LUNAR2ばっかへ

"華の乱舞"番外編

カウントMK5


「これで賞品はお主のものとなるな」
 剣を鞘に納めたレオは、ライナスの言葉に気がつくと、そちらへと顔を向けた。
「賞品…?」
 レオは、何のことかわからないような表情をする。
「そうだ。もう忘れたのか?お主が参加したのも、それが目当てだったのだろう」
 レオは下を向き、しばらく考え込むようなしぐさをした後、はっとして顔を上げた。
 …そうだ!すっかり忘れていた…!
「…レオが強いことはわかっていたけど、まさか優勝するとは思わなかったよ」
 闘技場に上がって来たジーンは、なぜか照れており、レオの前で立ってはいるものの、目線はそらしている。しかし、どこか嬉しそうだ。
「もしかして、そんなに賞品が欲しかったのかい?」
 ジーンがそう言った直後、レオの顔が真っ赤になった。
「あ。い・いや、違う!私は、ただお前が心配で…」
「へー。じゃあ、いらないんだー」
 ジーンが意地悪そうに言うと、レオの動きが完全に止まった。
「…いるの?いらないの?」
 止まったきり、何の反応も示さないレオの顔を覗き込み、ジーンは遠慮しがちな感じで尋ねた。
「…そ・その…」
 ライナスとの闘いが終わり、汗も引き始めていたというのに、レオは再びだらだらと汗を流し始めた。


