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ありのままのメシア -寄道話-
(第五話〜第六話の間)

   ・Reptiles' tragedies

「ベルエさーん、お届け物でーす」
 夕食時に、玄関先から声が響いてきた。
「はい、今行きます」
 居間でメシアと一緒に食事を取っていたソフィスタは、椅子を引いて立ち上がった。メシアも立ち上がろうとしたが、ソフィスタに「大人しくメシ食ってな」と止められてしまった。
 ソフィスタは一人で玄関へな向かい、居間にはメシアとセタとルコスが残される。
「まいどー。こちらにサインをお願いします」
 玄関先から、聞き覚えの無い男の声が響いてくる。誰が来たのだろうと気になったが、声の主は「まいどありがとうございます」と言って、すぐに去ってしまったようだ。玄関のドアが閉まる音がして、男の声は聞こえなくなる。
 それから間もなく、ソフィスタが大きな四角い荷物を抱えて居間に戻ってきた。何故か彼女は、浮かぬ顔をしている。
 荷物が重いからだろうと思って、メシアは食事を取る手を休め、ソフィスタを手伝おうとしたが、その前に荷物は床に下ろされた。
 やはり重かったようで、ソフィスタは荷物から手を離すと、ふうっと息をついた。
「どうしたのだソフィスタ。誰が来たのだ?」
「ただの運送屋だよ」
「運送屋?」
「荷物を運ぶ仕事を請け負っている人のことだ」
 メシアに運送屋のことを大雑把に説明しながら、ソフィスタは包装紙を破り始める。
「では、その荷物はどこから運ばれてきたのだ」
「べつにどこだっていいだろ。お前には関係無い」
「…それはそうだが…魔法生物に関わることではないだろうな」
「それだけは違うから心配するな」
「そうか。では、中身は何なのだ」
「それをこれから調べようとしてんじゃねーか」
 くしゃくしゃに丸められた包装紙を床に落とし、ソフィスタは包まれていた箱のふたを開けた。
 メシアは箱の中身を覗こうと身を乗り出したが、それに気付いたソフィスタは、慌てて箱のふたを閉めた。
「ば・ばかっ!覗くんじゃねーよ!!」
 そうソフィスタに怒鳴られ、メシアは反射的に姿勢を戻す。
「どうしたのだ。一体何が入っていたのだ?」
「何だっていいだろ。魔法静物に関わることじゃないんだから、お前は気にするな」
 ソフィスタは、両手で箱を押してテーブルから離し、運送屋が来る前まで座っていた椅子に腰をかけた。
「ほら、さっさと飯食えよ。片づけが遅くなるだろ」
 そう言って、ソフィスタは料理を口に運び始めたので、メシアも食事を再開した。
 箱の中身が全く気にならないわけではないが、少なくとも悪いものではないだろう。そう思ったのは、覗くなと言った時のソフィスタが、どこか照れているように見えたからだった。
 悪いものではないのなら、嫌がっているのを無理に見ようとすることは良くないことだ。
 そう考えたメシアは、箱の中身をソフィスタに追求するのは止めた。


 *

「うわぁ…」
 次の日の夜。メシアが風呂に入っている間に、ソフィスタは自室で箱の中身を勉強机の上に並べていた。
 ローヒール、コルセット、アクアマリンのイヤリング、バラの髪飾り、化粧道具一式…などなど、普段ソフィスタが絶対に身に着けない服やアクセサリーといったものばかりが、箱の中に入っていた。
 そして今、ソフィスタが手にして眺めているのは、これでもかというほど清楚で女らしいドレスであった。
 アクアマリンのイヤリングと同じ色をベースとし、胸元には虹色に輝くビーズが散りばめられている。
 スカートは小川の流れを表すように、透き通った薄地を重ねており、生地の裾に入れられた銀糸の刺繍は、まるで太陽の光を反射して輝く水面のようだった。
 決して派手ではないが、着る者を水の精霊と見間違えてもおかしくないほど清らで神秘的なドレスである。
 一緒に箱の中に入っていたアクセサリーなども、全てこのドレスと組み合わせて身に着けられるものだった。
 …な・なんだよコレ…こんなのを、あたしに着れってのか…。
 すごく嫌そうな顔でドレスを椅子の背もたれにかけ、箱の中に残っている一枚の紙を取り出した。
 そこには、無駄に達筆な字で、こう書かれていた。

