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ありのままのメシア 第一話


   ・第六章 涙

 アーネス魔法アカデミーの校舎は、三つの棟に分かれており、一つはホームルーム棟、もう一つは資料棟、残る一つは実験棟と呼ばれている。
 生徒たちの授業は、主にホームルーム棟で行われ、資料棟には貴重な書物や魔法に関する資料が保管されている。ちなみにソフィスタの個室は、資料棟にある。
 そして実験棟には、その名の通り、実験を行う為に五つの実験室が設けられている。
 その内、第四、第五実験室は地下にあり、そこでは主に生物実験や大掛かりな魔法の実験が行われていた。

 ミーリウが行う実験は、第四実験室で行われる予定なのだが、その前に、実験に関する説明会が、ホームルーム棟にある会議室で開かれる。
 しかし、校内放送で会議室に来るよう呼びかけたにも関わらず、ミーリウは姿を現さない。
 自分と同じく、ミーリウの実験に立ち会う教授たちと共に、会議室の前に立っているアズバンは、深いため息をついた。
 …まったく。どうして来ないんだ、ミーリウくんは…。
 校内放送をかけてから、早三十分。その間、アズバンはずっとここに立っていた。
 これだけ待っても来ないということは、来れない事情があるのだろう。しかし、エリートクラスのミーリウが、自分から実験を行うと言っておいて、急に何も告げずに実験を中止するとは思えない。
 保健室にいたというメシアが姿を消したことと、関係があるのだろうか。
 …それとも、この前の実験のショックから、まだ立ち直れていないのかなあ…。
 数日前にも、ミーリウは魔法生物の実験を、アズバンの立会いの下、行った。
 その魔法生物は、人間の女性に似た容姿と、強い戦闘能力を兼ね添えていたが、実験で初めて外の空気に触れてから間もなく、悲鳴を上げて悶え始めた。
 内側から体が溶け始めたらしく、自らの爪で体をえぐって暴れ、撒き散らした肉片と悪臭を残して、その魔法生物は朽ち果てた。
 その光景に、ミーリウはひどくショックを受けていた。当然だろう。アズバンも、とても見ていられず、思わず目をそらしてしまったのだから。
 …ソフィスタくんのスライム以上の魔法生物を作り出したと、得意になっていたからな。そのショックから、ようやく立ち直れたと思っていたのに…。
 しかし、今になって以前の実験の結果を思い出し、不安になってしまったのかもしれない。
 …自信を失ってしまったのなら、元気付けてあげなくては。失敗したことを落ち込むより、その失敗を克服し、再びチャレンジすることが大切なのだから。それに、魔法生物は何度でも作り出せる…。
 そこまで考えて、アズバンは、今朝、メシアに言われたことを思い出した。
 午前中に魔法生物の実験が行われると、アズバンがソフィスタに告げると、彼女と一緒にいたメシアがアズバンに詰め寄り、魔法生物を作り出すことは罪だと言った。
 …よく考えれば、メシアくんの言う通りなのだろうな…。
 魔法によって、人間が作り出した生命体、魔法生物。
 ソフィスタやミーリウの他にも、魔法生物を作り出そうとした者は何人もいた。
 しかし、そのほとんどが魔法の実験のモルモットとされ、ソフィスタのスライムのように、人間と共に生活させることを目的として作り出された魔法生物は、全て朽ち果てていった。
 人間の研究意欲を満足させるために作り出される生命。不完全な体で作られた生命。しかし、動物や人間と同じ、命ある者に変りはない。
 自分の研究のために子を産む人間を、世間はどう見るだろう。すぐに命を失ってしまうような体の子供を産んでしまった親は、どれだけ悲しむことだろう。そして、その子供が命を失った時、代わりを産めばいいだろうと励ますことができるだろうか。
 …私たちが魔法生物を作り出すことは、それと同じことなんだろう…。
 アズバンは、天井を見上げた。
 他の教授たちが小声で話している以外、これといって声は聞こえず、その場は静かなものだった。
 しばらく、そのまま天井を眺めた後、下を向いて、ふうっと一息ついた。
 …仕方ない。もう一度、ミーリウくんを探しに行くか。
 そして、教授たちに一言声をかけると、会議室から離れた。


 *

 もはやのた打ち回る力もないのだろうか。マリオンは、ヘドロのような液体が溜まり込んだ床に膝をつき、両腕で体を強く抱き、嗚咽を漏らしながら苦しんでいる。
「そんな…どうして私が、同じ失敗を…」
 ミーリウも床に膝をつき、魂が抜けてしまっているかのような表情で、マリオンを見ている。
「マリオン!!」
 両足首を負傷し、ソフィスタの隣でしゃがみ込んでいるメシアは、マリオンの名を叫ぶ。
 するとマリオンは、床に両手をつき、メシアへと顔を向けて口を開いた。
 …攻撃する気か!!
