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ありのままのメシア 第一話


   ・プロローグ

 聞きたくなかった断末魔の悲鳴が、ガラスを通して伝わってきた。
 ほんの数秒前までは、美しい女性の姿をしていたそれは、床を転げまわり、溶けかけている肉片を辺りに撒き散らしている。
 その様子を、ガラス越しに眺めている彼女は、両手で耳を塞ぎ、歯を食いしばった。
 やがて悲鳴は止み、ガラスに囲まれたその部屋は、ドロドロに溶けた肉片にまみれていた。
 彼女は膝をつき、四つん這いになって、がっくりとうなだれる。
「…残念だったな」
 彼女の隣に立っている男が、そう言って、彼女の肩に手を添えた。
「そんなに気に病むことはない。たった一度目の挑戦で、あそこまでいけば上出来さ。なに、焦ることはない」
 男は、優しい口調で彼女を励ますが、彼女は何の反応も示さない。
 男は、少し困った顔をすると、彼女の肩から手を離した。
「…私は、次の実験にも立ち会わなければいけないので、もう行くが…後でレポートを提出してくれ」
 そして、男は彼女に背を向け、その場から立ち去った。
 残された彼女は、魂が抜けてしまったかのように茫然としていたが、やがて怒りが込み上げ、両手で強く床を叩いた。
「…気に病むな?焦ることはない?…そんな慰めの言葉、下級クラスの奴らにしか通用しないわ!」
 静まりかえっていた部屋に、彼女の怒鳴り声が響き渡る。
「私は上級クラスの人間なのよ!その中のエリートなのよ!たった一度の失敗も許されない。一度でも失敗すれば、白い目で見られる。…私は、常に完璧でなければいけないのに!」
 わめきながら、彼女は何度も床を叩いた。白い肌は、みるまに赤みを帯び、血管を浮き上がらせる。
 最後に、一度床を強く叩くと、彼女は息を切らし、肩を激しく上下させた。
「…そうよ。私はエリートなのよ。こんな課題、いつもなら余裕でクリアできたはず…そうだわ!あいつのせいよ!あいつが私にプレッシャーをかけるからいけないのよ!」
 彼女は、怒りをぶつける対象を、床から他のものへと移した。
「あいつがいけないのよ。あんなやつ…あんなやつ…」
 彼女は、ゆっくりと立ち上がり、汚れている部屋を一目見ると、苛立たしげなヒール音をたてながら、その場を後にした。


