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ありのままのメシア 第十話


 ふと目を覚まして顔を上げた時、眩しすぎる光に目の奥まで貫かれたような強い刺激を覚え、思わず目蓋を閉じ、両腕で顔を覆った。
 今まで感じたことのない奇妙な痛みに悲鳴を上げると、誰かに体を抱き上げられた。
 見えなくても分かる。柔らかく温かい感触、心が安らぐ優しい香り。誰よりも愛しい存在。その者の肩にしがみつき、胸に顔を埋めた。
 しばらくして目の違和感も薄れ、目蓋を開いて顔を上げると、いつも赤く濁った光に照らされていた顔が、今は明るく透き通った光に照らされ、瞳や髪の色が鮮やかに浮かび上がっていた。
 そして、その穏やかな笑顔の向こうには、見たことのない真っ青な色が広がっている。
 少し視線を下へとずらすと、肌を撫でる空気の流れに合わせて揺れる緑が瞳に映り、先程強い刺激を受けた目が癒されるような気がした。
 あの薄暗く湿った部屋の中とは、景色も空気も違う。あらゆる感覚が清々しさを覚えるが、あまりの環境の変わりように不安も覚えた。
 その不安を見通したかのように体を抱き竦められ、その温もりから伝わる深い愛情が、不安を和らげた。
 ここがどんな場所かも、これから自分たちがどうなるかも、まだ分からない。だが、この愛情さえ傍にあれば、何も恐れる必要は無い。この愛情が傍にあれば、いつまでも幸せでいられる。
 愛してる。ずっと一緒にいてほしい。そんな気持ちを言葉にして伝えることは、まだできないが、代わりに、その者の肩に頬を擦り寄せた。

 意識を失う直前まで感じていた強い恐怖と、それを与えた者の存在は、既に記憶の奥底へと沈んでいた。


   ・第五章 山賊、パティ

 服装を見せびらかすように機嫌良く回っている、統一性の無いファッションの男は、ソフィスタや他の山賊たちに微妙な表情で見られていることに気付くと、はっとして動きを止めた。
「だぁぁ〜っ!クソッ、またやっちまったぁ〜!」
 先程までの女口調とは違って、荒々しい男の喋り方で彼は何やら嘆き、頭を抱えて踞った。そんな彼に他の山賊たちが「お頭!」と呼びながら駆け寄り、慰めるように背中に手を添える。
「…何だ、アイツ…」
 木の格子を挟んで向こう側で繰り広げられる、特に面白くも無い喜劇を眺めながら、力の無い声でソフィスタは呟いた。ソフィスタに両腕で腹に抱え込まれているケヤキが、その呟きを聞いて顔を上げた。
「アイツが山賊たちの親分だよ。アイツが母ちゃんの苗木を奪って、オイラを脅してるんだ」
 まだ怯えてはいるようだが、震えは治まったケヤキが、ソフィスタとユリたちにしか届かない程度の小声で説明した。あの奇怪なファッションの男を見て気が抜けたのだろうか。
「山賊の親玉って…あの方が?」
「あれ?アイツって…」
 ユリとボタンは、奇怪なファッションの男を眺め、やがて二人同時に「あっ!」と声を上げて手を叩いた。
「アンタ、パティじゃん!ウッソ、久しぶり〜!」
「まあっ!パティ様ではありませんの!お久しぶりですわ!」
 パティと呼ばれた男は、それを聞いた瞬間に立ち上がり、怒りで真っ赤になった顔をこちらに向け、心なしか涙が滲んでいる目でユリたちを睨んだ。
「パティじゃねえ!!その呼び方やめろ!!アタシはっ…じゃなくて、俺はバディルゾンだ!!」
 明らかに名前負けしている。真っ先にソフィスタはそう思った。そんないかつい名前から濁点を取り除いた上に、一部半濁点にすり替え、パティなどと略して呼ぶユリとボタンの神経にも、もはや恐れ入る。
「ユリ、ボタン。あのバディルゾンってやつと知り合いなのか?」
 あんな不気味な外見の男を、パティなどと可愛らしい名前で呼びたくなかったソフィスタは、あえて男をバディルゾンと呼んでやった。