『ノーヴェル賞受賞祝いにドレス一式を送ります。式典にはこれを着ていってネ☆
    ―――パパ&ママより』

 それを読んだソフィスタは、「しくじったぁ〜…」と呟いて床に突っ伏した。
 …くそぉ…ちょっと考えれば予想できたはずなのに…。確かに、受賞式典に着ていく服に悩んはいたけど…。
 ソフィスタの両親は、一人娘であるソフィスタを溺愛し、昔からソフィスタにプレゼントを与えたがっていた。
 ソフィスタは、物を欲しがって親に駄々をこねたり、わがままを言って親を困らせたことがほとんどなかった。しかしそれが寂しすぎたのか、ソフィスタが家を出ると、両親は今までの反動のようにプレゼントを送るようになった。
 アーネスで一人暮らしを始めて一ヶ月間は、微妙に需要製があって返すことができないプレゼントがしょっちゅう届いていたが、定期的に実家に手紙を書くことで、どうにかプレゼント攻撃を止めることができた。
 だが、下手なことを手紙に書くと、すぐ大袈裟なプレゼントが届くのは、どうしても止められなかった。
 ノーヴェル賞を受賞し、式典に参加することは、メシアがアーネスに訪れる前から既にソフィスタに通知済みで、メシアが来る少し前に両親に宛てた手紙にも、ノミネートされたことを書き記していた。
 だが、着ていくものに悩んでいるとは、一言も書かなかったはずだ。
 なのに送られてきた、この正装一式。
 …着る物に困っていることを書かないんじゃない。着る物に困っていないと書かなければいけないんだった…。
 おそらく母のコーディネートだろう。ソフィスタの誕生石と同じ色を用いたり、ソフィスタがかかとの高すぎる靴を嫌っていることを知ってローヒールを送ってくるところなど、デザインも機能性も申し分無くて、文句を書いた手紙と共に送り返す気にもなれない。
 溺愛する一人娘の栄誉に舞い上がる気持ちも分からなくはないが、このプレゼントは、今まで送られてきたものの中で一番大袈裟である。
 …まあいいか。式典に着ていくものがなかったのは確かだし、ヒュブロの連中はもっと派手な服を着ているらしいしな。
 王都ヒュブロは芸術の都として有名であり、世界屈指のデザイナーが手がける服飾店もあるので、私服でも派手な者が多い。それに比べれば、送られてきたドレスなど、派手すぎもせず、地味さも無く、授賞式に着ていくぶんには丁度いいものだった。
 あまり女っぽい服装は着たがらないソフィスタだが、どのみち男っぽい服は着ていけないのだ。そう考えると諦めもつく。
 今まで両親から送られてきた大袈裟なプレゼントの数々も、こんな感じに諦めがつくものばかりだった。もしかして両親は、そういうことを計算してプレゼントを選んでいるのだろうか。
 …とにかく、メシアが風呂に入っている内に、ちょっと着心地を調べてみるか。
 サイズが合わなかったら、授賞式当日までに調節しなければいけないし、こんなドレス姿をメシアに見られたら、彼に何を言われるか分からない。
 念のため、部屋のドアに鍵をかけてから、ソフィスタは着ているものを脱ぎ始めた。