   ・第一章 アーネスの秀才

「神って何?」
「えっ…ですから、この世界を創造し、我々を導いて下さる、とてもありがたい存在なのです」
 テーブルを挟んで、向かい側に座っている戦士風の男は、爽やかな笑顔で言った。
 堂々と椅子に座っているソフィスタは、眼鏡を整えながら、じろじろと男を眺めた。
 不精ひげを生やしたゴツい顔立ちに、その爽やかな笑顔は似合わない。
 いかにも、自分は特別な人間ですよと言うような赤い鎧には宝石がちりばめられ、でかでかとした羽飾りまでついている。実戦では羽飾りが邪魔になって仕方がないだろう。
 その様子を、ソフィスタは思いきり笑ってバカにしたい気分だったが、あえて無表情のままでいた。
 感情を表に出さずにいると、相手は不安になり、ボロを出しやすくなる。
 最初から、この男の言うことなど、ソフィスタは信用していなかった。
 なんでも彼は、この世界を破滅へと導く魔王が近々現れるので、そいつを倒せと、神に命じられたらしい。しかし、自分一人では力不足なので、ソフィスタに協力を求めに来たという。
 神に選ばれた人間なら、このたかだか十七才の小娘の力なんざ借りずに、一人で魔王を倒せばいいのにと、ソフィスタは思ったが、これは黙っておいた。
「導くって、どこへ?」
「それは…争いのない、人々が安心して暮らすことのできる世界です」
「争いなんて、いつの時代でも、どこかしらで起こっているじゃないか。その上、魔王まで現れるって話なんだろ。本当に導いてくれてんのか?第一、魔王って何?何で世界を破滅へと導きたいわけ?」
「だから、魔王は神の敵であって、神が望む人々の平和を、壊そうとしているのです。今までに起こった争いも、全て魔王が人々をたぶらかしたからなのですよ」
「何で神の敵なのよ」
「そ、それは…」
 こんな具合に、ソフィスタは質問を続けていた。
 …どうせ、こいつもあたしの技術を狙うサギ師だろう。破滅だの魔王だの、そんなバカバカしい話を、よく真顔で話せるもんだ。
 今までにも、ソフィスタの研究の成果を自分のものにしようと、何人ものサギ師が彼女のもとへ訪れた。
 その内の数人は、この男と同様、魔王が現れるだの、神に選ばれた勇者だの、子供並の嘘をついていた。そして、ソフィスタによって嘘を見破られ、追いかえされていった。
 方法は簡単だ。
 何も知らないかのように、質問を繰り返せばいい。
 勝手な想像と浅はかな知識だけでつく嘘は、それだけで言葉をつまらせる。
 それに、ソフィスタは、実際に神や魔王を見たことがあるわけではないので、本当の意味で知らなかった。もっとも、この男から、その知識を得られるとは全く思っていないが。
「そもそも、神が人々の平和を望んでいるから、敵である魔王は世界を破滅させようとしてるんだよね。それって、魔王による神へのイヤガラセの被害を、人間が受けるってことだよな。その、いい迷惑をしている人間に、魔王を倒せと命じるなんて、頭おかしいんじゃねえのか?無責任にも程があるってんだ。平和を望んでやっている恩を返せってのか?望むことぐらいならサルでもできるだろ」
 ついに、男は言葉をつまらせた。何かを言おうと、口は開いているのだが、はっきりとした言葉は出てこない。
 ソフィスタは、無表情で男を見ていたが、ふと、ため息をつくと、あきれた顔で言った。
「…悪いけど、帰ってくれる。あんた、神に騙されているか、勝手に妄想しているだけかの、どっちかだよ。大人しく家に帰ったほうが身のためだって」
 そして、目の前にある、紅茶を注いだティーカップを手に取ると、静かにすすった。ちなみに、男には何も差し出していない。
「…このガキ…下手に出りゃ調子に乗りやがって…」
 男は、怒りに満ちた表情で、そう言ったが、ソフィスタは全く気にしていない。金色のサラリとした前髪を掻き上げ、面倒くさそうに呟く。
「そのガキ相手に、そう青筋を立てるもんじゃないよ。あーヤダヤダ。こんな気も足も短い大人にゃなりたくないねえ」
 男の顔が真っ赤になり、本当に立っている青筋からは、今にも血が噴き出しそうだ。
 それを見て、ソフィスタがプッと吹き出したので、男の怒りは頂点に達した。
「てめェ!!!」
 男はテーブルに足を乗せ、ソフィスタの胸倉を掴もうと、腕を伸ばしてきた。しかしソフィスタは動じない。
 突然、男の腕は、頭一つぶんほどの大きさはある、銀色のゼリー状の物体に捕らえられた。
 ドロッとしているような、ぷるんとしているような、妙な感触に、男は気味が悪そうな顔をする。その顔を、今度は同じような青い物体が包み込んだ。
 男は、銀色の物体が絡んだ腕を上下に激しく振り、もう一方の手で、顔を包んでいる青い物体を払おうとする。
「紹介するよ。そいつらが、あたしの研究の成果である魔法生物で、銀色のほうがセタ。青いほうがルコスっていう名前なんだ。みんなはスライムって呼んでいるけどね」
 そう言って、ソフィスタが指をパチンと鳴らすと、セタとルコスは、ソフィスタの肩へと跳んだ。セタは右肩に、ルコスは左肩に、それぞれぴったりと張り付く。
 男は床に尻餅をつき、情けない顔で息を切らしている。
「どうせ、お前もこいつらを使って金もうけでもしようって魂胆だろ。そんなことに、こいつらを利用させるわけにはいかないね。マシなことに使わない限り、技術の提供はできないよ」
 ソフィスタは立ち上がり、窓を全開させると、男に向けて手をかざした。
 すると、セタとルコスが、肩に張り付いたまま、そのヌラリとした光を放つ体を伸ばし、男の両腕を掴んだ。
「ひっ…」
 男は短い悲鳴を上げた。
 セタとルコスは、パチンコ玉を飛ばすゴムのように、伸ばした体を一気に縮め、男を窓の外へ放り投げた。
「うわあああああっ!!!」
 部屋は一階にあったが、それでもセタとルコスに勢いよく投げられた男は、地面に体を叩きつけ、砂煙を上げて滑走する。
 その様子を、涼しい顔で眺めていたソフィスタは、一つため息をついてから、窓を閉めた。
「…ったく…馬鹿の相手は疲れるってんだよ…」
 ソフィスタが、がっくりと頭を項垂れると、セタとルコスも、真似をするように体を動かした。


 *

 ここ、魔法の研究開発が盛んな街、アーネスにある魔法アカデミーでは、多くの優秀な魔法使いが世に送り出され、研究室からは様々なマジックアイテムが開発されていた。
 そのマジックアイテムを狙って、詐欺師たちがよくアカデミーに訪れていた。
 それは前々から知ってはいたが、実際に自分が詐欺師に狙われる立場になると、頭が痛くなる。

