"第九章 転起転結" 目の前には、予期せぬ光景があった。 バルガン内のレオの部屋は、辿り着いてみれば思いっきり改装されていた。 部屋の中央奥には、船内に入ってすぐの所にあったはずのアルテナ像が設置されている。わざわざ上の階から運んできたのだろう。 向かって右奥にはオルガンが置かれ、見知らぬ人間が弾き続けている。 ベッドがあるスペースは赤いカーテンで隠され。美しい花の装飾が施されている壁際には、神官服を着た人間が立ち並び、聖歌らしき歌を合唱している。 もはや改装という言葉では済みそうもない。この部屋が本当にレオの部屋なのか、本当にバルガン内の一室なのか疑ってしまうほどの変わりようであった。 しかし、この部屋の変貌ぶりに驚かされるより早く、アルテナ像の前で黒騎士と並んで立っているジーンに、ヒイロたちは度肝を抜かれた。彼女の姿こそが、何より予期せぬものであったのだ。 虹色の光を放つティアラから後ろに、フワリと垂れ下がったヴェール。 銀糸で小さな花の刺繍が施された、女性らしい手袋。 色鮮やかな切り花を、無地のリボンで束ねたブーケ。 腰のくびれより下にレースを重ね、まるで薔薇の蕾のように裾を膨らませたドレス…それらは、全て白で統一されていた。 正真正銘、純白のウェディングドレス姿である。元々顔立ちと体のラインの美しいジーンが、それらを身に着けると、女神と見違えんばかりの神々しさすらあった。 もっとも今のヒイロたちにとっては、あまりに意表を突かれすぎて、逆に引いてしまうものであったが。 むしろ、既に引いている。と言うか、思考が麻痺している。 ここへ辿り着くまで散々な目に遭い、偉そうな黒騎士の姿に怒りの業火を滾らせた直後、今までとは全く違う角度から現れた、衝撃的なジーンのウェディングドレス姿には、とてもじゃないが脳の情報処理がついていけない。 ジーンも、ヒイロたちのリアクションを予想していたため、驚かれる前から苦笑いを浮かべていた。驚かれてからも彼らにかけるべき言葉が見つからず、仕方なく苦笑いを続ける。 重く、寒く、どこか痛い沈黙が続いた。鳴り響き続けるオルガンの音色も、風通しの良くなったヒイロたちの耳を右から左へと吹き抜けるばかりであった。 「フッ…フッフッフッフッフ…ハーッハッハッハッハッハッハッハッ!!驚いて声も出ないようだな!!」 そんな沈黙を破ったのは、黒騎士の高らかな笑い声だった。我に返ったヒイロら三人は、「そりゃ驚くわあっ!!」と見事にハモって叫んだ。彼らの突っ込みに、ジーンは恥ずかしそうに顔を伏せる。 「あ・あ・あれだけ散々な目に遭わされて、いきなりこんな光景が飛び込んでくれば、誰だって別の世界に来た気分になるよ!あんた一体何を考えているんだ!?こりゃ一体どういうことだ!!」 魚の擂り身を浴びて生臭くなった体を四つん這いした体勢のまま、ヒイロは片腕だけ上げ、激しく震える指先を黒騎士に突きつけた。 ロンファとレミーナも、何か言いたそうに口をぱくぱくさせている。 「どういうことだ…だと?ハッハッハッ!見て分からんのか!ならば教えてやる!!」 黒騎士が軽く腕を振ると、それを合図に神官たちの合唱が止まった。しかし、オルガンの音だけは鳴り響き続ける。 そして、黒騎士はジーンの肩を掴み、強引に引き寄せた。ジーンは驚いた顔をするが、抵抗はせず、されるがままに黒騎士の腕に抱かれる。 「この女…ジーンを、我が妃とするのだ!!!」 黒騎士が得意げに、しかも大声でそう言い切ると、ジーンは茹でダコのようにボッと顔を赤くし、ヒイロたちは顎が外れんばかりに口を開いた。 「ちょっ…ば・ばかっ!そんなこと大声で言うんじゃないよ!」 ジーンは黒騎士の腕から逃れようと、もがきながら小声で言った。 「何っ!?今のは大声で言うべき所ではないか!!」 黒騎士は、わりとあっさりとジーンを放した。ジーンは、床まで届いているヴェールを引きずって彼から離れ、そっぽを向く。 「き・妃にって…あんた、ジーンと結婚するつもりなのぉ!?」 今度は、レミーナが黒騎士を指しながら、裏返った声で彼に尋ねた。黒騎士は胸を張って「その通り!!」と答える。 「悪に近付くのにジーンが必要だって言っていたのは、このためか!?ジーンと結婚して、どうして悪に近付けるんだ!?」 「フッ…愚問だなロンファ!いいか、よく聞け!!」 ロンファが問うと、黒騎士は再びジーンの体を引き寄せ、答えた。 「魔法皇帝は女神アルテナを操り、ゾファーはルーシアを捕らえて力を得た…そう!美女をさらい、我がものにすることは悪の王道!それを成さずして真の悪と言えようか!いや、言えまい!!」 やっと意識を取り戻したヒイロら三人だが、再び思考が凍りつきかけた。 「…そ・そりゃあ、王道っちゃ王道だけどよぉ…」 頭痛がするのか、ロンファは頭を抱えて呟く。 よくある話、悪者にさらわれた乙女を、正義の味方役の男が救うという物語は、もはや英雄物語の基本中の基本である。 ならば、その英雄物語に登場する悪役が美女をさらうことも、基本中の基本ということだ。 「じゃあ、完璧な悪に近付くため、ジーンが必要って言っていたのは…そんな悪者のお約束を貫くために…?」 ヒイロは頭をフラフラ揺らしながら、虚ろな目で黒騎士を眺めている。黒騎士の、あまりにバカバカしい発言に、魂を半分もってかれたという感じである。 「ああ。だが、それだけではない!」 ジーンの腰に腕を回し、彼女の背中を自分の胸に密着させている黒騎士は、余っている手で彼女の顎を掴み、ヒイロたちに見せつけるように軽く持ち上げた。少々荒々しく、悪っぽい動作だが、ジーンは抵抗しない。 「ゾファーを倒した英雄である、この女が悪の手中に落ちたと知れば、ルナの人間どもは、さぞ絶望することであろう。そうなれば、私も世界を支配しやすくなるというものだ。それに、美しい乙女を妃に迎えれば、それだけで私のカリスマ性も上がる!」 ヒイロや、壁際に立ち並ぶ神官たちの前で、こうも堂々と妃にするだの美しいだの言われると、恥ずかしいあまり叫びたくなったが、緊張しすぎて声が出せない。そんな調子でもじもじしているジーンに、ようやくレミーナが突っ込みを入れた。 「…と、とにかく…レオもレオだけど、ジーンもジーンよ!!何ちゃっかりウェディングドレスなんか着てるの!?」 「え…そ・それは、その…」 ジーンは頬に手を添え、ヒイロら三人と黒騎士を交互に見る。 「そうだ!ボクたちが来たからには、もう彼に従う必要は無い!一緒にレオを捕まえよう!!」 ヒイロもジーンに向かって叫んだ。黒騎士が「貴様らが捕らえるべき人物は、この黒騎士であろう!!」とヒイロに言い返すが、全く相手にされていない。 「う・うん、そうだよね。でも…」 「私以外の者と勝手に話をすることは許さんと言ったであろう!」 