 マリオンの攻撃に危険を感じたソフィスタは、メシアを担いで走り出そうとした。
「くそっ!重い!」
 しかし、これでは速く走れそうもない。その間、マリオンの口の中に光が生じる。
「メシア!突き飛ばすから転がって逃げな!」
 返事を待たずに、ソフィスタはメシアの体を突き飛ばした。状況を把握していたのだろう。メシアは上手く体を転がし、ソフィスタもメシアを追って走り出した。
 そこに、マリオンが光線を吐き出した。光線は、二人が立っていた床に触れ、爆発する。
「わあっ!」
「うわっ!」
 ソフィスタとメシアは、寸前で光線をかわすことができたが、爆発によって撒き散らされた瓦礫が、二人にダメージを与えた。
「あんにゃろっ!」
 ソフィスタは体勢を整えると、同じく体勢を整えたメシアの元へ駆け寄った。
 マリオンは、再び光線を吐き出そうとする。
「メシア!魔法で光線を防ぐから、お前はじっとしていろ!」
 ソフィスタは片手を軽く横に振った。同時に、マリオンが光線を放つ。
「防げよ!」
 ソフィスタが叫ぶと、目の前に、微かな光を帯びた透明の壁が現れた。光線は、その壁によって弾かれる。
「おお…すごいな。お前の魔法か?」
「そうだよ。でも…」
 メシアはソフィスタの魔法に驚いているが、ソフィスタは面倒くさそうな顔をしている。
「この魔法を使っている間は、あまり身動きが取れないんだ。それに、けっこう集中力が要るから、ずっと出していると疲れるんだよね。…まあ、長続きしないのは、あの魔法生物も同じことだろうけど。もうボロボロだからな」
 ソフィスタの言う通り、マリオンは途切れることなく光線を吐き続けてはいるが、体を支えている腕は大きく震えており、今にも倒れてしまいそうだ。
「くっ…ソフィスタ、マリオンを救う術はあるか?」
「あたしには無理だよ。あいつの体が何でできているか知らないし、この状況じゃ難しいよ。…ミーリウなら、あいつの体に詳しいだろうけど…治せるなら、とっくに治そうとしているはずさ。あそこでボケっとしていないでね」
 メシアは、後ろを振り向いた。その先には、茫然としているミーリウがいる。
「なんと…」
 話をしている間も、マリオンは光線を吐き続けていた。時々、咳き込むように、ヘドロのような液体も吐き出す。
「ぐっ…うおおおおおおおお!!!!」
 突然、メシアが雄叫びを上げて立ち上がり、ソフィスタに背を向け、走り出した。
「バカ!無茶すんな!!」
 ソフィスタはメシアの行動に驚かされ、メシアに向かって、そう叫ぶ。
 その声で我に返ったミーリウは、こちらへと向かって走ってくるメシアに気付いた。
「ミーリウ!!これ以上マリオンを戦わせるな!攻撃をやめさせろ!!」
 ミーリウと部屋を隔てているガラスの前まで来ると、メシアはガラスに手をつき、大声でミーリウに怒鳴った。
「あの者の苦しみがわからんのか!!お前の指示があれば、攻撃をやめるのだろう!ならば、もう体に負担をかけさせるな!!」
