伊勢市・志摩市旅行記
宿泊先は、鳥羽市駅に近い宿で、「天保元年(1830年)創業」と、ホームページに掲載されていた。
なお、天保元年は、江戸時代が終わる38年前で、この年は、60年周期となる「伊勢お陰参り(いせおかげまいり)」が 流行し、数百万人が参詣したとのこと。
古くは、お伊勢参りをする人は、二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)のある二見浦(ふたみがうら)で禊(みそぎ)をし、
その後、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の外宮(げぐう)、皇大神宮(こうたいじんぐう)の内宮(ないぐう)の順番に参拝し ていたと言われてる。また、「片参り」にならぬようにと、朝熊山(あさまやま)の金剛證寺(こんごうしょうじ)にも参詣する のが習わしであったとのこと。当ツアーも、これに倣ってのコース取りで有った。
なお、伊勢神宮について、少々以下に記す。
当宮の正式名称は「神宮」であるが、古くからは「お伊勢さま」「大神宮さま」と呼ばれ、一般化したのは「伊勢神宮」で、内宮・外宮の両正宮を筆頭に、14所の別宮、43所の摂社、24所の末社、42所の所管社の合計125社の総称であるとのこと。
当地に鎮座した経緯が「日本書紀」に記されていて、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御霊代(みたましろ)として鏡を歴代天皇が皇居内でお祭りしていたが、第十代崇神天皇(すじんてんのう)の御代に皇居外で祭られるようになり、第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の御代、各地を巡行されていた皇女倭姫命(やまとひめのみこと)に大御神から、当地に居るようにとのお告げがあったということである。
この出来事は約2千年前で、その5百年程のちに雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)22年(478年)、天皇の夢のなかに現れた天照大御神の神託、則ちお告げで、外宮の豊受大御神(とようけのおおみかみ)が『丹波国比治(たんばこくひじ)の真名井原(まないのはら)※』から伊勢の山田原(やまだのはら)に迎えられたとのこと。
※「豊岡市・宮津市等旅行記」の「2日目豊岡市・京丹後市・伊根市・宮津市(2018年9月18日(火)」に掲載した
「籠神社(このじんじゃ)」に繋がる
1日目 伊勢市 (2019年5月12日(日))
二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)
社務所脇からの夫婦岩(めおといわ)
神社の御祭神は、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)で、カエルは「お使い」と言われ
神社のいたるところで石像をみる
夫婦岩と答志島(とうしじま)
夫婦岩の後ろに見えるのは島であろう
右側から中央の霞んで見えるのがが答志島、その手前の濃く小さいのが浮島(うきしま)
両島とも鳥羽市になり、定期船利用となる 右端には、参道を歩く人が見える
夫婦岩と注連縄(しめなわ)
男岩と女岩を注連縄で結ぶ夫婦岩は、沖合700mの海中に沈む猿田彦大神の霊石、
及び日の大神(太陽)を拝する鳥居の役割を果すとのこと
夫婦岩
1961年(昭和36年)春に撮影
右側に写っているのは遊覧船
夫婦岩脇の遊覧船及び参道
1961年(昭和36年)春に撮影
クラスメイトと撮影 手前中央が自分
外正宮(しょうぐう) 板垣南御門
2鳥居と一緒になっているのが板垣南御門
その後方の屋根の所が外玉垣南御門である
なお、伊勢神宮の正宮は、四重の垣がめぐらされ内側から、瑞垣(みずがき)、内玉垣、外玉垣、板垣となる
外宮 古殿地(こでんち)
石が敷かれて、平らな所が古殿地
式年遷宮(しきねんせんぐう)時には、正宮がこの古殿地に新たに建立
次回は2033年となる
外宮 四丈殿(よじょうでん)と正殿等
大きく見えている屋根は四丈殿で、主に「大祓(おおはらえ/おおはらい)」などの行事に使用のようだ
2本の大杉の後に見える屋根は正殿
外宮 正殿(しょうでん)と東宝殿(とうほうでん)
金色に光っている建物のうち、手前が東宝殿、後方が正殿
