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ありのままのメシア 第十話


 激痛に悲鳴を上げ、血溜まりの上に倒れ込んだ。体は急速に弱り、声も上げられなくなる。
 細く呼吸し、小刻みに体を震わせていると、銀色に輝く何かが目の前に突きつけられた。
 真っ赤な血が絡みついた銀色の光を、その切っ先から視線で辿ると、こちらを見下ろしている者と目が合った。
 顔がはっきりと見えずとも、その者の視線が強烈な憎悪を纏っていることには気が付いた。
 身近にいて、愛情を与えてくれる者。確かにそう感じたのに。ならば、この与えられた痛みと、身も心も射抜くような視線が纏う憎悪は、一体何なのだろう。
 混乱する中、銀色の光の先に見える者が、低く静かに言い放った。

「消えろ化け物。貴様の存在そのものが目障りなのだ」

 言葉の意味は理解できなかったが、声から感じ取れた殺意が、失血によって朦朧としていた意識を呼び覚まし、恐怖で埋め尽くした。
 本能が命の危険を察し、心臓が早鐘を打ち鳴らし始める。破れた皮膚と、そこに添えられた小さな手が、異常なほど熱を帯びる。
 目の前にある鈍い銀色の輝きの向こうに立つ者の頭の上で、何かが赤い光を湛えている。
 震える双眼に、銀と赤の二つの光が焼き付く。それは、切り裂くような悲鳴が上がって部屋を反響すると同時に揺らめいた。

 小さな体の中に潜む得体の知れない何かを戒めていた鎖が、ブチッと音を立てて引きちぎられたのは、その瞬間だった。


   ・第四章 三女、ボタン

 母の膝の上に頭を乗せてうたた寝している、幼い自分の姿が見えた。
 これは夢か幻なのだと、ソフィスタはぼんやりと考える。成長し、誰かに甘えるのも恥ずかしい年頃になり、膝枕もしてもらわなくなってから、既に十年ほど経っている。
 家を出てアーネスに越してきてから、そろそろ三年になるだろうか。その間、両親とは全く会っていない。
 定期的に手紙を送り合っているので、お互いの状況は、だいたい知ることができる。両親も、故郷で相変わらず元気にやっているらしいが、ソフィスタに会えなくて寂しい、たまには帰ってこいと、何度も手紙に記している。
 アーネスからソフィスタの故郷まで、普通に陸路で向かえば一週間はかかる。往復で二週間だが、学校が長期休暇中ならば問題は無い。また、転移魔法を使えば、ほぼ一瞬で移動できるし、王都ヒュブロのように、転移魔法で訪れる者のためのゲートが備えられているので、スムーズに街に入ることもできる。長距離移動の転移魔法を使える校長に頼めば、長期休暇中でなくとも、こちらから両親に会いに行くことは可能だ。
 それでもソフィスタは両親に会わなかった。両親のほうからアーネスを訪ねに行くと手紙に書かれても、絶対に来るなと返事を送った。
 両親のことが嫌いなわけではない。本当は直に会って、お互い元気にやっていることを確かめ合いたい。
 だけど…。
「キャッ、気付きましたの?」
 やけに甲高い声が聞こえ、何かと思って瞬きをすると、目の前に広がっていた景色が切り替わり、おぞましいほどの厚化粧顔が視界いっぱいに現れた。
「ギャアァッ!?」
 ソフィスタは思わず悲鳴を上げ、仰向けになっていた体の上半身だけを起こして後退した。
「おっ、元気じゃん。怪我は無いみたいだし、ヨカッタ〜」
 先程までソフィスタが横になっていた場所の傍に座っているユリが、そう言って笑った。彼の隣には、先程の顔の主も座っており、柔和な笑顔を浮かべている。
 柔和…確か柔和な笑顔のはずなのだが、アイシャドーやらチークやらをイラっとするくらい塗りたくった顔で微笑まれても、不気味でしかなかった。身に纏っている真っ赤なドレスも、何だか血で染められているような気がする。