「うっ、うるさい!魔法生物のくせに命令しないでよ!マリオンは、前に作ったやつとは違うのよ!!」
 しかしミーリウは、メシアの言葉を無視し、マイクに向かって言った。
「マリオン!ソフィスタなんかを相手に手こずってるんじゃないわよ!どうせボロボロになるのなら、このトカゲをやっつけてからにしなさい!」
 ミーリウの声に反応し、マリオンは光線を止めることなく身震いをすると、赤く目を光らせた。すると、吐き出され続ける光線の威力が増す。
「くうっ…」
 ソフィスタは、きつそうに顔を歪める。
「ソフィスタ!!」
 その様子を見たメシアは、ソフィスタを心配する。
 ソフィスタを守る魔法の壁に、光線を浴びている部分を中心に波紋が生じている。それが何を示しているかは、ソフィスタの表情を見れば分かった。
 魔法の壁が、光線の威力に負けようとしている。
「アハハハハッ!辛そうねソフィスタ!無駄な足掻きはやめて、さっさと黒こげになったらどうよ!どうせ逃げられないんだから!それくらい自分でも分かっているでしょう!!」
 ミーリウは、見下すようにソフィスタを笑う。
「そう言う自分こそ、さっさとアズバン先生に会って、実験は中止するって言って来いよ。笑っている暇があるならね。…それとも、このズタボロの魔法生物を発表する気か?」
 しかし、ソフィスタは冷たく言い返す。それを聞いたミーリウの笑いは止まった。
「お・大きなお世話よ!人の心配をするより、自分の心配をしたほうがいいんじゃない!?」
「心配なんかしてねーよ。からかっているだけに決まってんだろ」
「なーんですってー!!?」
「それだけ短気な性格じゃ、魔法生物もろくに作れないことにも納得がいくわ」
「…このっ…」
「いいかげんにしろおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!」
 ソフィスタとミーリウの口喧嘩に挟まれていたメシアが、部屋を粉々に砕かんばかりの大声を上げた。ソフィスタとミーリウは、口喧嘩を中断させ、思わず耳を塞ぐ。
「ば、バカ!驚かせるな!こっちは集中してんだ!!邪魔すんじゃ…」
 ソフィスタがメシアを怒鳴りつけるが、完全に怒っているメシアの迫力に負け、口を噤んでしまう。
「貴様らは和解というものを知らんのか!互いを嘲り合って何になる!そんな馬鹿げた言い争いをしている間にも、マリオンは苦しみ続けておるのだぞ!!」
 そう言うと、メシアは拳を振り上げ、ガラスを強く打ち始めた。
「ミーリウ!貴様をこちらへ引きずり出してくれる!!力ずくでも、マリオンを止めてもらうからな!!!」
 メシアがガラスに拳を叩きつける度に、部屋は振動し、天井から細かい砂がパラパラと落ちてくる。しかし、ガラスはヒビ一つと入らない。
「やめなメシア!!いくらお前が馬鹿力でも、そのガラスは破れねえよ!!」
 叫びつつも、ソフィスタは、魔法の壁に限界が来ていることを感じた。
 …だめだ。もう持たない!