正殿には、五穀をつかさどる女神、豊受大御神(とようけのおおみかみ)が、祀られている
此処には写っていないが、東宝殿と対の形で、瑞垣内の西方に西宝殿(さいほうでん)が建っている
西宝殿には、遷宮時に奉納された御神宝が、東正殿には、装束、衣、武具、秘宝が安置されているとのこと
御饌殿(みけでん)
御饌殿は外宮のみに有り、朝と夕の二度、御飯、御水、御塩などを内宮に祀られている天照大御神(あまてらすおお みかみ)に対して奉り、「国安かれ、民安かれ」との祈りと感謝を捧げるとのこと
北御門口(きたみかどぐち)の火除橋(ひよけばし)
火除橋は、表参道と北御門にあり、防火の為に造った堀川にかけられている橋で、
この橋を渡ると神域になる
私たちは、入口は表参道、出口は北御門口
火除橋前の手水舎(てみずしゃ)
火除橋の左手に見える屋根や柱が、手水舎
参拝者が身を浄めるために手水を使う施設
神社、寺院の参道脇または社殿脇に置かれ、手や口を漱(すす)ぎ清めることになる
2日目 伊勢市 (2019年5月13日(月))
旅館の前景
180年ほど前からある旅館とのこと
帰る時、バスの乗客に、赤いハンカチを振って送ってくれた
真珠王「御木本幸吉」の逸話からの行動とのことが、女将からの話しで分かった
旅館からの鳥羽港と遊覧船
港には、竜宮城をイメージした遊覧船が一日の仕事を終え、明日に備えて係留
「鳥羽湾めぐりとイルカコース」の遊覧乗り場は、写真左側に見える埠頭側にあり、
「鳥羽マリンターミナル」とのこと
旅館の玄関前で 8時13分撮影
正月で無いが、軒先に「注連縄(しめなわ)」を見ることが出来た
この地方では、一年中飾るとのことで、「須佐之男命(すさのおのみこと)」に関係する
言い伝えがあるとのこと
朝の伊勢神宮・内宮(ないぐう) 8時46分
映像の鳥居は入口側で、「宇治橋」を渡ると神域側となり、「宇治橋の鳥居」とのこと
鳥居には2種類あり、伊勢神宮は「神明鳥居(しんみょうとりい)」とのこと
朝の伊勢神宮・内宮の鳥居前で、撮影の後「お伊勢さん観光案内人」の方から、 鳥居の前で、一礼してからくぐるようにとの説明があった
朝のおはらい町 8時50分
案内人の説明が済んでから、鳥居をくぐる前に、右側の近くにあり佳境前である
この通りを撮影
五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらしば)にて
御手洗場は、江戸時代から参拝者がお清めを行っていた場所で、その慣わしは今も続けられており、
参道には手水舎があるにも拘らず、参拝前には多くの人が立ち寄っているようだ
正宮(しょうぐう)板垣南御門
外宮と同様に、四重の垣が廻らされている
正宮板垣南御門
鳥居の後にある屋根が、外玉垣南御門の物
右側に見える屋根は四丈殿の物
正宮正殿
屋根部分の千木(ちぎ)かな?
右斜めに上に向かって立っている棒状の物
正宮板垣南御門の大写し
1961年(昭和36年)春に撮影
正宮板垣南御門
1961年(昭和36年)春に撮影
写っているのは、クラスメイト
参道を歩行中
案内人の方が、此れから行く社(やしろ)について説明中
御稲御蔵(みしねのみくら)
正宮で祭が行われるたびに、御稲御倉でも祭祀が行われる
神宮神田で収穫されたイネは抜穂(ぬいぼ)にして納められ、そのイネは内宮の祭祀に
合わせて取り出され、御饌(みけ:神への供え物)として天照大神(あまてらすおおみかみ)に
捧げられる
即ち、内宮穀倉として利用されている
外幣殿(げへいでん)
古神宝類(こしんぽうるい)が奉納のようだ
因みに、古来の伊勢神宮では皇太子(王位継承者)や皇后陛下からの神前へ奉納する
ものを収めていたようだ
神宝とは、神様の生活に必要であるというものがセットされた品々のことを云う
荒祭宮(あらまつりのみや)
天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒御魂
(あらみたま)をまつる別宮(べつぐう)
風日祈宮(かざひのものみや)への参道
案内人の説明を聞きながら、後に続いて歩くのみ
風日祈宮(かざひのみのみや)
祭神は風の神で、農作物の成長に風雨による災害が無いように祈る「風日祈の神事」に由来
するとのこと
元寇撃退となった、伊勢の神風の話しがある
御厩(みうまや)
此処には、神様に仕える神馬(しんめ)がいて、おおよそは白馬のようだ
御厩の馬
神社の馬について、平安時代に朝廷により作成された[延喜式(えんぎしき)]と呼ばれ