 体は細く、背も低く、サラリとした長い茶髪をツインテールに結っている、その姿は…これが可愛い女の子であれば、お人形さんのように見えたであろう。
 しかし、いかんせんこの者の顔は、頬は痩けているし鼻はでかいし、何より眉毛が異様に太くて眉間で左右仲良く繋がっている。正直言って、服装や髪型とのギャップが大きすぎる。
 と言うか、女とは思えない。
「ソフィスタ様、あなたのことはユリ姉様から聞きましたわ。私の名前はボタン。ユリ姉様の妹ですわ」
「…妹?いや、お前も男だろ」
 自己紹介をしたボタンに、早速ソフィスタはユリと同じ突っ込み所を突いた。
「キャーッ!ソフィスタ様ったらヒドイですわ!こんな可憐な乙女に向かって男だなんて!」
「ちょっとソッフィー!おめマジ空気読め!」
 騒ぐユリとボタンを呆れた顔で眺め、ソフィスタは理解した。
 ボタンも、ユリと同類であると。
 …兄弟二人揃ってオカマか…そうだろうなとは予想していたけど…。
 できれば予想が外れてほしかった。これで面倒臭い奴が二人に増えたわけだと、ソフィスタはため息をつく。
「それより、ここはどこだ?」
 ソフィスタは立ち上がると、「それよりって何よ!」と文句を言うユリを無視して周囲を見回した。
 細長い木がソフィスタたちを囲って円を描いて並び、網のように枝を絡ませ合って、大きな鳥カゴのような檻を形作っていた。
 この明らかに不自然な木の生え方から、これは精霊ケヤキが魔法で植物を操作して作った檻であることは、容易に想像出来た。元々ボタンを閉じ込めるために作り、後からソフィスタとユリを檻の中に追加したのかもしれない。
 ソフィスタはケヤキに花の香りで眠らされたことを思い出し、状況を把握する。
「ケヤキに閉じ込められたってことか。この枝は何度切っても元に戻るってやつか?」
「よく分かったね。何度か鎌で切って脱出しようとしたんだけどぉ、全然ダメだった。イケてね〜」
 木の根元付近には、切りおとされた枝が何本も落ちており、それを見れば、ユリが鎌で脱出を試みたことくらいは分かる。ユリと同じように体の一部を鎌に変えられるはずのボタンも、一緒に試していたかもしれない。
「ゴメンねソッフィー。巻き込んじゃって」
「…自分で強いと言っていたワリには、何でお前まで閉じ込められてんだ」
 謝りながら歩み寄って来たユリに、そうソフィスタは尋ねる。
「ユリ姉様は、私が人質に取られていたから、抵抗できなかったのですわ。…私がケヤキに捕まっていなければ…ごめんなさい」
 座ったままのボタンが、両手で顔を覆ってシクシクと泣き始めた。大きく突き出した鼻だけ、覆いきれずにはみ出している。
「そうか。でも、お前らにはあと一人兄弟がいるんだよな。そいつはどうしたんだ?」
 ソフィスタの言葉に、ユリとボタンが「姉妹!!」と同時に突っ込んだ後、ボタンが答える。
「シャクヤク姉様の行方は、私にも分かりませんわ。ケヤキに捕まってはいないようですけれども…」
 ボタンが「姉様」と呼ぶシャクヤクというやつも、たぶん男なんだろうなとソフィスタは予想する。
「まあ、アネキのことだから無事だとは思うけど…もしアネキがアタシたちを助けに来てぇ、そんでケヤキがアタシたちを人質にしたらぁ、アネキまで捕まっちゃうんじゃねーの?超ヤバくね?」
「そうですわね…どうしましょう…」
 暗い顔で視線を落とすユリとボタンをよそに、ソフィスタは至って涼しげな表情で、地面に乱雑している枝を拾い始めた。
「…ところで、あたしたちがいるこの場所って、精霊の本体から近いのか?」
 両手いっぱいに枝を抱え、これ以上持てなくなったところで、ソフィスタはユリたちを振り返った。ボタンがマスカラの滲んだ黒い涙を頬に伝わせながら、「ええ、そうですわ」と答える。