「おいメシア!ガラスを相手に喧嘩していないで、いつでも逃げられる準備をしておけ!!」
 ソフィスタはメシアに向かって叫んだが、その声は、雄叫びを上げるメシアには全く届いていなかった。
「でぇりゃあああああ!!!!」
 メシアがガラスを打つ音に、ミーリウは耳を塞ぐ。
「やめてよ!うるさいんだからぁ!!このガラスは壁よりずっと頑丈なのよ!いくらやっても…」
 ミーリウが、そう言いかけた時、ついにガラスに亀裂が走った。
「う・ウソ!やだ、やめてよ!」
 ミーリウは怯えるが、メシアは容赦なく拳を振り上げ、次こそガラスを粉々にせんばかりに拳を振り下ろした。
「クソッ!もう限界だ!」
 ちょうどその時、光線を防いでいた魔法の壁が、しゃぼん玉のように弾けて消えた。
 ソフィスタは、その直前に後ろへ跳んだため、光線の直撃は免れた。光線は、ソフィスタが立っていた場所の床に触れ、今までより大きめの爆発を起こす。
「うわああっ!!」
 ソフィスタは、その爆風によって、吹き飛ばされてしまう。それと同時に、メシアの拳が打ち込まれたガラスが、ついに砕かれた。
 そして、ミーリウがいる部屋の中へ、足を踏み入れようとした時…。
「あうっ!」
「おわあっ!?」
 吹き飛ばされてきたソフィスタに背中を打たれ、メシアはソフィスタと一緒に、勢いよく部屋の中へ倒れこむ。
「ぶぐぉっ!!」
「どわっ!」
「うっ!」
 ドサッという音と共に、三つの悲鳴が上がった。ミーリウ、メシア、そしてソフィスタの悲鳴である。
 三人は、上からソフィスタ、メシア、ミーリウの順に重なって倒れた。
 光線を吐き続けていたマリオンは、ソフィスタとメシアの姿が、向かいの部屋の中へと消えると、光線を止める。
「いたたた…」
 ソフィスタは体を横に転がし、メシアたちの上から降りた。
「うう…ソフィスタ、怪我はないか?」
 メシアはミーリウの上に乗ったまま、上半身だけを起こす。
「いや、どうってことないよ。それより、ミーリウは?」
 ソフィスタは、ずれた眼鏡を整えながら、きょろきょろと辺りを見回す。そして、メシアの下敷きにされているミーリウを見つけ…「ゲッ!」と声を上げた。
 ミーリウは、仰向けになって倒れているが、その表情は窺えなかった。なぜなら、ミーリウの顔が、メシアによって隠されていたからだ。
 それだけではない。メシアの下半身は、布をスカートのように巻いているだけで膝まで隠されており、その下に何か穿いている様子は見られない。
 何が言いたいかというと。
 メシアは、ミーリウの顔にまたがるようにして座っており、ミーリウの顔は、良くてもメシアの下着に埋もれていると言うことだ。
 ちなみに悪い場合は、メシアが下着を着用していない場合のことを指すが、そんなことはどうでもいい。
「お・おい、ミーリウ!生きてるか!?」
 ソフィスタはメシアを押しのけ、膝をついてミーリウの顔を覗き込んだ。彼女は白目を剥いており、動く気配を見せない。
「…気ィ失ってやがる…」
 ソフィスタは、げそっとした顔で呟いた。
「何ィ!?こら、ミーリウ!目を覚まさぬか!!」
 メシアがミーリウの耳元で怒鳴っても、彼女は目を覚まさない。
 その間、マリオンが這いつくばって、三人のいる部屋の中へ入ってきた。
「ちっ!来やがったか!!」
 それに気付いたソフィスタは、膝をついた姿勢のまま、マリオンに魔法を放とうと、手をかざしたが、先にマリオンが髪を振り下ろしてきた。
 …魔法じゃ間に合わない!
