカ社会で早くから「モノ言う株主」や企業経営の「透明性」が求められたのは、以上のような事情があってのことだ。

日米の経済文化の違い「年金基金」の観点から見ると、アメリカの年金制度は企業年金や公務員年金など「私的年金」が中心であり、その運用は積極的な株式投資を行ってきている。
一方、日本の年金制度の中心は「公的年金」であり、「国民年金」や「厚生年金」は、資産の7割を「国債購入」にあてている点である。
ところが今、日本の年金基金にも「積極的な」資金運用の波が押し寄せている。
というのは、1990年代後半以降、銀行・企業間の持ち合い構造が崩れる中で、日本の株式市場においても、外国人投資家が大幅に増加したからである。
1993年には、前述の「カルパース」が、株式を保有するいくつかの日本企業の株主総会において、経営陣が提出した議案に「反対投票」を投じ、企業の経営にたいして積極的に発言する姿勢を見せた。
その流れに乗るカタチで、今では国内の年金基金・投資信託の中にも「モノ言う株主」として活動するところが多くなっていったのである。
ただ、日本の場合「年金基金」が株式投資しても、企業の「内部留保」が多く企業の「配当性向」が低いため、株の値上がり益までは期待できても、アメリカのように老後にその「配当」を受けるという点では妥当性を欠いている気がする。

さて今の日本で、ドラッカーのいうところの「社会主義化」が起きつつあるのではなかろうか。
それは日本における、「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)の巨大化である。
ここで「年金積立金」と言うのは,国民の納める厚生年金・国民年金の保険料から年金として支給された分を差し引いた後の積立金のことである。
この年金積立の運用は元々、国が自前でしてきたが、財政投資融資制度の改革で01年度に特殊法人の運用基金に移され、16年度にGPIFに衣替えされた。
厚生労働省が定める運用の基本方針に沿って、具体的な資産構成などを決める。
そしてGPIFに委託されている運用の総額は130兆円にもなり、世界最大規模となっているが、それが来年には、ソレが200兆円近くに達するという。
というのは、個々の判断で運用してい公務員が加入する共済年金の積立金が来年秋には厚生年金に統合されることになる結果、その30兆円もの運用資金がGPIFに加えられることになる。
さらに官庁・各省庁の独立行政法人の運用資産50兆円が、GPIFに統合される予定である。
すべて合計すると、GPIFの運用総額はナント200兆円に達してしまうのである。
要するに、日本のGPIFは 世界最大級の「機関投資家」となるのだ。
東京証券取引所の時価総額は450兆円であるから、その半分近い額となり、GPIFの采配ひとつで株価を動かせるということである。
ところで、日本人は世界でまれに見るほど貯蓄性向の高い国民で、年金の積立は老後の生活設計の土台であるから、その運用には慎重の上にも慎重を期さなけれならない。
そこで、資金の運用にあたっては安全・安定に徹するために、厚生労働省により基本ポートフォリオ(資産構成の割合)というものが決められている。
最近のその割合は、国内債券55%で安定した価額の債券中心の運用ということである。
一方、相場変動の激しい株式での運用の目安は、12%とされておりソノ上下6%の範囲の中で保有することが認められる。
ところがを今、株式保有の割合を実に20%台にまで引き上げるようという動きが起きている。
これもアベノミクスの一面と思いたくなるのは、GPIFが巨額の株式を買い増ししており、「株価を下支え」していたという側面を無視できない。
つまり、「消費税増税」や「成長戦略の弱さ」、粉飾決算などによる外国人投資家撤退などで低迷気味の株価を年金マネーが下支えしたのである。
言い換えると、年金マネーの株価下支えは、現政権の「内閣支持率」の下支えにもなっている。
さて年金基金は、これまでは市場変動の少ない国内の債券を中心に慎重な運用を心掛けて、それを原則に基本ポートフォリオを決めてきた。
ところが、政府が公的資金を使って市場に介入して株価をつり上げることで、政権に有利な状況を作り出すことに味をしめてしまうと、万が一、リーマンショックの再来のような世界危機に見舞われば、たちまち、国民は「老後」を失うことになる。
GPIFの巨大化をバックに、現政権は国民をハイリスクに投げ込まんとしているのである。
しかもそのハイリスクが国民にとってはハイリターンとは限らないのである。