「ってことは、精霊に直接会える範囲内と考えていいわけだな。だったら…」
 ソフィスタはユリたちに背を向けると、抱えている枝を、一本の木の根元にまとめて置いた。
「まだ、あたしの計算の範囲内だ」
 その言葉を聞いて、ユリはハッとして顔を上げたが、ソフィスタは気付かなかった。
「そっか!まだあの手が残ってたんだ!…でも、どうやるつもり?」
「まあ黙って見てろ。あたしは戦うことより、こういうことのほうが得意分野だ」
 ソフィスタは口の端を吊り上げ、ニヤリと笑った。その表情はユリたちからは見えなかったが、なんとなくソフィスタからどす黒いオーラが立ち上っている気がして、背筋に冷たいものが走った。
 ソフィスタは、マントの裏から手の平に乗せられるサイズの瓶を取り出し、蓋を開けた。
 中には白い粘土のようなものが入っている。ソフィスタはそれを半分ほど、まとめて置いた枝の上にぶちまけた。そして一歩後ろに下がり、枝の山に向けて手をかざした。
 すると、ゴッと音を立てて炎が生じ、白い粘土状のものと木の枝を包み込むと、さらに勢いを増して火柱を上げた。
 突然上がった炎に、ユリとボタンは呆然とする。
「うわあぁぁ―――――!!!なんてことするんだオマエェ―――!!」
 突然、どこからともなく悲鳴が響いてきたかと思ったら、危うく炎が燃え移る位置に生えている木々が不自然に動き、絡み合わせていた枝を解いた。そして地面から根を引きずり出し、それを足のように動かして炎から離れていった。非常にシュールな光景である。
「バカッ!アホッ!くるくるぱー!!そんなことしたら森が火事になるだろ!!」
 木が逃げた先から現れた精霊ケヤキが、ソフィスタの目の前まで飛んできた。一見、木で作られた人形のように見えるが、目にあたる部分の二つの窪みが怒っているように吊り上がっているので、喜怒哀楽による表情は作れるようだ。
 炎はまだ勢いよく燃えているが、集めた枝以外の燃えるものは周囲から離れていったので、放っておいても自然と消え、森が火事になることもないだろう。
「オマエなあ!この森には薬の材料に使う植物が生えているんだぞ!森が燃えちゃったら薬も作れなくなっちゃうんだぞ!分かんないのかよ!このばうぬぎゅっ」
 ケヤキはプンスカと怒りながらソフィスタにまくし立てていたが、途中でソフィスタがケヤキの左右の頬を片手で潰すように掴んだので、最後のほうが変な発音になった。
 以外と人間のように柔らかい頬だが、それはともかく、ソフィスタはスウッと息を吸い込むと、ケヤキに顔を近づけてまくし立て返した。
「ふざけんなクソガキが!!先に攻撃してきた加害者の分際で、いざテメエが攻撃されたら被害者ヅラか!?ガキなら何をやっても許されるとでも思ってんのかよ!!甘ったれるんじゃねーぞコラァ!!」
 突然声を荒げたソフィスタに、ユリとボタンは体をビクッと震わせた。一方、すぐ目の前から怒鳴りつけられたケヤキは、木で出来た人形のような姿でも分かるほど怯え、体を硬直させている。
 ケヤキは性格が子供っぽいと聞いた時から、こうやって脅せば案外簡単に従えさせることができるのではないかとソフィスタは考え、その作戦について既にユリにも話してある。
「で、何であのオカマ兄弟を襲ったんだ?テメエはイタズラはするけど人を襲うような奴じゃないって、ユリから聞いたぞ」
 また兄弟と言われたユリとボタンだが、ソフィスタが怖くて今回は言い返さない。
 ソフィスタはケヤキが喋れるよう、頬を掴む手の力を緩めた。だが、精神年齢が子供とは言え、樹齢五百年以上の木に宿る精霊であるからだろうか。怯えていたケヤキは、どうにかソフィスタを睨み返し、反論しようと口を開いた。