 ソフィスタが魔法アカデミーに入学してから、早二年。
 成績は優秀だが、ただそれだけで、特に目立った行動を取ることは全くなかった。
 しかし、魔法生物の開発に成功して以来、誰もが一目置く存在となった。
 人間が内に秘めたる力、魔法力。その力によって作り出される魔法生物の研究は、昔から魔法アカデミーで行われているが、開発されてきた魔法生物は、特別な液体や空間の中でしか生きられず、寿命も短いものばかりだった。
 ソフィスタが作り出した魔法生物は、寿命はまだ分からないが、人の住まう地の空気の中で生きることができ、自ら考え行動できる知能もあった。
 これは、三百年の歴史を誇るアーネスの中でも前例がなく、ソフィスタの名は校内だけではなく、街の外にまで広まった。

 今、ソフィスタは、学校から特別に個室と資材を提供され、別の研究に没頭している。
 そんな最中、ソフィスタが開発した魔法生物を作り出す技術を狙って、ソフィスタとコンタクトを取ろうとする詐欺師が、学校に訪れるようになった。
 ソフィスタは、別に金儲けや人々のために魔法生物を作ったわけではないので、詐欺師であろうがなかろうが、コンタクトを取ろうとする者を、ほとんど門前払いしていた。
 しかし、一部の人間だけは、特別に招き入れていた。それは皆、宗教家や、神に選ばれた人間だと自称する者ばかりだった。
 なぜなら、彼女が今、研究をしていることは、『神の存在と魔法の関係』だからだ。
 だが、ソフィスタの元へやって来る者は、勇者だとか宗教家だとかホラを吹く詐欺師がほとんどだった。
 まれに、ソフィスタのほうから、きちんとした宗教家の元を訪ねることもあった。
 彼らの中には、神の力を借りて魔法を使うと言う者もいるが、問い詰めていけば必ず言葉を詰まらせ、大した知識を得られることは全くなかった。

 …所詮、神は空想上の存在でしかないのか…。
 人は、必ず何かに頼ろうとする。
 精神的に追い詰められると、何かに救いを求め、期待することで不安を和らげようとするのだ。
 しかし、人や物、この世に存在するものではどうにもならない危機に直面すると、今度は空想上のものに頼ろうとする。
 それが、神だ。
 つまり、神は人々が不安を和らげるために作り出した、幻にすぎないのだ。
 にも関わらず、神を見ただの、神の声を聞いただのと言う人間は、昔から絶えない。
 それは何故か。
 神は実在しているのだろうか。
 本当に空想でしかないのだろうか。
 それを解明するため、ソフィスタはアーネス魔法アカデミーへ入学し、個室と資材を得た。
 魔法生物の開発は、その研究に没頭するための手段でしかない。
 だが、その手段のせいで、余計な詐欺師どもの相手までする破目になったので、ソフィスタは後悔していた。
 …こんなことになるなら、別のことで実績を上げてりゃよかった…。
 歴史に残る、偉大な開発をしたにも関わらず、彼女は頭を抱えていた。