 事の発端は昨日の朝。ホーンの武闘大会の個人戦本戦が始まる直前にあった。
 大会は、流派ごとで競い合う団体戦と、流派とは関係なく、個々の実力を競い合う個人戦に分かれており、団体戦は本戦まで、個人戦は予選まで終わっている。
 レオは、始めのうちは、ライナス、ボーガン、そしてマウリの四人で、観客席に座っていた。
 かつての四英雄が、その場にそろっているわけだが、マウリは赤神官を名乗っている。
 赤神官は、団体戦本戦で共に戦った仲間、アスカとリティを応援するため、ここにいるのだった。アスカとリティは、個人戦本戦に出場している。
『レッディース・エァーン・ジェントルェメンタツー!!なんちゃって〜』
 実況の青竜が、どこで元ネタを知ったのか分からない古いギャグを飛ばしたが、誰も笑わず、首をかしげただけだった。
『…え〜…個人戦本戦を始めます…』
『ま、まあ、元気を出しなよ』
 暗く沈んだ青竜を、解説のジーンがなだめる。
『ウン…そうだね。じゃあ早速試合を始めまーす…と言いたい所だけど、今回本戦に参加するはずの選手さんたちが、いっぱい欠場しちゃったんだ。だから、これだと不戦勝ばっかりが出ちゃって、選手さんも観客さんも僕も面白くないよね』
 青竜の言う通り。個人戦本戦に出場するはずだった選手の欠場率は、大会始まって以来の高確率で、とても試合を始められそうにもない。
 団体戦本戦で発覚した、毒ガマ拳の不正行為によって、毒ガマ拳の選手はもちろん、その被害に会った選手たちも、欠場することになってしまったのだ。
 そういったごたごたがあって、団体戦本戦から、個人戦本戦を始めるまで、予定より日が延びてしまったので、何人かは復帰できたが、それでも人数が埋まるには程遠い。
 ということで、土壇場になって大会本部が出した判断は…。
『だから、飛び入り参加を急遽受け付けることになりました〜』
 少々いいかげんなものだった。観客席は、その言葉に盛り上がるが、レオやジーンは呆れる。
『さあ、参加したい人は闘技場に上がって上がって。無所属大歓迎っ。勇気があるならどんどん上がってこ〜い』
 青竜がノンキな口調で呼びかけるが、人はなかなか集まらない。
「レオ。お主は参加せぬのか?」
 ライナスがレオに尋ねた。
 ちなみに、団体戦の決勝で大怪我をしたライナスは、マウリの手厚い治療によって完治し、妙な薬を飲んでしまい、泥酔状態に陥っていたレオは、一晩寝るときれいさっぱり治った。
 彼の回復力には医者も驚かされたが、彼をよく知るジーンやマウリたちは「まあ、レオのことだから…」と納得した。
「…いや、私は遠慮しよう」
 レオは、少し考えてから答えた。
 ホーンの拳法家ではないレオには、団体戦本戦では出場したものの、あくまでも助っ人としてだったので、正式な大会の出場権は与えられていなかった。そのため、ライナスたちと共に観客席に座っているのだ。
 しかし、出場権を得ても、レオはそれを拒否した。
「ぬぁんだ。怖気づいたのくぁ?」
 ボーガンがレオをからかうが、本気で見下しているわけではないので、レオは「そうではない」と一言だけで軽くあしらった。
 確かに、多くの猛者と戦ってみたいという気持ちはあった。
 しかし、こういった人の多い場所では、おのずと事件が発生する確率が高いので、そういった事態に陥った時に、いつでも対応できる立場でありたかった。
 だが、そんなレオの考えを吹き飛ばす発言が、間もなく青竜の口から出ようとしていた。
『ひーふーみー…少しは集まったようだけど、まだまだ足りないね』
 ジーンは困った顔で青竜を見た。青竜も悩んでいるようだ。
『う〜ん…そうだね〜。…よしっ。こうしよう』
 青竜が、ひらめいたと言わんばかりにピンと尻尾を立て、ノリノリの声で言った。
『優勝者には、ジーン姉さんのキッスをプレゼントしま〜す♪』