「うるさい!ヨソ者のオマエには関係ないだろ!あんまりオイラを舐めるんじゃなぎゃっ!!!」
 再び精霊の話がソフィスタによって中断された。今度は、あの白い粘土状のものが入っている瓶をケヤキの頭の上で逆さにし、中身をぶちまけた。瓶の底にこびり付いていたぶんも、瓶を上下に振ってケヤキの頭の上に落とす。
「うえぇ〜…な・何するんだよ!」
 感触があるのだろうか、ベチャッとしたものを頭の上に乗せられたケヤキは、眉間らしき部分にシワを寄せ、いかにも気持ち悪そうな顔をした。そんなケヤキに、ソフィスタは静かに言い放った。
「それは、固形油だ」
 ケヤキは「へ?」と呟いてソフィスタを見る。ソフィスタはひどく冷たい表情で、ケヤキを眺めていた。先程怒鳴り散らしてきた時のような激しさは無いが、感情が読みとれない冷ややかな表情も、これはこれでケヤキに恐怖を与えていた。
「一度、精霊に火をつける実験をしてみたかったんだよ。炭化するのか消滅するのか…どういう結果が出るか、楽しみだ」
 さらりと恐ろしいことを言って、持っていた瓶を地面に強く叩きつけて割ると、ケヤキだけでなくユリとボタンまで、その音に過剰に怯えた。
 ソフィスタは瓶を捨てたことで空いた手をケヤキの目の前にかざし、視界を遮ると、「じゅーぅ、きゅーぅ、はーち」とカウントダウンを始めた。それが何のカウントであるかを察したケヤキはガタガタと体を震わせ、ユリとボタンは慌ててソフィスタに駆け寄ろうとした。
「ちょっとソッフィー!ストーップ!!」
「ソフィスタ様!やりすぎですわー!!」
 ユリとボタンが駆け寄ってくるのに気付くと、ソフィスタは「ななろくごーよんさん」とカウントを一気に速めた。ケヤキはさらに怯え、ユリとボタンはさらに焦り、横からソフィスタに飛び掛かってカウントを止めた。二人の勢いに倒れそうになり、どうにかソフィスタはふんばったが、ケヤキを離してしまう。
「なに精霊燃やそうとしてんだよ!パネェなアンタ!」
「本体が無事なら、精霊くらい、いくら燃やしても大丈夫だろ」
「そういう問題ではありませんわ!人として!道徳的に考えて下さいませ!」
「あたしやお前らを問答無用で襲ったケヤキの行動は、非人道的じゃないのか?ユリなんか生死の境を彷徨うレベルの怪我をしてただろうが」
「そりゃまあ確かにそうだけど!だからって事情も聞かずに燃やすのは良かねェだろ!!ってかその油、ウチに置いてあった調理用の油だし!なに勝手にパクってんの!」
 ユリが言う通り、あの固形油が入った瓶は、ユリの家から勝手に持ってきたものだった。
「相手が植物を操るとなると、対抗するには燃やすのが一番手っ取り早いだろ。精霊が話に応じなかったら、コレで火力をつけてケヤキの本体を燃やそうと思って持ってきた」
「燃やすなぁぁ!!まずちゃんと話し合えぇぇ!!」
「話し合おうとして応じなかったのはケヤキのほうだ。事情も話さず聞いてこようともせず危害を加えてくるだけの精霊なんて、害虫と一緒だろ。お前ら は駆除する害虫に、いちいち情けをかけてんのか?」
「怖い!ソフィスタ様の考え方が怖い!」
 ソフィスタたちが騒いでいる間、地面に落とされたケヤキは踞って震えていた。その様子に気付いたボタンが、ソフィスタから離れてケヤキに近付き、ハンカチを取り出してケヤキについている油を拭った。
「大丈夫ですわ。あなたを燃やすなんて、そんなこと私とユリ姉様がさせませんから」
 ユリもソフィスタに「アンタは離れてて!」と言って、ボタンの隣で腰を屈める。ソフィスタはユリに言われた通り、素直に三歩ほどケヤキから離れた。
「大丈夫だよケヤキ。ソッフィーはアンタを脅しただけで、本気で燃やそうとしたわけじゃないから。…たぶん」