「ってゆーか、さっきケヤキのオカンの木に雷が落ちた話をしたじゃん。その時に巻き添え喰らって瀕死の重傷を負った子がいてぇ、それがパティってワケ」
「そうそう。雷が落ちて倒れた木の下敷きになって、怪我も火傷も酷かったのですが、私たちが自宅に保護し、薬で怪我を治して差し上げたのですわ」
 ユリとボタンの言うことが本当なら、彼らはバディルゾンの命の恩人ということになる。しかしバディルゾンは、仇のようにユリたちを睨んでおり、ますます人相と服装のギャップが広がっている。
 まあ、山賊と言うと基本的に悪者のイメージが強いので、恩を仇で返すような行為は、迷惑だがおかしくはない。だがバディルゾンには、ユリとボタンに対して個人的な恨みを持っているように見える。
 それに、オカマかと思いきや外見や口調が女っぽくなりきれておらず、むしろそうなることを拒んでいる様子も気になる。
「ちょっとパティ!アンタ何で山賊の親玉になんかなってんのぉ?アンタそんなに悪い子だったっけ?」
「パティって呼ぶなっつってんだろ!だいたい、俺は数年前から山賊の頭だよ!あの時は、テメエらに怪我を治させるために善人ぶっていただけだ!」
「そんな!それでは、少し前に山賊が村を襲ってきたのも、パティ様の仕業だったと言うんですの?」
「パティって呼ばないでって言ってるでしょ!アタシはねえ!アンタたちへの復讐と、薬を手に入れるために、手下どもに村を襲わせたのよ!」
 木の格子を挟んでユリたちと言い合っているバディルゾンは、熱くなるにつれ口調が女っぽくなっていくが、彼自身は気付いていない。
「ふくしゅう?何ソレー。アタシらパティの怪我を治したげただけじゃん。恨まれるようなことした覚え無いんスけど〜」
「したわよ!アタシ…じゃなくて、俺を見れば分かるだろ!ホラァ!!」
 バディルゾンは、よく見ろとばかりに両手を広げるが、ユリとボタンは何のことだか分からないといった顔でバディルゾンを眺めるばかりであった。
 代わりにソフィスタが、なんとなくバディルゾンの事情を察し、ケヤキを地面に下ろしてバディルゾンに尋ねた。
「もしかして、コイツらのせいで、お前は女っぽくなった…とかか?」
 それを聞いたバディルゾンは、「そーなのよ!」と両手を叩いた。
「アタ…俺はなあ、怪我していた所をオカマ三兄弟に助けられたはいいが、それ以来なぜか女っぽい趣味に目覚めちまったんだよ!こんなんじゃ山賊の頭として示しがつかないじゃねーか!どーしてくれるのよォ!!」
 イヤイヤと乙女が恥らうように頭を振るバディルゾンの苦悩には少し同情するが、それなら山賊から足を洗えばいいだろとソフィスタは思う。しかし、それを言うとバディルゾンを怒らせてしまいそうなので、口に出すのはやめた。
 …それにしても、男が急に女っぽい趣味に目覚めるなんてこと、本当にあるもんかねえ…。
 元々、そっちの趣味の素質があったのなら、カマイタチ三兄弟の影響で開花したとも考えられるが、それもバディルゾンに言うと怒られそうである。
「なあ、バディルゾンを保護してから怪我が治って出て行くまで、どれくらいかかった?」
 バディルゾンが事情を話しても、まだよく分かっていない顔をしているユリに、ソフィスタは小声で尋ねた。
「ん〜二日?みたいな。さすがに重傷だったから、全身に薬を超塗りたくってぇ、それでも丸一日は意識不明だったよ」
「そうか。じゃあ、意識がある時のあいつと、何か話したりしていたのか?」
「うん話した。薬のことはヒミツにしてちょ〜とかぁ、あとは可愛い服や小物の話?パティも楽しそうに話してたし。でも二日目の夜には帰ってったよ」
「楽しそうにって…演技じゃないの?」
「え〜そんなこと無いと思うけどぉ〜」
 まあ確かに、いくら善人ぶるためとは言え、オカマと話を合わせるなんて演技までする必要は無かっただろうと、ソフィスタは考える。もし演技ではなく、本当にユリたちと話が合っていたのなら、やはり元々バディルゾンは女の趣味の素質があったということになるのだろうか。
