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ありのままのメシア 第十話


 ごつごつとして力強そうな腕に体を抱きかかえられた時に感じた不安は、その腕の主が怖かったからではなかった。
 腕は体を優しく包み込み、こちらを見下ろしている瞳は悲しげだが、不思議と親近感が湧いた。
 不安を覚えたのは、その腕に引き渡すように離れていった、柔らかい感触と優しい香りに対してだった。
 いつも愛情を注ぎ、心を温めてくれたそれが、離れたまま二度と戻ってこないような気がした。
 振り返り、細く短い腕を伸ばした。小さく弱々しい手で、その先に見える愛する者の姿を捉えようとした。

 どうしてはなれてしまうの?
 どうしてそばにいてくれないの?
 どうしてうでをのばしてくれないの?

 未発達な声帯を震わせても、何度も手を空振りさせても、求める存在は、その場で俯き立ち尽くしたまま動かない。自分の体を抱きかかえている者が歩き出せば、その姿は徐々に小さくなっていく。
 このままでは、誰よりも何よりも愛しい者が消えてしまう。
 体を抱える腕を振り払おうと暴れたが、逆に腕にがっちりと体を捕らえられ、余計身動きが取れなくなってしまった。

 いやだ!いやだ!いやだ!
 どこにもいかないで!!
 だきしめて!!
 あたまをなでて!!
 なまえをよんで!!

 泣き叫び、かろうじて自由が利く腕を必死に伸ばした。すると、ずっと俯いていた者は顔を上げ、一歩だけ前に踏み出して叫んだ。


   ・第六章 母なる木

 ソフィスタたちは、猫を可愛がっているフリなどを交えながら作戦会議を進めた。
 見張りの山賊二人はランチタイム中で、雑談を交わしたり弁当のおかずを交換しあったりと、まるで警戒心が無かった。
 打ち合わせを終えると、ソフィスタはユリやボタンと顔を見合わせ、互いに頷きあった。
 ソフィスタは立ち上がり、セタの姿が山賊たちから見えないよう座っているユリとボタンを残し、足音を忍ばせて山賊がいない側へと歩き出す。
 木の格子の手前まで来ると、ソフィスタは一本の木の幹に手を添えて囁いた。
「ケヤキ、あたしの声が聞こえるな。聞こえたら、この木を少し揺らせ」
 すると、木に添えている手が振動を感じ、その木の根元の土も、内側から持ち上げられるように動いた。
 …よし。ケヤキは、あたしたちの様子を見ているし、言葉も伝わっている。
 ケヤキは森の植物から情報を得ることも、自在に操ることもできる。現に、この木の格子はケヤキが植物を操って作ったものだし、こうしてソフィスタの呼びかけにも答えられた。
 バディルゾンと一緒に行動をしている最中でも、ソフィスタの呼びかけに対し応答できるし、こちらの話を聞く気があることも分かった。ソフィスタは、さらにケヤキに呼びかける。
「あの二人の山賊の他に、あたしたちの様子を伺っている山賊が隠れていたりはしないか?もしくは、こっちに向かってくる山賊はいないか?いなかったら、もう一度木を揺らせ」
 今度は、少し時間を置いてから木が揺れた。ちゃんと森の様子を探ってから答えたということだろう。
 ソフィスタはユリとボタンを振り返り、手を振って合図を送った。セタも合図に気付き、山賊たちがいるほうへと向かって地面を這って進んだ。
「ケヤキ。これから苗木を取り戻すために行動を起こす。山賊たちに気付かれないよう、素早くスムーズに行動することが大事だ。詳しく説明している暇はないけど、とにかく指示に従ってくれ。一緒にいるバディルゾンには怪しい素振りを見せるなよ」
 言うだけ言うと、ソフィスタはケヤキの返事を求めずに木から離れた。そして、山賊たちに近づいたセタが、彼らに見つからないよう木の根元に身を潜めている様子を確認すると、ソフィスタはわざと大きなクシャミをし、山賊たちの注意を引き付けた。
 何事も無かったように背を向けてはいるが、いつの間にか場所を移動していたソフィスタを不審に思ってか、山賊の一人が木の格子に沿って歩いて近づいてきた。
 座っているユリとボタンは、少しだけ腰を浮かせる。もう一人の見張りの山賊のすぐ近くに待機しているセタは、歩いているほうの山賊に見つからないようにと極力体を縮める。