 ユリとボタンは懸命にケヤキを宥める。ケヤキは俯いたまま震えているが、ボタンのスカートの裾を抓んでいた。少しはユリとボタンに対し、心を許したのだろうか。
 ソフィスタは脅すだけで精霊を屈服させるつもりだったが、こういう飴と鞭のような作戦も効果的だろうと、黙って彼らの様子を眺める。
 …それにしても、樹齢五百年以上の割には、ほんとガキだな。
 ソフィスタは人を脅すことにかけては自信があるほうだが、あれほど怯えるとは思っていなかった。まあ、ケヤキの精神が子供っぽいからというのもあるのだろうが。
 そんな子供っぽい精霊が…イタズラ好きとは言え、森で迷った人を助けていたような精霊が、ユリにあれほどの怪我を負わせたというのだろうか。
 …そういや、昨日はユリにはあれだけの怪我を負わせていたけど、今回はそんなに怪我を負わせていないな。あたしも、花の香りで眠らされただけだったし…。
 多少は痛い目に遭わされたが、大怪我させられた時のユリほどではない。今回と前回とでは、何が違うのだろうか。
 …とにかく、ケヤキから話を聞くしかない。
 ソフィスタが考えている間に、ケヤキも落ち着いてきたようだ。まだボタンのスカートの裾を掴んだままだし震えてもいるが、先程までよりはマシに見える。
「ねえケヤキ。アンタに一体何があったの?アンタはいつもアタシらにイタズラしてたけどぉ、誰かを大怪我させるようなことをする子じゃないでしょ。アタシらも本気で怒ってなかったしぃ、むしろ、やんちゃな弟みたいに思ってたんだよ?」
「そうですわ。あなたは本当は良い子だってことを、私たちは知っていますわ。私たちを襲ったことについても、何かやむを得ない事情があったのではありませんの?」
 そろそろ話を聞いても良い頃合いだと、ユリとボタンも判断したようだ。至って優しい口調で、彼らはケヤキに尋ねる。すると、ケヤキは両手で顔を覆い、拒むように頭を左右に振った。
 何も答えないケヤキに、ユリとボタンは顔を見合わせて首を傾げる。
 しばらく沈黙が続いたが、ふと、ソフィスタに思い当たったことがあって、周囲を見回してからケヤキに近づき、声を潜めて尋ねた。
「可能性として一つ挙げるぞ。ケヤキ、お前は誰かに脅されて、ユリたちを襲ったんじゃないか?」
 それはソフィスタにとって、三割程度の可能性だった。
 ソフィスタが脅した時のケヤキの様子が異常だとしたら、それは既に他の誰かから似たような脅しを受けたからかもしれない。そう推測し、確認するためにケヤキに尋ね、その反応を窺った。
 ケヤキはソフィスタの言葉を聞いた時、明らかに動揺して顔を上げたが、ソフィスタと目が合うと再び俯いた。
 ソフィスタの言葉とケヤキの様子から、ユリとボタンも察して声を潜める。
「マジで?ソッフィーの言う通り、脅されてんの?」
「一体、誰に脅されているんですの?」
 ユリとボタンからも尋ねられ、ケヤキは顔を逸らすが、さり気なく移動していたソフィスタが、ユリとボタンがいる位置を利用してケヤキを囲っていたので、上下以外はどちらに顔を向けても誰かしらに表情を見られる形となっていた。
 精霊なのだから囲んでも逃げようと思えば逃げられるのだが、こうやって威圧することにより、逃げ場を失っていると錯覚させることができる。体が小さく性格も子供っぽいケヤキに対し、やっていることが大人げなく見えるが、村にはメシアを待たせているし、子供に対して甘い性格でもないので、ソフィスタは容赦しなかった。
「あ…う…で・でも…」
 ソフィスタたちの顔をオロオロと見回しながら、ケヤキはやっと声を漏らした。ケヤキのような姿の木の精霊が涙を流すかどうかは分からないが、表情は今にも泣き出しそうなものであった。
「でも…でも…母ちゃんが…」
「母ちゃん?」