しどろもどろと答えようとするジーンの顎を引き寄せ、黒騎士は彼女と顔を向かい合わせた。鼻先が触れそうなほど近い距離に、ジーンは息を呑む。 「…はい…」 やけに素直なジーンの返事を聞き、ヒイロたちは一斉に立ち上がって騒ぎ出した。 「はい、じゃなーい!何で素直に返事しているんだ!!」 「あーもー何やってんのよジーン!ウェディングドレス着せられて舞い上がってんの!?こっちは散々な目に遭ったってゆーのにーっ!!」 「お前なあ!!本気で今のレオと結婚するつもりかよぉ!?」 「そ、そんなつもりじゃないよ!でも、その、何と言ったらいいか…」 つい先程、勝手に話をするなと言われたばかりのジーンだが、ヒイロたちに文句を言われると、黒騎士を振り払って反論を始める。 黒騎士は苛立たしげに歯噛みするが、今度はジーンを止めようとしない。代わりに呪文の詠唱を始めた。言い合っているジーンやヒイロたちは、彼の行動に全く気付いていない。 「…エンクローズ!」 黒騎士は、一番騒がしいレミーナに向けて手の平をかざした。対象となる者に沈黙の効果をもたらす魔法が発動すれば、レミーナは、それを感知することができたが、対処するには気付くのが遅く、たちまち声を封じられてしまう。 「……っ!」 レミーナは両手で首を押さえ、声を吐き出そうとするが、掠れた息ばかりが漏れる。 その様子に気付いたジーンたちが言い合いを止め、一斉にレミーナに注目した、その瞬間、黒騎士が羽織っている白いマントが揺れた。 「次は…ロンファ!貴様だ!!」 黒騎士は床を蹴り、低い体勢でロンファに向かって突進した。 戸惑っているジーンや、驚かされたり呆れたり突っ込みを入れたりと忙しかったヒイロたちは、黒騎士の動きに完全に遅れを取っていた。気付いた時には、黒騎士は既にロンファの目の前にいた。 黒騎士は、鞘に収めたままの剣で、ロンファの腹を薙ぎ払った。ロンファは嗚咽を漏らし、後ろに飛ばされる。 「がはっ!!」 壁に強く背中を打ち付け、ロンファは悲鳴を上げた。 だが、黒騎士の攻撃はまだ続いていた。飛ばされたロンファを追って、既に床を蹴っていた黒騎士は、彼が崩れ落ちるより早く、先程と同様に腹部を打った。 鞘に収められたままの剣でも、そのダメージは強烈だ。二度も腹部を打たれたロンファは、白目を剥いて気を失う。 幼い頃からの親友に容赦なく攻撃するという、あのレオからは想像もつかない行動に、ジーンやヒイロは言葉を失った。 「フッフッフ…魔法を使えないレミーナは役立たず。解呪の魔法を使えるロンファは、ご覧の通り…」 黒騎士はロンファを見下ろし、嘲笑する。 どうやら黒騎士は、先にレミーナとロンファを戦力から削る計算を、既に立てていたようだ。 黒騎士自身は、沈黙をもたらす魔法は使えない。だが、紋章を装備していれば話は変わる。チロの紋章と同様、黒騎士がバルガンごと盗んだ紋章の中に、封魔の紋章というものがあった。それを身に着けた者は、沈黙をもたらす魔法、"エンクローズ"が使えるようになる。 丸腰のヒイロたちの中で、強力な攻撃魔法や有効な補助魔法を使えるレミーナが一番厄介だ。先手を打って彼女の魔法を封じ、次にロンファを気絶させれば、誰もレミーナにかけられた魔法を解呪できなくなる。 そこまで計算した上で、黒騎士はあらかじめ封魔の紋章を装備していたのだろう。ヒイロも風の魔法を使うことができるが、レミーナほど強力ではなく、黒騎士の大地の魔法で充分応戦できる程度である。後回しにしても問題はあるまい。 …ただの猪突猛進かと思いきや、以外と計算高い…あなどれない男だねぇ。 ロンファを攻撃したことは許せないが、その戦闘センスに、ジーンは感心してしまう。 …でも、レオよりレミーナのほうが魔法力が高いのに、よく魔法が通用したものだね。 攻撃魔法は、対象となる者の魔法力が使用者の魔法力より高い場合、その威力は弱まる。黒騎士が使った魔法の場合は、魔法の効果が現れる確率が低くなるはずだ。 偶然、上手く効果が現れただけだろうか。その点が、ジーンには気になった。 「残るは…ヒイロ、貴様だけだ!」 倒れているロンファの頭に足を乗せ、黒騎士はヒイロに言い放った。さすがにこの行動には、固まっていたヒイロも動き出す。 「レオ!いいかげんにしろ!!」 ヒイロは黒騎士に突進し、彼の腹を殴りつけようと拳を突き出した。黒騎士はロンファから足を放し、横に大きく跳んでヒイロの拳をかわした。 ヒイロの拳が宙を掠めている間、黒騎士はジーンの手前まで移動する。 「レオではないと言うに…」 唸るように呟き、黒騎士はパチンと指を鳴らした。すると、壁際に立つ神官の一人が彼に歩み寄った。 神官は、黒騎士の傍らまで来ると、膝を着いて頭を垂れ、柄の黒い剣を差し出した。黒騎士はそれを受け取ると、体勢を整えたヒイロに向けて放り投げた。 「ヒイロ!貴様の剣を返してやろう。受け取るがいい!」 剣は鞘に収められ、鞘走りしないようベルトで固定されていたため、ヒイロは難なくそれを受け取ることができた。 「これは…レ・じゃなくて、仮面の黒騎士!なぜボクに、この剣を返したんだ?」 鞘から刀身を覗かせ、ヒイロは黒騎士に尋ねた。その剣は、紛れもなくヒイロの剣…ガレオンがヒイロに託した、魔剣ガルシオンであった。 ヒイロがその剣に気を取られている間に、黒騎士は自分の剣を抜き、鞘を神官に渡した。神官は鞘を受け取り、代わりに何かを黒騎士に渡したようだが、それが何なのか、ジーンからは見えなかった。神官は素速くその場を離れ、元いた位置へ戻る。 「青き星へ戻ったルーシアに会うため、サファイアを取り返したいのだろう?このストーカーが!!一対一で勝負してやろう!その剣で私を倒し、変態の底力を見せてみろ!!ハッハッハッハッハッ!!」 黒騎士は、ヒイロを嘲り笑ってから、マントの裏に隠されていた封魔の紋章を一つ、外して放り投げた。封魔の紋章は、音を立てて床に転がる。 「ストッ…へ、変態って言うなぁ!!」 ヒイロも剣を抜くと、鞘を投げ捨てた。そして、近くで座り込んでいるレミーナに、「ロンファを頼む」と声をかけた。声を封じられているため魔法が使えないレミーナは、悔しそうな顔で頷き、倒れているロンファに駆け寄った。 「手加減はしないぞ!頭を冷やすんだ、レオ!!」 剣を構え、ヒイロは黒騎士に向かって突進する。 「レオではないと言うに!!」 間合いに入ったヒイロが、上段に構えた剣を振り下ろす。黒騎士は僅か右へ移動し、剣を斜めに構えてヒイロの攻撃を受け流した。ヒイロの剣は床に振り下ろされるが、その切っ先が床に振れる直前でホーミングし、斬り返しに黒騎士の剣を弾こうとする。 しかし、その攻撃は黒騎士に読まれていた。黒騎士は、自分の剣をヒイロの剣より下に滑り込ませ、持ち上げるように薙ぎ払った。 斬り返す勢いに黒騎士の力も加わって、必要以上に高い位置まで剣を振り上げてしまったため、ヒイロの懐ががら空きになる。