「セタ!ルコス!」
 ソフィスタの声に、彼女の肩に張り付いているセタとルコスが、ぴくっと反応した。
 セタとルコスは、ソフィスタの肩から足元へ跳ねると、体を伸ばし、盾となってマリオンの攻撃を弾いた。しかし、マリオンの髪から滲み出る酸を浴びてしまい、ジュワッという音と共に、蒸気を上げた。
 セタとルコスは声を出すことはできないが、ビクッと体をうねらせる様子から、二匹がダメージを受けていることがわかる。
「くっ…やっかいな攻撃だ!」
 再びマリオンの髪が、セタとルコスに振り下ろされる。しかし、二匹のおかげで、ソフィスタが魔法を使う時間は稼がれた。
 ソフィスタがかざす手の平に、強い光が生じる。
「お前ら、どきな!!」
 セタとルコスが、体を縮めた。同時に、光はいっそう強く輝き、いくつもの光の矢となって、マリオンの髪を襲った。マリオンの髪は全て千切られ、ボトボトと床に落ちる。
 再びマリオンの髪が伸びてくる気配は、感じられない。
 ソフィスタは足元を見た。そこには、一回り体が小さくなったセタとルコスが、ぐでっと床に張り付いている。
「…酸には耐性があるはずなんだけどな…あまり強力なやつには耐えられないか」
 ソフィスタは、セタとルコスを拾い上げると、淡い緑色の光で二匹を包み、マントの裏に押し込んだ。
「ソフィスタ。セタとルコスの体は、それで治るのか?」
 その様子を、ソフィスタの後ろで見ていたメシアが、彼女に尋ねた。
「いや、魔法で体を保持させているだけだ。治療には手間も時間もかかるから、今はできないだろ。…ったく、また面倒が増えちまったじゃねーか…」
 そう言うソフィスタの声のトーンは、少し沈んでいる。
「…ソフィスタ。もう少し、口と態度の悪さを直す気にはなれぬのか?」
 メシアの言葉に、ソフィスタは、何を言い出すかとメシアを見る。
「何だよ、いきなり。余計なお世話だ」
 ふんっと鼻を鳴らし、ソフィスタは立ち上がろうとした。しかし、メシアに肩を押さえられる。
「もっと素直に自己表現したらどうだと言っているのだ」
「は?」
「だが、安心したぞ。そうやってセタとルコスを思う、優しい心があることにな。だが、それを何故わざわざ悪態をついて隠そうとするのだ」
「やさっ…う、うるさい!そんなもん、あたしの勝手だろ!!」
 ソフィスタは、肩を押さえるメシアの手を振り払った。
「…何故怒る」
「知るか!!」
 ソフィスタは顔を赤らめ、そっぽを向く。何故そんな態度をとるのか、メシアには不思議でならなかったが、妙に可愛らしいので、微かに声を出して笑った。
「…その優しさを、ミーリウが持っていればよかったのだが…」
 メシアは、引き締まった表情で、マリオンを見た。
 髪を千切られたマリオンは、ゆっくりと顔を上げ、口を開いた。喉の奥に溜まっているヘドロのような液体が、ゴポゴポと泡立っている。
 肉が崩れ落ち、骨が剥き出しになっている腕では、体を支えられないのだろう。床に這いつくばったまま、体を起こそうとしない。
 メシアは足の痛みに堪え、立ち上がった。
「メシア!お前まで無茶をするな!!」
 ソフィスタがメシアにそう言ったが、メシアは聞いていない。
「マリオン!私の声が聞こえるか!?言葉はわかるのだろう!ならば答えてくれ!!」
 メシアは、ソフィスタの前に出ると、光線を放とうと口を開いているマリオンに、呼びかけた。
「お前は、本当にミーリウの命令をきくことしかできないのか!?それが自分にとって正しいことかどうかを考えることもできないのか!?それとも、ミーリウに従うことが己の全てであると、心の底から思っているのか!?」
「何を言ってるんだメシア!それより、そんな所で突っ立っていたら危ないだろ!!」
 ソフィスタは、しゃがんだまま手を伸ばし、メシアの腕を掴んだ。
「心配するな。お前に危険は無い。必ず護り抜く」
「バカ!お前の身が一番危ないんだよ!!」
「いいから黙っておれ!!」
 しかし、メシアはソフィスタの手を振り払う。
「私は…ただ、マリオンの意志を知りたいのだ…」
 そして、辛そうにソフィスタに言った。