る古文書に、下記のように記載されている
その内容は、雨を願うときには黒毛の馬を、晴れを願うときは白い馬を献納すべしと
案内人の中野康弘さん 10時28分
宇治橋の入口側で撮影
右側の棒状の物は、鳥居の柱で、飽きさせない説明が印象に残った
赤福餅「盆」 10時40分
「おはらい町(まち)」の入口に在る「赤福内宮前支店」で、番茶と共に早速食べた
結構おいしく、形は、清流「五十鈴川」をイメージしているとのこと
おはらい町の道並
江戸時代を思わせるような通り
ここ伊勢でも注連縄り
軒下に飾られる大根注連縄飾り
木札に「蘇民将来子孫屋門(そみんしょうらいしそんかもん)」の文字を見ることが出来る
金剛證寺(こんごうしょうじ)の仁王門
この寺は、伊勢神宮の奥の院または伊勢神宮の鬼門(北東=丑寅)を守る寺として昔から
伝えられているとのこと
境内
中央に鐘楼や太鼓橋がかかった池がみえる
この橋は聖地と俗界との結界を示すのかも
本堂の摩尼殿(まにでん)と明星堂(みょうじょうどう)
摩尼殿(左側:階段部分赤色)は、1609年に姫路の城主池田輝政が、焼失してしまった摩尼殿を再建したとのこと
その後、徳川五代将軍綱吉の母柱昌院によって改修され、今に至っているとのこと
なお、御本尊は日本三大虚空蔵菩薩で、建物は国の重要文化財である
明星堂(右側で屋根が緑系)は、伊勢神宮の鬼門除けに明星天子をお祀りしている場所で、明星天子は虚空蔵菩薩の
化身で、明星は日月星の三字よりなり、国土安泰、智恵成弁(ちえじょうべん)の仏神とのこと
卒塔婆の参道
卒塔婆の後ろ側にお墓が並んでいる
この参道が、本堂と奥の院を繋いている
卒塔婆
こんな大きい卒塔婆、初めて眼にした
左側で3万円、右側は50万円
写真の金額表示、見えますか
呑海院(どんかいいん)
金剛證寺奥之院となる
奥の院とは、寺社の本堂・本殿より奥にあって、開山祖師の霊像や神霊などを祭った所
朝熊山(あさまやま)山頂展望台からの遠景
この山頂展望台ヘのアクセスは、有料の伊勢志摩スカイラインの利用となる
中央白色に写っている市街地は、鳥羽市の近鉄鳥羽線「池の浦(いけのうら)」駅周辺と思われる
朝熊山山頂展望台の周囲
右上に写っている建物が、展望台
倭姫宮(やまとひめのみや)
倭姫命(やまとひめのみこと)をお祀りしている
命は、皇大神宮鎮座の後、神嘗祭(かんなめさい)をはじめとする年中の祭りを
定め、神田や各種ご料品を奉る神領を選定し、禰宜(ねぎ)、大物忌(おおものいみ)
以下の奉仕者の職掌を定め、斎戒(さいかい)や祓(はらえ)の法を示し、神宮所属の
宮社を定められるなど、神宮の祭祀と経営の基盤を確立した
神宮徴古館(じんぐうちょうこかん)
明治42年に、日本で最初の私立博物館として創設され、
伊勢神宮の「歴史と文化の総合博物館」である
神宮をより詳しく知るために、おまつりや歴史・文化に
関する資料を中心に展示されている
ホテルにて
古い角質を食べるドクターフィッシュに、食事をさせてきた
15分で1,000円
3日目 志摩市 (2019年5月14日(火))
賢島駅(かしこじまえき)全景
この駅は、近鉄志摩線の発着駅である
賢島駅構内
右側に見える階段を登ると、「サミット記念館」の入口に行きあたる
サミット記念館
第42回先進国首脳会議が、2016年5月26日から5月27日に、此処賢島のホテルで開催
写真のテーブルは実際に使用の物
英虞湾(あごわん)遊覧船乗り場周辺
乗船した遊覧船から、出港直後に撮影した曇天の賢島
下船時は案の定、雨降りとなり、相合傘で観光バスへ
ミキモト真珠養殖場
真珠に生涯を捧げ、Pearl King(真珠王)と呼ばれた創業者 御木本幸吉
幸吉は、誰も実現することができなかった真珠の養殖を1893年に世界で初めて成功
させた
核入れ手術
核入れは次の順序でおこなわれるとのこと
1. 開口器で貝殻をすこし開き、くさびを差し込んで隙間をつくる
2. へらで内臓部分を露出させ、表面をメスで少し切開する
3. 切開口から生殖巣のしかるべき場所まで導入路をつくり、まずピースを、続いて核を移植する
ピースと核はかならず密着していなければならない。また、このとき不要意に傷をつけないように注意する。
注:外套膜の切片を『ピース』と呼び、この細胞が真珠形成の重要な役割を担っている。
核は、主にアメリカのミシシッピ河流域に生息するイシガイ科の二枚貝を加工して、白く真円の物を用いる