「何ィ―――――――!!!?」
 レオとジーンを含む、会場内にいる人間の半数以上が、一斉に立ち上がって叫んだ。
『んなっ、バカ!人の唇を勝手に賞品にするんじゃないよ!!』
 ジーンは手にしていたマイクを床に叩きつけ、青竜の耳を引っ張った。
『まーいいじゃん。あ、ホラ、何人か闘技場に群がってきたよ』
 青竜が指し示した闘技場には、観客席から下りてきた野郎どもが、わらわらと集まってきた。中には女性もいる。奇妙な光景である。
「ンなっ…ジ、ジーンが…キッスだとぉ!!!?」
 レオは、立ち上がったまま、わなわなと肩を震わせている。
「ど・どおしたレオ。急にとぁちあがって…」
「ほう。そういうことか。ならばお主もさっさと闘技場に行かぬか」
「レオ兄…いえ、レオ様!ここは参加しなければ、男が廃るというものですわ!」
 ボーガン、ライナス、赤神官の三人が、レオに声をかけるが、レオは全く聞いていない。
「ちょぉっと待った―――――――――――!!!!」
 突然、馬鹿でかい声で、ちょっと待ったコールがかかった。
「あれは…リティさん?」
 声の主が、アナウンスへと駆け寄るリティだということに、赤神官が気付く。
 リティは、ジーンが床に叩きつけたマイクを拾うと、『あ〜テステス…』とマイクの調子を確認してから、青竜や観客たちに向かって言った。
『それじゃ不公平だと思いまーす!男の人が優勝すれば問題ないけどー、女の人が優勝したらどうするんですかー!そりゃジーンさんのキスは魅力的ですけどー、同性のキスが嬉しいってことは基本的にありえないことですよねー!』
 それを聞いた、一部を除く女性たちは、「そーだそーだー」と声を上げる。
『そうだねぇ…じゃあ、僕のキッスを…』
 そう言いかけた青竜は、リティに恐ろしい形相で睨みつけられたので、慌てて口をつぐむ。
『ということでー、女性が優勝した場合は、あそこにいるレオ様のキスも選べるってことにしませんかー!!』
 リティは、観客席にいるレオを指した。レオは会場中の視線を集めるが、やはり気がついていない様子。
「なーんですってぇー!!?」
 代わりに、赤神官が反応した。
『そう!レオ様!世界を救った勇者である、正義の騎士!性格もルックスも実力も申し分ないレオ様のキス!!ジーンさんのキスと公平にするのに、あのお方以上に最適な人はいないはず!どーですか奥さーん!!』
 瞳に炎を宿して盛り上がるリティも異常だったが、それに「イェーイ!!」と答える女どももどうかと思う。
 こうして、闘技場に上がる人数が増える一方、レオと赤神官は、今だ立ち尽くしている。
『うわ〜いっぱい集まっちゃったね〜。もうそろそろ募集を締め切ろうか』
 青竜の言葉に、レオと赤神官は、ようやく我に返った。…半ば返っていないかもしれないが。
「くっ…こうならば、私も参加するぞ!ジーンの唇を守るのだぁぁ!!!」
 レオは観客席から闘技場へと駆け出した。
「私も参加しますわ!レオ兄様の唇は、私が守ります!!!」
 赤神官も、レオの後を追う。
「…よし!私も出場させてもらおうか!!」
 さらにライナスまで立ち上がった。ボーガンが、それに驚く。
「ライナス?むぁさか、キスが目当ではあるまいぬぁ」
「いいや。ただ熱気に触発されただけだ。それに…異性が絡むと、人は想像以上の力を発揮するからな。それが下心であってもだ。それを私は見てみたいのだ」
 そう言って、ライナスはニッと笑うと、闘技場へと向かった。
 …単に、キスに目がくらんだ色ボケどもを楽しみたいがためではないのか…。
 他人の色恋沙汰は、いくつになっても楽しいものだ。
 …しかし、あの禁欲的なライナスまで楽しむようになるとは…。
 走るライナスの背中を眺め、ボーガンは「奴も変わったぬぁ」と呟き、この平和で楽しげな世界の空を、満足げに見上げた。