そこを狙って、黒騎士が蹴りを入れんとする。 ヒイロはとっさに後ろに跳び、寸前で蹴りから逃れた。そのまま後退し、黒騎士と距離を取る。 二人は距離を置いた状態で体勢を整えると、黒騎士は逆手に持った剣の切っ先を床に向け、ヒイロは剣を顔の前で立てるように構えた。 そして、それぞれが得意とする属性の魔法を使うべく、呪文の詠唱を始める。 「風よ、舞い上がれ!!」 ヒイロの周囲で空気が揺れ、彼の髪と服が浮き上がる。 「悪の力よ、我が身に滾れ!!」 黒騎士の足下から、金色の光が溢れ出す。 ヒイロが得意とする風の魔法と、黒騎士が得意とする大地の魔法が、同時に発動したのだ。室内に生じた風はヒイロを守るように渦巻き、金色の光は黒騎士の体に吸い込まれるように消え、彼の剣に同色の光を宿した。 「行くぞレオぉぉぉっ!!」 「レオではな―――――いっ!!」 雄叫びを上げ、二人は強く床を蹴り、互いの間合いを一気に詰めると、部屋の中央で金属音を奏で始めた。 気を失っているロンファの傍らで膝を着いているレミーナや、壁際に立ち並ぶ神官たちは、剣を振るい続ける二人に、すっかり目を奪われていた。オルガンを弾き続けている者も、その様子を横目でチラチラと窺っている。 黒騎士の剣は、ヒイロの周囲に渦巻く風に軌道をそらされ、何度も空を掠める。しかしヒイロの剣も、先程の魔法で力を増した黒騎士に、難なく弾かれてしまう。 互いに傷を負うことなく、接近戦を続ける黒騎士とヒイロ。しかし…五分と見えた戦いだったが、間もなくヒイロの呼吸が乱れ始めた。 黒騎士とは違い、ヒイロには、この部屋に辿り着くまでの罠で受けたダメージや、溜まった疲労があるのだ。黒騎士より先に疲れてしまうのも当たり前である。レミーナもそれに気付き、表情に焦りの色を浮かべた。 そんな中、余裕の笑みを浮かべて剣を振るう黒騎士の様子を見て、ジーンはあることに気が付いた。 …おかしい。黒騎士の動きが、やけに良いような…。 ヒイロと剣を交える黒騎士の足運びは、ジーンが知っているレオの動きより速く、正確だった。 先程、ヒイロと同時に発動した黒騎士の魔法の効果を、ジーンは知っていた。己の腕力と打たれ強さを高める魔法であり、足運びの速さには、あまり影響はないはずだ。 …それに、ヒイロはあれだけ疲れているのに、レオの方は、汗ひとつとかいていない…。 ヒイロが本調子ではないことは、黒騎士と一騎打ちを始める前から、ジーンは気付いていた。そんなヒイロと戦う黒騎士の体力は、当然消耗が少ない。しかし、それを考慮しても、黒騎士の動きに全く衰えが見られないというのはおかしい。 「ハッハッハッハッハッハッ!!どうしたヒイロ!手加減をしないでその程度か!?」 黒騎士の高らかな笑い声と同時に、一際大きな金属音が響いた。黒騎士とヒイロは、互いの剣をぶつけ合った状態から、鍔迫り合いを始める。 「くう…卑怯だぞレ…いや、黒騎士!」 鍔迫り合いに持ち込まれると、疲れている上に黒騎士より力の弱いヒイロの方が分が悪い。ヒイロは、どうにかこの状態から逃れようと隙を窺いつつも、吐き捨てるように言った。 「フッフッフ…一対一で勝負してやるとは言ったが、正々堂々と勝負してやると言った覚えは無い!」 黒騎士はヒイロの剣を弾くと、左足を振り上げ、彼の腹部に爪先をめり込ませた。ヒイロは前のめりになって嗚咽を漏らし、剣を握る腕から力を抜いてしまう。 その隙に、黒騎士は剣の腹でヒイロの腕を強く打った。ヒイロの剣は床に零れ落ち、黒騎士に蹴られて壁際まで滑走する。 その時、剣を握る黒騎士の指を見て、ジーンは思わず「あっ!」と声を上げた。 …レオの指に…癒しの指輪が!?いつの間に…それも二つも…! 身に着けている者の体力を、時間の経過と共に回復させる効果のある指輪。それが、黒騎士の右手と左手、それぞれの小指に一つずつはめ込まれていた。 おそらく、先程神官から受け取ったものだろう。少なくとも、ジーンの顎を引き寄せた時の黒騎士の指には、指輪などはめ込まれていなかった。 …あの指輪は、二つ身に着けると、その分だけ効果が倍増する…レオが疲れないわけだよ! 腕が痺れ、反撃ができないヒイロの体を突き飛ばすと、黒騎士は素速く後ろに下がった。ヒイロたちや、ジーンからも距離を取った位置で立ち止まり、体勢を整える。 「正々堂々と戦う気が無かったのなら、なぜボクに剣を渡したんだ!最初からボクを負かすつもりだったのなら、剣を渡さずに、ロンファやレミーナのように不意を突いて倒してもよかっただろ!!」 倒れそうになるのをどうにか堪えたヒイロは、痺れが収まってきた腕をさすりながら、黒騎士に向かって怒鳴りつけた。肩を激しく上下させ、息を切らしているヒイロの問いに、黒騎士は鼻で笑って答える。 「フン。あっさりと倒してしまっては、つまらなかろう。より強い屈辱感と敗北感を貴様に味わわせるため、卑劣な戦術でじっくりと痛めつけたのだ!」 そうヒイロに言い放つと、黒騎士は剣を正眼に構えた。そのまま動かず、静かに正面を見据える。 突然、壁に立ち並ぶ神官たちが、合唱を再開した。ジーンとレミーナは肩を震わせて驚き、黒騎士と戦闘中のはずのヒイロも、思わず神官たちに注意を向けてしまう。 その間、黒騎士の剣に赤い光が宿り、煌々と輝きだした。 それに気付き、ジーンやヒイロらが黒騎士の剣へと視線を向けた時には、赤い光は熱を帯び、炎となって剣の周囲を渦巻いていた。 「これで止めを刺してやろう!!さあ、絶望に打ち拉がれるがいい!!」 渦巻く炎から生じた熱風が、ジーンの肌を撫でるが、不思議と熱くない。一番熱風を受けているはずの黒騎士からも熱がっている様子は見られず、神官たちも、平然と歌い続けている。 その時、捲れ上がった黒騎士のマントの裏から覗いたものに、ジーンは目を見開いた。 …あれは…赤竜の紋章に、女神の紋章!! 黒竜の紋章と同じく、身に着けた者に竜魔法を授ける赤竜の紋章。組み合わせて装備した紋章の力を引き出し、効果を高める女神の紋章。黒騎士は、この二つの紋章を身に着けていたのだった。 赤竜の紋章と女神の紋章を組み合わせて身に着けると、身体能力が向上する。黒騎士は、ヒイロと戦闘を始める直前に、指輪と一緒に紋章を神官から受け取り、身に着けたのだろうか。 …いや、違う!女神の紋章は、封魔の紋章と一緒に、最初から身に着けていたんだ! 封魔の紋章と女神の紋章を組み合わせて身に着ければ、"エンクローズ"の効果が現れる確率が高くなる。これなら、黒騎士より魔法力の高いレミーナに魔法が通用しても、おかしくはない。 後で赤竜の紋章と組み合わせて女神の紋章を身に着けるのなら、最初から封魔の紋章と女神の紋章を組み合わせて身に着けておいたほうが、手間も省けて効率が良い。