・第四章 第四実験室へこの世に生を受けて十八年。その日、メシアは朝早くに族長や家族と共に村を出ると、少し離れた所にある泉へと向かった。 村では、十八歳以上の者は成人と見なされ、十八歳の誕生日を迎えると、神が祀られているという泉で、成人したことを神に告げなければならない。 泉に着いたら、まず神に祈りを捧げ、その後、十八歳の誕生日を迎えた者のみが、泉の中央にある祭壇の元へ向かい、そこで、成人したことを神に告げる…それが、成人の儀の正しい手順だ。 メシアは、それを忠実に守り、祈りを終えると、泉に足を踏み入れた。泉は、最深部でも腰までつかる程度なので、船は必要ない。 そして、祭壇の元まで来ると、メシアは成人したことを神に告げる言葉を述べた。 その時、泉全体が虹色に輝き出した。 決して強くはなく、優しいその光は、やがて祭壇の真上へと集結した。 メシアを含む、その場にいる者全員が、神の降臨を予感し、光が消え、中から美しい女性が現れた時、誰もがその女性が神であること疑わなかった。 * 「…う…」 うっすらと開いたメシアの目に、ぼやけた天井が映った。 意識が朦朧としているメシアは、しばらく天井を眺めていたが、はっと我に返ると、勢いよく体を起こし、素早く周囲を見回した。 …ここは…どこだ?ソフィスタは!? メシアは、見慣れない部屋の、寝台の上にいた。壁や天井の作りから、ここがアーネス魔法アカデミーの校舎内だということは分かったが、それ以外は、何故自分がここにいるのかも分からない。 「あら、気がついたのね」 ふいに女性の声が聞こえた。メシアは、一瞬ソフィスタの声かと思ったが、違っていた。 「いきなり体を起こすのは、よくないわ。もう少し落ち着いていればいいのに…」 そう言って、物陰から姿を現したのは、ソフィスタではなく、別の少女だった。彼女は、水の入った洗面器とタオルを手にしている。 少女は、メシアの元まで来ると、タオルでメシアの顔を優しく拭いた。 「腫れは、もう引いているわね。自己治癒能力が、普通の人間より高そうだけれど…」 「腫れ?…そうだ、私はソフィスタに殴られて…気を失っていたのか。情けない…」 メシアが、そう呟くと、少女は驚いた様子で手を止める。 「あなた…話せるの?」 「はあ?」 少女の言葉に、今度はメシアが驚く。 「話せることは悪いことか?言葉が通じるに越したことはないではないか」 「え、ええ。まあ、そうよね…」 少女は困惑しているようだが、メシアはそれを無視し、膝にかかっている自分の巻衣を、肩から羽織り、寝台を降りた。 「お前が、気を失っていた私の面倒を見ていてくれたのだな。ありがとう。では、私はもう行かねばならぬ」 メシアは、少女に一言礼を言うと、部屋を出て行こうとした。 「ちょっと待って!どこへ行くの!?」 そこを、少女に呼び止められる。 「ソフィスタを探しに行くのだ。奴から目を離すわけにはいかないのでな」 「あら、だったら、私がソフィスタさんの元まで案内するわ。居場所なら知っているもの」 「本当か!?」 「本当よ。だから、一緒に行きましょう。私も、ソフィスタさんに用があるもの」 少女は、優しい笑顔で言った。メシアも、同じく笑顔で答える。 「そうか!それはありがたい!…えっと…」 「ミーリウ。私の名前はミーリウよ。あなたのことは、何て呼べばいいのかしら」 「私はメシアだ。よろしくな、ミーリウ」 二人は、軽い自己紹介を済ませると、揃って部屋を出た。 * 校長室を出ると、ソフィスタは、肩の力を抜き、ふうっと息を吐き出した。 …これで、ある程度の面倒は片付いたな。 ソフィスタは、先ほどまで校長と話をしていた。 校長がソフィスタを呼び出したのは、メシアを叩きのめした時に壊した床や窓ガラスの件について、話があったからだ。 それは、これから気をつけろと叱られただけで、あっさりと話はついた。特別扱いされているソフィスタだからこそ、それで済んだのだろう。 ついでに、メシアのことも話しておいた。これも、ソフィスタの思惑通り、研究の素材として出入りが認められた。 しかし、だからと言って、学校を壊すような真似は、もうしないと、校長と約束した。 …あいつには、人間と生活する上でのマナーを叩き込む必要があるな。