 こうして、レオ、赤神官、ライナスの三人は、個人戦に出場した。
 その前に、あまりに多かった飛び入り参加の数を、欠場した人の数に合わせるため、急遽、飛び入り参加者のみでのリーグ戦が行われた。
 欠場した人の数だけチームを作り、そのチーム内で、一対一の試合を行い、一番多く勝ち星を挙げた者が、各チームから一人ずつ選ばれ、本戦に出場できるというシステムだ。
 レオとライナスは、その実力を考慮され、赤神官は、団体戦本戦に出場していたという名目の元に、三人は、それぞれ別のチームに分けられた。
 レオとライナスは、当然のように無敗を誇り、赤神官も、正義の心で勝ち残り、三人は本戦へと駒を進めた。
 これで、ようやく本戦が始められるわけなのだが、その頃には日も暮れかけていたし、飛び入り参加者の疲労も考えると、本日中には本戦は行えないということで、明日に持ち越された。
 その日の晩、ジーンがレオの元を訪ねるという、アダルトな甘いドラマの幕が開こうとしたが、レオが爆睡していたため、結局幕は開かなかった。

 そして本日。レオたちは闘技場に立った。
 試合は、団体戦本戦と同様のトーナメント戦なので、レオとライナスは、決勝までにあたらないよう配置され、両者、怒涛の強さで勝ちあがっていった。
 レオのキスに燃えるリティも勝ち進んでいたが、赤神官との試合で敗れた。
 下心全開のリティと、彼女を阻止せんとする赤神官による、二人の女の戦いは、それはもう想像を絶する迫力であったという。
 その後も赤神官は、キス目当てで戦う邪な輩を、正義の心でなぎ倒していったが、善良なアスカに敗れた。
 アスカは、キスにはほとんど興味がなく、試合が始まれば、相手が誰であろうと、純粋に戦士として戦っていた。
 しかし、そんなアスカも、準決勝でレオとの戦いに敗れたが、今回の大会で、かつての四英雄の三人と正々堂々と戦えたことに満足していた。
 そして決勝戦。闘技場に上がってきたのは、誰もが予想をしていた通り、レオとライナスだった。
 レオは、ジーンの唇を守るために参加していたのだが、いざ試合となると、アスカと同様、純粋に戦士として戦っていた。それはライナスも同じことだろう。
 二人の互角な戦いは、正に真剣勝負そのもので、その迫力に魅せられた観客たちは、息を呑んで闘技場に目を見張っていた。
 互いの攻防が長引き、疲れが見え始めた頃、二人は間合いをとって対峙した。
 そのまま、二人は全く動かず、観客たちの間にも、緊張の糸がはりつめる。
 そして、しばらく経った後、ライナスがレオに言った。
「怖気づいたか?それではジーンの唇は私のものとなってしまうぞ」
 ライナスの言葉は、本気ではなかった。レオをからかう…という気持ちが全くないと言えば嘘になるが、それが目的で言ったのではない。
 ライナスは、自分が想像している以上の力を発揮するレオと戦いたかった。
 想像以上の力…守るべきもののために戦う時、それは引き出される。
 戦士として戦えば、そのプライドを守るために力は引き出されるが、今のレオには、さらに強い力を引き出せる可能性がある。そう考えたライナスは、あえてレオを挑発したのだ。
 案の定、レオは挑発に乗り、ライナスに攻撃を仕掛けてきた。
 しかし、怒りで我を失ってはいない。レオの集中力は、先程までとは打って変わって、さらに増している。
 完璧な防御は、次の攻撃へと繋がり、鋭い攻撃は、確実にライナスを追い詰めていく。
 それから間もなく、勝敗はついた。
 倒されたライナスの喉元から、紙一重の位置に、レオの剣の切っ先が突き立てられた。ライナスは、思わず息を止める。
 レオがニッと笑った。それにつられ、ライナスもニッと笑う。
「勝負ありだ。ライナス」
「ウム。私の負けだ」
 そして、勝者の名が告げられると、静まり返っていた観客席から、すさまじい拍手と歓声が上がった。
 緊張の糸がほぐれたためか、どっと疲れが出た二人は、息を切らし始めるが、どうにか背筋を伸ばして立つと、互いにがっちりと握手を交わした。
 それからしばらくした後…ライナスはレオに言った。
「これで賞品はお主のものとなるな」…と。