 その間、ソフィスタは魔法力を高めた。
「おい、何やってるんだ?」
 木の格子を挟んでソフィスタの目の前までやってきた山賊は、枝の隙間に顔を近づけて覗き込んできた。ソフィスタは眼鏡を整え、涼しげに答えた。
「これからするところですよ」
 ソフィスタは木の隙間に腕を突っ込み、山賊の顔面を指先が食い込むほど強く掴むと、高めていた魔法力を解放し、山賊に眠りの魔法をかけた。山賊は抵抗する間も無く、体から力が抜けて地面に倒れる。
 一方、もう一人の見張りの山賊は、ソフィスタが魔法を使うと同時に飛び出したセタに首を絞められ、白目を剥いて地に伏した。
 それを確認するまでもなく、ソフィスタは帽子とマント、グローブを外し始め、声を上げた。
「ケヤキ!木であたしとユリの等身大の人形を作れ!服を被せて誤魔化せりゃいい!細かい指示はボタンから聞け!そして、あたしとユリを檻の外に出せ!!」
 早口でケヤキに呼びかけたが、すぐに木は動いてくれなかった。急なソフィスタたちの行動にケヤキが戸惑っているのだろうが、ソフィスタ自身、ケヤキがすぐに動いてくれるとは思っていなかった。
「山賊たちが、あたしたちの行動に気付けば、苗木を取り返すチャンスがなくなるぞ!早くしろ!」
 見張りが二人しかいなかったということは、バディルゾンは苗木を盾にしている限り、ケヤキもソフィスタたちも抵抗できないと思っているからだろうが、ソフィスタたちが自力で脱出するなどの問題が生じた時に備え、見張りの山賊がバディルゾンに何らかの合図を送る手段を持っていないとは限らない。
 だからソフィスタは、他に隠れてこちらの様子を伺っている山賊がいないかどうかを警戒し、二人の見張りを同時に眠らせた。
 これでケヤキがソフィスタたちを外へ逃がしても、山賊たちには気付かれない。しかし、見張りが目を覚ました時に木の格子の中から誰もいなくなっていたら、ケヤキの裏切りに気付かれてしまう。
 だから、ソフィスタとユリのダミー人形をケヤキに用意させ、ボタンとセタには山賊たちの目を欺くフォローをするために残ってもらうのだ。
 しかし長時間誤魔化すことは無理だ。だから、素早くスムーズに行動する必要があるのだ。
 既にユリも、ベストやアクセサリーなど外せるものは外してボタンに渡している。ソフィスタも、外したものは全て、近づいてきたセタに渡した。
「ケヤキ!ソッフィーの言うことを聞いて!アタシたち、ゼッテー苗木を取り返すから!」
 ユリにも急かされ、ようやくソフィスタの目の前で木の格子が隙間を広げ、大人二人は通れるスペースを作った。
「よし、準備はできてるなユリ!」
「バッチ!ちょーイケてる!」
 ブラウスとスカート、素足に革靴という姿になったユリが、ソフィスタに駆け寄る。
「ユリ姉様、ソフィスタ様、どうかお気をつけて!」
 ユリが脱ぎ捨てた服を抱えているボタンが、ソフィスタとユリに、そう声をかけた。
「オッケー!そっちも上手くやってね〜ん☆」
 ユリはボタンに向けて投げキッスをすると、既に木の格子の外に出ているソフィスタに続いた。
「ユリ、苗木の場所は知ってるんだよな。先に行ってくれ」
 一応ソフィスタも、苗木の場所は教えてもらっているが、何度も森に出入りして薬草を集め歩いているユリに、先導を任せた。
「よっしゃ!着いて参れソッフィー!」
 こんな時まで緊張感無くふざけているユリだが、逆にこの軽いノリが彼らの行動スタイルなのだろうと考え直し、ソフィスタはユリの後を追った。


 *

 今回はケヤキが操作する植物による妨害も無く、ただ走るだけで済んだのだが、それでも本日二度目の長距離走は、ソフィスタの体力的にはきつかった。
「ソッフィーの体力とかも考えて、走って十分くらいかなーって思ったんだけど…大丈夫?」
 まだまだ体力が余っていそうなユリは、ついに地面に膝を着いてしまったソフィスタの背中を撫でてやりながら声をかけた。
「…悪いけど…無理…」
「うん、そんな感じに見えるよ。ケヤキの花粉で眠っただけじゃ体力回復しないかな〜」