「だから俺は!お前らに復讐することに決めたんだよ!ついでに、お前ら三兄弟にしか知らないという薬の作り方を聞き出してな!」
 ソフィスタが考え事をしている間にも、バディルゾンはうるさく喚いていた。一応、彼の話をソフィスタは聞いてはいるが、あまり真剣には聞いていない。
「キャーッ!パティ様ったらヒドイですわ!私たちは兄弟ではなく姉妹ですわ!それに、薬の作り方を知ったところで、あなたたちには作れません!私たち三姉妹にしか作れない秘伝の薬なんですものっ!」
 そのボタンの言葉は、ソフィスタはちゃんと聞いた。
 そういえば、メシアの治療を任せた医師夫婦が、姉妹がいないと薬が作れないなんてことを話していた。それは、ユリたちしか作り方や材料を知らないからだと思っていたが、考えてみれば、そんなことをユリから聞いた覚えも無く、ソフィスタが勝手に思い込んでいただけだったようだ。
「まさか、例の薬って、お前ら三兄弟が揃わないと作れないのか?」
「兄弟じゃないっての!姉妹ぃ!…うん、まあ、アタシら三人揃わないと、薬は作れないよ」
 相変わらず兄弟と呼ばれて怒りつつも、ユリはソフィスタの問いに答えた。
 …ってことは、あの山賊たちから逃れて、薬の材料の足りない分だけでなく、残る一人の兄弟…シャクヤクとかいうヤツも探さなきゃいけないってことか。
 何だかどんどん面倒なことが増えていくようで、ソフィスタは実に面倒臭そうにため息をついた。
「お前らはマヌケにも、怪我をしていた俺に薬のことを話してくれたよなあ。全身重度の火傷を負っていた俺を、ほぼ二日で治すほどの効力の薬だ。大量に作って売れば大もうけ!お前らオカマ三兄弟にしか作れないってんなら、イヤでも協力してもらうぜ!まあ、そういう復讐の形もありだろうよ!オーホホホホホホッ!!」
 バディルゾンは威張るように話して笑うが、その笑い声が女っぽくて、いまいちカッコがついていない。ソフィスタだけでなく、他の山賊たちからも微妙な目で見られていることに気付くと、バディルゾンは笑いを止め、咳払いを一つした。
「コホン…ま・まあ、最初の襲撃では返り討ちに合ったが、そこの精霊のことや、ソイツの母親だとかいう苗木の話も聞かされていたおかげで、次なる作戦を打つことができたぜ。ケヤキを脅して、オカマどもを襲わせる作戦にな!」
 名前を呼ばれて睨まれたケヤキは、ビクッと体を震わせてソフィスタの影に隠れた。ソフィスタがケヤキを燃やそうとしていたことなど、もう忘れたのだろうか。
「ま、三兄弟がいないと薬は作れないってことは、後からケヤキから聞いから、最初にケヤキに襲わせた時は、生け捕りにするつもりはなかったがな。ということで…おいケヤキ!早くもう一人のオカマ獣人を捕まえてこいよ!テメエに与えた仕事は、三人を捕らえることだろうが!ええ!?」
 バディルゾンは、格子の木の幹を強く蹴ってケヤキを脅すが、その衝撃でバディルゾンのブーツに取り付けられていたハート型の飾りが取れて後ろへ飛び、バディルゾンは「きゃっ、いやーん!」などと叫び、飛んでいった飾りを内股で走って追った。その姿を、山賊たちが悲しげな顔で眺めるが、ケヤキは普通に脅されて怖がっていた。
「で・でも、森の中にはいないんだよ。他の木から情報を集めたけど、シャクヤクは誰にも見つけられなかったんだ。…きっと、森の外にいるんだ。だからオイラには探せないんだよ…」
 ケヤキが弱々しい声で言い訳をすると、ブーツに飾りを取り付けなおしたバディルゾンが、再び木の格子に近づいてきた。
「本当にか?見落としているだけじゃないのか?それとも、シャクヤクを庇っているんじゃないだろうな!」
 もはやバディルゾンが怒鳴る姿にも迫力を感じなくなったソフィスタだが、ケヤキは怯えて頭を横に振った。