 …しまった!そこまで考えてはいなかった!
 そして現在。闘技場に立ち尽くすレオは、ライナスとの戦い以上の苦戦を強いられていた。
 ジーンの唇を守るという気持ちは強かった。しかし、それ故か、自分が優勝したら、自分がキスをしてもらう立場になるということは、全く考えていなかった。
 そのため、ジーンの「いるの?いらないの?」という問いに、なかなか答えられずにいた。
 さらに、観客たちの視線を一身に浴びているので、どうにも緊張してしまう。
「ちゃんと答えてよ、レオ」
 ジーンがさらに詰め寄ってきた。
「レオ兄…いえ、レオ様!今こそ男を見せる時ですわ!!」
 ボーガン、アスカ、リティの三人と並び、観客席にいる赤神官が、レオを急かそうと声を張り上げる。
「や〜ん!レオ様〜ダメ〜!!」
 リティは半べそ状態で、イヤイヤと首を振っている。
「おい、いつまで女を待たせる気だ!」
 向かい合っているレオとジーンを近くで見ているライナスは、からかうように言った。
 …貴様が一番邪魔なのだ!
 レオは無言でライナスを睨みつける。
「顔はこっちに向けるの!」
 ジーンは両手でレオの頬を押さえ、強引に自分のほうへと向き直らせた。
 ジーンと目が合い、レオはドキッとしてしまう。
「…それとも、あたしじゃいやなの?」
 ジーンの潤んだ瞳は、レオの視線を捕らえて離さない。
「い・いや、そんなことは…」
 ジーンの真剣な問いに、レオの表情が引き締まる。
 二人の距離は近い。顔も近い。ジーンの両手はレオの頬を包んでいる。
 正に、マジでキスする五秒前という、MK5な状態だ。
 観客席からは「やめろー!」という声も上がっているが、大半は身を乗り出し、その様子をドキドキしながら見ている。
 レオとジーンの表情が、次第にとろんとしたものへと変わってゆく。
MK4・
 狭まった距離が、二人だけの世界を作り出す。
MK3・
 レオがジーンの肩を掴んだ。
MK2・
 ジーンのほうから、顔を近づける。
MK1・
 二人は同時に目を…
「イヤ――――!!やっぱりヤダ――――――!!!」
 閉じようとした時、観客席を飛び出したリティの声に驚き、レオとジーンは、そちらへと顔を向けてしまう。
「ちょっとリティ!?」
「お、おい、待てぇ!!」
「ああ、リティさん!いい所でぇっ!!!」
 アスカとボーガンは、立ち上がっただけだったが、赤神官は、リティを追って走り出した。
 リティは、闘技場に駆け上がると、レオとジーンにタックルをかまそうと、突進していった。
 レオとジーンは、全く動けない。
「お・お主!?」
 とっさにライナスが二人の前に立ちはだかろうとする。
「リティさん!馬に蹴られたいのですか!!」
 赤神官が、リティの腰に飛びついた。
「うひゃぁっ!!」
 リティは、レオとジーンの目の前で転びそうになる。
「どわっ!」
「ぬおっ!」
「キャァッ!」
 その拍子で、リティはレオとライナスの服を掴み、さらに腕でジーンを巻き込み、豪快に転んだ。リティにしがみついた赤神官も、一緒になって倒れる。
 闘技場の中央で、ドサッという音が鳴り響く。そんな中…
「んなっ…」
「あら…」
 アスカとボーガン、観客一同、全員の思考が止まった。
「イタタタ…もう、リティさんったら…」
 倒れた五人の中で、一番最初に起き上がった赤神官は、残る四人の様子を見て…固まった。
 リティが巻き起こしたドタバタによって、レオとジーンの唇はふさがった。
 互いの唇に、柔らかく、暖かい感触が伝わる。
 しかし、レオだけ何やらモサモサした感触まで伝わっていた。
「…あ…ああ…あああ…」
 赤神官が、頭を抱えて震え出した。
 レオとジーンの唇は、確かにふさがっている。しかし、互いに互いの唇をふさいだわけではなかった。
 ジーンは、のしかかってきたリティと唇を重ね、レオは倒れ込んだ先にいたライナスと唇を重ねている。
 レオのモサモサした感触は、ライナスのヒゲだった。
「……」
「……」
「……」
「……」
 四人とも、青ざめた顔で固まっている。
「イイイイィィィィヤアアアァァァァ―――――――――!!!!!!」
 そんな冷たく重苦しい沈黙を、赤神官の絶叫が破った。
「ずおええぇぇぇぇ!!!」
「ぐおわあぁぁぁぁ!!!」
 続いて、レオとライナスが、唇を離して絶叫した。
 三人の悲鳴で我に帰ったジーンとリティも、無言で互いの体を突き放す。
「イッイヤッ!レオ兄様!レオ兄様がー!!」
 赤神官は、頭をぶんぶん振って取り乱す。
「ぬが―――――!!!」
「ノオ―――――!!!」
 レオとライナスは、奇声を発しながら闘技場から飛び降りると、どこかへ走り去ってしまう。
「レ、レオ!!」
 ジーンは去り行くレオの方へと手を伸ばす。
「…イヤン…あたしったら…」
 リティは、なぜか嬉しそうに照れている。
「ちょっと、レオ!どこに行くんだよ!待ちな!!」
 ジーンもレオを追って、闘技場から飛び降り、走り去った。
 残された赤神官とリティは、しばらくイヤンイヤンと悶えていた。