 *

 浴室から出て寝間着に着替え、紅玉のアクセサリーを左手にはめたメシアは、襟飾りと耳飾りをタオルで包み、ソフィスタの部屋へと向かった。
 布地の服はソフィスタが洗ってくれているが、宝石や金属製のものは自分でまめに手入れをしている。
 いつもはソフィスタが先に風呂に入り、その間に彼女の部屋で手入れをしているのだが、今日はソフィスタに先に風呂に入るよう言われ、断る理由も無いので素直に従ったのだった。
「ソフィスタ。風呂を出たぞ」
 メシアはソフィスタの部屋の前に立ち、ドアをノックする。
「わ、待て!今、着替え中だ!」
 部屋の中から、ソフィスタの焦っている様子の声が聞こえた。
 着替え中と言われては入るわけにはいかないので、メシアはドアから一歩後ろに下がって待つ。
 しばらく部屋の中はドタバタと騒がしかったが、やがて静かになって、パジャマを抱えたソフィスタが出てきた。
「じゃあ、風呂に入ってくるから。部屋にある箱は絶対に開けるなよ!」
 そうメシアに念を押して、ソフィスタはそそくさと去ってしまった。
 何をそわそわしているのだろうと不思議に思いながら、メシアはソフィスタの部屋に入り、ドアを閉める。
 部屋の隅には例の箱が置いてあり、ふたの上にはセタとルコスが乗っている。
 ソフィスタに言われて、箱を守っているのだろう。そんなに警戒するほど見られたくないものが、あの箱の中には入っているというのだろうか。
 …まあいい。それより、耳飾りと襟飾りの手入れをしよう。
 メシアは、耳飾りと襟飾りをくるんだタオルをソフィスタの勉強机の上に乗せ、椅子に座ろうとした。
 その時、何か柔らかいものを踏んづけて、メシアは反射的に足下を見下ろした。
 …む、これは…?
 メシアは、それを拾い上げる。
 二つの丸み帯びた三角形の布を、幅の広い帯で繋ぎ、さらに二本の紐で、面積の広い布と帯が繋がれている。帯の端には、それぞれ形が違う金具がついていた。
 メシアには、『変わった形で金具の付いた布』にしか見えなかったが、ぶっちゃけると、それはブラジャーであった。
 そういえば、洗濯物はいつもソフィスタが洗って畳んだりしているのだが、その中にこの変わった形の布きれも入っていたなと、メシアは思い出す。
 …片付け忘れていたのだろうか。だが、まだ温かい…。
 メシアは丸み帯びた三角形の生地――カップの部分をふにふにと触り、弾力と温度を確かめる。ハタから見れば変質者だが、メシア自身は人間の下着には興味が無いし、下着であることにすら気付いていない。
 …もしかして、つい先程までソフィスタが身に着けていたのだろうか。
 だが、普段のソフィスタが、この布きれを身に着けている様子は見たことが無い。
 …その割には、毎日これと同じ形の布が、他の洗濯物と一緒に干されていたような…。
 金具をいじったり、紐を指に絡めたりしながら、メシアはこの布の使い道を考える。
 …この幅の広い生地で、体の何かを覆う物だとしたら…。
 面積が広い生地は二つ。体に二つあるものと言えば、まず思いつくのが目。
 女物の下着であることも知らず、メシアはカップで目を覆うようにして、ブラジャーを装着し始めた。
 帯――ブラのベルトを頭にまわして軽く結んで固定し、ベルトとカップを繋ぐ二本の紐――肩紐を交差させるようにして引っ張ってみる。
 セタとルコスがガタッと音を立てて箱を揺らしたので、そちらを振り向いたが、カップで目を覆っているので、二匹の様子は見えなかった。
 …よく考えてみたら、ソフィスタがこれを身に着けている所を見たことがないので、こうやって目立つ箇所には身に着けないものなのかもしれぬ。
 メシアはブラを頭から外した。セタとルコスは箱の上から移動していないが、何やらそわそわしている。
 …それに、この紐には何かを通すのではないか?
 メシアは一本の肩紐に、右腕を通してみた。
 腕の付け根まで通したが、そこからどこをどう装着していけばいいのか分からず、とりあえず巻いてみることにした。
 右腕に肩紐を通したまま、カップの外側が腕に接するようにブラを巻き付けたところで、ベルトに付いている金具が留め具であることに気付いた。
 金具同士を引っかけて止め、ブラを右腕に固定する。余った一本の肩紐だけが、だらりと垂れ下がっている。
 それを引っ張って右腕ごと持ち上げる。
 カップの外側はレース状になっているので、腕に擦れてかゆくなった。
 …これも違うような…。腕ではなく、足に通すのか?
 右腕からブラを外し、肩紐に両足を通して膝まで引き上げた時、メシアはピンときた。
 …もしかして、これは尻を保護するものなのでは!
 ピンときた割には的はずれの推測だが、メシアは真面目に考えている。
 …だとしたら、これは下着の一種…いや、違う。少なくとも、尻を保護するものではないような…。
 以前、ソフィスタのズボンをうっかりずり下ろして下着を見た時は、この使い道の分からない布を下半身に身に着けていなかったと、メシアは思い出した。
 当然ソフィスタは、その時どころか生まれて一度もブラジャーを下半身に装着したことなど無いが。
 …わからぬ。一体これはどこに身に着けるものなのだろうか…。
 ブラジャーを引き上げながら、メシアは悩む。
 その時、こちらへ向かってくる足音が聞こえ、メシアはドアの方へ顔をやった。
 ソフィスタの足音を判別できるようになってきたメシアは、風呂に入ってきた割には戻ってくるのが早いと不思議に思う。それに足音は、普段ソフィスタが歩いているペースより若干早い。
 何か忘れ物でもして、風呂に入る前に戻ってきたのだろうか。
 肩紐を太股まで通されているブラジャーを見下ろしながら、そう考えていると、足音は部屋のドアの前まで止まった。
「おいメシア。開けるぞ」
 ドアがノックされると同時に、ソフィスタの声が聞こえた。悪気無くブラジャーをいじっているメシアは、「いいぞ」と即答した。
 そして、メシアが返事をしてすぐ開かれたドアの向こうから、服の上から胸を隠すように腕を組んでいるソフィスタが姿を現し、メシアに何かを言おうと口を開きかけて…固まった。
 目の前で、自分のブラジャーを足に通して履こうとしている姿の男を見れば、そりゃショックも受けるだろう。
 だがメシアは、そんなソフィスタの心境も知らず、何食わぬ顔でブラジャーのカップを抓んで引っ張っている。
「ソフィスタ。こんなものが落ちていたのだが、これはどうやって身に着けるものなのだ」
 デリカシーがないとか天然とか、もはやそんな言葉では片付けられないメシアの姿に、固まっていたソフィスタの魔法力が一気に高まった。
 箱の上に乗っていたセタとルコスは、箱の後ろに隠れて縮こまる。
「こ・こ・このド変態がぁぁぁぁ――――!!!!」
 ソフィスタは、片腕で胸を隠したまま、もう一方の腕を宙を薙ぐように振るって叫んだ。
 その手の動きの軌道上に、破壊力を帯びた光球が生じた。メシアは身の危険を感じ、逃げようとしたが、ブラジャーの肩紐に足を通したままではろくに動けなかった。
 たちまち光球が、もたついているメシアに向けて放たれ、彼の上半身に直撃した。
 悲鳴も上げられないほど強力な攻撃魔法を喰らい、メシアは床に突っ伏した。そこにソフィスタが駆け寄り、魔法で威力を増した蹴りをメシアの横腹に叩き込んだ後、彼の足からブラジャーを剥ぎ取った。
「ふざけんなよこのエロトカゲ野郎!!覚悟はできてんだろうな!!!」
 ソフィスタはブラジャーを握り締め、鬼も竦み上がる形相でメシアを見下ろし、そう叫んだ。