 しばらく、バディルゾンはケヤキを睨みつけていたが、やがて諦めたように「チッ」と舌打ちをした。
「…まあいい。森の外を探しに行くぞ。…ケヤキ、お前もこっちに来い!」
 バディルゾンはケヤキに、ついてこいと身振りでも示すが、ケヤキはオロオロとソフィスタたちと山賊たちへと交互に顔を向けている。そんなケヤキの様子からして、こちらに対する敵意は、ほとんど消えていると考えてもいいだろうと、ソフィスタは思った。
 そのことにバディルゾンが気付いているかどうかは分からないが、ケヤキを連れて行くのは、ソフィスタたちがケヤキに変な入れ知恵をすることを恐れているからだろう。
「でも、オイラ、森の外には出られないよ」
「いいから、ついてこいと言ってんだ!苗木がある場所に、俺の手下がいることは知っているだろ!逆らうとテメエの母親がどうなるかも分かってるよな!」
 バディルゾンがケヤキに、そう言い放った時、ケヤキは目の窪みを大きく開いた。だが、それはバディルゾンの言葉に対する驚きや、苗木を案じたからだけではなかった。
 ソフィスタの魔法力が急に高まり、凍てつくように冷たい怒りを帯びている。
 山賊たちの中には、特に魔法力が高い者も魔法が使えそうな者もおらず、ユリとケヤキも、山賊たちより強い魔法力はあるが、それを生かす技術も知識も持ち合わせていない。だから、高まった魔法力に気付くことができたのは、存在そのものが魔法力と言っても過言ではないケヤキだけであった。
 ソフィスタ自身も、湧き上がる怒りと、無意識的に高めてしまった魔法力にケヤキが気付いていることは分かっていた。
 そして、その理由も。
「…ケヤキ、今はあいつらに従っておけ。苗木が危ないんだろ」
 ソフィスタは肩の力を抜いて息を吐き出し、魔法力を沈めながら、山賊たちには届かない程度に小さい声で、ケヤキに言った。
「う…でも…」
 ケヤキは不安げにソフィスタを見上げたが、その時のソフィスタの表情が、ケヤキに対して怒っているように見えたので、ケヤキは慌てて視線を逸らした。
 その先には、ユリとボタンがいる。ソフィスタの声が聞こえていた彼らは、ケヤキを真っ直ぐ見つめ、促すように頷いた。
「こっちはこっちで何とかする。お前の悪いようにはしないから、あたしたちに協力しろ。…苗木を取り返し、あの山賊どもをぶちのめすぞ。いいな」
 小さく静かに、だが強い意志を感じるソフィスタの声が聞こえ、ケヤキは再びソフィスタを見上げた。まだソフィスタの表情が怖く、なかなか視線を合わせられなかったケヤキだが、やがてケヤキが視線を合わせてきた時、目の奥で不安げに揺れていた光が、凛とした輝きへと変わっていた。完全に不安や恐怖を拭い去れたとは言い切れないが、それでもケヤキはソフィスタに力強く頷き、意思を示す。
「おい!偽造豊胸メガネ野郎と何を話しているんだ!早くこっちへ来るのよ!!」
 ソフィスタに変な名称をつけたバディルゾンが、再びケヤキを呼んだ。ケヤキは体を浮かせ、滑るように宙を移動してバディルゾンのもとへと向かった。その様子に、バディルゾンは満足げな笑みを浮かべる。どうやら、ケヤキがソフィスタたちとの共闘を密かに受け入れたことには気付いていないようだ。
 ケヤキが木の格子をすり抜けると、バディルゾンは踵を返して歩き出し、ケヤキと山賊たちは、その後に続いた。
 ぞろぞろと山賊たちが去っていくので、まさか見張りも残さずバディルゾンについていくつもりなのかとソフィスタは思ったが、残念ながら二人ほど戻ってきて、木の格子の向こう側でソフィスタたちの見張りについた。
「ちっ。…ユリ、ボタン。こっちへ来い」
 そうユリとボタンに声をかけ、ソフィスタは木の格子の内側の中央付近へ移動した。これからの行動を話し合うにしても、極力見張りの山賊たちから遠ざかったほうがいいと考えてのことだった。幸い、木の格子の内側のスペースは広い。