アメリカの退職年金基金の場合は、株式の売却が株価暴落という問題をひきおこす。
一方、日本のGPIFの場合、その運用対象を安定し国債からリスクの高い株式へシフトするとなると、国債を売却することになり、国債の暴落が問題となる。
今アベノミクスによって史上最高額を更新している日銀の国債残高が一気に劣化していくという問題にぶつかる。
今、日本の国債は、海外に魅力的な資産がないのか、よほど国民が愛国者なのか、その9割が国内で消化・保有されている。
ただアベノミクスの異例の金融緩和で、その国債保有が日本銀行に偏りつつあり、市場での取引が究めて少なくなっている。
日銀の国債保有高は、政権交代の直前には110兆円程度であったが、現在は210兆円にもなっている。
こういうときに国債が大暴落するとなると、日銀の資産は一気に劣化してしまい、日本経済自体がたちゆかなくなる。
そもそも、アベノミクスの明白かつ基本的な矛盾は、日銀が掲げたインフレ率が目標の2%台に近付けば、すくなくとも長期金利(10年もの国債基準)も同程度に上がるとが予想される。
となると、その分だけ国債総額は減価するわけでだから、日銀が市場を低金利に押さえ込むために買い続けた大量の国債が、皮肉にも価値を失っていくことになる。
そうなうと日本政府の国債の利払いも巨額になり、財政赤字がますます深刻になるということだ。
さらに、GPIFの資金は年金受給者のものであるから、資金を株で運用するのならどうしても譲れないことがある。
それは企業統治(コーポレート・ガバナンス)の徹底である。日本ではオリンパス事件をはじめとする粉飾決済事件が相次ぎ、外国からみてその経営の不透明感はぬぐえない。
独立性の高い社外取締役の義務化などガバナンスが行き届かなければ、とうてい外国人投資家を引きつけることはできない。
そして最終的に一番懸念されているのは、国民が政府の財政運営能力に「NO」をつきつけることである。
巨額の財政赤字と少子高齢化という深刻な慢性病を抱えているために、経済に成長がなければ、入ってくる保険料は減り、年金の支給の方がどんどん大きくなるばかりである。
日本でサラニ高齢化がすすめば、年金の積立金は徐々に取り崩されていき、マイナスの資本形成になっていくことになる。
そのためには、社会保障制度を持続可能なものとして、革新的研究開発への支援や女性の就労支援に資する子育て環境の整備など、長期的な成長と雇用拡大に繋がる政策を重点的に行っていくことが必要がある。
しかし、国民が政府の財政改革にNOを突きつける理由は、そういう経済的な側面ばかりでではなく、「政治不信」がボディー・ブロウのように効いてくるのではなかろうか。
隠れ蓑を使って相変わらず横行する天下りや兵庫県議の絶叫会見で話題になった「政務調査費」の使い道などで生じる政治不信の蓄積が、国税の使い方への不信をまねいている。
国民が税金を払いたくない気持ちになれば、財政健全化の道はますます遠のいていくことになろう。
数年前のAIJ事件かきっかけで、厚生労働省は、全国「厚生年金基金」(=企業年金)に天下りした旧社会保険庁(現・日本年金機構)など国家公務員OBの役職員が、2009年5月時点で646人に上ったことを明らかにした。
当時あった614の厚年基金のうち399基金に国家公務員が天下っていたのだが、彼らは資金運用のまったくの素人であることを忘れてはならない。
数年前のAIJの資金運用失敗でみるごとく、天下りで「税金」をムサボったうえに、資金運用の運用失敗で詐欺的行為を行い、一般庶民の「老後」を奪い取るという過ちを起こしている。
さらに、公的年金である「国民年金」や「厚生年金」の原資は保養施設などの「ハコモノ」ヅクリに運用され、それが建設業界や開発業者の利権とも繋がっている。
こういう資金運用しかできない企業年金や公的年金に老後の資金を託した上で、その失敗を埋めるために増税となると、誰しも国の財政運営能力に「NO」をつきつけたくなっても不思議ではない。
もしも国債を買って政府にお金を貸しても、お金は返ってこないかもしれないという疑念が一般化すれば、国債の売りが大規模に起こる。
それで国債が売れれば、銀行にお金が戻ってダブついて、そのお金が貸し出され、信用創造を通じてあふれ出してハイパーインフレが起きることもになる。
しかしこれは民間の豊富な「資金需要」があってこそ起き得るシナリオであって、より起きる可能性があることは、国民は増税はイヤだといい、政府が発行する国債の引き受け手もなくなると、日本銀行が国債を引き受けるほかはなく、新たに紙幣が印刷されて市中に出回りハイパーインフレーションが起きるというシナリオである。
これは、増税と同じ結果をもたらすものの、対象を選ばないインフレは生活貧困者をより直撃することになる。
アベノミクスは、かつてどの国もやったことがないほど大胆なもので、政府の思惑通り、市場に大きなインパクトを与えた。
規模ばかりか中身も、日銀が購入する資産内容の範囲が広げられた。
これまで日銀は、できる限りリスクを負わないようにするために、価格変動リスクの高い長期国債の購入を避けてきた。
ところが異次元の金融緩和策では、長期の国債だけでなく投資信託などのリスク資産も買うようになった。
ただ、日銀があまりにたくさんの国債を保有し続けることは、上記の理由でトテモ危険なことである。
いつか国債を売り戻さなければならないが、ソノ出口戦略をどうするのかは、イマダ未知の領域なのである。