 その日の夜。ホーンの近くに停泊しておいたバルガンに戻ったレオは、甲板に座り込み、ずどんと落ち込んだ。
 あの騒動の後、あまり人前に顔を出したくなかったレオは、必要以上に唇を洗い、ここ一週間ほど世話になった青竜拳の道場や、ライナスとボーガンに挨拶をして回った後、さっさとバルガンに引っ込んだのであった。
 人前に顔を出したくないとは言え、挨拶だけはきちんとして回る点は、礼儀正しい。
 一応、ジーンにも挨拶はしておこうと思ったのだが、彼女の姿は見当たらなかった。
 実の所、心のどこかでは顔を合わせ辛いという気持ちがあったので、そんなに念入りには探さなかったのだ。
 …はぁ…まさか、あのような形で大会が終了しようとは…。
 ジーンの唇を守るため、つい参加してしまった個人戦。
 しかし、優勝はしたものの、ジーンの唇はリティに奪われ、なぜかレオはライナスに唇を奪われるというオチで終わった。
 まあ、ジーンの唇を奪った相手が男性ではなかったという点だけ、まだ救いようはあるかもしれないが。
 …不覚だ。ジーンの唇を守れなかったあげく、私はライナスに唇を奪われようとは…しかも、あれだけ多くの人の前で…。
 そこまで考えて、レオははっとした。
 …よく考えたら、私は、ただジーンの唇を守ろうと、熱くなって大会に出場したのだが…なぜあれほど熱くなる必要があったのだろうか…。
 ジーンのキスは、優勝者のみに与えられることになっていた。
 もし、その優勝者が、ジーンが何の好意も抱けない者であれば、当然ジーンは嫌がるだろう。
 ジーンに、そんな思いをさせないために参加した…とすると、その考えには正義があるので、熱くなってもおかしくない。
 そして優勝したら、何も言わずに去ってしまえば、ジーンは誰にもキスをしないで済むことだろう。
 …しかし…あの時、私は去ることなど考えなかった…。
 レオは、ジーンにキスをしてもらえるという立場に気がついた時、ただ恥ずかしいとしか考えなかった。
 ジーンの唇を守るためだけに参加しただけであれば、冷静に、颯爽と去っていくことができたはずだ。
 それに、決勝戦でのライナスの挑発に乗ってしまった自分。
 …ジーンの唇を守りたいから…いや、それ以前に、他の男にジーンの唇を奪われたくなかったのだ…。
 一方、ジーンのほうは、優勝したレオの元へ、自らやって来た。
 恥ずかしそうに、嬉しそうにレオの前に立っていたジーン。
 思い出してみると、ジーンはレオにキスをすることは嫌だとは、一言も言っていない。
 …あの時、ジーンはどんな気持ちだったのだろうか…。
 そんなことを考えていると、ふと人の気配を感じた。
 舷側の階段から、誰かが上ってくる。レオは、そちらへと顔を向けた。
「あ、いたいた!探したよ!」
 ジーンだ。彼女はレオの姿を見ると、駆け足で階段を上りきり、レオの元までやってきた。
 レオの頬は、赤みを増す。
「まったく…まだ近くにいたのなら、声をかけてくれてもよかったじゃないか」
 すねたように言いながら、ジーンはレオの隣に座った。レオは何も言わず、前を向く。
「…すまん。私もお前を探していたのだが、見つからなかったのでな」
「そう?じゃあ、きっとすれちがっていたんだね」
 ジーンは、軽くレオに微笑みかけると、何気なく空を見上げた。
「わ〜キレイな夜空〜。正に満点の星空ってやつだね」
 ジーンにつられて、レオも空を見上げる。
 そのまま、二人は何も話さず、しばらくの間、星空を眺めていた。
「…大会、お疲れ様」
 ジーンは、上を向いたままレオに言った。レオはジーンを見る。
「団体戦じゃ、ろくな戦いぶりを見せなかったけど、個人戦では、ずいぶん頑張っていたね」
 ジーンの「ろくな戦いぶりを見せなかった」という発言に、レオは少々ムッとする。
「失礼なことを言うな。私は至って真剣に戦っていたのだぞ」
「でもさあ、女の子とイチャついていたことと、よっぱらってフラフラしていたことが、強く印象に残っているんだよねぇ…」
「そんな醜態を、普段はさらさないから、印象に残ってしまうだけだ。いいか、別々に考えろ。いかに私が…」
「あ〜ハイハイ。わかったわかった」
 熱く語り始めたレオの話が長くなると予感したジーンは、強引に話を中断させようとする。
「本当にわかっているのか?そもそも、お前から見た私の戦いは…」
「でも、個人戦はカッコよかったよ」
 レオの話は、ぴたりと止まった。そんなレオの様子を、ジーンは微笑みながら見つめる。
「ほとんどの戦いを、本当に一瞬の動きだけで勝負をつけてさ。さすがって思ったね」
 レオの表情が明るくなる。