 中央までくると、ソフィスタは羽織っているマントを外して折りたたみ、地面に敷いて、そこに腰を下ろした。ユリとボタンも、ソフィスタのもとまで移動し、ハンカチを取り出して敷いて座った。
 見張りの山賊たちは、不審そうにこちらを見ているも、特に何か言ってはこなかった。
「それで、どうしますの?ソフィスタ様には、何かお考えがありますの?」
「っにしても、アネキはどこにいるんだろ。森の中にいないっつーからには外にいるんだろうけど、超心配〜」
 ボタンとユリも、見張りの山賊に聞こえないよう気をつけて、声を潜めて話す。
「考えならあるけど、行動へ移すには情報と時間が要る。まずは現在地の把握と、ここから苗木がある場所までの距離が知りたい」
 ソフィスタはベルトに取り付けられているポーチの中からメモ帳と鉛筆を取り出すと、メモ帳の白紙のページを開き、隅に方角を示す記号を書いた。
「ボタン、この場所が森のどの辺りなのか、分かるか?」
 ソフィスタに急に尋ねられたボタンだが、一瞬驚いただけで、すぐに「ええ、分かりますわ」と答えた。
「じゃあ、大まかでいいから森の地図を書いて。現在地と苗木の場所が分かれば、それでいい」
 それだけ言って、ソフィスタはメモ帳と鉛筆を、押し付けるようにボタンに渡した。命令口調で強引な態度だったが、ボタンは嫌な顔をせず、むしろソフィスタを頼もしそうに見つめて頷き、ソフィスタに従ってメモ帳に鉛筆を走らせ始めた。
「…ねえ、ソッフィー。アンタ怒ってね?」
 ふと、ユリがニヤニヤと笏に触る笑みを浮かべて、ソフィスタに尋ねてきた。
「こんな状況にされりゃ、怒ってもおかしくないだろ」
 そんなことはどうでもいいから、話を持ちかけてくるなとばかりに、ソフィスタは不機嫌そうな声で答えたが、それに気付いているのかいないのか、ユリはさらに口元をニヤけさせ、ソフィスタに話しかけてくる。
「そうじゃなくってぇ、アンタさ〜ケヤキのために怒ってんじゃね?やっぱソッフィーやさしっ…」
 そこまで言いかけたところで、ソフィスタに思いっきり睨みつけられ、ユリは言葉を噤んだ。
「…ふざけたことぬかすな。むしろケヤキには腹を立てているくらいなんだよ」
 親だか何だか知らないが、それを盾にされたくらいで山賊に屈しているケヤキの姿には、確かにソフィスタは腹を立てていた。
 植物を操って攻撃するだけでなく、人を眠らせる効果のある花粉を使うなど、様々な技を持っていながら、自分のほうが弱い立場にあると思い込んで、相手の寝首を掻くチャンスを窺おうともしていない。気に障るような行動は取るまいと、窺うのは相手の顔色ばかり。
 苗木を取り返すとケヤキに持ちかけた時、それでもケヤキが山賊と戦う意思を示さなかったら、ソフィスタはケヤキを殴り飛ばす、もしくはもう一度燃やしたかもしれない。
 それほどソフィスタにとって、ケヤキの怯えた態度、弱々しい目は、ケヤキを虐げることでいい気になっているバディルゾンよりも腹立たしく、忌々しかった。
 思い出すのは、校長の娘だからと言って調子に乗るなと不良に絡まれていた時のプルティ。魔法力も後ろ盾もありながら、今のケヤキのように弱気になっていた目。
 そして、もう一人。
 弱気なケヤキやプルティと同じ目をしていた者。だが、ケヤキやプルティ以上に忌々しい者。
 誰よりも、何よりも忌まわしい。記憶の中から、この世界から存在を消し去ることができればと願うほどに。
 ソフィスタは拳を強く握り締め、地面に叩きつけた。その音に、地図を書いていたボタンも手を止め、木の格子の向こうにいる二人の山賊も、何事かと木の格子の隙間を覗き込む。もちろん一番驚かされたのは、直前までソフィスタを茶化していたユリである。
「余計なお喋りはするな。用が無いなら黙ってろ」