 眠ったと言っても一時間程度。深い眠りに落ちていた気はするが、それで疲れが完全に取れるわけもなく、そもそもソフィスタの持ち前の体力自体、ユリと比べてはるかに低いのだ。ずっと一定の速度を保って走れるわけでもないし、「走って十分くらい」と軽く言われても、それが全速力でないにしても、ソフィスタにとっては、かなりの運動になる。
 苗木を取り戻すには素早く行動する必要がある。それは分かっているが、もう走れそうもない。
「ソッフィーはココで休んでる?アタシだけで苗木んトコロ行こうか?ホント、あとちょっとで着くから」
「いや…あ・歩く…から…あたしも行く…」
 苗木周辺には見張りの山賊がいるはずだ。その状況を確認してから算段を立てたいので、ソフィスタも苗木の近くまで行く必要があるし、何より単独行動は危険だ。
「そんなら、おんぶしたげよっか?」
「いらない…」
 そう即答して、ソフィスタは自力で立ち上がり、フラフラと歩き始めた。ユリもソフィスタの後に続く。
 ユリは、苗木までもう少しと言っていたが、あとどれくらい距離があるのだろう。ソフィスタはボタンが描いた地図を思い浮かべる。
 ボタンたちを残してきた場所から苗木までの距離の、ざっと三分の二以上は走ったはずだ。ユリの感覚では苗木まで「もう少し」かもしれないが、ソフィスタの感覚では、まだだいぶ距離がある。
 考えれば考えるほど、歩くことにも走ることにも嫌気が差してくるので、これ以上距離に関しては考えるのをやめた。
 ノンキに歌っている鳥の鳴き声の下、木の根をまたぎ、雑草を踏み倒し、無心で歩いているうちに、呼吸も整ってきた。
 走ろうと思えば走れそうだが、苗木周辺を見張っているであろう山賊のことを考えると、体力は温存しておいたほうがいい。疲れ果てては集中力も欠け、魔法も上手く使えなくなる。
 山賊と真っ向から戦う気は無いが、戦闘を避けるにしても常に魔法を使える状態にあるに越したことは無い。
「ねえねえソッフィー。アレ見てよ。おかしくない?」
 不意に、後ろからユリが声をかけてきた。彼はソフィスタの隣に並び、前方を指差す。
 そこに立ち並ぶ木々の合間から、いくつかの切り株と、その根元に乱雑して落ちている枝が見えた。
 枝に残っている葉の色は、まだ青い。
「っかしぃな〜。こないだ苗を植えた時には、あんなに木が切り倒されていなかったんだけどな〜」
「最近になって誰かが切り倒したってこと?」
 ユリとソフィスタは歩く速度を落とし、さらに警戒しながら進んだ。
 近づくにつれ、四角錐状の簡易テントや、木の枝を適当に組み合わせて作られた物干し竿なども見えてきた。
 視線を少し上へとずらすと、木の枝や葉に遮られることのない空が、穴の中を覗き込むように広がっていた。
「…ユリ。一応聞くけど、この森に人が住んでいるのか?」
「うんにゃ。少なくとも、この辺には人は住んでなかったよ」
 ソフィスタとユリは、木が切り倒されて視界が開けた空間の手前で立ち止まって身を低くし、目の前に現れた光景を眺めた。
 小規模で雑で、急ごしらえな感じのするキャンプ場。それが、ソフィスタが受けた印象であった。
 大きさからして三人用と思われるテントが幾つか張られており、そのほとんどに雑なツギハギが見られ、落としきれなかったのか放置されていたのか、大きなシミを残しているものもあった。さらに地面にはロープの切れ端や紙くず、洗っていない飯ごうなんかも転がっており、利用する人間のだらしの無さが伺えた。
「…ソッフィー。コレって、どう見ても…」
「山賊たちのアジトだな」
 どうやら山賊たちは、苗木の見張りも兼ねて、ここを拠点にして活動をしているようだ。
「テントがジャマで苗木が見えないしぃ。あ、でも、雷が落ちた木はあそこにあるから、たぶんテントの影に隠れているんじゃないかなあ」
 ユリの視線の先に、黒ずんだ木が見えた。
 ここから見た限りでも、木の幹の直径はケヤキの本体の五倍以上はある。葉は残っておらず、枝もほとんど折れており、周辺の木と同じくらいの高さで幹も折れていた。元々は相当高かったようだ。
 ボタンの話では、森の木々全ての母だったそうだが、それも納得がいく。
「苗木は、ケヤキが状況を探れないようテントの中に隠しているのかもしれない」