「そ、そうか。うむ。あのように一人ずつとはいえ、複数の相手と戦っていく場合は、よけいな動きをせず、疲労を最低限に抑え、後々の戦いに備えることが大切なのだ。だが、複数の人間を同時に相手にする場合にも同じことが言えよう。なにせ何人も同時に…」
 レオは得意気に話し始めた。今度はジーンが止めに入ってこないので、話は長く続く。
「ふふっ…そうだね。本当にカッコよかった。みとれていたよ」
 そう言うジーンの表情は、少し恥ずかしそうだったが、相槌を打たれて調子に乗って話すレオは気がついていない。
「…でも、後味は最悪だったね」
 得意気だったレオの表情が固まった。
「えっ…な、なぜだっ」
 レオはジーンの肩を掴み、不安そうに問う。
「だって…決勝が終わってからさあ…」
 ジーンは、自分の唇に人差し指をあてた。レオは、はっとしてジーンの肩を離す。
「まさか、女の子に唇を奪われるとはね。…レオも師匠と…」
 レオも自分の唇を手で覆い、げそっとした様子でうつむく。
「…ああ。ライナスとは互いの力を認め合った仲ではあるが、さすがにアレは…」
「あはは…そうだよね」
 ジーンは苦笑する。
「…でもさ、それまではどんな気持ちだった?」
「えっ?」
「あたしがレオの所まで行ってさ、レオがあたしの肩を掴んで…それから顔が近づいて…そこまでのレオの気持ちはどんなのだったのかなーって思ってさ…」
 ジーンは、もじもじしながらレオに尋ねる。レオの顔は真っ赤だ。
「でも、あたしとのキスは嫌じゃなかったんだよね。…もしかして、あたしのキス目当てで大会に参加した?」
「いっ、いや、私は、ただ他の男にお前の唇を奪われないように…」
 動揺しているレオは、つい本音を口にしてしまう。
「じゃあ、レオになら奪われてもいいの?」
「うっ…」
 レオの言葉が詰まる。
 レオは「他の男に唇を奪われないように」と言った。
 ジーンの唇を奪うかもしれない人物の対象となっていたのは、個人戦本戦に参加していた、アスカ、リティ、そして赤神官といった女性もいたが、レオは男性のみに限定して言った。
 だからと言って、女ならいいというわけでもなかったが、男ほど警戒はしていなかった。
 ジーンにキスをしてもらいたくて大会に参加していたわけではないが、レオのその考えは、ジーンを女性として意識している証拠だ。
 では、その気持ちは、恋愛的な感情にまで至っているのだろうか。
 もし優勝賞品がマウリのキスだった場合も、やはりレオは参加するだろう。
 しかし、それはマウリの兄という立場で唇を守るだけだ。
 それに、マウリには唇を奪うことを許せる男、ロンファがいる。
 もしロンファが大会に参加していたら、レオは出場せず、ロンファに全てを託したかもしれない。
 だが、ジーンはどうだろう。
 ジーンに想う男がいるとして、その男が大会に出場していたら、レオはその男に全てを託すことができるだろうか。
「…いや、そんな考えで参加したわけではない…」
 ジーンの問いに、レオは答え始めた。
「出場を決意した時は、ただお前の唇を守りたいという考えだけで、他の事は頭に入っていなかった。…私になら、唇を奪われてもいいということはない。だが…」
 レオは、ライナスとの戦いに勝利した後、ジーンと向かい合っていた時のことを思い出す。
 狭まってゆく互いの距離。引かれ合うかのように近づいていった互いの唇。
 ジーンの肩を掴んでも、体を引き寄せようとしても、ジーンは嫌がらなかった。
 そして、そういった行動を無意識的にとってしまった自分も…。
「…私は、お前に惹かれている…」
 そう言って、レオは黙り込んだ。
 ジーンは、驚いた様子でレオを見つめていたが、ふと、柔らかく微笑むと、体を寄せてささやいた。
「…嬉しいね…レオからそう言ってもらえると」
 その言葉に驚き、レオはジーンを見る。ジーンの瞳は、闘技場でレオと向かい合っていた時のそれとなっている。
「あたしとのキスは嫌じゃなかったってことには安心したよ。…あたしも…レオが優勝してくれたらいいなって思っていたんだ。だから…優勝してくれた時は、本当に嬉しかった」
 ジーンがそう言い終えたとたん、レオは思わず両腕でジーンの体を包み、抱き寄せた。ジーンは、一瞬驚きはしたが、抵抗はせず、すぐに体重をレオの身に任せ、通常より高鳴っている彼の鼓動を頬で感じた。
「すっ…すまん!急に、抱きしめたくなった…」
 自分自身でも、強引な行動だと驚いていたが、それでも腕に込めた力は緩めない。
「何あやまっているんだい。バカだねえ…」
 ジーンも、レオの肩を抱くように、両腕を絡めた。
 そのまま、二人はしばらく互いのぬくもりを感じあった。
 虫の鳴き声も、風が奏でる微かな草木の音色も、二人には届かず、ただ互いの存在だけを感じあっていた。