 ソフィスタの瞳に、どす黒く冷たい怒りが渦巻いていることに気付き、ユリは口を手で塞いで頷き、ボタンも止まっていた手を動かし始めた。見張りの山賊たちは、ただの仲間割れとでも思ったのだろうか、さほどソフィスタたちの様子を気に留めていないようだ。
 ユリは口を塞いだままソフィスタから離れてボタンの陰に隠れ、「そんな睨まなくてもいいじゃ〜ん」と性懲りも無く文句を垂らしてきたが、ソフィスタは相手にしなかった。


 *

 半月ほど前の暴風雨で、この森で一番古い木に雷が落ち、木は焼かれて倒れ、木に宿っていた精霊も消えた。その時、何の用があって森にいたのかは分からないバディルゾンが倒れた木の下敷きになり、重症を負った。
 木はかろうじて苗木を残しており、バディルゾンもかろうじて息はあった。暴風雨が弱まってから森の様子を見に来たカマイタチ三兄弟は、バディルゾンを見つけて保護し、ケヤキを手伝って苗木を別の場所に植えた。
 カマイタチ三兄弟は、エリクシア村の者以外には使ってはいけないという薬をバディルゾンに使い、彼の怪我を治した。後日、意識を取り戻したバディルゾンに、カマイタチ三兄弟は、薬やケヤキや苗木の存在を世間話感覚で喋ってしまったらしい。
 そしてなぜか、バディルゾンは女っぽい趣味に目覚めており、こうなったのはカマイタチ三兄弟のせいだと逆恨みし、ついでに薬の作り方を聞き出すために、手下の山賊に村を襲わせた。
 しかし村の獣人たちは強く、山賊たちを撃退。さらに山賊たちを警戒して、より強固な警備体制を敷かれたため、襲撃は完全に失敗に終わった。
 そこでバディルゾンは苗木の存在を思い出し、苗木を盾にしてケヤキを脅し、薬草を取りに来たカマイタチ三兄弟を襲わせた。この時点では、薬を作るには三兄弟が揃っていなければいけないということをバディルゾンは知らず、最初にケヤキが捕らえたボタン以外は不要と考えたのだろう、他の二人はそのままケヤキに襲わせた。
 しかしユリは命からがら森から脱出し、三兄弟の一番上のシャクヤクも、おそらくどこかで逃げ延びているだろう。
 ユリは村の者に発見され、診療所に保護された。そこでソフィスタと会い、持っていた薬を使って自分の怪我を治した。
 ソフィスタも薬の存在を知り、その薬でメシアの怪我も治せればと思ったが、薬はユリが最後に使ったぶんで切らしてしまい、足りない薬草と他の兄弟を探し出すためには、再び森に入らなければならなかった。
 こうしてソフィスタとユリは森に入り、ケヤキに捕らえられ、ケヤキがバディルゾンに脅されていたことなどを知り、現在に至る。
「だからぁソッフィー!アタシたちは兄弟じゃなくて姉妹だっちゅーの!!」
 バディルゾンが三兄弟を恨むようになった経緯や、今までの行動を一通り頭の中で整理し終えた直後、そんなソフィスタの思考を読み取ったように、ユリが叫んだ。さすがにこれにはソフィスタも驚かされる。
「な・何だよいきなり。何も言ってないだろ」
「でもぉ、そんなこと考えていたんじゃないかなって気がしてぇ」
 何でこういう時だけ勘が異常に鋭いのだろうかと突っ込みたかったが、まともに相手をする気は無いので、「ハイハイ、しまいしまい」と心のこもっていない声でユリをあしらい、ボタンから返されたメモ帳を眺めて、もう話しかけてくるなという空気を作り出した。
 ユリはまだブーブーと文句を言っているが、返答は求めない独り言のようなものなので、無視しておく。
 …苗木がある場所まで、ちょっと距離があるな。森に入ってケヤキ本体の所まで走った距離に比べれば近いけど…。
 ボタンは、ここからだと走り続けて十分ほどで着くと話したが、森を歩くことにも慣れていないソフィスタでは、もう少し時間がかかりそうだ。
 …ケヤキの邪魔は、もう入らないだろう。そのぶんスムーズに苗木のもとまで辿り着けるとしても、多く見積もって二十分かかるかどうかって所かな。