それに、わざと封魔の紋章を投げ捨てることで、もう紋章は装備していないとヒイロに錯覚させることができる。ストーカー呼ばわりされて頭に血が上っていたヒイロなら、容易に騙すことができるだろう。 …本当に、そこまで先のことも考えて行動していたとは信じがたいけれど…どちらにしろヒイロたちは、ずっと黒騎士の手の平の上で踊らされていたんだ。バルガンに乗り込んだ時から…いや、レオが悪に目覚めた時点で、あたしたちは…! ヒイロとレミーナは、熱を感じているようだ。腕で顔を覆い、熱風から肌を守ろうとしている。 このままでは、ヒイロたちの身が危ない。しかし、既に黒騎士は魔法を発動させているのだ。ヒイロたち以外に被害が及ばぬよう魔法をコントロールしている彼を、力ずくで止めようものなら、魔法が暴発しかねない。そうなると、被害は神官たちにも及んでしまうかもしれない。 ジーンが迷っている間にも、渦巻く炎の勢いは増していく。 「あつつっ!ちょっ…レオ!バカな真似はやめなさーい!!」 そう叫んで立ち上がってから、レミーナはハッとして喉に手を添えた。 黒騎士の魔法の効果が切れ、声を出せるようになったのだ。レミーナは、すぐさま呪文の詠唱を始める。 「ハーッハッハッハッハッハッ!!そうだ!無駄に足掻け!その努力も希望も、焼き尽くしてくれる!!!」 そんなレミーナを嘲り笑い、黒騎士は剣を振り上げた。 「れ、レオ!だめぇ―――っ!!!」 ジーンはブーケを投げ捨て、黒騎士へと向かって駆け出した。しかし、既に炎は黒騎士の剣から離れ、ヒイロたちに向けて放たれていた。 「くぅっ…負けるもんですか!!」 呪文の詠唱を終えたレミーナが、為す術なく身を固くしているヒイロの元へ駆け寄り、両手の平を炎に向けてかざした。 「冷気よ!凍て尽くせ!!」 レミーナが魔法力を解放すると、彼女がかざした手の平の前に、分厚い氷の壁が現れた。壁は熱気を防ぎ、その冷気でヒイロたちの体を冷やす。 しかし、それは一時的なものにすぎなかった。いくら魔法力の高いレミーナでも、とっさに放った間に合わせの魔法では、竜魔法の比ではない。 炎がぶつかると、氷の壁は亀裂を走らせて砕け、その破片はジュワッと音を立てて蒸発した。 「きゃあぁぁぁぁっ!!」 「うわあぁぁっ!!!」 進入してきた炎に包まれたヒイロとレミーナが、喉を張り裂かんばかりに悲鳴を上げた。炎は、二人からは離れた場所で倒れているロンファにまで及び、その服を焦がす。 「な…何てことを!お願い!止めて!!」 剣を下ろしてヒイロたちを眺めている黒騎士に、ジーンは後ろから飛びついた。 「目を覚ましとくれよ!あたしたちは仲間なんだよ!力を合わせてゾファーと戦ったじゃないか!ヒイロをルーシアに会わせるために、一緒に旅をしたじゃないか!お願いだから、これ以上みんなを苦しめないで!あんたが仲間を手にかける所なんか見たくない!!」 ジーンは悲痛な声で叫び、黒騎士の背中に顔を埋めた。 黒騎士は、ジーンを無視しているように正面を向いたまま黙っていたが、ヒイロたちの悲鳴が弱々しくなり始めると、彼らに向けて手の平をかざした。 すると、ヒイロたちを包んでいた炎は、風に紛れるように消えた。 神官たちの合唱と、オルガンの音は既に止んでおり、ヒイロとレミーナの悲鳴も消えると、室内には静寂が訪れた。 ジーンは黒騎士の背中にしがみついたまま、顔だけ離してヒイロたちの様子を窺う。 三人は黒ずんだ床の上で、微かに呻き声を上げて倒れていた。服は焦がされ、髪は縮れ、肌は火傷を負って真っ赤に染まっている。あれほど派手に炎を浴びせかけられた割には、肉体へのダメージが少ないが、今のジーンには、それに気づく余裕などなかった 「レミーナ!ヒイロ!ロンファ!」 それぞれの名を叫び、ジーンは三人に駆け寄ろうとした。しかし、黒騎士に腕を掴まれ、体を引き寄せられてしまう。 「言っておくが…最初から奴らを生かしたまま捕らえるつもりだったのだ。お前が止めろと言ったから、炎を消したわけではない。それと、私はレオでもなければ、貴様らの仲間などではない!!」 話しながら黒騎士は、自分の剣の鞘を渡した神官に、こちらへ来るよう身振りで指示した。神官はすぐに黒騎士に駆け寄り、彼に鞘を返す。 「あの三人は、我が野望を阻止せんとする邪魔者だ!私の行く手を阻む者は、何人たりとも許しはせぬ!!」 黒騎士はジーンの腕を掴んだまま、神官から受け取った鞘に剣を収める。神官が元いた位置へと戻ると、それが合図であるかのように、オルガンの音色だけが再び流れ始めた。 「いや…邪魔者だった、と言うべきか?奴らは既に、我が悪の力の前に屈してしまったのだからな」 そして、鞘に収めた剣を腰に吊るし、ジーンの腕を引いてアルテナ像の前まで移動すると、彼女の肩を掴み、向かい合った。 ジーンは、涙を浮かべた瞳で、黒騎士を睨みつける。しかし黒騎士は、それを面白がるように笑う。 「フフフ…まだ強気な態度を保っていられる余裕があるようだな。他の誰かが助けに来てくれるとでも思っているのか?だが、諦めろ。ヒイロたちでさえあの様だ。…もはや、私に敵う者など存在せん。例え、まだ姿を見せぬレオであっても…我が宿敵、仮面の白騎士であってもな!」 「だからぁ!あんたはレオなんだってば!!」 ジーンは両手で黒騎士の胸ぐらを掴み、彼の顎まで拳を突き上げた。 「馬鹿を言え!!私は仮面の黒騎士!あのような正義の者とは真逆の存在!破壊と非道の限りを尽くし、混沌の渦を巻き起こす、悪の化身である!何度言えば分かるのだ!!」 黒騎士も負けじとジーンの両腕を強く掴み、苛立った声で反論する。彼の指が食い込み、腕に痛みを覚えるも、ジーンはたじろぎもせず、真っ直ぐ黒騎士を見つめ、訴え続ける。 「違う!あんたはレオなんだよ!今は正義と悪が逆転しているようだけど、それ以外は変わっていない!癖も、仕草も、自分の信念を貫こうとする強い姿勢も、レオと違わないじゃないか!だから、あんたは戻れるはずなんだ!!あたしたちの仲間のレオにさ!!」 「黙れ!!私が本当にレオかどうかは、これから証明されるだろう。私が真の悪となれば、貴様にも分かるはずだ。レオとは全くの別人であるということがな!そのためにも、貴様には私の妃になって貰う!」 その言葉に、ジーンは思わず手の力を緩めた。その隙に、黒騎士はジーンの両腕を広げるように引き、胸ぐらから手を放させた。その勢いで、ジーンの体は前につんのめる。 体勢を崩したジーンの背中に左腕を回し、黒騎士は彼女の体を引き寄せた。 「あ、い…嫌だね!悪になるために利用されるなんて、まっぴらごめんだよ!だいたい…あんたは、あたしを利用しているだけなんだろ!す・好きでもない者同士で、どうして結婚しなきゃ…」 互いに向かい合って体を密着させている状態に、ジーンは一瞬戸惑ったが、すぐに我に返り、黒騎士を突き放そうと、両手を彼の胸に押し当てた。