…ったく、面倒くさい…。 そんなことを考えながら、ソフィスタは保健室へと向かって歩き出した。 今の時間は、ほとんどの生徒が授業を受けているため、廊下には人の気配がなく、辺りもわりと静かだ。そんな中、ソフィスタは黙々と歩く。 …静かってことは、メシアが何の騒ぎも起こしていないってことだろう。 安心しつつも、ソフィスタは歩みを速める。 …でも、いつまでも放っておくわけにはいかないな。…とりあえず、個室にでも連れて行くか。 「あ、ソフィスタくん!」 考え事をしながら歩くソフィスタの後ろから、何者かが声をかけてきた。ソフィスタは立ち止まり、後ろを振り返る。 「…アズバン先生?」 少し離れた所に、アズバンが立っていた。アズバンは、ソフィスタに駆け寄る。 「どうしたんですか、アズバン先生。実験は、まだなんですか?」 確かアズバンは、午前中は魔法生物の実験に立ち会うと言っていたはずだ。 「いや、もう始めなければいけないのだけれど…その実験を行う生徒が、見当たらないんだ」 「そうですか。その生徒は、どんな人なんですか?」 ソフィスタは、内心、面倒くさいと思っているが、生徒として教師にそんな態度を見せるわけにもいかないので、とりあえず話を聞いておくことにした。 「君と同じ、上のクラスの女生徒で、名前はミーリウというんだ。知らないかい?」 ソフィスタは、その言葉に、微かな反応を見せる。 …ミーリウ?もしかして、保健室でメシアの様子を見ているよう、頼んだ人か? だとしたら、自分がメシアの面倒を押し付けたから、実験ができないのだろうか。 …実験があるなら、あるって言えばいいのに…。 ソフィスタは、肩をすくめる。 「どうしたんだい、ソフィスタくん。心当たりがあるのかい?」 ソフィスタの様子を見て、アズバンが尋ねてきた。 「はい。その人なら、保健室にいるはずです」 「え?」 アズバンが、顔をしかめる。 「保険の先生がいないので、彼女に気絶したメシアの面倒を頼んだんです。実験があるとは言わなかったので、お願いしてしまいました」 「そうなのかい?…おかしいな…」 アズバンは、不思議そうに首を傾げる。 「何がおかしいんですか?」 「…実は、さっき保健室を見てきたんだけど…ミーリウくんどころか、メシアくんもいなかったよ」 「何だって!?」 ソフィスタは、思わずアズバンに詰め寄った。アズバンは少し引く。 「まさか、ミーリウが魔法生物を作ったことを知って…」 そう呟くと、ソフィスタはアズバンを置いて走り出した。 「お・おい、ソフィスタくん!廊下を走ってはいけないよ!!」 アズバンは、そう叫んだが、少しためらった後、彼もソフィスタを追って走り出した。 * ミーリウの案内により、メシアがたどり着いたのは、広く、天井も高いが、殺風景な部屋だった。 頑丈そうな壁とガラスに囲まれた、何もないその部屋の中央へ、メシアとミーリウは進んだ。 「何だ、この部屋は…。ソフィスタはどこにいるのだ?」 メシアは、不思議そうに辺りを見回すが、ミーリウは平然としている。 「慌てなくても、ソフィスタさんなら、すぐに来るわよ。だから、ちょっとここで待っていてね」 そう言って、ミーリウは部屋を出て行った。 部屋には二つの出入り口があり、どちらも鉄のシャッターに閉ざされている。 その一方からメシアたちは入り、ミーリウが出て行った。もう一方は、やけに大きく、高さもメシアの身長の四倍はある。 メシアは、とりあえずミーリウに言われた通り、大人しく待っていることにした。 …む…? ふと、妙な臭いが鼻につき、メシアは眉をひそめる。 生臭い魚のような、腐った肉のような、とにかく嗅いだことのない嫌な臭いが、微かに部屋の中を漂っていた。 …この臭い、一体どこから…。 「聞こえるかしら、メシアさん」 突然、ミーリウの大きな声が部屋に響き渡り、メシアは驚いてつんのめる。 「なっ、何事だあ!?」 「アハハハハハッ!面白い反応ね。とにかく、聞こえてはいるようね」 ガラス越しに、ミーリウが立っていた。彼女は、笑いながらメシアを見ている。 「ミ・ミーリウ…やけに大きな声が出せるのだな…」 ミーリウは、マイクに向かって声を出しており、それによって音量を増幅された声は、スピーカーからメシアのいる部屋へと響いているのだが、メシアにはそれが分からなかった。 