 ソフィスタは思わずケヤキに聞き返したが、ケヤキは肩をビクッと震わせただけで、それ以上喋ろうとしなかった。ソフィスタはユリとボタンに、どういうことだと聞きたげに視線を送る。
「母ちゃんって、アレだろ?森の中央に生えている、でっかい木」
「この森の中では、一番古い木だったものですわ。森の木々全ての母だと、ケヤキから聞いたことがありますわ」
 ケヤキの言う「母ちゃん」が何かは分かったが、ボタンに「一番古い木だった」と過去形で説明されたことが気になり、ソフィスタは「だったって、どういうことだ?」と尋ねた。
「その木は、半月ほど前の嵐で雷が落ちて、焼けてしまったんですわ。その木にも精霊が宿っていましたけれど、それも消えてしまって…」
 半月ほど前と言えば、その頃にアーネスも暴風雨に襲われ、街から離れた所にある山では土砂崩れが起こった。ヴァンパイアカースがアーネスの街で蔓延しかけた前日の、あの暴風雨である。
「でもぉ、かろうじて苗木が残っててぇ、アタシらとケヤキで別の場所に植えたんだ〜。だから今はぁ、その苗木がケヤキの母ちゃんってことになるーみたいな?」
「そうか…。じゃあ、その苗木に何かあったってことなのか?」
 口調を和らげ、ソフィスタはケヤキに問うが、ケヤキは黙りを決め込み、俯いて顔を上げようとしない。だが、その苗木とやらに何かあったことは確かだろう。
 ケヤキにも事情があることは分かった。今はソフィスタたちに対する敵意もなさそうだし、これ以上脅して怯えさせても話が進めにくくなるだけだろう。
 …ユリたちも苗木を植えたって話してたから、その場所を知っているだろう。調べに行ってみるか。
 そう判断して、ソフィスタはユリに声をかけようとしたが、それより先に、野太い声が響いた。
「おいケヤキ!!変態獣人は三人とも捕まえたのか!!」
 その声の大きさと荒々しさに、ソフィスタたちは肩を震わせて驚いた。とっさに振り返ると、ソフィスタたちを囲っている木の格子の向こうに、数十人の男たちが近付いてくる様子が見えた。
 粗末な服にゴツい武器という、いかにも野蛮そうな装備で、人相も悪い。全員人間のようだが、村の者ではないのだろうか。
「く・来るなよぉ!!」
 ケヤキがそう声を上げ両腕で頭を覆い、地面に突っ伏した。すると、格子を作っている木々がさらに枝を伸ばし、ソフィスタが焼き払おうとしてできた隙間を埋めた。
「おい、奴らは誰なんだ?村の人間か?」
「違う!あいつらは…こないだ村を襲った山賊じゃん!何でココに!?」
 ソフィスタの問いに、ユリが高い声で答えた。ボタンはケヤキの背中に、庇うようにして両手を添えている。
「おう、三人いるじゃねーか…いや、一人は違うな?」
「獣人じゃねーな。村の人間か?女か?」
 山賊たちは、円を描いて並ぶ木々に沿って立ち、隙間からこちらを覗き込んでくる。その視線にソフィスタは嫌悪感を覚え、ユリは必要ないのにスカートの裾を引っ張って極力太股を隠そうとしている。
「おらケヤキ!この邪魔な木ィどけやがれ!」
 山賊の一人が、踏みつけるように格子の木を蹴った。その震動に他の木も揺れて葉を落とす。
「…ケヤキ、あいつら、お前のことを知っているみたいだけど…どういう関係だ?」
 ソフィスタはケヤキに小声で尋ねたが、ケヤキは震える一方で答えようとしない。
「ケヤキよぉー!俺たちの言うことが聞けないのか!?苗木がどうなってもいいのかよー!」
 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、山賊がそう声を上げた。とたんにケヤキが顔を上げ、ボタンを突き飛ばした。
「だ・ダメ!分かったよ!」
 ケヤキは山賊たちに向けて両手を伸ばした。その行動の意図を察し、ソフィスタは身動きが取れないようケヤキの体を抱え込んだ。