 そして…


「うっうう…グスッ…酒は…涙を忘れさせてくれるとおっしゃった人は…ヒック…どこのだーれでーすかー責任者ァー!!!」
「あはははは!!そんなことわっかんないよ〜!エヘヘヘヘヘ!!」
「…あなたたち。いいかげんにしておいたらどう」
 バニー拳の道場には、べろんべろんに酔っ払った赤神官とリティと、その二人をなだめているアスカの姿があった。
 ちなみに、毒ガマ拳に薬を飲まされ、倒れた仲間たちは、全員完治して戻ってきてはいるのだが、飲まされた薬による症状が泥酔状態に陥り、後日には二日酔いで倒れるというものだったため、さすがに酒とはしばらく離れたいらしく、兄が同性とキスをしたショックで自棄酒に走った赤神官と、単に飲みたくて飲み始めたリティの面倒をアスカに任せ、既に休んでしまっている。
 もっとも、アスカは仲間たちを気遣い、自ら二人の面倒を見ると言ったのだが。
「ううう〜っ!申し訳ありませんレオ兄様!!マウリはっ…マウリは無力な女でごじゃいましゅよォーうあああああああん!!!」
「うふふ〜…あたしったらイケナイ女っ。レオ様というお方がありながら、ジーンさんと…なーんちゃってー!うひゃひゃひゃひゃ!!」
 二人共、アスカの言うことをまるで聞いていない。
 仕方なく、アスカは中の入っている酒瓶を、無言で二人から取り上げる。
「も〜アスカのイジワル〜!でも、そんな所も好きよ〜んっと!きゃははははは!!」
「びえーん!ぶわーん!!」
 リティは文句を言いながらも笑い、赤神官はひたすら泣く。
 アスカは肩をすくめると、窓辺へ向かい、空を眺めた。
 黒い布の上にちりばめられた宝石のように輝く、小さな星々。
 中でも、ひときわ巨大で美しい天体、青き星。
「綺麗…。こんな夜には、恋人と杯を交わしてみたいものね」
 芸術的なまでに飾られた夜空に、アスカはロマンチックな思いを馳せる。
 そんな彼女の傍らには、ロマンの欠片も感じられない、泣き上戸と笑い上戸が一人ずつ。
 アスカはため息をつく。
「…どこかに素敵な人でもいないかしら…」
 その小さく呟いた言葉は、赤神官とリティのバカ騒ぎによって、すぐにかき消されてしまった。


 赤神官は泣き、リティは笑い、アスカが窓辺で星を眺めていた頃、再び始まったレオとジーンのMK5は、今度こそ無事に最後までカウントされた。

 (終)


  <あとがき>

 …甘いですね。うん。
 そんなわけで、珍しく甘々なお話を書いてしまいました。
 この番外編は、武闘大会個人戦で、優勝者にはジーンさんのキスが貰えるということで参戦したレオ様の戦いということで、書き始めたのですが…。
 試合より、それが終わった後のことのほうが、メインになりがちですね。こっちはもう少し短めに書くつもりだったのですが…。
 まあ、いいや。酔っ払った赤神官も書けましたし。
 それにしても…甘い。甘々です。キスシーンなんて、絵でも文でもめったに書きませんし。私。ノートにガリガリと描いたラクガキも含めば幾つか増えますが。
 あー…でも、過去に描いた漫画でも、レオ様とジーンさんのキスシーンを描きましたが…アレ、三頭身でしたし、キスした後にレオ様の頭が破裂して脳味噌と眼球が…やめとこ。
 あと、もう消しちゃいましたが、『白衣の闘士ライナース』でもレオ様が犠牲になる時に…これもやめとこ。
 …二度目じゃないか、レオ様がライナスさんとキスったの…うちのレオ様は、なんでこんな可愛そうなキスばっかなのだろう…。
 そんなわけで、『華の乱舞』は、これにて完です。アスカとギヅナがお見合いする話も考えていたのですが、LUNAR2のキャラが登場しない内容になってしまったので、やめました。
 お付き合い頂いた方々。ありがとうございました。


LUNAR2ばっかへ