 とにかく、この木の格子から脱出しなければ始まらない。行動を起こすのに必要なものは…。
「キャーッ!ネコちゃんですわ!」
 ソフィスタにメモ帳と鉛筆を返してからは静かに座っていたボタンが、どこからか近づいてきた猫に気付き、高い声を上げた。
 木の格子の隙間は、人間の子供でも通れない程度に狭いが、猫が通るには余裕の広さだった。山賊たちも、ボタンの声に驚いただけで、猫が木の格子の内側に入ったことに関しては、気にも留めていないようである。
「えっネコ?ウッソやっべマジ超カワイイ!」
 ボタンの膝に体を摺り寄せている猫を見て、ユリは目を輝かせた。ボタンも愛らしい猫の仕草に目を潤ませている。
 猫は全体的に毛が短く、ほとんど生えていないに等しい。皮膚の色も瞳の色も銀色で、見ようによっては不気味だが、このオカマ二人が引き立てると、確かに可愛いく、当のオカマ二人も、見た目より仕草に夢中になっているようだ。
「村でも見かけないネコちゃんですわね。どこから来たんですの?」
 ボタンは猫を撫でようと手を伸ばしたが、猫は触れられる直前にボタンから離れ、ソフィスタに駆け寄った。ボタンは残念そうな顔をするが、そんなつれない仕草も愛らしいとばかりに、うっとりと猫を眺めている。
 猫はソフィスタの右肩に飛び乗ると、体を丸めて大人しくなった。
「あはははっ!そのネコ、ソッフィーのこと好きなんじゃな〜い?」
「ソフィスタ様、そのネコちゃんと、お知り合いなんですの?」
 ユリとボタンもソフィスタに近づき、ソフィスタの目の前には、骨格は男のものなのに、これでもかと女性らしくも濃いメイクが施された顔が二つも並ぶ形となった。ソフィスタは露骨に嫌そうな顔をするが、彼らを追い払おうとも遠ざかろうともしない。
 見張りの山賊たちには、少女一人とオカマ二人が猫にメロメロになってキャッキャと騒いでいるしか見えないらしく、そんな緊張感のない光景まで見張るのもバカバカしそうに、こちらに背を向けて伸びなんぞしている。為す術無く囚われていると、ソフィスタたちを舐めきっているようだ。
「話し合いするなら、今がチャンスだな。ユリ、ボタン。そのまま猫を可愛がっているフリをしろ」
 ユリとボタンは頷きもせず返事もせず、ただただ猫に「キュート!」だの「きゃわたん!」だの濁った黄色の声援を上げている。猫を可愛がってはいるが、おそらくソフィスタの話は聞いていない。
 ソフィスタは肩を竦め、少しずり落ちた猫の体を両手で掴むと、地面に下ろした。その掴み方が、猫を持つには乱暴な持ち方だったので、ユリとボタンは文句を言ってきたが無視した。
「セタ、もう変形を解いていいよ」
 ソフィスタに、そう言われるやいなや、猫の耳や眼球が頭部の中に引っ込み、さらに頭部や足を胴体の中に引っ込めた。
 愛らしい猫の、若干グロテスクな変形に、ユリとボタンは悲鳴を上げようとしたが、それを察したソフィスタに、それぞれ片手で素早く口を塞がれた。
「騒ぐな。こいつは、あたしたちの味方だ。ユリは知っているだろ?あたしが肩に乗せていたスライムのセタだよ」
 ソフィスタの言葉を聞いて、ユリは落ち着きを取り戻したようなので、口を塞ぐ手を放してやった。ボタンはまだ混乱しているようなので、口を塞いだままにしておく。
「あ〜、あのアレね?ネコに変身なんてできるんだ〜」
 完全に元のゼリーのような形状に戻ったセタを、少し気味悪そうにユリは指でつつく。 「体が同じくらいの大きさのものになら変形できるよ。ただ形状を保つのが疲れるみたいだから、長時間は無理だけど」
 伸縮自在のスライムであるセタとルコスには、何かの時のためにと、人に怪しまれない物に体を変形させる練習を、メシアと出会う前から行わせていた。