「あら、言葉を話せるのだから、知識のほうもわりとあるのかなって思っていたけど…まだ人間の生活に馴染めていないだけかしら」 やはり大きい声に驚きつつも、メシアは言った。 「と、当然だ。私は、まだここへは着たばかりなのだ…」 「ふふっ、そうよね。話が出来るだけでも憎たらしいのに、知識まで兼ねていたら、たまったものじゃないわ」 今までの穏やかな態度とは打って変わって、ミーリウの口調には、やけに嫌味がきいており、聞いているほうは、あまりいい気分になれない。 ミーリウは続けた。 「でも、ソフィスタがあなたを作ってくれたおかげで、私の研究もはかどることでしょうね。だから…あなたを調べさせてもらうわよ」 ミーリウが、そういい終えた時、部屋の天井の所々に小さな穴が空き、そこから白い煙が噴き出てきた。 「なっ…!?」 メシアは、とっさに巻衣で口元を覆った。 「アハハハハッ!知ってる?それは麻酔っていうのよ!直接肺に吸い込めば、一分もしないうちに動けなくなるの!あなたは肺呼吸をしているようだから、使ってみたけれど…まあ、これも実験の一つね!フフフ…アハハハハハハッ!!」 ミーリウは、狂気めいた高らかな笑い声を、部屋中に響かせた。 やがて、煙は部屋全体に広がり、メシアを飲み込んだ。 * 保健室に飛び込んだソフィスタは、まず、メシアの姿が見当たらないことを確認すると、今度はメシアが横になっていた寝台を調べ初める。 …荒らされた様子はないね。でも寝台は冷えきっている…。ここから姿を消してから、だいぶ時間が経っているのか。 ざっと調べ終えると、寝台に腰をかけ、考え込むような仕草をする。 …窓から出た様子もなさそうだな。考えられるのは、ミーリウに抵抗させる暇も与えず、外へ連れ出したか、それとも…。 ソフィスタが考えているうちに、彼女を追っていたアズバンも、部屋に入ってきた。 「ほら、いないだろう。…どこへ消えたんだろうね…」 アズバンも、周囲を調べ始める。 「荒らされてもいませんし、窓から出た様子も見られません。二人とも、出入り口から出て行ったことは確かでしょうが…」 「そうだね…二人で仲良くデートでもしに行ったのかな?」 アズバンの意見に、ソフィスタは呆れる。 「まさか…あいつは人間の女に興味はなさそうですし、ミーリウのほうも、あんなトカゲに魅力を感じるわけがありませんよ」 「そうかなあ…。とにかく、私は校内放送で二人に呼びかけてみるよ。ソフィスタくんは、ここで待っていてくれ。二人が戻ってくるかもしれないからね」 そう言って、アズバンは部屋を出て行った。ソフィスタは、アズバンに言われた通り、ここで待っていることにする。 …でも、もう少し調べてみるか。 ソフィスタは立ち上がり、何か二人の行方の手がかりはあるまいかと、周囲を調べ始めた。 …あれ? ふと、近くのテーブルに、便箋が一枚置いてあるのに気付き、ソフィスタはそれを手にした。 便箋は、何も書かれていない、真っ白いものだ。しかし、ソフィスタが手にしてから間もなく、便箋に文字が浮かび上がってきた。 …この便箋は…特定の人物が触れると文字が浮かび上がるヤツか。 アーネス魔法アカデミーで開発されたマジックアイテムの一つで、学校の購買で普通に売っているものだ。しかし、女子生徒の秘密のおしゃべり程度でしか使われておらず、あまり重宝されていない。平和な世の中だ。 それはそうと、便箋に浮かび上がった文字を、ソフィスタは読む。それは、こんな内容だった。 『ソフィスタさん。地下の第四実験室まで来てちょうだい。トカゲさんを大切に思うなら、余計なことはせず、一人で来るのよ。 【ミーリウ】』 文字を読み終えると、ソフィスタは、ぐしゃっと便箋を握りつぶした。 …ミーリウがさらわれたんじゃなくて、メシアがさらわれたってのか!?何でまた…。 ソフィスタは、握りつぶした便箋を投げ捨て、保健室を飛び出した。それと同時に、足元に微かな揺れを感じ、反射的に下を向く。 …ちくしょう!面倒なことを起こしやがって!! 小さく舌打ちをすると、ソフィスタは、近くの下り階段へと走った。 (続く) |