しかし、その腕には全く力がこもっていない。 「フン…貴様の気持ちなど、関係ない。無理矢理我がものにしてこそ、悪なのだ」 そんなジーンの顎を、黒騎士は余っている右手で持ち上げ、顔を向かい合わせた。ジーンの頬が、一気に紅潮する。 「確かにお前は、私が真の悪に近付くために迎える妃として、必要な条件を全て揃えておる。…ゾファーを倒した英雄である、美しい乙女。だがな…」 黒騎士は、そこで言葉を句切り、明らかに動揺を顔に表しているジーンを見つめたまま、しばし間を置いてから言葉を紡いだ。 「私が、女としてのお前を欲した。それだけでも、さらう理由は充分なのだ」 そう囁かれ、ジーンは心臓が飛び出しそうになる感覚を覚えた。 何か言おうと唇を震わせるも、声が出ない。早鐘のように高鳴る鼓動は、顎を持ち上げられたまま硬直している体に響き渡る。 大きく見開かれたジーンの瞳は、仮面の向こうから送られているであろう黒騎士の視線に捕らえられ、目線を逸らすことも許されない。 「…あ…あた…し…あの…でも…」 ようやく口から声を漏らしたジーンは、同時に左足を後ろに引こうとした。重心が移動し、黒騎士の両腕に負荷がかかるが、彼との距離はほとんど広がっていない。 黒騎士は薄笑いを浮かべ、ジーンの顎をゆっくりと引き寄せた。 彼が何をしようとしているのか、ジーンは予想することができた。だが、対処するにも体は動かず、どう対処すればいいかも分からない。されるがままに、黒騎士と顔を近づける。 「お前は私のものだ。決して逃しはしない…」 顔を横に傾け、黒騎士は一気にジーンと互いの唇の距離を詰めた。 一瞬、ジーンの頭の中が真っ白になった。黒騎士の胸に添えた両手が痙攣するように動き、無意識のうちに指の隙間を広げる。 そして、黒騎士と僅かに唇を重ねたかも分からないまま、ジーンは目蓋を硬く閉じ…。 「だっダメェッ!!!」 渦巻いていた様々な感情が最高潮に達したジーンは、両腕で黒騎士を力いっぱい押し、彼の体を突き飛ばした。 ジーンの背中に回していた黒騎士の腕は解かれ、顎を掴んでいた手も離れた。体の自由を取り戻したジーンは、素速く黒騎士に背を向け、火照りきった頬を両手で包む。 黒騎士は、とっさに右足を下げ、後ろによろめいた体を支えようとした。 「だだだダメだよ!いくらなんでもそ・それはダメっ!!そりゃ、あたしも調子に乗ってウェディングドレスなんか着させて貰っちゃったけれど…」 背後で体勢を整えようとしている黒騎士や、その様子を驚いた顔で眺めている神官たちの存在も無視し、ジーンは早口で喋り始めた。黒騎士は、下げた右足が踏みつけた物に気付き、顔色を変えた。 「で・でもさ、いきなり妃になれって言われた時は、そんなに嫌な気はしていなかったんだよ?むしろ嬉しかったくらいさ!あ・あんたとは力を合わせてゾファーと戦った仲間でもあるわけだし、初めて会った時は敵同士で、偉そうで石頭の分からず屋だなって思っていたけど、いや、今もそんなに変わっていないかもしれないけど、でも…」 ジーンが投げ捨てたブーケが、ちょうど黒騎士の足下に落ちていたのだ。バランスを崩した状態でそれを踏み、足を滑らせた黒騎士の体は、後ろ向きに倒れようとする。 「でも、あんたと結婚なんて絶対にしたくないって思っていたなら、ウェディングドレスを着たりなんかしなかった!今までにも、男の人からプっ…プロポーズなんかされちゃって、それを嬉しいと思ったことはあったけど、全部きっぱりと断ってきたんだ。もしウェディングドレスを着させてくれるって言われても、本気で結婚する気がなければ、それも断っていたはずさ。今ここで本気でレオと結婚するつもりは無いけど、でも絶対に結婚したくないとは思わなかったんだよ。形はどうであれ、レオに結婚してくれって言われたことが嬉しくて、その、つい…ドレスなんか着ちゃったけど…でも…やっぱり、今のレオじゃ嫌だ!!」 黒騎士が蹴り上げたブーケが宙を舞い、花弁を撒き散らす。倒れた先にあったアルテナ像の膝が、見事黒騎士の後頭部に入り、鈍い音を立てた。 それを見た神官たちは、オルガンを弾いていた者も含めて一斉に「あっ」と声を上げた。一人、勝手に興奮し、自分でも何を言っているのか分からないことを喋り続けるジーンだけは、神官たちが上げた声にすら気付いていない。 「あたし…あたし、いつものレオに、ちゃんとプロポーズして貰いたかった!!!」 渦巻いていた感情を全て吐き出すように、ジーンは叫んだ。彼女の言葉に驚かされた神官たちは、目を丸くして視線をジーンへと移す。 ジーンが叫んだのを最後に、室内は静まり返ってしまった。胸を裂いて飛び出してしまうのではないかと思うくらい激し脈打つ鼓動のだけが、ジーンの中でうるさいくらいに鳴り響いている。 それを押さえるように、ジーンは頬に添えていた手を胸に当てた。 「…だ・だから…だから、お願いだよ…」 やっと目蓋を開いたジーンは、そう声を振り絞ると、ドレスとヴェールを激しく揺らして黒騎士を振り返った。 「お願い!いつものレオに戻って!!」 振り返り様に、ジーンは黒騎士の肩を掴もうと腕を伸ばした。 しかし、その手はスカッと宙を掠める。 「…あれ?」 つい先刻までそこに立っていたはずの黒騎士の姿が見当たらない。ジーンは腕を伸ばしたままの体勢で固まり、目をぱちくりさせる。 「え?え?レオ!どこに…」 ジーンは、黒騎士が立っていた床を見下ろした。そこには、形の崩れたブーケが乱雑している。 さらに、すり潰された花弁にまみれた黒騎士の足を視界の隅に発見することができた。その足を辿って、ジーンは視線を移動させる。 やがて、黒騎士の全身が視界に収まると、ジーンは絶句した。 アルテナ像の傍らで、黒騎士はうつぶせになって倒れていた。 横を向いている顔からは黒仮面がずり落ち、焦点が合っていない双眼が覗く。時々指先がピクピクと痙攣するが、起き上がろうとする気配は全く見られない。 「…あ・あの…レオ…?」 ジーンは、恐る恐る黒騎士に近付き、腰を屈めて彼の右手首を持ち上げた。脈は確かにあるようだが、手首は力無く項垂れる。 「レ、レオ!何でいきなり倒れてんだよ!!ちょっと、大丈夫!?」 ジーンは黒騎士の肩を掴み、体を激しく揺さぶった。しかし、黒騎士の体は手首と同様、力無く揺れるだけだった。 * ヒイロたちの火傷は、その場にいた神官たちが癒してくれた。 気絶した黒騎士は、紋章や指輪と仮面だけ外してベッドに運んでおいた。目を覚ましてまた暴れられると面倒なので、それを考えて武装解除したのであった。 黒騎士にさらわれ、従わされていた人間たちは、嫌々彼に従っていたり、本気で黒騎士の悪巧みに荷担していたわけではなかったようだ。 拳法着に着替えてから、ジーンは「レオが迷惑をかけた」と一人一人に謝ったが、彼らは笑って首を横に振った。