「放せよ!あいつらの言うことをきかないと、母ちゃんが…!」
「いいから大人しくしろ!ちょっと考える時間をよこせ!」
 ケヤキと山賊の言動から、ソフィスタは事情を察した。
 先程ユリたちと話していた苗木を抑えることで、山賊たちはケヤキを脅し、ケヤキは山賊たちの命令でユリたちを襲い、こうして閉じ込めていたのだ。
 だが、こんな手の込んだことをしてまで、なぜ山賊たちはユリら三兄弟を襲わせたのだろうか。よほどの怨恨か、もしくは例の薬が目当てか。
「おいこら眼鏡のガキ!テメェは誰なんだ!男と女、どっちだ?」
 山賊の一人が、ケヤキを止めたソフィスタに怒鳴りつけてきた。ケヤキは震えるが、ソフィスタは至って平静で、声を上げた山賊を見遣る。
「ほ〜。よく見りゃ可愛いツラしてんじゃねーか。女か?」
「ガキにしちゃ胸がデカくねーか?何か詰めてんじゃねえの?」
「じゃ男か?」
 山賊たちはソフィスタをジロジロと眺めながら、下品な笑みを浮かべる。
 ソフィスタは自分の顔立ちや大きな胸が人の目を惹きつけるものであることに自覚はあるが、それに関して特に鼻に掛けることも、変にコンプレックスを抱くことも無かった。ただ目立つことが嫌なため、普段はスカーフとマントで胸元などを隠しているのである。眼鏡もかけているので、顔立ちとスタイルに関しては、ぱっと見ただけではよく分からない。
 ケヤキを抱きかかえているにも関わらず、胸の大きさに気付かれたということは、それだけ山賊たちに観察されているということだ。そう思うと、嫌な寒気を感じて鳥肌が立つ。
 そんな嫌な気分まで吐き出すように、ソフィスタは山賊たちに向かって怒鳴った。
「うるせえ!見栄くらい張ってもいいだろ!ここは育たねーんだから!」
「ちっ、男かよ…」
 あんなガラの悪い連中に、ソフィスタが十七歳の少女であること知られると都合が悪そうだと考え、ユリたちに便乗して男だと勘違いするよう仕向けたのだが、思ったよりスムーズに勘違いをしてくれたようだ。
 ユリとボタンが「え?」とばかりにソフィスタを見ながら首を傾げたので、ソフィスタは二人に「話を合わせろ!」と小声で注意をした。
 それにしても、オカマ三兄弟のことも知っていたし、この山賊たちは、よほどオカマと縁があるのだろうか。そんなことをソフィスタが考えていると、やけに高い声が響いた。
「ちょっと!通しなさいよ!見えないじゃないの!」
 声がしたほうへと顔を向けると、そこに立ち並んでいた山賊たちが、左右に分かれて大人三人分ほどのスペースを開けた。そのスペースに、早速一人の男が割って入り、その姿にソフィスタはギョッと目を見開き、ユリとボタンも目を丸くした。
 彼は他の山賊のように、体も人相もゴツいが、短い髪は綺麗に整えられているなど、身だしなみはまあまあ整っていた。
 しかし、首に下げているチェーンや腰に差している短剣の柄などには、花の飾りがあしらわれており、踵の高い皮のブーツなんか、眩しいくらいのピンクに着色さているなど、ファッションセンスは壊滅的であった。男物の服装に無理矢理女物をねじ込んだような、コーディネートのカケラも感じられないアンバランスぶりである。
 先程の高い声を思い出し、また嫌な予感がしたソフィスタは、唇の端をひきつらせた。その表情を眺めて、ひどいファッションセンスの男はフンと鼻を鳴らした。
「なによ、言うほど可愛くないじゃない。それよりアタシのアクセサリーのほうが千倍カワイイわっ」
 そう笑って、服装を見せびらかすようにクルッと軽やかに回った男を、ソフィスタだけではなく、他の山賊たちも微妙な表情をしていた。


  (続く)


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