 しかし、ただの立方体に変形させるだけでも、一時的ならともかく、支えが無ければ形状を保ち続けることは難しい。動物の姿などは複雑で、怪しまれないよう動きも再現しなければいけないので、特に難易度が高い。
 それに変形はできても体色を変えることはできず、強いてやるならソフィスタの光の魔法を上手く屈折させて誤魔化す必要がある。
 そんな使い勝手の悪さもあって、日常では変形させることは無いが、一つや二つは変形のレパートリーを持たせておいたほうが何かの役に立つかもしれないと思って、猫への変形と動きだけは練習させてきた。
 セタにとっては、猫の姿を数分保つだけでも動きを再現するだけでも、ここまでできるようになれば大したものだが、傍から見た完成度は低い。しかし、遠くから見る分には怪しまれにくいだろう。
「ってか、すっかり存在忘れてた〜。そういや、いつの間にかいなくなってたね」
「別行動を取らせてたんだよ。魔法生物は、精霊と同じように魔法力の塊みたいなもんだから、存在を察知するかもしれない。それに、あたしたちに何かあった時のための保険にと思ってね」
 魔法力に敏感な精霊が、魔法生物であるセタの存在を察知できるとしたら、ソフィスタたちが森に入る前からケヤキに気付かれるかもしれない。
 精霊が魔法生物を察知できるかどうかなど前例もなく、あくまで可能性でしかないが、リスクは避けたほうがいいとソフィスタは考え、セタには森から少し離れた場所で待機させ、ソフィスタが合図を送ったら森に入って合流するよう指示しておいた。
 その合図は、ソフィスタがケヤキに眠らされる直前に放った、破壊力を帯びた光球である。ケヤキを攻撃しようとして態勢を崩され、光球は空へと放たれたが、それはケヤキに合図であることを悟られないための演技であった。
 森に入ってからケヤキ本体のものに辿り着くまで落としてきた、白い粘土状のものは、ユリたちの家から勝手に持ち出した油であり、ソフィスタが森の中で迷った時に辿って帰るためでなく、セタに居場所を伝えることが目的であった。そして、木の格子を油を使って燃やそうとしたのも、ケヤキをおびき出すだけでなく、居場所をさらに詳しく伝えるためでもあった。
 森の中に油を落としていったり、ましてや火を放つ人間など、そうはいない。炎から立ち上る煙にセタが気付けば、それでよし。煙に気付かなくても、油によって勢いを増した炎が帯びているソフィスタの魔法力には、セタは気付くことができる。
 猫に変形しろという指示は出していないが、ソフィスタたちが木の格子に閉じ込められ、それを柄の悪い男が見張っている様子からして状況を何となく察し、見張りの男たちに怪しまれないよう猫に変形したほうがいいと判断したのだろう。
 こうして、セタはソフィスタたちと合流することに成功した。それはそれでいいのだが…。
 …思ったより合流するのが早かったな。もしケヤキに気付かれていたら、もっと時間が掛かると思ったんだけど…。
 苗木を取り返すと言ってケヤキを引き込んだのは、ソフィスタがセタに合図を送ってから、だいぶ時間が経ってからのこと。ケヤキがソフィスタを敵とみなしていた時に、怪しい物体が森の中に入ってきたら、警戒して侵入を阻もうとしてもおかしくない。
 単にケヤキがセタに気付かなかっただけだろうか。それとも、元々魔法生物は、精霊に察知されないのだろうか。
 …まあ、そのことについて今は考える必要は無いか。とにかく、苗木を取り返すことに集中しよう。
 などとソフィスタが考えている間に、ボタンも落ち着きを取り戻したようだ。ソフィスタはボタンの口から手を放すと、見張りの山賊たちがこちらを振り返ってもセタの姿が見えないよう気を配りながら、ユリたちに話を切り出した。
「これから、苗木を取り返す計画を説明する。よく聞けよ」


  (続く)


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