 *

「今日も収穫は無し、か…」
 午後の授業を終えたソフィスタは、校舎の中を、個室へと向かって歩いていた。
 太陽や月などの天体が描かれている帽子をかぶり、紺色マントを羽織っている。セタとルコスは、そのマントの上から肩に張り付いていた。
 授業中は、マントと帽子を脱いでるが、午前中、エセ勇者と面会していた時は、この格好だった。
 そして、これからまた、神に選ばれた人間と自称する者と面会する予定があった。
 廊下をうろついている生徒たちの間をすり抜け、すれ違った教授に軽く挨拶をしながら、ソフィスタは真っ直ぐ個室へと進んだ。
 …神の存在を否定するにも肯定するにも、決め手に欠けているんだよね…。
 歩きながら、ソフィスタは、そんなことを考えていた。
 …文字や言葉だけでは、いくらでも肯定できるし、否定することもできる。魔法にしたって、神の力を借りていると言っても、それが本当かどうかはハッキリとしてない。現に、神を信仰していないあたしにだって、魔法は使える…。
 涼しい顔で考え事をしながら、黙々と廊下を歩く。
 …やっぱり、実際に神に会ってみなきゃ、納得できないな…。
 そして、突き当たりの角を曲がろうとして、体の向きを変えたとき、突然、ソフィスタの視界が暗くなった。
「えっ?」
「わあっ!!」
 次の瞬間、何者かが勢いよくぶつかってきた。ソフィスタは後ろに飛ばされてしまう。
「あうっ!」
 床に背中を打ちつけ、ソフィスタは悲鳴を上げた。
「あ、す・すまん!」
 ぶつかってきた人物は、おたおたとソフィスタに右手を差し出した。
「いって〜っ…廊下を走るなって言われた経験ないの?」
 ソフィスタは、ゆっくりと体を起こし、ずれた眼鏡を整えた。幸い、割れていない。
 そして、差し出された手を掴もうとして…ぎょっとした。
 節くれの目立つ、がっしりとした大きな手。それは、どういうわけか緑色を帯びている。
 ソフィスタは、顔を上げた。
 手を差し出している人物は、独特的なデザインの巻衣で全身を包んでおり、顔もよく見えない。
 背は高く、巻衣を膨れ上がらせている筋肉や、先ほどの声からして、男だろう。
 こんな生徒いたかなと、ソフィスタはじろじろと男を眺めた。
 彼は、何やらそわそわしており、困ったように周囲を見回しながら、ソフィスタに言った。
「おい、立ち上がる気がないのなら、私は、もう行くぞ」
「あ、待った!起きる!」
 ソフィスタは、慌てて彼の手を掴んだ。
「いたぞ!こっちだ!!」
 急に、廊下の奥から姿を現した生徒が、男を指しながら叫んだ。
「しまった!」
 男はソフィスタの手を放した。立ち上がりかけていたソフィスタは、バランスを崩し、床に尻餅をついた。
「イタッ!」
「っと、すまん」
 ソフィスタが再び悲鳴を上げたので、男も再び右手を差し出した。
 そこへ、数人の教授や生徒たちが駆けつけ、二人を囲んだ。
「え?な、何だ?」
 困惑するソフィスタに、教授の一人が声をかけた。
「ソフィスタ、気をつけろ!そいつは学校の者じゃない!!」
「えっ?」
「何ィ!?」
 ソフィスタはともかく、何故か男まで驚いて、顔を見合わせた。
「そうか…貴様がソフィスタか!」
 男は、差し出していた右手でソフィスタの胸倉を荒々しく掴んだ。
「こら!やめろ!」
 二人を囲んでいた教授たちが、一斉に男に飛び掛った。
 男は、ソフィスタを突き飛ばして教授たちをかわすと、左手を高々と掲げた。
 その手には、妙なアクセサリーがはめ込まれている。
「邪魔をするな!!」
 男が叫ぶと、そのアクセサリーから、赤い光が放たれた。ソフィスタは、とっさに目を伏せる。
 光は強かったが、すぐに消え去った。
 すると、男に飛び掛った教授たちが、次々と気絶し、床に倒れていった。その音で、ソフィスタは顔を上げる。
 男は、左手を掲げたまま、周囲の生徒たちを睨みつけた。
 目元は影になっているが、その威圧感に、生徒たちの足はすくんだ。
「…邪魔をする気がなければ、それでいい」
 男は、ゆっくりと左手を下ろし、今だ床にへたり込んでいるソフィスタの前で、仁王立ちした。
 そして、巻衣に手をかけると、勢いよく脱ぎ去った。
「…っ!!」
 ソフィスタは、瞳を大きく見開いた。
 やや露出度の高い、民族衣装のような服。
 古代的だが、神々しいそれが包む体は、たくましく、やはり緑色を帯びている。
 そして、銀色の髪から突き出している、尖った耳。
 エルフという人型の種族の耳に似ているが、彼らの肌は、人間と同じ色だ。
 ソフィスタは、まるで神話の世界から現れたようなような、この男の姿に、ただ見とれていたが、次に男が言い放った言葉に、驚愕させられた。
「罪人ソフィスタ!我が神の御名において、貴様に裁きを下す!!」
 …神?
 ソフィスタは、男が左腕を振り上げたにも関わらず、全く動こうとしない。肩のセタとルコスも、男を警戒してはいるが、ソフィスタの指示がないので動けずにいる。
 そして男は、ソフィスタに向けて左腕を振り下ろし…その勢いで、体まで倒した。
 無防備の上に、茫然としていたソフィスタは、あっさりと男に押し倒され、やっと我に返る。
「うっ・うわ!何すんだテメェ!!」
 ソフィスタは、慌てて男を押しのけた。男は全く抵抗せず、それどころか動こうともしない。
「おい、こら!何か言え!!」
 しかし、男は虚ろな目をしており、口からは何の答えも出なかった。
 その代わり…。

 ぐぅぅぅぅぅ〜きゅるるるるる…

 腹から答えが出た。


 (続く)


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