 ケヤキは木々を通じて森の中の様子を探ることができるが、雑草や若木などは操れないし、そこから情報を得ることもできないという。バディルゾンは、それをユリたちから聞き出していたため、周辺の木々を切り倒したのだろう。
 雷が落ちた木が切り倒されずに残っているのは、あれほど太い幹の木を切り倒すにも時間がかかりそうだし、あんな状態の木ならケヤキも操れまいと考えたからだろう。
「とにかく、森の中から見えるだけでも、アジトの様子を探ろう」
 ソフィスタの提案に、ユリも頷き、二人は木々に隠れながら移動し、アジトの全貌を探った。
 しかし、どこから眺めても苗木は見当たらなかった。
 見かけたのは、アジトに残っている五人の山賊の姿と、他のテントとは違って新品に近い蛍光ピンクのテントが一つ。それはバディルゾン専用のテントなのだと、ソフィスタは察した。
 それも含めて、テントの数は全部で七つ。今までに見かけた山賊の人数からして、まあそんなところだろう。
 開拓するのに切り倒した木は、テントが密集している地帯の外側、少し離れた場所に積み重なっており、太い枝を切り落として雑に丸太に加工されている。切り落とされた枝は、傍にまとめて置かれていた。
「うん、雷が落ちた木の位置からしても、苗木は、あのピンクのテントの周辺か、ピンクのテントの中に間違いない!」
 ユリは、苗木の位置をはっきりと特定できたようだ。
 …さて、それじゃあ、どうやって奪還しようかな…。
 苗木を押さえたら、山賊たちはケヤキの力で捕らえてもらおうと考えていたが、苗木周辺に操れる木が無いのでは、すぐに捕らえてもらうことは不可能である。苗木を押さえても、アジトに残っている山賊たちが取り返しにかかってきたら、やっかいだ。いくらユリが強くても、リスクを避けるに越したことはない。
 アジトに残っている山賊たちを苗木がある場所から遠ざけ、なおかつ森に近づかせ、その隙に苗木を押さえる。苗木の見張りがいたとしても、一人か二人程度になるだろう。
 その後、ケヤキに何かしら合図を送り、山賊たちが苗木のもとへ駆けつけるより早く、ケヤキに捕らえさせる。
 …あとは、どうやって山賊たちを森に近づかせるかだな。…それなら…。
 ソフィスタは、重ねて置かれている丸太を見遣った。丸太はただ積み重ねられただけで固定はされておらず、崩れて転がっていったりでもしたら、テントが潰されるのではないだろうか。
 …使えそうだな。よし!
「ユリ、こっちだ」
 ユリに小さく声をかけ、ソフィスタは丸太が積み重なっている場所へと向かって移動を始めた。山賊たちに見つからないよう、森からは出ずに隠れながら進む。
「いいか、ユリ。山賊たちを森の近くにおびき寄せて、その隙に苗木のもとへ向かうよ」
 後ろからついてくるユリに、ソフィスタは自分の考えを話す。
「うん。でも、どうやっておびき寄せんの?」
「あの丸太に火を放つ」
「また火かよ!そんなことして大丈夫なの!?」
 ユリはソフィスタの案に驚くも、山賊たちに聞こえないよう声は抑えている。
「風も無いから大丈夫だろ。もしもの時はケヤキが植物を操ればいいだけだ。それよりテントに燃え移る恐れを考えて、山賊たちは消火しに来るはずだ。派手に燃やせば多くの山賊をおびき寄せられるだろうし、時間稼ぎにもなる」
「…ソッフィーって慎重に見えて、かなりダイタンじゃね?」
「時には大胆な行動に出る必要もあるってことだ」
 ソフィスタが魔法を使えることは山賊たちには知られていないはずだし、丸太の周辺にもゴミやら煙草の吸殻やらが転がっていたので、誰かの火の不始末と勘違いされても、おかしくは無い。
 派手に燃やすので出火の原因を怪しまれるかもしれないが、すぐには侵入者の存在に気付くまい。火が強ければ強いほど、山賊たちは気が動転して出火の原因までに気が回らなくなるだろうし、何よりテントに燃え移る心配をして消火に当たるはずだ。
 消火の際に使うであろう水は、テント一つ一つに設置されている水瓶から調達するだろうが、丸太の近くにあるものから消費していくはずだし、少なくともバディルゾン専用であろうピンクのテントの水瓶は、すぐには使われないだろう。
 火を放ったら、丸太がある場所とはアジトを挟んで反対側まで移動し、そこから森を出てピンクのテントに向かえば、炎に群がった山賊たちには見つかるまい。