何でも彼ら全員、黒騎士の行動を悪者ゴッコ程度にしか考えていなかったという。 黒騎士の服や仮面、ジーンの花嫁衣装を作らされた者は、世界を救った英雄が着る服を特注で作れるなんて良い機会だと思い、あえて黒騎士にさらわれたそうだ。ここ数日間、黒騎士の食事を作らされていた料理人も、あの白の騎士レオの下でコックとして働けたなどと喜んでいた。 他の人間たちも、バルガンに乗りたいがために黒騎士にさらわれ、中には「レオ様は正義のために戦ってばかりだから、たまには悪者ゴッコで気分転換したほうがいい」と、レオを労って悪事に付き合っていた者までいた。 バルガンに罠を仕掛けたのも、ヒイロたちに魚の擂り身を浴びせかけたのも、やはりさらわれた者たちが面白がってやったことであった。後で、彼らは目を覚ましたヒイロたちに謝罪の言葉を述べたが、顔は反省の色無く笑っており、ヒイロたちの反感を買った。 ジーンを無理矢理花嫁にしようとしたことについても、ああやって強引な手段を取らなければ結婚しそうもないから見守っていたそうだ。もっとも、ジーンがあまり嫌がる素振りを見せなかったからでもあるのだが。 こうして、黒騎士によってバルガンに連れ込まれ、以外と脳天気に過ごしていた人々は、レオの部屋に移動されたアルテナ像だけ元の位置に戻し、楽しかったよと手を振って町へと戻っていった。 ちなみに先日の裏競売会で、黒騎士が建物を丸ごと消し去った件に関しては、その魔法の威力に町の人々が恐怖心を抱くのではないかとヒイロたちは不安に思っていたが、実際にはそうでもなかった。 と言うのも、正体が正義の人として有名なレオであると気付かれていたこともあるが、彼が派手に暴れてくれたおかげで裏競売の存在が明るみに出て、主催者や参加者たちは御用となり、その日の競売に掛けられた盗品は、全て持ち主の手元に戻されたからでもあった。消し去られた食堂も裏競売の主催者が経営していたものなので、あまり気にかけられなかった。 その御用になった泥棒たちの中に、女泥棒のビッチェが含まれていたかどうかは知る由もないが、黒騎士の働きは、盗難の被害に遭った人々からいたく感謝されていた。 こうして裏競売会場の騒動は、奥ゆかしくも、わざと悪と称して正体を隠していたレオが、泥棒たちを一網打尽にし、高額な盗品を取り返してくれたのだと町の人々に解釈されたのだった。 その後、ベッドの上で目を覚ましたレオは、頭を強く打ったショックでいつものレオに戻ったが、黒騎士と名乗っていた時の記憶はきれいさっぱり失われていた。 ヒイロとロンファを叩きのめしたことも、レミーナを馬鹿にしたことも、ジーンと結婚しようとしたことも全て忘れており、身に着けていた黒の騎士服を、自分で職人に作らせておきながら「色合いが好みではない」とかほざいていた。挙げ句の果てには、バルガン内の自室の床の焦げ跡や、撒き散らされたタバスコや魚の擂り身、集めた猫が垂れ流した糞尿を見て、記憶が無い三日間の内に何故これほど汚れたのだと、ジーンたちに説教を始める始末である。 いくら頭を打っておかしくなっていたとは言え、拉致や強盗などといった悪事を働き、大切な仲間たちを攻撃したことを覚えていれば、責任感と正義感の強いレオは、立ち直れなくなるほどの罪の意識を背負うことになっていたかもしれない。なので、レオが黒騎士の時の記憶を失っていたことは、ジーンたちにとっても本人にとっても都合の良いことだった。 しかしジーンたちは、やり場の無い怒りを内に溜めることとなってしまった。 結論を言うと。 今回の騒動で多大な被害を受けた者は、泥棒という悪と、ヒイロら仲間たちだけに終わった。 悪の帝国を築き、悪の力で人々を支配するためにルナの世界に降臨した仮面の黒騎士は、盗難の被害に遭った人々を救い、ノートの町の治安を良くした後、忽然と姿を消したのだった。 "エピローグ 脱せられない恋愛苦" ヒイロとロンファは、黒騎士に集められた猫を放すために外へ出ていった。レオとレミーナは汚れた部屋の掃除にあたっている。 唯一、黒騎士に奪われた武具やアイテムの在処を知っているジーンは、その確認を任され、一人でバルガン内の武器庫へと向かった。 中に足を踏み入れると、黒騎士がヒイロとロンファから剥いだ服や、バルガンごと奪った武具等が、きれいに整頓されて置かれている光景が目に入った。 この中に、ルーシアのメダリオンや、青き星へ向かうために必要なサファイアもあるはずだ。黒騎士に捕らわれている間、同じく彼にさらわれていた人間に、そう教えてもらったのだ。 しかし、その時は黒騎士に行動を監視されていたため、武器庫に向かうことすらできなかった。 ジーンは手近な物から手に取り、一つ一つ確認していく。 黒騎士が装備していたもの以外の指輪や紋章も、種類ごとに分別されて棚の中に収納されていた。おそらく黒騎士が、さらった人間に整頓させたのだろう。メダリオンは壁に吊され、サファイアと白竜の翼は棚の上に丁寧に置かれている。 …ちゃんと全部揃っているようだね。せいぜい、食料や所持金が減っているくらいだろう。 黒騎士に奪われた所持金は、目を覚ましたレミーナが真っ先にチェックしていた。黒騎士のコスチュームや、バルガンに仕掛けられた罠の製作費用、そしてジーンが着せられた花嫁衣装一式のレンタル料などで、けっこうな金額が削られており、それを確認した時、レミーナは気を失いかけたという。 ちなみに、黒騎士の仮面や衣装は、猫を放すついでにヒイロたちが町へ売りに行った。 …でもまあ、貴重な武具は残っているし、サファイアも取り返せたから、ヒイロが青き星へ向かう道を閉ざされずに済んだ。今回の騒ぎは、これにて一件落着…ってことになるかねえ。 所持金が激減してショックを受けていたレミーナや、黒騎士に服を剥がれて痛めつけられたヒイロとロンファには悪いが、後で怪我は完治したし、黒騎士の悪事もルナに混沌を招くどころが、良い方向へ導いた。 終わりよければ全てよし。この黒騎士騒動は、大団円を迎えたのだ。 特に酷い目には遭わなかったジーンは、そう思っていた。苦笑しながらサファイアなどが置かれている棚に近付き、一つ一つ下ろしていこうと腕を伸ばす。 まず白竜の翼を下ろそうとして、ジーンの瞳が真っ白な羽を映した時、伸ばした腕は、躊躇するように止まった。 汚れのない、純白の羽。それは、黒騎士に着せられたウェディングドレスを連想させる。 …まさか、あんな形でとは言え、レオがあたしにウェディングドレスを着せたなんてね…。 ジーンは白竜の翼を手に取る。 「私が、女としてのお前を欲した。それだけでも、さらう理由は十分なのだ」 不意に、黒騎士が囁いた言葉が頭の中で蘇り、ジーンの胸が熱くなる。白竜の翼を両手で強く握りしめると、ジーンはその場にしゃがみ込んだ。 …レオが、あたしのことを…? 