 そんなことを知って何になるのかとソフィスタは思ったが、何を言っても彼を止めることはできないだろうと悟り、言われた通り黙っておくことにした。
 メシアの辛そうな声が…。悲しみにあふれ、しかし決して己の信念を曲げようとしないような、強い瞳が、ソフィスタにそう思わせたのだった。
「答えてくれマリオン!お前には命がある!それに、己が持つ攻撃の術を、己の判断で使い分けていたではないか!お前はミーリウの意のままにしか動けない人形ではない!!ならば答えられるはずだ!本当は自由になりたいのだろう!それができないから、苦しいのだろう!!」
 その時、ソフィスタには、マリオンの動きが止まったかのように見えた。
 大きく見開かれた瞳は、メシアをじっとみつめ、口元には、微かな動揺が感じられる。
 しかし、それは気のせいだったのだろうか。マリオンの口に、強烈な光が生じた。光は、ソフィスタが出した魔法の壁を砕いた光線より、強く輝いている。
 マリオンが光線を放つことを予想し、ソフィスタは、とっさに魔法の壁をメシアの前に張った。防ぎきる自信はないが、威力を弱めることならできるだろう。そう考えた上での判断だった。
 そしてメシアは…ソフィスタをかばうように、両手を広げ、怯えることなく真っ直ぐと前を向いている。
 ソフィスタは「バカ!逃げろよ!!」とメシアを怒鳴りつけようとしたが、それより先に、マリオンの光線が放たれた。もう立て続けに吐き出す力もないのだろう。光線はすぐに途切れてしまう。
 しかし、その巨大な光の柱は、魔法の壁にぶつかると火花を散らすが、なおも前に進もうとする。
 魔法の壁は、しばらくはその威力に耐えていたが、前回と同様、しゃぼん玉のように弾けて消え、光の進入を許してしまう。
 消えた壁の、すぐ先には、表情一つと変えずに前を向いているメシアが立っている。
「メシア――――――!!!」
 ソフィスタは叫ぶが、光がメシアにぶつかると、つい目を伏せてしまう。
 光は衝撃波となって空気を振動させる。その音に混じって、メシアのうめき声が聞こえた気がした。
 ソフィスタは、メシアが吹き飛ばされてくると思っていたが、閉じたまぶたの上から伝わってくる光が薄れてきても、その気配は感じられない。
 不思議に思い、ソフィスタは顔を上げた。光は完全に消え失せ、衝撃波も治まっている。
 メシアは、ソフィスタが顔を伏せる直前までと変らぬ姿勢で立っていた。
 服の所々が黒ずみ、傷を負った肌からは、血が滲み出ている。
 魔法の壁が、ある程度光線の威力を弱めたのだろう。それでも、負傷した両足で攻撃に耐えきったメシアには驚かされる。
「メシア…バカ!何で攻撃から逃げようとしないんだ!!」
 ソフィスタはメシアを怒鳴りつけるが、メシアは反応しない。
 立ったまま気絶しているのだろうか。そんな不安を抱き始めた時、マリオンの様子がおかしいことに気がついた。
「ガ…ゲ…」
 ヘドロのような液体を滴らせている口を、何か言いたそうにぱくぱくと動かし、喉の奥からかすれた声を漏らしている。
 ソフィスタは、その声に耳を澄ます。
「タ…た・す・け・て…」
 そう呟いたマリオンの頬を、一筋の光が伝う。
 口から零れている、ヘドロのような液体が、瞳からも流れ出ているのだった。しかし、それはマリオンの涙のようにも見える。
「…そうか…」
 立ち尽くしていたメシアが、そう呟き、両手をゆっくりと下ろした。ソフィスタは、彼を見上げる。
「だが私には、お前を救うことはできない。できることは…命と共に、苦しみを消し去ってやることだけだ」
 メシアは、悲しそうな声で、そう言うと、すっと左手を前に伸ばし、その手の甲をマリオンへと向けた。
 例のアクセサリー。それにあしらわれている紅玉に、淡い光が生じる。
 以前、ソフィスタは、その紅玉に危険を感じたことがあったが、今、紅玉が放っている光は、優しく…そして温かいものだった。
「苦しませてしまって、すまない…。今、楽にしてやる!!」
 メシアは、マリオンに向かって走り出そうと、足に力を込めた。しかし、負傷した足首が痛み、全身に受けた光線のダメージもあってか、ついに床に膝をついてしまう。