 頭の中で行動をまとめながら進み、やがて立ち止まると、ソフィスタは近くの木の幹に手を添えた。
「どったのソッフィー。丸太に近づくんじゃないの?」
 丸太が積み重ねられている場所は、現在地から森を出て数歩先にある。
「森から出るのは危険だし、この距離なら魔法は届くから充分だ」
 アジトから見て、ソフィスタたちがいる位置は、積み重なった丸太で死角になっている。この位置が、魔法を使っても一番見つかりにくい場所だった。
「ケヤキ。苗木を押さえたら、魔法で合図を送る」
 ソフィスタは、触れている木を通してケヤキと会話を始める。
「そしたら、すぐに植物を操って、アジトにいる山賊たちを捕らえてくれ。今お前と一緒にいるはずのバディルゾンたちもな。合図は…あたしが空に向けて光の球を放ったのを覚えているか?あれを合図にする。分かったら、そこの枝を揺らせ」
 そう言って、触れている木の低い位置に生えている枝を指すと、少し間を置いてから、その枝は不自然に揺れた。
 ソフィスタは「よし」と木に向かって頷くと、手を放した。
「なになに?ケヤキと話してたの?じゃ、アタシも〜」
 隣にいたユリが、ソフィスタと入れ替わるように木に手を添えた。
「用件は伝えたから、もう話すことはないよ」
「うわっ、ソッフィーってば冷たっ。ケヤキに優しい言葉をかけてあげたっていいじゃん。アイツ、今だって苗木のコトめっちゃ心配してるはずだしぃ、アタシたちの行動がバレまいかとヒヤヒヤしてるに違いないじゃん」
 だから、早く苗木を取り返す必要があるのではないか。そう、ソフィスタはユリに言い返そうとしたが、山賊の前でオドオドしていたケヤキを思い出すと、励まして気持ちを落ち着かせてやる必要もあるかもしれない。そう考え直して、ソフィスタは口を止めた。
「木に雷が落ちた時だってぇ、ケヤキのヤツ超パニクって大変だったんだからぁ。苗木が無かったら、ヤバイことになってたしぃ、なんたってケヤキは…」
「いいから、ケヤキと話すなら早くしろ。セタとボタンを待たせていることを忘れるな」
 ユリを急かし、ソフィスタは丸太の傍に置かれている枝の山に手をかざした。ユリは「そうだった。てへぺろっ☆」と、意味は分からないが何かイラッとすることを呟いてから、木に向かって話しかける。
「ケヤキ。苗木はゼッテー取り戻すからね!アンタを辛い目に遭わせている山賊たちのケツもひっぱたいとくからね!」
 ソフィスタに言われた通り、ユリは手短にケヤキに言葉を伝えると、ソフィスタの隣で屈んだ。
「魔法を放ったら、すぐに移動を始める。いいな」
 そうユリに声をかけ、彼が頷くのを確認すると、ソフィスタは高めた魔法力を解放した。
 ソフィスタの手の平から、圧縮された高熱の筋が放たれる。赤く煌くそれは、まとめて置かれている木の枝に吸い込まれるようにして消えた。
「よし、行くぞユリ!」
 魔法を放ち終えると、ソフィスタは、すぐさますぐさま走り出した。ユリは数歩遅れてソフィスタに続く。
「待ってよソッフィー!火ィ着いてないけど!失敗したんじゃない!?」
 魔法を放ったにも関わらず、木の枝は煙も上げていなかったので、失敗したのだと思ったユリがソフィスタを呼び止めようとしたが、その直後、木の枝から爆発したかのように勢いよく炎が上がり、たちまち丸太に燃え移った。
「うわっ、火力強すぎじゃね?」
「いちいちうるさい。派手に燃やすと言っただろ」
 驚いているユリを軽くあしらい、ソフィスタは森の中を走りながら、軽く振り返って炎の様子を確認する。
 狙い通り、炎に気付いた山賊が、慌てて仲間を呼び集めた。姿を確認できた五人の山賊は、炎上している丸太の周囲に群がる。
 狙い通り、山賊たちもパニックを起こしているようで、誰も水瓶を取りに行こうとしない。これなら余裕でアジトに侵入できそうだ。
 …ここまでは作戦通りだ。あとは苗木を押さえるだけだけれど…ピンクのテントの周辺か、テントの中だってユリが言ってたな。
 山賊たちの死角になっている位置まで来たソフィスタとユリは、森を飛び出し、ピンクのテントに近づくと、身を低くして周辺を調べ始める。