「いや、で・でも、あの時のレオは黒騎士だったから、もしかしたら、本当のレオの気持ちは違うかも…」 自分は何を期待しているのだろう。もしかしたら、あれは黒騎士の悪い冗談かもしれないし、そうではなくても、本当のレオが自分に惚れていたとは限らない。 そう考え、言い聞かせるようにジーンは呟いたが、言葉とは裏腹に、心はレオが自分を選んだ理由を探してしまう。 …そういえば、あのドレスの丈、あたしが着るにはピッタリだった…。 黒騎士にさらわれてからすぐ、ウェディングドレスの試着をさせられたが、その時点でサイズは合っていた。 用意されていた花嫁衣装一式は、一組だけだった。おそらく、バルガン内に置いてあったジーンの服から、事前にサイズを調べておいたのだろう。 思えば裏競売会場で、黒騎士と名乗るレオと初めて対峙した時、彼は去り際にこんなことを言っていた。 「そう急くな、ジーンよ。まだ準備が整っていないのだ。準備が整えば、お前は…」 もし「お前は」に続く言葉が、ジーンを妃に迎えるというものだったら、彼が言っていた「準備」とは、そのための準備ということになる。そして、「まだ整っていない」ということは、裏競売会場に姿を現す前から、黒騎士はその準備をしていたということとなる。 つまり、黒騎士は裏競売会場でジーンと顔を合わせる前から、彼女と結婚するつもりで花嫁衣装や式の準備をしていた…と考えられる。 …そうだ。レオは完全に記憶を失って、仮面の黒騎士と名乗るようになったわけじゃない。レオの記憶がちゃんと残っていたから、バルガンを操縦できたし、竜の魔法も使いこなせていた。そして、あたしのことも覚えていた…。 裏競売会場で、黒騎士は確かにジーンを名前で呼んだ。 あのテンションの高さは白騎士寄りだが、レオの性格の本質は、正義と悪が逆転した以外は変わっていなかった。それも、レオとしての記憶が確かに残っていたからだろう。 ならば、女としてのジーンを欲したというのも、元々レオが抱いていた感情だったのだろうか。 一緒に旅をしている時のレオは、そんな素振りを全く見せていない。しかし、黒騎士となり、全てを自分の思うがままにしようとする悪意が、レオ自身も気付いていないような感情を呼び覚ましてしまったのかもしれない。 …だから、乙女をさらって自分のものにするという悪の王道を貫くのに、あたしを選んだ…。 人々を絶望させ、支配しやすくするために迎える妃なら、レミーナもジーンと同じく条件に当てはまっていたはずだ。むしろ、魔法ギルドの当主であるレミーナを悪の手に落とすほうが、効果的かもしれない。 しかし、黒騎士はジーンを選んだ。 さらうことができれば、レミーナでもよかったわけではない。女としてのジーンを欲したということだけでも、さらう理由は充分だと黒騎士は言っていた。 …からかわれていただけかもしれない…でも、もしそれがレオの本当の気持ちだったら…。 黒騎士が言ったことはレオの本心だという考えを、どうしても捨てられない。そうであることを期待してしまう。 黒騎士にウェディングドレスを着せられた時も、彼の腕に抱かれた時も、悪い気はしなかった。 黒騎士とヒイロが戦っている時、ただ見ていただけだったのは、動きにくいウェディングドレス姿では、とてもじゃないが二人の斬り合いに乱入できないと察していたからだとは思うが、本当にそれだけなのだろうか。黒騎士が本気でヒイロを斬る気が無いことに気付いていたとしても、乱入して止めるべきだったのではないか。 そうまでして、自分はレオに何を求めていたのだろうか。 考えるまでもない。 唇を重ねようとした黒騎士を突き飛ばした後、平静を失った自分が、既に口走っている。 …あたしも、本当はレオを…。 ジーンは俯き、目を閉じた。 二日前、ノートの町でレオと別れ、バルガンに戻ってレミーナとおしゃべりをしていた時に想像していたものを思い出す。 慌てた様子のルビィが現れる直前まで思い浮かべていた、ウェディングドレス姿の自分。そして、傍らに立つ男性。 二人は誓いの言葉を述べると、互いに向かい合った。 男性はジーンのヴェールに手を掛け、ゆっくりと捲り上げる。俯き加減だったジーンも、それと共に顔を上げた。 …ああ、やっぱり…。 そこには、白と銀で統一された騎士の礼装を身に纏い、柔らかな笑みを浮かべているレオの姿があった。 ジーンは切なげに目を細め、レオを見つめた。 黒騎士ではなくレオとして、利用するためではなく愛しいがために、ジーンの伴侶となることを誓ったレオを。 レオは、ジーンのヴェールを後ろに垂らすと、彼女の頬を包むように、そっと両手を添えた。頬に伝わる温もりと、優しい色を宿すレオの瞳が、ジーンの胸を締め付ける。 「…レオ…」 ジーンは彼の名を、喘ぐように紡いだ。 その湿った唇を僅かに窄めると、ジーンは目を閉じ、彼の口付けを待つ。 「…頬が熱いな…風邪でもひいたのか?」 そんなキス待機状態中に聞こえたレオの言葉に、ジーンは目を開いた。いつの間に妄想と現実が入れ替わっていたのか、軽装の レオがジーンの頬に両手を添えていた。 「ウワ―――――――――っっっ!!!!」 ジーンは甲高い叫び声を上げ、握りしめていた白竜の翼で思わずレオの手を振り払い、えらい勢いで後ずさる。その悲鳴に驚かされたレオは、彼女が壁に激突して止まるまで口を開けなかった。 「おいジーン!私の顔を見るなり全力で後退するとは、どういう意味だ!?」 レオは不機嫌そうに眉を吊り上げ、壁に背をもたれて座り込んでいるジーンを睨みつける。 「ちっ違う違う!そんなつもりじゃないんだ!ただ…い・いきなり目の前にいるから、その、びっくりして…」 ジーンは誤魔化し笑いをしながら、胸に手を当て、心臓と精神を落ち着かせようと努める。 「何度も名前を呼んだであろう!お前も私の名を呼んだではないか!なのに、何故驚く」 レオは周囲を見回しながら、ジーンに歩み寄る。その間に、ジーンは心を少しは落ち着かせることができた。 「アハハ…ごめんよ。そ・それで、レオは何をしにここへ来たのさ」 「うむ、ここも汚されているようであれば、掃除をせねばなるまいと思ってな。だが、その必要はなさそうだ」 答えながら、レオはジーンの前で立ち止まると、腰を屈めて目線の高さを合わせた。ジーンの表情が強張り、鼓動は激しく脈打ち始める。 「な…何?」 「…ジーン。やはり熱があるのではないか?どうも様子がおかしいし、顔も赤いぞ」 「えっ…つ、疲れているからだよ!武器や道具の確認だけしたら、休ませてもらおうかな〜なんて…だ・だから、大丈夫だから、心配いらないよっ」 「それならいいのだが…」 レオは背筋を伸ばして立ち上がった。これ以上追求される心配はないだろうと判断すると、ジーンは複雑な心境でため息をついた。 レオと結婚式を挙げている様子を想像していたなんて、口が裂けても言えない。