「うっ…これしきの痛み…っ!」
 それでもメシアは痛みに耐え、立ち上がる。その姿が、ソフィスタには痛々しかった。
「グァ…アアアアァァァ!!!」
 マリオンが雄叫びを上げ、大きく口を開いた。それにもかまわず、メシアは再び走り出そうとした。
「待ちなメシア!!」
 しかし、ソフィスタがメシアの腕を掴んで止めた。
「止めるなソフィスタ!これ以上マリオンを苦しませては…」
「だぁからぁ!手伝ってやるよ!!ロクに走れそうもない体だってのに、一人で無茶すんなっつってんだ!!」
 その言葉に、メシアは驚いた顔でソフィスタを見る。
 ソフィスタは立ち上がると、強引にメシアの腕を肩にまわした。
「マリオンの元まで行きたいんだな。光線はあたしが防いでやる。行くよ!!」
「…ああ、頼むぞ!」
 メシアの返事を確認すると、ソフィスタは走り出した。メシアも、できるだけソフィスタへの負担を軽くしようと、床を蹴る。
 マリオンが光線を吐き出した。しかし、それは途切れ途切れで弱々しいものだった。
 ソフィスタは、空いている手をかざし、魔法で防護結界を作り出した。二人を包み込んだ結界は、光線を完全に防ぐ。
「ソフィスタ!マリオンの真上に跳ぶぞ!そしたら魔法を解いてくれ!」
「わかった。何する気か知らないけど、上手くやれるんだろうな」
「もちろんだ。お前にも傷一つと負わさせん。…信じてくれるか?」
「ここまで来たら信じるっきゃねーだろ。付き合ってやらぁ!」
 二人はマリオンの手前まで来ると、「せーのっ!」という掛け声で足を揃え、同時に跳躍した。マリオンは顔を上げられず、二人を目で追うことができない。
 そして、マリオンの真上までくると、ソフィスタは防護結界を消した。
「てりゃあああぁぁっ!!!」
 メシアが、雄叫びと共に左腕を振り上げた。すると、紅玉の輝きが増した。
 メシアは、その光を、己の拳と共に、マリオンに叩きつけた。
 しかし、拳がマリオンの体を強く打つことはなかった。マリオンの体は、メシアの拳が突きつけられた…紅玉の光を浴びた箇所から、霧と化してゆく。
「なっ…」
 それに驚いたソフィスタが、瞬きをしている間に、マリオンの体は、髪の先まで完全に霧と化してしまった。
 ソフィスタとメシアは、立ち込める霧の中、着地を決める。
「これは…どういうことだ?」
 メシアがマリオンに拳を叩きつけた時、何かを破壊するような、強い力は感じられなかった。しかし、まるで一瞬で体を細胞単位まで分解したかのように、マリオンの体は霧へと変わった。
 …単純な力による破壊じゃないよな。もしかして…蒸発?いや、熱も感じなかったし…。
「メシア…何なんだ、この力は。魔法でも、こんなことできない…」
 そのことを、ソフィスタはメシアに尋ねようとしたが、突然、メシアがソフィスタにのしかかってきたので、その言葉は中断される。
「うわあっ!!」
 ソフィスタは仰向けになって倒れ、メシアはソフィスタに覆いかぶさるように、うつ伏せで倒れる。 「こっ、こら!何だよ急に!!」
 ソフィスタは、メシアの体をどけようと、強く押した。メシアは、何の抵抗もなく横に転がる。
 メシアに意識がない。そう思ったソフィスタは、慌ててメシアの肩を掴み、揺さぶった。
「メシア!どうしたんだ!大丈夫か!?」
 しかし、メシアは目を閉じており、いくら揺さぶっても、何の反応も示さない。
 まさか、死んだわけではあるまい…そう心配し、ソフィスタがメシアの腕を取り、脈を調べようとした、その時…。
「…んがっ…ぐおぉぉぉ〜…すか〜…」
 メシアが、いびきをかき始めた。
 …眠っているだけ?…何だ。驚かせるなよ…。
 ソフィスタは、ほっと胸を撫で下ろす。
「ったく…倒れる度に、あたしを巻き込むのはやめてくれよ…」
 そう呟いて、ソフィスタはメシアの髪を軽く撫でた。その表情は、彼女には珍しい、とても穏やかなものだった。
 そんな二人を見守るように漂っていた霧は、やがて部屋の外へと流れ出ていった。


  (続く)


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