 それから始まったソフィスタの折檻は、ソフィスタとメシアが出会った次の日、メシアがソフィスタの頬を叩いて数倍にして返された猛攻撃を上回る、恐るべきものであった。
 途中で意識を失ったため、それがどれほどのものであったかハッキリとは分からないが、ズタボロにされた寝間着と、体に残された傷痕が、そのすさまじさを物語っていた。
 それでも、普通の人間であれば検死所に直送されてもおかしくないほどの攻撃魔法を叩き込まれておきながら、重傷を負って気絶はしたものの、一夜明けて意識を取り戻し、怪我の治りも早いメシアの様子を見て、彼の体の丈夫さにはソフィスタも呆れるばかりだった。
 あの紅玉を身に着けていたおかげで、魔法の威力が減少したのだろう。意識を取り戻したメシアは、真っ先に神に感謝の祈りを捧げた。



「そんなに触られたくない下着であったのなら、なぜ片付けておかなかったのだ!!」
「忘れていたことは悪かったけど、下着をあんなふうに触られて怒らない女はいねーんだよ!」
「貴様の場合は怒るだけでは済まないではないか!神のご加護がなければ殺されるところであったぞ!!」
「神の加護があるから殺す気でやったに決まってんだろ!!」
「あんまりだ!!!」

 この日、ソフィスタはメシアの介護のために学校を休んだが、介護のわりには威勢の良い声が響いていたと、彼女の家の近くを通った学生たちは、口を揃えていた。


   (終)


・あとがき

 第六話の二章で、メシアがソフィスタのブラをいじって叩きのめされたということを書きましたが、それがこのお話です。
 ソフィスタの両親がソフィスタに送ったドレスの話をどこかで書けないかなーと悩んでいたのですが、二章でブラのことを書いたとき、この叩きのめされる話と一緒に書こうと考え、書きました。
 授賞式当日は、このドレスを着せます。ソフィスタには。
 …そこまで書けたらの話ですが…(汗)

2009.7.5 umiushi


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