しかし、完全にキス待機状態に入っていた乙女に「風邪でもひいたのか?」と問うのもどうかと思う。 …あ〜あ。あたしに結婚を迫ったことだけでも覚えていてくれればよかったのに…。 そんなジーンの気持ちにも気付かず、レオは彼女に背を向け、歩き出そうとした。 「あ、待って!!」 ジーンは慌てて立ち上がり、レオを呼び止めた。レオは立ち止まり、「何だ?」とジーンを振り返る。 「え…そ・その…」 自分で呼び止めておきながら、ジーンは口ごもる。 「どうかしたのか?言いたいことがあるのなら、はっきりと言え」 もじもじしているジーンとは対照的に、レオは冷静だった。こうも気が利かなくて、代わりに偉そうな口を利かれると腹が立ってくる。 「なっ…何だい!その言い方わぁっ!ハッキリ言え、じゃないだろ!!」 「はっきりと言わなければ、伝えたいことも伝わらぬではないか」 ハッキリとレオに言われ、ジーンは「あう」と言葉を詰まらせた。 偉そうではあるが、彼の言うことは間違ってはいない。 ハッキリと言わなければ、伝えたいことも伝わらない。その通り。気が利かなくて鈍感なレオだからこそ、言いたいことはハッキリと言わないと本当に伝わらない。そうジーンは納得してしまう。 「う…わ、分かったよ!ハッキリと言ってやろうじゃないかい!!」 ジーンは、白竜の翼を床に叩きつけるように振り下ろし、真っ直ぐとレオの目を見て意気込んだ。そんなに力んでまで、一体彼女は何を伝える気なのだろうと、レオは少々戸惑う。 「あの、あたし、レオが…レオのことが…」 視線を徐々に落とし、ジーンは言葉を振り絞ろうとする。レオはジーンの様子を不思議そうに眺めつつも、彼女が言葉を紡ぐのを黙って待っている。 固く目を閉じると、緊張のためか、立っている感覚が無くなった。 いっそう速く高鳴る鼓動以外、何も聞こえない。 まるで、何もない空間に一人で投げ出されたような気分だった。しかし、目蓋の向こうには確かにレオがいるはずだ。 ジーンは白竜の翼を胸に押し当てるように抱き、深く息を吸うと、思い切って言葉を吐き出した。 「あ・あたし、あんたのことが好きなんだ!!」 そう言い切って、ジーンは俯いた。 緊張のあまり、この場から走って逃げ出したい衝動に駆られたが、白竜の翼を折ってしまいそうなほど腕に力を込めて耐えた。 肩を狭め、黙り込み、ジーンはひたすらレオの答えを待った。 そして…。 「あの、それって…あたしのこと、お友達として好きってことだよね?」 やっと返ってきた答えは、聞き覚えのある可愛らしい声だった。 ジーンは目を開き、豆鉄砲を喰らった鳩のような顔を上げる。 「それなら、あたしもジーンのこと好きだけど…どうしたの?急にそんなことを言うなんて」 目の前に見える戸惑いがちの表情は、レオではなく、ルビィのものであった。彼女はジーンの目線と同じ高さを飛び、頬に両手を添えて困ったように話している。 「え、な・何で…」 何故、ルビィが目の前にいるのだろう。そう問おうとする前に、周囲の景色が一変していることに驚かされ、言葉を飲み込んだ。 いつの間にか、ジーンはキカイ山のナルの部屋に立っていた。レオの姿は無く、代わりにナルが、ルビィの後ろからジーンの様子を眺めている。 思い出してみれば、黒騎士が占拠したバルガンに乗り込んできたヒイロたちの中に、ルビィの姿はなかった。 黒騎士が元のレオに戻ってからも、彼にウェディングドレスを着せられたことで頭がいっぱいだったジーンは、ルビィの存在をすっかり忘れていたのだった。 だが、なぜルビィはキカイ山にいるのだろう。そして、なぜ急に周囲の景色がキカイ山のものへと変わったのだろう。何より、目の前にいたはずのレオは何処へ行ってしまったのだろう。 「それよりジーン、大丈夫だった?レオに変なことされなかった?」 ルビィは、呆然としているジーンの肩に乗ると、心配そうに尋ねてきた。 「そうそう、ルビィから話は聞いたぜ。レオが悪者になっちまったんだってな。だからオレ様も協力してやったけど…」 ナルも、その場からジーンに声をかける。 それを聞いて、ジーンは思い出した。 昨晩、酒場の二階で黒騎士にさらわれる直前、ヒイロたちに向かって叫んでいたことを。 …そういえば、黒騎士に奪われた白竜の翼をナルに遠隔操作してもらえって、遠回しにヒイロたちに伝えようとしていたっけ…。 呆然としたままの顔を下に向け、抱きかかえている白竜の翼を見下ろす。 白竜の翼を黒騎士が持っている時に遠隔操作すれば、黒騎士を捕らえることができるかもしれない。もしくは、メダリオンやサファイア等の奪われたアイテム全てを取り返し、その上で白竜の翼をジーンが手にすれば、遠隔操作によっバルガンを脱出でき、黒騎士の戦力も激減する。 そのことを、ジーンはヒイロたちに伝えようと叫んでいたのだ。 それは、ヒイロたちに上手く伝わっていたようだ。 そしてルビィはナルに協力を求めてキカイ山へ向かい、ルビィから話を聞いたナルは、黒騎士が元のレオに戻ったことも知らずに白竜の翼を遠隔操作をするタイミングを見計らっていたのだろう。 レオに自分の気持ちを打ち明けようとした時、ジーンはちょうど白竜の翼を手にしていた。そのため、ナルは白竜の翼の遠隔操作を行い、非常に悪いタイミングでキカイ山に転送されたジーンは、緊張のあまり転送されたことに気付かないまま、レオではなくルビィに告白してしまったのだ。 「…………」 状況を把握したジーンの腕から力が抜け、白竜の翼は床に転がった。さらに足の力も抜け、カクンと折った膝を床に着く。 「ど・どうかしたのジーン。大丈夫?」 心配そうなルビィの声も、虚ろな目をしたジーンには全く聞こえていない。 「そん…な…せっかく言ったのに…」 悪の黒騎士と化したレオに一方的に結婚を迫られ、強引に引き出されてしまった自分の気持ち。 キスを迫られ、ついそれを口走ってしまったが、頭を打って気を失った黒騎士の耳には届かなかった。 黒騎士が元のレオに戻ってから、もう一度告白し直すのに、どれだけ勇気を振り絞ったことだろう。 しかし、その声もレオには届かず、何故かルビィに届いてしまった。 今後、告白できる機会はあるだろうか。二度目の告白以上の勇気を、三度目の告白で奮い立てることができるだろうか。 その時まで、結婚を迫ったことも覚えていないレオの傍らで、一人で悶々としていなければいけないのだろうか。 正に踏んだり蹴ったりである。 「なんでこ〜なるんだよもぉ〜っ」 がっくりと項垂れ、背中を丸めて突っ伏すと、ジーンは床を拳で叩き、八つ当たりを始めた。 思わず飛び上がったルビィと、一歩後ろに退いたナルは、悔しそうに唸るジーンを恐がり、拳を叩きつけられている床が抜けまいかと心配しながら彼女を見下ろすことしかできなかった。 (終) あとがき |