 しかし、苗木らしい植物は見当たらず、生えているのは雑草だけであった。
「苗木はテントの中かもな。確かに、この辺りに植えたんだろ?」
「ってか、もう見つかってもいいハズなんだけど…おっかしいなぁ〜」
 唸っているユリを置いて、ソフィスタは先にピンクのテントの中に入った。周囲を調べるついでに、テントの中に人の気配があるかどうかも探ったが、特に人の気配は感じられなかった。
 案の定、ピンクのテントの中には誰もい。地面には赤いカーペットが敷かれ、その上にはハート型のクッションや、ビーズで装飾を施されたランプなどが置かれているが、そんな女っぽい趣味はともかく、苗木が見当たらない。
「おいユリ。苗木はどこにも無いぞ。場所を勘違いしてたんじゃないか?」
 後からテントの中に入ってきたユリに、ソフィスタは少しイライラした口調で尋ねた。
「ウソ、マジ?ゼッテーこの辺に植えたはずだし」
 邪魔な家具を隅へどかし、絨毯を捲って地面を調べても、苗木が植えられていた跡すら無い。
 …外を調べていた時は、地面の状態まで調べていなかったけど、もしかして、外に植えてあったのを移動させたとか…?
「おい、誰かいるのか?」
 ソフィスタが考えていると、一人の山賊がテントの中に顔を覗かせてきた。山賊はソフィスタたちの姿を見るなり、何かを叫ぼうと口を開いたが、それより早く、ユリが右腕を鎌に変え、峰で山賊の喉を打った。
 嗚咽を漏らす山賊の首根っこを、ユリは左手で掴んで強く引き、テントの中に引きずり込んだ。
 この山賊は、火を放った丸太の周囲に集まってきた五人の山賊とは違っていた。別のテントの中で居眠りでもしていたのだろうか。
 …まあいい。コイツから、苗木の在り処を聞き出そう。
「ちょうどいいや。アンタたち、苗木をどこにやったんだよ!」
 ソフィスタと同じことを考えていたユリが、山賊をうつ伏せにして倒し、右腕の鎌の峰を首に当てて脅した。
「いってぇ〜…何なんだよお前らは!」
 鎌の峰で打たれた痛みのせいで、掠れた声しか出せない山賊は、ユリの質問には答えなかったが、首筋から伝わる固く冷たい感触には恐怖を覚えているような表情をしていた。
「苗木はどこだ?って聞いたんだよ。聞こえなかったのならコレで耳掃除してやろうか?」
 そこに、ソフィスタがテントの中で見つけたハサミを逆手に持って近づき、低い声で尋ねる。山賊は恐怖を煽られ、「ヒィッ」と細い悲鳴を上げた。
「な・苗木?そんなモン、とっくにココにはねえよ!!」
 山賊が吐き捨てるように言った言葉に、ユリは不思議そうな顔をするが、別の場所に植え替えられた可能性を考えていたソフィスタは、特に表情を崩さなかった。
「無い?どういうことだ」
 どうせ植え替えられたのだろうと予想しつつも、ソフィスタは山賊に問うが、返って来た答えは意外なものであった。
「酔っ払ったお頭が、野菜と間違えて輪切りにして油で揚げちまって…誰も食わなかったけど」
「………ハアァァ!?」
 山賊の答えを聞いてから少し間を置いて、ユリが素っ頓狂な声を上げた。ソフィスタは「馬鹿!静かにしろよ!」と声を抑えてユリを叱ったが、ソフィスタ自身も、山賊の返答を聞いた時は、思わず「馬鹿か!」と叫びそうになっていた。
 …じゃあケヤキは、既に苗木が無いことを知らされずに、山賊たちに従っているってことか。
 苗木を切ったメチャクチャな理由は受け入れがたいものであったが、とにかく今は時間が無い。既に山賊一人に見つかってしまったのだから、この狭いアジト内、他の山賊に見つかるのも時間の問題なのである。
 この山賊が、嘘をついている様子は無い。苗木が無いなら無いで、さっさと別の行動に移らなければならない。
 …油で揚げたんじゃ、もう苗木も再起不能だな。さっさと、このことをケヤキに伝えて、山賊たちをしばき倒させるか。
「何それパネェ!!超サイテーサイアクなんですけど!!」
 ユリは、鎌に変えていた右腕を元に戻して、山賊の胸倉を両手で掴んで揺する。
 さっき静かにしろと注意したばかりなのに、大きな声で騒ぎ始めたユリを、ソフィスタは今度は背中に蹴りを入れてやろうかと思ったが、その時、近づいてくる複数の足音に気付いた。
 …ユリの馬鹿!言わんこっちゃねえ!!
 ソフィスタは、ユリを軽く爪先で蹴るだけで済まし、魔法力を高めた。
「今の、誰の声だ!」
 早速、二人の山賊がテントの中に飛び込んできたが、それを予想していたソフィスタがなぎ払うように手を振り、その軌道上に生じた二つの光球を、山賊たちに向けて放った。光球は、それぞれ山賊二人に当たると、大きな音を立てて強い衝撃を放ち、山賊たちを外へ吹っ飛ばした。
「ちぃっ、もう完全にバレたな。ユリ、森の中に逃げ込むぞ!」
 そもそも、山賊たちを森の近くまでおびき寄せたのは、苗木を護るためであった。苗木が無い以上、この場に留まる理由は無い。
 ソフィスタは、ユリがソフィスタを振り返ったのだけ確認すると、テントから飛び出し、外で倒れていた二人の山賊を飛び越えて森へと走った。
「し・侵入者だ!捕まえ…」
 ソフィスタの魔法を喰らった山賊が声を上げようとしたが、後からテントを出てきたユリに頭を踏まれ、顔面を地面にめりこませた。
 呼ばれるまでもなく、消火にあたっていた他の山賊たちもソフィスタたちの姿に気付いた。しかし今から追いかけられても、森に逃げ込むまでに追いつかれる心配はあるまい。
 …いや、なにも森の中に逃げ込まなくても、口でケヤキに状況を伝えればいいか。
 今まで、なんとなく木に触れてからケヤキに言葉を伝えていたが、いちいち木に触れないと声が伝わらないと教えられたわけではない。伝わらないにしても、既に山賊たちに侵入に気付かれて追われている今、大声を上げるぶんには問題は無い。
 そう考えたソフィスタは、走りながら息を大きく吸い、声と共に吐き出した。
「ケヤキ!苗木はとっくにバディルゾンが切り刻んじまったってよ!!もう苗木を気遣って山賊たちに従う必要は無い!!!」
 そう叫びきったところで、背後から伸びてきたユリの手に口を塞がれた。
「バカァッ!!なにバラしてんの!苗木がバラされただけに!!」
 ユリ自身も、何か上手いことを言って叫んだ後、「ヤベッ」と呟いた。
 足を止められたソフィスタは、ユリの手を振り払い、彼を振り返って睨みつける。
「何すんだ!早く森に逃げ込まないと捕まっちまうだろ!!」
 そう怒鳴って、ソフィスタは再び走り出そうとしたが、ユリに腕を掴んで止められた。
「ダメだって!見りゃ分かるだろ!今から森に入るほうがデンジャラス!!」
 視覚的にヤバいことになっていると言えば、山賊たちがすぐそこまで迫っていることくらいであり、それはユリのせいである。
 しかし、ここで言い合っている場合ではない。森に入ってはいけないのなら、せめて迫ってくる山賊を撃退しよう。そう考えて、魔法力を高めた。
 その時、地面が微かに振動し、森の中では木々が不自然に揺れていたが、魔法力を高めることに集中していたソフィスタは気付かなかった。


  (続く)


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